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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2014年1月12日 (日)

歩み寄り

 トマトさんや晴子さんに頂いたコメントにお返事をしていて、それから昨晩彼女と話をしていて改めて感じたのですが、私のパートナーは本当に私のことを考えてくれているし、彼女なりにすごく努力をしてくれているんですね。

 そんなに彼女なりの努力を続けてくれているのに、まだうじうじいろいろ考えている私って何なの?ということにもなりそうです。で、何なんでしょうとまたうじうじ考えています (^ ^;)ゞ

 彼女と話していて、ああそうか、と思ったことがあります。それは私が「ここはお互いに一寸ずつ歩み寄ろう」と考えていることと、彼女の彼女なりの努力とのポイントがずれてしまっているということでした。そしてそのズレ方が、多分アスペ定型間に起こりやすいズレのように感じられたのです。

 たとえば、私は以前、彼女が私と話をするときは愛想のない、「むすっ」とした感じでいることが多くて、とても辛かったことがあります(今もその感覚は無くなってはいませんがだいぶ薄らぎつつあるみたいですが)。それが彼女が誰に対してもそうであるなら、まあこの人はそういう人なんだ、という風に割り切ることも出来やすいと思うのですが、ところが仕事関係の電話をしているときとかを見ていると、ちょっと過剰と思えるくらいに愛想良く話しているんです。

 そうすると、私としては「なんだ、この人それが普通に出来るんじゃない」と思ってしまいますし、それにもかかわらず、私に対して「むすっ」としているということになると、これは「私を嫌っているんだ」とか「拒否しているんだ」という理解になってしまったわけですね。そのことでほんとに厳しいケンカになったこともあります。

 ところがこのブログでも考えてきたように、その私の理解は彼女の感覚から言えば全然ずれていて、むしろ私に対して「親しい関係」と思っているからこそ、そういう「むすっ」になるので、「愛想」は親しくない社交辞令の関係だからそうするんだ、ということだったようなのです。(同じようなズレのパターンが晴子さんの「おごり」の話でも出てきたわけですが)

 そのことは頭ではある程度理解できましたが、でも気持ちの上では相手に「むすっ」とされていたら、「なんか私が悪いことして怒らせたんだろうか?」とか「仕事で大変なんだろうか、何か配慮しなきゃいけないんじゃないだろか?」とか「身体の調子が悪いんだろうか?」とか、いろいろ心配にもなってしまいます。それに「笑顔で暖かい団らんのひとときが欲しい」という欲求もあるので、それが全然満たされない辛さが消えません。

 それで、これはトマトさんがうまいこと表現してくださっているように思ったのですが、こんなことを書かれています。「せめて相手がまるっきり期待を持てないような、あきらめのつく風貌をしていれば視覚認知で気持ちがおさまるのにいかにも受け入れてくれそうな笑顔とか、魅力的な考え方とか会話とか、時々は感情の共有ができた感覚が、あきらめを遮って我欲をあおる・・・。」

 つまり、私の場合で言えば、「仕事の関係ではそういうやわらかい楽しそうなやりとりをしている」のを見ているので、「意識的にやればできるわけだから、いつもそうしてとはもちろん言えないけれど、ときどきはサービスでもいいからそういう感じを出してくれないかなあ。」と思ってしまうのですね。もちろん私も沢山を望むことを諦めて、少しで我慢する。それが言ってみたら「歩み寄り」のひとつのやり方かなと思うわけです。

 ところが、これは私の印象でどこまで彼女の思いをうまくつかめているかは分かりませんが、そこのところの「無理に愛想をよくする」ということと、「自然体でむすっとしている」ということとの「間がない」感じなんです。ほんとに1か0かの世界という印象があって、歩み寄って0.5の状態を時々作る、という風にならないみたいなんですね。

 この0.5の話が彼女にはまたなかなか伝わりにくくて、別の例で言うと、彼女がいろいろ身体もしんどい中で家事とかをやっているとき、私の分担以外の所でも手伝いをしようとすることがあるんですが、そのたびにだいたいは拒否されます。理由を聞いても「他にもそれの流れでやることがあるから」とか、私には理解しにくい、本当の理由とは思えないような答えがほとんどだったんですが、最近ようやく違う理由を聞くことが出来ました。

 それは「甘えると歯止めがきかなくなって、そのことで何人も友達を失ってきた」というんです。私の理解では、多分「ああ、この人はいろいろ頼んじゃっていいんだ」と思ってどんどんお願いするようになる。そのとき定型同士なら、相手の反応を見ながら「ここまでは大丈夫」「ここからは遠慮しておいた方がいい」という調整を常にやっているわけですけれども、それが無くてどんどん頼んじゃうんでしょうね。その結果相手がしんどくなって離れていくのでしょう。

 という風に、ここでも0.5がないんです。1か0かという世界になってしまっているように私には感じられます。実際0.5の話を彼女にしても、私が何を言っているのか分からないと言われました。

 そうすると、私の考える「歩み寄り」のひとつのパターンは、私が1を求め、彼女が0を求めているのら、0.5の世界を作ってみたらどうだろう、ということなのですが、そういう形での歩み寄りはどうも彼女にはぴんと来ないらしいのです。(私の説明の仕方とか、応答の仕方に問題があるのかもしれないので、あまり断定はしたくありませんが、今はそんな印象を持ちます)

 別の言い方で言うと、「相手に合わせる」ときは、ほんとに無理をして、「仕事として」そうするみたいな感じになり、「自分に素直になる」ときは「相手に合わせる」部分がほとんど無くなってしまう。そしてその中間がない。ちょっと極端な言い方ですが、分かりやすく言うとそんな印象になります。

 で、そういう「素直な自分」の状態での彼女も、もちろん私のことは考えてくれるわけですが、それは私が何を望んでいるから、ということよりも「これをするとパンダが傷つくことがあるようだから、それはしない」とか、「思ったことをそのまま言うとパンダを傷つけることがあるから、思ってもすぐには言わなかったり、言うのをやめたりする」とか、ひたすら「自分に籠もる」感じの気の使い方になるみたいです。これも私との関係で「お互いに歩み寄って調整し合う」ことにならない、一方的なやりかたに感じられます。

 0.5の調整の世界は彼女にとっては曖昧模糊とした世界で、とてもわかりにくく、そこを求められると困惑し、場合によっては疲れ果ててしまう、ということになるのかもしれません。アスペの方が定型的な人間関係が理解しにくいと言われるとき、もしかするとそこの部分が一番ネックになっているのではないでしょうか。

 すぱっと割り切って考えるアスペの方と、0.5の世界を沢山作って曖昧さを含んだ調整をしがちな定型と、そのやりかたのズレの問題がお互いの「歩み寄り」の問題に大きく絡んできそうな気がします。
(補足です。 アスペの方がすぱっと割り切って、定型は0.5の曖昧な世界を作って、というのは「そういう傾向が強い」という感じかなと思います。アスペの方が少なくとも「意識的」に0.5のやり方を出来ないわけではないし、定型も割り切るときは割り切るわけですが、私の印象で言うと、アスペの方が0.5のやり方をするにはすごく抵抗感が強くて、随分無理をされるような気がします。あくまで私の個人的な印象ですけれど)

 
 
 

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コメント

>0.5の調整の世界は彼女にとっては曖昧模糊とした世界で、とてもわかりにくく、
そこを求められると困惑し、場合によっては疲れ果ててしまう、
ということになるのかもしれません。

なんという発達障害あるある…というか私(PDD-NOS)は今にして思えば、
それが原因で鬱になったんだなあと思えました。
当時はまだ、自分が発達障害であることすら知らなかったので、
余計に疲れ果てるまでのスピードが早かったんだろうなと。
無理をして0.5にしているというのもその通りだとしか言いようがありませんね。
しかも当人はその自覚がまるでないんですよね…
おかげで3ヶ月余り寝たきりの生活を過ごし、
希死念慮の伴う不安定な回復期を経て寛解と言えるところまで一年以上かかり、
そして当時の状況把握にさらに数年かかり…
もう二度とあんな状態を経験したくはないですね。

ここ数年考え続けていたことに、ようやく解答をもらえたような気がします。
どうもありがとうございました。
そして深夜にいきなりの自分語り、大変失礼致しました。

七誌さん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

>ここ数年考え続けていたことに、ようやく解答をもらえたような気がします。どうもありがとうございました。そして深夜にいきなりの自分語り、大変失礼致しました。

 私もパートナーやみなさんのコメントから、手探りで
 「こんな感じではないのかな?」という想像をしているのですが、
 そんな風に当事者の方にとって「解答」になるような内容になっているとすれば、
 私としてはとても嬉しいです。考えた甲斐があります。

 そして私にとってもうひとつ嬉しいことは、
 私の定型的な頭で想像しても、ある程度はアスペの方の考え方を
 理解できる部分があるらしい、ということが分かったことです。
 定型アスペはお互いにかなり感覚も違うみたいなので、
 いくら定型が頑張って想像力を働かせても、
 結局アスペの方からすれば的外れな想像に過ぎないかもしれないわけですが、
 今回のようにある程度納得していただける場合もあるわけですよね。
 だとすれば、これからもいろいろ考えていくことに意味があるように感じられます。

>そして深夜にいきなりの自分語り、大変失礼致しました。

 私にはとても参考になります。
 またいろいろ感想やご意見などいただければありがたく思います。

すみません、昨日は挨拶が抜けていました。
改めまして…はじめまして、よろしくお願いします。
昨日の自分語りが参考になるとの優しいお言葉、ありがとうございます。
私も定型の方の気持ちを理解したくてネットの海を漁る毎日ですが、
まだまだ薄ぼんやりといった感じです。
というか正直言って空回りばかりですが、諦めたらそこで試合終了ですよね。
空回るたびに、健常者同士でも難しいのに、発達障害者が健常者を理解とか
やっぱり無理なのかなーと挫けそうになることもよくありますが、
まだまだ頑張りたいと思います。

これからもちょくちょくお邪魔してはわけのわからないことを
書いていくことになるかと思いますが、その時は生暖かい目で見てやってください。

他の記事で連続投稿していた者です。

>彼女が私と話をするときは愛想のない「むすっ」とした感じでいることが多くて、とても辛かったことがあります。
(中略)
ところが仕事関係の電話をしているときとかを見ていると、ちょっと過剰と思えるくらいに愛想良く話しているんです。
私自身もそうです。
定型の方もそうかもしれませんが、私の場合は他人に愛想良くするのはものすごいエネルギーがいります。人に気を使いながらさらに仕事もするのでさらにエネルギーを使います。

家では残ったエネルギーで家事をします。
ものすごく疲れた顔をしながら家事をしてます。家族にはかなり無愛想です(しかし家族も発達障害なためかその感覚が当たり前となってるために誰も気にしません)。

私の場合は家では疲れた状態をもろに出すこと(自然体)で逆にエネルギーを補給してる部分もあります。
逆に疲れた状態を隠し、家族に笑うとそこエネルギーを使ってしまうので、自分の頭や心を休めることができなくなってしまいます。
仕事でのストレス(というか頭がつかれてるだけなんですが)から家族に八つ当たりしないように「常に自分の世界にこもって頭を休める」ことが自分の最善の方法です。
もし家族に愛想よくしろと言われたら、歩み寄りたい気持ちもありますが、その余力はなかなか難しいですね…。

にわとりさん

>家族に八つ当たりしないように「常に自分の世界にこもって頭を休める」ことが自分の最善の方法です。

 そうなんですね。
 それに近い話を私のパートナーからも聞いたことがあるように思うんですが,
 なかなか「ああそうか!」という感じで感覚的に理解しずらいところがありました。
 でもこうやって複数の方から同じように言われると,「ああやっぱりそうなのかな」と
 そんな気持ちも出てくるみたいです。

 別の記事で質問して頂いたことについて,
 たとえばこの話なんかもその具体的な例になると思います。
 にわとりさんのように「家族のために」という理由で
 「常に自分の世界に閉じこもる」ことは,
 定型にはなかなか感覚的に理解しにくいことで,
 それをされると「自分は嫌われている。拒否されている」と感じてしまい,
 「自分の為にもそうしてくれているんだ」とはなかなか実感できないわけです。

 で,逆に定型の方は相手に対して「にこにことした気持ちの交流を求める」
 ということをしたくなったりする。
 それはそんなふうに「暖かな関係」によって相手も自分も慰められる
 と感じるからです。
 ところが今度はそれをすれば,アスぺの方はますます辛い状態になる。

 今は私はそういうすれ違い(ズレ)があるということを
 なんとか頭ではわかってきていますので,そう考えることもできますけれど,
 アスぺの方のそういう世界を全く想像できない段階では
 完全に「誤解」だけが独り歩きしてしまうでしょう。
 その結果,相手に怒りをぶつけたりすることも出てくると思います。
 少なくとも私はそうでした。

 疲れをどうやって癒すのか。
 そのズレが大きいときに,どんなふうにお互いの気持ちを調整するか,
 引き続き私にとっては大きな問題です。
 

お返事ありがとうございました。
私も本当はにこにこして会話したいんですよね。定型の方の気持ちもわかる。でも頭と気持ちがついていかない。
発達障害は百害あって一利なしです。

にわとりさん

>発達障害は百害あって一利なしです。

 アスぺの方にはアスぺの方の役割がある。
 そんなふうに考えてみたいと思っています。
 たぶん,定型だけだとこの世の中,うまくいかないんでしょう。
 だからある種のバランスのとり方として
 一定程度アスぺの方は安定して生まれているのではないかという気が。

ありがとうございます。
確かに社会に貢献してる発達障害者もいます。
しかし私のように一般の仕事ができずに社会のお荷物と思われる発達障害者が多いです。
元恋人や知人は「おまえはカタワ(役立たず)だとの自覚を持て」と言われたことがあります。
それをきっかけに彼らと歩み寄ろうとする気持ちはなくなりましたが、カタワというのは事実です。

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