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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年2月 4日 (火)

愛の形

 先日、あることでふとパートナーがほんとうに深く子どもを愛しているんだなあとしみじみ感じたことがありました。「親が子どもを愛するのは当たり前」と言われてしまえば、それはそれまでのことなんですが、悲しいことに私の場合、長い間素直に彼女をそう感じられない状態に置かれていたんです。

 というのは、私の(おそらく定型的な)目から見て、彼女が子どもをほんとに理不尽にしばりつけ、愛情ある態度を示さず、大人としての余裕を持たずにまるで子どもと同じレベルでケンカするように自分のいらだちをぶつけて叱りつけたりする、そんな風に感じられて心が痛んで仕方なかったからです。それについていくら本人から「子どものために一生懸命やっている」と言われても、どうしても「ああそうだね」と素直に感じることが出来ませんでした。

 もちろん彼女だけの責任にするつもりはないのですが、ズレ続ける夫婦関係の中で、子どもは本当に苦しんできましたし、その子どもの苦しみを見て私も最終的に鬱になり、彼女も悩み続けたあと、定型アスペのズレの問題に気づいてからは、彼女は子どもと自分の間にもそれがあったことに気づき、自分が自分の理屈を理不尽に子どもに押しつけてきたと考えて、ものすごく自分自身を責めてきたと思います。

 考えてみれば、それだけ自分自身を責めるというのも、子どもを本当に愛しているからこそのことですよね。彼女は本当に子どものことを心配しているし、子どものために一生懸命いろいろ考えているし、そして私から見れば過剰に見えるほど悩んでもいる。でもなぜか、私にはそのことをストレートに「愛」ゆえのこととして感じ取ることが出来なかったんです。

 なぜなんでしょう?ひとつには以前の彼女の振るまいが、あまりに「愛情ふかいかかわり(そこには「豊かな共感」も重要な要素になります)」とは違うものとして私に感じられ続けたので、そのイメージが払拭できなかったのかもしれません。それから、今でも彼女は定型的な「共感」的コミュニケーションはやはりあまりしないので、以前のような「押しつけ」に見えることが無くなってきても、その代わりに「愛情ある関係」が生まれているような実感も無かったということかもしれません。

 そうですね、私の側が「愛情ある関係」に不可欠な要素として「共感的な関わり方」にこだわっていたのかもしれません。それが感じられないと「愛情」として感じることが出来なかったのでしょう。だとすれば、半分は私の「愛情」についての理解が狭かったことが原因と言うことになりそうです。

 それがなぜ今「愛情」として素直に感じられるようになってきたのか、まだよく分かりませんが、彼女なりの「愛の形」がようやくほんの少しずつ私にも見え始めてきたのかもしれません。


 

 

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コメント

トマトです。

たまに・・・ASの人が「(定型の)恋人やパートナーに自分は大切にされていると感じる」というコメントを見ますし「(定型の)母親が自分を理解してくれて、やさしく育ててくれた」という意見も聞いた事があります。

その逆という事例はほとんど聞いた事がないかも。
ASが定型に愛情や喜びや感謝を感じたとしても「相手に伝えたり、そう思わせる」ことが、ASの人の概念には少なかったり、難しかったり。

パンダさんのように、目をこらして、奥様の言動から何かをつかもうと日々、意識されている定型でないと、見えて来ないことが多々あると思います。

ASの人の存在を知って「生きにくさ」という表現を知りましたが、
ASの人の家族もまた、当事者にも周囲の定型にも、その両方に理解されない生きにくさを感じます。
ASについて世間が、基本的な共通知識を持てば、ASの人もその家族や恋人も、もっと周囲に理解されて生きやすくなるのになぁって思います。

そして、ASと定型おたがい、どんなに欠点とか間違いとか傲慢に映る相手の言動を見せられ続けていても、そのどこかに折り合いをつけて一緒に居続けようとする関係には、自分の宿命を受け入れる勇気と、お互いの特質を越えた人間的な魅力や信頼があるのだと思います。


トマトさん

>その逆という事例はほとんど聞いた事がないかも。

 このことなんですが、もしかすると星さんが何度か言われていたことは
 「その逆という事例」なんじゃないかと思ったりします。
 星さんは、定型的な表現とは違うところで、相手の方の思いを
 感じ取れていらっしゃるんじゃないかなと。
 (誤解でしたら済みません)

 なんというか、「表現しない表現」とでもいうのか、
 ほんとに淡く内面に秘められたように隠れていて、
 静かに寄り添っていると、微かに漏れ出てくるような、
 そんな「表現」というか……

 いや、単なる私の思いこみかもしれません (^ ^;)ゞ
 

 

トマトです。

確かに、言われてみるとAS友人と一緒に居て、心地良かった時間は、言葉のやり取りをしていなかった時かも・・です。
会話しないひとときが、落ち着いて、無意識に相手の存在や魅力を味わえている時なのかも知れません。

想い出しましたが・・・定型同士だと、行く先々でどうしても言葉で、共感とか意見とかをやりとりしたり確認したくなるのですが、ASの人だと沈黙が苦痛でも気がかりでもなく、気軽な沈黙が味わえる時がありますね。
それはそれで、そういう相手と一緒に居られることが楽しいしありがたいですね。

そういうひとときを知っている定型は、好感を持ってAS全般を見る目があり、人の個性の幅を広くとらえられるゆとりがそなわると思います。


パンダさんへ

お言葉ありがとうございます。(*^-^)
お返事が遅くなり、本当にごめんなさい。

私は確かに、大切な人(=彼)から大切にしてもらっていると思っています。
ただ、彼は私に表現をして伝えてくれているのです。

例えば、
私が肩が凝っていると伝えていたら、次に逢った時に、彼からさり気なく肩をマッサージしてくれるとか。
眠い時には、肩や腕を自ら貸してくれるとか。
私の荷物は持ってくれるし、私がプレゼントさせてもらったものも、たくさん身に着けて来てくれる。時にはサプライズもあります。
あまり細かくお伝えするのも、お恥ずかしいし、お見苦しくてもいけないので、この辺りで・・・。
彼は、とてもシャイで、ある意味無口なのですが、言葉でも、行為(好意・厚意)でも気持ちを伝えてくれます。
私の気持ちを推測してくれたり、私が彼に伝えたことを叶えてくれたり、叶えてくれようと努力してくれたりします。
このように大切にしてくれる彼だから、時に、イルカの仲間のように、離れていても同じことを考えたり、感じたりする時があるのでしょうね。

「イルカの仲間」を近い言葉で表現するならば、「以心伝心」でしょうか。

自分の内面にある気持ちや伝えたいことを、言葉だけで適切に伝えることは、本当に難しいですね。
私が本当にお伝えしたいことが、パンダさんに上手く伝わることを心から願っています。(*^-^)。

星さん

 具体的なお話し、ありがとうございました。
 すごくリアルに状況が伝わってくる感じがして、「ああなるほど!」と思いました。
 (もちろんその内容は誤解なのかもしれませんが (^ ^;)ゞ )

>彼は私に表現をして伝えてくれているのです。

 ここ、具体的な例を拝見していても、すごく大きなポイントかなと感じています。
 今日の記事に書いたことに加えて考えるとすれば、
 「表現をして伝える」というその「表現」の仕方にも、
 いろんなズレの大きさがありそうだなと感じました。

 もしかすると物理的な距離の問題も関係するのかもしれませんが、
 私とパートナーの場合は長期に亘って仕事で物理的に離れていても
 やはり変わることがなかったように思えるので、
 それだけの問題ではなさそうです。

パンダさん

前回と今回のお話から、以前お伝えした、「聖所」と「不可交信性」を思い出しました。
「他人のことは分からない」とは、私にとって、それを表す言葉です。
苦しみは、その人にのみ意味を開くので、私には、人の苦しみが分かりません。
でも、「苦しい」は分かるので、人の苦しみに、思いを至らせることができます。
上手く言えませんが、私はそれを、尊く感じています。

それから、「親の愛」について、思い浮かんだことがあります。
私は、生まれて間もなく片親と別れ、子供の頃、他の人が片親になり、程なく別れました。
それについては、沈黙が通されているので、私には、分からないことが沢山あります。
でも、子を思ってのことだと分かるので、私もまた、それに触れずにいます。

パンダさんは、パートナーさんの愛に、思いを至らせたのですね。
色々な姿をした愛を、一つ一つ学んでいきたいと、私も思っています。

コルテオさん

 大事なお話をありがとうございます。
 「沈黙は饒舌より多くを語る」
 そんなことを思いました。

>苦しみは、その人にのみ意味を開くので、私には、人の苦しみが分かりません。でも、「苦しい」は分かるので、人の苦しみに、思いを至らせることができます。

 なんか、私なりに分かる感じがします。

 定型同士の場合は、本人が自覚していない苦しみについて、
 他の人が先に気がついて共感的に関わった結果、
 その人が自分の苦しみに気がつく、ということもあるように思うのですが、
 (カウンセリングなどでも時々起こることのように思います)
 コルテオさんの場合、そんな経験はおありでしょうか?

パンダさん

今日はValentine’s Dayですね。
奥様から、チョコレートはいただかれましたか?(*^-^)

物事のとらえ方、考え方、生き方などは、本当に人それぞれだと私も思っています。(*^-^)

いつもお言葉ありがとうございます。

コルテオさん

『色々な姿をした愛』というコルテオさんのお言葉が、とても私の心に染みています。
このコルテオさんのお言葉を読ませていただいて、本当に、私は、『色々な姿をした愛』を、たくさんもらっていることを、あらためて実感させていただきました。

これから、色々な姿をした愛を、一つ一つ学んでいかれたいと思っておられるコルテオさんを、きっと、空の星になられた方が、温かく見守り続け、ずっと導いて下さるように思います。

今日はValentine’s Dayです。
目には見えないかもしれませんが、きっと空の星になられた方から、Valentine’s Dayに贈るチョコレート(のような愛)が、コルテオさんの元へ届いているような気がします。

コルテオさんのこれからのお幸せをお祈りしています。
いつも、素敵なお言葉をありがとうございます。(*^-^)

星さん

>奥様から、チョコレートはいただかれましたか?(*^-^)

 これを拝見して、ああ、そういうところも色々なんだと気づきました。
 パートナーの場合、私がおみやげを買ってきたりプレゼントをしたりしても
 嬉しそうにすることはまずありません。
 何か買ってこようかと言っても、「いらない」というのが普通です。
 
 誕生プレゼントで「ずっと使っているので喜ばれているんだろう」
 と想像できるものはありますが、そういう表現を積極的にすることもありません。

 誕生プレゼントは例外ですが、プレゼントをされた記憶もほぼありません。
 誕生プレゼントについても考えてみると、子どもにプレゼントするようになって、
 それにあわせてくれる時期があったという感じのように思います。
 バレンタインチョコについては、「くれないの?」と聞いたときに
 「要求されて」という感じで買ってきてくれたことはありました。

 …… という感じがもう普通になってしまっていたので、
 そういう「贈り物のやりとり」で「気持ちを通わせる」というパターンは
 私の方からやろうとしても受け取ってもらえた感じがせずにしんどいだけですし、
 いつの間にか「忘れる」感覚、「さわらないでいる部分」になっていたように思います。

 星さんがそういう感覚を持続して持っていらっしゃると言うことで
 却って新鮮に感じました。
 ほんとに様々ですね……

パンダさん
お返事くださり、ありがとうございます。
パンダさんの仰る状況を、上手く掴めずにいます。
「気づく」とは、苦しさを感じるようになるのですか?
それとも、苦しみであることを、知るのでしょうか。
また、苦しみに気づかせるのは、なぜですか?
「ない」を、あえて「ある」にする理由は、何でしょうか。
質問ばかりになってしまい、ごめんなさい。
パンダさんの仰る状況を、理解したいと思います。
お答えいただけましたら、幸いです。

コルテオさん

 そんな風に質問していただけて、「何がお互いに伝わりにくいか」を
 理解する大事な手がかりになりそうでありがとうございます。
 少し説明を試みてみますが、
 わかりにくい所など、どうぞお尋ね下さい。
 どうやったらお互いの理解が進むことが出来るかについて
 模索をしていきたいと思います。

 少し長くなるかもしれないので、
 記事の方に書いてみますね。
 またそちらへのコメントでお尋ねやご意見をいただければと思います。

星さん
コメントをくださり、ありがとうございます。
あたたかい言葉をいただき、ほんとうに恐縮です。
星さんには、別のコメントで、差し出された愛を受け取るのも愛、と教えていただきました。
沈黙にふれずにいることが、愛として伝わっていたらいいなと、私は思います。
私の言葉を通じて、星さんが何かを感じてくださり、うれしいです。
いつも、感謝しています。

パンダさん

お返事ありがとうございました。

私が、「贈り物のやりとり」で「気持ちを通わせる」というパターンの感覚を、持続して持っていることが、パンダさんには、却って新鮮に感じられたのですね。
私と大切な人との間では、普通のことなのですが。

本当に様々みたいですね。(*^-^)

いつも丁寧なお言葉をくださり、ありがとうございます。

コルテオさん

お返事ありがとうございます。
嬉しく読ませていただきました。

あらためて、お返事させたいただきますね。(*^-^)
もう少し待ってくださいね。

コルテオさん

コルテオさんとの今までのやり取りとは、今回のコメントは話が変わりますが、お許しくださいね。

コルテオさんとこちらでお話させていただいてきて、コルテオさんは、とても繊細で純粋な方だと感じています。
私の言葉も、いつも丁寧に受け取ってくださいます。
私の気持ちも理解してくださっています。

こちらでのコメントのされ方も、とても謙虚で、色々とご配慮されているようにお見受けしています。
コルテオさんは、相手の方お気持ちを考えて、そうされているのでしょうから、人の気持ちもおわかりになり、感情もお持ちの方だと思っています。


コルテオさんは、深い森の奥深くにひっそりと存在している、透き通るような透明な水を湛えている湖のような、とても純粋な心を持たれている方だと思います。

いつも私の気持ちをくんでくださり、本当にありがとうございます。

風邪から回復したばかりで、いつも以上にコメントに自信がありませんが、私の気持ちが伝わると嬉しいです。

これからも、どうぞよろしくお願いします。(*^-^)

コルテオさんの優しいお気持ちのこもったお言葉は、私の心をいつもあたたかくしてくれています。
もし、失礼に感じられるところがありましたら、どうぞお許しください。

星さん
お返事をくださり、ありがとうございます。
ずっと、気持ちの整理を、試みています。
もう少し、時間をください。
お返事が遅れていることを、どうぞ、お許しください。

コルテオさん

丁寧なお言葉をありがとうございます。
嬉しく拝見させていただきました。(*^-^)

ずっと、お気持ちの整理を試みられているのですね。
私のことをお気にかけてくださり、有り難く思っています。
どうぞ、心行くまでお気持ちの整理をなさってくださいね。
時間のことは、お気になさらないでくださいね。

私にお心を配ってくださり、ありがとうございます。
この度のコメントで、コルテオさんは思いやりのある、優しい方だとつくづく感じました。
寒い日が続いています。お身体ご自愛くださいませ。

星さん
お返事が遅くなり、申し訳ありません。私に対する印象を、言葉にして伝えてくださったことに、感謝します。
私は、人が好ましいこととして言っているか、そうでないかによって、求めている反応が異なることを、知っています。
でも、私には、言われたことがどちらかよくわからず、また、私について言われたこととして、上手く感じられません。
何かについて、ただ、そうであると感じるだけで、認識から判断が生じにくいことと、関係があるかもしれません。
人が、「その人」と、私の中で認識されるように、人の判断は、「その人の判断」と、認識されるように思います。
星さんが、私に伝えてくださった、私に対する印象を表す言葉に、どう反応すればいいのか、よくわからないのです。
私の中では、それは「星さんの判断」で、それ以外の何ものでもなく、言葉として、ただ「優しい」と感じられます。
星さんが、不快に感じられるのではないかと、心配です。私の感覚が、少しでも伝わることを、願っています。

コルテオさん

お返事ありがとうございます。(*^-^)
コルテオさんのお言葉を読ませていただいて、私が不快に感じるのではないかと、ご心配して下ってありがとうございます。
それなのに、お返事が遅れて、こちらこそごめんなさいね。

私は、全く不快には感じていませんので、本当にご安心下さいね。
むしろ、コルテオさんの感覚について、私に詳しくお伝え下さったことや、コルテオさんへのご印象をお伝えさせていただいた言葉を、「優しい」と感じて下さったことは、とても嬉しく思っています。

コルテオさんのお言葉を読ませていただいて、とても真剣に考えて下さったように感じています。
コルテオさんの感覚のことは、私には解るように思います。
ご安心して下さいね。

私の言葉を、ただ「優しい」と感じて下さったことは、とても嬉しく、ありがたく思っています。
これからも、よろしかったら、コルテオさんの感覚のことや、コルテオさんの感じたことなどをお伝え下さると、嬉しいです。
私のことも知っていただけたら、嬉しいです。
お互いの考え方や感覚を知り、お互いを理解し、お互いに歩み寄って、より良い関係が築けたら嬉しいです。
私の大切な人との関係にも、活かせるように感じるので。

コルテオさん、これからも、どうぞよろしくお願いします。
お互いが、安心できる関係になれるといいですね。

私の気持ちが、コルテオさんに伝わること願っています。
いつも、お返事ありがとうございます。(*v.v)。

コルテオさんへ

すっかりお返事が遅くなってしまい、本当に、本当にごめんなさい。 o(_ _)o

コルテオさんがお伝えしたい方に、『沈黙にふれずにいることが、愛として伝わっている』と私は思います。
私が感じているコルテオさんの人間性から、そう思いました。(*^-^)

愛について考えていたら、愛には本当に色々な姿があり、愛は色々なところに存在していると感じました。
目には見えないけれど、愛は確かにある大切なものなのですよね。

笑顔の中にも愛はある。
戸惑いの中にも愛はある。
愛があるから、その人のふとしたことで、笑顔にもなれるし、また、その人の笑顔を見ると心が温かくなる。
愛があるから、その人のふとしたことで、戸惑ったりもするし、もしかしたら、その人の愛を失ってしまうかもしれないと不安になる。

様々な経験や思いをしながら、愛は深まっていくように思います。

確かに聞こえたり見えたりする言葉や行為の中にも、愛は色々な姿を見せてくれる。
そして、そのような愛は、わかりやすいかもしれません。

しかし、例えば、
目には見えない安堵や戸惑いを感じる気持ちの中にも、愛は姿を隠していると私は思っています。
過去の失敗から学ぼうとする気持ちの中にも、今までの成功を糧に前に進もうと思う気持ちの中にも、愛はあると感じます。
もちろん、未来を夢見る、未来を切り開こうとする思いの中にも、確かに愛は存在すると感じます。

日々、色々と想いを巡らせる中、「愛を感じることには、敏感でありたい」と感じました。
殊に大切な人と関係においては、以前にもましてとても敏感でありたいと、染み染みと思っています。

私の主観的な思いですが、コルテオさんに伝わると嬉しいです。(*^-^)

いつも本当に優しい気配りをしてくださって、ありがとうございます。
とても嬉しく感じ、感謝しています。
これからも、どうぞよろしくお願いします。

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