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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年11月19日 (火)

落語「厩火事」の駆け引き

 パートナーと話をしていて、いろいろ話が通じ合わないことがあるわけですけれど、以前なら「なんで理解されない(できない)のか」と戸惑ったりいらだったりするところ、今は「ああ、ここでも見えているものがずいぶん違うんだな」と考えることの方が多くなりました。

 最近割と感じるのは、まあ、改めて考えれば当たり前といえば当たり前なのかもしれませんが、人々と自分のつながり方とか、人々の中での自分の意味とか、位置とか、そういうことについての視点の違いです。

 多分定型の多くは他者から自分がどう見られているか、どう評価されているかということにかなり気を遣って、その中にいろんな喜びを見いだしたり、悲しみや辛さを見いだしたりして、またさまざまな工夫をしようとしていると思うんですが、それに比べると、パートナーはやはり「人がどう見ようとそれはその人がそう見るだけのこと」「自分は自分」という考え方が強いように思えます。

 もちろん彼女だって定型が多数の世の中でなんとか生きていこうとすれば、相手の期待とか要求とか、そういうものをまったく無視することは出来るはずがありません。なんとかそれに合わせるためにも人間関係のことを考えざるを得ない、ということはあって、そこでいろいろ苦労もしているわけです。でもやっぱり「自分は自分」というところはかなり根っこの方に持っている揺るがない感覚で、そういう「自分」はとりあえず置いておいて、「他人」との付き合いは他人モードで、ある意味「テクニック」として対処する感じなのかなと感じるんですね。

 前にもすこしそういう話があったと思いますが、私の感覚から言うと、彼女の場合その「他人モード」と「自分モード」の区別をすごくはっきりさせているような気がします。それに比べると、定型は多分「他人モード」と「自分モード」の間にいろんな中間的な状態を作って生きているのではないでしょうか。そしてその中間的な状態で、いろんな人間関係の駆け引きをやっている。

 アスペの方の場合、少なくともその一部の方は、一旦結婚をして「家族」になってしまうと、それはもうはっきりした「自分モード」の世界と受け止められて、中々そこは揺るがないように思います。もうそれは「親子」の関係のように安定したものと考えられる傾向が強い。それで恋愛関係の時のように、相手とつながりを作ったり、深めたり、維持したりするために気を遣うことはかなり少なくなる。よく言えばまったく自然体の安定した家族です。

 それに対して、定型の場合は、たとえ相手と一緒に「自分(たち)モード」に入ったとしても(結婚したとしても)、ときどきそのつながりを改めて確かめるようなやりとりがないと、安心できなかったり、あるいは幸せ感を確認できなかったりする傾向が強いんじゃないかなという気がします。だからそこがうまくいかない定型アスペのカップルでの定型側の悩みに「自分がこの人にとって意味があるのかどうかわからなくなる」というものがよく語られるのではないでしょうか。

 中間的な状態、ということから言えば、定型の場合は仮に「自分(たち)モード」に入った(結婚した)としても、ときどきお互いのつながりについて改めて再確認できないと、ちょっと中間的な状態に戻して相手の「気を引いてみる」とか、いろんなことをやって「駆け引き」をして、そして改めて「自分(たち)モード」がちゃんと続いていることを確かめようとする。よく言えば柔軟に、常に新鮮に関係を保とうとしているとも言えるし、悪く言えば不安定だともいえるかもしれません。

 ああ、たとえば落語の「厩火事」なんか、そういう駆け引きのちょっと極端な例ですね。旦那が自分のことを本当に大事に思っているのか不安になった妻が、わざと転んで旦那の大事にしていた品物をこわしてしまい、そこで旦那が自分のことをまず心配するか、品物を心配するかで旦那の本性を見極め、別れるかどうか決めようとするという話です。そこまでして確かめることはまあそんなにないことだとしても、日常のちょっとしたやりとりの中で、相手の気持ちを確かめたくなるのが定型の性のように思います。

 アスペの方はそういう定型的な中間的なやりとりについては理解しにくいので、「他人」と「自分」というはっきりした線引きの世界で生きる道を選んでいかれるのかもしれない。結婚はそういったはっきりした線引きを越えることだから、そうするとたとえばアスペのパートナーが「釣った魚には餌をやらないような態度をとる」と定型の側が感じてしまうような、恋愛段階とのすごい大きな落差が生まれてきたりする。

 そうすると定型の側は不安になって例の駆け引きをするようになるけれど、それがまったく通用しないために悩みがどんどん深まっていく。アスペの方からすれば、もう結婚しているのだからなんでそんなことをしなければならないのか理解しにくいし、そういう要求が定型にあること自体想像することもしにくいかもしれません。

 最初の方に書いた、定型が「他の人からどう見られているかが気になる」ということは、多分結婚相手に対してもかなり言えることなんじゃないでしょうか。「相手が自分のことをどう思っているのかが気になる」という感じ。もちろん、もう十分にお互いに安心しきって、もう言葉もいらないような関係になっている夫婦なら定型でもあんまり問題にはならないのかもしれませんが、しばしばズレに悩まされる定型アスペの関係では、定型の側はそこに不安を抱きやすく、またそれが拡大されやすい状態に置かれるのかもしれません。しかも相手にはその不安感は理解や共有されにくいですから、ますますドツボにはまっていく、と考えられるかも。

 いつもながら定型的な私の視点から理解しようとすると、たとえばそんな理解の仕方が考えられる、という話です。アスペの方から見てその理解がどうなのかは分かりません。

 

 

 

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コメント

>アスペの方の場合、少なくともその一部の方は、一旦結婚をして「家族」になってしまうと、それはもうはっきりした「自分モード」の世界と受け止められて、中々そこは揺るがないように思います。もうそれは「親子」の関係のように安定したものと考えられる傾向が強い。・・・・・・・・・・・・・・・・よく言えばまったく自然体の安定した家族


私の場合は、結婚はゴールではなく、”自然体の安定した家族”をめざして関係を作り上げていくスタート地点でした。
だから、事あるごとに話し合ったり、相談したりしたい。またそのことで、お互いをさらに良く理解しあいたい。そして段々に心の通じた家族になっていきたい、と思っていたのですが・・・・・。
主人は、話し合いができません・・・(涙)。

結婚30年近くたって、アスぺの事を知りました。
主人は自分の事は、まったく話しませんし、こちらの話にも上の空です。問題が起きた時に、ごくたまに漏れる本音は、私の理解を超えたものです。
私は、これまで自分の想像上の主人と結婚生活をおくっていたのかと、愕然としたものです。

でも、悪い人ではないと思います。多分。  ほんとに優しい人なのかも。
彼にとってはわけの分からない世間の中で、随分と辛い思いもしてきたことでしょう。
今は、お互いが合わせ過ぎると双方壊れると思うので、ふたりともできるだけ幸せでいられるような距離を常に探しています。私がですが・・・。

”駆け引き”というよりも、その前にきちんと向かい合えないところが辛いです。

トピのお話とピントが合っていなかったら、ごめんなさい。

続けての投稿ですみません。

上のレスは、”まったく自然体の安定した家族”に、なぜか腹が立ち、思わず反応していまいました。

読み返してみると、なにか被害者意識を感じますよね。普段そんな思いでいるのですね。きっと。

でも、どちらも被害者とか加害者とかいうことではないんですよね。

お互い、違いがよく分からずに苦しい思いは一緒ですから。

不快にさせてしまった方にお詫びします。

主人も私も幸せでいたい さん

何を書いたらよいか、とにかく拝見して、状況を想像してとてもつらいです。
パートナーさんに悪気があるとかではないのですよね?でもだから却って辛くなることがあるし、それを必死で耐えて来られていらっしゃるように見えて、本当に痛々しく思えてしまうんです。

お互いに「ズレがあって苦しんでいる」という理解が共有されていれば、「お互い様だよね」と思ってすれ違いながらも努力しあっている感じになり、多少なりとも救われるように思います。でもその点で理解が共有されている感じが得られないと、ひとりで全てを抱えてしまっている気持ちになるでしょうから、それは本当に辛いと思ってしまいます。

何とか今の状態が辛いということが、パートナーさんに少しでも伝わらないものかと思いますが、きっとそれがとても難しいんですよね?

今は適度な距離をとることを心がけていらっしゃるとのことで、無責任に何か申し上げるのも憚られますが、本当に何か工夫が無いものかとつい考えてしまいます。

カレンさんもその辛さを伝えられるまで、本当に苦労されていましたし、すごく重たい問題に感じます。そこを少しでもうまく伝えられないものか……。

考え込みます。

パンダさま

心のこもったお返事、どうもありがとうございます。

主人は”にこにこと寡黙な人”です。
何か相談したり、彼の領域に侵入したりしない限り、平和な日々が続きます。
なので、穏やかな結婚生活を送っていると錯覚して過ごすこともできますし、事実そういう時もあります。


アスぺを知るまでが辛かった。
ごく普通の事で揉め、どうしてこんな事で揉めるのか分からず、そのうち何を揉めているのかも分からなくなり、いったいこれはなんなのか・・・
また彼には理解し合おうという気がないようで、何を言っても答えは返ってこず、ブラックホールに吸い込まれていくような気持でした。
何年間か心がずっしりと重く、落ち込んだ精神状態が続きました。


そんなある時アスぺを知り、またアスぺの方のブログを読んで、挨拶・相槌・病気の時の対応など、望むことが全く正反対で全然違う事を知り、これはダメだとむしろすっきりしました。
全く違うんだ・・・。無理な事は諦めよう。できる事をしようと思いました。


話し合えればよいのですが、例えば「お歳暮何にする?」などという日常の事でも、相談となるとすぐ構えて喧嘩腰になってしまい、とても核心に迫った話などできるとは思えません。主人の心は永遠に分からないと諦めてしまっています。それは悲しくもあり、恐ろしくもあります。


外出先で、居合わせたご夫婦のたわいのない会話が耳に入ってきた時、心がふぅっと解凍したようななつかしい感じがして、私はこういうのが欲しかったんだと悲しくなったことがありました。いつもは心が凍っているのでしょうか・・・


でもね、主人だって同じかもしれない。
私にできる事は、彼が心穏やかでいられるようにすること、またはしないこと。
それから、自分で自分を幸せにすること。

今はそれで勘弁してもらうことにしています。


主人も私も幸せでいたい さん

>外出先で、居合わせたご夫婦のたわいのない会話が耳に入ってきた時、心がふぅっと解凍したようななつかしい感じがして、私はこういうのが欲しかったんだと悲しくなったことがありました。いつもは心が凍っているのでしょうか・・・でもね、主人だって同じかもしれない。
私にできる事は、彼が心穏やかでいられるようにすること、またはしないこと。それから、自分で自分を幸せにすること。今はそれで勘弁してもらうことにしています。

 ここを拝見して、
 どれほどの思いの中で日々を過ごしてこられたか、
 一層言葉もない感じです。

 私の場合、パートナーとの間では「理解の共有」ができて、
 関係が大きく変わりましたが、
 心を凍らせて対応しなければならない関係もまたあります。
 多分そのことが一層言葉を失わせている理由の一つなのかもしれません。

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