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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年2月11日 (火)

?の大きさとスペクトラム

 以下、私の意図としてはそのつもりは全くありませんが、もしかするとアスペの方には「失礼」に感じられる書き方になってしまうところがあるかもしれません。ただ、私自身が持っている定型的な感覚やものの考え方からアスペの方を理解しようとしたときに、とりあえず手がかりになりそうなかなと思えることで、あくまで相互理解のためのひとつのステップにすぎないものとして受け止めていただけるとありがたいです。

 

トマトさんがアスペの知り合いの方たちが示される「パニック」や「フリーズ」への「覚悟」について書かれていて、なんとなく頭に残っていたのですが、ふと私が学生時代とか、自閉(カナータイプ)の子ども達と付き合いがあったときのことを思い出しました。

 たとえば一緒に散歩に行っていて、突然(と感じられる)立ち止まってしまって、一緒に行こうとしても嫌がって、激しく怒ったり泣いたりされることがあります。こちらはなんのことか分からなくてなんとかなだめすかして連れて行こうとするけど、容易なことではありません。

 そういう「パニック」状態がどうして起こるのか、子ども達をいつも見ている施設の先生たちもいろいろ考えられるんですね。そして時々ですが、「ああ、あのことが原因かも」と思いつくことがあったりします。散歩の話とかだとまあ有名なところでは「いつもとコースが違った」とか、そんなことがあったりします。

 それで一応「因果関係」は分かったりすることもあるんですが、アスペルガールさん風に表現すると

 定型的理解 「原因の出来事」⇒「それによる気持ちの動き」⇒「パニック」
 自閉の子   「原因の出来事」⇒「??????????」 ⇒「パニック」


 という感じで、間がわからないんです。ただ原因と結果のつながりしか分からない。でも一応対応の仕方については考える手がかりは与えられます。なぜなら「原因の出来事」はわかったので、それをなくす工夫をすればいいからです。

 定型同士でトラブルがあって調整をしなければならないときには、「原因の出来事」を解決することもありますし、それが困難な場合とかは「それによる気持ちの動き」のところでお互いに調整を図ったりすることも少なくありません。というかその方が多いくらいかもしれない。

 そこで定型同士ではその「気持ちの動き」についてお互いに理解し合うことが前提として重要になります。ある程度理解できてようやく調整も可能になり始めますから。そこがよく「共感」と言われる部分にもつながるのでしょう。で、自閉の子との間ではその間の部分を理解することが難しく、そういう「共感」に基づくような調整がとても困難で、言ってみれば機械的に「原因を取り除く」ことが中心にならざるを得なくなります。

 考えてみるとこういう「機械的な」対処の仕方は、逆に自閉の子も周囲の大人にしたりするんです。よく「クレーン現象」とか言われていたりしましたが、たとえば鍵のかかった部屋から外に出たいとき、子どもが自分では手が届かなかったり開け方が分からなかったりすると、大人の手を掴んでそこに持っていき、鍵の方にその大人の手を「置く」というようなことをしたりするやりかたです。それをされると大人の方はなんだか人として扱ってもらえていないような、単なる道具として扱われているような不思議な気持ちになります。

 自閉の子でも言葉がある程度できるようになったりすると「開けて」というようなことを言うことも出てきますが、定型の場合はまずは相手の目を見て、「お願いする」というのが基本パターンですよね。「お願いする」というのは相手の気持ちに働きかけるやりかたです。そこの部分がすっぽりぬけて「大人が手を置く」⇒「ドアが開く」という機械的な因果関係の理解で扱われてしまうために、まるで自分が道具として扱われたように感じるのでしょう。

 ですから、定型の大人が自閉の子のパニック等に対応するときには、「気持ちの理解」を諦めてそこをすっとばして機械的に対応するしかなくなるし、逆に自閉の子も定型の大人の「気持ちの理解」はすっとばして機械的に「大人を動かす」という形の関わり方になっているわけです。

 で、この図式の延長上に、定型アスペのズレの問題を置いて考えてみると、なんか整理されるものが結構ありそうな気がします。スペクトラムの考え方に合わせてたとえて言えば、お互いのズレの大きさ(アスペの方の自閉の度合いの強さ)は「???????」の部分の「?」の数の大きさになるかも。カナータイプの自閉の子に比べれば、アスペの方は比較にならないくらい相手の「気持ちに働きかける(たとえば「お願いする」など)」をされるわけですが、でも定型からはやはり「?」が残り続けるという感じですね。

 (誤解を避けるために少し言葉を足しますと、私は自閉の子やアスペの方(最近の言い方では要するに自閉症スペクトラム障がい)の方が「????」の部分を持っていないとは考えていません。それを「感情」と呼ぶかどうかは別として、「原因の出来事」を理解して、それを「パニック」という行動に結びつけるには、ものすごく複雑な理解の過程が必要だからです。ただ、定型の場合はその複雑な過程を他の人とも調整しながら作り上げる傾向が強く、それでその過程がお互いに理解しやすく作られていくのに対して、アスペの方はそれぞれがものすごく個性的な形でそれが作られてしまうために、「どういうつながりでそういう行動になるのか」が他の人からは理解しにくいものになってしまうことが多い、ということなのだろうと思えるのですね。そして「相手の気持ちの動きが分からない」ときに、機械的な対応になってしまう(理由も分からずに形だけそのやりかたに従う)というのは、自閉の子と大人の関係や定型アスペの関係に限らず、たとえば文化が違うときにも定型同士でもよく起こることです。ですから、上に書いたことはアスペの方を「ロボットのように見ている」という話とは違うと理解していただけるとありがたく思います)

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