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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年1月19日 (日)

怒りの共有

 コルテオさんから前の記事に頂いたコメントで、私にとって大事なことで考えるヒントをいくつか頂いた感じがするのですが、少し長くなりそうなので、こちらでお返事します。

> パートナーさんは、パンダさんと同じ怒りを、お持ちなのですね。

 これを拝見して思ったのですが、たしかにパートナーも同じ事について怒りを持ってくれています。けれども、「怒りを共有している」という感じにはなりにくい気がします。なんというか、彼女は彼女なりに彼女の理屈で怒っていて、定型同士がよくやるように(多少お互いの怒りの内容や持ち方がずれていたとしても、中心部分が同じと感じられれば)「ほんとにそうだよね!ひどいよね!」と「共感し合う」感じにはなりません。むしろ私がそうしようとすると彼女は「引く」感じになるんですね。そして「違い」を強調し始める。

 ただ、それはお互い様の部分もあって、私も共感できるときは「それはひどいよね」と言えるんですけれど、ときどき彼女がどうしてそのことをそんなふうにそれほどまでに怒るのかが理解できなくて、私の方が驚いてしまって共感できずにちょっと引き気味になってしまうこともあります。

 とはいえ、この場合も彼女の方から「こんなひどいことがあってね」と私に共感をもとめてくるようなことはなさそうに思います。「自分の怒りは自分のもので、それを他人に言うことはあるけれど、共感を求めて言うのとは違う」という印象を持ちます。私の方はちょっと引き気味になっても、やっぱり共感できる部分を探す傾向が強いです。

>人の怒りには、私は、体の深いところが震え、息がしづらくなります。誰に向けられていても、自分の存在が脅かされるような、恐怖感を覚えます。これは、人と共有できる感情でしょうか。

 たとえば鬱状態がひどくなってくると、他の人からのはげましや気遣いのことばでさえも(それがそういうものだと頭では分かっていても)逆に負担になったり、逃げ出したくなったり、ある意味では恐怖感に近いものを感じる、ということは定型でもありそうに思います。

  ですから、「もうどうしたらいいかわからない」というような、激しく追い詰められた状況に置かれると、人間は色んなことに対して「恐怖感」を抱いて自分の中に閉じこもろうとする傾向があるんじゃないでしょうか。その点はアスペ定型どちらにも共通することかもしれません。


>「お互いに感情をぶつけ合うことで、一緒に気持ちを整理して」のところを、理解したいです。もし、過去に説明された記事がありましたら、お教えいただけますか?どうか、お願いいたします。

 すみません、自分で記事を書いていながら、過去に何を書いたかすっかり忘れていることが多いので (^ ^;)ゞ、 とりあえず「感情の調整」でこのブログ内を検索してみたら、次のような記事が出てきました。ぴったりかどうかは分かりません。

感情を意識すること: アスペと定型

薬と人生のスタイル: アスペと定型

言葉の力: アスペと定型

「切り捨て」か「切り分け」か: アスペと定型

淡い共感の力と蔭: アスペと定型

頭の理解、気持ちの理解: アスペと定型

 「感情をぶつけあう」で検索したら他に以下も出てきました。

怨みをどうする?: アスペと定型

アスペと定型: 2011年4月

 なにか手がかりとしてお役に立てばいいですが……。

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コメント

◇パンダ さま

怒りの感情シェアについて超個人的意見を書いてみました。

私の意見はASだからというか精神的な問題な気もしつつ、

>「ほんとにそうだよね!ひどいよね!」と「共感し合う」感じにはなりません。むしろ私がそうしようとすると彼女は「引く」感じになるんですね。

私は「ケンカ」とか「言い合い」のない世界で育ちました。

母がおっとりしたタイプだったせいもありまして、家族とも、「ケンカ」とか「言い合い」をした経験がありません。(今までにも”感情をぶつけ合う”ということは避けてきています。)

だから、以前にパンダさんにお伝えしたように、心が大きく乱れている(心電図のようなギザギザが大きな)感情というものに触れると、『恐れ』だったり、『恐さ』だったりするものを感じます。

例えば、性的暴行にあった女性が一時的に外出するんが怖くなる・・・
といったニュアンスのものが生じてしまいます。

それと同様に、”関わりを避ける”という選択肢以外を取れなくなってしまうのです。

以前に記事「細い糸」で書いたことにも通じます。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/post-1485.html#comment-102910829

怒りの感情シェアするとは即ち自分の中に、大きく乱れている(心電図のようなギザギザが大きな)感情というものを「取り込む」ことですから、精神がモタナイとなってしまうのです。

◇トマト さん

お久しぶりです、こんにちは。

もし・・・読んでくださっていたら、トマトさんに教えて欲しことがあります

コルテオさんが書いて下ったこの文書なのですが、

>人の怒りには、私は、体の深いところが震え、息がしづらくなります。誰に向けられていても、自分の存在が脅かされるような、恐怖感を覚えます。これは、人と共有できる感情でしょうか。

私にも思い当たることがあり、例えば、女の子の異なったグループ同士の反発だったり、職場の上司へのグチなどを自分のことのように感じて大変なことが多々ありました。

ASの本に、ASには怒りが他者に向けられているものであっても、自分のことのように受け取り、パニックっぽくなるタイプが居ると読んだことがありまして、

さらに、脳の内側は「主語が認識できない」とか聞いたことがあります。
(私が調べてもNSPとかしか出てこなくって情報が怪しかったのです。)

だから、一般的に人が意識で感じていない、脳の部位で感じとっていることが原因のかもしれないとか思っているのですが・・・何かご存じであれば教えてほしです。

何か可笑しな質問であれば申し訳ございません!

アスペルガールさんへ。

怒りについての専門知識に乏しいので
これは全く我流で(医学的裏付けや、専門的な根拠のない)自分の判断材料にしている考えを述べさせて頂きます。

他者の怒りの感情、怒りの声や表情を見たり受けたときのASの人の場合・・・
その声や表情や動作なのどの「その瞬間の場面」にフリーズしてしまう印象があるのです。
その原因はASの人の「突発的な出来事に判断力が追いつかない」「ストレスに弱過ぎる」「ストレスを他者と分け合うことが苦痛の軽減につながらない」という特質が関与していると思っています。

例えば、誰かが口論していて「とうとう怒鳴ったり、机を叩いたり、ものを投げたり」したとき

それまでのいきさつを定型は認識していますから、脳のどこかで「これからさらに悪化するかも」という警報が「予感」として鳴っていて、いざその時に至ったとき、咄嗟に両者の仲にわってはいり喧嘩を止めようとしたり、咄嗟に視線をそらして沈黙することで我関せずのポーズで身を守ろうとしたり・・・さまざまに「その怒りとの距離感」を本能的にとろうとします。
しかし、ASの人はそのような防御・調整の力が弱いと感じるのです。

また、唐突に誰かが大声、暴言で怒りを爆発させたり、突然、身に覚えのないことで、至近距離でにらまれたり、叱責されたり・・・そういう「自分に怒りを向けられた時」は定型も驚き、呆然となったりします。
が・・それだけでは終わらず、原因を知りたいという【欲求】が出てくるし、原因により「誤解を解きたい」「謝りたい」「説明したい」「仕返ししたい」「今後は避ける」などこれまた【自己の欲求や意志】が出て来ます。
そしてそれをなんとか実行しようとしたり、だれかに相談することにより解決の方法を探したりして、ストレスを解消しようと行動します。
しかし、ASの人はそういった欲求が少なく、欲求があったとしてもどうやって行動したり伝えたらよいかのすべを身につけられないように感じるのです。

他者の負の感情を受けて対処するには、共感力とか調整力とか経験値や謙虚な受け入れの気持ちや包容力や勇気などさまざまな武器が必要だと思います。

なぜ相手はこれほどまでに怒っているのかという、理解と
「なるほど、わかるよ、怒るのも当然だ」という相手への「肯定ありきが落ち着きをもたらす」というノウハウと「でもね、ここは落ち着いて」という調整と、あとはその人が後々、怒ったことを省みるまでの「寄り添い」の会話が必要で
それは、相手にするだけではなく、過去に自分もしてもらったから、これからしてもらうかもしれないから・・という「お互い様」の関係なのです。
家族、親戚、地域、学校、サークル、職場などさまざまな場所でいろいろな「怒り」の取り扱いが日常的に行われています。

その関係性に届かないのが赤ちゃんや子どもや、心身の弱った人で。
その関係性からこぼれおちてしまいがちなのがASの人。
と、私は考えています。

人の怒りや悲しみや不満という「負」の感情を自分に向けられることは衝撃やストレスをともないます。第三者の立場で見ていても強いストレスを感じます。
ASの人は、その都度それを自分独りで吸収してしまうし
衝撃やストレスに抵抗力が出来にくい特質があるように思えるのです。


私はそういうふうに、自分勝手にASの人を理解していて、だから定型流叱責を受けているASの人には「ただただ混乱だろうなぁ」とか、怒鳴られたASの人には「パニックになってないだろうか」と気がかりです。

なんだか、的を射たお答えになってないようで、すみません。


◇トマト さま

わぁ∑o(*'o'*)o
ご丁寧にありがとうございました!

えっと、私の質問の仕方が良くなかった事と、トマトさんが丁寧に書いて下さった回答を受けて、私がお伺いしたかった概念自体が、もしかすると、定型発達の多くの方には無いのかもしれないと感じました。

 定型発達の方は元の自分の心の状態を保ちながら、
 怒り(を含めた様々な情動)の共有をされているイメージがあります。

 図にするとこんな感じで、

 ■が怒りの心の状態
 □が元々の心の状態

     アスぺ     怒りのある人    定型

   ■■■■■   ■■■■■   ■■■□□  どのくらい■に
   ■■■■■   ■■■■■   ■□□□□  染まるのかは、
   ■■■■■   ■■■■■   ■□□□□  個人差(繊細さ)と、
   ■■■■■   ■■■■■   ■■■□□  相手との関係性に依る。

 AS(の何割か)は強い怒り(を含めた様々な情動)に触れた時に、
 自分の心の状態が相手の心の状態と同じになってしまうのです。
 (□一色で埋め尽くされたままのタイプもいらっしゃいます。)

また、今回はテーマが怒りなのですがHAPPYな情動にも同じようなことが起こります。
相手の喜怒哀楽に自分自身が飲み込まれてしまう感じであり、
「誰かに怒りを持つこと」と「自分に怒りを持つこと」とはイコールの関係です。

例えば、多くの人には「合う」「合わない」という概念が当たり前かのようにあり、特に若い女の子なんかは排他的だなぁと感じることが多いのです。

 生物学的に女性は子供を残す役目があるので、
 危険を回避するためにもグループ意識のある子以外に排他的になる
 というのは真っ当だとも思っていますし、

 逆に男性には強くあれという社会的役割があるので、
 他者と”戦う”ようなことが必要なのも真っ当だと思っています。

そうゆう私にも、今まで数少ないながら拒否反応を示すような方が居て(中学生とか高校生の時です)、自分の中にハッキリ相手に対して「嫌い」という感情があったのを覚えています。

でも、その相手を嫌いと思ってしまっている状態というのは、とても苦しかったんです。

でで、『脳の内側は「主語が認識できない」とか聞いたこと』があって、
トマトさんなら何かご存じかなぁと思いました~

脳の内側とは潜在意識的なものをさし、主語が認識できないとは、
「あなたは最低な人間だ」と「私は最低な人間だ」がイコールとなるというニュアンスです~


>いざその時に至ったとき、咄嗟に両者の仲にわってはいり喧嘩を止めようとしたり、咄嗟に視線をそらして沈黙することで我関せずのポーズで身を守ろうとしたり・・・さまざまに「その怒りとの距離感」を本能的にとろうとします。
しかし、ASの人はそのような防御・調整の力が弱いと感じるのです。

確かに!、です。

>しかし、ASの人はそういった欲求が少なく、欲求があったとしてもどうやって行動したり伝えたらよいかのすべを身につけられないように感じるのです。

確かに!、です。

最近、ASの方とお話して「孤独」に苦しんでいる方の存在を知り、”欲求があったとしてもどうやって行動したり伝えたらよいかのすべを身につけられない”という事実に気付かされました。

>家族、親戚、地域、学校、サークル、職場などさまざまな場所でいろいろな「怒り」の取り扱いが日常的に行われています。

もののけ姫で、祟り神になった乙事主さまを救おうとしたサンが、乙事主さまの人間への恨みから派生した祟りに触れたとき、サンは「いやだ、祟り神になんてなりたくない」と言いました。

それと同じように、私としては、怒りを共有するというよりは、自分の中に湧いたその感情の源を自分自身で観察し昇華させる方を選ぶ方がステキな行為だと思っている・・・という価値観です。

 物事を悪く悪く受け取るタイプの方と、
 物事を良く良く受け取るタイプの方との違いは、
 「物理的現実の差」ではなく、「捉え方の差」なのです~

さらに、現在の私自身の関わりがネガティブなものであれば、それも私の責任で、全ての問題において現状を打破する方法は「自分の質を高める」しかないと思っているからです。

トマトさんはそれが出来ていて、
さらに、相手の受け入れる許容もある・・・・・・
そんな気がしました。

 見習わせて頂きます

この度は、ご丁寧な回答をありがとうございました!

アスペルガールさん、すみません。

ご質問の根幹をみのがしていました。

相手の強い感情に飲み込まれる、自分も他者のようになってしまう・・・という点ですよね。

これは、過去に精神科医に聞いた内容ですが
「自閉圏の人の一番の感覚の問題は、自分と相手との境界線が解らなくなることです。
相手と自分とは違うのだ。自分の気持ちとは別に相手の気持ちというものがあるのだ。相手の考えは相手のもので、自分の考えは自分のものだ・・・という境界線が無い、ということです。

これは、他者を自分自身として取り扱うことになり、他者からはオモイヤリガナイと感じられます。
反対に、他者を自分自身として感じることもあるので、まるでヒョゥイされたような様子になることもあります」
という内容がありました。

相手との境界線や距離感という感覚は、どう説明すればよいものか解りませんが、
定型同士であれば、強い共感、まるで我がことのように感じる、という感覚はあっても、アスペルガールさんが言われるほどの「感情や痛みの取り込み」までは至らないと思います。

つまり定型の「ほどほど」感覚と、ASの「極端な」感覚の違いではないでしょうか?

アスペルガールさんのおっしゃった『私がお伺いしたかった概念自体が、もしかすると、定型発達の多くの方には無いのかもしれないと感じました。』
というのは当たっていると思います。

◇トマト さま


お忙しい所、早速のご回答ありがとうございます。

>ご質問の根幹をみのがしていました。

いえ、私の国語力、文章力に問題があるのです。正直に申し上げると最近小学生で習う「ことばの使い方」を改めて学習しようと試みています。(リアルな話です(笑))

>「自閉圏の人の一番の感覚の問題は、自分と相手との境界線が解らなくなることです。
相手と自分とは違うのだ。自分の気持ちとは別に相手の気持ちというものがあるのだ。相手の考えは相手のもので、自分の考えは自分のものだ・・・という境界線が無い、ということ

なるほどぉ、
心の理論的な要素も絡みつつ・・・といった感じなのですね。

参考にさせて頂きます、ありがとうございました!

>これは、他者を自分自身として取り扱うことになり、他者からはオモイヤリガナイと感じられます。

確かに、そうなってしまいますね(._.)

>つまり定型の「ほどほど」感覚と、ASの「極端な」感覚の違いではないでしょうか?

何か、他者と自己を認識するセンサーのような回路が、
断絶されているようにも感じなくもないですが(あ、自分のことなので)、

トマトさんが書いて下さったように確かに極端なんですよね。

まだ勉強し始めたばかりなので、
もう少し自分でも色々調べてみます~

この度は、親切な回答をありがとうございました!

パンダさん

お返事をくださり、ありがとうございます。
変にからまっている感じが、私の中にあります。
ちょっとずつでも、ほどいていければ良いのですが。
お話を手掛かりに、ゆっくり考えたいと思います。

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