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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年3月16日 (日)

アスペ的発言で定型が傷つく理由

 アスペの方の話し方について、本人は全然そんなつもりはないのに、なんで定型がショックを受けたり、傷ついたりすることがあるのか、ずっと不思議に思っていたのですが、「もしかすると」と考えたことがあります。

 今日、お昼ご飯をパートナーが作ってくれて、片付けを私がしたんですが、洗い物をしていると、彼女が来て、レトルト食品を暖めていたお湯の入っている鍋を示して、「このお湯使ったらいいのに」と不機嫌な感じで(と聞こえてしまう)言うんです。

 で、そこに入っているのがお湯だとは知らなかった私は「ああそう。じゃ、使うわ」と言いながら、なんか引っかかるものを感じたんですね。

 何に自分が引っかかったんだろうと、洗い物をしながら考えていたんですが、私にはその言い方が、こんな風に聞こえたんだなと思えたんです。「このお湯を使ったらいいのに、なんであなたはそんなこと気がつかないわけ?もったいない」

 つまり、気がついて当然のことを気がつかなかった不注意な人だと、責められたように感じられたわけです。

 でも、多分彼女にはそんな気持ちは無いはずで(これまでの経験から推測するとですが)、「なんで責めるの?」と聞けば「だれも責めてないじゃない」と言うと思えるんですね。で、多分それは嘘ではない。

 じゃあなんで自分がそんな風に責められたと感じたんだろうと考えたんですが、ふと思ったのは「このお湯使ったら?」とか「ここにお湯あるし使って良いよ」と言われたら、全然何のひっかかりもなく、素直に「うん、ありがとう」で済んだと思えました。ということは「このお湯使ったらいい<のに>」の「のに」の部分が引っかかったんだろうと思えたわけです。この「のに」の部分が「なんであなたはそんなことに気がつかないわけ?もったいない」という文句を想像させちゃったんだろうなと。

 じゃあ、なんで彼女はどんなつもりでこの「のに」を付け加えたんだろうかと考えてみました。それで「もしかして」と思ったことは、彼女はそこにお湯があることを知っているわけですから、せっかくのお湯を使って洗い物をすることは「当然」だと思える「のに」、私がそれを使っていないことを見て、ごく自然に「のに」をつけて話したんじゃないかと思いつきました。

 私なら「お湯を使ったら?」というような言い方をするのは、私はそれがお湯だと知っているのだけれど、相手の人は知らないだろう、と予想するので、知らない人に情報を教えてあげる、といった姿勢で話すからだろうと思います。でも多分彼女はそういう距離の取り方は苦手で、「自分は知っているから当然そうすること<なのに>、この人はしていない」という枠組でそのまま素直に発言してしまう。

 ですから、相手に何かを言うときに、「私はこう感じている」ということを足場にしてそのまま相手に発言する場合と、「相手の人はどういう状況にあるのか」ということを考えて、そこに合わせて発言する場合とのズレがあるんじゃないでしょうか。そのズレに気づかないと、定型的には「おまえはなんて不注意な、気がつかないやつなんだ」と批判されているように聞こえてしまうのでしょう。

 ま、ちょっとした話ですから、ほんとにそうなのか、どこまでそれが言えるのかは分かりませんけど、ひとつの理解の可能性として、これから気をつけてみたいなと思います。

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コメント

ASDです。これはもう共通しすぎて定番じゃないでしょうか!?

いなぞうさん

 コメントありがとうございます。
 ちょっと書かれたことの意味を読み取りきれなくて、
 もう少し教えていただければありがたく思います。

 共通しすぎて、というところはアスペの方に共通という意味でしょうか?
 もしそうなら特にどのあたりが共通とお感じになられたでしょうか?

トマトです。 

いなぞうさんへ
相手の言葉や表現で傷つくのは、お互い様。 という意味じゃないですかね?

はじめまして。私もASDです。
『「私はこう感じている」ということを足場にしてそのまま相手に発言する』←まさに私です!

freesiaさん

 はじめまして。よろしくお願いします。

 いただいたコメント、とても嬉しかったです。
 なぜなら、定型の自分がいろいろ想像して、
 「アスペの方はこう考えているんじゃないかな」と想像したことが、
 当事者自身の方にも納得していただける部分があったからです。

 まだ小さな一歩だと思いますけれど、
 アスペ定型という分かり合うのがとても難しい関係でも、
 お互いに理解し合う手がかりがひとつできたような気がします。

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