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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月18日 (水)

薬と人生のスタイル

 これは今はまだ空想の話です。

 アスペルガールさんがご自身のブログで「アスペは笑顔に伝染しない?」という面白い記事を書かれていて、そこでも紹介されていますが、今、脳科学で「その人の脳のどの部分がどんなときに活発に働いているか」ということが盛んに調べられているみたいですね。それでアスペと定型の違いを見つけて、「ここがアスペルガーの人の働きが悪い」とかそんなことを「発見」していくわけです。

 そうすると、「アスペルガーの人は、ここの脳の働きが悪いから、人と共感できず、コミュニケーションがうまく取れないんだ」という理解になってきて、「じゃあ、この部分の脳が働かないのは何でなんだろう?」という話になり、いろいろ調べていって、たとえばいちばんシンプルな答えとして「その部分を働かせるための○○という物質が不足している」ということが「発見」されるかもしれません。

 そうすると「アスペルガー<治療>の根本的な方法が発見された!」ということになって、新薬が開発され、お医者さんが「あ、アスペルガー(いや、新しい診断名では「自閉症スペクトラム」でしょうか)ですね。じゃあこのお薬を飲んで下さい。」という風に薬を処方するようになり、それで実際その薬を飲んでみると、アスペの方たちはそれまであまり感じなかったか、あるいはほとんど感じなかった他人の感情が、まるで「目が見えなかった方が手術で目が見えるようになった」ように、どんどん感じられるようになってくるかもしれません。

 鬱や統合失調についての治療が今ではそれにかなり効く薬が見つかっていて、症状を緩和する場合が多くあるように、そういうことがアスペの方の「共感(ここでは感情の伝染)の力」にも将来のいつかに起こる可能性はありますよね。

 で、ここからはそういう空想の話を前提にしてのもうちょっと現実的な話です。考えたいことは、「薬(あるいは手術とか)で定型アスペ問題はほんとうに解決するんだろうか?」ということについての疑問です。

 これまでこのブログでは、みなさんのコメントを頂きながら、あっちにいったりこっちにいったりしながら、大雑把に言うと次のような理解をしてみました。

 まず、定型アスペでは、「見えている(感じている)世界にかなりのズレがある」ということです。そうなる原因については、上に書いたような脳の働き方の違いがあるのかもしれないし、そしてそういう働き方の違いが生まれるのは、遺伝的なことが原因になっているのかもしれないし、そのほかのことが原因なのかもしれないし、そこは私には分かりません。いずれにしても、「見え方のズレ」はまちがいなくありますし、みなさんのコメントやパートナーの話を聞いていても、それはかなり小さな子ども時代からそうであるようです。ただそれがどこまで遡れるのか、生まれたときにはもうそのズレがあるのか、その可能性は高そうに思いますが、私にはなんともわかりません。

 次に、そういう「見え方(感じ方)のズレ」を前提として、アスペの方も定型も、どちらも自分の生き方のスタイルを作り上げてきていると言うことです。アスペの方は「共感的にお互いの感情を調整する」ということはせず(あるいは問題にならず)、定型世界の人間関係を観察してその「秘密」を「理屈」で理解しながら付き合い方を模索し、またそれとは違うご自身の感覚の世界を、他者との交流をあまりせずに、自分の世界として作り上げて行かれる。定型は逆に「感情的な関係調整」をベースに持ちながら人間関係を作り上げていき、ある意味ややこしい「思い遣り」や「配慮」の世界を作り、「本音」と「建前」もそこで複雑に使い分けながら集団を作って生きるスタイルを育てていく。

 そういうアスペ定型が出会って、関係が深まれば深まるほど、お互いの生きるスタイルの違いに戸惑うことになります。まずはスタイルが噛み合わないので、議論しようとしてもそれがうまく噛み合わない。そしてその前提として「見え方(感じ方)のズレ」があることにはますます気がつけないので、「同じ物を見ている(と思いこんでいる)のになんで通じないのか?」がどうしても理解できない。そうやって不毛の対立が起こり、関係を調整しようとすればするほど、逆にズレがひどくなって精神的にもぼろぼろになってしまうことが起こる。多数派の定型は「私が正しい」という思いで逃げ道を見つけることも比較的しやすい立場でしょうが、アスペの方はそこで多数派から常に否定され続けるので、ますます「他の人には決して理解されない私の世界」を必死で守ろうとされ、多数派との付き合いには疲労困憊して「社会的不適応」状態に成りやすい。(家庭という閉じられた世界では、女性が定型の場合、そういう「力関係」に逆転が起こることもあり得ますので、その場合は結果が逆になるかもしれません)

 そういう状況でアスペの方に「特効薬」が提供され、脳の働きが変わってどんどん他者の感情が自分の中に伝わってくるようになったとします。そうすると何が起こるでしょうか。いくつかそのことを考える手がかりになりそうな話を思いつきます。

 ひとつは昔聞いた話ですが、目が見えなかった方が手術で目が見えるようになったという例です。手術後、その方は今まで経験したことのない「視覚の世界」が突然現れてきたわけですが、それが何を意味するのか、なかなかわからなかったそうです。なんだか光の模様が見えている感じだったかな。それから時間をかけて、その光の模様を手がかりにして行動できるようになって行かれる。

 つまり、それまでアスペの方は「他者の感情」というものは、頭で推理することが普通だったのに、いきなり自分の中に伝わってくるようになると、この「視覚の世界」を初めて体験した方のように、まずそれが「何を意味するのか」がそう簡単にわかることはなさそうに思えます。もちろんご自身の感情的な体験と比べて「これはこんな感情だろう」ということは分かると思うのですが、でも多分さらに「自分の感情」と「自分が感じている(推理しているではなく!)他人の感情」という二つのものが混乱してしまうのではないかと思うのです。

 このことについてはアスペルガールさんがコメントされていることが参考になるように感じます。アスペルガールさんはある程度相手の人の感情の揺れとかが伝わってくるタイプの方と言うことですが、そうやって伝わってくることは、必ずしもプラスというわけではなく、相手の人の感情状態に巻きこまれてしまうあやうさを感じられているように思いました。

 なぜそういうことが問題になるのかを考えてみると、定型の場合は「お互いに感情状態が伝わり合う」ことを前提に、それを言葉や行動などで調整していくスタイルを身につけていきます。だから、相手の感情状態を受け止めることは、自分の感情状態をコントロールすることと、言ってみればセットに成り立っているんじゃないかと思うんです。そしてそれは多分ほんとに赤ちゃんの頃からの長い「修行(?)」によって身についてくるものなんだろうと想像するんですね。

 けれどもアスペルガールさんの場合は「伝わってくる場合もある」ということのようですが、「それが普通のこと」という感じではないようにコメントを拝見していて思いました。ですからやっぱり定型世界でものすごく苦労されたわけですし、生き方のスタイルとしてはやはり定型的と言うより、基本的にアスペ的なスタイルを育ててこられたのではないかと想像するんです。そういうスタイルを持っている方に相手の感情が「伝わってくる」ことは、場合によって混乱を生んでしまうような危険なことにもなりかねないのではないかと思うんです。

 もちろん、少しずつそういう「伝わってくる世界」にも慣れて行かれることになるのでしょうが、そこで「慣れる」と言うことの意味は、それまでの人生で自分が作ってこられた自分の生きるスタイルを、定型的なスタイルに切り換えていく作業をしなければならない、ということでしょう。でも「生きるスタイル」を切り換えるというのは、口で言うのは簡単ですが、それは壮絶な出来事だと思うんですね。だって人の生き方というのはほんとに長い年月で作り上げてきたもので、薬を飲めばスイッチが入って切り替わる、というようなそんな単純なものでは決してないからです。(たとえば麻薬を飲めば一時的に人格が変わりますけど、あれは「おかしくなる」ということですよね。もうひとつの新しい生き方に切り替わるのとは違うわけです。)

 ですから、薬の安全な使い方がわかって、物心つかないようなほんとに小さい内から「伝わってくる」世界を体験しながら、それにあわせた自分の生き方を作り上げていくようなことでもない限り、すでにアスペ的な生きるスタイルを身につけられた方がいきなり薬の力で「伝わってくる」世界に入り込んだとしても、それで「アスペ定型問題が解決!」ということにはならないだろうなと思います。

 立場を逆にして、定型がその「伝わってくる世界」を薬によって押さえて、アスペの方たちが体験しているような「(あまり)伝わってこない世界」に生きることになったとすれば、定型はその経験したことのない「新しい世界」に大混乱を起こして、どうしていいかわからなくなってしまうだろう、と思えますし、そこで「新しい世界」に適した「新しい生き方のスタイル」を身につけろと言われても、どれだけそれが大変なことかは想像にあまりあります。つまりはそういうことが起こるんじゃないか、という話です。

 
 まあ、ここで考えてみたことは今のところは空想の世界の話でしかないわけですが、こんな風に考えてみると、お互いに「相手の生きるスタイルを大事にする」ということが、ほんとに重要な意味を持っているんじゃないか、ということが改めて感じられてきます。それはアスペルガールさんが「元々、空を飛べない鶏に、それを求められても、応えられない罪悪感しか存在しなくなってしまうのではないでしょうか。」とコメントされていることにもつながってくることだと思います。パートナーも最近そういうことをとても強調するようになりました。

 トマトさんは人との感情的な交流を求めたがる定型のスタイルを「欲が深いのですよね、定型の方が。」と自省的に書かれていますけれど、そうすると定型の側から言えば、「相手のスタイルを大事にする」ということはこの「欲の深さ」をどうにかしなければならない、ということにもなりそうです。それって「煩悩を捨てる」みたいな、お坊さんの修行の世界に入るようなことになるんでしょうか?でももしそれだけになると、定型だけが修行して相手に合わせる、ということになる感じもして、それもなんか不公平な気がするし、その辺、やっぱりまだすっきりしません。「お互いに努力し合う」形がいいんだけど、それがどうやったらうまく噛み合うのか、むつかしいい~ (^ ^;)ゞ

 
 

 

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コメント

これ、空想の話じゃなくて、すでに出てる話なんですね!

===============================
自閉症患者が母乳の分泌を促すホルモン「オキシトシン」を服用すると、他人の気持ちをくみ取るのが難しい症状が改善すると、東京大の山末英典准教授の研究チームが18日付の米医学誌に発表した。治療法につながる可能性があるという。
 研究チームは、知的障害を伴わない自閉症の成人男性40人にオキシトシンを鼻から吸い込ませた上で、俳優が笑顔で不快な言葉を発する映像と、嫌悪の表情で好意的な発言をする映像を見せた。
 自閉症患者は通常の人に比べ、表情より言葉の内容そのものを重視し、真意をくみ取れない傾向があるが、オキシトシンを服用した場合は表情から気持ちを判断した回数が約6パーセント増えた。また、他人の感情や考えを理解する際に働く脳の部位が、活発に活動していることも確認した。 (2013年12月19日(木)7時5分配信 時事通信)
===================================

それにしても、まるで記事が予告したようなタイミングにびっくり (^ ^;)ゞ

◇パンダ さま

お世話になっております、アスペルガールです。

このテーマはなんだか、
いつもよりも気合が入っている様な気がしました~
ご丁寧にありがとうございました。

また、パンダさんの分析にも学ぶところがあります。
ブログも全て読もうと思っているのですが、、、
沢山のコメントも含めると膨大でアワアワしています。

とても貴重で有益なブログだと思っています☆彡

---以下引用-------------------

>相手の感情状態を受け止めることは、
>自分の感情状態をコントロールすることと、
>言ってみればセットに成り立っているんじゃないかと思うんです。

-----------------------------

そうなんですね(*´▽`*)

パンダさん達(定型発達の方)は、この感じを楽しいと思うのですか?
この感じをどう捉えるのかも大切な気がしています。

---以下引用-------------------

>それって「煩悩を捨てる」みたいな、
>お坊さんの修行の世界に入るようなことになるんでしょうか?

-----------------------------

以前にも少し書きましたが・・・私はコレをしてきました。
エゴを捨てれるだけ捨ててきました。という表現だったと思います。

恐らくASと定型が仲良くするには、
お互いにそうすることが大切なような気もしています。

ASが仏教を好むことが多いのもそのせいではないでしょうか・・・
(本来の仏教は「宗教」ではありません、ここはまた改めて。)


オキシトシンについての記事を有難うございました!
グッドタイミングでしたっ

 オキシトシンについてはコレも興味深いです~

 オキシトシンは、「“愛情”ホルモン」ではなく、「“愛憎”ホルモン」?
 http://yashoku.hatenablog.com/entry/20120310/p2

この分子栄養学者の説とパンダさんの説を絡めて考えると、
ASが博愛となりなすい理由にも繋がりそうな気がしています。
(近親者にとって博愛が迷惑となることも事実でしょう)

これは子育てされている方からしてみれば、
本当に有益な情報でもあると思っているのですが、

私はASは治療が必要なものとは捉えていないのです。

自然発生的にそうゆうタイプがある一定生まれるということは、
何らかの意味があると考えています。

勿論、ASだからソーシャルスキルは適当で良いとは思っていません。

ですが、私にとってソーシャルスキルとは、
数学が出来るかどうかと同様のスキルの1つだと認識していて、

逆に、ソーシャルスキルにめぐまれている人に存在しない部分を、
いかに伸ばして評価してあげられるかの方が大切だという認識です。

人と関わり感情をシェアすることで得られる人間という種の進化もあり、
人と関わらず内にこもることで得られる人間という種の進化もある、

色々なタイプがあって良いのだと思っています。

ただ、ここから先の話は、ソーシャルスキルかどうかという問題ではなく、
妻が夫を褒めるのは、これはもう、絶対的に必要だという認識です。

アンジェリーナ・ジョリーが記者に
 「ブラッドは最高の夫よ、本当に素晴らしいの」と言ったとありました。

果たしてこれは本心からでしょうか、
と考えると、絶対的にそうではないと思うんですよね。

でも、そうでなくても夫は褒めるものなんですよ。
そうしないと、男性というものは元気がなくなってやる気が枯渇してしまう、
私はそんなイメージを持っています。

で、AS女性は正しさを追求するが故か、ほめないことが多いです。

これは、めちゃくちゃ良くないです。

パンダさんは、ある一定上、パートナーさんから褒められれば、
「煩悩を捨てる」ことも意図も簡単に出来ると思いますよ~~

これはAS女性が定型男性と過ごすのであれば、
視点を変化させる必要がある、大切な1つだと思っています。

 「頭いい」
 「カッコイイ」
 「いつもありがとう」
 「流石~」
 「やっぱり一番頭いい」
 「やっぱり一番カッコイイ」

そう言える部分を探して、言葉にして伝えるというのは大切で、
短所は長所ですから、良いところというものは、
探せば探すほど、発見できるというのが事実だと思います~

アスペルガールさん

>このテーマはなんだか、いつもよりも気合が入っている様な気がしました~

 あ、いや、多分アスペルガールさんのブログに刺激されたんでしょう。

>とても貴重で有益なブログだと思っています

 そう感じていただけるのならやっている甲斐があります。
 私自身が考えられることはたかがしれていますけれど、
 私の体験などが、また他の方たちに参考になったり、
 そこからそれぞれの方がなにか刺激を受けて、
 また新しいものを見いだされたり、そういうきっかけのひとつが
 みなさんにご提供できれば私としては満足です。

>パンダさん達(定型発達の方)は、この感じを楽しいと思うのですか?

 これはいろいろだと思います。
 感情は嬉しい感情だけではなくて、苦しい、悲しい、くやしい、など
 しんどい感情もたくさんありますし、
 そういう感情もお互いにやりとりして調整するわけです。
 そのプロセスは必ずしも楽しいわけではありません。
 楽しいこともあります。

>以前にも少し書きましたが・・・私はコレをしてきました。エゴを捨てれるだけ捨ててきました。という表現だったと思います。恐らくASと定型が仲良くするには、お互いにそうすることが大切なような気もしています。

 星さんの姿勢もそんな印象を受けました。
 多分、重要な姿勢のひとつなのでしょうね。

 私自身についてはまあエゴの固まりのような人間ですので、
 なかなか悟りの世界にはいけそうにありません (^ ^;)ゞ
 もっと泥臭い煩悩の世界ではいずり回ることが続きそうです coldsweats01
 
> 私はASは治療が必要なものとは捉えていないのです。自然発生的にそうゆうタイプがある一定生まれるということは、何らかの意味があると考えています。

 このポイントは、実は私もこの記事の中で書こうかなと思ったことでした。
 ただ、ちょっと長くなりすぎるので、今回はやめておきました。
 実際、パートナーも言うんですが、アスペの方の特徴は
 「緊急事態への冷静で的確な対応」にはすごく力を発揮されることがあって、
 だから医療従事者の方や、福祉の現場の方には向いていたりするのですよね。

 人間の社会は過去にほんとに生きるか死ぬかの危機を沢山経験してきていますから、
 その中で、危機的状態に冷静に対処できる方たちが
 すごく貴重で活躍できたりもしたんじゃないかと思うんです。
 で、その少なくとも一部はアスペの方だったんじゃないかと想像するんです。

>で、AS女性は正しさを追求するが故か、ほめないことが多いです。これは、めちゃくちゃ良くないです。

 アスペルガールさんもAS女性のお一人でありながら、
 「これはめちゃくちゃ良くないです」と思えたのはどうしてなのか、
 そこ、ちょっと興味があります (^o^)

◇パンダ さま

寒い・・・ですね。
ご返信ありがとうございましたー

---以下引用--------------------------

>感情は嬉しい感情だけではなくて、苦しい、悲しい、くやしい、など
>しんどい感情もたくさんありますし、
>そういう感情もお互いにやりとりして調整するわけです。
>そのプロセスは必ずしも楽しいわけではありません。
>楽しいこともあります。

-------------------------------------

>「相手の感情状態を受け止めることは、自分の感情状態をコントロールすることと、言ってみればセットに成り立っているんじゃないかと思うんです。」

ですかぁ、2回説明して頂いて、うーん、そうなんですね。。。
というふうに感じました。

これについては、もう少し考えてみます。
また、これを踏まえてパンダさんのブログを読めば、
また違った答えが見つかりそうです。

ありがとうございました!

---以下引用--------------------------

>アスペルガールさんもAS女性のお一人でありながら、
>「これはめちゃくちゃ良くないです」と思えたのはどうしてなのか、
>そこ、ちょっと興味があります (^o^)

-------------------------------------

先に書いておきますと、言葉でなくともカードか何かに書いて、
毎日1枚渡すとかでも素敵だなぁと思います☆彡

ほめる必要性は、
前回少し書いた与える性と与えらえる性の続きです~

与える性は与えることに喜びを感じます。
そして、与えられないと苦しみます。

また、自己認識として、与えられる自分を感じたいと思っています。

だから、より相手に「必要とされたい」と思います。
必要とされている=人に価値を与えられる人間である、です。

パンダさんも必要とされたいと感じておられましたよね。

で、与えられる自分を感じるためには、
常日頃からパートナーに必要とされていると感じる必要があります。

そして、それはどうやったら感じられるのかというと、
「否定」ではなく「肯定」することで、
「指摘」ではなく「ほめる」ことが大切だと思っています。

ここでAS的正しさを求めてしまうと、
男女の与える与えられる循環が壊れてしまいます(´・ω・`)

肯定されまくれば(褒められまくれば)、
男性は、さらに、もっと与えたいと思うと思っています~

きっと、彼女の為なら、悟りだってなんだってしたくなるでしょうshine

パンダさんなら出来ますよねっ!
私、信じてます!(プレシャー掛けてみました)

---以下引用--------------------------

>私自身についてはまあエゴの固まりのような人間ですので、
>なかなか悟りの世界にはいけそうにありません (^ ^;)ゞ
>もっと泥臭い煩悩の世界ではいずり回ることが続きそうです 

-------------------------------------

パンダさんなら出来ますよねっ!
私、信じてます!(プレシャー掛けてみました)

(笑)

アスペルガールさん

 おはようございます

>で、与えられる自分を感じるためには、常日頃からパートナーに必要とされていると感じる必要があります。

 この話って、

 「男は与える性」で、「与えていることを確認したい」と思うので
 「相手から<与えてくれている><与えて欲しい>という承認や欲求を得たい」
 という欲望を持っている、という話がベースになっていて、

 それでアスペルガールさんは「男性脳」を持っている方だから、
 それを必要とされていて、それを得るためには、
 「これはめちゃくちゃ良くないです」
 という意識を持つようになられた、という意味でしょうか?

 まだちょっと話の筋がよく見えなくて、すみません (^ ^;)ゞ

>パンダさんなら出来ますよねっ!私、信じてます!(プレシャー掛けてみました)

 おだて上手のアスペルガールさんですが、
 私は腰が重いパンダなので、おだてても木に登れないのでした! 
 反対にプレッシャーがかかって沈んでしまい、ますます登れないかも (^o^)

◇ パンダ さま

おはようございます~

プレッシャーで沈んでしまいそうですかぁ(´ー`)(笑)フフフ

定型発達の方は感情を大切にされているのでしょうから、
それはそうですね。

文脈が分かりずらいのは私の文章力の問題です!
私の文章は重要な個所と重要でない箇所が同じくらい強調されていて、
分かりずらいのだとは、気づいているものの、試行錯誤中です~

男女差についても、
試行錯誤中なので、私に教えて頂けることがあればお願いします☆彡

ほめられることに関して私個人はどっちでもよいかなぁ~と思っています。

いつもほめるタイプの方が私だけほめないと気になるけど、
私の母のように常にほめない人は、そうゆう人だという認識で気になりません。

でも、男性には必要と思っている理由はというと、

うーーーん、男性って子供をうめないですから、
女性よりも選ばれる必要性が強いと考えています。

極端な話、100:1 の男女差だった場合、
どちらが100になるかで出生率は100倍も違ってきます。

もちろん、こんな極端な事は起こり得ませんが、

生物学的にはそうだという事実から、
「潜在意識的」に、選ばれない恐怖を抱えているという解釈があり、

 選ばれる=必要とされている=与えられる能力がある

 与えられる能力があるを自覚するために、存在を肯定される必要がある、
 そして、その表現として必須なのが指摘ではなく褒めである。

こういった、繋がりがあると思っています。

仮に女性が子供を欲しいと思うとして、
相手をそれほど選ばなければ、家族を築くのでなければ、
よっぽどでない限り、即遂行できます。

しかし、男性の場合は、様々な魅力がないと・・・
女性は触れさせてもくれませんし、
ましてや、1年も掛けて出産を行ってくれないでしょう。

その代り、女性にあるリミットが男性にはありません。

男性側がアスぺの場合は、
女性側は「私に愛情を与えてくれない」と悲しくなるのに対して、

女性側がアスぺの場合は、
男性側は「僕に愛情を与えさせてくれない」となるのでは?

男性が与えると⇒女性が嬉しくなってほめる又は感謝する
 更に与える⇒女性が嬉しくなってほめる又は感謝する
 更に与える⇒女性が嬉しくなってほめる又は感謝する

図で表せないのが悔しいところですが、
「与えたい男性」と「与えられたい女性」は違うからこそ、
血液の循環システムの様にめぐる感じかなぁと思っています。

別テーマ「「切り捨て」か「切り分け」か」を読んで、
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-8fb4.html

パンダさんが心の底から感情を伝え合いたいと、
思っていらっしゃる、お気持ちが伝わりました。

だから、「ほめる行為をすれば良いというものでもない」のだと思います。

しかし、生理学的に大切であると分かれば、
パートナーさんも自分にも関係があることと思えるのではないでしょうか。

的を外していたら申し訳ございません~

「一寸先は闇」って言葉がありますけど、未診断の発達障害者は
自分の手すら見えない闇に、たった一人で取り残されてるって感じなんですよね。

何も見えない何もわからない。周りから自分がどう見えているかもわからない。
自分自身の分析すらおぼつかないような世界からでは、確かにずれも起きようってもんです。

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