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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月17日 (木)

善意の交換の難しさ

 先日、農業をやっている大学時代の先輩が、今年のお米を送って下さいました。うれしくなってすぐに御礼の電話をして、しばらくいろいろと話し込みました。

 定型の人間関係は、そういう「善意」のやりとりが重視されていると思いますし、それは本心からの「善意」だけではなくて、うわべの「善意」も使ってやりとりが行われることもたくさんあります。ファーストフードの店員さんが、忙しい中で気に入らない客に対しても一生懸命笑顔で応対してくれますが、それはやっぱり「仕事」だからで、個人的にはそんなことしませんよね。そこは「仕事」と割り切って、「善意」の関係を保とうとしたりする。

 何のための「善意」かというと、やっぱり人間関係を「よく」保とうという目的が中心だと思えます。その「人間関係」には、小さな打算を考えない、親しい関係の中での「人間関係」もあるし、商売のように「打算」が中心のものもあるし、そこは色々でしょう。

 一方でアスペの方の考える「善意」は、なんというのか本当に「打算抜き」で、「見返りを期待しない」、「個人的な意志」としての「善意」なのかもしれない、という気がしてきています。もしそうなら、定型の「善意」について、色んな所で「偽善」を感じられたとしても無理はないと思えます。

 実際、定型はいろんな「善意」をほとんど意識もしないで使い分けて生きていますし、また相手がどういう「善意」なのかをお互いに読みながら関係を作りますけれども、もしアスペの方にその定型的な区別が読み取りにくいのであれば、「善意」だと思っていたのに「打算」だったとか、実は善意に見せて悪意だったとか、そういう経験を多く積み重ねてショックを受けてしまうことにもなりますから、定型的人間関係のほとんど全てが打算の、偽善の関係に見えてきたとしても不思議はないでしょう。

 もちろん定型も相手の「善意」を読み違えて「裏切られた」とショックを受けることはしばしばあることですが(詐欺事件とかはその極端な例ですよね)、まあ、でも普通の生活の中ではそんなに大きく読み違えることはないでしょう。だから何度か「裏切られた」体験があっても、「私はもう全く人間が信じられない」という感じになってしまうことは比較的少ないと思えますし、むしろ却って「本当に信じられる人」をより強く求めるようになる場合だって多いのではないでしょうか。

 その点で、「裏切られた」と感じるときのショックの大きさは、パートナーを見ていても、ものすごく深いような気がする。もうほとんど修復不可能な位のダメージを受けるように見えることがあるんです。それでなのかもしれないと思うんですが、人の「善意」についてはすごく慎重に構えるようになっていると感じます。時にはそこに隠された「悪意」をすごく鋭く見抜いたりもして、私なんかは人間が甘いですから、「そこまで悪く見なくてもいいのに」と思ったりすることも時々あります。

 これまで繰り返し例に挙げてきたように「病気になったときにどう対応するのが相手にとっていいのか」ということについての「善意」の考え方が、定型アスペで180度異なっていたりするわけですけれど、単にそういう「善意」の「中身」のズレだけではなくて、「善意のやりとりのしかた」もまた違いがあって、そこからお互いに理解しにくいすれ違いが起こることも多いのではないか、と、そんな気がしています。

 

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