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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年4月 5日 (土)

ずれたまま共有される足場

 パートナーとの関係が、時間はかかっても私には前向きに感じられるようになっている理由は、「自分が求めていたものがどんどん得られるようになってきた」からではなさそうな気がします。

 そうではなくて、多分ひとつには「自分が求めているものがなかなか得られない」状態があっても、以前のように「だから自分は無視されている」とか「嫌われている」とか「否定されている」というようには思わなくなってきた、ということがあるように思います。

 逆に、それは「自分の求めているもの」とはずれていても、彼女なりに本当に自分のことを考えてくれていることなんだ、ということがだんだんと実感されてきたことが大きそうです。

 その彼女のやり方は、「私が求めるもの」とはずれているし、あくまで「彼女が大事だと思っていること」ですから、その意味では彼女のやり方の押しつけと言えなくはないし、自己中心的だという見方も出来なくはないでしょう。

 でもそれは「自分のことしか考えない」こととは違うんですよね。彼女なりに一生懸命私のことを考えたり、心配してくれたり、その結果のことです。身勝手な自己中とはやっぱり違いがあります。

 そういうことが少しずつでも実感されてくると、それまでは「なんで私を無視してこんなに押しつけがましいことをするのか」と感じて反発していたことも、「ああ、こんな風に自分のことを一生懸命考えてくれているんだなあ」と、ちょっとゆとりを持って考え直し、感じ直すことが出来たりもします。そうすると彼女に対する「信頼感」が増していくんですね。

 この変化は、「彼女の方が変わったから」ということではなさそうに思います。むしろ彼女の方はずっと一貫していて、その姿についての私の理解の仕方が変わった、ということが大きそうです。もちろん彼女は彼女なりにいろいろ努力はしてくれているわけですし、定型のことを理解しようともしてくれいますし、それで変わる部分もあるわけですが、根っこの所ではずっと一貫している感じなんですね。まあ、ある意味ではアスペ的に頑固だともえいるかもしれないですが。逆に私の方は定型的に柔軟だとも、揺れ動いているとも言えるのでしょう。

 つまりはお互いがお互いの持って生まれたものは持ち続けながら、お互いに「相手に向かって頑張ろうとしている」ということは認めあえる関係になってきているのかもしれません。そこが私にとっても「大事な足場」に感じられるようになってきているようです。

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