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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 優劣で見られる? | トップページ | 時間をかけた「共感」 »

2013年11月21日 (木)

二つの見え方、一つの現実

 今朝、目がさめたとき、ふと「ああそうか」と思ったことがありました。

 定型アスペのズレというのは、いろんなことの意味の理解や見え方、表現の仕方について、言ってみれば想像もしなかったような違いがお互いの間にある、ということだと考えてきたわけです。定型アスペのコミュニケーションがいろんな深刻な問題を生んでしまうひとつの大きな理由は、そういう「お互いの見方の違い」にお互いが気づいていないことだろうということになります。だから、まずはお互いどれほど見方が違うのか、見え方が違うのかについて、お互いに理解しようとする姿勢が必要なんだと思えたわけです。

 つまり、どちらも「同じ世界を見ている」と思っていたところが、全然違う世界を見ていた、ということにお互いまずは気がつかないといけないんだろう、ということです。ここまでは今まで何度もいろんな例で、いろんな言葉で考えてきたことでした。

 それで、今朝ふと思ったことと言うのは、考えてみれば当たり前のことかもしれないんですが、そんなふうにお互い「見え方」は違っても、でもやっぱり「ひとつの現実」を生きて居るんだなあということでした。

 まあ、たとえばなんかの料理を一緒に食べていて、自分は美味しいと思い、相手はまずいと思うかもしれなくて、それでその料理を巡って意見があわなくてケンカになることはあるかもしれません。でも「同じ料理を食べている」という「現実」があるから、ケンカになるんですよね。

 見えている世界はすごく違うのかもしれないけれど、そのことでお互いにぶつかり合ったり、苦しんだりするのは、それは「同じ現実を生きている」からなんでしょう。そうでなければそもそもぶつかり合うことさえ無いはずです。

 二つの見え方をしている一つの現実を一緒に生きている。それがアスペ定型の関係だし、もっと言えば、定型アスペに関係なくだれだってまったく同じ見方で生きている人はあり得ないんだから、すべての人同士は結局そうなんだろうとも言えるんじゃないでしょうか。ただその見え方の違いがトラブルにつながりやすいような性質の違いなのか、それほどでもないのか、という違いは色々あるのかもしれませんけれど。

 

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コメント

diamondパンダ さま

こんばんは、アスペルガールと申します。

参考になるブログをいつも有難うございます!

アスぺと定型の視点の違いですが、
私のブログにまとめた記事が役立ちそうなので良かったらどうぞ~

もし、興味があればと思い紹介させて頂きました。

私が思うにアスペルガーというか自閉症は抽象度が高いんです。
だから具体的な事が苦手だったりしますが、
一見難しい脳科学者のような抽象的思考が得意だったりします。

より抽象的な視点の人と
より具体的な視点の人は話がかみ合いません。

どちらが良いとか悪いとかではなく、
ただ・・・ただ・・・かみ合わない。

具体的な人は日常のちょっとした会話をシェアすることに楽しさを感じます。
抽象的な人は堅苦しい小難しい知識を知ることに楽しさを感じます。

定型発達と呼ばれる方たちは、
一般的に具体的なことを好み、それにウエイトを置きます。

が、非定型発達の人は、より抽象的な事にウエイトを置くことが多いです。

要するにプライオリティが違うのです。

そして問題は定型発達の方は、
日常のちょっとした会話を『簡単』だと思っていることです。

ちょっとした会話くらい簡単じゃない、
なんでそんな簡単なことも合せてくれないの?って。

でも、非定型(とりあえず私は)からすると、
それは、脳科学の本を理解するよりも難しかったりします。

こういった場合は日本の一般常識が持ち出せれますよね。

そうすると、それが、普通じゃない、と言われてENDって感じで。


---以下引用----------------

つまり、どちらも「同じ世界を見ている」と思っていたところが、
全然違う世界を見ていた、
ということにお互いまずは気がつかないといけないんだろう、
ということです。

---------------------------

これは、私は小学生の時から感じていました。。。
他と違うと早くから分かって合わせているアスペルガーは多いと思います。

パンダさんが努力されているのは十分に理解できます。

私としては、パンダさんの、このブログの目的を、
『共感』よりも『解決』だと思っているので意見を述べてみました。

カウンセリングでもそうですが、
傾聴ばかりじゃ、お金と時間がかかって仕方ないです。

パンダさんの目的は大切な人と仲良くすることですよね。
参考になれば幸いです。

コメント返信は不要です。

パンダさん
一つの現実と二つの見え方という考え、興味深く思います。
例え話ですが…
パンダさんにとって、二つの見え方とは、“美味しい”と“まずい”ですか?
私にとっては、“美味しいかそうでないか”と“味が存在するかしないか”です。
(あ、これ自体が、パンダさんと私の、二つの見え方でしょうか)
なので、美味しいかどうか問われると、答えに詰まってしまいます。
何も言わないか、“味がする”と言いたいところです。
別の例えだと、兄弟がいるかいないか以前に、兄弟を好きかどうか聞かれるような…
一人っ子だと答えても、一人っ子のわけがないと言われるような、そういう感じです。
わかりにくい例えで、すみません;
私は、人の言動で、理解・納得できないことが色々あって、ときどき苦しくなります。
“人の感覚”を掴んで、自分でも使えるように、日々手探り、日々訓練です。
でも本当は、お互い自分の感覚でいて、見え方が違うことを尊重し合う関係に憧れます。
私も、“見ている現実は一つ”と感じられるようになりたい、と思います。

コルテオさん

>例え話ですが…
パンダさんにとって、二つの見え方とは、“美味しい”と“まずい”ですか?
私にとっては、“美味しいかそうでないか”と“味が存在するかしないか”です。
(あ、これ自体が、パンダさんと私の、二つの見え方でしょうか)

 これ、「うーん!」と唸ってしまう感じがしました。
 なるほど!というか。
 たとえば感情というものについて、
 「どういう感情か」のズレの問題であるよりもまず
 「そもそも感情がそこにある(見えている?)」かどうか
 というズレの問題なわけですね?

 そんな風に説明していただくと、やっぱり私の考えているズレが
 まだまだ感覚的には定型アスペ間の大事なズレの問題に
 迫れていないんだなあと思えましたし、
 逆に言えばとても大事な問題点を教えていただいた気持ちです。

  

パンダさん

お返事くださり、ありがとうございます。
私は、周りの人との間に違和感があるだけで、必ずしもアスペルガーとは限りません。
できれば、私の話は参考程度にとどめてくださると、安心です。
どうぞよろしくお願いします。


パンダさんの仰る“感情がある(見える)かどうか”の違いがあると、私も思います。
というより、感情に関わることを、人は“美味しい”と認識できて、私はできないようです。
何だか話がややこしいでしょうか;
反対に、人が何も言わないところで、私は“美味しい”と言うこともあります。
私には確かに存在していて、心を動かされるけれど、人には認識されていないものです。
それは、色や音の感触といった、ある種の感覚であることが多いようです。


パンダさんにお聞きしたい“ズレ”があります。
私は、人の発言が変わったり、発言と行為が違ったりすることが、なかなか理解できません。
その状況にあうと、なぜか胃の辺りが、ぎゅっと気持ち悪くなるのです;
何とかして理解したいのですけれど…
これは、定型の方の特徴ですか?どういう理由がありますか?
何かヒントをいただけたら、幸いです。

コルテオさん

>感情に関わることを、人は“美味しい”と認識できて、私はできないようです。何だか話がややこしいでしょうか;

 とても微妙な表現のように感じます。感情に関わることに定型は価値を感じるけれど、
 コルテオさんの場合はたとえ感情を感じたとしても、そのことに価値とか意味とかを
 感じることがない、というような意味でしょうか。

>反対に、人が何も言わないところで、私は“美味しい”と言うこともあります。
私には確かに存在していて、心を動かされるけれど、人には認識されていないものです。
それは、色や音の感触といった、ある種の感覚であることが多いようです。

 感覚的なところから、注目するところや感じ方にズレがある、という話は、以前も
 何人かのアスペの方のコメントで分かってきましたけれど、コルテオさんのこの
 お話しも同じようなことなのかもしれないですね。

 もし芸術家なら絵や音楽で表現するかもしれません。そうやって表現されたものが、
 定型の心を動かすかどうかはちょっと興味深い問題ですけれど。

>私は、人の発言が変わったり、発言と行為が違ったりすることが、なかなか理解できません。その状況にあうと、なぜか胃の辺りが、ぎゅっと気持ち悪くなるのです;何とかして理解したいのですけれど…これは、定型の方の特徴ですか?どういう理由がありますか?

 この点もアスペの方が定型のやりかたに驚いたり、ショックを受けたりすることとして
 ときどき言われていることだと思います。
 次のような説明の仕方でどの程度納得されるでしょうか?

 まず「人の発言が変わったり」ということですが、いくつかの可能性があります。
 定型は「相手に合わせて発言する」ということをよくやります。
 日本人は特にその傾向が強いと思います。
 その理由もいくつもあると思いますが、
 一つは「相手を傷つけたくない」という考え方、相手が嫌がる意見をいうことで、
 対立的な感じになりたくないという考え方があると思います。
 だから、相手の考え方に余り対立しないように、曖昧に言う、
 といったことをよくやっています。
 ところが「本音」では自分が違う意見を持ったりしていますから、
 その人が居ないところでは「本音」で違うことをいったりすることもあります。

 また「曖昧に」しながら相手と話している内に、
 自分の意見も変わっていくことがあります。
 その場合も前に言っていたことと後から変わることがあります。

 また、「状況」に合わせて考え方を変える、ということもあると思います。
 ある状況でAと考えてみたが、別の状況で考え直してみるとBがいいと思えた、
 という場合に、割合簡単に意見を変える可能性もあります。

 もっと功利的に、「この場ではこう発言しておいた方が自分には得だ」
 というふうに、自分に利益になるように発言を変えるひともあります。
 私はそういうのは好きではありませんが、そんな人もいることは確かです。

 発言と行為が違うのも、上にいくつか書いてみたような理由で
 「ある人(ある状況)に関して話をしたこと」はその人の「本音」ではなければ、
 実際にはその人の発言通りに行動することはないことになりますよね。

 ですから定型同士のやりとりでは、相手が話をしたことについても、
 「これはどの程度その人が本気でそう思っているのだろうか、
 それともこの場(や私)に合わせてそう言っているだけだろうか」
 ということを「読みながら」その話を聞いていることが多いわけですね。
 ほんとに親しく信頼できると思える関係では、そういう「裏を読む」
 というようなことは少なくなりますが。

 「読み」ですからあたることも外れることもありますが、
 そこをうまく読めるようになる力が高まっていくことが
 定型にとっては「大人になる」とか「社会人になる」といった意味の
 一部分にもなっていると思います。
 政治家なんかはそのあたり、ものすごくやるんでしょうね。

 信頼できる関係は「本音」に近いところで話し合える関係で、
 社交的な関係は「建前」が中心でやりとりする関係で、
 その間に本音と建て前が入り交じったいろんなレベルの関係があって、
 そこを常に調整しながら人間関係を作っているのが、
 定型的な生き方の特徴のように思います。

 もちろん、人によって「本音」で生きることを大事にする人、
 逆に「建前」を重視して「本音」はできるだけ出さない人と、
 そのあたりの個人差は定型の中でもすごく大きいと思います。
 そのあたり「この人はどっちのタイプの人なんだろう?」ということを
 判断することも人付き合いでは大事になっていると思います。
 あんまり頭で考えるよりも、直感的にそうやっていると思いますが。


 という説明の仕方、うまく伝わりますでしょうか?
 

コルテオさん

>“人の感覚”を掴んで、自分でも使えるように、日々手探り、日々訓練です。
でも本当は、お互い自分の感覚でいて、見え方が違うことを尊重し合う関係に憧れます。

こちらを読ませていただいて、本当にコルテオさんは真面目な方だと思いました。
コルテオさんが憧れている関係が、実現できるとよいですね。
こんな関係は私も憧れています。

>私は、人の発言が変わったり、発言と行為が違ったりすることが、なかなか理解できません。その状況にあうと、なぜか胃の辺りが、ぎゅっと気持ち悪くなるのです;何とかして理解したいのですけれど…これは、定型の方の特徴ですか?どういう理由がありますか?

パンダさんへのご質問で、パンダさんが既に色々な角度から、お答えをされていますが、私の細やかな経験が、もしかしたら、少しでもお役に立てるかもしれないと思ったので、コメントをさせていただきます。

発言と行為が違う場合があることについてにですが、
私が大切な人と一緒に、イベントなどに参加したことが何回かありました。
事前のメールでは、2人でとても盛り上がるのに、当日の私の感じが、事前の私のメールの感じとは違う感じを、彼が受けていることがありました。

上手く表現できないかもしれませんが、そんな時のことを、私なりに言葉にしてみたいと思います。
メールは二人だけの間で行き来するもので、第三者が見るものではないので、私はメールでは、自分の気持ちを素直に、ストレートに表現できていたと思います。(いわゆる本音の部分だと思います。)

当日、彼を目の前にすると、照れくさい気持ちや恥ずかしい気持ちからか、緊張してしまい、余裕がなくなってきて、言葉がぎこちなくなったり、少なくなったり、態度もぎこちなくなってしまう傾向が、あったように思います。
決して私は、不機嫌だったり、怒っているのではなく、むしろ、照れていたり、嬉しかったのですが・・・。

そして、場所も、公的な場所での行動になりますから、2人だけがいる場所ではないので、当然行動なども、いくらか人の目を意識した行動になってしまいますので、メールの感じからは、いくらかでも、離れてしまっていたと思います。(こちらは建て前的行動です)
こんな感じで、私は自分の発した言葉と行為が、上手く連動した形で表現できていなかったことが、けっこうあったように思います。

私は、自分の内面の戸惑いを、彼にきちんと伝えることが、できていなかったように思います。
もしかしたら、伝えられていなかったことで、彼に不要な苦しみを、与えてしまっていたかもしれないとも思いました。きちんと伝えられていなかったことを、とても反省しています。
このような場合にも、もしかしたら、発言と行為の間に、ギャップがあるように感じられるのではないかと思ったので、コメントさせていただきました。


また、パンダさんのコメントにもあったと思いますが、裏を読むことや、裏を読んだ後の行動ということは、定型の人には、よくあることかなと思います。

相手の言葉や行動の裏を読むことは、相手を疑うことにも、つながるような気がします。
そんなことは、私には精神的に疲れることなので、少なくとも、大切な人とは、裏を読んだり、読まれたりしないでよい、お互いが安心できる関係が、築けたらよいと思っています。

>もっと功利的に、「この場ではこう発言しておいた方が自分には得だ」
 というふうに、自分に利益になるように発言を変えるひともあります。
 私はそういうのは好きではありませんが、そんな人もいることは確かです。

私もパンダさんのコメントのように思います。
自分に有利に物事が運びたいから、相手に気に入られたいからと、計算した発言をする人には、気を付けないといけないと思います。


パンダさん

丁寧で詳しいコメントを、ありがとうございます。(*^-^)


パンダさん
お返事くださり、ありがとうございます。
言葉足らずでごめんなさい。
人の感情(料理)に共感/反感(おいしい/まずい)という反応ができない、と言いたかったのでした。
決して料理に意味がないのではなく、私に意味を感じ取る能力がないのです。
たぶん私は、自分の感覚を、作品にして差し出したいのではありません。
その感覚をめぐって、ただ「これ、おいしいね」「えっ、まずいよ」という遣り取りがしたいだけなのだと思います。
質問に答えてくださり、感謝いたします。
こんなに丁寧に説明していただけるとは思わず、とても恐れ多いです。何度も読み返しました。
時計のぜんまいを見たような気分です。そんなに緻密な仕掛けがあったのですね…圧倒される思いです。
私には大変なことをこなしているように感じられますが、感覚的にできるような当たり前のことなのですね。
凄い、です。
パンダさんのお話を念頭に、日々を過ごしてみます。きっと、現実の見え方が違うことと思います。

星さん
コメントありがとうございます。
パンダさんや星さんと遣り取りさせていただくうちに気づいたのですが、自分の中を言葉にするのは、私には思いのほか労力がいるみたいで

途切れてしまったので、改めてコメントします。

星さん
コメントありがとうございます。
パンダさんや星さんと遣り取りさせていただくうちに気づいたのですが、自分の中を言葉にするのは、私には思いのほか労力がいるみたいです。
パンダさんの言葉をちゃんと消化したいのに、いまは頭がいっぱいで、上手く働きません。
星さんにすぐにお返事したいのですが…その前に、ちょっと休ませてください。折角コメントくださったのに、ごめんなさい。

コルテオさんへ

コメントありがとうございます。

>パンダさんや星さんと遣り取りさせていただくうちに気づいたのですが、自分の中を言葉にするのは、私には思いのほか労力がいるみたいです。

私もけっこう時間がかかるタイプなので、コルテオさんのお気持ちがわかる気がします。

>星さんにすぐにお返事したいのですが…その前に、ちょっと休ませてください。折角コメントくださったのに、ごめんなさい。

ご丁寧に伝えて下さり、ありがとうございました。
感謝しています。
コルテオさん、ゆっくりお休みくださいね。(*^-^)

コルテオさん

>質問に答えてくださり、感謝いたします。

 どういたしまして。私個人の勝手な理解ですので、
 果たして他の定型の方がどの程度納得されるのかは分かりません (^ ^;)ゞ
 
 また、コルテオさんにもわかりにくいところとか、疑問とかありましたら、
 いつでもまた指摘して下さいね。指摘して下されば、
 お互いにわかりにくいところとかがだんだん見えてくるかもしれないし。 

星さん
コメントくださり、ありがとうございます。
星さんと大切な人のお話を伺うと、私から「嬉しい」を引き出した人との場面が、次々浮かんできます。
言葉が追いつかず、お返事とても遅くなりました。どうか、お許しください。
その人は、亡くなったとき、私から「悲しい」を引き出しました。その後、私の中で、人が泣くことと「悲しい」と言うことが、結びつきました。
でも、人が感じながら何かを言うのは、不思議です。動いているものは、言葉によって、ばらばらに切り取られて、固定されてしまうからです。

パンダさん
お気遣いいただき、ありがとうございます。
今はわからなくても、説明を参考に、私なりの理解を探ろうと思いました。
パンダさんと感情について遣りとりして、人に昔言われた言葉を、ふいに思い出しました。「誰にも必要とされず、悩んだことがあるか」です。
私は、必要とされないことを悩む、というのが、わかりませんでした。
でも、その人の中に、「誰かに必要とされる」があったのかもしれません。私の中には、「悲しい」の前に、「嬉しい」があったからです。

星さん・パンダさん
コメントの主旨から外れたことを、お話ししてしまいました。
何というか、お返事を求めているのではありません;
記憶と気持ちを、言語化する練習をしている…ような感じがします。

◇皆様 さま

こんにちは、アスペルガールです。

皆様のやり取りを拝見させて頂いて、
私にとって見落としてはならないとされる部分があったのでコメントしました。

コルテオさんはアスぺかどうかは断定でないということも加味しつつ、
少しつっこんで追求してみます~~

---以下引用----------------

例え話ですが…
パンダさんにとって、二つの見え方とは、“美味しい”と“まずい”ですか?
私にとっては、“美味しいかそうでないか”と“味が存在するかしないか”です。
(あ、これ自体が、パンダさんと私の、二つの見え方でしょうか)
なので、美味しいかどうか問われると、答えに詰まってしまいます。
何も言わないか、“味がする”と言いたいところです。

---------------------------

このコルテオさんの一文はとても大切な気がしました。
コルテオさん有難うございました!

パンダさん別テーマにて交わしたお話に「0or1」か「0.5」がありました。
どちらかにするのか、あいまいにするのかという表現を数値で表したものです。

その勢いで数字でコルテオさんの言葉を表してみます。

まず、

 “味が存在するかしないか”は、
 味が存在する⇒「1」であり、
 味が存在しない⇒「0」です。

「0」であった場合は、会話が終了しますが、
「1」であった場合は、会話が継続されます。

何故か?

 「0」は、1を掛けても、10を掛けても、100を掛けても「0」だけど、
 「1」は、掛け合わせによっては10000にもなり得るからです。
 ※バラエティが増えるということです。

だから、「1」であることが前提として、(この場合は「味があるを前提として」)
話が進められ、人は「美味しいか、不味いのかという会話ができます。」

例えば、

 味がないを⇒「0」とし、
 美味しいを⇒「5000以上10000以下」とし、
 マズイを⇒「1000以下」としましょう。

「0」の場合は、味が無いために、味について語ることは出来ません。

味を語るには、まず、「味がある」と気付く必要性があり、
その上で、色々な味を感じることにより、
「美味しいのか・マズイのか」に枝分かれしていきます。

だから、「美味しいのか・マズイのか」は、絶対評価はなく、相対評価として表現されます。
「味があるかないか」は絶対評価です。
他と比べてどうだというものではないので、「ゆるぎない」ともいえると思います。
※厳密には舌が味を感じていないだけなので違いますが。

「『美味しいのか・マズイのか』は、相対評価として表現される」を詳しく説明します。

 例えば、パンダさんと私が、ファミマのクッキーを食べたとします。
 そうすると、パンダさんは「美味しいね」と言い、
 私は、「ウゲェ、美味しくない~」と言ったとします。

さらに、パンダさんは「そんなことないよ、美味しいよ」と言い、
私は、「いやぁ、全然美味しくない、こんなヒドイものは初めてだ」と言ったとします。

こんな風に、味が美味しいかマズイかは、交わされるかと思いますが、
何が分かりずらいって、「あるはずの言葉」が抜けてるから分かりずらいんです。

パンダさんの「美味しいね」にも、
私の「ウゲェ、美味しくない~」にも、

「過去に食べたクッキーと比べて」という意味合いの言葉が抜けてまいす。

 正しく書くと、
 パンダさん:「(コンビニならこんなもんじゃない)美味しいね」であるかもしれないし、
 私:「ウゲェ、美味しくない~(焼きたてしか食べたことないし)」かもしれません。

でも、ここが、見え方が同じだとの認識で会話すると、

パンダさんは、「所詮コンビニなんだから、そんなに厳しく評価するのっておかしくない」
となりますし、私も「この人って味覚どうかしてるんじゃない」となってしまいます。

 さらに数字で再表現してみると、
 パンダさん:「美味しいね」は、800だけど、ファミマとしては5000だよね、だったり、
 私:「ウゲェ、美味しくない~」は、800でしょ、これ、800ですよ。だったりします。

そこにある味は1つであり、感じ方も同じ10000点中の800点なんだけれど、
よりオブラートに包むのか、より厳しく評価するのかによって、
「あるはずの言葉」が省略されているだけに、
お互いの前提条件が違うほど、ズレていくんだと私は思っています。


私、コルテオさんの、この文章を読んで、
とても内面のキラキラしたものを感じました。

---以下引用----------------

>反対に、人が何も言わないところで、私は“美味しい”と言うこともあります。
>私には確かに存在していて、心を動かされるけれど、
>人には認識されていないものです。
>それは、色や音の感触といった、ある種の感覚であることが多いようです。

---------------------------

どんな事に心動かされたのか詳しく教えてほしいなぁと思いつつ、
言葉を介すと、それって、壊れてしまったりするもの分かるので、
私は、コルテオさんの内面に興味があるとだけ伝えておきます。

「本当に素晴らしい事ほど言葉には出来ない」と私は思っています。
言葉にした途端に、その素晴らしいことは、違ってしまうからです。

皆様のディスカッションに割り込ませて頂き失礼しました。
また、楽しいディスカッションを有難うございました~

◇コルテオ さん

アスペルガールです。

あの、コルテオさんは、
言葉にするのが上手で無いのはなく、
言葉にしにくい部分を見ているんのではないでしょうか。

私は・・・そうでした。

世の中には言葉にしやすい部分と、
言葉にしにくい部分があります。

言葉にしにくい部分をみている人は、
言葉にするのを難しく感じるのは当然のことです。

ここらへんが抽象度に関わってくるのですが、
詳細はまた別で書きます~

コルテオさん

お返事ありがとうございます。
コルテオさん、お辛い思いをされたのですね。

お返事は求めていらっしゃらないとのことでしたが、コメントさせていただきます。(*_ _)

コルテオさんが、私と大切な人との話から、コルテオさんから「うれしい」を引き出された方のことが次々と浮かばれたように、私もコルテオさんのお言葉から、私は多くを感じ、大切な人とのことを考えさせていただいています。
不思議な話と思われるかもしれませんが、事実なのです。
だから、コルテオさんのお言葉は、大切な人との関係に役立つように感じています。

話は少しとびます。そして私の主観的な話なのですが、
私は、私と彼が、前世では「イルカのペア」だったかのように感じることがあります。
何故そう感じるかと申しますと、言葉で伝えなくても、私の思いは彼に伝わり、彼がその思いを受けた行動を示してくれるのことがあるからなのです。

まるでイルカのように、超音波で会話をしているようなので、私は、私と彼を「イルカのペア(仲間)」と表現しているのですが。

私と彼は、お互いが自己省察するタイプではないかと私は感じています。
ズレがあったかな?と、どちらかが、もしくは二人が感じていたとしても、言葉で伝えたり、すりあわせることをせずに、ズレが改善されていくことがほとんどだからです。

元々そんな感じの二人ではあったのですが、時間の経過の中で、二人なりのノンバーバルコミュニケーションが、発達していったのかもしれません。
コミュニケーションは言葉だけに限らず、触れ合うことなどでも成立すると思うので、そういったことプラス、二人の相性や知性や、目に見えない、言葉にしない努力など、様々な要素が含まれてのことだとは思いますが。

コルテオさんには失礼なことかもしれませんが、そんな雰囲気をコルテオさんとのやり取りに感じることがあるのです。


コルテオさんの「嬉しい」を引き出された方が、そのことを知ることができたならば、とても光栄なことだと感じられるような気がしてします。

こちらこそ、主旨から外れたことをお話ししてしまいましたが、お許しください。

アスペルガールさん

>だから、「美味しいのか・マズイのか」は、絶対評価はなく、相対評価として表現されます。

 ここがポイントなのかなと思いましたので、ここについて思ったことを書いてみますね。

 アスペルガールさんの言われる相対評価というのは、料理Aと料理Bの相対評価
 ということではなくて、同じ料理Aであったとしても、
 高級料理店の基準で見れば「おいしくない」になり、
 庶民的なお店の基準で見れば「おいしい」になる、
 という意味での相対評価のことだと理解しました。

 で、相手の人が何を基準にして「美味しい」かどうかを分かっていないと
 話がずれてしまうんだ、ということでしょうか。
 仮にそうだとすれば、それはそれで理解できます。

 他方で、コルテオさんが次のように書かれたことについてですが、

>パンダさんにとって、二つの見え方とは、“美味しい”と“まずい”ですか?私にとっては、“美味しいかそうでないか”と“味が存在するかしないか”です。(あ、これ自体が、パンダさんと私の、二つの見え方でしょうか)なので、美味しいかどうか問われると、答えに詰まってしまいます。何も言わないか、“味がする”と言いたいところです。

 「美味しいかどうか問われると、答えに詰まってしまいます」
 とお書きになっていることから想像すると、
 そういう相対的な評価ということをすること自体に、
 「答えに詰まる」ような難しさを感じられているのではないかと思いました。

 さらに私なりに勝手に想像を先に進めてみると、
 「美味しいかどうか」というのはひとつの価値判断なんだと思いますが、
 コルテオさんの場合、そういう価値判断に関わる問題について
 他人にことばで表現することに難しさを感じられているのかなと。

 というのも、コルテオさんは自分の感じられたこと、考えられたことを
 ことばにする(=他人に伝えられる形にする)のにとても努力が必要だと思った、
 という意味のことを書かれていたので、
 そんな気がしました。

 うーんと、とりあえず、こんなことでお応えになったでしょうか?

◇パンダ さま

ご返信ありがとうございます!
ちょっと、もっと上手に説明できないかどうかブレークスルー~中~

まず、お礼だけ、お伝えしたかったので、お伝えしました☆彡

◇パンダ さま

こんばんは、アスペルガールです。
ご返信いつも有難うございます。

私の意見を書く前に、
1つだけ、更なる質問をさせてください

パンダさんは、ケーキの様な甘い食べ物(味の濃い)を食べた時に、
「美味しい」か「美味しくないか(マズイ)」ではなく、
「味がする」か「味がしないか」で判断したことは有りますか?

おすましなどだと、味を感じれない場合があるので、
絶対的に味があるとされている食べ物を例に挙げてみました~

アスペルガールさん

>パンダさんは、ケーキの様な甘い食べ物(味の濃い)を食べた時に、「美味しい」か「美味しくないか(マズイ)」ではなく、「味がする」か「味がしないか」で判断したことは有りますか?

 ええと、これは記憶にある限りないですね。
 「味がする」ということと「美味しいかどうか」は同時に感じて分けられません。
 「美味しい味がする」「まずい味がする」「どっちともいえない味がする」……です。
 「色がある」という判断と「○○色だ」という判断が分けられないのと同じでしょう。
 この二つの判断が別々に成り立つという状態をイメージできません w(゚o゚)w

◇パンダ さま

こんばんは、アスペルガールです。
ご回答ありがとうございました!

私には、コルテオさんの味に対する判断が分かるような気がしています。
(でも、確認していないので、『分かる』とも言い切れない部分もあります。)

ということで、コルテオさんを私にすり替えて、
もう1つだけ質問させてください。

もし、私が、味を「味がする」or「味がしないか」で判断していて、
世界人口の9割も、それを基準に味を判断していると仮定します。

そういった世界で、

 「ねぇねぇ、パンダさん、
  このケーキ、味がするね、味がしないではなく、味がするね。
  そう思わない?」

と聞かれたらどうしますか。といことをお伺いしたいのです。

パンダさんの価値観では、ケーキの様な濃い味の食べ物については、
少なくとも下記の3パターン認知なハズです。

 「美味しい味がする」
 「まずい味がする」
 「どっちともいえない味がする」

だから、

 「え、違うよ、
  味とは、美味しいか、まずい味か、どちらともいえない味での分別だよ」

といった趣旨の事が言いたいかと思いますが、

以前にも、そのような事があり、
「え、違うよ・・・・・・」と否定したら、一方的に、

 「分かってくれないんだね、私のこと」
 「共感してくれないんだね、残念な人だ」
 「それ、嫌がらせだわ!」

と言われていたとします。

そういった場合、パンダさんは、どう回答し、どう対応しますか?

また、

「えっ、違うよ・・・・・・」との別意見を受け入れてくれない人が、
私という他人ではなく、

人生で初めて分かり合えた人だったらどう感じますか?

アスペルガールさん

> そういった場合、パンダさんは、どう回答し、どう対応しますか?

 私が実際にそうだったように、相手との間にそういう感覚的なことについて
 かなり深刻なズレがあると理解する前後で、全然変わると思います。

 理解する前なら、「なんでそんな風に決めつけるわけ?」とでも言いそうです。
 理解した後なら、「おいしさは感じないのかな?」と聞くような気がします。
 お互いに何がずれているのかを探る感じになるでしょうね。

 ただ、なんとなく例が私にはしっくりこない感じがして、
 かなり無理して想像しての答えになっています。
 何がしっくりこないのか、まだちょっと分からないのですが (^ ^;)ゞ

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。

パンダさん、ご回答ありがとうございました~☆彡

えっと、そうですよね、そうなりますよね。
分からないことを想像するって、ほぼ不可能に近いんです|д゚)

だから、パンダさんは、
自転車の例えのように、なんとなくは、分かるんだけど、
まだ、ピンっとこない部分があるのかなぁと、私は思いましした。

---以下引用----------------

>ただ、なんとなく例が私にはしっくりこない感じがして、
>かなり無理して想像しての答えになっています。
>何がしっくりこないのか、まだちょっと分からないのですが (^ ^;)ゞ

---------------------------

ここにも、書いて下さったように、
分かる努力を多大にしてくださっているのが分かりました。

具体的に、分かり合いたいのは、私ではありませんが、
「理解しよう」としてくださっている、お気持ちありがとうございます!


今から、定型の『脳』の欠点をお伝えしたいと思います。
アスぺの脳の欠点はご存じの通りです。

定型とアスぺ、両方に欠点があり、両方に良い点がある、
という説明をしていきたいのです。(パンダさんもそのつもりでしょうし)

定型は、数多くの情報から、重要だろうポイントを押さえて、
会話や文章等でコミュニケーション可能でしたよね?

逆に、私たちは、それが出来ない事が多いです。

パンダさんの仰った、
「いろんな情報を単純につなげて、まとめてシンプルにして理解する」
といった能力が欠けているんだと思います。

---以下引用----------------

>定型の方が「情報処理能力が数倍ある」ということはなくて、
>まあおんなじくらいじゃないかと思うので(特に根拠はありませんが、
>多分 (^ ^;)ゞ)、そうだとすれば、
>定型はそういういろんな情報を単純につなげて、
>まとめてシンプルにして理解する定型的な方法を持っているのかもしれません。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-007c.html

---------------------------

で、別テーマ「コミュニケーションのスタイル」でして下さった説明も◎で、
私もこれに同意しました。

これこそ、定型的スムーズコミュニケーションにおいて必須な能力ですし、
コミュニケーションを楽しと思えるための能力でもあると思っています。

でもですね~
これ、欠点があるんです。

大きな欠点がです!


さて、何だと思いますか?|д゚)

アスペルガールさん

>でもですね~これ、欠点があるんです。大きな欠点がです!さて、何だと思いますか?|д゚)

 うーん、人間、自分の欠点というのはほんとに分からないもので (^ ^;)ゞ

 たとえば、

「定型はそういういろんな情報を単純につなげて、まとめてシンプルにして理解する定型的な方法を持っている」

 というあたり、定型だけがつなげる方法を持っているのではなくて、
 定型とアスペとで「つなげ方が違う」とか、そんな話でしょうか?
 でも、それだと前にコメントで書いたことと同じ話なってしまうしなあ……
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-007c.html#comment-102808660

 それとも「コミュニケーションのスタイル」で書いた

「定型アスペでは「コミュニケーションが取りにくい」という話で理解するよりも、「お互いの得意なコミュニケーションのスタイルの違いがやりとりを難しくしている」と考えた方が、いろんな工夫ができやすくなるのではないでしょうか。」

 に問題があるんでしょうか?
 定型アスペ間ではコミュニケーションのスタイルだけではなくて、
 コミュニケーションに求める物自体が違う、とか
 コミュニケーションを求めるかどうかの気持ち自体が違うとか……

 あるいはアスペルガールさんが
 「これこそ、定型的スムーズコミュニケーションにおいて必須な能力」
 というふうに、「定型的」ということを強調されていることから想像して、
 さらに「味」の話とつなげて考えれば、
 「コミュニケーションのあるなし」はアスペの方には問題になるけど、
 「コミュニケーションが楽しいか楽しくないか」は問題にならないとか……

 まあ、この中では最後のが可能性がありそうですけど、
 よくわかりません (^ ^;)ゞ

◇パンダ さま

こんばんは、アスペルガールです。

色々な可能性をありがとうございました!

では、ヒントです。

パンダさん(定型の多くが)は、話の筋を無意識で取捨選択出来るから、
考えなくても、重要な部分を選び出して、
会話や文章においてコミュニケーションできるとった意味でしたよね。

では、

その、無意識による取捨選択は、
何を基準に行われていますか?

私はプロセスが意識に上がってきているので、
考えないと、会話も文章も取捨選択することが出来ません。

逆に、だからこそ、・・・・・・・

さぁ、何でしょう~~~~~


あの、パンダさんなら、分かって下さっていると思いますが、
このクイズは冗談でやっているのではなく、大真面目です。

質問して、回答して頂く方が、分かりやすいかなぁと思いました!

アスペルガールさん

 むつかしいですね (^ ^;)ゞ

>その、無意識による取捨選択は、何を基準に行われていますか?

 無意識ですから、普通はその基準をことばで表すのは無理です。
 ですから定型はアスペの方に「なんで?」と聞かれて
 「そんなの当たり前じゃない」としか答えられないんですよね。

 でもこれは自転車の乗り方を言葉に出来ないのと
 同じようなことですから、そのことを質問されているわけではないのでしょう?

 そうではなくて、実際に「何を基準にしているか」について
 具体的な答えを求めていらっしゃるんでしょうか…… (_ _)? (笑)

>パンダさん(定型の多くが)は、話の筋を無意識で取捨選択出来るから、考えなくても、重要な部分を選び出して、会話や文章においてコミュニケーションできるとった意味でしたよね。 

 ここは、「話の筋」だけではなくて、表情や口調や姿勢や、いろんな情報から
 ポイントになるところをひろって組み合わせて理解している
 というようなことを私は書いていたように思います。

 で、それが「何を基準にしているのか」ということですが、
 「基準」という言い方だと、「関連する情報」という「基準」でしょうか。
 でもそれでは答えになっていませんよね。
 「関連する情報」とは何か、が問題なわけですから……。

> 考えないと、会話も文章も取捨選択することが出来ません。逆に、だからこそ、・・・・・・・

 これをそのまま素朴に続けると、
 「考えているから(定型は気づいていない)基準がわかるようになる」
 という話になりそうな気もするけれど、
 もし本当に基準が分かってしまうのであれば、
 定型アスペのズレは埋まってしまうことになるでしょうから、
 「(定型が気づかない)基準を気がつくこともある」
 くらいでしょうか。

 もしそうであれば、パートナーから私には気づかない定型の特徴を
 するどく指摘されてはっとすることがある、という話にはつながりますけれど……

 うーん、「問いの文脈」をうまくつかめない~ (^ ^;)ゞ

◇パンダ さま


こんばんは、アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました!

---以下引用----------------

>そうではなくて、実際に「何を基準にしているか」について
>具体的な答えを求めていらっしゃるんでしょうか…… (_ _)?

---------------------------

そうでーす。
脳科学の本にのっていた事です~

---以下引用----------------

>これをそのまま素朴に続けると、
>「考えているから(定型は気づいていない)基準がわかるようになる」
>という話になりそうな気もするけれど、
>もし本当に基準が分かってしまうのであれば、
>定型アスペのズレは埋まってしまうことになるでしょうから、

---------------------------

いい推理ですね~

と、これは少し話はズレてしまいますが、
私はアスペルガーの方が全員考えているわけでもないと思っています。

というよりも、
好奇心と分析力(理系的能力)が強ければ、
考えることに「快感」を感じるので、よく考えることが多いとは思います。

私は、考えることが昔は辛かったですが、
今は、考えることが一番楽しく「快感」すら覚えます。

暗闇の中を歩き、ダイアモンドを探すような、そんな作業が楽しいのです♪
恐らくこれが「瞑想で得ることができる快感」に近いものでしょう・・・

---以下引用----------------

>もしそうであれば、パートナーから私には気づかない定型の特徴を
>するどく指摘されてはっとすることがある、という話にはつながりますけれど

---------------------------

これも、いい推理です~

もう1回だけ、考えてみてほしいです。
お願いしますっ!!!( *´艸`)

では、また明日に~
夜分に失礼いたしましたっ☆彡

アスペルガールさん

 脳科学ですか……
 私、「文系」なもんですから、数式とか化学式とか、見ると目眩がします (T T)
 せいぜい、中学生レベルです (^o^)
 
 ということで、その辺の知識や考え方で「正解」にたどりつくのは無理でしょうね (^ ^;)ゞ

 私に出来る推理は、定型とアスペには「世界の見え方」にだいぶ違いがあって、
 アスペの方には定型が「見えていないもの」が見えていることがあるし、
 定型に見えているものがアスペの方に「見えていない」ことがある、
 ということを前提にして、

 定型的に持っている「無意識の基準(情報のまとめ方とか)」にはずれることは、
 なかなか理解できない、ということくらいでしょうか。

 まあ、でもこの話って、これまでも繰り返し色んなことばで書いてきましたので、
 アスペルガーさんの言うことはそれじゃないということですよね……

 このあたりが私の推理力の限界みたいです~

                               限界だらけのパンダ

◇パンダ さま

こんばんは、アスペルガールです。
クイズにお付き合い頂きありがとうございました。

えっと、今、私の手元に、星さんと、コルテオさんの愛読書があります。
そして、そこにはこんなことも書いてありました。

 「一見、正反対の言葉の中に、
  共通した人の思いがひそみ得るとすれば、その反対に、
  同じ言葉を使いながら、聞きながら、
  全くかけはなれた思いを、それぞれが抱くことも可能なのだ」

この部分については、言葉は同じであってもその文脈で意味は変化し、
また、その人それぞれで解釈が異なるといった意味にとらえました。

でで、この言葉をお借りして説明させて頂きます。

以前のテーマ「「わからない」けど「通じ合う」?」にて、
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-70f5.html

コルテオさんは、こういった引用をしてくださいました。

---以下引用----------------

>――私たち一人ひとりには不可交信性incommunicabilityという部分があって、また、それがあるがゆえに「知り尽くしていない」相手に対しての尊敬が生まれ、「知り尽くされていない」自分についての淋しさと同時に誇りが残るのである。
この尊敬こそは、身分、学歴、財産、才能とかかわりなく、自分の理解をこえる部分を持つ人間に対する畏敬の念となり、「聖所」を持って生きる人の自信ともなる。――

---------------------------

でも、私はここに書いてある「聖所」の意味が分からなかったため、
引用元の本を手元に置くことになってしまいました。

分からないから、調べる羽目になったのですが、それが功を奏し、
パンダさん、星さん、コルテオさんの、共通点を見つけることが出来ました。

今から、コルテオさんが引用してださった部分の直前を抜き出してみます!

---以下引用----------------

>――聖所を持って生きるということは、お互い同士水くさい間柄で生きるということを意味するものでもない。人間はお互いにどんなに多くの言葉を費して語り明かしたとしても、寝食を共に生活したとしても、なお理解し合えず、理解しつくせないものを持つのである。

それは、一人で生まれ、一人で死んでいかなければならない人間がもつ宿命ともいえよう。それを悟らずに相手を知り尽くそうとする時、不幸と絶望が生まれ、「あのひとのことなら何でも分かっている」と思い込む時、大きな間違いをおかすこととなる。

人間理解ということは、矛盾のようであるが、「人間は理解し尽くせない」という前提のもとにのみ可能であり、またこの孤独な人々が互いにいたわり合い、出来るだけ理解し合おうと努める時にのみ真に愛し合うことが出来るのである。

私たち一人ひとりには不可交信性・・・・・・(と続いていました)――

---------------------------

私は、この文章を読んだ時にパンダさんの別テーマ、
「「認め合う」ことと「理解する」こと」を思い出しました。

もちろん、同じ意味だったためです。

何が言いたいかというと、最初に引用させていただいた、
「一見、正反対の言葉の中に、共通した人の思いがひそみ得るとすれば~」
の具体例をあげたかったのです。

一見してだけでは発見できませんが、
不明だと感じた「聖所」という言葉を、深く掘り下げることで、
パンダさん、星さん、コルテオさんは、同じこと言ってるんだと気付けました。

私は、パンダさんが気づいていないだけで、パンダさんも、
星さんとコルテオさんと「内部通信出来ていた」のだと思っています(´▽`*)


と、ここまでが具体例で、

>その、無意識による取捨選択は、何を基準に行われていますか?

の回答は、「過去の記憶」です。
人は、今まで培ってきた過去の記憶による基準を用いて、
情報の取捨選択をしていると言われています。

ただ、アスぺの場合は、意識してコミュニケーションしなければならないので、
「想像を超えたこと」でも、「気づける」可能性が高まります。

逆に、定型は、無意識で取捨選択出来てしまう長所が欠点となり、
「想像を超えたこと」は、意図せずスルーしてしまいガチです。

だから、パートナーさんは、

---以下引用----------------

>もしそうであれば、パートナーから私には気づかない定型の特徴を
>するどく指摘されてはっとすることがある、という話にはつながりますけれど

---------------------------

こういったことが、難なく出来るのだと思っています。
長所は短所~、短所は長所~

多くの人は近くある青い鳥を見つけられないでいます。(私も)
それは、そこにあるのに「気づけない」のが人間らしさなのかもしれません。

分かりずらい文章でスイマセン。

アスペルガールさん

 ついに回答ありがとうございました (^o^)

>回答は、「過去の記憶」です。人は、今まで培ってきた過去の記憶による基準を用いて、情報の取捨選択をしていると言われています。

 あ、そういことでしたか。確かに過去の記憶とか、経験とか言ってもいいでしょうけど、
 そういうものが後の経験とか情報処理に影響するというのは分かります。
 
 もうひとつそこで私が考えてみたいことは、「過去の記憶」というときに、
 その「記憶の作り方」にも個々人や定型アスペ間での違いとか個性があって、
 またその過去の記憶の影響の仕方についても個性があるという
 そのあたりのことです。

>ただ、アスぺの場合は、意識してコミュニケーションしなければならないので、「想像を超えたこと」でも、「気づける」可能性が高まります。

 多分、ここは「お互い様」というところがあると思います。
 アスペの方が無意識でやっていることは私には「え?なんでだろう?」と
 意識的に考えないと理解できない(というか、意識的に考えても
 なかなか理解は難しい)ことが多いので、
 そこはアスペの方が気づけないことを気づく可能性があると思うんですね。
 という意味でお互い様。

 ま、たとえ話をすると、お互い自分の頭の後ろは見えないんですよね!
 相手のは後ろに回ると見えるけど (^o^)

>逆に、定型は、無意識で取捨選択出来てしまう長所が欠点となり、「想像を超えたこと」は、意図せずスルーしてしまいガチです。

 はい、これもまたお互い様なんだと思います。

>多くの人は近くある青い鳥を見つけられないでいます。(私も)それは、そこにあるのに「気づけない」のが人間らしさなのかもしれません。

 そうですね。ですから、お互いに相手が気づけない青い鳥に気づいたら、
 「ほら、あなたのそこに青い鳥がいるよ」と教えてあげられたらいいなあと
 そんなことを思ったりします。

 「聖所」については、私はコルテオさんの引用を読ませていただいたとき、
 「他者が触れることの出来ない、その人のとても大切ななにか」
 というような意味で理解しました。
 「その人をその人らしくしているもの、その人を支えているもの」
 という表現も、当たりではないけど、まあかすっているかな……

 アスペルガールさんが書かれているように、
 「認め合うことと理解すること」に書いてみたことも、
 そんな問題にもつながることだと私も思います。
 というか、コルテオさんや星さんのやりとりにもちょっと刺激を受けて、
 そんなことを書いてみたところもあります。

 「その人の大事なものを、大事なものとして感じることが出来ること」
 そして「それを大事にすることが、自分にとっても大事だと感じられること」
 
 そんなふうになれたらいいのになあと思います。
 いやあ、でもそこがなかなか私のような凡人にはむつかしい (^ ^;)ゞ
 あこがれのひとつですね。

◇パンダ さま

いつもながら丁寧なご返事ありがとうございましたっ!

おぉ、内部通信してたのではなかったのですね(/ω\)
少し残念だなぁと思いつつ、

---以下引用----------------

>「聖所」については、私はコルテオさんの引用を読ませていただいたとき、
>「他者が触れることの出来ない、その人のとても大切ななにか」
>というような意味で理解しました。
>「その人をその人らしくしているもの、その人を支えているもの」
>という表現も、当たりではないけど、まあかすっているかな……

---------------------------

ここで、私のアスぺ的な
定型的情報処理が出来ない性質が露出したのではないかと思いました。

まぁ・・・一言でいうと「色々と時間が掛かってしまう」ということなのです。

パンダさんの書いたことは、
方向性も言いたいことも同じようであると思います~☆彡♪

---以下引用----------------

>もうひとつそこで私が考えてみたいことは、「過去の記憶」というときに、
>その「記憶の作り方」にも個々人や定型アスペ間での違いとか個性があって、
>またその過去の記憶の影響の仕方についても個性があるという
>そのあたりのことです。

---------------------------

ううん、これは、そういった違いがアスペルガーに多いのは事実ですが、
WAISテストの記憶に関する凹がある方が特に強く出るということと・・・

コルテオさんが仰られていた「記憶の濃度」といった意味では、
個人的には、あまり問題になったことが無いという事実もあり、

逆にアスぺで「正確に事実を覚えすぎている」ために、
周りとトラブルになってしまっている方もいらっしゃると思いました~

でで、人間は、その時の感情に絡めて記憶をするとか言われています。
だから、ストーリー化されていると頭に残ります。

 (玄さんがストーリーを上手に語れるのは、 
   人間のこういった特性を知っての上でのことなのだと、
   個人的には解釈をしております。)

そういった前提の元に、自分の感情に疎い(自分のことでもあるので)
アスぺは、そもそも、感情に絡めて記憶するのが困難となり、

記憶に違いが生まれやすいと、
私は推測しておりますが如何でしょうか?

また、「ずれた共感」にあった過去に対する共感についてですが、
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-75c2.html

そもそも「共感の良さ」を感じれていなくては、
共感されても・・・逆に混乱してしまったりすることもあり、

私なら、パートナーさんと同じように、

>あっさり「別に大変じゃなかった」

と、言ってしまいそうです。(他人には、「お気遣いありがとう」と言いますよっ)
終わったことを、話しても、どうにもならないとの理由からです。

少し言いにくですが、
処理プロセスを増やさないで欲しいとすら思ってしまうかもしれません。。。

---以下引用----------------

>多分、ここは「お互い様」というところがあると思います。
>アスペの方が無意識でやっていることは私には「え?なんでだろう?」と
>意識的に考えないと理解できない(というか、意識的に考えても
>なかなか理解は難しい)ことが多いので、
>そこはアスペの方が気づけないことを気づく可能性があると思うんですね。
>という意味でお互い様。

---------------------------

お互い様ということは・・・

以前に、パンダさんが仰られていた、
「現在のところは定型が我慢するしか~」という意見は変化しつつある、
という認識をしてもよろしいでしょうか。

例えば、

 「お互い違うからこそ補い合えるし、
  違うからこそ、ズレがあるからこそ、一緒にいることに価値が生まれる」

といった意味に変化してきたと言えますよね(´▽`*)

もし、そうであれば、パンダさんの結婚は大正解だったとなります。

何故って、違いは、大きければ大きいほど、
お互いに与えれるものも大きくなりますから。

---以下引用----------------

>「その人の大事なものを、大事なものとして感じることが出来ること」
>そして「それを大事にすることが、自分にとっても大事だと感じられること」
 
>そんなふうになれたらいいのになあと思います。
>いやあ、でもそこがなかなか私のような凡人にはむつかしい (^ ^;)ゞ
>あこがれのひとつですね。

---------------------------

思想教育って日本ではあまりされませんものね。

>でもそこがなかなか私のような凡人にはむつかしい (^ ^;)ゞ

と言える方は出来ている証拠だと思います~

パンダさんは、とてもたくさん頑張っていると思いました☆彡

アスペルガールさん

>おぉ、内部通信してたのではなかったのですね(/ω\)
少し残念だなぁと思いつつ、

 実はこの「内部通信」ってなんだか分からないのでした (^ ^;)ゞ
 ググってみたら「内部通信エラー」とか出てきて、ますますわかんなくなりました (^o^)

>まぁ・・・一言でいうと「色々と時間が掛かってしまう」ということなのです。

 定型同士のやりとりを定型が理解するときには
 無意識に定型的な情報の絞り込みとかをやっているわけでしょうから、
 それがないと、色んな可能性を沢山考えてみないといけないわけですよね。

 そういうの、外国に行ったときに「この人のこの発言の意味は何?」とか
 やっぱりわからないことがあって、いろんな可能性を考えないといけなくて、
 それで疲れちゃう、というのと似てるなあと思います。

>そういった前提の元に、自分の感情に疎い(自分のことでもあるので)アスぺは、そもそも、感情に絡めて記憶するのが困難となり、記憶に違いが生まれやすいと、私は推測しておりますが如何でしょうか?

 感情に絡めた記憶が困難、というアスペルガールさんの見方については
 そうかもしれないなあと私も想像します。

 ここでもしかすると定型アスペ間の違いがあるのかなと思ったことがあります。
 それは定型も「自分のことは自分ではよくわからない(ことが結構ある)」
 ということは間違いないと思うのですが、ただ、特別の場合を除けば、
 「自分の感情」についてはわりと気がつきやすいように思うんです。

 たとえば何か腹が立っていたとして、
 「一体自分は何にこんなに腹が立っているんだろう?」
 ということが自分でもよく分からなかったりとか、そういうことはあるんですが、
 「腹が立っている」こと自体はだいたいすぐに分かる。

 それが分からなくなるのは、あまりにショックが大きかったりして、
 ボーッとしてしまうような場合に限られると思うんですね。
 実際は相当感情が大きく揺さぶられるような状況なのに、
 意識が感情から切り離されちゃうような感じ。
 たとえば大事な人を失ったときに、「悲しみの余り」涙も出ない
 というような感じだったり。そんなときに限られそうです。

 これは私の勝手な推測なんですが、
 アスペの方の多くは、ご自分のにせよ、相手のにせよ、
 その「感情状態」みたいなものを手がかりにして状況を判断したり、
 行動を決めたりすることをあまりされないんじゃないかと
 そんな想像をしてみていますけど、どんなものでしょう?

>終わったことを、話しても、どうにもならないとの理由からです。

 これもある意味私には「新鮮な」見方でした。
 定型の場合は過去のことについてもそれが傷ついたことだったりすれば、
 それが癒されるまでいつまでも引きずってしまうことがあります。
 
 それで、過去の傷についてそれを共感的に聞いてくれる人がいると
 癒されたりするんですね。

 あ、でもコルテオさんも星さんとのやりとりで、
 過去の大事な方との思い出について、そのときの感情を思い出されて
 それを初めて星さんに聞いていただいて涙されたようですし、
 定型だけがそうだ、ということでもないのかもしれませんけれど。

 まあ、でも少なくともアスペの方よりは多分頻繁にそれをやるし、
 そうやって話を聞いてくれて癒しを与えてくれる人を求める気持ちは
 大きいんだろうと思います。

>お互い様ということは・・・以前に、パンダさんが仰られていた、「現在のところは定型が我慢するしか~」という意見は変化しつつある、という認識をしてもよろしいでしょうか。

 これは「甘え」についての話だったと思うんですが、「甘えたい」という欲望は定型の方に強くて、アスペの方はそれがないのか、あるいは強く自制されているのかだと思うので、この点については定型が我慢するか諦めるかという形の解決法しか今のところ思いつかない、というのは変わりません。「お互いに甘えたいと思っているんだけど、求めている甘え方が違う」という話であれば、我慢はお互い様、ということになるかと思いますが、この場合は「甘え」は定型の側の話だと思いますので。

>何故って、違いは、大きければ大きいほど、お互いに与えれるものも大きくなりますから。

 たしかに「違う」ということは、「自分にはないものを相手が持っている」ということですから、それがうまく噛み合えば、豊かな関係になると思いますし、そういう関係を目指したいと思います。

 と同時にやっぱりほんとにそれは難しいことだ、というのも素直な実感としてあります。というのは「自分が求めているもの(しかも相当切実に求めているもの)」がなかなか得られない、という状況がアスペ定型間ではしばしば起こることだと思うからです。

 定型の場合は「(定型的な)愛情がなかなか与えられないことへの深刻な飢餓感」によって、ほんとに精神に深いところまでダメージを与えられることが多くて、定型アスペ間で定型の側が深刻な鬱になったりする原因の大きなものがそこにあると思います。

 もちろんアスペの方はアスペルガールさんがご自分の体験を書かれていたように、また定型とは別のポイントでダメージを受け続けて深刻な鬱になられたりするわけですし、その点はお互いにそう言う問題を抱えているんだと思います。

 そういうすごい深刻な状況を考えても、お互いの「違い」を実際に「すばらしい可能性」に育てていくのには、ほんとに大きな工夫が必要なんだろうと思います。それはほんとに大変なことだから、私もやっぱり時々めげそうになりますもんね (^ ^;)ゞ

>パンダさんは、とてもたくさん頑張っていると思いました☆彡

 ありがとうございます m(_ _)m
 そんなふうに感じていただけるのはとてもありがたいです。
 中々自分の非力さは身に染みていますけれど、
 とにかく半歩ずつでも歩んでいきたいです。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。

少し考えていました、
返信が遅くなり申し訳ございません。

---以下引用----------------

>お互いの「違い」を実際に「すばらしい可能性」に育てていくのには、
>ほんとに大きな工夫が必要なんだろうと思います。
>それはほんとに大変なことだから、
>私もやっぱり時々めげそうになりますもんね (^ ^;)ゞ

---------------------------

これは、とても伝わってきているような気がします。
共感的な男性が一番辛い立場なのかもしれませんよね、ホントに。

何度も辛い話をさせてしまったごめんなさいデス。

人の話が聞ける男性ってレアなのになぁ、
パートナーさんも勿体ない事してますよね(=゚ω゚)ノ

---------------------------

と、他に頂いた質問に答える前に確認させて頂きたいことがあります!!!

あの、この質問後に改めて、
パンダさんから頂いた「?」に返答させて頂こうと思っているのですが、

その前に・・・カサンドラになる方って、

結婚前に
定型側がアスぺ側をより好きになっていた

かつ、
アスぺ側、または両方が「高学歴」であり、
アスぺ側、またはお互いに自分の自説に自信がある・・・・

このようなケースが多くはありませんか?

私がアスぺだからよく出会うのか、
今思えばアスぺだっだろうなぁと思う2人が思い浮かんでいて、

 1人目の女性は旦那さんが鬱でした。
 2日目の男性は妻に夜逃げされ2年ほど親権裁判をしておられました。

1日目の女性も2日目の男性も、
「自分の意見」に絶対の自信があり、
「学歴」が良しとされる範囲の大学でした。

1日目の女性の旦那様は、
「僕は○○したかったんだけど・・・何も聞き入れず勝手に決める」と、
よく愚痴をこぼしていらっしゃいました。

パンダさんはIQや学歴のお話をあまりしたくないだろとは思っておりますが、
恐らく、私が相手に譲れるのは、それが無かったせいです。

私にはLDがあった為、
今社会の良しとされる基準である学力がありませんでした。
だから、全ては「私が間違っている」前提で生きてきました。

ただ、大人になり言語獲得していく段階で、
色々なものが分かるようになり、ここ何年かは「妙な気分」でもあります。

言葉を獲得していく段階で「アイデンティティが恐ろしく変化した」みたな
発言をされていたドナ・ウィリアムズさんもこんな気持ちだったのかなぁ~と。

カサンドラになりやすいタイプについて如何でしょうか?

アスぺは約束は守るんじゃないかなぁって思っていて、
アスぺから「お願いしてお願いして」結婚した場合などは、
かなり相手の為に自分を変化させようとすると・・・予測しています。

これは、定型アスぺに関わらず男女間全てに言えることでもあります~よね。

◇パンダ さま

こんにちは、アスペルガールです。

考えがまとまったので返信返信~

---以下引用----------------

>アスペの方の多くは、ご自分のにせよ、相手のにせよ、
>その「感情状態」みたいなものを手がかりにして状況を判断したり、
>行動を決めたりすることをあまりされないんじゃないかと
>そんな想像をしてみていますけど、どんなものでしょう?

---------------------------

ご想像ありがとうございます!

男女差の本などには、一般的に男性は事実に基づいて判断し、
一般的に女性は感情に基づいて判断するとか書いてあります。

で、自閉症は典型的な男性脳とか言われるくらいですから、
パンダさんの仰るように感情判断はほぼしていないで正解だと思います。

私が以前にパンダさんのことを女性的かもです~と言わせて頂いたのも、
ここに理由がありまして、共感的な男性は少ないというのが一般的です。
※もちろん私の経験と本の資料のみでは偏りがあります。

 パンダさんは、レアで希少価値が高いってことですよっ♪

ただ、この感情についてですが・・・
アスペな方の論理力が強ければ事実に基づいて分析的に判断となりますが、
アスペな方の論理力が強くない場合は「直観」で判断するのかもと~

直観とは、感覚的といったほうがよろしいかもしれません。

そして、この直観がはたらいているタイプは、
「敏感で境界線がもろいのでは?」と私は予測おりまして、

 Ctrl+Fで検索「>「心臓の心電図」
 http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/post-cdae.html


逆に言えば、だからこそ、

言葉を介さなくても「内部通信」により人と通じ合えたりもしますが、
反面、人の内面を感じすぎて辛くなることも多いのではないかぁと。

私のこの小さな論理力は後天的ですので(LDのせいでしょう)、
一緒にいる方の心臓の心電図が私にも分かり過ぎる(ような気がして)
心に葛藤のある方と共に過ごすのは辛かったりします。

 このサイトにも同じようなことが書いてあるらしいのですが読めません。
 http://www.wrongplanet.net/ 紹介だけさせて頂きました~

内部通信とは心の深い部分で繋がっている感覚です。
常に心の深い部分で判断する(直観)習慣があれば、
シンクロニティにも気づきやすくなるとか言われたりしています~


残りの質問『共感』については別テーマ「感情世界の作り方の違い」にて(゚∀゚)
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-d49a.html#comment-103199010

出来る限り気を付けて文章を作っている「つもり」ではありますが、
気にさわることがありましたら申し訳ございません。ペコリ

アスペルガールさん

>アスぺ側、または両方が「高学歴」であり、アスぺ側、またはお互いに自分の自説に自信がある・・・・

 少なくとも彼女の場合は自分の感覚が世間に通用しない、
 ということで苦労をしてきた人だと思うので、
 「自説に自信を持って」というタイプではなさそうです。
 もちろん「自説」がないということではないですけれど。

 ズレがお互いに分からなかったときはまた少し違いますが、
 今はいろんなズレが見えてくると、彼女なりにいろいろ
 工夫したり努力したりしてくれます。
 それでもどうしても自分の感覚にうまく合わないことについては、
 やっぱりお互いに苦労しますよね。

 他方で、みなさんのコメントとか、他のネット上で書かれていることなど
 読ませていただいていると、たしかにアスペルガールさんがおっしゃるように、
 しかも男性がアスペで社会的にある程度安定されている方の場合は特に、
 定型女性の側の訴えや努力が空回りしてしまう場合も
 それなりにあるような気はしています(印象に留まりますが)。

 それは「男性」という社会的な立場がそうさせている部分も大きいかも。
 そのことで「お互いに努力しよう」という形になりにくくて
 苦しんでいらっしゃる定型女性はやっぱり少なくないように思うんですね。
 そこは女性がアスペで男性が定型のカップルとは違う難しさが
 あるような気がしています。

>カサンドラになりやすいタイプについて如何でしょうか?

 うーん、これは私には難しいですが、まあ一般的には
 定型の中でも「人に共感を求めやすいタイプ」は
 そうなりやすいかもしれないですね。想像ですが。
 
>で、自閉症は典型的な男性脳とか言われるくらいですから、パンダさんの仰るように感情判断はほぼしていないで正解だと思います。

 アスペルガールさんから見て、男性は基本的に自閉症的という印象でしょうか?
 なんかちょっと頭が混乱してきてしまいました (^ ^;)ゞ

> 出来る限り気を付けて文章を作っている「つもり」ではありますが、気にさわることがありましたら申し訳ございません。ペコリ

 お気遣いありがとうございます。私の「定型脳」では「これはどういう意味かなあ」
 とか、まだうまくつかめないところも正直あって、
 このお返事もポイントを外してるのかなあとか迷うところがありますが、
 「気に障る」というようなことは私は感じませんでした。
 むしろこちらがそうでしたらすみません。 m(_ _)m

◇パンダ さま

こんばんは、アスペルガールです。

いつも丁寧な回答をありがとうございます。
こういった、やり取りも含めて学ばさせて頂いております~

---以下引用---------------------

>アスペルガールさんから見て、男性は基本的に自閉症的という印象でしょうか?
>なんかちょっと頭が混乱してきてしまいました (^ ^;)ゞ

--------------------------------

男性が自閉症的というわけでもないのですが、

自閉症となってしまうと、私には分からない所も出てきてしまいますので、
アスペルガーに関して説明させて頂くと、

水が沸騰するようなものだと思っています。

全ては一直線上にあるのだけれども、
水が沸騰するように、逆に、水が氷りになるように、
たった1度の差を閾値として症状となって表れるようなもの、
また、個人差で閾値が違うから分かりにくいもの

そんなイメージに捉えています。


例えば、

鎌状赤血球遺伝子を持つとされている人はマラリアに強いが、
その遺伝子を持つ人と持つ人の子供は、
たいていは成人前に死亡するという説があります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E7%8A%B6%E8%B5%A4%E8%A1%80%E7%90%83%E7%97%87

こんな風に自閉症も、自閉症遺伝子という1つの遺伝子なのではなく、
幾つかの遺伝子が複合的に重なり合った時に発生するものではという認識です。
(素人的考えの可能性大!)

それと、孕ます性は、与える性でもあり、
孕む性は、与えられる性でもあることから、

男性にとって与えられないと言うのは苦であろうと予測され、
女性にとって与えてくれないのは苦であろうと予測されます。

女性にとっては、与えられている感を日々感じることがとても大切ですから、
共感や関心が必要になるのは分かるのですが、

男性の場合は、与えられている自分を実感するほうが大切で、
共感というよりは、応援、励まし、褒め言葉、承認、尊敬、

と他の所で色々教えて頂いた「甘え」という、
与えられている実感を得ることが大切であるものの、
ありのままを受け入れてもらえると確認するための「甘え」という受容・・・

こういったことが大切なのかと推測するに至っています。

パンダさんの場合は抑制され過ぎているから?かもしれません~(´ー`)

---以下引用---------------------

>今はいろんなズレが見えてくると、彼女なりにいろいろ
>工夫したり努力したりしてくれます。
>それでもどうしても自分の感覚にうまく合わないことについては、
>やっぱりお互いに苦労しますよね。

-------------------------------

人は100%分かり合えるものではないですし、
もし、100%分かり合えたらつまらないから、

分かり合おうとしておられる、お2人の行動そのものに価値があるのだと!!

^(ノ゚ー゚)ノ☆パチパチ☆ヾ(゚ー゚ヾ)^

---以下引用---------------------

>私の「定型脳」では「これはどういう意味かなあ」
>とか、まだうまくつかめないところも正直あって、
>このお返事もポイントを外してるのかなあとか迷うところがありますが、

-------------------------------

これは、こちらこそです~

カサンドラについてはもう少し検証を重ねて考えてみます~
ご意見ありがとうございましたっ☆彡

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