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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年11月13日 (水)

「わからない」けど「通じ合う」?

 このところ「ずれた共感」 という記事を巡って、星さんやコルテオさんが下さるコメントとやりとりをさせていただきながら、なんとなく今までとは違う何かを感じています。

 何が違うのか、例によってまだはっきりとしませんし、その違いというのは、今までみなさんからいただいたコメントも実は同じようなものなのに、単に私の感じ方が変わっただけのことなのか、あるいは星さんやコルテオさんが私やこのブログに対してすごく気を遣って下さって感じが変わっているということなのか、またはご自分のことをアスペルガーとは断定されていないように、星さんやコルテオさんの個性に関わることなのか、そのあたりもよく分かりません。

 そういう状態ですが、それでも私がなんとなく違いを感じるところを考えてみると、これまでアスペの方が自分の感じ方について紹介して下さるときなど、私は「ええ?びっくり」という感じが多かったように思います。「そこまで違うのか!」と驚いて、問題の大きさを改めて思い知らされるという感じでしょうか。

 それに対して、星さんやコルテオさんとのやりとりでは、言ってみれば「ああなるほどなあ」という、「ちょっと分かるかも」という印象を得ているような気がしますし、私の書くことについても、(お二人のお気遣いによる「お世辞」でないのだとすれば)なにかお二人の感じていることにどこか響くものが少し出てきたのかもしれないと思ったりします。

 もちろんそのことで私がアスペの方(かどうかもはっきりはわからないわけですが)を理解できてきたという積もりはありません。未だに私にとってはやはりなぞだらけの関係です。でもそれはそれとして、それでもなんとなく「通じ合っている」部分を感じるということかもしれません。

 なんだかとても矛盾したことを言っていますね。「わからない」んだけど「通じ合っている」というわけですから。でも実は定型同士だって相手を完全に分かって関係を保っていることなんてあり得ないわけで、多かれ少なかれ「わからない」にも関わらず、なんとなく「通じ合っている」感じを持っています。もしかすると、そんな形での「通じ合っている」感じに近いものを、私は感じたのかもしれません。もちろんお二人がどう感じられているかは全然わかりませんが。

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コメント

先日はお話ほんとうにありがとうございました。仰るとおり、自分の感情、記憶の、糸口をいただいた気がします。
感情を知ったとき、それはただ言葉で表されるのではなく、体の中で生まれて動くものだということがわかりました。
人はこんなふうに何かを感じて生きていたのだということも、そのときわかりました。
でも人にとってそれは当たり前で、私にとって当たり前でないのはなぜか、わかりませんでした。
わからないけれど、何かが通った、開けた感じがありました。
パンダさんの仰る「通じ合う」とは、違うかもしれませんが…。
『信じる「愛」を持っていますか』という本の言葉に、私は共感をおぼえます。
――私たち一人ひとりには不可交信性incommunicabilityという部分があって、また、それがあるがゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ、「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのである。
この尊敬こそは、身分、学歴、財産、才能とかかわりなく、自分の理解をこえる部分を持つ人間に対する畏敬の念となり、「聖所」を持って生きる人の自信ともなる。――
改めまして、パンダさんと星さんに感謝いたします。

コルテオさん

>わからないけれど、何かが通った、開けた感じがありました。

 これを読んで、「何かが通った」感じを受けました (^_^)
 多分、定型的に言えば「通じた」感じなんだと思います。

>私たち一人ひとりには不可交信性incommunicabilityという部分があって、また、それがあるがゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ、「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのである。

 これ、いい言葉ですね。私もそんなことを考えたいんだと思います。
 うーんと、これは定型流に言うと「共感」になるかな。

 それにしてもコルテオさんの

>感情を知ったとき、それはただ言葉で表されるのではなく、体の中で生まれて動くものだということがわかりました。

 という体験談は、私にはとても刺激的に感じられました。
 なるほど!という感じがします。
 新しい世界が自分の中で開かれる瞬間ですね。
 

コルテオさん

こんばんは。
コルテオさんのコメントを読んで驚きました。

『信じる「愛」を持っていますか』という本は、私の愛読書の一冊だったからです。

その本に書かれていたことでもありますが、
人間を理解するということは、「人間は理解しつくせない」ということが前提で、
このことを知る人々が、お互いをいたわり合い、できるだけ理解し合おうとする時、良い関係が生まれると、私は思うからです。

自分自身のことさえもわからないのに、他の人のことを全てわかることなどできないとも思います。
私は、相手が理解しようとしてくれる気持ちや、相手の歩み寄りを感じる時などに、相手の好意(厚意)を深く感じることが多いです。
だから、私も理解する気持ちは大切にして、持ち続けていきたいと思っています。

また、「自分の聖所」と同様に、「相手の聖所」をも大切にしていく繊細さも持ち、少しずつでもその繊細さを育てていきたいと思っています。

それと、「心地良い沈黙」は、共有できているかどうかはわかりません。(*^.^*)
私が、大切な人との沈黙の時間を心地良く感じているということですから。

この本の中にあった、武者小路実篤さんの言葉で、「君は君、我は我なり、されど仲良き」の言葉のイメージでしょうか。

コルテオさん、不思議な偶然にびっくりしました。

ありがとうございます。
こちらこそ、感謝しています。(*^-^)

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