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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年11月29日 (金)

微妙なうれしさ

 私が何かで悩んでいるようなとき、以前はたとえ相談しようとしても、パートナーがなんだか厳しく責めてくるような印象で、却って辛くなってしまい、「なんでこの人はこっちが辛い思いをしているのに、思い遣りで接することなく、自分の理屈でひたすら責め立ててくるのか?」と悩みを逆に深めることがよくありました。(ただし、後に彼女の方もその正反対のことを私に対してやはり感じていたことがあることもわかりましたが)

 やがて、「どうも私が辛い状態になると、彼女がパニックになるんじゃないか」と感じるようになり、こちらがしんどいときに彼女にさらにパニックになられると、ますます大変になるので、私は彼女に対してできるだけ悩みを表現しないようにする、という風になっていきました。それは私としては「冷たい関係」とも感じられるものなのですが、ほかにどうしようもなかったという感じでした。

 そういう関係が変化し始めたのは、やはり「お互いの間にアスペ定型のずれがある」という理解を共有するようになってからです。そこから改めて手探りでお互いを理解しなおそうとする中で、あの「パニック」とか「私を責めている」と感じていた彼女の応答が、実は本当に私のことを心配して彼女なりに一生懸命になっている状態らしい、ということが分かってきました。

 そんな風に理解し始めると、「頭では」彼女の「善意」を理解するようになってきましたが、「気持ち」では中々受け入れがたい思いが続きました。彼女のその対応の仕方が私から見ると「なんでそんなふうな決めつけをするんだろう?それに状況理解も全然的外れじゃないか」と感じられてしまって、やっぱり相談すると却ってしんどくなったからです。

 そういう中で、彼女の方にも、自分の意見はどうもパンダにはあわなかったり、却って辛い思いをさせたりするようだ、ということが伝わっていったようで、話をするときに彼女もかなりその辺について気にしながら、「これは責めているんじゃないからね」とか、「私にはよく分からないところもあるけれど、私にはこう感じられると言うことだからね」といったクッションを入れながら、話をしてくれることが増えてきました。

 私は私でこのところ記事でもいろいろ考えてみているように、お互いの「生き方の工夫」の違い、といったことに気をつけながら、彼女の話を聞く努力をしています。そしてその影響もあるんじゃないかと思うんですが、以前ならすぐに「何をピント外れな事を言っているんだろう」と感じて、言ってみれば素直に聞けなかったことについて、「つまり、彼女としてはどういう見方をして、どういうことを言いたいのかなあ」ということを改めて考えながら聞けるようになりはじめた気がします。

 そうすると、ようやく「ああ、彼女はこういうことに問題を感じて、それをああいう表現で伝えようとしてくれているのかも」ということがなんとなく分かり始めるところが出てきた感じがします。そういうことが感じられるようになってくると、「なるほど、僕はそういう視点から問題を考えたことが無かったけど、それは結構重要な問題かもしれない」とも思えるようになってきたりします。

 まだ「なんとなく」分かり始めたかな、という段階で、彼女とスムーズに噛み合った話になるところまではいかないのですが、それでも単に「形だけの、頭での理解」ではなく、「ああ、ほんとに彼女なりにこんなふうに心配してくれて居るんだ」という中身も一寸ずつ実感を伴って分かってくるような気がして、微妙なうれしさも感じられます。

 

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