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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月26日 (木)

波平さんの「対立」の話

 このブログで私が考えたいと思っていたことについて、すごく分かりやすく書かれている文章に出会いました。波平恵美子さんの「生きる力を探す旅」という本の一節です。ちょっと長いけどこんな感じです。文章の中の「文化」を「定型的な生き方のスタイル」とか「アスペ的な生き方のスタイル」という言葉に置き換えて読んでみて下さい。

 「私たちの生活は、実にさまざまなルールからできあがっています。……そして、それらのことはほとんど意識されない当たり前のことなのです。でも、私たちの生活がたくさんのそうした細々したルールから成り立っているということについて、ほんの一時期でも自宅へ外国からのお客さんを迎えて滞在してもらうとすぐに気づきます。外国のお客さんは、一つ一つについて、どうすればよいいのか、どういう意味か、日本語でなんというのかを聞きます。聞かれてみて初めて、自分たちにとって当たり前のことが、日本に住んでいない人には当たり前でないことに気づきます。つまり、「文化」は、その文化を学び取った人以外の人々にとっては少しも当たり前ではないのです。
 ……「文化」の、当たり前すぎて一つひとつ検討したり疑問に思ったりする必要などなく、私たちの生活を成り立たしめているルールとして働いているということが、困った問題を起こすことがあります。それは文化を異にする人びとが、日本の文化のある部分にどうしても納得できなくて説明を求めてきたとき、あるいは、その人たちの文化の中のある部分と、日本人の文化のある部分が激しく対立したとき、相手を説得したり、納得させるだけの説明が出来ないということです。当たり前であることに対して、私たちはそれが存在する理由など考えません。理論的に筋道だって、相手に説明する習慣もありません。もっと悪いことは、私たちにとって当たり前であり、それが一番良いことだと考えていることがらを、別の文化の人びとが批判することに対して、腹を立ててしまうことです。そして、相手が批判する依りどころとしている相手の文化を、逆に批判してしまうことです。そうなると、反感は増幅されて、憎しみまでうまれてしまいます。文化の一部を互いに批判し合っているうちに、その文化を担っている人間までも、批判し、否定し、憎んでしまうことになってしまいます。
 文化はルールのかたまりのようなものですが、それは少しずつ変化しています。また、多くの人がひとつのルールを「良いもの」として支持していても、必ずそれを否定し別のことを提唱している人びとが同じ日本の中にもいます。そのような変化や多様性に、注意と関心と、さらには尊敬を払うことが必要です。自分の立場と、他の立場にいる人びとの主張を常に見比べることによって、やがて自分がなぜこちらのルールが良いと考えているのか、なぜ選択しているのかが見えてくるし、わかってきます。そうなれば、互いに対立したときでも、なぜ対立しているのかを理解できるし、たとえ同調も同感もできなくても、相手を頭から否定したり憎んだりしないでしょう。」


 定型とアスペではお互いに気づかないで異なるルール(生き方のスタイル)を持っていて、それが出会うときにお互いを否定し合って、憎しみまでを生んでしまう。そこでお互いのルールのズレを理解する努力をしてみよう、というのがこのブログのひとつの考え方なわけですが、ちょうどそういう話を文化ということに関してとてもわかりやすく書かれていますよね。

 では波平さんの話の「次」に大きな問題になることは何か、ということを定型アスペ問題で考えてみると、上の文章の最後の所、つまり「そうなれば、互いに対立したときでも、なぜ対立しているかを理解できるし、たとえ同調も同感もできなくても、相手を頭から否定したり憎んだりはしないでしょう。」というふうに、なんとかなったとしても、そのことでお互いのズレから来る現実生活の「しんどさ」の部分がすっと無くなるわけではない、という問題ではないでしょうか。

 たとえば文章の中の「外国のお客さん」のように、一時的には一緒に暮らしたとしても、結局は別々に離れて、距離を取って生きられる関係なら、ある意味「余裕」がありますから、波平さんのここの文章の話でもいけると思うのですが、夫婦関係のようにほんとうに生活を一緒にし続ける、人生を共にし続けるような関係の場合には、そうそう簡単にそんな「余裕の距離」をとることができないわけです。さらにうちでもそうだったように、そこに「子育て」といった現実的な問題が絡んでくると、「お互いの立場を認め合いましょう」という話だけではどうにもならないことが起こってきます。

 その問題については、やっぱり手探りが続くのかな、と改めて思います。

 
 

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コメント

パンダさん、ありがとうございました!

えっと、私からも引用させてください。
(書いてみただけですのでコメントは不要です~)

 ◆トラウマを思い出すシリーズ1

  相手から言われるとむしょうに腹が立つ言葉があるとき

  「だらしない」「おっちょこちょい」など、ある特定の言葉になぜか強く反応する場合は、
  子どものころ両親によく言われていたイヤな気持ちになった、
  友達にその言葉でいじめられたなど、トラウマが隠れている可能性があります。

 ◆トラウマを思い出すシリーズ2
 
  どうしても許せない性格や行動があるとき

  相手の性格や行動で、「それだけはどうしても許せない!」というこだわりが
  ある場合は、過去の心の傷にふれている証拠です。

 ◆トラウマを思い出すシリーズ3

  なぜかイヤな気持ちになる瞬間

  今まで楽しかったのに、相手のなにげないひとことや、ちょっとしたしぐさで、
  ネガティブな気持ちがムクムクとわきあがるときは、
  注意深く自分の気持ちを観察してみましょう、トラウマが隠れている可能性大です。
 
怒りは恐れである・・・
憎しみは愛情が欲しいの裏返しである・・・

パンダさん

私は、人のいう「寂しい」も「好き」も、パンダさんのおっしゃる「しんどさ」も、感覚的にわかることができません。
あらわにされた感情に、脅かされるような怖さをおぼえるため、それを受けとめたいと思っても、上手くできずにいます。

また私には、性格、身体、性別など、その人の特徴として語られることが、どうしてかわかりませんが、ぴんと来ません。
自分のこととして捉えにくいため、それらについて人から指摘されても、何だかとんちんかんな反応をしてしまいます。

人とすれちがう感じと、それに伴う不安な感じと、手をとり合って生きていく、その方法を手探りするような日々です。
人の中にあるいろんな感じは、その人だけの、その人にのみ意味をなす、特別な感じですから、大切にしたいと思います。

トマトです。

パンダさんが
『お互いのルールのズレを理解する努力をしてみよう、というのがこのブログのひとつの考え方なわけですが』と書かれています。

ASと定型の、会話の焦点の合わせ方の違いに「自分と相手の関係性ややりとりの例を出す・出さない」があるように思います。
定型は、相手のAS(夫婦・職場・親子・友達関係など)との関係性や「こういうことがあった」ということを具体的に伝えることにより、さらに正しく理解される。という基本的考えがあります。
定型にとって、過去の具体的事例は、相談内容そのものにプラスして、その場面のイメージを共有し、理解以上の共感をも呼ぶ「温度」の役割になります。
その温度を「共感」と呼ぶのだと思います。
その人の想いの熱が伝染する感じです。

ですから「やりとりや場面の一例」が具体的であるほど、質問内容や問題点という理論的なものを越えて
まず「その人の想い」をキャッチしちゃうのが定型で「感覚的な捉え方が先行される」のだと思います。
ゆえに、まずは本能的に共感とか同調とか、感覚を投げ返す。

私は過去に、AS友人とのやりとりを具体的に書いてASの人に「笑い者にしているようで不愉快」とか「ブライベートを公開する意図が解らない」とコメントされたことがありますが、ASの人には、関わりややりとりの具体例が「その人の悩みの根幹の手がかり」だとは映らないのではと思いました。具体例の価値観がASと定型では違うのではないでしょうかねぇ。

定型が具体的なことを書いて、それにASの人が親切にコメントすると、場合によっては

定型は「枝葉末端の部分を揺さぶられているような違和感がする」
ASは「書かれていることが全てではないのか?この内容から何を深堀りせよと言うのか?」

定型は「どうしてそういうふうに捉えるのか解らない、伝わってない感がある」
ASは「こんな捉え方もあるということで、人それぞれの捉え方で良いではないか」
という・・・ひとつの着眼点にズレが生じるように感じます。

この着眼点のズレが、着眼点の違いになると、俄然「すごい! 目からウロコです」という感謝、感激につながるんですけどね。

コルテオさん

>私は、人のいう「寂しい」も「好き」も、パンダさんのおっしゃる「しんどさ」も、感覚的にわかることができません。

 そうなんですね。そこ、アスペ定型問題を考える上ですごく大事なところだと思います。

 ひとつよろしければお尋ねしたいのですが、コルテオさんが「感覚的に分かる」というのはどんなことになるでしょうか?きっと何もかもわからない、ということではないと思うので。

パンダさん

ご質問いただきまして、ありがとうございます。わかりにくい表現をしてしまって、ごめんなさい。
「感覚的にわかる」とは、言葉を知っているだけでなく、自分の中で生まれて動く、ということです。
胸がつまるというのは比喩でなく、胸は本当につまるということを、あるとき、体を通して知りました。
寂しいにも、好きにも、それぞれの、どうしようもない胸の感じがあるのではないかと、想像しています。
それと…「自分のこととして捉えにくい」とは、自分のことなのに他人事のように感じる、ということです。

パンダさん、今年は、大変お世話になりました。どうぞ、良いお年をお迎えください。

コルテオさん

 どうもありがとうございました。

>「感覚的にわかる」とは、言葉を知っているだけでなく、自分の中で生まれて動く、ということです。胸がつまるというのは比喩でなく、胸は本当につまるということを、あるとき、体を通して知りました。寂しいにも、好きにも、それぞれの、どうしようもない胸の感じがあるのではないかと、想像しています。それと…「自分のこととして捉えにくい」とは、自分のことなのに他人事のように感じる、ということです。

 コルテオさんの書かれたこういう感覚が、一体どんなものなのか、私なりに想像しようとしてみているところです。特に「自分のこととして捉えにくい、とは、自分のことなのに他人事のように感じる」と書かれているところはどういう感じなのかな、と考えています。

 こんな風に書かれるということは、コルテオさんは「自分のこと」についての感覚が全然無いわけではないということですよね?というのは、「他人事のように感じる」と書かれていることから理解すると、「自分のことのように感じる」というのはどういうことなのかについて、コルテオさんにはそれなりの理解があって、それとは違う「他人事のように感じる」ことの理解があって、それで「今のこの感じは<自分のことのような感じ方>ではなく<他人事のような感じ方>だ」と思われるのかな、と考えたからです。

 もしそういう私の想像が的外れでなければ、の話ですが、そうだとすれば、コルテオさんも私と同じように「自分についての感じ方」と「他人事のような感じ方」の区別があって、その上で改めて「自分のことなのに他人事のように感じる」という場合がある、ということになるのかなと思いました。この理解ってあってますでしょうか?

 (ちょっとわかりにくい書き方になってるかもしれませんので (^ ^;)ゞ、わかりにくいところはまた教えてください m(_ _)m )

パンダさん

私の感じ方を想像してくださり、ありがとうございます。
うれしいようなおそれ多いような、不思議な気分です。
質問を理解するのがむずかしく、考えているところです。
なにかヒントをいただけましたら、とても助かります。

コルテオさん

 わかりにくい質問ですみません m(_ _)m
 読み返してみると実は私自身がよく整理されていなかったりしてるみたいで (^ ^;)ゞ
 
 少し戻って改めてご質問をさせていただく方がいいかもしれません。
 
>私は、人のいう「寂しい」も「好き」も、パンダさんのおっしゃる「しんどさ」も、感覚的にわかることができません。

 ここでコルテオさんが書かれていることは、他人の感情についてはどんな感情についても「感覚的にわからない」ということでしょうか?あるいは「寂しい」「好き」「(パンダの言う)しんどさ」については「わからない」ということで、それ以外に「感覚的に分かるものもある」という意味でしょうか。

パンダさん

ありがとうございます。お手数をおかけしました。
人の感情のうち、「感覚的にわからない」のは、私が感じたことのない感情です。
人の感情のうち、「感覚的にわかる」のは、私が感じたことのある感情です。
以上です…ちゃんと答えになっていますでしょうか。

コルテオさん

 ありがとうございます。よくわかりました(と思います)し、
 「やっぱりそうだよね」という感じもあります。

 そうすると、コルテオさんにとって分かりやすい感情と
 わかりにくい感情ってそれぞれどんなものなんだろう、とか、
 (寂しい、好き、しんどい、は既に書かれていますが)
 コルテオさんには感じられるんだけど、定型にそれを話しても
 なかなか理解してもらえないように感じられる感情ってなんだろう、とか、
 そういうことにちょっと興味(?)が出てきます。

 また機会がありましたら、ご無理のない範囲で教えていただけると
 うれしいです m(_ _)m

 私は勝手な興味(?)でお尋ねしてしまっていますので、
 くれぐれもあまりご負担にならないようにしてくださいね。

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