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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年12月 6日 (金)

「認め合う」ことと「理解する」こと

 ズレを抱えた者同士、それでもお互いを認め合うというのはどういうことなんだろう、と考えます。

 「認め合う」というのは「理解する」こととはちょっと違うんですよね。なぜならどうしようもなくズレを抱えて、「理解しきれない」のが「他者」なわけですから、「認め合う」ことは「理解できない」ことも含めての話になります。

 もしそこで「理解できるから認められる」という話にしてしまうと、ほんとうは理解しきれないズレを抱え込んでいる相手の人を、「自分が理解できる範囲」に無理矢理押し込めてしまうことになります。別の言い方をすれば、相手の人が「自分の理解できる形」に収まることを強要することにもなる。

 でも、もし人と人がお互いに「その人らしさ」を失わない形でつながりを作ろうとするのであれば、そういうやり方は「その人らしさ」を失わせてしまうことにもなる。そのような「理解」という形での「強要」は、やはりおかしいということになります。

 誤解されないように、少しことばを足しておく必要があるかもしれませんね。私はここで「理解」することを否定したいわけではありません。むしろそのことをこのブログでも追求してきましたし、これからもそうだと思います。大事なのは「強要」にならない「理解」の仕方ではないでしょうか。

 「理解したい」という思いの中に、もしも「相手を自分の納得する形に収めたい」という「欲望」が強く働いていたとすれば、それはむしろ「その人らしさを失わないつながり」をこわしてしまうものでしょう。

 まだうまくことばでつなぐことが出来ないのですが、誰もが自分にも思い通りにならない自分を抱え、自分に対しても求めきれないものを抱えて生きている中で、ましてや「人には求めてはいけないものがある」という気持ちを失わないことと、「認め合うことができる」ということの間に、とても大事なつながりがあるのではないかという気が、何となくしました。

 もしかすると多くのアスペの方にとっては当たり前のことなのかもしれませんが。

 米良さんのこういうのとか聞いていて、ふと考えたことでした。

 

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コメント

パンダさん、初めまして。
岸井と申します。
いつも読ませていただいているのですが、コメントさせていただくのは初めてです。

>もしそこで「理解できるから認められる」という話にしてしまうと、ほんとうは理解し  >きれないズレを抱え込んでいる相手の人を、「自分が理解できる範囲」に無理矢理 >押し込めてしまうことになります。別の言い方をすれば、相手の人が「自分の理解で>きる形」に収まることを強要することにもなる。

胸にズキンときました。確かにその通りですね。
自分自身を納得させるために、相手を自分の理解の枠組みに都合のいいようにあてはめているかもしれません。
当てはまらないところは、見ないことにして。

気を付けなければ・・・・・
ありがとうございました。

岸井さん

 はじめまして。パンダです。

 今岸井さんのブログをちょっと拝見しました。
 専門的に発達障害者の方達と接していらっしゃるんですね。
 私の方はご覧の通りで、素人丸出しでアスペ定型問題の当事者の一人として
 自分の限られた経験と皆さんのコメントを手がかりに
 うじうじと考えてきただけですので、
 専門家の方の目からもときどきで結構ですので
 ご意見をいただけると有り難いです m(_ _)m

 それから、「アスペルガーと定型を共に生きる」を
 ブログでご紹介いただいてありがとうございました。
 早速カレンさんにもお伝えしましたが、喜んでいらっしゃいました。

 今回の記事については、自分自身の反省すべきこととして書きました。
 共感していただいてうれしかったです。

 ではどうぞこれからもよろしくお願いいたします <(. .)>

◇パンダ さま

こちらにもコメントしましたが返信は不要デス。

---以下引用----------------------

>それから、「アスペルガーと定型を共に生きる」を
>ブログでご紹介いただいてありがとうございました。
>早速カレンさんにもお伝えしましたが、喜んでいらっしゃいました。

---------------------------------

早っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
パンダさん、凄いッス。
こういったことは、私の場合、結構時間が掛かってしまいます。

ふ~ん、なるほどね。そうなんですね~。

◇岸本 さま

はじめまして、アスペルガールと申します。

参考になるコメントをありがとうございました。
また、私もブログを少しですが拝見させて頂きました(゚∀゚)

---以下引用----------------------

>自分自身を納得させるために、
>相手を自分の理解の枠組みに都合のいいようにあてはめているかもしれません。
>当てはまらないところは、見ないことにして。

---------------------------------

いやぁ、こういったコメントが出来る方は、そうゆうタイプでないと思います。

そういったタイプの方は、
「私は常に頑張ってるのよ」みたいなことを仰いますから~

気にしすぎても、しんどくなってしまうので、あまり気にするのもと思いました。

では、失礼します☆彡

パンダさん、コメント返信ありがとうございました。

>専門的に発達障害者の方達と接していらっしゃるんですね。

ま、まさか!!
私はとりあえず、それら(ブログにある職業のことですが)を生業とはしていますが、
決して自分が専門家だなんて思っていませんよ。
むしろいろいろな当事者の方々に、心から教えてもらいたいと思っているところなんです。

確かに職業柄、発達障害の方々とお会いしますが、それよりも日々ともに人生を共にされている方々の経験の方が「体温と息づかい」を感じさせてくれる体験であることは言うまでもないでしょう。

ただ、私はパンダさんやその他の方たちと、つながりたい、という思いだけでコメントさせていただきました。もし、ご迷惑であればいつでも退散いたします。

申し訳ありませんでした。

岸本さん

 あ、すみません、変に「専門家」とか書いてしまって……
 
 単に当事者とはまた違った視点もお持ちだろうし、
 そんな視点から見えてくることがあれば教えていただければ
 ということですけれど、もちろん「専門家」という枠にこだわることなく、
 自由にみなさんと交流していただければ嬉しいです。

 ではまたどうぞよろしくお願いします <(. .)>

アスペルガーの方は、相手の「個」をそのまま、「ああ、この人個人はそう感じるんだ」と感じているから、共感する必要性は意識していないんだなぁ、と感じています。定型側にしてみたら、その「ふーん、そう感じるんだね」という会話のクッションでもいいから欲しい所ですが、それもアスペの方達は感情の発露の必要性がないから言わないのかな、とか、アスペルガーの友人と接して居ると感じます。
でも、認めているんだと感じます。

納豆さん

 お久しぶりです。
 なんか、すっと「あ、なるほどね」と思ってしまいました。
 ある意味そこで完結できるということなのかも。
 だから「それ以上(定型は)何を求めるんだろう?」という不思議感が出てくる、
 と考えると私にもちょっと分かってくる感じがします。

 うーん、なるほど……
 

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