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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年4月24日 (木)

揺るぎなさと日常生活

 

トマトさん星さんのコメントを拝見していて,そしてまたパートナーとの関係を考えてみて,定型アスペのいろいろな困難を抱えながらも,それでもお互いの関係が意味を持ってくるときには,アスペの方の側の「揺るぎなさが大きなポイントになることがあるかもしれないと感じました。

 この「揺るぎなさ」は反面で「融通の気かなさ」とか「周囲との調整のなさ」とか「こだわり」とか,そんな風に評価される部分にもなります。もしその「揺るぎなさ」が単にその人の「身勝手」として感じられる場合には,お互いの関係がうまくいくことはないでしょう。でもそれがその人なりの形での自分に対する「一途な誠意」のように感じられるときには,逆に深い信頼に結びつく可能性があるように思います。

 そのことでお互いの絆が強まる可能性があるわけですが,だからといって,アスペ定型間のズレの問題が無くなるわけではもちろんないのですね。定型が相手に求めやすい共感的な支え合いの関係,といったものはなかなか作られることがないように思えるからです。でもそれとは別の面で,「支える」ということが成り立つ。

 少し話は変わりますが,昨日パートナーに,「最近ようやく○○さんが日常生活のひとつひとつのことについて,しっかりとこなしていくことをとても大事にしていることの意味が分かってきた感じがする」と話したんです。私の場合は家事とか,そういう生活上のことは,まあやらなければならないことだからしょうがなくやる,という感じで,そこに生き甲斐を感じることはないタイプです。それより仕事などで自分のやりたいことを実現したり,新しい展開を作ったりといったことにやりがいを感じるし,意義を感じる,という人間なんですね。

 そうすると,パートナーがほんとに一生懸命家事をこなし続けることの意味がぴんとこなかったし,なんでそこまで「こだわる」のかもわからなかった。私は自分がしんどい時に,彼女から支えてもらったという実感がなかなか得られにくかったのですが,彼女は実は一生懸命支えようとしてくれていたようで,その内容はやはり家事などを一生懸命することだったのです。それは私には全く「支え」としては理解できていなかった。私はむしろ「精神的な支え」を求めていましたので。

 彼女が老人福祉関係の仕事をするのも,老齢化してそれまで当たり前に出来ていた日常生活が困難になっていく,その人たちにすこしでも「あたりまえ」の暮らしをしてもらいたいと感じるからだと聞いていました。それはそれで全く分からないわけではないけれど,何かもうひとつぴんと来にくい部分も残っていたんですね。

 そのあたりのことが,アスペ的な性格を持って,この世の中で生きていくとはどういうことなのか,ということを多少なりとも私が想像するようになって,「ああ,なるほど,生活のひとつひとつをいつも通りに確実にこなしていくことは,彼女が生きていく上でほんとに大事なことなんだ」と,ある程度の実感を持って感じられるようになってきたんです。

 彼女はそれに対して,「それは障がいのせいでこだわりがあって,それがないと不安になるからだけのことだから,そんな「意義がある」とかいう話ではない」と答えていました。そういう見方ももちろん分かるんです。私も以前は単に「なんでこんなことに<こだわる>んだ。ほんとに困った性格だ」としか見られなかったわけですし,定型アスペの問題としてみるようになってからは「要するに自閉的なこだわりで,それがないとパニックになるから」と理解していたわけです。

 でも,そんなふうに定型的なやり方と比べて「<おかしなこだわり>と考える」見方とか,「足りない部分」として見る見方とか,そういう「マイナスの見方」ではなくて,それぞれの人が持って生まれた条件の中で,自分の気持ちを安定させながらしっかりと日常をこなしていく,という課題を誰もがこなしていくことには,それぞれの人にとってそれは積極的な<意義>があることだ,と感じられるようになってきたんですね。

 それで,私なりに彼女が持って生まれてきたものや,その後の人生の中で直面し続けてきたいろいろな問題を想像してみると,彼女にとってのその<意義>が分かる感じになったというわけです。

 

 そういうことを彼女に対しても説明をしてみましたが,もうひとつよく分からない,という感じでした。多分この説明は伝わりにくいだろうな,ということも今は分かる気がします。彼女の場合は相手を理解するとき,「この人はこういう行動パターンを採る人だ」という形で「納得」して対応するのに対して,私は「どうしてそういう行動パターンになるんだろう?」というところを,「ああなるほど,そういうことなら自分もそういう行動をとりうるだろうな」といった「共感」的な理解に至らないと,分かった気持ちになれないからです。そういう人間理解の作り方の違いが,私の説明のわかりやすさ,わかりにくさにつながるのかなと思っています。

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コメント

パンダさんへ

そうですね。定型は、相手を理解するために、頭の中の共感回路を使いますね。

パンダさん

コメントを取り上げていただいて、ありがとうございます。

>もしその「揺るぎなさ」が単にその人の「身勝手」として感じられる場合には,お互いの関係がうまくいくことはないでしょう。でもそれがその人なりの形での自分に対する「一途な誠意」のように感じられるときには,逆に深い信頼に結びつく可能性があるように思います。

おっしゃる通りだと思います。
どう感じてしまうかは、相性がとても大きく関係しているように思います。

>アスペ定型間のズレの問題が無くなるわけではもちろんないのですね。定型が相手に求めやすい共感的な支え合いの関係,といったものはなかなか作られることがないように思えるからです。

パンダさん、私は大切な人(彼)から、共感的な支え方や触れ合い方をしてもらえているように感じるのですが・・・。
特に最近はそう感じることが多いです。
時には、予想外のサプライズ的なこともあって、本当に喜ばせてくれます。(*^-^)

私は無理をしているつもりは本当にないので、彼がいくらか無理をしてくれているか、もし彼もそんなには無理をしていないのならば、自然とお互いへの理解が深まり、お互いに成長したのかなと思っています。
元々似たところもあり(勝手に私がそう思っているのですが)、凛とした清々しい、ある意味厳しいところもある人なのですが、私はその厳しさが理解でき、その厳しさも好きなところでもあるので、私たちは良いのかもしれませんね。
彼は間違ったことを言っていないと思えるので、彼の厳しさがよく理解できます。彼と同じような厳しさを、私自身も持ち合わせているように自分では思っています。

彼は、私には、共感的な感じで接してくれます。
そして、自分のことより私のことを優先してくれます。
彼は、知能の高い、繊細な、場の空気が読める、共感的なところを持っている人だからかもしれません。
また私は、よく人から「それだけ感受性が強かったら、世間で生きていくのは大変でしょう」と言われることがあるので、もしかしたら、私自身の共感力が高い(高過ぎる?)からかもしれません。
でも、たぶんきっとそんな二人のバランスや相性が良いことが大きな要因かなと思っています。

これは、私の一人の見方なので、二人の総意ではありませんが、私の感じていることを言葉にさせていただきました。

普段なんとなく思っていること、感じていることを、パンダさんのブログであらためて考えてさせていただけることで、自分の内面や気持ちを整理できるので、ありがたく思っています。
私たちは二人とも、成長しているのだなとあらためて感じさせてもらえました。(*^-^)

パンダさん、いつもありがとうございます。
パンダさんには感謝しています。

星さん

>パンダさん、私は大切な人(彼)から、共感的な支え方や触れ合い方をしてもらえているように感じるのですが・・・。

 ああそうなんですね。ちょっと羨ましい感じも…… (^ ^;)ゞ
 やっぱり「スペクトラム」という発想は重要なんだなあと改めて思いました。
 逆に言えば,私とパートナーの間では成り立ってきたことについても
 それは到底難しそう,というカップルもあるのだと思います。
 だいぶ前に別の方から頂いていたコメントを拝見していて,
 「ああ,この方の場合は私が抱えているズレの問題よりはるかにシビアだな」
 と思ったことがありますし,当然私のやりかたではそのままでは
 うまく行かないだろうと感じました。

>普段なんとなく思っていること、感じていることを、パンダさんのブログであらためて考えてさせていただけることで、自分の内面や気持ちを整理できるので、ありがたく思っています。

 私が考えていることは,私とパートナーという一つのカップルの場合のことで,
 それをベースにしながら他の方のコメントも参考にさせていただいているにしても
 やっぱり基本は「私の経験例」ということにすぎません。

 ただ,そういう私の「個人的(個カップル的?)」な経験でも,
 それを読んだ皆さんが,それと自分の経験を対比させてみることで,
 共通する部分や違いを見いだして,それぞれの方の状態を理解するための
 素材の一つにはなるのではないかと思ってきました。

 幸い星さんにとっても多少なりともそのような意味があるのだとすれば
 私もブログをやっている甲斐があります。

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