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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年2月27日 (木)

「報連相」と「生き方」

 私の親しい知り合いが、初めての海外生活を始め、ときどきメールで様子を教えてくれるのですが、その中でちょっと事情があって、引っ越しをすることになり、さらにその予定を1週間早めようかと思っているということが書いてありました。私はそのほうが良いんじゃないかと思って、そういう感想を返事で送ったわけです。

 私のパートナーも良く知っている人だったので、ちょっとその話題を振ってみたんです。そしたら彼女の疑問は「なんでそんなこと、いちいち相談してくるんだろう?」というものでした。で、私はちょっと意外に思って、「いや、別に相談された訳じゃなくて、たんに状況を書いてくれてるだけだと思うし、僕も別に感想を言っただけだし」と説明しました。

 それに対するパートナーの次の疑問は「そんなこと、さっさと自分で決めて引っ越してしまってから言えばいいのに、なんでわざわざ言ってくるのかね?」というものでした。私は「あ!このパターン!」という気がして、ちょっと面白くなって、「いや、そこがやっぱり定型的な感覚とアスペ的な感覚の違いじゃないかな。」と言ったんですね。

 「定型の場合は、別にはっきりした相談とかでなくても、自分の状態をお互いに伝え合って、なんとなく事情を共有しようとすることが多いんだと思う。アスペの人はそこは基本的には自分ひとりで決めてしまう傾向が強いんじゃないかな」

 それを聞いて、パートナーは「はいはい、そうですか」とか言ってそれで話を終えてしまいました (^o^)

 まあ考えてみれば、アスペの方が「報連相(報告・連絡・相談)」が苦手、と言われる話のひとつとも言えるのでしょうが、別の言い方をすれば、何かの問題を抱えたときに、他の人とどんな関係をとろうとするのか、自分自身の責任の範囲をどう考えるのか、定型アスペ間のそんな「姿勢」の違い、とか、ちょっと大げさに言えば「生き方の違い」というふうにも感じられます。定型にとってアスペの方の「姿勢」がよく分からないように、アスペの方にとっては定型のそういう「姿勢」がきっと「不思議」なんでしょうね。

 そこにもつながる問題のように思いますが、あいかわらずずるずる続くパートナーの風邪についてです。仕事も休めず、しんどそうに帰ってくるパートナーを見て、いつもはパートナーがしている家事を、私がするからと言うんですが、案の定というか、「いや、自分でやる」というんですね。

 私が手伝いを申し出るときは、そのときどきで「ついでがあるから」とかなんか私にはぴんと来ない理由がつくこともあるんですが、基本的には彼女が担当していることについては断られることが普通です。

 で、昨日は、強烈な頑固者の私の父親を引き合いに出して、「親父とそっくりだね」と言ったら、それはとても心外だったようで、「全然質が違う」というようなことを言ってました。男の頑固者はだいたいが「自分が偉い」と思いこんで譲らないんだ、というようなことを彼女は言うんです。ま、たしかにそうかもしれません。彼女が「自分が偉い」と思いこんでいる様子は感じたことありませんし。

 そのあと、でも彼女は結局「じゃあやって」といってようやく手伝い(代行)をやらせてくれました (^ ^;)

 

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コメント

パンダさん
人に言わず、一人で事を済ませる傾向が、私にもあります。
パンダさんの仰る、「他の人とどんな関係をとろうとするのか」を、私もまた、考えています。
信頼についての記事を、興味深く、読ませていただきました。
私は信頼という言葉を、委ねることと感じていたので、期待に適うと信頼が増すというお話は、戸惑うものでした。
そもそも、人の捉え方が、異なるのかもしれません。
人は、ある人を何々な人と判断して、それをよくないと判断したら、関わりを避けようと判断する、と私には思われます。
その判断の一つ一つが、なぜか私は、上手くできません。
ある人が私に関わるとき、その人を信頼するというより、その人と私を関わらせる何かを、信頼するように感じます。
パンダさんの仰るように、「生き方の違い」を、私も思いました。
いつも、考えを巡らすきっかけをくださり、ありがとうございます。

コルテオさん

 いつもじっくりと読んで下さってご意見を下さり、ありがとうございます。

>私は信頼という言葉を、委ねることと感じていたので、期待に適うと信頼が増すというお話は、戸惑うものでした。

 私がコルテオさんの書かれていることをうまく理解できているかは自信がありませんが、
 「委ねる」ということは、「相手に預けてしまう」ことかなと想像しました。
 それに対して「期待に適うと信頼が増す」という話は、
 「相手とのやりとりで、信頼関係を調節していく」ということかなと思います。
 そういう対比で理解してみると、人間関係の作り方について、
 アスペ定型のそれぞれの特徴が出ているのかもしれませんね。

>ある人が私に関わるとき、その人を信頼するというより、その人と私を関わらせる何かを、信頼するように感じます。

 定型の場合は、最初は「その人まるごと信頼する(かしないか)」という
 一かゼロかの形になりやすいかもしれません。
 ただ、いろいろ人生経験を積んでいくと、「この人のこう言うところは信頼できる」
 「でもこう言うところは信頼できない」といった、細かい区別をするようになったり、
 そんな変化もあるように思います。

 この後者の区別と、コルテオさんが書かれている「その人と私を関わらせる何か」
 というとらえ方に共通している部分があるのかどうか、
 ちょっと興味を持ちました。

>いつも、考えを巡らすきっかけをくださり、ありがとうございます。

 こちらこそいつもコメントをありがとございます。
 こういうやりとりがじっくりとできて、それがお互いにとって
 意味のあることになるのが私には一番嬉しいことです。

こんばんは。少し前にコメントさせていただきました。
私は39歳の女性です。

「報・連・相」について読ませていただきました。
相談されているのか、ただの報告なのか
確かにASさんは読めないのかもしれないですね。
(私はボランティア団体に所属しています。
そこの9歳年上の男性リーダーさんがASのような感じです。)

ASさんにとって
ひとりで考える→行動する→成し遂げる
それが普通であり、責任(当たり前)のようにも
思っているのかもしれません。
(よく考えたら、リーダーさん自身がそんな
行動してます。)
「これやりました。」と言えば「ありがとう。」とこちらも
お礼を言うであろうところを言わなかったり。
(言う必要を感じないのかもしれないですね。)

他人もそうだと思っているみたいです。

私は複数の人で何かに取り組む時、
皆で協力して皆の功績にしたほうが楽しい
のになあ~と思うのですが、
そういう感覚が本人にないよう
なので、提案をした時に
「それやったらいいよ。自分の功績になるよ。」
って言われた事があり、心にひっかかるものが
ありました。

その割には「その計画〇〇さんとやりなよ。
僕その内容に興味ないから。
その代り僕はやりたい事やるし。」
とも言われ…。???

私は「リーダーが興味ないことをやるの?」…って
思いましたが口に出して言えませんでした。^^;

内容が飛んで恐縮なのですが、
最近やりとりしたメールで「これは私を信頼しているのか?…」
「もし、違っていたらどうしよう。」と思うことがありました。

私からのメールばかりでいつも質問や疑問を
投げかけてばかりなので、もう本当に申し訳なくて
相手を傷つけていないかと心配になり
正直に
「〇〇さんを質問攻めしているような形になるのが
いつも辛いんですよ。」とメールで伝えると

「私はいい加減ですもん。適当でなんとかなることを
やって来たくらい。だから、こういうことは誰かの
監視が必要ですの」

と返信が―9歳年上の男性リーダーを監視?
母親になったような気分です。
信頼してくれているのかな?
こういうのこのままこういうやりとり続けていいのかな?
と思ったら泣けてきて

「ToT」でメールを返すと

「m(_ _)m」で返ってきたんです。

私のこと嫌いなんじゃないか?ともって思えてきます。
でもメールのラリーは続くので…
何だかいつも不思議なメールのやりとりばかりです。

読んでいただいてありがとうございます。

めぐみさんへ トマトです。

精神科医のいうところの「巻き込み」という状態ではないでしょうか。
(サークルの男性リーダーさんがASかどうかは別にして)
めぐみさんの「母親のようになった気分です」という感情。そこには「私が解ってあげなくちゃ」という潜在的な母性が働いているのかも知れません。

相手を「手のかかる人」「カバーしてあげないといけない人」と、こちらがリードしているつもりで、実は自分が相手の世界感に巻き込まれてしまっていて、自分の判断やペースでは事が進まなくなっている、という状況です。
あまりに相手を見つめているうちに、そうなってしまうそうです。

そうなると「相手と距離を持て」「相手のことを気にせずに」という正論がなかなか身にそぐわなくなり、どんどん相手の言動を見つめ続けて混乱し続ける事になると思います。

私も自分自身、経験した事なので。
だからどうした方が良いというアドバイスが見当たらないのが申し訳ないのですが、このままで過ごすと、めぐみさんが疲弊するだけだと思い、経験を伝えさせていただきました。

トマトさんお返事ありがとうございます。

やはり…という気持ちです。
今の私にとてもありがたい助言だと思います。

このままいくとどうなってしまうだろう?
このままではまずいのではないか?
という気持ちがあるうちに何とかしなければならない
かもしれません。

私が一番やりたい事がやれるやれていた場所なので
とても残念です。

一度「やる」と言った事をなかなかうまく引くことの
できない私なので、団体を離れること、
もしくはここまでしかやらないという強い意志を
もって距離を置いたほうが私のためであり、相手のためでも
あるかもしれませんね。

団体所属人数も少なく、相談する相手もあまりいない
状態です。このままでは相談しても相談ばかりになり、
私自体が他のメンバーから疎まれるな…とも感じています。

私は他の団体にも幾つか所属しているのですが、
他の団体にいる時は割と一歩引いて活動している
タイプです。
皆さんお互い協力したり相手のよいところを自然と
褒め合ったりして気軽に話しながら楽しい関係で
活動しています。やりがいもあります。

ギャップを感じはじめました。

1年前にいた団体のリーダーさんも困った人でした。
その時は他の人の助言でうまく辞めることができました。
困っている人に対してついつい助けてあげなくては
と母親ぶってしまう私がいると思います。

本当にありがとうございます。
今の自分を見つめたいです。感謝します。

パンダさん
お返事をくださり、ありがとうございます。
仰るとおり、「委ねる」とは、「相手に預けてしまう」ことです。そして、その成りゆきを、受けいれることです。
でも、委ねる「相手」は、人の向こうにある、関わりをもたらす何かです。ただ、「委ねる」という意識は、ほとんどありません。
他の記事で仰っている、「同じ人間同士」の感じに、似ています。それを感じさせるのは、やはり、「人間」の向こうにある何かです。
「信頼できる・できない」の区別と共通する部分、については、よく分かりませんでした。ごめんなさい。
私には、もっと、学ぶ必要があります。
このような話をすることができて、私も、うれしく思います。

コルテオさん

>他の記事で仰っている、「同じ人間同士」の感じに、似ています。それを感じさせるのは、やはり、「人間」の向こうにある何かです。

 この「人間」の向こうにある何か、という言葉の意味を
 もっと理解したいなと思いました。
 何か「個人」を越えた普遍的なもの、みたいなかんじなのか、
 また全然違う意味なのか……

>「信頼できる・できない」の区別と共通する部分、については、よく分かりませんでした。ごめんなさい。

 多分、コルテオさんの書かれる「その人と私を関わらせる何か」が
 私にまだよくわかってないので、
 私の書き方や書いている内容がピンぼけになっているのではないかと思います。
 また「その人と私を関わらせる何か」について
 もう少し言葉になることがありましたら教えて下さい。

パンダさん
コメントをくださり、ありがとうございました。
お返事がたいへん遅くなり、申し訳ありません。
理解しようとしていただき、うれしいです。
でも、私の中には、言葉が見つかりません。
昔から、ずっと、探しているのですが。
恐れ入りますが、人の言葉を、引用させてください。
レオ・バスカリアさんという方の、本の中の言葉です。
――インドでは、だれかに会うたびに、あるいは別れを告げるたびに、両手を合わせて「ナマステ」という。
これは、あなたのなかの全宇宙が宿る場所に向かって私は手を合わせる、ということをあらわしている。そこにあなたがいるのなら、そして、私のなかの同じ場所に私がいるのなら、私たちはひとつだというのである。――
「その人と私を関わらせる何か」は、この感じに似ています。
パンダさんが他の記事で仰っているとおり、内面を説明することは、苦手です。
どうしても、それを、掴めません。
いつも、すぐそばに、確かにあるのですが。
本の中に、言葉を見つけたときは、光が差すように感じます。
ちゃんとお答えできず、ごめんなさい。
コメントは、不要です。
いつもお読みくださり、ほんとうに、ありがとうございます。

コルテオさんへ

実はこの本を持っていて、何度か読んでいます。(*^-^)
コルテオさんとは、同じ本を読んでいることが割とあるので、何となく恥ずかしくて言い出せませんでした。ごめんなさい。(*_ _)人

話は変わって、涙の流れた理由(私の気持ち)のことですが、彼に伝えることができませんでした。
私には、本当に大切な(大好きな)人なので、私の気持ちの全てを的確に表現することが難しいのです。
でも、私の気持ちは彼に伝わっているような気がしています。
彼の行動から、何となくそう感じました。
もしかしたら、星になられた、コルテオさんの大切な方も、コルテオさんのお気持ちを、コルテオさんがご自覚されていた以上に、わかっていらしたかもしれないと思っています。

私は、私と彼が同じかとか、違うかとも、ほとんど意識しません。
私と彼がいるという感じでしょうか。
もし、過去の私達にいくらかズレがあったのならば、私と彼と私達にズレの自覚ができた時が、私たちの第二章の始まりだったと思っています。
ちなみに、第一章は私達が出逢った時に始まり、私的には、物語はもう新しい章、第三章を幸せに進んでいる感じです。(*v.v)。

目の前にいる彼の行為や気持ちを素直に受け取り、受け入れる。
私の気持ちも素直に彼に行為や言葉で伝える。
もし、彼が無理をしてくれていたとしても、無理をしてくれるくらいに大切にしてくれているのだと思い、感謝をして、素直に彼を享受しています。

私と彼が過ごしてきた時間には、成功も失敗もなく、私たちの経験があるのだと、私は思っています。
その私達の過ごしてきた経験により、知り得たことは学習をして、これからの私達の関係に活かしたらよいのではないかと感じています。
実際私達は、そうしてきたように私は感じています。

これはあくまで、私の考えで、彼がどう思い、どう感じ、どう考えているかは、定かではありませんが。(*^-^)

彼から大切にされていると、私に実感させてくれる人なので、私も彼に、私の大切な人だと実感して欲しいと思い、以前より気持ちや思いや、してほしいことを恥ずかしがらずに伝えるようにしています。

何故彼がよいのか?自問自答してみても答えは、ただ彼がよい。
不思議でしょう。
そして、ちょっと自画自賛になるのですが、私達ってすごいなぁって思う私がいます。

コルテオさんが言葉でなくても、何かしらの方法でお気持ちをお伝えされていたり、大切な方だと思って(コルテオさんのコメントを読ませていただくと、コルテオさんにとって、とても大切な方であるように感じますので)接してこられたのであれば、星になられている方には、コルテオさんのお気持ちは、生前にも伝わっていたように感じています。
私は本当にそう思いますので、コルテオさんのお気持ちが、少しでも楽になられると嬉しいです。

これからも、お互いに、誠実で、相手を信じる心や思いやる心が持てる二人でいられたらよいなぁと。彼から信じてもらえるような、安心してもらえるような人間になれるように、精進していきたいと思います。
これからも、私と彼と私達を、同じように大切にしていきたいです。

コルテオさんは、何となく彼に似ている感じがするので、私たちのことを多く語ってごめんなさい。わかりにくいところがあれば、遠慮なく聞いてくださいね。

いつも真摯なお返事を嬉しく拝見しています。
暑い日が続いています。
お身体ご自愛くださいね。


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