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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月12日 (木)

感情理解と「原因の理解」

 「感情世界の作り方の違い」がパートナーにはもうひとつわかりにくいと言われたので、もう少し説明をしてみました。そこで彼女がつっかかる問題のひとつは「定型同士は感情の調整をする」という話で、それが何を言いたいのか分からないというのです。

 私が説明をしようとしてうまく行かないのは、たとえば「辛そうにしている相手を励ます」といったようなことは自分でも福祉の現場などでやることだと彼女は言います。その彼女の話を聞いていると、どうも彼女は「意識的に<こうする方がいい>と考えて」それをするようなので、私は「いや、そういうことではなくて、ほとんど無意識に<そうしたい>という気持ちが起こってそうすることが、定型の場合はベースにあるんだ。もちろん具体的にどうしたらいいか、ということについては意識的に考えることはあるけれども」という説明をしてみました。

 それに対して彼女が言うことは、自分が自然な感情で反応すると、常に怒られて否定されてきたから、それはできない。ということでした。なるほどそうであれば、常に感情に関わる行為は「意識的にまず頭で考えて行う」となっても不思議はありません。なぜそういう違いが生まれるのかの理由については置いておきますが、そこで定型同士の場合、ある程度は「自然に」わき起こってくる感情に沿ってやりとりをすれば、比較的スムーズにお互いの感情が調整されたり、それで支えられたり勇気づけられたりすることが多い、ということになります。だから「まず頭で考えて……」というやりかたがぴんと来ないし、不自然に感じる。「頭で考える」のは、感情が動いた後のことだと思うのです。

 彼女の言い方から想像すると、アスペの方も自然な感情の動きは当然あるのだけれど、それが小さい頃から常に回りから否定され続ける体験をすることで、「感じた感情を抑えつける」というスタイルが自然になってしまったのだ、という可能性もあります。ただ、それだけではないだろうな、と思ったのは、いわゆる「共感」についてのやりとりで彼女から聞いたことです。

 定型の場合、他の人が感情を表現していると、自分の感情も揺り動かされる、というのはよくある体験だと思います。相手の人が嬉しそうにしていると、「何で喜んでいるのか原因が分からなくても」なんとなくこっちも嬉しい気分になったり、悲しそうにしていると「何で悲しんでいるのか原因が分からなくても」なんとなく悲しくなったりする。場合によっては相手が楽しそうにしていると逆にいらいらしたり、という場合もないではないですがそれもまた感情的な反応であることは間違いありません。

 いずれにしても「原因がわからなても相手の表現だけを見て感情的に反応してしまう」ということがよく起こります。「冷静な人」はそうやって自分の中に起こる感情の動きをコントロールするひとであって、感情がそこで動かない人というわけではありません。

 で、彼女に聞くと、「原因が分かれば自分も同じ感情になることはある」のだけれど、「原因も分からずに同じ感情になることはない」ということのようなのです。以前「小説は原因が書いてあるから分かりやすい」ということを彼女が言っていたことの意味も、それで分かる気がします。

 定型の場合は相手の感情の動きに応じて、自分の感情も動きますから、だから自分の感情に対処することと、相手の感情に対処することは最初からものすごく密接に関係しています。相手をなぐさめるということは、自分の気持ちをなぐさめることにもつながるし、その逆も言える、ということでお互いに「感情の調整」が行われています。

 そこの「出発点」のところで違いがあるために、その後の展開も異なる、という場合が結構あるんじゃないでしょうか。

 もちろん、アスペルガールさんのように相手の感情の動きが「伝わってくる」感じを持たれている方もあるし、そういうところは「スペクトラム」なのかなとは思います。逆に言えばアスペルガールさんとのやりとりに私の定型的な感覚から言うと「やりやすさ」を感じる部分があったりする理由は、そのあたりの問題かもしれません。

 

 

 

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コメント

はじめまして。

「辛そうにしている相手を励ます」という場合、私も自然にはできません。
意識的にやることなので「ここで『大丈夫?』と言うべきだろうな」とか、周囲の人の様子を必死に読み取って真似をして行動をしたりします。
「辛い」内容にもよるかとは思いますが、私は自分が辛い時に励まして欲しいとは思わないので「自分がして欲しいことを相手にする」という原則のようなものでは、対応ができないということもあるかと思います。

ひとさん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

 いただいたコメントを拝見して、「ああ、やっぱりそういう感じなのか」と思いました。
 感覚的に私が理解できる、というところまではいかないんですが、
 そういう感じ方や行動の仕方の違いがアスペ定型間にはけっこう安定してあるんだな、
 ということが頭では理解できてきた感じです。
 だから本当に

>「自分がして欲しいことを相手にする」という原則のようなものでは、対応ができないということもあるかと思います。

 ということになるんですよね。ここは私もほんとにそう思います。
 「自分にとって嬉しいことを相手にしてあげる」ことが、
 実は相手にとっては全然うれしくなかったり、
 逆に負担だったりすることもあるわけですものね。

 ああ、だから「自分がして欲しいことを相手にする、という原則では対応できない」
 ということについてはお互いにちゃんと理解が共有されるわけですね。
 とすれば、それはひとつ、大事な「共通の足場」になるのかも。

こちらこそよろしくお願いします。

そうですね。
おっしゃる通り

「自分がして欲しいことを相手にする、という原則では対応できない」
 ということについてはお互いにちゃんと理解が共有される

という歩み寄り方というか、共通認識として有効かと思われます。
こういうことが世間一般ではどうなっているのかというと
「同じように感じているくせに、わざとひねくれて行動している」
という誤解をされて、非難されたりいじめにあったりします。
私のように自分に障害があることに気付かずにいると、周囲の
意見を受け入れて「自分はひねくれている」「正直ではない」と
自分で自分を責めることになりかねません。

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