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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年2月15日 (土)

質問を理解するための質問

 

  コルテオさんからいただいたご質問を考えてみることが、定型アスペのコミュニケーションを考える上でひとつ大事な気がしました。とりあえず私の説明を試みてみたいと思います。はたしてどういう説明ならより伝わりやすくなるかについて私も工夫していきたいと思いますし、よろしければみなさんからもご意見をいただければと思います。

 もともと今回いただいたご質問は、私からコルテオさんにさせていただいた質問について、その意味がつかみにくいということからでした。

 私の質問はこんな内容でした。

> 定型同士の場合は、本人が自覚していない苦しみについて、他の人が先に気がついて共感的に関わった結果、その人が自分の苦しみに気がつく、ということもあるように思うのですが、(カウンセリングなどでも時々起こることのように思います)コルテオさんの場合、そんな経験はおありでしょうか?

 それに対してコルテオさんからこんな風にその「質問を理解するための質問」をいただきました。四つほどありますので、順番に私の考えを書いてみたいと思います。

>「気づく」とは、苦しさを感じるようになるのですか?
>それとも、苦しみであることを、知るのでしょうか。
>また、苦しみに気づかせるのは、なぜですか?
>「ない」を、あえて「ある」にする理由は、何でしょうか。

 まずひとつめから。

① >「気づく」とは、苦しさを感じるようになるのですか?

 結論から言うと、「はい」になるのかなと思います。

 いろんなパターンがありそうですが、相手の人の苦しそうな表情や状況を見ていて、自分も「見ていてつらくなる」ということがあります。「可哀想で見ていられない」という思いになったりすることもあります。そんなふうに感じる場合は「自分に出来ることがあれば何かしてあげたい」という気持ちになったりします。

 ただ、必ずしも相手の人の為に何かをしてあげることにはならず、小さな子どもを見ていると、相手の子が泣いていると、なぐさめるのではなくてもっと激しく叩いてしまう、というようなこともありますし、大人の場合でも相手が辛そうにしていると却って攻撃をするような人や場合もあると思います。

 どちらにしても人のそういう状態を見て、「感情的に揺さぶられる」ことはよく起こることだと思います。その結果、自分のその感情状態に対処するためにも、相手をなぐさめたり、逆に攻撃したり、あるいは「その場から逃げて見ないようにしてしまう」というような対処のしかたをしているんだろうと思います。

 理屈から言うと、そのときに自分が感じている「辛さ」と相手の人の「苦しさ」が「同じものかどうか」ということは、直接には答えられない問題になると思いますが、この話はちょっと込み入った話になってしまいそうですし、とりあえずここでは「同じかどうかは何とも言えない」という程度にしておきますね。

 ということで、「同じ」かどうかは分かりませんが、とりあえず相手の苦しそうな表情や状況を見ていて、「つらくなる」という意味で「苦しくなる」ことはあると思います。その場合、「つらく感じているのは自分で、相手の苦しみをそのまま感じているのではない」という理屈を意識することは少ないと思います。 素朴な感覚としては「相手の苦しさに共感している(それを自分が感じ取っている)」ということになります。
 
② >それとも、苦しみであることを、知るのでしょうか。

 素朴に「相手の苦しさを感じ取る」という状態になった後、それを頭で考えて「ああ、この苦しさは私が感じている自分の苦しさで、相手の苦しみは別のものだ」というふうに「反省してみる」ということはありえますし、その意味で「相手は相手の苦しみを苦しんでいる」ということを「知る」ことはあると思います。

 ただ、「この表情は苦しさを表している表情だ」とか「この状況は苦しみを生む状況だ」ということを「頭で推理」して、その結果「相手は苦しんでいる」と「知る」ということとは違います。

③ >また、苦しみに気づかせるのは、なぜですか?

 「気づかせる」という場合もないとは言えませんが、ただ普通は意図的に狙って「気づかせる」ということではないと思います。

 そうではなくて、たとえば相手の人の話を聞いている内に、「ああ、この状況はすごく辛いだろうな」と感じることがあって、ところが本人はそのことを意識していない場合があります。そのとき、さらに本人の話を聞いていると、本人がそれまで意識していなかった自分の気持ちに気づいて「ああ自分はこんなことで苦しんでいたんだ!」と自覚することがあります。

 また、気づいていないときでもこちらがその人の苦しい状況をほんとうに感じとれたように思える場合に、「それはすごく辛かったでしょうね」とか「辛いでしょうね」とか思わずこちらが話しかける場合があります(カウンセラーの人とかだと、ある程度その辺は意識的にされるのかもしれませんが)。そしてそのことをきっかけに、相手の人が「ああ、そうだ、自分は苦しんでいたんだ!」と気づくことがあります。

 じゃあなぜそんなことをするのか、ということですが、結論から言うとそうすると苦しんでいる相手の人が「救われる」と感じているからではないでしょうか。

 もしかするとここのところでアスペ定型間でものすごい違いがある可能性を感じるのですけれど、定型の場合「悲しみは分かち合えば半分になる、喜びは分かち合えば倍になる」というのは特に誇張でも何でもなく、その通り、あるいはそれ以上だと思います。つまり、「今まで自分でも気づかなかった苦しみを、この人は感じ取って<共感>してくれた、<理解>してくれた」と思えると、それだけでその人は救われた気持ちになる場合が多いと、多くの定型は思っているのです。

 なぜそう思うかというと、自分自身がそれまでの経験でも同じように「自分の苦しみを分かってもらえた」と思うことで救われた思いになることが繰り返されているからでしょう。定型にとって自分が「理解される」ことは本当に重要なことだと思います。

 少し極端な例ですが、「己を知るもののために死ぬ」という話さえあります。自分を理解してくれる人のためなら命を投げ出しても良い、という風に考える人が出てくるくらい、人に認めてもらう、理解してもらう、共感してもらう、ということは定型には重要なことなのでしょう。カウンセリングで「相手の人の言うことをじっくりと共感的に聞き取る」ことが強調されるのも、「聞いてもらうだけで気持ちが軽くなる」という定型の性格によるのだろうと思います。

④ >「ない」を、あえて「ある」にする理由は、何でしょうか。 

 「(相手の人が)それで救われる(と感じている)から」という③への答えがその理由になるのでしょうが、もう少し言葉を足すと、「ない」というのはその人の「苦しみ」が「ない」という意味ではなくて、「(本人は)気づいていない」けど「(実際は)ある」んだ、とこちらが感じているということが話の前提にあります。

 そう感じる理由は、その人の話を聞いていたり、あるいは様子を見ていたりして、何か無理をしている部分を感じ取ったり、不自然さを感じ取ったりするからだと思います。そして本人の話をじっくりと聞いてみると(その場合は相手の人が一生懸命話しかけてくることが多いわけですが)、普通なら(あるいは自分なら)ものすごく辛く感じるだろう状態だと思えるわけです。だから本人はそれを「我慢」したり「見ないように」したりしているんだろうと理解することになります。

 なぜ「我慢」したり「見ないように」したりするのかというと、定型はあまりに辛いことについては、そうやって「ない」ことにしてしまうことで耐えようとするからだと思います。「悲しすぎて涙も出ない」というような状態もそのひとつになるでしょう。そう言う場合は本人は「悲しい」ということさえ感じられない状態になっていたりします。

 つまり、自分自身が受け入れられないくらいに強烈な感情については、「ないことにしてしまう」こと、「気づかないようにしてしまう」ことで「誤魔化す」ということを定型は無意識のうちにやるのだと思います。でもそのことはその強烈な感情がなくなってしまうことではなく、ただ気づかないように押さえつけているだけのことですから、そうしているひとは「よくわからないけどなんだかしんどい」とか言うことにもなるし、場合によっては身体の調子が悪くなったりもします。

 他の人に話を聞いてもらって「共感してもらう」ことが大事になるのは、自分が受け入れられなくて押さえつけていた感情や気持ちの葛藤を、他の人に受け入れてもらうことで、自分も改めて受け入れられるようになる、という、ちょっとややこしい気持ちの動きがあるからだと思います。定型的なカウンセリングの働きの基本的な仕組みのひとつはそこにあると思います。



 以上は私の体験に基づく「人間理解」ですけれど、そのような理解の仕方でパートナーを理解しようとしても、中々うまくいかなくて、そういう「共感的な関わり」が逆効果、みたいなことが多いんです。だから、この説明もどこまでアスペの皆さんに通用する説明の仕方なのか、ほんとに分からない感じがしています。是非、疑問点などいろいろ教えて下さい。

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コメント

トマトです。 コルテオさんへ
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>「気づく」とは、苦しさを感じるようになるのですか?
>それとも、苦しみであることを、知るのでしょうか。
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定型が相手の感情や悩みに「気づく」ときは、視覚、聴覚のほかに、察するという機能で自然に感じてしまうので「顔では笑っているけれども、内心では苦しんでいるのだな」と、勝手に感覚的にとらえてしまいます。
とらえた内容が正解なら「知る」ことになり、間違いなら「勘違い」という結果になります。

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>また、苦しみに気づかせるのは、なぜですか?
>「ない」を、あえて「ある」にする理由は、何でしょうか。
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人は自分の感情をつかみそこねたまま行動すると、納得いかぬままで生きにくかったり、無意識にトラブルを起こしてしまいがちです。
他者からの意見や視点で、自分の思い込みや、今まで自分が思い当たらなかったもうひとつの概念や価値観を知る・・ということは、今後の生き方のプラスになるのではないかと思います。
そういう観点から「ないをあえてあるにする」必要もあるのではないでしょうか。

トマトです。 コルテオさんへ

ごめんなさい、ご質問の主語が「自分」でしたね。
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>「気づく」とは、苦しさを感じるようになるのですか?
>それとも、苦しみであることを、知るのでしょうか。
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『気づく』は、「もしかしたら、これが苦痛という感覚なのか?」などという思い当たるレベルで
『知る』は、納得レベルだと思います。

パンダさん・トマトさん

ご回答いただき、ありがとうございます。
①②は、トマトさんの仰る通り、本人のことを、お聞きしたつもりでした。
苦しみではないことを、苦しみと気づくとは、どういうことか、知りたかったのです。
言葉が足りず、申し訳ありません。

でも、前提が、違ったようです。
本人には、既に、違和感があるのですね。
私にとって、感情は、自分が気づかない限り、ないものでした。
あると指摘されても、分かりませんでした。
違和感が、ないからかもしれません。

昔、私の様子を見て、「笑っているけど、本当は悲しい」と、言った人がいます。
一般に悲しい状況なら、気づいていないだけで、悲しさはあるのか。
それでも、感じていないから、悲しさはないのか。
「本当」とは、何なのか、考えています。

パンダさんのご質問への、回答です。
その経験は、思い出せる限り、私には、ないように思います。

コルテオさん

>①②は、トマトさんの仰る通り、本人のことを、お聞きしたつもりでした。

 あ、そうでしたか(^ ^;)ゞ
 私は自分の文章では

「他の人が先に気がついて共感的に関わった結果、その人が自分の苦しみに気がつく」

 と両方について「気がつく」と書いていて、
 その後コルテオさんの③④もあって、そちらは「他の人」の話と思えたので、
 特に深く考えることもなく、①②もその流れで
 すっかり「他の人」の話として読んでしまっていました。

 そのズレに気がついたトマトさんはすごいと思いました w(^o^)w

>本人には、既に、違和感があるのですね。私にとって、感情は、自分が気づかない限り、ないものでした。あると指摘されても、分かりませんでした。違和感が、ないからかもしれません。

 ここは「すでに違和感がある」かどうかはケースバイケースで
 微妙だと思います。
 ただ、「言われてみれば確かにそうだ」と当人が後から思える、
 ということは大事なポイントかなと思います。
 「言われてもそう思えない」場合はちょっと違う話かなと感じます。

>昔、私の様子を見て、「笑っているけど、本当は悲しい」と、言った人がいます。

 ちょっと意味が取りにくいのですが、その方の言うことの意味は
 「(コルテオさんは)笑っているけど、本当は(コルテオさんは)悲しい(んでしょう)」
 という風に理解して良いでしょうか?

>一般に悲しい状況なら、気づいていないだけで、悲しさはあるのか。それでも、感じていないから、悲しさはないのか。

 これはすごい大きな問題だと思います。
 定型はそこを「ある」と感じることが多く、
 そしてそれは上に書いたように、それを指摘された本人が
 「言われてみればそうだ」と感じられるからだと思います。
 けれども仮にいくらそう言われても「そうかな?」と本人が疑問を持つ場合、
 それを「ある」と言って良いのかどうか……

>「本当」とは、何なのか、考えています。

 ほんとにそうですね。
 私はそこのところ、自分の感覚で随分乱暴に考えていたかもしれません。

トマトです。

一般的に、定型発達は、感情の種類を増やしながら大人になっていくと思うのです。
「微妙な感じ」「複雑な思い」「共感の強弱」「様々に想いをはせる」などなど・・・。

感情を色に例えると、誕生日が来るごとに、持っているクレヨンの色が着実に多くなるみたいなものでしょうか。
自閉圏の人は、自覚する感情の種類が定型よりは少ないと思うのですね。
色に例えると、赤や黒や緑などハッキリとした強い感情は意識できるけれど、モスグリーン、スモーキーグリーン、ダークグリーンなど同じ緑でもグラデーションの微妙な感情は認識しないので「その感情は無い」ということになる・・・という場合もあると思います。

定型は、その微妙な色合いの感情を、知らず知らず、ASの人に求めているのかも知れません。

明確な好きか嫌いかではなく「挨拶をするくらいの好感は欲しい」「あいづちを打ってくれる程度の好意は欲しい」とか・・・。
それは、きっと12色のクレヨンしか持ってない人に、13色目以降の色の話しをもちかけているようなものだと思うのです。

「その色(感情や考え方)はない、知らない」と言われたら「例えば、こんな色だけど」という説明はズレているのかも知れませかね。


パンダさん
補足してくださり、ありがとうございます。
「笑っているけど、本当は悲しい」は、その意味です。
私はいつも通り、笑顔でいただけでしたから、子供のころは「??」でした。
大人になり、「人の感覚」に気づいたときに、
「一般に悲しむ状況であり、無理に笑っていると思われ、気遣われた」
ということが、思い浮かびました。

トマトさん
きれいな例え話を聞かせてくださり、ありがとうございます。
人が、私に見えない波長の、様々な色を見ていることを、大切にしたいです。
見えない分、とても憧れますし、神秘的なものを感じてもいます。
私は、人に聞こえない周波数の、音を、聞いているのだと思いました。

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