2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« 「わからない」けど「通じ合う」? | トップページ | お互いの間に「障がい」がある »

2013年11月16日 (土)

「嬉しいけど辛い」の板挟み

 定型アスペの間では、お互いの距離の取り方がいろいろ違うのかなと思うのですが、パートナーが何かで私のことをほんとに心配してくれるときには、なんだか私と彼女の区別がなくなってしまっているのかなと思うことがあります。たとえば私がなにか悩み事があって話をするときなど、いつの間にか私の考えたいことが置き去りになって、彼女の心配や怒りや疑問、考え方が強く主張されるような感じになることがよくあるんです。

 私の話は聞いてもよく分からない、ということもあるようなんですが、定型的には、まあ分からなくても、聞いてもらうだけでもありがたかったりしますし、それで、そうじゃなくて、自分でも考えがまとまらないので、話ながら考えたいから、まずは私の話をそのまま聞いて欲しい、と言うんですが、そこがうまくいきません。どうもそういう聞き方は「他人に対する聞き方」になると感じられるみたいなんです。

 そういうところから改めて考えてみると、やはり定型は相手と「他人」になったり「一体」になったり、ということの間に、いろいろな中間の状態を作るんだろうなと思いました。そしてアスペの方にはこの定型的な中間状態の作り方がとてもわかりにくいのかもしれないと思うのです。

 まあ、定型の私の感じ方ですから、アスペの方からみると、「それは違う」ということなのかもしれないのですが、定型的にはそんな風に感じられるズレにはどんな対処の仕方があるのかなあと考えます。

 本気で心配してくれるのはとても嬉しい。でもその結果、私自身の話を受け止めてもらいにくくなり、いろいろ迷っていると、「私に何て言ってほしいわけ?」「あなたはどうしたいわけ?」というふうに「答えを求められる」ような感じになって、それがわからないから話をしながら考えようとしている私は逆に辛くなってしまう。(そして彼女が言うにはそういう言い方が出てくるのは、本気で心配しているからだと言うことのようなのです)

 この嬉しいんだけど辛い、という板挟み状態をどう受け止めてうまく切り抜けられるのか。ちょっと悩みのひとつです。

« 「わからない」けど「通じ合う」? | トップページ | お互いの間に「障がい」がある »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/53954575

この記事へのトラックバック一覧です: 「嬉しいけど辛い」の板挟み:

« 「わからない」けど「通じ合う」? | トップページ | お互いの間に「障がい」がある »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ