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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年11月22日 (金)

時間をかけた「共感」

 私は定型の中でも人と共感し合いたい欲望が強い方だと思いますが、言うまでもなく(?)パートナーは共感を求められることが好きではありません。もちろん、結果として同じ感想を持ったり、同じ感情をもったりすることは別に構わないのだと思いますが、私からした話について、共感を「求められる」と感じるともうだめみたいです。

 今日もあることでつくづく怒りを持つことがあって、そのことを話をしたんですが、「案の定」という感じで「私はそういうふうには感じない」と言われてしまいました。以前の私ならそこで「なんで?~」とたたみかける感じになるか、「あ、またか。この人には話が通じないわ。やっぱり話すだけ無駄だ」と思って一気に気持ちも冷めて、もう話もしない、という感じになることが多かったと思うのですが、今は一歩引いて、もう少し彼女の話を聞いてみようかという感覚になっていることがしばしばあります。で、彼女の方もそれでおわりにならずに、考えてくれようとする感じがあります。

 ということで、その私の「怒り」について、なんでそういう怒りになるのか、いろいろ説明をしたり、彼女の意見を聞いたりしていて、最初は彼女はとても「冷静」というか、感情的な判断はしない感じで、言ってみれば平行線だったのですが、話している内に、彼女の方にも怒りが湧いてきたようで、「私だったらそういうときはこうする」という、かなり「過激」な意見までとびだしていました。

 ある意味、「怒り」というところでは共感的な関係になったようにも思えるのですが、私がそのことを言うと、「怒りの内容が違う」とか言うんですね。

 私から言わせると、そんなの、一から十まで完全に同じになることなんてあり得ないんだから、だいたい同じ方向での理解や感覚が共有されたなら、わざわざ「違う」と強調して何の意味があるの?と思ったりするのですが、そういう大雑把さはだめみたいですね。で、「じゃあ何が違うの?」と聞いていくと、逆に細かい言葉の違いに(パンダが)こだわりすぎる、とか言われて、なんだか話がすれ違ったまんまになりました。

 で、まあすれ違ったまんまなわけですけれど、私としてはちょっと興味深いことがありました。それは何かというと、最初彼女は私の怒りに対して(彼女に対する怒りではなく、ある出来事についての怒りですが)、すっと引いて醒めたような受け答えをしていた感じだったのが、そのあと少しずつ話をしていく中で、結局彼女の中にも怒りが湧いてきたことです。

 彼女に言わせればその怒りは私の怒りとは違うんだ、というわけですけれども、でもある共通の出来事についての怒りが、即座にというわけではなくて、ある程度時間をかけて話し込んだあとには生まれてくることもあるんだなあと思いましたし、それは私の大雑把な感覚で言えばまあ「共感」といってもいいようなものなんです。

 やっぱり、時間をかけてコミュニケートすることに、それなりの意味が出てくることもあるんだなあと思いました。

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コメント

パンダ さま


アスペルガールと申します。

いつも役立つブログを有難うございます。
今回も、とても良い感じに役立ちました!

---以下引用------------------

私から言わせると、そんなの、
一から十まで完全に同じになることなんてあり得ないんだから、
だいたい同じ方向での理解や感覚が共有されたなら、
わざわざ「違う」と強調して何の意味があるの?

----------------------------

あ、これは・・・。

パンダさん化学の実験って覚えてますか。
例えば中和滴定とかでも良いです。

あれって、スポイト1滴でも違うと、実験結果って違ってくるんですよね。
ほんとに、ほんの0.03mlでも結果って違ってくるんでよね。

あれと同じで、方向性が同じでも違うは違うなんです。
もちろん、それを日常に適応する概念とするのかは人によりますが。

パンダさんって彼女の読んでいる本をどのくらい読んでおられますか。

というのも、定型のコミュニケ―ションに彼女が合わせようとしてるなら、
パンダさんも彼女と同じくらい本を読んで、
同じ深さで理解するくらいじゃないと、頑張りが同じとは言えないと思いました。

私のコメントが、もし、お嫌だったら削除してもらっても構いません。
ただ、何かお役に立てればと思いました。

コメント返信は不要です。

アスペルガールさん

 「コメント返信は不要です」と書かれているので、
 お返事は書いてはいけないのかもしれませんが (^o^)
 質問も書かれていたので、お返事を……

>あれと同じで、方向性が同じでも違うは違うなんです。

 それはわかります。別の例で言えば、画家が描く線とか、
 ほんのかすかにずれただけで、全然絵がだめになるとか、
 そんなことも聞いたことがあります。

 もしかするとアスペ的感覚と定型的感覚の違いは、
 その少しの違いを「全体の違い」として受け取るのか、
 「ごく一部の小さな違い」として共通部分に注目しやすいのか、
 そういうところにあったりするのかもしれないですね。

 うーん、でもそうだとすると、アスペルガールさんのブログに書かれていた
 定型は具体的なところに注目し、アスペは抽象的なところに注目する
 という話とちょっと逆向きになってしまうのかな?
 この話、ちょっと複雑そう。

>パンダさんって彼女の読んでいる本をどのくらい読んでおられますか。

 はい、まず彼女はほんとに本好きなので、相当読みますから、
 読むのがとても遅い私はとてもついて行けません (T T)
 それと、読む本の種類がお互いにだいぶ違うので、
 二人とも読んでる本は少ないですね。

>というのも、定型のコミュニケ―ションに彼女が合わせようとしてるなら、パンダさんも彼女と同じくらい本を読んで、同じ深さで理解するくらいじゃないと、頑張りが同じとは言えないと思いました。

 努力不足ですみません (^ ^;)ゞ

 ところでちょっと分からなかったんですけれど、
 彼女と同じくらい本を読むというのは、
 どういう意味で大事と言うことなんでしょう?
 彼女の世界を理解する上では彼女の読む本を読むことが必要、
 というような意味でしょうか?

パンダ さま


コメント返信有難うございます!

他のコメントにも書きましたが返信は嬉しいです。
パンダさんに返信を『強制』しないために不要と書きました~

---以下引用--------------------

>もしかするとアスペ的感覚と定型的感覚の違いは、
>その少しの違いを「全体の違い」として受け取るのか、
>「ごく一部の小さな違い」として共通部分に注目しやすいのか、
>そういうところにあったりするのかもしれないですね。

------------------------------

これって、こうゆう割り振りですよね。

 アスペ:その少しの違いを「全体の違い」
 定型:その少しの違いを「ごく一部の小さな違い」

私もブログに「こうだ~」とは書いてますが、
正直、「そうなのかぁ」とも思ってるんですよね。(笑)

この、パンダさんのご意見、興味深いですね。

これって、何を求めているかという視点でみると、よく分かりますよね。

『共通部分に注目しやすい』人は相手との同化を、
『違いに注目しやすい』人は物事の真理を求めているのかなぁ。

如何でしょうか?


---以下引用--------------------

>彼女と同じくらい本を読むというのは、
>どういう意味で大事と言うことなんでしょう?
>彼女の世界を理解する上では彼女の読む本を読むことが必要、
>というような意味でしょうか?

------------------------------

パンダさんが彼女よりも情報通になることで、
彼女は本よりもパンダさんに興味をもつことが考えられませんか。

本は情報ですよね。

じゃあ、パンダさんがアリストテレスレベルで、
博学になれば、情報を交換したいって思うと思ったんですが。

パンダさんが彼女の趣味になれれば、
注目せずにはいられないと思うんですよね~♪ふふふ。

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