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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年3月10日 (月)

パートナーのすごいところ

 私の年代はやっぱり介護の問題を抱えるのですが、このところその問題に関してパートナーが教えてくれる「人間理解」がものすごく的確なことを、ほんとに感じ入っています。

 具体的に書かないとわかりにくいでしょうけれど、印象としては私が見過ごしているか、あるいは見ようとしていな人間のありかた、みたいなものをしっかりと見据えている気がするんです。もちろんそれは定型アスペの問題ではなくて、単に私が人を見る目がなさすぎ……ということかもしれないのですが (^ ^;)ゞ

 ただ、いじめのことについての記事でも書きましたけれど、パートナーはやっぱり定型的な「笑顔のごまかし」のようなものを、嫌と言うほど味わい続けてきて、彼女にとってわかりやすい人の姿を一生懸命掴んできたんでしょうね。そしてそれは「笑顔のごまかし」の世界に生きていると見えないものなのかなと思うんです。

 それでも彼女がすごいと思わせられるのは、そういう深い「人間不信」にも陥りそうな体験の連続の中で、なお「優しさ」を失わないことです。私が苛立ってしまう老親の様子も、パートナーはしっかりと受け止め、否定せず、そこでこちらが怒ってしまうのは可哀想だと言い、現実的な対応を考えてくれる。なんだか自分の未熟さを見せつけられる思いがします。

 他方でちょっと面白いことに気がつきました。別のことで私がパートナーに心を打たれる思いがして、感謝の気持ちを伝えると、「そんなことはない」というんです。以前はそういうのは「謙遜」なのかなあとか思っていたのですが、なんかちょっと違う気がして気になっていました。で、やっぱり本気で否定しているんだなと思えたんです。

 そこで興味深かったのは、仮にそれが誤解だとしても、私が嬉しい気持ちになっていること自体は彼女が否定できることではないはずです。けれども彼女の否定の仕方は、「嬉しいはずがない」という感じなんですね。それで、「僕がそう感じているという事実は、あなたが否定できることではないでしょう」というんですが、なんか納得いかないみたいなんです。

 アスペの方はよく「あなたはあなた、私は私」ということを強調されますし、パートナーもそうですけれど、こう言うところではむしろ自分の感じ方がすべてになってしまって、私がそれと違う感じ方をすることが「嘘」にされてしまうんですね。そこ、私がしつこく彼女に言ったら、「もう、わかんないわ」とか言ってました (^o^)

 そういうところ、定型は「常識」を振りかざして自分の感覚でアスペの人の感じ方を否定しがちですけれど、アスペの方もポイントこそ違え、そういう自分の感覚で相手を決めつけるところはおんなじなんじゃないかな、ただ「常識」とそれを呼ぶかどうかの違いだけでと、そんなことを感じられて興味深かったです。

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コメント

パンダさんへ

以前ここでASの人のコメントで「誉められると恐い」という感情があるということを知りましたが、
感謝も含め誉められる事に違和感や反発といったマイナス感情やストレスを感じるASの方は、案外多いのかもしれませんね。

定型なら「想定外のことで誉められたり、ましてや感謝されるとかえって嬉しかったり、まんざらでもない」とプラスの感情が湧くところ
ASの人は「そこは納得できない」「自分のしたことに、勝手な感想を言われても」という気持ちが湧くのでしょうか。

私もASの人に「すごいね」と、誉めたつもりが「すごいというのは、それはトマトさんの基準ですから、そう言われても何と答えたら良いか解りません」と返答されたときは「私のこと嫌いなのかな」と、当事者の方にとっては「そのとんでもない飛躍は何ですか?」という方向に向ったことがありました。

感想を言われる・・・ということ事態に馴染めないのでしょうか?

パンダさんの奥様も「相談者に感謝をされる」のはセオリーとして受け入れられるのでしょうが、夫の親のことで夫に感謝感心されることは、ベツモンなのでしょうね。

トマトさん

>私もASの人に「すごいね」と、誉めたつもりが「すごいというのは、それはトマトさんの基準ですから、そう言われても何と答えたら良いか解りません」と返答された

 これは定型的には「謎がいっぱい」ですよね (^ ^;)
 この「何と答えたらいいかわからない」というのは、パートナーもよく言います。
 「どう答えて欲しいわけ?」とか。

 うーん、どういう感じなんだろうか?
 昔、ある外国の人に「あなたは自分の子どもの内どちらが好きですか?」
 と聞かれたことがあって、そのとき
 「何と答えたらいいか分からない」状態になりました…… w(゚o゚)w

 たとえばトマトさんのその方に「これをあなたはすごいと思いますか?」
 と尋ねれば、多分答えられそうに思いますが、どうでしょう。
 でも「私はそれをどう思っているでしょうか?」と尋ねると、
 「そんなことわからない」と言われそうな気がします。
 そのことと関係があるのかどうか……

 ある意味ちょっと面白い問題かもしれません。

トマトです。

確かにASの人に「見解や答え」を聞くと答えてくれそうな気がします。
しかし「感想」は、感想という概念が見当つかないASの人であれば、答えに窮すると思います。

パンダさんの
【「これをあなたはすごいと思いますか?」
 と尋ねれば、多分答えられそうに思いますが、どうでしょう。】ですが、
「すごい」というあいまいな言葉の質問には、困るASの人は多いと思うのです。
「すごい」はニュアンスですから。

そのASの人の興味の強いものであれば「すごいと思う、すごい」と答えてくれるかもしれませんが、その分野以外のことに、ニュアンスの質問をしても、答えに困るのではないでしょうか。

ちなみに話しですが−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
私は過去に、公的機関の試験を受けたことがあります。
そこは、さまざまな人間関係においての相談員を育成しようとしていました。

第一次試験が「あなたにとって家族とは」というテーマの作文。

第二次試験は、6人ほどで「男性の育児休暇について」というテーマで話し合って下さいとという形。丸いテーブルに受験者6人が囲む様に着席し、話している様子を、部屋の四隅から試験管チェックしていました。

最終試験は面接。4人の試験管の前で質問されたのは
「あなたは、自分が周囲の人にどんな人だと思われていると、思いますか?」でした。

今思うと、育成環境とコミュニケーション力と想像力と表現力を精査される内容でした。
質問は全て「とは?、  について・・・、 思いますか?」と、ニュアンスで投げかけられています。
そこは、発達障害の当事者の方やその家族などの相談も受けるべく、当時(10年前)は時代の先取り的な取り組をしていた機関でしたから、当事者以外の人の採用を狙った試験内容だったと、後で理解しました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


感想について・・ですが、私もAS友人に、共感や受け入れの言葉が欲しくて、ずいぶんチャレンジ・・・何年もチャレンジしたものですが、
ASの彼は「納得や本心」の伴わない、つきあい上や便宜上の共感や受け入れの言葉は絶対に口にしませんでした。

奥様も、自分がやるべきことをやりたくてなさった行為を、他者から感謝される由縁が理解できないのでしょうね。
適当に「あら、ありがとう」なんて、心を許しているパンダさんには言えないのでしょうね。

そう考えると、私もなんとなく解るんです。
私は毎朝、氏神様に挨拶して境内を掃除しているのですが、それは「ここにある枯れ葉やゴミは、自分の邪念や弱さだ」と見立てて「とになく一掃しないと、不安で出勤できない(世の中に出て行けない)」といういわばヘンテコリンな強迫観念があって、むきになって一掃しようとするわけです。

それを「きっと良いことがあるよ」という、ご利益狙いという言い方されたり、それこそ「ご苦労様」「ありがとう」と言われると
すごく違和感があって、「違うんです!」と叫ぶんですね。心の中で。

パチンコ狂いのおっちゃんに「朝から精がでますねぇ」「大変でしょう、毎日毎日」と言っている図みたいな、言われる事が気持ち悪い、みたいなズレが起きるのではないでしょうか。

情けない例えで申し訳ないでス。

トマトさん

> そのASの人の興味の強いものであれば「すごいと思う、すごい」と答えてくれるかもしれませんが、その分野以外のことに、ニュアンスの質問をしても、答えに困るのではないでしょうか。

 なるほど。つまり、ある程度自分の中で判断の基準ができているような場合には
 それを使って質問が多少曖昧でも答えやすく感じられるんだけど、
 判断基準ができていないような時には、「印象で答える」みたいなことは
 やりにくく感じられるのかもしれないですね。 
 (という理解の仕方をアスペの方がどう感じられるかはわかりませんが)

 「感情」の問題も、そういう意味ではすごく曖昧なことだらけで、
 物差しではかれるようなものではないし、
 そうすると定型の場合でも「印象で答える」みたいなもんでしょうから、
 それはアスペの方にはぴんとこない話になるのかも。

 うーんと、そうだとすれば、アスペの方の「言葉の世界」というのは
 「印象」みたいな曖昧さが許されない世界なのかな。
 詩の言葉とか、やっぱり定型的な世界なのかも。
 勝手な想像ですが。

 こういう遣り取り自体がアスペの方とは成り立ちにくいのかな?


>パチンコ狂いのおっちゃんに「朝から精がでますねぇ」「大変でしょう、毎日毎日」と言っている図みたいな、言われる事が気持ち悪い、みたいなズレが起きるのではないでしょうか。

 こういうたとえ、いいですね!
 
 「自分は人にどうこう言われるためにやってるんじゃない」
 という感覚は私の中にも生まれることがある気がします。

 ただ、多分定型の場合、自分のやること、やりたいことが
 「人に認めてもらうために」……
 みたいに他人の評価を微妙に意識してることがすごく多いんでしょうね。
 だからカップルにとっては「認め合う関係」が大事になる。
 
 あ、でもパートナーも「認めて欲しい」という気持ちはあったし、
 アスペの方も「自己評価の低さ」が問題になったりするんですよね?
 その意味では「人に認めてもらう」こと自体は大事なのか…… 

あくまでも私の場合ですが、褒めれらるのって迷惑だとは思うけど、うれしいとは思いません。
「言葉の裏」のようなものを読み取るのが難しいのですが、お世辞である可能性も高いので、単純に喜んでいる演技で乗り切れる問題でもないですし。
定型発達者の中にも「私も褒められるの苦手」と言ってくる人がいますが、そういう人の「てれくさいから」といったものとは全く違います。
自分の中に「他人を褒める」という感覚は存在しません。
何の前触れもなく、不特定多数の人に、自分が全く理解できない行為をされるというのは苦痛なだけです。

トマトです。

ひとさんの「褒めれらるのって迷惑だとは思うけど、うれしいとは思いません。」というのは、特に自閉圏の人の感覚に多いのではないでしょうかねぇ。

「〜られる」というのは、誉められるにしても叱られるにしても、相手からの投げかけですから、ストライクゾーンが平らな皿のようなタイプと、一輪挿しの花瓶の口のようなタイプでは、受け入れの量も幅も違い過ぎると思うのです。

自分の納得のいく言葉以外は、迷惑や苦痛や恐怖や押しつけを感じるのは、定型にもあり得る感覚だと思いますが、それがASの人には極端というレベルの強さで感じる(人が多い)のだと思います。

難しいのは・・・定型の「その言葉」「その表現」にとらわれて主旨や本心を見逃してしまいがちなASの人。
ASの人の「その言葉」「その表現」にとらわれて、感情的になってしまう定型。

共通感覚が少ないゆえ、言葉がトラブルの元になることは本当に多いですよね。

ひとさん

>あくまでも私の場合ですが、褒めれらるのって迷惑だとは思うけど、うれしいとは思いません。

 定型的にはなかなか不思議なんですが、こうやって複数の方からそう言われると、ああほんとにそうなのかなあ、という気がしてきます。

>お世辞である可能性も高いので、単純に喜んでいる演技で乗り切れる問題でもないですし。

 「喜ぶ」のではなく、あくまで「喜んでいる演技」なわけですね。しかも相手との関係を良くしようという話よりも、「乗り切る」ことがポイントになるわけか。

>自分の中に「他人を褒める」という感覚は存在しません。

 これもどういうことなのか、想像力を働かせられるまで少しかかりそうです。

>何の前触れもなく、不特定多数の人に、自分が全く理解できない行為をされるというのは苦痛なだけです。

 「ほめられる」というのも「理解できない行為」というわけですね?
 それは「本気でほめている」のか「お世辞でほめているのか」
 あるいは「からかっているのか」とか、
 そういうことがわかりにくいという意味で「理解できない」ということなのか、
 あるいはそもそも「ほめる」ということの言葉の意味がわからないということなのか。
 どっちなのかちょっと知りたく思いました。よろしければ教えて下さい。

トマトさん

>「〜られる」というのは、誉められるにしても叱られるにしても、相手からの投げかけですから、

 ここ、改めてポイントなんですね。「する」ではなくて「される」こと、
 「(や)る」ではなくて「られる」こと……。

 「する」と「される」はコミュニケーションで一番基本的なセットですけど、
 その定型的なセットがアスペの方にはうまく取り込みにくいということなのかな。
 それで「される」方は困惑してしまうことが多かったり、
 逆に「される」方を重視すると、今度は自分を失ってしまったり……
 

「褒める」という行為の意味が不明(挨拶という行為の意味が不明なのと同様に)。
その上「どうやら私を褒めているらしい」という状況に遭遇した場合、必ずそれに見合ったリアクションが要求されます。
相手の表情や「空気」を読み取る能力に欠けるので「相手の期待する反応」を返すのが非常に大変なワケです。
拷問の一種ですよね(笑

友だちであれば、頻繁に心にもないお世辞で褒めてくるような人とは関わり合いにならなければ済みますが、職場だとそうもいきません。
「返し」に失敗すると、特に女性の多い職場では非常に面倒なことになります。

トマトです。

ひとさんの
【どうやら私を褒めているらしい」という状況に遭遇した場合、必ずそれに見合ったリアクションが要求されます。
「返し」に失敗すると、特に女性の多い職場では非常に面倒なことになります。】

このコメントは、定型には、とても良い説明になると思います。

自閉圏の方の「相手の感情表現にどう反応すれば良いか困る」というのは、
定型の「相手の共感がないと困る」という特性と同等の、会話の困難だと思います。

質問ならば答えることも出来よう
挨拶ならば返せば良いと習得した
しかし・・相手の意図も読めず納得も出来ない勝手な賞賛を言われたときの違和感や戸惑いが「世の中のフツー」とされた人の不自由さは・・「生きにくい」になるのでしょう。

ASの同僚が「誉めたつもりなんだけどな」と言ったことも、周囲に誉められた時「誉めるのはおかしいですよ」とつぶやいた事もあります。
自分から相手を「誉める」ことはできても、相手に誉められるときは、よほど自分にピンポイントな誉め方をされないと受け入れられないんだな、と感じました。

誉める・・・というのは「感情が動いたから素直に誉める」という行為も
「ここは誉めてあげるべきだ」という相手のための配慮も
「お世辞」というコミュニケーション上の計算も
さまざまにあるので、ひとさんの言われる「空気を読む」べき場面ではありますね。

そういうことを、気づかせてくれるのは、やっぱりASの人です。

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