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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年2月 1日 (土)

小さな芽

 ちょっとパソコンの調子が悪くてご無沙汰しました。

 最近パートナーが「ほんとに違うんだね」とか「ほんとに分からないんだね」というような感想を言うことが増えてきた感じがします。もちろんこれまでもそれこそ子どもの頃から周りに「理解されない」感覚を持ち続けてきた人な訳ですけれど、でもそれとはちょっと違うレベルでそう感じ始めているんじゃないかと感じています。

 これは私の印象ですが、アスペの方は「他人のことは(お互いに)分からない」というある種の固い信念を持っていらっしゃるように感じますし、「私はこうだけれど、他の人のことは分からない」というようなことをしばしば強調されるように思います。「私は私、あなたはあなた」という理解が徹底されている。

 ところが、私からするとある意味では不思議なことに、アスペの方が定型のことをすごく誤解されているようにも感じ、そしてその誤解の仕方は、「アスペ的な感覚で定型を理解している」と思えるようなものだったりするのです。つまり、「アスペ的な感覚」を定型理解に持ち込んでいるという意味で、「違うんだ」という理解がそこでは徹底していないように感じていたんですね。

 たとえば、私とパートナーとの関係で言えば、共感的なやりとりとか、スキンシップ的な関係の私にとっての大切さをいくら話しても、「ああそうなの」という感じで、そのことの私にとっての重大さがなんか伝わらない感じ、あっさりと流される感じがどうしてもしてしまいました。なんだかすごく表面的に軽く理解されている印象で、それは彼女にとってそれが重要なことではないからなんじゃないかと感じさせられていたんですね。

 それが最近パートナーが「ほんとに違うんだね」という時には、なにかそこの部分が少し伝わってきたんじゃないかという感じがし始めています。それは私の感じ方を彼女が実感してくれたとか、共感してくれたという話とは違います。彼女がこれまで考えていた以上にその問題は私にとって重要で、そこについての感覚がほんとに深刻に違うんだ、ということを実感してくれ始めたのじゃないか、そんな気がするんですね。

 それで、話をしている内に彼女は次から次に見えてくる「理解できないお互いの違い」について、「次から次へと壁が現れてくるね」とため息をつくように言いました。でも私の感覚では「違いが分かる」ということは、「理解するための手がかりが増えた」という感覚につながります。それでそのことを彼女に言うと、彼女は「そんなふうに前向きに考えられるといいね」というようなことを言っていました。

 これからこのちょっとした「変化」がどうなっていくのかまだ分かりませんが、私の微かな印象では、彼女との関係がちょっと前向きに変化してきた可能性を感じています。もしそうならその小さな芽を大事に育てていきたいですね。

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コメント

この記事の小さな芽☆
パンダさんにとってとても嬉しかったんでしょうね!
私も彼から同じような反応を得られたなら…
これからこの小さな芽が育ったならば、どんなに素敵な事だろうと思わずにはいられません(^O^)

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