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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年1月16日 (木)

何故共感が難しい?

 定型アスペ問題の定番は「共感」だと思いますが、要するに定型の側から見ると「このひとは共感してくれない」とか「共感を拒否している」と感じてしまって、お互いの関係が親密であるほど、ショックが大きくなり、問題がこじれてしまう、ということです。

 なぜそうなるのかについて、いくつかの説明の仕方があると思いますが、私はなかなかすっっきり納得できなかったんですね。たとえばアスペの方は「共感能力がない」という言い方。

 なぜ共感能力がないかというと、人の感情を理解できないからだ、という説明がついてきたりします。たしかにコルテオさんも「私は、人のいう「寂しい」も「好き」も、パンダさんのおっしゃる「しんどさ」も、感覚的にわかることができません。」と書かれていたように、アスペの方が定型の感情を理解できずに困惑されることは少なくないと思います。

 けれどもそれは「人の感情を理解できない」ということとは違うはずです。実際コルテオさんもこんな風に書かれていました。「人の感情のうち、「感覚的にわからない」のは、私が感じたことのない感情です。人の感情のうち、「感覚的にわかる」のは、私が感じたことのある感情です。」

 つまり感じ方が違うから、理解が難しいことはあるんですね。でもそれを言ったら、定型だってアスペの方の感じ方を理解することは難しいから、共感できずに反感を持ったりショックを受けたりするわけで、そこはお互い様とも言える部分があります。だから問題は単純に「人の感情が理解できない」から「共感能力がない」という話にはならないと思うんです。実際コルテオさんもちゃんと共感(同感?)もされるんです。「『信じる「愛」を持っていますか』という本の言葉に、私は共感をおぼえます。」

 コルテオさんご自身は、自分がアスペルガーであるかどうかは確信していない、と書かれていますが、ここに引用させていただいた内容については、コルテオさんに限らず、私のパートナーも含め、他のアスペの方にも共有される部分が多いように感じています。

 もちろんご自身の中に感情がないなんていうことはあり得ません。激しく動く感情があるから、それが周囲とうまく噛み合わなくて、深刻な鬱になられたりもする。七誌さんが「おかげで3ヶ月余り寝たきりの生活を過ごし、希死念慮の伴う不安定な回復期を経て寛解と言えるところまで一年以上かかり、そして当時の状況把握にさらに数年かかり…もう二度とあんな状態を経験したくはないですね。」と書かれているのも、アスペルガールさんが同じような経験を書かれていたのも、その例のひとつです。

 
 じゃあなんでアスペの方はしばしば「共感能力がない」とか言われてしまうんでしょうか?実際私も未だにパートナーに対して「なんでここで共感してくれないんだろう。たとえ共感はできなくても、どうして単に「ああそうなの」と受け止めてくれずに、わざわざ拒否的なことばを投げかけてくるんだ」と傷つくことが無くなりません。昨晩もそれでだいぶやりとりしました。

 それは、私がほんとに許し難い思いを持つ出来事があって、そのことについては彼女も同じ立場なのですが、それについてどうにも耐え難くなって、怒りを爆発させるような言い方をしたんです。私としてはそういうことはほんとに少ないことですし、そういうことを普通言う人間ではないことは彼女も分かっています。それにも関わらず言わずにはおれないくらいに怒りが押さえられない状態になってしまったのですね。

 で、彼女も同じ怒りを持っているのは間違いないのに、「そういう言い方は私は嫌だ」というんです。もちろん、私だってそういう言い方をしたいわけではないのだけれど、もうぎりぎりのところで言わずにはおれなかったのに、それを「拒否」されるつらさはほんとにシビアなものでした。(もちろん「そういう言い方」を彼女もしない人なら分かるのですが、決してそうではないですし、私がそういうことはほとんど言う人間ではないことは知っていながらのことばだったので)

 改めて衝撃を受けながら、なんでそういう言い方をするのか、彼女に聞いたんですね。「拒否ではない」と言い、私がそんな風に言うのはよほどのことだと言うことは分かっている、というのですが、それを分かってくれているのなら、なんでそんな言い方をわざわざしなければならないのか、私には全く分からなかったので、あえて尋ねたわけです。

 彼女は最初はしばらく考えて「わからない」と言いました。私はしばらくどう考えていいかわからず沈黙を続けた後で、「(拒否という以外に)他にどういう解釈の仕方があるのか、教えて欲しい」とまた尋ねました。だいぶしてから、彼女が「話がうまくつながるかどうかは分からないけれど」と言いながら言ってくれたことは、「その(パンダの)ことばを聞くと、自分の怒りが抑えられなくなるから」という意味のことでした。

 それを聞いて、ようやく分かった気がしたんですね。そして今まで理解できなかったいくつかのことがつながってきたように思えたんです。

 彼女は私の怒りや悲しみや、そういうものを否定している訳じゃないんです。共感しないんじゃないんです。むしろその私の感情に激しく巻きこまれてしまって、自分が保てなくなってしまうから、とっさに距離を取ろうとしているんです。

 定型同士の場合は、そこでお互いに感情をぶつけ合うことで、一緒に気持ちを整理していったりすることも少なくありません。そうやってお互いの感情を整理したり、「共感」されて支えられたり、共感することで支えたりする。

 でも、彼女にとっては自分で対処しきれない感情に巻きこまれてしまって、どうしてよいかわからない状態になる。そこで一緒に感情を調整するようになりにくい。だから、そうなることについてとても恐怖心や場合によって怒りを持つんですね。だから身構えてしまって、「拒否的」に聞こえることばで相手と距離を取って身を守ろうとするわけです。

 子どもの頃から自分の素直な感情を出すと、周囲から攻撃されたり怒られたりし続け、ひたすら自分の感情を「押さえつけて表現しない」ことを学ばされる。自分の感情は他者とは共有されないものだし、人と語り合って調整したり解決したりするものではない、という感覚が深く根付いてしまう。そして人から特にネガティヴな感情を表わされると、どう対応して良いか分からないし、自分も訳も分からずにそれに巻きこまれてしまいそうになり、強い恐怖心を抱いたりする。

 少なくとも彼女の場合、そういうことがあるようなのです。そして私の知る数少ないアスペ的な方についても、そんな風に理解すると、ああなるほどなあと分かることがあります。定型的な感情の世界はアスペの方にはわかりにくいだけに、定型が全く想像もできない形でそれに恐怖を感じられる場合もあるわけですね。

 この話、アスペの方は1か0になりやすく、定型がよくやる0.5の曖昧な調整がやりにくいのではないかという話ともつながってきそうです。


 

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コメント

トマトです。

私は、ほかの可能性として「視点が違う」と感じるときがあるんです。

ASと定型ふたりして、同時にひどい目に合ったとします。(二人が嘲笑されたとか、購入した高額チケットがニセモノだったとか色々・・)

定型は憤慨する。「ひどいよなぁ、許せないよな」と。ASは「そうですか」とか「別に」と他人事のように言う。・・・・という場面はよくあるかも。

ASの人の目には「ひどい目にあった」ことはすでに過去のことで、今現在は目の前の「憤慨して感情的になっている、もう1人の様子」が問題視されてるんじゃないかな・・・と。

原因があって今の状態に到っているのだけれど、ASの人によっては、それが場面、場面、バラバラの認識になっていて「え?君は腹が立たないのか?」と感情を誘っても、前の原因のことを聞かれているというよりも「えらい感情的になってしまった相手になんだか共感を押し付けられているみたい」な状況に、すでになっちゃってのではと。

「さかのぼってさ、5分前のひどい事態を想い出してよ」
「想い出しました」
「ああいうことは嫌だよね。腹立つよね」
「それは・・・そうですね」

定型からみると、とてもトーンダウンした低温の共感の言葉なのだけど、ひとつの事柄に対して、定型の感情の瞬発と、ASの人との感情の瞬発は「なかなか同じタイミングにならないし、定型がリアクションしたらすでにそこんとこを見つめている」ような気がして、
肩を並べて同じ方向のひとつのものを焦点を合わせて見て感じてはいないような気がするのです。

「あれを見て何も思わないのかい?」と定型が指差す、方向を見ているのではなく、その指の爪を見ている・・・というような・・・
そういう場合もあるのではないかと思います。


トマトさん

 そうですね。そういうパターンもありそうな気がします。
 私の例の場合はお互いにとって現在進行形の問題で、
 彼女も本気で怒っていることでもあるので、
 そういうパターンとはまたちょっと違うと思いますが、
 ほんとに状況次第でいろんな可能性がありそうです。

 そういういろいろな可能性を少しずつ積み重ねて考えていけると
 問題がよりリアルに、厚みを持って理解できるでしょうね。

 あと、アスペの方でも感情面で比較的「淡泊」なタイプと
 深いところで傷を抱えているタイプの方があるかもしれません。
 そのあたり、どんな育ち方をされたかでもすごく違いが出るかも。

 ま、いずれにせよ定型の勝手な想像に過ぎませんが (^ ^;)

トマトです。

ASの人の多くは、ご自分の感情をその場で言葉に出すことが難しい特質、感情をつかまえることが困難、という特質をお持ちだと聞きます。

私の友人(故人)は、饒舌で表現力豊か(に見える)タイプだったので、激怒や嫌悪、うっとり、にこにこ、ぷんぷん、あっはっは・・と良く機嫌の具合が伝わってきました。
ですから、とても定型っぽいASだったと思いますし、その「軽度の」というところが事態の混乱を拡大しました。

パンダさんの奥様も、お仕事ではプロフェッショナルに定型モードをこなしていらっしゃるようなので、奥様の自然体をドンと出せる場所が家庭でパンダさんの前のみ・・ということは本当によく理解できます。

定型でも、外と内、仕事と趣味、あの人とこの人対応では「まるで印象が違う」という人は沢山存在します。
そこんところが、一般的には理解不能なほど極端な違いで出るのがASの人の、頑張っている姿、頑張っている度合いなのかなと、今回のパンダさんのテーマで感じました。

また、ASの人は、この場所とこの人には自然体で良いのだと判定すると、人も「場所」扱いになってしまってることは多いと思います。
ですから、ASの人に認められた人は「あなたの自然のふるまいをして良い場所になります」くらいの心意気を持たなくては、関係維持できないのではないかと思うくらいです。


人も物事も・・光りが強いほど影が濃い、と思うんですね。
ASの人の、聡明さとか冷静さとか個性的なチャーミングさなど光りの部分に心魅かれた定型は、影の部分が未知の闇のように感じられて、一緒に居る間はずっと、考えざるを得なくなると思います。
魅かれ続けるということは見つめ続けるということなので悩み続けるということにもなります。

感情でも表情でも言葉でも、無意識に出ることに「なぜ?」と聞かれ続けられるASの人の困惑人生も、またリラックスできない、自然体を否定される連続なのだなぁと、感じました。

ワタクシ事ですが、職場でもサークル活動でも「ASだろうな」と思う人が居て、定型の質問に対して、答えたら、定型の苛立ちや怒りを買う・・・ということが日常茶飯事にあり続けていいるのです。
それは「ものの言い方ヒトツ」なんですけど、そこの壁はとてつもなく厚く高くて、カバーやアシストしたいのにしきれない自分の無力さとか、はがゆさとか、感じます。


トマトさん

>それは「ものの言い方ヒトツ」なんですけど、そこの壁はとてつもなく厚く高くて、カバーやアシストしたいのにしきれない自分の無力さとか、はがゆさとか、感じます。

 これ、ほんとになんなんでしょう?
 別に悪気があるわけではないと分かっていても、
 相手のことばがなにか自分の琴線に触れてしまうことがあるんですよね。
 もっと鷹揚に流すことができないものかと、自分の「心の狭さ」を思ったりもします。
 なんで「ありのまま」をそのまま受け入れることが出来ないのかと。

 ただ残念ながら自分はそこまで人間ができていないみたいなので、
 なんとかその「琴線に触れてしまう」ことの秘密を理解したいんですよね。
 そこが見えれば、ゆとりが生まれるのではないかと願いながら。
 でもそうしようとしていろいろ考えようとすると、

>感情でも表情でも言葉でも、無意識に出ることに「なぜ?」と聞かれ続けられるASの人の困惑人生も、またリラックスできない、自然体を否定される連続なのだなぁと、感じました。

 ということにもなってしまって、そこもまた辛いところです。
 お互いに安らぎを与えあえる関係って、難しいですね…… 

それは多分、心のどこかで「期待している反応を返してほしい」と思ってしまうからじゃないですかね。
誤解のないように書いておきますが、パンダさんを悪く言いたい訳ではないです。
というか、これは人間なら誰しも持ってしまうものだと思います。

七誌さん

>心のどこかで「期待している反応を返してほしい」と思ってしまうから

 コミュニケーションをするということは、何かの反応を求めていることですし、
 その中には想像できる反応もあれば想像外の反応もあって、
 嬉しい反応もあれば傷つく反応もあると思います。
 そこはコミュニケーションをしようとする限り、逃れられないことで、
 ただ「よりよいコミュニケーションを模索する」ことしかないのかなと思います。

 もし七誌さんの仰ることの意味が「期待しなければいい」ということでしたら、
 それは「コミュニケーションしなければいい」ということになってしまいそうですし、
 それだと問題の解決ということにならなくなってしまうような気がしますが
 どうでしょうか?

 あるいはまた別の意味で書かれているのかも知れませんね。
 そこはよく分かりませんでした。また教えてください。

パンダさん

先日は、お気遣いいただき、申し訳ありませんでした。
感覚を言語化し、言葉を人に向けて変換することは、難しいです。
至らなさを、反省しています。

パートナーさんは、パンダさんと同じ怒りを、お持ちなのですね。
私はそれを、よかったと感じました。
遣り取りはなくても、同じように感じていると知っていることは、喜びです。

人の怒りには、私は、体の深いところが震え、息がしづらくなります。
誰に向けられていても、自分の存在が脅かされるような、恐怖感を覚えます。
これは、人と共有できる感情でしょうか。

「お互いに感情をぶつけ合うことで、一緒に気持ちを整理して」
のところを、理解したいです。
もし、過去に説明された記事がありましたら、お教えいただけますか?
どうか、お願いいたします。

七誌さんへ、トマトです。

七誌さんの【それは多分、心のどこかで「期待している反応を返してほしい」と思ってしまうからじゃないですかね。】

いや全くその通りです。
その時の心のコンデションやその人の性格により、予想外の言葉が返って来ても「なるほど、そんな見方もあるのか」と、懐に入ることもありますが、日常的に定型は予定調和の上で無防備に会話している、ということをASの人に学びました。

ASの人の何気ない一言にショックを受けたりたじろいだりする・・・という定型の反応は、期待をどれほど広く薄く引き延ばしても追いつかないほどの、はるか彼方の定型の思う「それは違うだろゾーン」から、冷たく突き放されたりバシッと叩かれて痛い、というイメージの
「言葉の選択」「イントネーション」という出力の問題なので、
それを受ける定型としては、慣れも、流せも出来ないところが悩みとなりますね。

また、そこんところをリクエストされてもASの人は苦痛だし。

人は寂しさには慣れるが、苦痛には慣れない。

ここんところが、ASと定型の、双方の一致する悩みだと思います。


コルテオさん

考えていたら、少しタイミングが遅れてしまいましたが、コメントさせて下さい。


>遣り取りはなくても、同じように感じていると知っていることは、喜びです。

コルテオさんは喜びと感じられるのですね。
私もそう感じています。

>「お互いに感情をぶつけ合うことで、一緒に気持ちを整理して」
のところを、理解したいです。

パンダさんのお言葉の「お互いに感情をぶつけ合うことで、一緒に気持ちを整理して」を、私の言葉で表現させていただくならば、「お互いの気持ちを伝え合い、お互いの立場からその時の状況を考えて、一緒に気持ちを整理できたら嬉しい」でしょうか。
ただ、お互いに必ずしも気持ちを伝え合わなくても、その場の雰囲気や、相手の雰囲気を感じることで、調整できている場合も多くあると思います。

私は弱いのかもしれませんが、感情をぶつけられるのは怖いですし、できれば感情をぶつけることも極力しないですめばと思っています。

>人の怒りには、私は、体の深いところが震え、息がしづらくなります。
誰に向けられていても、自分の存在が脅かされるような、恐怖感を覚えます。
これは、人と共有できる感情でしょうか。

私とコルテオさんの恐怖感を感じる程度の違いはわかりませんが、私とは共有できる感情だと思います。

私の伝えたいことが伝わると嬉しいです。
また、何かの参考になれば幸いです。

星さん

「ぶつけ合う」と、「整理して」が、上手く結びつかず、考えていました。
緊張した空気は、争いごとと認識され、鎮めなければと、私には感じられます。
でもきっと、パンダさんのお話によると、必ずしも、そうではないのですね。
理解するには、時間がかかりそうですが、知ることができて、よかったと思います。

怒りに対する怖れは、条件反射のような、発作的な、抑制できない反応です。
皆さんのお話から、私だけでなく、他の人も持っていると、知ることができました。
でも、とても不可解に感じられるので、時間をかけて、見つめたいと思います。
星さん、いつも、寄り添うような言葉をくださり、ありがとうございます。

コルテオさん

お返事をくださり、ありがとうございます。(*^-^)

そうですね。私も緊張した空気は必ずしも争いごとではないと思います。
緊張した空気が、必ずしも争いごとではないと知ることができて、よかったですね。
緊張した空気にも種類があるように思います。

自分自身が緊張していても、その場(相手の人)の見方や感じ方が変わると思うので、その場が、緊張した空気に感じることがあるように思います。

また、相手の人が緊張していても、相手の人の緊張感がわかったり、伝わってくると、自分も緊張してしまうこともあり、その場が、緊張したような空気に感じられたり、緊張した空気になってしまうこともあるように思います。
こんな状況は、争いごとではないですよね。
相手の人が大切な人だったり、大切な状況では、このような状況が、起こりやすくなるのではないのかなと思います。

緊張した空気になる前に、あきらかに口論などがあれば、争いごとの可能性は高くなると思いますが。

怒りに対する恐れの反応もわかります。私にもあります。
こちらも、他の人も持っていることを知ることができて、よかったですね。

どちらのことも、お時間がかかっても、いつかコルテオさんが理解できたり、不可解さが解消されるとよいですね。
そうなることを願っています。

コルテオさん、こちらこそ、いつも誠実なお言葉をくださり、ありがとうございます。

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