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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月 9日 (月)

感情世界の作り方の違い

 「奇跡の歌姫」とか言われて話題になった、イギリスのスーザンボイルさんが、1年ほどまえに「アスペルガー」と診断されたと語っているそうです。子どもの頃からいじめられたりしてきて、診断が出て「ほっとしている」とのこと。(アメリカの精神医学会の診断基準として使われている最新のDMS5からはアスペルガーという用語は消えて「自閉症スペクトラム障害」という名前に吸収されたみたいなので、これからはそういう「診断名」も少なくなっていくのでしょうね)

 ボイルさんの話で改めて思ったことですが、アスペの方でも感情(情緒?)の世界が飛び抜けて豊かな方も少なからずいるわけですし、またそれを歌や写真など、芸術的な形で表現することもされる。その自分の表現を他の人が喜んでくれれば、それは嬉しいとも感じられる。

 これだけを書くと、定型的にはすぐに「豊かな感性と共感能力」と言ってしまいたくなりそうですが、そこで理解にズレが生まれてしまうわけですね。きっと。

 そのことを考えるときに納豆さんのコメントは私にはとてもわかりやすく感じられました。私の理解で言えば、アスペの方は「感情の世界も自分の中で完結する傾向が強い」という印象で、「感情世界をお互いに共有して関係を調整しようとする」定型との間で、やりとりにそこで大きなズレを生んでしまう。

 そういうズレが生まれたときに、定型の側からキーワードとして出されるのが「共感」で、アスペの方を「共感能力が低い」という形で理解しようとする。そして「共感能力が低い」のはそもそも「感情理解の能力が低い」とか、「心の理解が発達していない」という話になっていって、それで「他者の感情が理解できない」だけではなくて、「自分の感情についても理解しにくい」という見方にもつながっていく。

 でも、その話をそのまま定型的な感覚で受け止めると、たとえばスーザンボイルさんのように「豊かな感情世界を表現される」人のことが分かりにくくなりそうです。というのは「共感能力が低い」という定型的な理解は、「感情に乏しい人だ」という理解につながりやすいからです。「感性豊かで感情豊かな人は、他の人の感情にも共感できる」という理解の仕方を、定型はよくやると思うんですが、そのパターンに当てはまらないんですね。そこで定型(少なくとも私)の理解は混乱してしまいがちになる。

 だけど、アスペの方からすれば、そこにはなんの矛盾もないし、なんの不思議もないのだろうと思います。「自分の中には豊かな感情世界がある」し、だから喜びも悲しみも苦しみもあって、辛さの余り鬱になることも少なくない。そしてその感情はあくまで「自分の感情」で、「自分の中の問題」で、他の人との関係を作るときにベースにあるものではないし、共有する必要があるものでもない。

 そうすると、お互いに違う感情世界を持っている別々の人間なのに、なんのために無理矢理「共感」する必要があるのか、それはほんとに意味がよく分からないことだ、という疑問を持たれるのが、アスペの方の素直な感じ方になるのではないでしょうか。

 もし私の理解が的外れでないのだとすれば、問題は「感情の有無」ではもちろんなくて、「感情世界を他の人と<共有>することの必要性についての感覚の違い」なんだろうと思えます。そしてその「必要性の感覚の違い」は、たとえば「なぐさめられることで(たとえ現実の問題は直接解決されなくても)救われる思いになる」かどうかとか、「悩みを聞いてもらうことで(たとえ現実の問題は直接解決されなくても)気持ちが楽になる」かどうかとか、そういう経験の有無にもむすびついていて、そういう経験をいろいろ持っている定型は「必要」と感じるし、それがないか乏しいアスペの方は「必要ない(意味がない)」という理解になる。

 そしてもしそういう経験の違いがあるのだとすれば、そういう経験をしばしばする定型の方は、ますます感情を他者と交流することで自分の問題を解決しようとすることが増えるだろうし、そのやりかたもいろいろ工夫するようになる。そしてそういう経験がないか乏しいアスペの方は、そんなことに力を使う意味は感じられないから、あくまでも自分個人の問題として、自分の中で解決するスタイルを作り上げて行かれる。

 じゃあなぜそういう経験の有無が生まれるのか、それは私には分かりません。環境の違いが原因でないことはまず間違いないと思いますし、むしろ環境の受け止め方、感じ方の違いがベースにあるんだと思いますが、そういう違いが生まれる原因はわからない。そこまでいくと、それこそ脳の働き方に違いがあるとか、そういう説明の仕方になっていくんだろうと思いますが、それはそれだけの話で、そういう説明をしたからといって、私たちが日常でズレに悩んでいることがそれで直接解決するわけでもありませんから、そこはここでは置いておきたいと思います。

 ここで私が大事に考えてみたいことは、上のような基本的なところでの「感情」についての経験の違いが、「他人との間で感情の問題をどう解決していくか」ということについてのスタイルの違いを生んでいき、また「人にとって感情世界はどんな意味を持っているか」ということの理解の違いも生んでいき、一方では「感情は個人の問題」と考えるスタイルを、他方では「感情は人と人をつないだり対立させたりする大事なもの」と考えてそこにものすごく気を遣うスタイルを生み出していくのではないか、ということです。

 そしてこの全然違うスタイルを持って生きてきた二人の人間があるときお互いを求めてカップルになり、そのスタイルの違いに気づかないまま「わかり合えない」しんどさを積み重ね、激しい対立を生んだり、ひどくなれば重い鬱状態になったり、離婚になるかあるいは命を絶つかといった展開にもなりかねない。

 そんな風に考えてみると、私としては今までぼちぼちとばらばらに考えてきたことにまたつながりが見えてくる感じがしますし、「ああ、それならアスペの方がよく言うことばが分かる気がする」という思いも出てきます。そしてお互いが人との関係で何を大事と感じ、何を求めているかの違いを理解しながら、改めてお互いの関係を調整していくための大事な手がかりの一つが得られるように思います。

 ……ただ、もちろんアスペの方がこれを読まれて「何をパンダは勘違いしてるんだろう?」と思われるかもしれないわけですけどね (^ ^;)ゞ

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コメント

感情についてのお話、とても興味深く読ませて頂きました。
そこで、ブログを読んで、この質問というのも的外れかもしれませんが、差し支えなければお答え下さるとありがたいです。

私の友人は、例えば私にプレゼントを渡す、それに対して私が「ありがとう。うれしい」と返す。
それを、「気持ち悪い」と言います。
ありがとう、が、うれしい、が気持ち悪いと。
これは、アスペルガーの方特有のものなのでしょうか。奥様はいかがでしょうか?

また、もし問題がありませんでしたら、こちらを読んでいるアスペルガーの方のご意見もお伺いしたいです。
皆さんやはり、そういった感謝の気持ちや喜びを伝えられることは、気持ちが悪いものなのですか?

私はこのような反応をされる度に、混乱し、時に悲しいような気持ちになります。
ずっと疑問というか、心に引っかかっているのです。

パンダさん、もしも、問題等ありましたら、このコメントは削除されても大丈夫です。

毛布さん

 おはようございます m(_ _)m

>ありがとう、が、うれしい、が気持ち悪いと。これは、アスペルガーの方特有のものなのでしょうか。奥様はいかがでしょうか?

 これはいろんな可能性が考えられそうで、ここだけではよくわからないですが、
 たとえば一つの可能性としてはこんなことを想像します。

 その友人の方はプレゼントを下さったわけですから、多分それは好意なのですよね。
 で、相手から好意を示されたとき、それをどう受け取ったらいいかは結構むつかしくて、
 私の経験から言うと、日本ではすぐに御礼を言ったり、またすぐにお返しをしたり、
 そういうことが多いし、望ましいと考えられているように思います。
 
 ところが海外では必ずしもそういう所ばかりではなくて、
 ちょっと極端に言うと御礼を言うと怒られるような場合もありました。
 もちろん私はびっくりしてしまったのですけれど、
 その人の「好意」(私はあなたのために純粋にしていることなのだ)を
 なんだか無にされるようにも感じたりするようです。

 ちょっとわかりにくいと思いますが、どういう事かというと、
 こんなたとえ話で少しわかりやすくならないでしょうか。

 もし毛布さんが困ってる友人のことを、本気で自分を犠牲にしてでも
 助けると言うことがあったとします。
 その友人はもちろんものすごく救われた思いになって、
 なんとか「恩返し」をしなければならないと真剣に考えて、
 突然毛布さんに100万円をくれたとします。
 そのとき毛布さんはどんな風に感じるでしょうか?
 卑しい私なら嬉しいですが(冗談 (^ ^;)ゞ)、
 多分ショックを受けられるんじゃないでしょうか。

 なんで私のこの必死の思いが「100万で買われる」わけ?
 私はそんなことのために助けたんじゃない。
 私の気持ちをそんな風にしか受け取ってくれないわけ?
 とか、そんな風に感じられないでしょうか。

 これ、100万とか、お金だから私たちには分かりやすいですが、
 人によっては「感謝のことば」や「御礼」もそういう意味を持つことがあるようです。
 
 この例がその友人の方に当てはまるかどうかはなんとも分かりませんが、
 もしかするとその方は「自分は別に御礼を言ってほしくてプレゼントした
 訳じゃないんだけどなあ。ただ自分の気持ちでしただけのことで」
 と感じられて、なんとなくしっくりこなかったのかもしれません。
 だから、もしかすると、黙ってなんとなく嬉しそうにしていたり、
 それで十分だったのかもしれない。
 そしてその友人は毛布さんのことを友人だと思っているから、
 そういう「正直な気持ち」をそのまま毛布さんに伝えてこられた。

 いや、ほんとにひとつの可能性の話でしか無くて、
 この場合はまったく的外れかもしれませんので、単にご参考までに。

 パートナーとの関係では、私からプレゼントをしたときに
 すごい笑顔になって「うれしい!」とか言われた記憶はほぼありません。
 私は「僕からプレゼントされても嬉しくないのかな」としか思えませんでしたし、
 それはとても辛いことでしたが、
 そういうことではない可能性もあるということですよね。
 むしろ彼女はそうやって喜んで見せたり御礼を言ったりすることが
 「しらじらしいこと」になると考えているのかもしれません。
 これ、そのうちに改めて彼女に聞いてみようかな。
 

共感能力が低いというよりは必要がないからしない、という感じなのかな、と勝手に解釈しているのですが、いかがなんでしょう。
私は、自分では境界例だと思っているので、昔はよく他人の共感能力につけこんだモノですが、アスペルガーの方の共感の手段を使わない人間関係の作り方に揺さぶられ、勝手に分析しながらも、「そういう見方もあるんだ!すごい!」と関心していたりします。
やはり、ただの推理なので間違っている事や、アスペの方ごとの性格もあるんだと思います。

◇皆 さま

こんにちは、アスペルガールです。

あの、毛布さんの問いと、納豆さんの問いに回答させて頂きたいのですが、
その前に、『共感』と『同感』の言葉を定義をお願いできませんでしょうか?

言語というものは、
その人の今までの人生において意味が大きく変化することがあります。
だから、私が一方的に「こうだと思う~」と意見を述べてしまう前に、
『共感』と『同感』、それぞれの言葉の定義を教えて頂ければと思いました。

宜しくお願い申し上げます、ペコリ

◇毛布 さま

はじめまして、アスペルガールと申します。

当事者女性です。
詳しくはコメントにホームページリンクがあるため省かせて頂きます。

---以下引用--------------------

>私の友人は、例えば私にプレゼントを渡す、
>それに対して私が「ありがとう。うれしい」と返す。
>それを、「気持ち悪い」と言います。
>ありがとう、が、うれしい、が気持ち悪いと。

-------------------------------

毛布さんは、友人に頂いたプレゼントが「心から感動するほど」嬉しくって、
感動のあまり、ついポロッっと「ありがとう。うれしい」と仰いましたか?

それとも、プレゼントへのお礼は当然といった意味合いで仰いましたか?

パンダさま

返信ありがとうございます。
レスが遅くなってしまい、申し訳ありません。
パンダさんがおっしゃっているように、相手にとっての感謝の言葉はどこかの国のそれのように、私の意味する物と異なっていたのかもしれません。
勿論私は心底嬉しくて発した御礼の言葉でしたが、相手にとっては形だけの中身がないもののように感じたのかもしれません。文面でのやりとりだったので、尚更に。
貴重なご意見をありがとうございました!
心のもやもやが少し晴れてきたように思います。


納豆さま

はじめまして。毛布と申します。納豆さまのコメントは、パンダさんへのものかなとも思いましたので、的外れなことを言っていたら、申し訳ありません。
改めて「感謝の気持ちを伝える必要はない」というお考えだということでしょうか?


アスペルガールさま

はじめまして!返信をありがとうございます。

私にとっての
「共感」は、例えば、友人が転んだとする、友人が痛がっている。
私も、「それは痛いだろうなぁ」と思う。字のごとく、「共に感じる」という感じでしょうか。

そして
「同感」はより、相手の内面に寄り添うイメージです。例えば、友人の職場に嫌な上司がいる。それについての愚痴を聞く。それを聞いて私も「そいつは嫌な上司だ。同感だ」と思う。

私自身は、このように場面によって、共感と同感を使い分けているように思います。
私はあまり頭も良くないので;文章も稚拙ですが、何卒ご了承ください^^;

もう一つの質問についてですが、私は大好きな友人からのプレゼントに、本当に嬉しくてポロっと出た発言でした。ただ、メールでのやりとりだったので、相手はどんな風に受け止めたかは、ちょっと不安です。

◇毛布 さま

こんばんは、アスペルガールです。
早速のご返事ありがとうございました☆彡

メールでってことは、
相手の方はメールで「気持ち悪い」と、返信があったとのことですよね。

ムムム、、、

これはそれまでの仲良しの度合いにもよりますが、
いわゆる、男の友情的な発想が好きなタイプなのかもしれません。

こんな風に~
http://www.animeplus.tv/hunter-x-hunter-2011-episode-108
(19:30分-20:00分)

私はアニメや漫画や映画から振舞いを模範したところがありますから、
こういった友情の形に憧れを感じて「そのまま」演じたりもしてました。

また、毛布さんは「心から嬉しくての感謝」ということから、
内面と言葉のギャップがあることへの「気持ち悪い」ではないと思いました。

人の内面に敏感なタイプであれば、
メールでも、「心から嬉しいのか」「違うのか」分かるような気がしますから。

理由がどうであれ、
相手に「やめてほしいか」を伺って、「やめたほしい」と言うならやめる迄で、
「こちらの反応を期待しないのなら続けてもいい」というのなら、続ける。

毛布さんがどうしても「感謝をことばで表したいのに」やめてほしいと言うなら、
仕方なく距離を置く。。。

 「お互いがお互い、感謝の仕方は違うけど、お互い違いを受け入れようね」

といった気持ちにお互いなれなければ、関係継続は難しいですし、
アスペルガーだから素っ気なさが許されるわけではなく、
大切な友人とはお互いに譲り合うことが大切だと思います~


『共感』と『同感』については他の方の意見を頂いてからに致します(´▽`*)

------------------------------

集団心理的には、「人は初めの方の意見に同意する」傾向がありますので、
そこらへんを加味していただき、オリジナリティ溢れる意見を聞けるのが楽しみデス。

------------------------------


◇納豆 さま

はじめまして、アスペルガールと申します。
(当事者女性です。)

もし、お暇がございましたら、『共感』と『同感』について、
コメントを頂けると非常に嬉しく思います。

お忙しい中、一方的にお願いをさせて頂いておりますので、
そのままスルーでも全く気にしません~

では、以上、はじめましての挨拶でした♪

同感、と、共感。あらためて考えてみたんですが、とても難しい...スーザンさんの記事に対し、「スーザンさんは、歌詞や歌の世界観に共感しているというよりは、歌詞や曲から自分なりに何か織り成したモノを出力しているんじゃないかなぁ」という意味合いで、軽い気持ちで書いてしまいました。なので、間違った言葉選びだったかもしれません。申し訳ないです。
「同感」は、相手の意見に自分の意見が近いというのを表現するためにある言葉という認識です。「共感」は、以前パンダさんがおっしゃっていたピアノの共鳴や感受性の伝播のような、イメージ ですかねぇ。

1日考えたんですが、うまい言葉がみつかりませんでした。

毛布さん、私にはお答え出来るかわからないんですが、もしかしたらお相手の方は「わざわざ感想を伝える」事を嫌がったのかな、と思うんです。
だから、毛布さん個人を気持ち悪いと思っている訳じゃないのかも知れないので、落ち込まないようにするしかないのかな、と。

お礼は、個人的には何かしてもらった時や、モノをもらったりしたら言えばいいと思います。
気持ち悪いと言われて、傷付いた気持ちは、相手に伝えて良いのかは、お相手の方にしかわからないのじゃないかな。
私は境界例(ほとんど感情で生きていて、相手に共感を求めてしまう)なので、正解がわからないのです。ごめんなさい。

◇納豆 さま

こんばんは、アスペルガールです。

ご返答ありがとうございました、
また、1日も考えて下さったなんて感激です!
そして感謝デス☆彡

---以下引用--------------------

>スーザンさんは、歌詞や歌の世界観に共感しているというよりは、
>歌詞や曲から自分なりに何か織り成したモノを出力しているんじゃないかなぁ

------------------------------

この「自分なりに何か織り成したモノを出力」って部分、
めちゃくちゃ良いですね。

例えば、ピアノ演奏とかって、みんな同じ曲なのに何故か違う・・・・・・
そこには「何か織り成したモノ」があるのですが見えない、でも何かある。

そんなもの、たとえば、芸能人オーラみたいなものがあって、
それを体で感じ、意識しなくとも、なんとなく、共鳴(共感)してしまう、

それが、定型発達とよばれる方がしていらっしゃる『共感』だぁーー
といった意味合いなのでしょう~と受け取りました。
(えっ違うよ・・・であれば教えて頂けると幸いです。)

なんだか分かってきたような気がします。ありがとうございました。

毛布さん

>勿論私は心底嬉しくて発した御礼の言葉でしたが、相手にとっては形だけの中身がないもののように感じたのかもしれません。

 あと、そこで「うれしさを共感する」みたいな感じにはなりにくいのかなあと思うことがあります。私の彼女へのプレゼントについても少し体験談を書かせていただきましたけれど、実際には大事にずっと使い続けてくれている物もあるんです。それを見ると「ああ、気に入ってもらえたのかな」とは思うんですが、でもプレゼントしたときに「わあ!ありがとう!うれしい!」という感じにはならないんですよね。とてもたんたんとしている感じで。

 ところが「外の人」に対しては彼女はそんな対応をすることもあるので、それを見ると「僕のは嬉しくないのか」と思ってしまったわけですが、どうもそれは逆で、「外の人」には「そういう反応を返さないといけない」と「学習」して意識してそうしているみたいなんです。でも「内の人」である私には彼女にとってより自然な形で振る舞うので、「わあ!ありがとう!うれしい!」はかえって大げさで白々しく感じるのかなあと思います。こちらが喜んで御礼を言う場合も、ほんとにそう感じて言っていたとしても、そこはうまく伝わらないのかなあと想像しています。

 「自分にとって自然な人間関係」の感じがやっぱりいろいろずれちゃうんでしょうね。だからそのお友達の方についても「無視している」とか「攻撃している」ということとはちょっと違って、「(その方の「自然な感覚」から見たときの)違和感を素直に伝えられた」という感じかなと想像しました。

◇皆 さま

こんにちは、アスペルガールです。

共感と同感についての私個人の意見は、コチラに追記させて頂きました。
ご興味があれば、読んでいただけると嬉しく思います~
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-fb6b.html#comment-103313782

色々教えて下さりまして有難うございましたペコリ

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