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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年5月11日 (日)

「私の中」のつながり

 コルテオさんのコメントを拝見していて,
 なにか「アスペ的な世界」へのイメージがちょっとふくらんだかも,
 という気持ちになりました。
 (もちろん誤解かもしれません (^ ^;)ゞ )

>レオ・バスカリアさんという方の、本の中の言葉です。――インドでは、だれかに会うたびに、あるいは別れを告げるたびに、両手を合わせて「ナマステ」という。これは、あなたのなかの全宇宙が宿る場所に向かって私は手を合わせる、ということをあらわしている。そこにあなたがいるのなら、そして、私のなかの同じ場所に私がいるのなら、私たちはひとつだというのである。――「その人と私を関わらせる何か」は、この感じに似ています。

 wikiで見たら,イタリア系のアメリカの教育学者の方でした。
 それぞれの人が自分の中で,あるいは自分の深いところでひとりひとりが
 全宇宙につながっていて,実はその全宇宙の中で人は他の人と共にいる,
 みたいな感じなのでしょうか。私の中にある「普遍」みたいな。

 アスペの方が他者とつながりにくい自分の世界を感じながら,
 でもやはりそれが他者とつながっていると思えるときには
 もしかすると「私の中の深みで他の人とつながる」みたいなイメージを
 持たれるのかもしれないなと感じたのでした。

 多分そういう感じだと,その世界は「言葉を越えたもの」でしょうし,
 「私の中にあって私を越えたもの」になるのでしょうね。

 仮にそんなイメージである程度理解できるものだとすれば,
 バスカリア(ブスカリア)さんやインドの多くの方は定型なのでしょうから,
 定型とアスペの方の「ひととのつながり」の感覚については
 そういうイメージで考えれば「通じ合える」可能性があるのかもしれません。

>パンダさんが他の記事で仰っているとおり、内面を説明することは、苦手です。どうしても、それを、掴めません。いつも、すぐそばに、確かにあるのですが。本の中に、言葉を見つけたときは、光が差すように感じます。

 この「いつも,すぐそばに,確かにある」という感覚が新鮮でした。
 言葉にはなかなかならないんだけど,感じ取ることが出来る「何か」。
 ただ,まったく言葉にならないのでもなくて,他の人の言葉によって
 それがご自身にも見えてくる感じになられることもある。

 私の勝手な想像ですけれど,上のブスカリアさんの話とつなげて考えれば,
 他者とのつながりは「私のなか」に感じ取れる何かで,
 そして自分の内面も「そこ」にあって感じ取れる何かで,
 どちらも言葉にはなりにくいけど,確かに「いつも,すぐそばに」あるもの
 というイメージではつながっているのかもしれません。

 アスペの方がみなさん同じような考え方をされるのかどうかは
 難しいところですけれど,ひとつの考え方(感じ方?)として
 そういう見方があるのかなということについては
 「なるほどなあ」という気がしたのでした。
 (いや,ほんとに誤解かもしれませんけど (^ ^;)ゞ )

(コルテオさん:また触発されたので,ちょっと私の感想を書かせていただきましたが,お返事ということはお気になさらず,もし書きたい気持ちになられたときがあれば,その時に自由にお書き下さい。)
 

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