割り切ることの難しさ
このところ難しい親の介護の問題や自分の仕事上の悩みなど,かなり大変なことが重なり続けていて,暗い顔をしていることが多いのですが,そんなときに自分がしんどいときにしんどい表現をする,というのは私の場合,これまであんまり無かったことです。むしろしんどいときには逆に頑張って明るく振る舞い,それ以上暗い雰囲気を作らないようにしようとするタイプなんですね。(これって「仮面鬱」になりやすいタイプなのかも)
さらにパートナーの前で自分がしんどそうにすると,パートナーがそれを見て不安になるようで,その結果私に対する接し方がますます私にはしんどい方向に進んでしまうので,彼女に対してはできるだけそれを見せないようにしてきたという経緯も加わり,その傾向がより強まったかもしれません。
けれども定型アスペ問題を考えるようになって,彼女が私に対しては仕事モードの「明るい振る舞い」を決してしないこと,それが彼女にとっては近しさの表現だし自然なことだということを知り,改めて私もがんばって「明るく振る舞う」ことはやらなくなってきたんです。実際たとえそうやって頑張って明るく振る舞っても,彼女がそれによって明るくなってくれる感じもしませんでしたし。
まあ,しんどいときにそのまましんどい姿をしていることの方が,ある意味では楽でもありますから,私も今はオフのモードではそうしているわけなんですが,そうするとやっぱり彼女からは「しんどそうな姿を見ているのはいやだ。明るく楽しそうになって欲しい」と言うんですね。もちろん「明るいふりをして欲しい」という意味ではなく,実際にそういう精神状態になって欲しいという意味だと思うんですが。
ただ,介護の問題にしても仕事の問題などにしても,自分の努力だけでどうにかなる,というものではありませんから,結局状況が変化するまではしんどさに耐えるしかない,というところがあります。そのことは彼女も理解はしてくれているんですが,でもやっぱり私がしんどそうな姿をしていることが彼女にとっては嫌だということもまた正直な気持ちなのでしょう。それをストレートに表現されます。
状況はしんどいけど,せめて気分的には明るく振る舞おう,というパターンはうまくいかず,かといってそのまましんどそうにしていると「それは嫌だ」と言われ,なかなか難しいことだなと思います。まあ,彼女の理屈としては,「嫌だ」というのは単に自分の感じていることで,私がそれを気にする必要はない,ということなのかなと思うのですが,そういう割り切り方が定型には難しそう。
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コメント
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パンダさんへ トマトです。
あ、それ私にも心当たりあります。
AS友人が内科医に「肺に癌が見つかりました」と宣告されたとき、友人は「心配要りませんよ
!大丈夫、大丈夫」と笑いながら医者の肩をポンポン叩いていました。
後で聞いたら「先生があまりにも深刻でガッカリしていた様子だったので、僕はとっさに励ましてあげなければいけない、と思ったんですよ」と言っていました。
でも、私が仕事のストレスなどでため息をつき暗い顔をしていたら「そういうトマトさんは見たく無いです」と言われ「なんちゅう思いやりの無いヤツだ!」と腹が立ったものです。
AS友人にしてみたら「いち感想を述べただけで他意は無い」とのことでしたが「その言葉を聞いた相手はどんな気持ちになるか考えてよ」というリクエストは口論のタネにしかならなかったですね。
他者には出来ること(親切や思いやりの言動)が自分にはしてもらえない。
このゾーン分けは、きついものがあります。
「私にも(適宜に親切に)して欲しい」
「あなたと周囲の人とは違います・・・にも、と言われても困ります」
そうか・・・「にも」が分らないし、了承できないかぁ。
定型は「人並みの優しさが欲しい」とか、人並みという基準を心に持っていますから、寂しくなるのでしょうね。
投稿: トマト | 2014年4月26日 (土) 21時13分
トマトさん
うーん!「あるある話」ですね!
私のパートナーは診断を受けているわけではないのですが,
こうやって書けば書くほど,皆さんのコメントを読めば読むほど,
「ああ,やっぱり間違いないんだな」と思います。
それにしても人は違ってもこういうところはほんとに共通するものですね!
投稿: パンダ | 2014年4月27日 (日) 16時50分