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アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月 8日 (日)

手探りの「質問」

 パートナーに質問されて、定型的な「慰め」について説明しようとしたときのことです。彼女の質問の仕方は「なぐさめと恋愛感情は同じなのか」ということだったので、いろいろ考えながら、恋愛関係にあればなぐさめの気持ちはより強く起こりやすいけれど、なぐさめ自体は恋愛関係には限られない、ということをいくつかの例をあげて言おうとしたのですが、「パンダの話は分かりにくい」と言われてしまいました。

 なんで「わかりにくい」ということになるのか、ひとつには私の説明の仕方がごちゃごちゃしていたからかもしれません。で、なんでごちゃごちゃするかというと、その理由は二つ思いつきます。ひとつは定型的な人間関係が実際にごちゃごちゃしていて、それを説明しようとするとどうしてもごちゃごちゃする、ということ。もうひとつは、彼女からの質問自体が私にはもうひとつぴんと来なくて、何を知りたくてそれに何を答えたらいいのか、私が混乱気味になる、ということです。それで答えがあっちにいったりこっちにいったり、さまようことにもなります。

 とくに二番目についてですが、彼女の質問は、彼女なりに定型的な人間関係を観察していて、「これとこれとはこういう関係にあるのかな?」とか疑問を持つわけですけれど、多分その疑問の作られ方が、彼女のアスペ的な人間関係理解をベースにしているので、定型的にはなんでそういう質問の仕方になるのかがわかりにくいんだと思います。

 もちろんこれはお互い様なんだろうと思っています。実際私が彼女に質問するときにも、彼女から質問の意味がよくわからない、というようなことを言われることがありますし、それこそ彼女がほとほと答えに困って、「何て答えて欲しいわけ?」と逆に聞かれたりすることもあります。

 似たようなことは、外国の人と話をしているときにも起こることがあるように思います。外国の人はその人の生まれ育ったところでの人間関係の作り方があって、それを常識として、そこからたとえば日本の人間関係を見て理解できないと、「これはああいうことだろうか?こういうことだろうか?」と疑問を持ったりするのですが、その疑問の持ち方自体がやっぱりその人の常識がベースになっているので、こちらからすると「え?なんでそんな質問になるの?」ということがよく分からなかったりする。もちろん逆の場合も同じです。

 そうすると、お互いに理解し合う会話にするためには、「この質問って、どういう発想でなされているんだろう?」ということも探りながらやりとりすることが必要になるわけですね。たぶんそれには何か「こつ」のようなものがあるんだと思いますが、それがつかめるようになるまでは、「質問されて答える」ということ自体がお互いにとんちんかんなやりとりになりやすくて、かえっていらいらしたりすることもあるんじゃないでしょうか。

 今のところ私に出来ることは、「あせらずに、時間をかける」ということぐらいですけれど……。でも、一寸ずつでもなんか「こつ」が見えてくるんじゃないかな、という気もします。あんまり根拠のない「希望的観測」ですけれど (^ ^;)ゞ

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