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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年1月26日 (日)

メッセージとしての表情

 今朝、歯を磨こうとしたときのことです。洗面台でパートナーが化粧をしていたので、「ちょっとごめん、歯ブラシを取らせて」と言ったら、彼女はめんどくさそうな表情で横にずれました。その表情を見て、ふと「あ、彼女は本当に<純粋に>めんどくさいんだ」と思ったんです。

 どういうことかというと、そういうことは色んな場面で繰り返しありましたので、以前の私は「たったそれだけのことを私に頼まれることがそんなに不快なんだ」と感じて苦しかったんですね。それほど自分は拒絶されているんだ、という思いにもなっていきます。

 その後、どうも彼女の表情は必ずしもそういう私に対する不快とか拒絶を意味しているのではなさそうだ、ということを「頭で」理解しはじめるようになると、彼女のそういった表情をできるだけ「無視」するようになりました。といってもその表情を見てこちらが辛い気持ちになることは完全には無くならないのですが、そこはいわば「蓋」をして「感じない」ようにしていました。

 それが今朝はなぜかは分からないのですが、その彼女の表情は私へのメッセージではなくて、ほんとに純粋に彼女の気分をそのまま表しているだけなんだ、と感じられたんです。それと同時に、これまで彼女のことについて頭で考えてきたことや、皆さんからいただいたメッセージから頭で理解してきたことのいくつかが、なんとなくつながって「腑に落ちる」感じになりはじめたんですね。「あ、なるほど」というか。

 ことばにして書くと、結局今まで書いてきたことの繰り返しになるのかもしれないのですが、その何となく「腑に落ちてきた」内容はこんなことです。

 アスペにせよ定型にせよ、相手の表情が自分に影響することは同じでしょう。たとえば相手の怒った顔を見ると、怖いと感じたり、逆にこちらも怒りを感じたり、そんな感情的な反応が起こるのは、もしかすると強弱とか、そういう違いはあるかもしれませんが、どちらにもあることだと思います。

 ただ、その表情を「メッセージとして受け取り、使う」ということについて、アスペ定型間で結構大きな違いがあるような気がします。定型はたとえば自分が不快な表情をしていれば、相手がそれを自分に対するメッセージとして受け取り、「この人は私に対して不快感を表明しているのか、あるいは助けを求めているのか」といったことを心配し始めるだろうと自然にそう理解します。

 だからそこで誤解が生まれないように説明を加えてみたり、あるいはあえて不快感を隠して相手にメッセージを送らないようにしたり、ということをしばしばやっています。それは相手に心配をかけないための心遣いといった場合もあれば、「政治的」な駆け引きの場合はあえて偽の表情を作って相手を欺こうとしたりすることもある。

 アスペの方の場合、定型社会の中で生きていくためにはそういう「場面に応じた表情」や表現のパターンを一生懸命に学んで、それを頑張って使ってなんとか乗り切らざるを得ないことになるようですし、それが難しい場合には周りから排除されたり、そうすることに疲れ切って閉じこもりがちになられたり、鬱になられたりすることが多いのでしょう。

 ですからもしそうだとすれば、表情をメッセージとして受け取って使うことは、定型にとってはとても「自然」なコミュニケーションスタイルで、アスペの方にとってはとても「不自然」な、無理をして学び、やらなければならないコミュニケーションのテクニックだということになります。

 私が想像するに、アスペの方から見れば、定型のそういう「メッセージとしての表情のやりとり」は、とてもわかりにくいし、場合によってとても不誠実なものに感じられるのではないでしょうか。なにしろ表情がその人の素直な気持ちを表すとは限らず、しばしばとても「政治的」に使われ、相手を結果として「騙す」という「不誠実」な技にもなるからです。私のパートナーの場合は子どもの頃、他の子どもが「ニコニコ」しながら自分を虐めてくるので、そのニコニコした表情に騙されて相手が悪意を持っていることが理解できず、虐められていると気づくのが随分と時間が経ってからだったと言いますが、それも同じ事でしょう。

 定型の側から言えば、そういう表情は確かに相手を騙したりするときにも使われますが、相手のために気を遣う場合にも使われますし、逆に言えばそこで気を遣う表情がない場合には自分が見捨てられたようにも感じたりしますから、それを「メッセージ」として読み取ること自体は誠実か不誠実かには直接関係ないことだと思えるのですが、多分そこの感じ方はお互いに異なっていそうです。

 それで、話を戻しますと、アスペの方にとっては表情を相手へのメッセージとして扱うことは「不自然」なこと、場合によってとても「不誠実」な、「他人行儀」な「社交辞令」の世界でのことですから、家族のような関係の中ではそんな世界に生きたいとは思えないとしても不思議はありません。そうすると、そこで生まれてくる表情は、「相手にどう読み取られるか」ということとは関係なしに、ほんとに素直に自分がそのときに感じている快不快の感覚がそのまま現れたものになる。

 だからたとえ不快な表情をしていたとしても、それを相手から「自分のことを非難している」とか理解されることは「思いも寄らない」ことになるでしょうし、また「助けを求めている」と理解されることも「意外なこと」になるかもしれません。そこには相手に対するメッセージの意図は全然無くて、ただ素朴に自分の気持ちの状態が現れているだけだからです。

 こういう理解が正しいのかどうか、単に私の想像に過ぎませんからよくわかりませんが、仮にそうだとして、そういうアスペの方の感じ方を定型が実感として理解することはかなり大変な作業でしょうね。それほどに定型にとって「表情をメッセージとして受け止める」ことは骨身に染みて自然なことになってしまっていて、「メッセージではない表情」というものを感覚的に理解することが難しいと思うからです。

 その難しさは、たとえば立場を逆にしてみて、定型が他の人がいるところで、一切その人の反応を気にすることなく、自分の感情状態をそのままストレートに表わすことができるかどうかを考えてみるとわかると思います。「相手に自分の表情がどう見られているか」ということを全く意識せずに自分を表すことはものすごく難しくはないでしょうか。それほどまでに定型の表情というのは「相手の受け取り方・反応」に縛られてしまっていると思います。

 かといって全く不可能かと言えば、そこは可能性はある程度あるようにも思えます。その理由は、ひとつには定型同士の場合でも、「気の置けない」関係では多少なりとも「正直に自分の感情を表す」ことはありうるからです。ただ、定型の場合「親しき仲にも礼儀あり」というのも絡まってきますから、それが完全にアスペの方の感覚と同じとは言い難いところもありそうですが、少なくとも「気の置けない関係」を手がかりに、ある程度想像することは可能かもしれません。

 もうひとつの理由は、今回私がふと「あ、これってほんとに<純粋>にめんどくさいんだ」というふうに感じられたことです。まだちょっとですが、「私へのメッセージとしてではなく、単に本人の気持ちの状態が現れただけ」という受け止め方ができはじめた感じがしたので、もしかするとその延長上に、もっとそういう受け止め方が自然にできるようになるかもしれないという「可能性」を感じたからです。

 まあ、「メッセージとしての表情」についてのアスペ定型間の受け止め方のズレについて、上のような理解がそもそもずっこけていたとすれば、この話は全部ずっこけてしまうわけですが (^ ^;)ゞ、 ま、右往左往しながらのひとつの理解の過程として「こんな風に考えると分かるような気がした」という話として書き留めておきたいと思います。

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コメント

トマトです。

定型は、「おはようございます」「ありがとうございました」などのほんの短い会話にも、相手の無表情や怒ったまま変化しない顔には、どーしても不快や不安を感じるものだと思います。

でも定型が、相手が自閉圏の人やメンタルな人で、表情のコントロールが苦手なのだという理解を持っていれば、それは了解に傾くでしょう。

私はここの点を、学校学習や広告などで「無表情の人、表情が変化しない人の中には、表情のコントロールがつかない人も居るのです」という理解を促すことが必要で
そういうところからASへの理解の道をつけてくれないかなと思っています。

トマトさん

>定型が、相手が自閉圏の人やメンタルな人で、表情のコントロールが苦手なのだという理解を持っていれば、それは了解に傾くでしょう。

 およそ定型の常識の中では、そういう人がいらっしゃること自体、
 普通は想像もしないことだと思うので、
 そういうことが現実にあるということを知るだけで、
 大事な一歩になりますよね。

 もし現実に1、2%の方がそうなのだとすれば、
 世の中には普通にそういう方たちが生活されているわけですから、
 ほんとにある意味で「普通のこと」として、みんながそれを理解する
 ということが大事になりそうですね。

 ばんです。久々に書き込みさせていただきます。
 洗面台という言葉に反応してしまいました。

 ある朝、洗面所に行く扉がしまってたので、中で歯を磨いているわがパートナーに、「洗濯物取らせて(洗濯機が洗面台の奥にあるので)。」と私が言うと、「歯磨きしてるから無理(扉を開けられるのは)」と言われました。本人が裸でいたわけでもないのに!
 それでも私がしつこく、「洗濯機のアラームが鳴ったので、中にある洗濯物を干したいから。」といって無理に戸を押し開けようとすると、扉の裏側に立ち、足を踏ん張ってでも私が扉を開けるのを阻止しようとしましたよ。
 
 ある時は、「掃除機かけるから、ちょっとそこどいてもらえる?」とリビングに寝そべって漫画を読んでいる彼に言うと、顔が突如こわばり、体に力を入れてその体勢を強固に保ったまま漫画を読み続けようとします。命令には従わないぞという態度を表してるのでしょうか。

 こういった行動を見ると自閉症のグループなんだなと思わずにいられません…。最中のことを中断されるのが、すごく不快なのですね。
 とはいえ、私の方も、その彼の気持ちを察して、“ここはしばらく待ってあげましょう”という優しい気持ちになれないのです…。きっと、他人のASの方には譲ってあげられるのかもしれませんが。

 後日、なぜそのおかしな行為を改められないのかと彼に問いただしても「そんなおかしなこと僕がするわけがない」と言います。彼の中にその記憶が残っていないのです。

 パンダさんのように、パートナーの表情を無視出来るようになる、理解できるようになってこられたというのはすごいことですね。私はそのサッと変わる彼の表情を目にする度に胸の奥がグッと痛みます。

ばんさん

 お久しぶりです。

 拝見していて、男性が定型の場合と女性が定型の場合の
 「社会的な力関係の違い」みたいなものもあるかもなあと思いました。
 女性が定型の場合の方がある面で不利なことが多いかも。

 「パートナーの表情を無視できるようになる」ということについては
 単純に「話をするとき目を見ないようにする」とか、そういうレベルの話です (^ ^;)ゞ
 見てるとその表情にこちらが辛くなるので、それを避けてます。

 特にある程度じっくり話をしたいときなどは
 ソファーに横になって目をつぶって話をするスタイルが
 すっかり定着しちゃった感じがします。
 パートナーにはもうひとつ評判が良くないようにも思いますが…… (^ ^;)ゞ
 
 理解についてはたしかにひとつなんか進んだ感じはしています。
 しんどいときや腹の立ったときにも笑顔でいなければならないというのは
 定型でもなかなか辛いことですけれど、
 たとえ親しい間でもそういうことを完全に捨てきれないのが定型で、
 アスペの方はそこは本来すごく素直に生きられていて、
 社会的にしょうがないときだけ無理して周囲に合わせていらっしゃる。

 そういう私の見方は単純化しすぎているかもしれませんが、
 なんかそういうふうに考えると、私には彼女のことも分かりやすい感じはするんです。
 家族だからこそ、「無理に合わせる」ことには抵抗感がある、ということも。
 もちろん「無理」というのは、彼女にとって「無理」という意味で、
 私にとっては逆に「自然なこと」だったりするわけですけどね。
 その私にとっての「自然」が彼女には「無理(不自然)」なんだ、ということが
 なんとなく実感されてきた感じがしています。まだ中途半端ではありますが。

トマトです。

パンダさんの奥様との会話で
『じっくり話をしたいときなどはソファーに横になって目をつぶって話をする』

すごい! 定型同士では、まずあり得ない形ですね。
各家庭やカップルごとの・・・と言えないレベルの個性。
でも、一般的に理解してもらえそうにない「二人だけの流儀」というのは、ASと定型のカップルや家族には生じるし、必然だと思います。

私も、ASの人の表情にマイナスの感情が動いてしまったら、できるだけ、ASの人の隣に座ったり、視線を相手のアゴに当てて話すようにします。

相手がAS・定型に関係なく、関わりたかったらなんらか自らを工夫しないとつらいですものね。

パンダ さま

少し引用させて頂きの質問です~

>「ちょっとごめん、歯ブラシを取らせて」と言ったら、彼女はめんどくさそうな表情で横にずれました。その表情を見て、ふと「あ、彼女は本当に<純粋に>めんどくさいんだ」と思った

>ふと「あ、これってほんとに<純粋>にめんどくさいんだ」というふうに感じられたことです。まだちょっとですが、「私へのメッセージとしてではなく、単に本人の気持ちの状態が現れただけ」という受け止め方ができはじめた感じがした

これってパートナーさんが「面倒だ」と言ったのですか?それとも、文章にあるようにパンダさんがそう感じたのですか?または、過去に確認したことがあり「面倒だから」と言われた経験からの推測ですか?

ふと、アスペさんの「予定変更でパニック」から派生する問題じゃないかなぁって。。。

定型さんは色々なことに対して切り替えがスンナリだけれど、アスぺさんは切り替えが難しく、定型さんからしてみれば急ではないことでも、急だと感じ、切り替えが上手くいかないのではないかなぁって。

「嬉しい」を顔で表現しにくいアスぺさんが、「面倒だ」(と私は思っている)を顔で表現できるとは思いがたい感じがしたのですが、いかがでしょうか?

因みに私はスンナリ移動する(物理的に対応出来る)し、その行動に対して何の感情も湧きません。「どいて」と言われた先にある思考は、移動するために納得する理由があるかどうかと、移動しても大丈夫なスペースがあるかどうかの検討です~

トマトさん

>すごい! 定型同士では、まずあり得ない形ですね。

 あ、そうですね。言われて気がつきました。私も他の人には絶対しません (^ ^;)ゞ
 横になるのは身体の力を抜くためです。何を言われても、できるだけやわらかく
 うけとめられるように、身体の力を抜くんですね。
 で、ショックを受ける表情を見ないように目をつぶっておく。
 だいぶ効果があったように思います。

アスペルガールさん

>ふと、アスペさんの「予定変更でパニック」から派生する問題じゃないかなぁって。。。

 !!!
 まさにそんな感じがします。
 「面倒だ」と書きながら、なんかちょっと違うんだよな、と感じていたんですね。
 そこをアスペルガールさんにうまくことばにしていただきました。
 パニックと言ってもほんとにかすかな小さなことなんですけど、
 そちらの系統の話だと感じます。
 

そちらで、良かったです(´▽`*)

ワーキングメモリの関係かなぁって。

例えば、時速100kmで車を走行させていたとして、前の車との車間距離が100kmほどあれば、車線変更もスムーズにいくかと思います。でも、目の前に霧が掛かっていたとしたら、実質的な車間距離は100kmなんだけれど、霧のせいで、車線変更を行うことに対して純粋に「戸惑う」と思うんです。

そしたら誰だって助手席の方への配慮なんか吹っ飛んで、とにかく安全に走行させる方に集中せさるますよね、今回の事例もきっと同じです~

----------------------------------------

このブログをチラチラ読ませて頂くことにより分かってきたような気がします。定型さんがアスぺさんに対して「感情」とか「気持ち」が・・・とされる推測は残念ながら取り越し苦労となってしまい、多くの場合に定型さん自身の自尊心を失いかねませんよね。

1000以上の症例をお持ちの精神科医米田先生の本にあった一節です。

>(アスペルガー者は)怒りなどの感情が堰を切ってあふれる直前まで、自分の不快さを意識できていないために、怒りを小出しにするとか・・・(中略)相手のことをずっと不快に感じていても「自分が不快に思って怒っている状態にある」こと自体がアスペルガー者の意識に上っていないので・・・

アスぺさんは自分の感情が分かりずらいとあり、それを米田先生は「内部感覚として自己の感情を捉えるのに失敗していると予測」しておられますが、私も同感です。(神経系の脳の障害と呼ばれる所以です。)

そして、パンダさんに「気持ちの整理」で聞いて頂いた説明も同じ意図でした~
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-f636.html#comment-104510595

もう少し具体的に書くと、アスぺさんの表情のこわばりについて、定型さんは、自分に向けられたものでないとしても、「感情を表しているサイン」と解釈しておられます。

パンダさん
>「ちょっとごめん、歯ブラシを取らせて」と言ったら、彼女はめんどくさそうな表情で横にずれました。その表情を見て、ふと「あ、彼女は本当に<純粋に>めんどくさいんだ」と

トマトさん
>私も、ASの人の表情にマイナスの感情が動いてしまったら、できるだけ、ASの人の隣に座ったり、視線を相手のアゴに当てて話すように

とありますが、

アスぺさんは定型さんのような感情バラエティがない事は確かで、しかも、表情で感情を伝えるということすら知らないくらいで、自分の感情に気づく事が難しいとしたら・・・いかがなものかなぁと。

色々な問題の絡まりがほどけそうな気がしました。

トマトです。
アスペルガールさん、私の言葉足らずでした。

「私も、ASの人の表情にマイナスの感情が動いてしまったら、できるだけ、ASの人の隣に座ったり、視線を相手のアゴに当てて話すようにします」
                     ↓
「私も、ASの人の表情を見て、自分自身マイナスの感情が動いてしまったら、自分からできるだけ、ASの人の隣に座ったり、視線を相手のアゴに当てて話すようにします」
という主旨でした。

アスペルガールさんのコメント
「定型さんがアスぺさんに対して「感情」とか「気持ち」が・・・とされる推測は残念ながら取り越し苦労」
というのは、本当にそうですね。

◇トマト さま

補足ありがとうございます。
また、何時も色々教えて下さったり、丁寧に接して下さるご好意に感謝です!

あぁ、なるほど、トマトさんご自身の感情描写だったのですね(・∀・)

 そっかぁ、
 「私も、ASの人の表情にマイナスの感情が動いてしまったら・・・」には、
 『表情に』とあるので確かにそうです。
 
 私の解釈だと、
 「私も、ASの人の表情にマイナスの感情が動いてしまったら・・・」には、
 『表情が』となりますもんね。

くぅぅ~私が学校のテストで、短い言葉で書かれた設問の意図が汲み取れず、点数が取れなかった訳です・・・。小学生の時にトマトさんに出会えていたら!!!(笑)


アスペルガールさん

>アスぺさんは定型さんのような感情バラエティがない事は確かで、しかも、表情で感情を伝えるということすら知らないくらいで、自分の感情に気づく事が難しいとしたら・・・いかがなものかなぁと。色々な問題の絡まりがほどけそうな気がしました。

 ここはひとつの大事なポイントだと私も思っていて、
 たとえば「うれしい」という感情のことばは「私がうれしい」「彼がうれしい」
 「彼女たちがうれしい」から「犬がうれしい」まで、自分についても他者(犬)についても
 だいたい同じように使われるわけですよね。
 
 そういう意味で、「私の感情を言葉で理解する」話と、「他人の感情を言葉で理解する」
 話と、さらに言えば「私の感情に気づく」話と、「他人の感情に気づく」話と、
 そして「表情で自分の感情を伝える」話と、「他人の表情から感情を読み取る」話は
 多分一体のものなんだと思います。

 一体のものだからこそ、アスペルガールさんが書かれていた(?)
 「主語がない」といった、 「誰がそれを感じているのか」の区別が
 曖昧になるような状態では
 いろんな混乱が生まれてしまうのだと思うんですね。

 えっと、アスペルガールさんの書かれた意図とずれていたらごめんなさい (^ ^;)ゞ

 

◇パンダ さま

あ!!!( ;∀;)えっと、

感情認識についてと、私が言葉に弱いのと、脳と主語の関係は別扱いなのです~
(大きな概念では同じになるのかもですが今回のお話は別という意味です。)

感情認識については、
脳の神経回路等の問題じゃないかなぁって思っています。(感情を感情として認識する神経回路が上手く働いていない感じです。)

私が言葉に弱いのは、
アスぺさんに共通することではなく、私がLD入っているので、「て・に・を・は」を扱えなかったりすることがあるのです。だから、文章から汲み取る能力が低くなったり、文章を上手に書けなかったり、そもそも、文字の羅列が辛かったりするのです。

 改行(空白の少ない)のない文章は文章のまとまり自体が模様にすら思えます。。。

脳と主語の関係は、
「脳 主語 理解」で検索して頂けると早いかもです。色々と勝手なあやしい3次情報(1次情報とは論文)がたくさんヒットします~

パンダさんが「脳 主語 理解」で検索して下さったことを前提としてお話を継続させて頂くと、

この話題については、脳科学者の茂木さんに確認した方までいらっしゃるのですが、茂木さんは原論文がないと何とも言えないと回答しておられます。だから、私も正しいとは言い切れないと思っているのですが、、、

身に覚えてありまして。
確かに、人を悪く言うことにより自分自身が苦しくなる実感があるのです~

だから、AさんがBさんに怒っていたら、私も一緒にAさんはヒドイよね、というというよりは、Aさんの良い所を説明したくなり・・・私がBさんに「あなたはAさんの味方なのね、共感してくれないなんて思い遣りがない」と言われるという(苦笑)

昔Love Storyとうドラマで、
 加藤晴彦さんにフラれた中山美穂さんを豊川悦司さんが慰めるシーンがありました。

 その慰めとは、
 1)加藤晴彦さんって最低な男だと2人で一夜かけて言い合い、
 2)ひとしきり加藤晴彦さんの最低さを言い合った(書き出した)ところで、
 3)でも加藤晴彦さんって本当に2のように最低?と豊川悦司さんが中山美穂さんに聞き、
 4)あまりにも2が酷過ぎたこともあり、
   中山美穂さんが「私にも悪いところがありました」「加藤晴彦さんはイイ奴です」
   と認めるに至るというものでした。

最終的に、「私にも悪いところがありました」「○○さんはイイ奴です」認める至る怒りの共有?を求めているのであれば、望みませんが行います。ただ、それには、一夜くらい掛かってしまうと思っていますし(普通はそんなに時間を掛けないと思うので)、相手が悪いままで終了させるのでれば、したくないのです(-.-メ)

何故なら、人を悪く言うことにより自分自身が苦しくなる実感があるからです~

アスペルガールさん

 ちょっと注目ポイントがずれたかも (^ ^;)ゞ

 「脳 主語 理解」でひとつ見てみました。
 古い脳は主語を理解せずに、自分のことと相手のことを混同する、
 それを整理するのは新しい脳だ、というような話ですよね。

 (多分)アスペルガールさんが注意されているように、
 これはちょっと大雑把過ぎるなあと思いました w(゚o゚)w …… (^o^)。

 多分この場合の「主語」は「主体」と言い換えた方がいいんでしょうけれど、
 (主語というのは言葉の世界の話で主体は必ずも言葉が無くても想定できるので
 ……仏教の無我の話とかになるともうちょっと丁寧に考えないといけないですが)
 古い脳が自分と他人の関係を理解できないというのは「?」です。
 だってたとえば魚でもワニでもいいですけど、
 ちゃんとケンカしますよね。自分と他人(他魚?他鰐?(^o^))を混同していたら
 ケンカが成り立ちませんから、その言い方はなんかうまく言えてないでしょう。

 むしろアスペルガールさんが書かれている
 「人を悪く言うことにより自分自身が苦しくなる実感があるのです」
 という説明(?)の方が私にはすっきりと分かる感じがします。
 そのことは別に古い脳がどうとか関係なくすっきりと伝わってくる印象です。

 以前、「共感」とか「感情理解」についての話の中で
 何度か二台のピアノの「共鳴(共振)」のことを例に話をしてみたことがあります。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-29e2.html#comment-84292352
 とか
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-114e.html#comment-99982444
 とか……

 二台のピアノの一台でたとえばドの音を鳴らすと、
 もう一台のピアノのドの弦が震えだして、それも音を出し始め、
 その振動がまたもとのピアノに伝わって二台とも一緒に弦を振るわせ続ける、
 というような「共振関係」のことです。

 もし定型アスペの「違い」を強調してその例をたとえ直すとすれば
 たとえばギターとマンドリンで同じ音を出して共振させた状態を考えてもいいです。

 そしてこの話をアスペルガールさんの
 「人を悪く言うことにより自分自身が苦しくなる実感があるのです」
 につなげて説明すると、
 「他者に向けられた感情と自己に向けられた感情が混同する」
 という話だと思うので、言ってみれば自分(ギター)が相手を鳴らしているのか、
 相手(マンドリン)が自分を鳴らしているのか、
 あるいは自分(ギター)の出した音が自分(ギター)を鳴らしているのか、
 そこを区別して理解することができない状態とは考えられないでしょうか。

 もしこのたとえ話にある程度納得していただけるとすれば、
 「大きな概念では同じになるのかも」
 という部分の話になっていくように思います。
 私の勘違いかもしれませんが、多分アスペルガールさんが強調されていることと、
 私が書いたことはつながっているように感じます。

◇パンダ さま

ご返信ありがとうございました。

少しゆっくり熟読してみまーす!!!
しばしお待ちを m(_ _)m

---------------------------------------------

 もし・・・良かったらのお願いです。
 
 「以前の記事はこちらから」に2013年1月以降のリンクを、
 お願い出来ると大変嬉しく思います。 
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/list.html
 
 私個人の学びをスムーズにしたいだけなので、
 お忙しかったり大変だったりであれば聞かなかったことにしてください。

---------------------------------------------

アスペルガールさん

 さぼっていた目次作りをやりました。ご利用下さい。
 それにしても私のタイトルは見ても中身が分かんないものばっかり (^ ^;)ゞ

◇パンダ さま

ありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
勉強させて頂きます。

ヾ(*゚ー゚*)ノヾ(。。*)ノヾ(*゚ー゚*)ノヾ(。。*)ノ バンザーイ!!

◇パンダ さま

遅くなりまして・・・(>_<)

>自分と他人(他魚?他鰐?(^o^))を混同していたら
ケンカが成り立ちませんから、その言い方はなんかうまく言えてないでしょう。

  確かに(笑)
 他魚?他鰐?・・・・・他猫?もありますね(笑)

そういえば、私、「大きな概念」がとても好きなんです!!!
ということで自分なりにまとめてみました。

>「主語がない」といった、「誰がそれを感じているのか」の区別が
>曖昧になるような状態ではいろんな混乱が生まれてしまう

 これは、もしかしたら感情が認知される際に行われることなのかもしれません。

※パンダさんの意図とズレていたら申し訳ございません。

----------------------------------------------------

人の体が食物を食べて排泄しなくては生きていけないように、
人の脳も「何か」を得て「何か」を出す行為を求め、
その脳が求める「何か」とは一般的に感情と呼ばれているものです。

定型さんには他者循環型感覚刺激交換システムがあるので、
感覚刺激により受け取った刺激が感情に変換され循環されます。

アスぺさんには他者循環型感覚刺激交換システムが無い、又は上手に働かないために、感覚刺激により受け取った刺激が感情に変換されず、あくまで身体的生理反応レベルにとどまるために"何か入ってきたけど「?」"となりがちなのです。

 他者循環型感覚刺激交換システムとは?
 ※私が創作しました(笑)
 ※アスぺさんの神経回路仮説とか呼ばれるものを少し改造したものです。

 ◆◆
 ◆◆

  感覚刺激を感情に変換することにより「自分と他者」を別々の「個」として認知させ、
  一定サイクルで他者と循環し合わないと病気になる暗黙知で動作するシステム

      定型さん        定型さん

       □□□□        □□□□
  感覚→□◆◆---←能動循環→---◆◆□
  刺激→□◆◆---←受動循環→---◆◆□
      □□□□        □□□□
       ↑           ↑
      自分      他者

能動循環:表情や言葉で感情共有を能動的に他者に促す
受動循環:表情や言葉で感情を受動的に他者から受け取る

血液を循環させる心臓のポンプの働きのように、
ある一定時間毎に循環させないと病気になってしまう。
※病気:カサンドラ等・・・

      定型さん        アスぺさん

       □□□□        □□□□
  感覚→□◆◆-----能動循環→-------□-→-混乱やパニック
  刺激→□◆◆-----受動循環→-------□-→-1人で刺激を鎮める
       □□□□        □□□□
       ↑           ↑    ※全く何も感じない
      自分      他者    タイプの方も居る。
                       (感受性の問題)

この状態は定型さんにとっては「壁に話しをしているよう」になるし、
アスぺさんにとっては混乱するばかりである。

>「他者に向けられた感情と自己に向けられた感情が混同する」
 という話だと思うので、言ってみれば自分(ギター)が相手を鳴らしているのか、
 相手(マンドリン)が自分を鳴らしているのか、
 あるいは自分(ギター)の出した音が自分(ギター)を鳴らしているのか、
 そこを区別して理解することができない状態

 ↑
 例えば、アスぺさんはこんな風な状態となっている。


質問)この他者循環型エネルギー交換システムを持たない、
    アスぺさんはどうなるのか?

回答)暗黙知でそれが感情であると認知されないと共に、
    「自分と他者」が別の「個」として認知されない。

    だから、

    血液を循環させる心臓のポンプのように、
    感情を他者とシェアすることが難しくなったり、
    "何か入ってきたけど「?」"に対処に混乱したり、
    大打撃を受けてしまうこともある。

質問)アスぺさんは感情が無いのか?

回答)定型さんのように暗黙知で感覚刺激を感情に変換出来ないことに、
    代わる方法として意識下で論理的に、
    感覚刺激を感情として認識している。
    ※意図的行為でも繰り返されると意図的でなくなる。

    だから、定型さんとアスぺさんの感情は種類が違うとなる。

質問)人の脳が「何か」を得て「何か」を出す行為を求める対象が、
    定型さんにとって感情である場合の
    アスぺさんにとっての対象とは何か?

回答)アスぺさんは本好きの定説から推測するに、対象とは情報となる。
    または芸術家のような作品作りに没頭する。

質問)では定型さんはアスぺさんと感情共有を諦めるべき?

回答)定型さん同士のようには出来なくとも、
    定型さんにとって感情共有が心臓の血液循環のように大切である事実を理解し、
    何らかの代替え行為を行うことは十分に可能。

    一番問題なのは大切さが分からないからという理由で、
    定型さん側だけの問題として切り捨ててしまうこと。


以前に「感情とことば」にて玄さんがこんな風に書いておられました。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-afef.html#comment-100557844
>一番大きな違いですが、菖蒲さんは「感情」と表現されましたが、僕はこれらを感情とは思っていませんでした。予定外の状況が発生して、思考回路と動作がフリーズし、汗や体の変化がある。このときの失望感を「傷つく」と旦那さんは言ったのだと思いますが、「感情」ではなく、「脳を含めた身体反応」について話されていますよね。
この体の急変は、自分でも異常に思えますし、無視できないので注目・観察します。兆候を見つけて対処すればいいのか、気になるという意味で、僕もセンシティブです。

多分・・・アスぺさんも定型さんと同じものを感じている、
が、それを感情とは呼ばないのか呼べないのかっぽいなぁって。

色々書きましたが、今の私では「コレだ」という確定はお伝えできませんから、
あくまで、定型さんとアスぺさんの歩み寄りに利用できればと思い書きました~

画像がずれてしまいました・・・( ;∀;)

アスペルガールさん

 どうもありがとうございました。
 おかげさまでアスペルガールさんが考えようとされていることが
 さらに分かりやすくなった気がしています。
 それについて思ったことや質問はまた「表現されない表現」に
 いただいたコメントの方に書かせていただきますね。

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