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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年11月 3日 (日)

ずれた共感

 最近パートナーの子ども時代を思って、回りに理解されずに孤立無援で生きてきたことに「大変だったろうなあ」とか「頑張ったんだなあ」とか「可哀想だったなあ」とか「共感」して、愛おしく感じもし、「大変だったね」と彼女に言うと、あっさり「別に大変じゃなかった」と言われてしまうのです (^ ^;)ゞ。

 彼女の説明では「電気のない生活をしてきた人に、電気が無くて大変だったでしょう、と言ったとしても、その人にとっては電気のない生活が普通の生活なんだから、別に大変も何もない」というわけです。

 まあ、そう言われればその通りかも、と一応納得するのですが、反面、自分の経験からまだ完全には納得しきれないところも残るのです。というのは、私の子どもの頃の家庭も相当に戦場状態でしたが、たしかに当時の私にとってはそれは「普通のこと」で、平和な家庭というのはなんだかぴんとこない、変な感じがしていました。その感覚は大人になってもとても長く続いたのですが、だんだんと周囲が見えるようになってきて、自分の育ちがいかに特殊なものであったかを思い知らされてきたのです。カウンセラーの知り合いにも「サバイバー」とか言われましたし (^ ^;)ゞ

 そうなってみると、「本当によくあの環境で生き抜いてこられたものだ」ということをしみじみと思うようになって、その中を必死で生きていた子どもの頃の自分に「共感」してしまったりするようになりました。それで「まあ、あの状況の中に育てばこんな変な人間になっても無理はないわな」とか、ある面では自分を許せるようにもなったりして、まあ今の情け無い自分を受け入れるっていうんでしょうか、そんなことも起こったりしました。

 ですから、たしかに「当時は普通のことと思っていた」ので「大変とは思わなかった」ということは分かる気がするのですが、でも「今思えば大変だったよな」という風にも私は思えるところ、彼女はどうもそこがそうではないらしいのです。

 今も彼女は職場でもいろいろ苦労はしていますし、そのことは自分自身苦労と感じてそう話してくれることもあるのですが、なんか「普通のこと」と「苦労」の関係が彼女の中でどうなっているのか、まだぴんとこなくて、不思議な感じがします。

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コメント

初めてコメントします。
私は定型かアスペルガーかわからない者ですが、パートナーさんの言葉に違和感がなかったので、私の言葉がわずかでも参考になるといいなと思いました。
ひょっとしたら、記憶のされ方に違いがあるのではないでしょうか。
あくまで私の場合ですが…記憶は年月に関係なくほとんど同じ濃度で「昔」になっていて、思い出される時は昨日見た夢のような質感をしていて、「大変」という感覚が上手く伴いません。
一般的には「大変」といわれる状況だろうから私は「大変」だったのかもしれない…と、まるで他人事のような感じで、当時「大変」と感じていたかどうか自分では上手く分からないのです。
でも、人に記憶の濃度の話をしたら「変なこと言ってるよー」で済まされてしまったので、他の人の記憶はまた違ったふうになっているのかな?と思いました。
パンダさんとパートナーさんの記憶はどうでしょうか。
ちなみに周りの人たちとの違和感に困ったり、どうしてこうなんだろう…とイヤになることはありますが、私にはそれが「普通のこと」になっています。
自分の感覚のまま話して(または話さないで)言葉が(または沈黙が)通じる人がいたらいいな、と思います。

初めまして。

コルテオさんのお言葉、参考になりました。
ありがとうございます。
私は、自分の記憶の仕方を、あまり意識したことがなかったのですが、自分の記憶の仕方を考えてみるきっかけになりました。
もう少し考えてみたいと思いますが、「記憶の濃度」の話は、私にはわかるような気がしています。


>自分の感覚のまま話して(または話さないで)言葉が(または沈黙が)通じる人がいたらいいな、と思います。

上記のようなお気持ちは、よくわかります。
偶然ですが、私もそう思っています。
そんな関係になれる人はいるように思いますが、本当に出会えるとよいですよね。

コルテオさん

 はじめまして。どうもありがとうございます。

>ひょっとしたら、記憶のされ方に違いがあるのではないでしょうか。

 あ、ここは盲点でした。そういうことを考えてみたことはありませんでした。
 確かにそういうことを考えてみることに意味がありそうな気がします。 

>一般的には「大変」といわれる状況だろうから私は「大変」だったのかもしれない…と、まるで他人事のような感じで、当時「大変」と感じていたかどうか自分では上手く分からないのです。

 私自身はあまりそういう体験はないような気がするのですが、
 ただ、そういうふうに書いていただくと、なんとなく想像できる感じもあります。
 「事実」の記憶と、それに伴う「感情」の記憶がワンセットではない
 一種「切り離された」状態を考えてみると、そういうこともあるのかなあと思えたり。
 果たしてコルテオさんの体験とどこまでぴったりくる理解なのか分かりませんが。

> パンダさんとパートナーさんの記憶はどうでしょうか。

 パートナーにはまた聞いてみたいと思います。
 私の場合は、過去の記憶は感情的なものが薄れてくることはあると思いますが、
 でも人と話していたり、あるいは自分自身、なんとなく自分を振り返って
 いろいろ理解し直しながら思い出しているときなどは
 とても強い感情が伴うこともあるように思います。
 特に傷になって残っているような記憶はそうなりやすいですね。
 逆に傷が癒えてくると、あまり感情的なものは出てこなくなるようにも思います。


星さん

 はじめまして、よろしくお願いします。
 星さんのコメントはコルテオさんに向けてのものでしょうし
 私が出しゃばるのもどうかと思いましたが、

>上記のようなお気持ちは、よくわかります。
偶然ですが、私もそう思っています。
そんな関係になれる人はいるように思いますが、本当に出会えるとよいですよね。

 というところを読んで、お二人の間にそんな出会いが生まれているのでは?
 という気がして、ちょっと出しゃばりました。 どうも失礼いたしました m(_ _)m

 パンダさん

 コメントありがとうございます。
 こちらこそよろしくお願い致します。(*^-^)


>というところを読んで、お二人の間にそんな出会いが生まれているのでは?
 という気がして、ちょっと出しゃばりました。 どうも失礼いたしました m(_ _)m>

 

 ウィットに富んだコメントをありがとうございます。(o^-^o)

こちらの部分を読ませてもらった時、最初はよくわからなくて、すぐ、また読み返して、思わず微笑んでしまいました。
 
人によっては、そんな見方もあるのだな、と感心致しました。(*v.v)。
言われてみれば、そうとも言えますね。

 常日頃、感じていたことだったので、思わずコメントさせていただいたのですが・・・。
沈黙が会話になっている、と感じることが、私にはあります。
そして、その沈黙は、私には心地よい沈黙なのです。

それが、相性からくるものなのか、お互いの知性や経験からくるものなのか、お互いの性格からなのか、二人の歴史や、相手を思いやる気持ちからなのか、はっきりわかりませんが、色々な要素が含まれているのではないかと思っています。
勿論、合わせてもらっていることも、合わせていることもあるとは思っています。


 また、会話は、話す会話も、話さない会話も、相手があることなので、私の一人の思い込みかもしれませんが、
沈黙であっても、心地よい時間が、私には確かに存在しています。

 

 パンダさん、コルテオさん、私に色々と考えるきっかけを与えてくれてありがとうございます。
 気が付けるということは、私は幸せなことだと感じますので、とても感謝しています。

パンダさん
記憶について教えてくださり、ありがとうございます。
時として強い感情を伴い、傷として残ったり癒えたりするのですね。
子供の頃、大人から「あなたは今笑っているけど、本当は悲しんでいるんだよ」と言われたことを思い出します。
ひょっとしたら感じたことを思い出せないのではなく、私は何も感じていなかったのかもしれません。
それとも、繰り返し思い出される光景は何かを強く感じた記憶でしょうか。


星さん
お話を聞かせてくださり、ありがとうございます。
沈黙には色々な要素が含まれている…私もそう思います。
これは私の感覚ですが、自分の中にあるものは言葉にすると壊れてしまうので、完全に伝えたい時は沈黙になります。
人がその発言(または無言)の背後にもっている過去は、どんなに想像しても知ることができません。
私にできるのは、その人にそうさせた何かの存在を思うことだけです。


パンダさん・星さん
とても不思議で考えの尽きない記憶と言葉について、お二人とお話することができて嬉しく思います。
貴重な機会をありがとうございました。

コルテオさん

>子供の頃、大人から「あなたは今笑っているけど、本当は悲しんでいるんだよ」と言われたことを思い出します。ひょっとしたら感じたことを思い出せないのではなく、私は何も感じていなかったのかもしれません。それとも、繰り返し思い出される光景は何かを強く感じた記憶でしょうか。

 ひとつ思い出したことがあります。学生時代に自閉症の子どもとの付き合いがあった頃に読んだことです。遊んでいて転んだ子どもが足を怪我して、血を流していかにも痛そうだったのに、その子は全然気にせずに笑顔で遊び続けていたという例がありました。ところがその子が後に言葉をなんとか話すようになったとき、痛そうに訴えるようになったそうなのです。

 痛みはもしかすると人に訴えて、共有してもらえる状況にならないと、場合によっては自分で感じることもないのかもしれません。もっとも自閉の子どもでも、赤ちゃんの頃お腹が空いたりすれば泣くでしょうし、そのあたりはもうすこし複雑なことなのかもしれませんけれど、でも赤ちゃんでも泣いても相手をしてくれなければ、あまり泣かなくなるんじゃなかったかな。

 からだの痛みは目に見えますが、人間関係などで生まれる心の痛みは、感じ方が違ったりすればなかなか理解も共有もしてもらえないですから、そういう状況が続けば、その状態は「当たり前」のことになって、「これは苦しいことなんだ」という思いも薄れてくるのかもしれない。そんな可能性も考えられるかもしれませんね。あくまでひとつの可能性ですけれど。

 ところで記憶のことについてパートナーにも聞いてみましたが、パートナーの場合は「辛かった記憶」はある程度あるようです。そう言えば前に記事にも書きましたけれど、笑顔で虐められているときはそれがいじめだとかわからなくて、だいぶ経ってからいじめだと分かって傷ついた話とかも私にしてくれていました。


星さん

 ウィットに富んだ、と書いて下さったことをパートナーに紹介するときに
 「ウェットに富んだ」と間違えて話をしてしまい、
 彼女に「もしかしてウィットのこと?」と馬鹿にされてしまいました (^o^)
 私の場合、ウィットよりおっちょこちょいに富んでるんですね (^ ^;)ゞ

>沈黙が会話になっている、と感じることが、私にはあります。そして、その沈黙は、私には心地よい沈黙なのです。

 この感じは私にもあります。私の場合はそういうときは「沈黙の時間を共有している」
 という感覚があって、黙っていても二人は一体みたいな感じもします。

コルテオさん

お返事ありがとうございました。(*^-^)

>沈黙には色々な要素が含まれている…私もそう思います。

 ここを読ませていただいて、考えてみたのですが、私が二回目のコメントに書かせてもらっていたことは、
『沈黙が心地よい理由』がメインだったように思います。
考えの整理が上手く出来ていなかったこと、表現の仕方が適切でなくて、すみませんでした。ヾ(_ _*)

>これは私の感覚ですが、自分の中にあるものは言葉にすると壊れてしまうので、完全に伝えたい時は沈黙になります。
人がその発言(または無言)の背後にもっている過去は、どんなに想像しても知ることができません。
私にできるのは、その人にそうさせた何かの存在を思うことだけです。

 コルテオさんの感覚のお話を教えて下さり、ありがとうございました。

こうしてコルテオさんの感覚を(文字で)読ませていただくと、私の中にあったことがより明確になりました。

コルテオさんさんお話をうかがって、私には浮かぶ場面があります。
そうだったのだなと、再確認できたこともあります。
また、本当に奥が深いことだと、再認識できたこともあります。

貴重なお話をありがとうございました。
今後の関係に活かしていきたいと思っています。

>私の場合、ウィットよりおっちょこちょいに富んでるんですね (^ ^;)ゞ

 奥様との会話に思わず笑みがこぼれてしまいました。
今回のパンダさんような間違いは、私にもよくあることなので・・・・(*v.v)
なので、私はパンダさんに負けない自信がある、かなりおっちょこちょいに富んでいる人間なのです。

私の大切な人が読んだら、きっと「確かに僕の彼女も、パンダさん以上か、負けず劣らずのおっちょこちょいな人間」と、思うことは間違いないと、自信があります。

>この感じは私にもあります。 
 パンダさんにもあるのですね。
良かったと思い、嬉しい私がいます。

>私の場合はそういうときは「沈黙の時間を共有している」
 という感覚があって、黙っていても二人は一体みたいな感じもします。

 さすが、何十年も過ごしてこられたご夫婦ですね。
  
 私は気持ち良くなって、知らない間に眠ってしまったりしています。
私は、基本他人がいると眠れないタイプなので、とてもリラックスできている良い状態なのだと自分では思っています。

 また、これは自分でも不思議なことなのですが、私は大切な人に、『大切に思われているという感覚』があるのです。

これから変化するかもしれませんが、今も、今までも、普段は意識していないのですが、根底にその感覚があります。
勿論、そう言葉で伝えられる訳ではないのですが。

発展途上の二人だと

パンダさん、コルテオさん

 すみません、誤ってマウスに手が当たったため、コメントを作成している途中で、不用意に送信してしまいました。

まだ、確認もできていなかったので、読み返してみると、誤字脱字もあります・・・・。

本当にすみませんでした。(*_ _)ゴメンナサイ

以下、コメントを続けさせていただきます。

 発展途上中の二人だと思っているので、色々なことを当たり前だと思うことなく、感謝の気持ちを忘れないで、毎日を大切に、日々過ごしていきたいと思っています。
 

パンダさん

タイムリーに、私がおっちょこちょいな人間だと証明してしまいました。

話題に合わせたのではなくて、本当に私のミス操作でのハプニングでした。
 
お見苦しいコメントを投稿してしまい、本当にすみませんでした。
 ごめんなさいヾ(_ _*)ハンセイ・・・しています。


コルテオさん

 お見苦しいコメントを投稿して、すみませんでした。
読みにくいと思いますが、お許しください。

こちらこそ、コルテオさんと言葉や記憶についてお話しできて、嬉しかったです。
奥の深いコメントをありがとうございました。

貴重な機会をありがとうございました。
感謝しています。

星さん

>これから変化するかもしれませんが、今も、今までも、普段は意識していないのですが、根底にその感覚があります。

 いいですね。その感覚。
 私のパートナーも「初めて自分のとなりにいてくれる人が出来た」
 という感覚を昔話してくれたことがありました。

 私たちの場合はその後、お互い理解できないズレに苦しんだわけですけれど、
 星さんの場合はたとえこれから先にいろいろすれ違いが起こったとしても、
 訳も分からずに苦しい思いになる、ということにはならないんじゃないかな。
 もしそうだとすると、すばらしいことだなと思います。

 私たちの「失敗」をそんなときにも参考にしていただけることがあれば、
 「失敗」したことにも意味があるように思えてきます。
 もしそんなことがあれば、私にとってもそれは救いになる気がします。

パンダさん
パートナーさんの記憶についてお話して下さり、ありがとうございます。
私の言葉が何の参考にもならず、ごめんなさい。それどころか、私の方がパンダさんの言葉にはっとさせられました。
私は、初めてある人に対して、あ、通じる…と、なぜか感じられた時、胸の辺りが暖かくなり、その感覚に戸惑いました。
もしかして、この感覚が、「嬉しい」なのではないか…と突然わかって、その頃から、昔の光景が次々に蘇り始めました。
それらの光景に対する感情は、やはり出てこないのですが、パンダさんのお話から、この記憶につながりました。


星さん
大切な人との関係をお話して下さり、ありがとうございます。
星さんの意図から外れたコメントをしてしまい、ごめんなさい。星さんのお話から、私も色々なことに気づかされました。
私は、ある人を通じて、初めて「嬉しい」を感じた時、それをその人に伝えたかったのですが、言葉にできませんでした。
途方に暮れて黙り続け、その人と死別した時にようやく、言葉によってしか伝えることはできないのだと、わかりました。
星さんと大切な方との間にも…心地よい沈黙の背後には、積み重ねられた言葉があるのだろうと、私は思います

コルテオさん

>パートナーさんの記憶についてお話して下さり、ありがとうございます。私の言葉が何の参考にもならず、ごめんなさい。

 とんでもないです。いろんな視点から考えてみる手がかりを与えていただいたのですし、コルテオさんの感じ方を多少なりとも知れたこともとても勉強になりました。

>それどころか、私の方がパンダさんの言葉にはっとさせられました。私は、初めてある人に対して、あ、通じる…と、なぜか感じられた時、胸の辺りが暖かくなり、その感覚に戸惑いました。もしかして、この感覚が、「嬉しい」なのではないか…と突然わかって、その頃から、昔の光景が次々に蘇り始めました。それらの光景に対する感情は、やはり出てこないのですが、パンダさんのお話から、この記憶につながりました。

 なにか、今までのこのブログでのコメントのやりとりではあまり記憶にないようなすごいことが、定型パンダとアスペの方(かもしれないコルテオさん)の間に起こったんじゃないでしょうか。もちろん私はそういう結果を意図して書いたわけではなく、素朴に思ったことを書いただけですけれど、そのことが結果としてはコルテオさんに自分についての新しい(?)理解の仕方をするきっかけになったのだとすれば。

 初めて「嬉しい」という思いを知ったときのお話しは、ちょっと感動的な感じもしました。そしてそのことによって沢山の過去がよみがえってきたことも。これはあくまでひとつの可能性ですけれど、もしかするとそのよみがえった過去のひとつひとつについて、改めて他の人と意味が共有できるようなことがあれば、そこに「感情」も浮かび上がってくるのかもしれない、ということも想像してみました。

 ほんとに全然的外れかもしれない勝手な想像ですけれど、外れなら外れで「ああ、そういうこととは違うんだ」という理解が進みますし、考えてみるべき大事な手がかりの一つを頂いたような気がします。

パンダさん

コメントをありがとうございました。

 >星さんの場合はたとえこれから先にいろいろすれ違いが起こったとしても、
 訳も分からずに苦しい思いになる、ということにはならないんじゃないかな。

 私は、今までにパンダさんが言われるようなすれ違いが、多少なりとも起こってしまい、それを二人でがんばって乗り越えながら、ここまで来れたと思っている人間です。

沈黙について言葉を足すならば、『彼の沈黙が理解できるようになり、その沈黙を受け入れ、その沈黙を一緒に享受することができるようになったと、私は感じています』でしょうか。

>もしそんなことがあれば、私にとってもそれは救いになる気がします。

 パンダさんのブログには感謝しています。
繭さんやカレンの夫さんや玄さんのコメントからは、特に多く学ばせていただきました。

 パンダさん、奥様ありがとうございます。
お二人にとても感謝しています。


コルテオさん

>星さんの意図から外れたコメントをしてしまい、ごめんなさい。

  とんでもありません。コルテオさんの感覚のお話は、私にはとても参考になりましたし、最初にずれたのは私ですから。


>星さんと大切な方との間にも…心地よい沈黙の背後には、積み重ねられた言葉があるのだろうと、私は思います

 そうですね、積み重ねてきた言葉もあります。
私の感覚では、言葉だけでなく、『二人が積み重ねてきた時間』 が大きく影響しているように感じるのです。
また、私には色々と浮かぶ情景があります。 
その情景の中での、大切な人の表情や言葉からも、ふと、気が付くことがあります。

コルテオさん、初めて「嬉しい」を感じた時のお話を教えてくれて、ありがとうございました。
私はとても大切なことを教えて頂いた感じがしています。

私にも、伝えそびれている言葉があるような気がしています。
良いタイミングで、自分の気持ちを適切な言葉で表し、伝えることは、難しいことだと思います。

星さん

>私は、今までにパンダさんが言われるようなすれ違いが、多少なりとも起こってしまい、それを二人でがんばって乗り越えながら、ここまで来れたと思っている人間です。

 ああ、そうだったんですね!

 このブログには毎日いろんな方が訪れて下さって居ますが、
 どんな方がどんな思いで来てくださっているのか
 その具体的なことはもちろんまったく分かりません。
 でもその中に星さんのように乗りこえてこられた経験をお持ちだったり、
 いまちょうどその過程をたどっていらっしゃる方がある程度いらっしゃるのだとすれば、
 それはなんだか心強くも感じます。

> 繭さんやカレンの夫さんや玄さんのコメントからは、特に多く学ばせていただきました。

 少しでもそう感じていただける方がいらっしゃるのはとても有り難いですし、
 コメントを下さる方にも改めて感謝です。
 いろんな問題が起こってとまどうこともありながら、
 でもこのブログという場が、私個人のちっぽけな経験にとどまらずに、
 いろんな方のいろんな経験が無理なく交わる場になって欲しいと
 あいかわらずそんなことを思います。 
 またよろしければ星さんのご経験などもお聞かせ下さいね。
 きっと、そこから何かを得られる方もいらっしゃるはずです。
 これからもどうぞよろしくお願いします。

パンダさん

こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします。(*^.^*)

これからも、このブログを末永く続けていって下さいね。

よろしくお願いいたします。

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