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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月11日 (水)

気持ちの整理

 

「感情世界の作り方の違い」 を書いてみて、自分の中では少し整理されるものがあったのですが、パートナーにちょっと読んでもらったら、すぐにはぴんと来ないようでした。説明の仕方が悪いのか、私の考え方がずれているのか、そのあたりはまだよくわかりません。自分が納得できる説明と、彼女が納得できる説明がすぐに重なるわけではありませんから、まあしばらく時間をかけて理解の調整や共有ができればいいなと思います。

 ということで、少なくとも今のところは私の一方的な理解に留まっていますけれど、自分の気持ちの整理、というところではある程度意味があったことは確かなようで、パートナーに向き合う姿勢が少し変わったかな、と感じるところがあります。まだ微かにですが。

 何が変わったかというと、これまで「彼女には幸せになって欲しい」という思いが、とても空回りしていたような気がします。何が彼女にとって幸せになるのか、それが実感としてつかめないし、自分の考える幸せのイメージでは捉えられなくて、しかもいろいろとしんどそうにしている彼女を見ていると、色んな意味で自分の非力さを思い知る感じがするのですが、自分自身についても思い通りになるわけじゃありませんし、じゃあどうしたらいいのかもわからない。

 その状況が何か大きく変化した、ということは少なくとも今はないのですが、以前に比べて空回り感やそれにともなう焦りの感覚のようなものが減ってきたようにも思うのです。何か以前よりももう少し気持ちを落ち着けて「彼女にとっての幸せって何なんだろう?」ということを考えられるようになってきた感じがする。

 まあ、一時的な感覚なのか、それとももう少し安定して何かが変化したのか、そこはまだよくわかりませんけれど、自分自身、ちょっと注意して見ていきたいところです。

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コメント

「二つの見方、一つの現実」の沢山のコメントから、私も自分の中の整理を試みました。少しでも伝われば幸いです。
感じたことをそのままにしておくために、私にとっては、それを表現しないのが自然です。表現するときは、完全にすることを望みます。でも、表現されたものは不完全です。
人はそれを忘れないように、言葉にして残すことを望みます。私はもし忘れても、それはそのままの姿で存在していると感じます。ただ、私によって思い出されないだけです。

パンダさんの言葉から、悲しみは心の傷で、心の傷は共感により癒され、癒されると涙が出ること、コルテオはそれを経験したこと、を知りました。
このような過程を、私は感覚的にわかることができません。自分に起きても、感じとれないのです。人の言葉は、心の動きを理解するのに重要です。
パンダさんが何気なくおっしゃった言葉にも、私には、学ぶべきことが沢山あります。いつもありがとうございます。

パンダさん
「言葉の力」と「薬と人生のスタイル」を読んで、お聞きしたかったことが整理できた気がします。
人の中では、心の動きが、言葉に直結するのでしょうか。
涙がこぼれる理由を説明できるのは、そのときの心の動きが、パンダさんの中で、すでに言葉になっているから…ですか?
ひょっとして、ですが…心が動くままに感じとり、その感覚を削るように言葉にする、という過程はありませんか?
お答えいただけましたら、幸いです。

コルテオさん

>人の中では、心の動きが、言葉に直結するのでしょうか。涙がこぼれる理由を説明できるのは、そのときの心の動きが、パンダさんの中で、すでに言葉になっているから…ですか?ひょっとして、ですが…心が動くままに感じとり、その感覚を削るように言葉にする、という過程はありませんか?

 とても難しいご質問で、うまく答えられないかもしれませんがご容赦下さい (^ ^;)ゞ

 たとえば赤ちゃんは言葉が無くても「感情の動き」はありますし、
 「あ、○○をみつめてるな」とか「○○をとりたがってるな」とか、
 「○○を喜んでるな」とかそういう意味での「心の動き」は感じますから、
 「言葉と直結」というよりも、「言葉で表せたり、調節できるようになる」
 というほうがぴったり来るかもしれません。

 涙がこぼれる理由を説明できるときは、
 少なくとも私の体験ではまず悲しみが来て、涙がこぼれて、
 それから時として言葉になる、という感じだと思います。
 場合によっては自分でもなんでそんなに涙が出るのかわからない、
 という場合もあります。

 心が動くままに感じ取り、その感覚を削るように言葉にする、
 ということですが、二通りありそうです。
 ひとつは「感じていることを言葉にしたいんだけど、うまく言葉にならなくて、
 言葉にすると大事なことが抜け落ちてしまう感じになる」場合。
 これは「削るように言葉にする」ことなのかもしれません。

 もうひとつは、例えば詩の言葉のように、
 ひとつの言葉にゆたかな広がりを持たせることが出来る場合。
 場合によっては自分が気づいている以上のことを
 言葉が表現していることもあると思います。
 芸術的な表現も言葉の一種と考えると、特にそうなりますね。

 私の場合は本当に自分が表現したいことを
 うまく表せる言葉をいつも探しているように思います。
 結構そのへんはこだわりがあるかも。
 もちろん「探している」間はうまい言葉がみつからなくて、
 「言いたいことが言葉にならない」状態が続くこともよくあります。
 それがあるとき、なにか結晶するように言葉になることがあります。
 そういうときは自分でも納得がいきますし、うれしいです。

パンダさん
お答えいただき、ありがとうございます。お聞きしてよかったと、心から思いました。
先の記事から、人の中では、この感じはこう表すというふうに、予め決まっているのだろうか、と感じました。もしそうだったら、人と私は、全く違う世界を生きているのだと、恐ろしかったです。
パンダさんも、涙の出る理由がわからなかったり、言葉を探していたりすると知り、安心しました。
私は、パンダさんの仰る「抜け落ちてしまう感じ」が、怖いのだと思います。伝えたいのは、いつでも、言葉が取り逃がすことだからです。
『美しいこと』という本から、長くなりますが、引用させてください。
「作ることは無限という混沌の中から一つの形を選択することだ。僕が想像するに、実はその選択に確証を持てる人間は一人もいない」
そして、次のように続きます。
「それにしても何故(…)選びつづけ(…)作りつづけるのか。それは選ぶことが、作ることが、そして人によって作られた不完全なものの中に存在しつづけることが、生きているということだからだろう」
かつて、言葉を信頼して、伝えることを決心した、きっかけの言葉です。
パンダさんのお返事から、大事なことを、思い出しました。

コルテオさん

 ありがとうございました。

>「そして人によって作られた不完全なものの中に存在しつづけることが、生きているということだからだろう」

 この一節、なんだか心に染みます。

◇ パンダ さま

おはようございます。

パンダさんが以前に教えて下さった、「悲しみは分かち合うことで癒される」
ことについてどのようなプロセスなのか分析してみました。

感情とは五感により感じ取った情報が、無意識化で過去の記憶と関連図けられ、
意味づけされることにより、言語化されるという説があります、

そして、ASは五感により感じ取った情報がなんらかの要因により、
無意識化で意味づけされず、意識下で意味づけされ、言語化されるとします。

だから、ASは「意味が分からない」と、感情を分かち合うことに苦しむ・・・
そんな予測を立てました。
(定型の方は無意識化で感情の意味づけが終了してる。)

~ココから説明~

出口汪さんの書籍より引用ー「対象」という抽象語がある。「象」は形という意味だった。「対」は、「対面」の「対」。自分の対面にある形を持ったものが、対象である。「対象語」とは、ものを距離を置いてとらえること。

たとえば、あなたは今自分の顔が見えるだろうか?自分の顔をみようとするあなたの意識を「主体」という。もちろんあなたは自分の顔をみることができない。それはなぜか?

主体であるあなたと、見られるべきあなたの顔との間に距離がないからである。-

この解決方法として鏡で顔を見ることに繋がっていくのですが、
これが顔でなく心であった場合が対話となるのでしょう、

無意識化で意味づけされた感情を、誰かに聞いてもらうことで、
鏡で顔を映すように、意識に上げていくことにより、自分の心を客観視できる。

また、それは、バラバラに散らばっていたカードを綺麗に整頓するような作業でもあり、
その整頓した結果を「肯定」してもらう作業でもある。

そのため、他者と感情をシェアすることで癒されるとは、
即ち、一人で出来ない客観視を手伝ってもらう事であり、肯定してもうらことだ。

もし、ASの感情が意識下で意味づけされているとすれば、
一人でも、客観視出来てしまう可能性が発生するのかもしれません。

如何でしょうか?

アスペルガールさん

 こんばんは!

 なんかむつかしいです (^ ^;)ゞ

>感情とは五感により感じ取った情報が、無意識化で過去の記憶と関連図けられ、
意味づけされることにより、言語化されるという説があります、

 えっと、これ、「無意識化」は「無意識下」ということだと「過去の記憶と関連づけられ、意味づけられる」というところまではちょっと分かる感じもするんですが、「無意識化」でOKでしょうか?もしそうでしたら、もうちょっと説明をしていただけるとありがたいです m(_ _)m

 もし「無意識下」でしたら、次の「意味づけられることにより、言語化される」というところがよくわかりませんでした。「意識しないところで意味づけられて、そのあと、そのことが言語化されて意識される」という意味でしょうか?そういう意味ならちょっと分かる感じもします。つまり、「感じたこと」が「意識しないところで整理される」ということがあって、そのあと、「ことばになるくらいにその内容が意識されるようになる」という風に理解するのかなあと思いまして……

>そして、ASは五感により感じ取った情報がなんらかの要因により、無意識化で意味づけされず、意識下で意味づけされ、言語化されるとします。

 うーん、やぱり「無意識化」でいいんでしょうか。もし「無意識化」でいいということだと、定型の場合は「感じ取ったこと」は最初は「意識される」んだけど、それが「意識されない」状態に変化して、そういう状態のまんまなんか整理されて、意味づけられて、そのあとまた言葉で意識される、つまり

 意識的に感じたこと ⇒ 意識されずに行われる整理 ⇒ 言葉にしてまた意識に

という感じで理解したらいいんでしょうか?そしてそれに対してアスペの方たちは、

 意識的に感じたこと ⇒ 意識しながら行われる整理 ⇒ 言葉にする

という形で、最初から最後までずっと意識の世界で進む、という意味なのかしら?

 仮にそうだすると、そのことと

>だから、ASは「意味が分からない」と、感情を分かち合うことに苦しむ・・・そんな予測を立てました。

と書かれていることとの関係がまだよく理解できないままです (^ ^;)ゞ
ここで書かれている「ASは『意味が分からない』と、」ということは、定型が無意識化して意味づけていることを、意識的に理解しているから「意味が分からなくなる」というようなことでしょうか?

よくまだ理解できないまま想像に想像を重ねての話ですが、もしそういうようなことだとすれば、アスペルガールさんの説明には、「意識的に理解する」ことと、「無意識化して理解すること」は別のことなのだという前提があるのかもしれないですね。それでアスペの方には定型が「無意識化して理解していること」は「意味が分からない」ということになる、という話になっていく。(いや、アスペルガールさんがおっしゃりたいことがそういうことなのかどうかは分からないのですが、ひとつの想像として (^ ^;)ゞ )

>無意識化で意味づけされた感情を、誰かに聞いてもらうことで、鏡で顔を映すように、意識に上げていくことにより、自分の心を客観視できる。 

 ここのところは「無意識下」で理解した方が分かりやすく思いました。
 仰るとおり、自分でもよくわからないもやもやした感情を、誰かに聞いてもらうことで「ああ、自分はこんなことを思っているんだ」ということが分かってくる、ということがありますし(カウンセリングなんてそういうことをするんだろうと思います)、そのことで気持ちが整理されて問題の解決が見えてくることもあります。

>そのため、他者と感情をシェアすることで癒されるとは、即ち、一人で出来ない客観視を手伝ってもらう事であり、肯定してもうらことだ。

 うーんと、ここはちょっと違う感じがします。というのは、「客観視」というのをして気持ちを整理する話と、「感情をシェア」して「癒される」という話とは、必ずしも一致しないからです。

 これは定型は、という限定つきなのかもしれませんが、とくに「客観視」されることがなくても、たとえば「この人は私と同じ感情を持ってくれる」=「自分は一人じゃないんだ。仲間がいるんだ」という感じで「支えられる」こともあるからです。そういう支えられ方は、特に意識的に整理されたり、言葉になる必要がありません(ことばがあってもいいけど)。

 たとえば、ある人(Aさん)がすごく辛い思いをしていたとしますよね。で、自分でもなんでつらいのかははっきりとは分からない。ただ、すごく辛い。でもそれを理解してくれる人がいなくて、そのことがまたさらに辛い。誰にも理解されない孤独に苦しむことになるからです。

 で、そこで別の人(Bさん)が登場して、その人もおんなじような体験をしていたりして、やっぱり同じように辛い思いをしていたとします。Bさんも辛いんだけど、なんで自分が辛いのかを整理して理解できているかというと、それはそうじゃないとします。

 それで、その二人があるとき偶然であって、お互いの体験を話し合ったりしたとします。場合によってはほんとに小さな(でも本人にとってはすごく重要な)体験のことでもかまいません。それは相手に「説明する」というような難しいことではなくて、単に「こういうことがあって、自分はとても苦しい」とか、そんなことでもいいんです。なんでそれが苦しいのかは自分でも理解できていなくて構いません。

 ところがそういう状態で、Aさんの体験をBさんが聞いたとして、Bさんも同じような体験で苦しんでいたとすれば、「そうだよね!ほんとにそうだよね!辛いよね!」とAさんの話を「共感」して聞くことになるでしょう。そこでも「これこれこういうわけで辛いんだよね」という説明が出来るわけではなく、ただたんに「こういう経験をすれば辛いと言うことは、自分が自分の体験からしてよくわかる」ということにとどまります。

 でもそういう状態でも、それまで自分の辛さを人に共感してもらえずに孤独に苦しんでいたAさんは、「ああ、分かってくれる人がいた」と思えて、それだけでものすごく「救われる」気持ちになるんです。「分かってもらえたから、問題が解決する」ということではなくても、救われる気持ちになる。ただ「おんなじ様に感じる人がいた」と思うだけで。

 というような例で考えてみると、アスペルガールさんが今回書かれた「一人で出来ない客観視を手伝ってもらう事であり、肯定してもうらこと」が癒しなんだ、というのとはやっぱりちょっと違うかな(重なる部分もないではないんだけど、ぴったりではない)と思いました。

 まだアスペルガールさんの書かれたことを十分理解していないので、とりあえず感じたこと……ということです。
 

◇パンダ さま


 ( ;∀;)・・・・・無意識下です。2回も間違ってしまって混乱させてしまいました。
 
 たくさん書いて頂くと申し訳ないので、
 一行だけ「これって○○?で宜しい?」と書いて頂ければと思います。

 この度「も」、丁寧なご対応をありがとうございました。

 私は、何年も広告のお仕事をしていた経験上、
 文字校正については訓練したこともありましたが、
 ミスがたえたことは無く、今後も間違わない自信がありません、。

 今回の質問は、人間の感情って何なのかぁと色々模索している過程で
 「顔面フィードバック仮説」について知りました。
 (パンダさんはご存知かもしれません、幾つか論文が検索できました。)
 http://www.blog.crn.or.jp/report/04/73.html (この情報は少し怪しいですが。)

 そういった経緯がありまして、お伺いしてみたくなりました。

 少しまとめて改めます~

◇ パンダ さま

遅くなりました(._.)

 定型とアスぺで問題になる根本原因は感情なのだと思いました。
 そして、何故、アスぺは感情に疎いのだろうか・・・を考えた時に、

 シャクターの情動二要因理論を用いれば、
 何となくではありますが説明出来そうな予感がしました。

>つまり、「感じたこと」が「意識しないところで整理される」ということがあって、そのあと、「ことばになるくらいにその内容が意識されるようになる」という風に理解するのかなあと思いまして……

 パンダさんが書いて下さったコレなんです!(多分)
 
 「喜び」や「怒り」と言った人間の情動(感情)は、
 『生理的反応』と『その反応をどのように認知するか(ラベリング)』によるものであり、

 ここでいう、『生理的反応』とは”笑う・泣く・ドキドキする”で、
 『その反応をどう認知するか』というのは例えば、「ドキドキする」のを、
 恋愛感情のドキドキか、緊張によるドキドキか、は人によって捉え方が違う、という話。

『生理的反応』はアスぺにもあるんですが、
 その「意味づけ」の段階で何らかの問題?が発生しているために、
 感情が認知(ラベリング)されずらいのかもと。

>それまで自分の辛さを人に共感してもらえずに孤独に苦しんでいたAさんは、「ああ、分かってくれる人がいた」と思えて、それだけでものすごく「救われる」気持ちになるんです。「分かってもらえたから、問題が解決する」ということではなくても、救われる気持ちになる。

 丁寧に書いて下さりありがとうございました。
 改めまして感謝しております!

 これは、このブログにあるASの方のコメントにもそういった記述がありましたし、
 上記でコルテオさんは「悲しみは心の傷で、心の傷は共感により癒され、
 癒されると涙が出ること、コルテオはそれを経験したこと、を知りました。」
 
 と、書いておられるように、そういった『生理的反応』はあるんだと思います。

 ですが、

 さらにコルテオさんが「このような過程を、私は感覚的にわかることができません。
 自分に起きても、感じとれないのです」と書いてくださったように、

 『生理的反応』はあるが、『その反応をどのように認知するか(ラベリング)』に、
 何らかの問題?が発生しているためっぽくはないですか?

 (コルテオさん、文章を引用させて頂きまして有難うございました!)

 定型発達の方は無意識下で『その反応をどのように認知するか(ラベリング)』が
 行われるのに対して、アスぺは意識下で行われるのかもしれません。

 そしてそうだとすると、「言葉の力」でパンダさんがまとめて下さった、
 下記の文章が何故そうなるのかも理解出来そうではないですか?
 
>定型的な人間関係では、言葉はお互いの感情をつないだり調整したりする役割を果たすことが多く、それに対してアスペの方は、コルテオさんの言葉をお借りすれば気持ちの伝え会いや調整より「心の動きを理解するのに重要」というふうに、それぞれの「言葉の意味」を比較して考えてみることが役に立つかもしれません。

 まさに、私も、言葉とは「心の動きを理解するのに重要」という発想です。

 「定型的な人間関係では、言葉はお互いの感情をつないだり調整したりする役割を
 果たすことが多く」というのは素敵な事なのだと思うのですが、
 正直、ここに至る前段階で、感情を認知する段階の問題?が発生しているとすると、
 それを行うことが難しくなってしまいそうです。

 定型の方は、「感じたこと」が「意識しないところで整理される」のに対して、
 アスペな方は、「感じたこと」が「意識で整理される」とするならば、

 『生理的反応』と『その反応をどのように認知するか(ラベリング)』が行われた前提で、
 「言葉はお互いの感情をつないだり調整したりする役割を果たす」ことをされているので、
 それが未だ出来ていないアスぺは、

 まず、意識下で『生理的反応』と『その反応をどのように認知するか(ラベリング)』
 しなくては、意味が分からない状態となってしまうのだと思いました。

 人間の感情のつくられ方は科学で判明していないのだと思いますが、
 定型とアスぺのズレと照らし合わせて考えてみると、利用できる理論は、
 利用して考えてみようという試みでした~

 また、「現実のケアと気持ちのケア」で依頼させて頂いた、芸術的感動の質問は、
 過去のラベリングされていない『生理的反応』の存在を感じたことがあるかどうか。
 をお伺いしてみたかったのです。

 『生理的反応』への『認知(ラベリング)』は、定型発達の方が無意識下において、
 積み重ねてきた経験から『認知(ラベリング)』されるのは確かなのですが、
 それとは違う感動があったなら、是非知りたいのです。
 
 もし、良かったら、ご回答宜しくお願い申し上げます。
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ec74.html#comment-103563665


私の稚拙な文章のせいで意味が分かりずらいかもしれません。。。"(-""-)"

アスペルガールさん

> 定型とアスぺで問題になる根本原因は感情なのだと思いました。

 そうですね。私もここのところがとても大きいのかなと思います。
 ただ、定型の側はわりとすぐにそれを「感情の問題」と考えますが、
 アスペの方はそういうとらえ方はあまりされないような気がしていました。

 今回アスペルガールさんが「感情のラベリング」という言葉で
 いろいろ考えられていることにもつながる話かもしれません。
 定型は「生理的反応」を「感情」の問題として、言葉にもして、
 そして人間関係を調整したりする、という傾向が強いので、
 定型アスペ間のズレの問題を「感情の問題」を中心に考える、
 というふうになりやすいんじゃないでしょうか。
 
 それに対して、アスペの方は「生理的反応」は、どちらかというと
 個人的な体験のこととして、言葉に「ラベリング」して人と調整することは
 余りされない生き方をされているので、
 定型から「感情の問題」をいくら言われても、噛み合わなくなってしまう、
 そんなことがあるんじゃないかと想像します。

 あるいは「ラベリングするかしないか」の問題ではなくて、
 「ラベリングの仕方が違う」という問題かもしれません。
 やり方が違うから、お互いうまく伝わらないし、調整も出来にくい。
 実際どうなのか、そこはまだ私にはよく分かりませんけれど。 

> 1)過去の思い出と何の関わりもない音楽で涙を流した経験はありますか?

 涙を流したことがあるかどうかはちょっとすぐに思い出せないのですが、
 強く感動する、ということでよければそれはあります。
 音楽は具体的な何かの出来事を表すものもありますけれど、
 もっと抽象的な「思い」とか「世界観」みたいなものを表すことも多いと思います。
 そういうものに私は結構感動するものがあるので、
 「過去の思い出と(少なくとも意識できる範囲では)何の関わりもない」
 ということになるんだろうと思います。

> 2)過去の思い出と何の関わりもない絵で涙を流した経験はありますか? 

 これも強く心を揺さぶられるとか感動する、ということでよければ
 それはやはりあります。
 抽象的な絵なんかは、少なくとも直接の思い出とは関係ありませんし、
 人物の絵とかにしても、必ずしも自分の思い出とのつながりは意識されないで
 ただ感動するということはしばしばあると思います。

◇ パンダ さま

>定型は「生理的反応」を「感情」の問題として、言葉にもして、そして人間関係を調整したりする、という傾向が強いので、定型アスペ間のズレの問題を「感情の問題」を中心に考える、というふうになりやすいんじゃないでしょうか。

 はい、そうだと思います!

>あるいは「ラベリングするかしないか」の問題ではなくて、「ラベリングの仕方が違う」という問題かもしれません。やり方が違うから、お互いうまく伝わらないし、調整も出来にくい。

 パンダさん、すいません。ここは自説を押させてください。
 ※間違っていると感じればご指摘ください。

 当事者からだから言えることなのかもしれませんが、定型の方が行える、
 無意識下で生理的反応の意味づけ(ラベリング)が行えない、出来ないんだと。。。

  アスペルガー(自閉症も?)が何らかの要因があり、
  定型の方が活性する脳の部分が活性していないのは確かで、
  それが海馬だとか扁桃体だとか言われています。

  何故活性しないのか?を説明することは出来ませんが、
  神経伝達物質の問題、受容体の問題、ホルモンの問題など、
  色々とあるのでしょう。(適当な論文が見つからない(/ω\))

 そして出来なかった場合の工夫が以前にパンダさんが書いてくださった
 「アスペ的世界」への定型的想像力」なのではないかと思っています。
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-f617.html

 そして、アスぺは頑張れば頑張るほど、
 感情とは真逆にある?論理の世界に頼るようになるのかもしれません。
 定型の方が感情をとても大切にされるように・・・?

トマトさん パンダさん 芸術体験についてありがとうございました!

どなたかと一対一よりも、皆さんでの方が多角的視点が手に入るので、
こちらに意見を書かせて頂きました。

トマトさん、ひと手間かけて、お越し下さりありがとうございました。


少し引用させて頂きます~

>自分の環境には無い場面の絵に、なぜ「ここに帰りたい」という思いが強かったのか「これがデジャブ?」と不思議でした。これも感動のひとつだと思います。

>抽象的な絵なんかは、少なくとも直接の思い出とは関係ありませんし、
 人物の絵とかにしても、必ずしも自分の思い出とのつながりは意識されないで
 ただ感動するということはしばしばあると思います。

 私は絵や音楽で涙を流すことがよくあります。
 まさに、下記にてトマトさんが書いて下さったように”「どうしてこの音楽で泣いちゃうの?」
 「解んないんだけど、なぜか泣けて来ちゃった」という感覚”です。


>人の記憶は、鮮明にその場面や言葉や音を脳内で再現する類と、ひとつの記憶が一本の木となって、その後の経験値が枝葉をつけてひろがり、アンテナになって、ひとつの限定された記憶に基づかなくても、アンテナに触れるだけで涙や感動が生まれるという類があるように考えます。

>ですから「どうしてこの音楽で泣いちゃうの?」「解んないんだけど、なぜか泣けて来ちゃった」という感覚になるのだと思います。


 トマトさんは本当に知識が豊富なんですね!
 私の好奇心がくすぐられています。(ご迷惑でなければ色々教わりたいです。)

 でで、私は感動には敏感なのだけど、感情には疎いのです。

 そして、これは、「生理的反応」はあるのだけど、
 その「生理的反応」に対する「認知(ラベリング)」が出来にくい、
 証拠の1つなんではないかと思いました。
 
 まさにトマトさんが書いて下さった、説明にも通じそうです。


 例えば、パンダさんが「微妙なうれしさ」にてお書きになった下記の文章、
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-3bf4.html

>やがて、「どうも私が辛い状態になると、彼女がパニックになるんじゃないか」と感じるようになり、こちらがしんどいときに彼女にさらにパニックになられると、ますます大変になるので

 とあるように、パンダさんのパートナーさんも「何か」は感じている、
 だけれどもアスぺは”「生理的反応」に対する「認知(ラベリング)」”に問題?が
 あるので、それが「感情」という心の結晶にはならないのかもしれません。

 さらに、コルテオさんの文章を再度引用させて頂くと、

>悲しみは心の傷で、心の傷は共感により癒され、癒されると涙が出ること、コルテオはそれを経験したこと、を知りました。このような過程を、私は感覚的にわかることができません。自分に起きても、感じとれないのです。

 とあるように、感情の源はあるのだけど、その源を細工して、
 感情と呼ばれる心の結晶に出来る能力が少ない・・・のではないかと思いました。

やっぱり上手に説明できないのですが、如何でしょうか?"(-""-)"

PS.----------------------------------------------------

 私は芸術に感動するとは、過去の記憶反応したバージョンと、
 そうではなく、ただ、ただ、美しい、との2つがあるとも思っています。
 
 アインシュタインの導いた定理は美しいと言われています。
 それは、個人の記憶よりも、生命全てに刷り込まれている、
 普遍的な美しさなのだと思っています。

 芸術家はそれを追い求めて、言葉よりも抽象度の高い表現にて表すのだと。

 コルテオさんが「美しいこと」という本から引用してくださった言葉は、
 まさに、宇宙の真理を求めている、
 物理学や数学を芸術家が表現したようでした。

-------------------------------------------------------

何度も失礼します、アスペルガールです。

関連していそうな論文を見つけてブログにまとめてみました。
http://www.trendmental.com/asperger/asperger012.html

師走ですので、皆さまは、お忙しいかと思います。

ご返信は来年とか、もしくは、興味がなければ無くってもと思います。

でも、もし良かったら、宜しくお願い申し上げます!

アスペルガールさん

> 当事者からだから言えることなのかもしれませんが、定型の方が行える、無意識下で生理的反応の意味づけ(ラベリング)が行えない、出来ないんだと。。。

 ここのところ、ちょっと私の方の理解が混乱しているのですが、アスペルガールさんが考えられているラベリングと意識とことばの関係は、どんな風に整理して理解したらいいでしょうか?

 たとえばこんな感じですか?

 (定型) 生理的反応 ⇒ 無意識下でラベリング ⇒ 意識下でことばでラベリング
 (アスペ) 生理的反応 ⇒ 意識下でことばでラベリング

 もしそうだと、「ラベリング」というのに、ことばを使うラベリングと使わないラベリングがある、という理解になりそうですね。多分そこの部分がちょっと私にはわかりにくかったのかと思います。

明けましておめでとうございます。

横入りしてしまって申し訳ないです。

ラべリングって、頭の中でお喋りする言葉の事をおっしゃっているのかと思います。

口には出さないけど、心で感じて
頭で言語化する言葉が、同じ状況でも人によって「あ、今私この人と一緒に居てほっこりして、とても幸せ
」とラベルをつけるか「今、なんだか愉快だ」とラベルを付けるかの違いかなー、と。

違っていたらごめんなさい。

私も、好きな人や、色んな人間関係で迷ってばかりですが、お互いの違いを認めながらも工夫して楽しく生きていきたいと思います。

返信が遅くなり申し訳ございません。


また、納豆さんフォローありがとうございます!!!

私の中での解釈もアヤフヤだった部分があり伝わりにくかったのだと思います。
改めて自分なりに考え直してみていました。

ラベリングは「意味づけ」というニュアンスでお伝えしたかったので、
納豆さんが書いて下さった意味と同じかなぁと思います。

この度、改めて、アスぺの感情の源はあるのだけど、その源を細工して、
感情と呼ばれる心の結晶に出来る能力が少ないことについて書いてみました。

 >たとえばこんな感じですか?

 >(定型) 生理的反応 ⇒ 無意識下でラベリング ⇒ 意識下でことばでラベリング
 >(アスペ) 生理的反応 ⇒ 意識下でことばでラベリング

 への回答は、

 (定型) 生理的反応 ⇒ 無意識下でラベリング ⇒ 言葉は自然に紐付いてくる
 (アスペ) 生理的反応 ⇒ × ⇒ 意識下でラベリング(言葉は必要なら紐付ける)

私はパンダさんに以前、「人と仲良くなるための基準はありますか?」
という質問をさせて頂きました。

そしてパンダさんからの回答は基準と言うよりは「合う」か「合わない」と感じ、合うならば仲良くなれるし合わないならば仲良くなるのは難しいといった、ニュアンスだったと思います。
参照)http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ec74.html#comment-103476340

では、その「合う」か「合わない」を決めているのは何だろうか?

となった時の根本要因は、そもそもその人が持っている波長だったり、そもそもその人が持っている好みっだったり、その人の過去の経験(育ち)だったりするのだと思っています。

じゃあ、その根本要因の決めてって何?

という問いに私なら、その人の脳の意味づけ(ラベリング)の差が大きいと答えます。

私とパンダさんは「二つの見え方、一つの現実」というテーマで、「そんなふうにお互い「見え方」は違っても、でもやっぱり「ひとつの現実」を生きて居るんだなあということ」というお話をし、現実は一つなのだけど、見え方が違うから違うように見えるんだという確認をし合いました。

じゃあ、その根本要因の決めてって何?

という問いに私なら、その人の脳の意味づけ(ラベリング)の差が大きいと答えます。

定型発達者は意識に上らない所で物事の意味づけ(ラベリング)を行っているので、それが何故、そうなっているのかが分かりません、(というか分からなくても過ごせるのです。)だから、アスぺの『なんで?』に対して答えることは出来ません。

「波平さんの「対立」の話」より引用させて頂くと、

>「文化」の、当たり前すぎて一つひとつ検討したり疑問に思ったりする必要などなく、私たちの生活を成り立たしめているルールとして働いているということが、困った問題を起こすことがあります。それは文化を異にする人びとが、日本の文化のある部分にどうしても納得できなくて説明を求めてきたとき、あるいは、その人たちの文化の中のある部分と、日本人の文化のある部分が激しく対立したとき、相手を説得したり、納得させるだけの説明が出来ないということです。

とあったように、意識下で意味づけ(ラベリング)が行われていないことは確かです。

また、「パートナーの鋭い人間理解」にてのパンダさんの疑問、

>いきなり人間関係についてズバッと本質を突くようなことを言われて、ある意味すごく救われた感じになって、その落差の大きさにも驚きますし、そういう鋭い理解がどうして彼女にできるのかがすごく不思議だったりします。視点が違うから、定型(私?)にはすっと見えて来にくいものがストレートに見える、ということなのだろうなとは思いますが、一体それがどういうことなのかがよくわからない。

と、「歩み寄り」の

>アスペの方がすぱっと割り切って、定型は0.5の曖昧な世界を作って、というのは「そういう傾向が強い」という感じかなと思います。アスペの方が少なくとも「意識的」に0.5のやり方を出来ないわけではないし、定型も割り切るときは割り切るわけですが、私の印象で言うと、アスペの方が0.5のやり方をするにはすごく抵抗感が強くて、随分無理をされるような気がします。あくまで私の個人的な印象ですけれど

と、「頭の理解、気持ちの理解」の

>学生時代にお坊さんの講義を聴いたことを思い出しました。「十牛図」とか言って、悟りの段階を絵で表現したのとか、その頃見て面白いなあと思ったこともありました。そこでもやっぱりことばに邪魔されずに「ありのままに世界を見る」みたいな話が重視されていたような気がします。

と、「二つの見え方、一つの現実」で交わした味の0と1についての私の解釈、

 >“味が存在するかしないか”は、
 >味が存在する⇒「1」であり、
 >味が存在しない⇒「0」です。

 >「0」であった場合は、会話が終了しますが、
 >「1」であった場合は、会話が継続されます。

 >何故か?

 >「0」は、1を掛けても、10を掛けても、100を掛けても「0」だけど、
 >「1」は、掛け合わせによっては10000にもなり得るからです。
 >※バラエティが増えるということです。

 >だから、「1」であることが前提として、(この場合は「味があるを前提として」)
 >話が進められ、人は「美味しいか、不味いのかという会話ができます。」

 >例えば、

 >味がないを⇒「0」とし、
 >美味しいを⇒「5000以上10000以下」とし、
 >マズイを⇒「1000以下」としましょう。

 >「0」の場合は、味が無いために、味について語ることは出来ません。

についても絡めて書いてみました。

もし良かったら私の最新記事「定型とアスぺの感情回路差」を読んでみてくださいませ。

少し強引な気もしますが説明してみましたー。
ここに書けたら良いのですがイラストがないと説明できないので申し訳ございません。


--最後にお詫び、------------------------------------------

 今まで使用していた無意識を暗黙知に統一します、
 また生理的反応を感覚刺激に統一しました。

--------------------------------------------------------

 お礼です。「頭の理解、気持ちの理解」へのご丁寧な回答有難うございました!
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-0847.html#comment-103881529

アスペルガールさん

 またブログを覗かせていただきました。
 次々に問題を積み重ねて整理されて言っているのですね。
 当事者の視線からのこういう試み、これからも是非頑張って下さい。応援してます。

> (定型) 生理的反応 ⇒ 無意識下でラベリング ⇒ 言葉は自然に紐付いてくる
 (アスペ) 生理的反応 ⇒ × ⇒ 意識下でラベリング(言葉は必要なら紐付ける)

 この理解の仕方、ブログでも図で書いて説明されていましたね。
 分かりやすい図式だと思いますが、ひとつ疑問に思うことがあります。
 アスペルガールさんはラベリングを「意味づけ」というふうにも表現されていますが、
 たとえばある「身体の生理的状態」とか、「目に見えたもの」とか、
 それを「これは○○だ」と理解して、それに合わせて行動するというのは
 ことばで(ラベリングして)意識するということがなくてもかなりできちゃうと思うんです。

 たとえば、うちの猫はキャットフードをやると、お腹が余り空いてないときは
 おいしいフードと安物のフードをよりわけて、美味しいのだけ食べてます (^o^)
 つまり、ことばが無くても、猫はちゃんと世の中の仕組み(?)を
 猫なりに理解していますし、「これは美味しい⇒食べる」「これは安物⇒食べない」
 といった「意味づけ」もやっちゃっていると思うんです。

 まあ、考えてみればもともと動物ってことばのない世界で生きてるわけですから、
 ことばに頼らないで世の中のいろんなことを「意味づけ」していないと
 生きて行かれないわけですよね。人間はそのことの上に「ことば」を付け加えて
 生きているようなものだと思います。こんな感じでしょうか。

  動物  ことばによらない意味づけ
  人間  ことばによらない意味づけ + ことばによる意味づけ(ラベリング?)

 何が言いたいのかというと、アスペの方に「意識下の意味づけ」がないのではなくて、
 意味づけの仕方が定型と違ったり、意味づけるポイント、重視するポイントが
 定型と違う、というふうに理解した方がよさそうに思えるんですね。

  定型  ことばによらない意味づけ 注目ポイント(a、B、C、D、e、F、H、J……)
  アスペ ことばによらない意味づけ 注目ポイント(A、b、C、D、E、f、G、I……)

 そのことを前提として、アスペの方は定型が注目して細かく意味づけをする
 感情的な面についてはあまり注目しないし意識下では意味づけもしないで、
 それをするときは意識的なことばでのラベリングになってしまう、
 という形で理解した方が他のこととも筋が通りやすくなると思います。

 たとえばひとつの例を挙げると、注目するポイントが定型と違うから、
 だから定型にとっては盲点になっているような
 部分にアスペの方は気がつきやすいことがあって、
 「アスペの方の鋭い見方」に定型が驚いたりすることもあるんだと思います。

 波平さんの話も、文化に関わることは説明がしづらいわけですが、
 それは「意味づけをしていない」ということではなく、
 ことばを使わないで身につけている「意味づけ」だから、 
 それをことばで説明するのはなかなか難しいという意味だと思います。
 そしてそういう「ことば以前の意味づけ」の違いというのが
 文化の違いの根っこにあるんだという意味だと思うんですね。

 そんなふうに考えてみると、アスペルガールさんの整理の仕方が
 「アスペ=無意識下の意味づけがない」という形になっているのだとすれば、
 そこは「感情的な面での意味づけが定型より少ない」とか
 「生理的な面での意味づけ方が定型と違いがあって、定型との間に
 感情的な調整がスムーズに行かない場合が多くある」
 といったふうに整理した方がよりいろんなことを説明できそうな気もしました。
 どんなものでしょうね。


あすかさん

 お久しぶりです。
 「ああ、おんなじような事に悩んで、同じような試行錯誤をされているんだなあ」
 としみじみ思いました。
 彼氏の憤りとその「本気度」があすかさんの説明で伝わってきました。
 彼にとってあすかさんが本当に大事な人で、真剣にどうやって元気づけるかを
 考え続けられたのかなと思います。だからショックも大きかった。
 (私のパートナーもそういうことが時々あります)

 それで、最近思うことなんですが、そんなふうに「真剣に相手のことを考えて
 行動する」ということが、場合によって定型的発想とはずれてしまって、
 アスペ的発想でぐんぐん突き進まれるので、
 結果として定型が大事にしたい部分を無視して「切り進む」みたいな感じになり、
 定型が傷ついてしまう、というパターンがありそうな気がします。
 誠実に考えれば考えるほど、相手を傷つけてしまう場合がある。
 お互い様のことだと思うのですが、
 ほんとにかなしいことですし、なんとかできないものかと思います。
 
 

パンダ さま

丁寧なご返信ありがとうございました!
また貴重なお時間にてのブログ訪問等ありがとうございました。

あの1つ確認させてください。

パンダさんにとって、私がブログに書きました、「言葉との紐付けが自然に行われる」というニュアンスってイメージがわきますか?(一言で大丈夫です。)

私の「紐付け」って表現はイマイチだったかもしれません。

>そんなふうに考えてみると、アスペルガールさんの整理の仕方が
>「アスペ=無意識下の意味づけがない」という形になっているのだとすれば、
>そこは「感情的な面での意味づけが定型より少ない」とか
>「生理的な面での意味づけ方が定型と違いがあって、定型との間に
>感情的な調整がスムーズに行かない場合が多くある」
>といったふうに整理した方がよりいろんなことを説明できそうな気もしました。

はい・・・これをブログに書いたつもりですし、
このディスカッション自体の始まりが「感情のズレ」についてだったので、
ずっと感情についての薄さ(無さ)について書いていたつもりなのですが(._.)・・・
(恐らく時間が空いたためだと思います、申し訳ございません。)

と、さらに説明すると、
私がコルテオさんの味に対する認識等と混ぜ込んだからかもしえません。
原理は同じだと思っているので書いたのですが詰め込み過ぎました。(反省)

アスペルガールさん

>パンダさんにとって、私がブログに書きました、「言葉との紐付けが自然に行われる」というニュアンスってイメージがわきますか?(一言で大丈夫です。)

 こんなイメージが湧きました。

 「感情」⇒「対応することば」

>感情についての薄さ(無さ)について書いていた

 はい、そういうふうに理解していました。
 私がちょっと考えていたのは、アスペルガールさんが

> (定型) 生理的反応 ⇒ 無意識下でラベリング ⇒ 言葉は自然に紐付いてくる
> (アスペ) 生理的反応 ⇒ × ⇒ 意識下でラベリング(言葉は必要なら紐付ける)

 と書かれている×の部分について、少なくとももうひとつステップがありそう
 ということでした。それは生理的反応と書かれたものを、ことばで意識はしないで
 判断して行動につなげるようなステップのことです。
 何故かというと、動物はみんなことばが無くても状況判断して行動していて、
 そこは人間の赤ちゃんでもそうですし、誰でもそうだろうと思うんですね。
 その一部分がことばで意識的に判断されるだけで、
 人の行動のほとんどは無意識的にやっちゃってますし。

 定型アスペのズレはその部分で起こるんだろうという気がするんです。
 それが「ことばの理解のズレ」にも影響してしまう。
  
>逆にアスペルガー者は暗黙知で処理できない分、意識に上げて処理するので極端から始まります。

 えっと、アスペルガールさんのおっしゃりたいことが、
 アスペルガールさんの言う暗黙知が「生理的反応を感情という形では処理できない」
 と言う意味でしたら、仰りたいことは分かる気がします。
 ただ、アスペルガールさんにせよ、私のパートナーにせよ、
 「嬉しい」「悲しい」「怖ろしい」「腹が立つ」といった感情を表現されますし、
 それは時にかなり激しいものにもなる(ここでの炎上でもそうでしたが)ので、
 やっぱり「×」ではなくて、定型とはうまく噛み合わない形で
 「暗黙知」のレベルでの感情の働きがちゃんとあるんじゃないかと思えるんですね。

 というようなことなんですけど、どんなものでしょう?

◇パンダ さま

ご返信ありがとうございます!

私の伝えたいこと、解釈の仕方、等々も考慮しつつ、
分かりやすく書いてくださったのだなぁと感じました。

ご丁寧にありがとうございます。

>「言葉との紐付けが自然に行われる」というニュアンスって・・・
>>「感情」⇒「対応することば」

 はい、認識一致が出来ている様で安心しました。

>と書かれている×の部分について、
>少なくとももうひとつステップがありそうということでした。
 
 なるほどです。
 確かに少し極端な表現にし過ぎました(._.)

>それは生理的反応と書かれたものを、ことばで意識はしないで
>判断して行動につなげるようなステップ

 私の文章理解力が不足していました。
 丁寧に説明してくださり有難うございます!

 これは、熱湯に触れた時に発生する反射的とか、
 生理的欲求に従って発生する動物的反応という意味も含みますね。
 
 また、猫さんのご飯の話は、
 美味しいパンを選ぶのと同じ処理をしているのかもしれません。
 
 毎回論理的に考えている訳(猫さんは論理出来ないかなぁ)ではないけど、
 美味しいご飯の香りとか色とか形とか、しっかり覚えていて、
 直観的に「分かる」という処理をされる感じかなぁ~と。

 きっと、人間が顔を識別するしくみも同じで、
 一般的には、何となく、目とか、鼻かと、輪郭とかを暗黙知で処理し、
 個体(とある人間)と過去の記憶を繋げて顔を認識していると思います。

 ただ、アスぺの場合はそれが出来ないこともあり、
 一人一人の顔が認識できないとなったりもする・・・

>アスペルガールさんの言う暗黙知が「生理的反応を感情という形では処理できない」
と言う意味でしたら、仰りたいことは分かる気がします。

 ありがとうございます。 

>ただ、アスペルガールさんにせよ、私のパートナーにせよ、「嬉しい」「悲しい」「怖ろしい」「腹が立つ」といった感情を表現されますし、それは時にかなり激しいものにもなる(ここでの炎上でもそうでしたが)ので、

 私だけなのかもしれませんが、
 定型さんに比べると幾分滑らかさに欠けるような気がしています。

 例えば、沖縄のやんばる医師のASスピリットには、
 「悩まないけれどきつい、ストレスが体にくる」とありました。
 ※これは奇異行動・受動・孤独に共通して書いていました。

 初めてこれを読んだ時に、
 私は、「え、悩めますよ、適当なこと書いて(゚∀゚)」とか思っていたのですが、
 よくよく考えてみると分かる気もしてきて、
 
 私は身体が動かなくなるまで辛いという事実に気付かないこともしばしば・・・
 (精神科医の米田先生の本には自己モニターの問題とありました。)

 定型さんならストレスだったり、気持ちが辛いなぁって感じたら、
 自分の気持ちに小まめに気付き、誰かに相談したりするかと思います。

 だけど、アスぺは、感情を感じるよりも、
 ドナ・ウィリアムズさん用語で言えば、感覚のオーバーロード(メルトダウン)、
 他の言葉で言うとパニックになることの方く、相談するのが難しい・・・

定型さんの言葉を借りて説明すると、

「アスペの人はなぜ個性的?」テーマでのななさんのコメント
>ASの方は、脳のなかの論理を扱う部分を使って感情も扱っているそうですが、それがこういう違いになって現れるのでしょうか。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-5878.html#comment-81656387

といったニュアンスです。

だから、私たち(AS)は感情を直観的に感じてるとうよりは、
身体で感じた「ナニカ」を、頭で考えて感情として処理している・・・・

結果的には定型さんと同じように見えるのだけど、
そこの至るプロセスは、私たち(AS)は、滑らかとか言い難いような感じがして、

感情を論理的に処理とは即ち意識的に処理となるので、
どうかなぁ~って思いました┤゚◇゚ ├ノヽ┤ ゚◇゚├

もちろん、初めは論理的に処理していた感情認知も、
繰り返せば繰り返すほど直観的に感じれるようにはなります。

そして、その慣れは、定型さんの気遣いな慣れみたいなものだと思っています。

今さらなのですが、
何故こんなことを話題に上げたのかというと、

「「切り捨て」か「切り分け」か」より
>ただ、そこで「わかり合う喜び」という感情が湧いてくるわけではない。ただ「自分が分からなくて困っていることがひとつ理解できた」という「彼女の中での事実」に留まる感じがします。

とあったように、パンダさんが、「わかり合う喜び」を感情で求めていればいるほど、辛くなるのではないかと思ったので、アスぺは感情の自己認識が難しいこともある側面をお伝えしたみたくなりました~

これに関してはパンダさん自身がプラスになればと思っただけので、
ピンとこなかったりしたのであれば、気にしないでくださいーーい☆

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