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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月15日 (火)

傷つけたくない

 パートナーと話していて、彼女のことばに私が考え込むことがあります。そうすると彼女は「怒ったような(そう私には感じられる)」表情や声の調子になって、だから言いたくなかったんだ、と言います。最近は「パンダを怒っているんじゃないからね」と付け加えることもよくあります。

 どういうことなのかというと、彼女は私が考え込む姿を見て、「またこの人を傷つけてしまった」と思い、そう思うことで彼女自身が傷ついているんです。

 実際は最近は彼女のことばで傷つくようなことはほんとに少なくなりましたし、それは彼女の努力の結果でもあるんです。だから私は傷ついたからではなくて、ほんとに自分自身、考えなければならないことを言われて、ぐっと考え込んでいるんですが、その姿を見て彼女は傷つけたと思ってしまうんですね。「そうじゃなくて考え込んでいるんだよ」と説明すると、「自分には区別がつかない」と言います。

 私に対して「怒っている」ように見える表情は、実は彼女自身がとてもつらい思いをしていることなんだ、という風に最近少しずつ感じられるようになってきました。

 そして、たとえば上に書いたような状況で彼女が感じているつらさは、「パンダを傷つけたくない。そのために一生懸命考えているのに、それでも傷つけてしまった。」と思い、そういう自分に絶望しかかっている、そんな辛さのようなのです。

 先日も、あるアスペルガーの方からメールを頂いたのですが、ご自身のコメントでの発言が、他の人を傷つけてしまったのではないかと、深刻になやんでいらっしゃいました。私が改めて拝見すると、とても気を遣って発言されていることが伝わってくる内容でしたし、パートナーも、私以上にそのことを強く感じられたようです。それでもそうやって本当に深く深く悩まれているんです。

 「他の人を傷つけたくない」と切実に思い、ところが自分のその願いとは裏腹の結果になってしまったように感じて、そのことにまた深く傷つく。私はほんとに「お互い様」のことだと思うし、パートナーに対してもそう言うんですが、それはそうだとしても、そして彼女が本当に苦しめられてきたことも事実だとしても、でも自分が罪悪感を抱えこんでしまうことには変わりはないと、彼女は言います。

 改めてパートナーが今までどんなにこの定型優位の社会の中で辛い思いを重ねてきたか、ということが、なにかリアルに私に迫ってくる感じがするようになってきています。繰り返し書きますけれど、それは私自身が苦しんできた、ということを否定していることとは違います。私は私なりに苦しんできたわけですが、でもその苦しみ方とは違うポイントで、彼女がほんとに苦しみ続けてきたんだということが、心に響いてくる感じがするのです。そしてそのことが私にはとても痛々しく感じられる(ここは定型的な感じ方かもしれませんね)。

 とりあえず私にはそういうパートナーの「痛み」を想像して理解し、できれば共有したい、ということしか出来ないのですが、定型同士の関係では多分ある程度意味のあるその行為が、彼女に対してどれほどの意味を持てるのかもほんとに分かりません。彼女の誠意がなかなか定型との間でうまくいかないのと同じで、私が定型的に誠意ある対応をしようと努力したからと言って、それがそのまま伝わるほど問題は簡単ではないんですよね。

 もちろん、だからといって、私は私なりの誠意で手探りを続けることについて、絶望的な気持ちにはなっていません。結果としてうまくいかないことはあっても、彼女の身を切るような誠意を感じ取れるようになってきたことは、私には宝物にもなりますし。

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