2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« アスペ的発言で定型が傷つく理由 | トップページ | 信じる=おどし、と感じるのはなぜ? »

2014年3月19日 (水)

多数派と少数派

 久しぶりにある定型当事者の方のブログをちょっと拝見しました。婚家がみんなアスペの方らしく、世の中とは違って定型のその方が「少数派」として苦労されているようでした。

 その方にとってはまったく理解できない、想像を超えた世界に住まわされて、ほんとうにぼろぼろになられていて、ブログでその傷ついた自分の体験を訴えられ、それを理解してくれる読者の声に救われている、そんな感じがします。「自分が傷つくこの感覚、おかしくないよね?あたりまえだよね?」という叫び声。そして「あなたはおかしくない。当然の感じ方だ」と言ってもらえることでほっとする感覚。定型的にはよく分かる気がします。

 もしお互いが対等な立場で「相手を理解する」という関係を作れるのなら、関係の改善にまだ道が作りやすくなるのかもしれませんが(それでももちろん大変ですが)、そこに「多数派」対「少数派」みたいな「力関係」が加わって、一方が絶対化されてしまうと、理解し合うことには一層の困難が生まれますね。多数派は自分たちのやりかたを変えない方が楽ちんですから、わざわざそんな面倒なことはしたくない、というのは、良い悪いは別にして、まあそうなりがちだよなとは思えます。

 そしてそういう問題は、定型が多数派の場合も、アスペの方が多数派の場合も、多分そんなに変わりがないんじゃないでしょうか。どっちが多数派になっても、少数派になった方は「訳の分からない世界」に翻弄され、孤立し、苦しめられる。

 ただ、自分が少数派になっているときに、どうやってその苦しみから逃れようとするか、というところでは、定型アスペ間でちょっとやり方が違うのかもしれません。定型は自分の苦しみを誰かに分かってもらいたいと切実に思い、自分の感じていることは「常識」であって、みんなに「共感」してもらえると分かって救われた気持ちになれることがある。でもアスペの方は最初からそのことには余り期待していないか、あるいはもう意識も出来ないくらいに絶望されていて、「自分自身で現実的な対処を考える」という道に進まれる。

 実際、パートナーの口からは、定型的な世界の「人間関係」について、「まったく信用していない」というようなことを聞くことが時々あります。もちろん「定型だから信用できない」という話ではないのですし、個人としては「この人は」基本的には信用する、ということがあるわけですけれど、でもそれはやはりアスペ定型の区別とは関係ありません。

 以前はそういうパートナーの「人間不信」に私は驚いて、なんでそんな皮肉な見方しかできないんだろう、と憤慨もしていたのですが、今では少数派として苦労させられてきた経験からすれば、そういう見方もとてもリアルなもので、無理もないんだろうな、という気がします。

« アスペ的発言で定型が傷つく理由 | トップページ | 信じる=おどし、と感じるのはなぜ? »

コメント

トマトです。

AS友人は、それほどイジメにも合わず育ち友達も知人もやたら多くて、ほがらかな性格でしたが、それでも「もし、僕がASでなく生まれたとしたら、信頼感ってどんなものか知りたい」と言ってました。
私が「(すでに亡くなった大好きな)お母さんのことを信じられなかった?」「私のことも信じられない?」と聞くと「そもそも、信じるという感覚がどういうものかが掴めないんだよなぁ」と言っていました。

つらい歴史があり、その結果、人間不信になる・・という事はもちろんあるでしょうが
「信じる」ということが解らない、だから「信じることが出来ない」ということもあるのではないでしょうかねぇ。

お久しぶりです。また書き込んで良いものやらと考えあぐねていましたが
「信じる」とか「人間不信」とか、ちょいちょい気になって仕方が無かったので失礼します。
不適切だったら削除なりストレートなコメントお願いします。

「信じると言うことが分からない」まで、具現化していませんでしたが、
「信じるってどういうこと?」という疑問は常々持っていたので。

「信じてるよ」は、「誉め言葉」と同じように、やっぱり「おどし」に聞こえる私です。
「信じてる」から、期待にこたえてね。
「信じてる」から、裏切りは許さない。
そう聞こえます。

でも、私が「信じた」人は「私の期待」には答えないし
私を「裏切り」ます。
(と、私は感じています)

だったら「信じる」とか「信じない」とか、言葉に出して伝える必要があるの?ってとこです。
良くある?女の子同士の会話で
「~信じてるからね」とか「私の事だけは信じていてね」とか。
経験上たいていの場合、短い期間で「信頼関係」とやらは消滅します。


これほどうすっぺらい言葉は無いと体験から学んできましたから、
私としては「信じたいけど信じられないのが現実」だったら
『意識も出来ないくらい絶望されていて、「自分自身で現実的な対処を考える」』
という結論なのだと思います。
私の場合、「信じる」事はイコールで「自己責任」です。
裏切られようが、がっかりしようが、その人をそこまで「信じた」自分の責任ですから。
その人が(私から見て)失敗することまで含めて、自己責任だと思っています。
私の場合は、ですが。

経験から、皮肉な価値観になっているのだと思いますが、
これらを口答で説明すると、私の場合も、
「信じると言うことが解らないから信じる事が出来ない」
になるんだと思います。

信頼関係は、おそらく
他者の望みを読み取って望まれたように行動(言動)する事から発生すると思うんですね。
幼少期から親の期待や望みを読み取って、良いキャッチボールが出来ていたなら
信頼と言うものを自然と学び取っていくんだと思います。
でも、親を含め他人が求めている事が読み取れず、それに答えるという発想さえなかったら。

他人との軋轢はそこから発生するでしょうから、
ニワトリと卵のどちらが先?という問題のようにも思えます。

私には、「こう感じて良いんだよね?」と聞きたい気持ちもあります。
浅いからですかね?同意も欲しいですよ。頂ければ安心もします。
突き詰めればその人とは違うことには目をつぶれる時もまれにあります。
それに救われてきたことも有りました。
でも、極端なので、ありがたく思っていると、
大抵はその後(私にとっては)しっぺ返しを食らうのですが・・・

そして私は子供に「信じている」と言うことがあります。
説明出来ない私が使うには矛盾してますが、
子供には「信じる」という事を学ぶ事は経験上必要だと思うので・・・。
そして「信じている」というと子供は決まって泣きます。
プレッシャーを与えているだけなのか、何なのか、涙の理由がいまいち解らないので
今悩んでいたテーマでした。

かずきさん

 お久しぶりです。
 頂いたコメント、「まさにこいうお話しを伺いたかった!」と
 「期待していた」もののひとつでした。
 
 あ、こういう反応はまた「プレッシャー」になってしまうのかな?
 パートナーも時々プレッシャーのようなことを言うので、
 「感謝」は口に出しても「期待」は言わないようにはしていますが (^ ^;)ゞ

 このテーマ、やっぱり大事なテーマなんだなと思えたので、
 かずきさんのコメントなどを参考にまた改めて考えてみます。


トマトさん

 たしかに「信じる」ということの意味が、かずきさんもおっしゃるように
 定型的な感覚では共有しにくいんでしょうね……

 トマトさんの友人の方は、拝見していると、トマトさんに対して
 すごく深い「信頼」を持っていらしたように私は感じてしまうのですが、
 それはやはり定型的な理解の仕方で、
 ご本人の理解の仕方は、同じような部分を含みながらも
 また違う形なのかもしれません。

 そうですね、お互いにかなり重なったり似たりした状況を見ていても、
 それをどんな風に理解するかが異なってしまうと、
 それについて語り合ってもうまくコミュニケーションが成り立たなくて
 相手がその状況を表す「言葉」がわかんなくなる
 ということがありそうです。

パンダさん

かずきです。
お邪魔じゃなければ、お言葉に甘えてまた参加させていただきます。
よろしくお願いします。

お役に立てて安心しました。
コチラでは私の考えを整理するのにも助けられていますので
プレッシャーとかじゃないです。大丈夫です。
お気遣いありがとう御座います。


でも、多分
「これからもこういうコメントお願いします」というニュアンスを含んでいたら、
ちょっとプレッシャーだったかもしれません。
というのも、文字通り、「今回のコメントが、期待通りだった」としか
私が読み取ってないだけなので…。


過去の言動への感謝は素直に受け取れますが
未来の言動への期待は僻んだ受け取り方しか出来ていないことに気付きました。
歪んでますね…。
ここら辺も皮肉な見方に繋がりそうですね。

>「感謝」は口に出しても「期待」は言わないようにはしていますが (^ ^;)ゞ
この対応、とても助かりますよ。
そうして貰えると何も考えずに「良かった」と思えるので。
そういった配慮が出来るあたりパンダさんは全力で奥様と向き合っていらっしゃるのだな、と感じます。

かずきさん

 このブログに何か意味が出てくるとすれば、
 いろんな視点を持った「当事者」同士のやりとりができることだと思うので、
 今後ともどうぞよろしくお願いします m(_ _)m

>この対応、とても助かりますよ。

 あ、そうですか (^ ^;)ゞ
 そう言っていただくと、ちょっとほっとするような、嬉しいような (^o^)

 ま、でも実際はたとえ口に出さなくてもいろんな「期待」をしてしまうので、
 パートナーからすると「物わかりの悪いやつだ」と思えるかも……

 何も期待しない関係もさびしいし、多分彼女もそれは望んでいないようにも思えるし、
 なんかまだまだ難しいです。
 

「期待」に関して最近感じたことなのですが

定型の方の期待って社交辞令の時もあれば
暗黙の要求の時もありますよね?
違ったら突っ込みお願いします。

「このぐらいはしてほしいな」とか「こうしてくれたらいいな」とか
柔らかいニュアンス(うまく説明できませんが)の時は口に出さずに居て。
それを私が見事に裏切った時に
「期待してたのに裏切られた」並みの破壊力をもった
ため息とか「なんで?」という対応になるとか。

私としては「こうして欲しいとか言ってないじゃん?」と思いますが
言葉で伝える以外の表現に、いろんな所に、「期待」ってありますよね?

そういうの、は、
読み取ろうと頑張っているけど的を外すことが多い
とか
上記の対応に疲れ果てて読み取ることを放棄してる
とか
ケースバイケースのケースが解らない
とかで
私が受け取れないボール(表現)だったりするのかもしれません。

かといって、言葉で期待されるとかなり重圧になったりするタイプの人も居ますし。
「全力で答えなきゃ」と思い詰めたりしてしまいます、私は。
いい方向に転がっているうちはいいのですが・・・

「期待」と「感謝」は、個人的には「感謝」の方が嬉しいです。
期待される事が嬉しいと感じたことが無いのでいまいち解らないのが正直な所です。
全く期待されないと宣言されるのも寂しいですが、その方が私は気楽だったりします。

「期待する」事は、相手のエリアのことではなく、
期待する側のエリアの出来事だと思うので(前述した「信じる」の自己責任)、
逆に「期待」していないほうが「感謝」しやすいようにも思えるんですよね。

パンダさんのおっしゃる
口に出さないいろんな「期待」というのは、叶う事は多いのですか?

かずきさん

>口に出さないいろんな「期待」というのは、叶う事は多いのですか?

 なんか、すごくするどいポイントを突かれているように感じます。
 私とパートナーのずれの問題に「ストライク!」という感じ (笑)

 パートナーとの間では叶わないことが圧倒的に多いです。
 定型同士だと、それに比べると叶うことが圧倒的に多いです。
 ただ、定型同士で叶うときと叶わない時を比べると、
 相手によってすごく違いがあると思います。

 わりに叶うことが多い人との間では「親しみ」や「信頼」が作られていきます。
 かなわないときにはそういう感覚は育たないですね。
 (あれ?じゃあなんで私はパートナーに信頼感を持ててるんだろう? 笑)

かずきです。(←いつもこれを忘れて長文投稿してしまいます・・・すみません。)

ありがとうございます。

「口に出さない「期待」に、答えてもらう/答える」というのは、
定型同士が信頼関係を構築する中でも大きなウェイトを占めているのでしょうか。
だとすると、ASと定型の間で信頼関係が築きにくいというのにも繋がるような気がします。

でもパンダさんは奥様を信頼していらっしゃる中で、
口に出さない期待には圧倒的に叶わない事が多いということは
AS相手だとそうでもないのでしょうか。

「期待」についてもうちょっと色々考えてみたいと思います。

かずきさん

>「口に出さない「期待」に、答えてもらう/答える」というのは、定型同士が信頼関係を構築する中でも大きなウェイトを占めているのでしょうか。

 多分そうだと思うんです。
 たとえば理想的な夫婦として「何も言わなくても相手が何をしてほしいかわかる」
 という状態になることが言われたりします。

 これは特に日本で強い考え方のようにも思いますが、
 「色んな人について、その人が言わなくても分かる」
 ということは、社会的には「察しのいい人」という「高い評価」を得ますし、
 日本型のリーダーにはそういう人が重宝されると思います。

 また、「この人とはお互いに<言わなくてもわかり合える>」というのは
 その人との信頼関係が特別に深くなることを意味するでしょうね。

 海外では日本よりは「言葉で言う」ことがとても重視されていることが
 多いように思いますが、それでもやっぱり「あえて言わずに
 相手が気づいてくれることを待つ」ということもドラマとか映画とかでは
 よく見られるシーンだと思います。
 カルチャーショックはそのように「言わずに気づくのがあたりまえ」の
 部分が文化によって違うことで起こることも多そうです。

>でもパンダさんは奥様を信頼していらっしゃる中で、口に出さない期待には圧倒的に叶わない事が多いということはAS相手だとそうでもないのでしょうか。

 これ、まだよくわかんないんですが (^ ^;)ゞ
 離婚をまじに考えていたときには信頼感は無くなってました。
 で、そのあと、関係を模索し直していく過程で、
 パートナーのやりかたでの「誠実さ」がすごく実感されてくるようになって、
 そこで改めて深い信頼感が生まれたように思います。

 まだよくわかんないのは、出会って恋愛中のことですね。
 「盲目的」な信頼感だったのでしょうか???
 子育ての間は「なんでなんだ?」という一種の不信感が芽生えて育ちましたけど。

パンダさんありがとうございます。かずきです。

ちょっと目からうろこだったのが、
>たとえば理想的な夫婦として「何も言わなくても相手が何をしてほしいかわかる」
というのが、
信頼関係から来るものと考えていらっしゃることでした。

私は、
「「この仕草はこれを望んでいる」とかを分析した結果が蓄積して判断できるようになる」
という感じだったので、そこに信頼関係が絡んでいるとは思いもしませんでした。

ただ、長時間相手の言動を分析し続ける事も気力の要る事なので
一緒に生活しているだけでもう特別な存在なんだ、という感じでもあるので、
それが信頼じゃないのか、と言われると何とも言えないです。

それを初対面でも関係が浅くても出来てしまう人が居る事は知っていますが
どうすればそう出来るのか全くわからない私です。

かずきさん

 そこを「目から鱗」と感じられたことが私には「目から鱗」でした (笑)

 多分、信頼感って「安心感」につながるんだと思います。
 前に書いたみたいに、信頼は「賭け」のようなものでもあって、
 常に裏切られる可能性を含んでいますから、
 裏切られる可能性が高く感じられれば、安心できず、その信頼感は浅く危うい。
 逆に「この人は絶対裏切らない」と感じられれば、安心できるわけですし、
 それは「深い信頼」でもある。

 だから、「長時間相手の言動を分析」して「判断できるようになる」
 というのとはちょっと違う感覚なんですよね。
 「気が合う」とか「波長が合う」ような人の場合は
 ごく短時間であっても、あるいはほんとに瞬間的でも
 「あ、このひとは信頼できる」と直観してしまうことがあります。
 (もちろん、その直観がはずれる場合もあるわけですが (^ ^;)ゞ )

 どうしてそれが出来るのか、というのは……、曰く言い難しです。
 もう直観なので、分析じゃないので、分析して説明することが難しい (^ ^;)ゞ
 お塩がしょっぱいと感じられるのはなぜ?と聞かれたとしたら、
 「舌に塩味を感じる神経があって……」とでも答えるしかないでしょうけど、
 別にしょっぱいと感じるのは、もうただそう感じているだけで、
 「今この神経が興奮したから、これは塩味だ」とか頭で考えてないですもんね……

 でも、だんだん言葉で説明できるようになればいいなと思います。

かずきです。

なんだか相変わらず難しいことをお願いしてしまっていて申し訳ありません。
どうも、直観とかフィーリング的なものは良く分からず^^;

長年連れ添った夫婦が、何も言わなくても相手の望みをかなえられるのは
それだけ、「いかに相手を見て(観察して考察して…)時を過ごしてきたか」
という意味で貴重がられるのだと思っていました。
長期間相手と向き合ってきた事自体への貴重さだと。

でも、パンダさんの文面だと、長年連れ添って無くても出来る事なんですかね?
そこ、どうやってやってるんだろう、というのを聞いてみたいですが
これまた言葉で説明するのは難しいのでしょうねー・・・

かずきさん

>でも、パンダさんの文面だと、長年連れ添って無くても出来る事なんですかね?
そこ、どうやってやってるんだろう、というのを聞いてみたいですが
これまた言葉で説明するのは難しいのでしょうねー・・・

 なんか「相性」みたいなものがあって、定型同士でも
 長年連れ添って無くても通じやすいカップルもあるし、
 長年連れ添ってようやく通じやすくなるカップルもあるかもしれないし、
 長年連れ添っても全然通じ合わないカップルもあるのかなと思います。

 どうやってやるのかは……
 やっぱり改めて説明しようとすると難しいですね。
 自転車をこげても、「どうやってこいでるのか」を説明しろと言われると、
 うまく説明できないような、そういうのに似てる感じがします (^ ^;)ゞ
 ここはこれからの宿題ということで……

>長期間相手と向き合ってきた事自体の貴重さだと。

 そういう貴重さはきっとあるだろうと思います。
 ただ、それだけではないのでしょうね。定型の場合は多分。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/55435996

この記事へのトラックバック一覧です: 多数派と少数派:

« アスペ的発言で定型が傷つく理由 | トップページ | 信じる=おどし、と感じるのはなぜ? »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ