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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月31日 (木)

世の中の見え方の違い

 これはひとつのたとえ話です。Aさんは生まれながらに赤色と黄色の区別がつきにくい目を持っています。そしてBさんは赤と黄ははっきり区別するんだけど、黄と緑の区別がつきにくい目を持っているとします。

 そうするとAさんは世の中を見るときに、赤色と黄色の違いは意味を持ちませんから、色を手がかりにいろいろなものを見分けるときには赤と黄はおんなじ色として区別せずに理解することになります。同じようにBさんは黄と緑は区別せずに同じ色として理解します。

 さて、その二人が赤と黄と緑の三つのリンゴを見ながら話をします。Aさんは緑のりんごが美味しいと思っていて、緑のリンゴをとりあげて「これが美味しいんだよね。僕はこの色のリンゴが好きなんだ」と言いました。それを聞いたBさんは、それじゃあ、Aさんの好きな色のリンゴを沢山あげようと思って、緑と黄色の二つのリンゴを「じゃあこれ両方あげる」と差し出しました。

 Aさんは自分が好きなのは緑色のリンゴだといったのに、なんで黄色のリンゴもくれるのか、不思議に思いました。そしてBさんに言いました。「この色のは僕はあんまり好きじゃないんだけど。」するとBさんはとても不思議でした。Bさんから見ると、黄色のリンゴも緑色のリンゴも同じ色に見えるからです。それでAさんが何か勘違いしているのか、からかっているのか、遠慮しているのかと思って、笑いながら「いや、いいんだよ。好きなんだから遠慮なく食べてちょうだい」と言いました。

 Aさんは最初はBさんが冗談を言っているのかと思いましたが、あまりしつこく勧めるので、「この人は嫌がらせをしようとしているんじゃないか」と疑うようになりました。それからAさんは「じゃあBさんはどれが好きなの?」と聞くと、Bさんは「この赤色のが好きなんだよね」と言いました。それでAさんは「じゃあこれ(赤色)とこれ(黄色)、二つ食べていいよ」と言いました。Aさんには赤色のリンゴも黄色のリンゴも同じ色に見えるからです。

 ところがBさんはそれを聞いて怒りました。「僕が好きなのはこれ(赤色)だって言ってるでしょう。それなのになんでわざわざこれ(黄色)を勧めるわけ?」するとBさんが自分に嫌がらせをしているんじゃないかと疑い始めていたAさんも、ついに腹を立てて言いました。「何を言ってるんだ!これ(黄色)のは君が好きなリンゴじゃないか。なんでわざわざ僕に押しつけるんだ!」

 二人はお互いに見えている色が違っている、ということには全然気がつくことなく、自分はちゃんと相手に説明しているのに、相手はわざとそれを無視して嫌がらせをしていると思いこみ、そして自分の好意が台無しにされたと思ってショックを受け、「もうこんなやつとつきあうわけにはいかない」とまで思うようになりました。

 

 このたとえ話、もちろんアスペと定型の間で起こるズレのことを理解するためのひとつの試みです。ここでの「色」にあたるものは、たとえば人の感情というものについての見分け方や意味の理解のことが考えられます。たとえ話のAさんとBさんは赤と緑のリンゴが違うことはお互いに意見が一致しますから、「お互いに話は通じている」と思いこみやすくて却って話が混乱してしまいますし、同じようにアスペと定型も感情について共通の理解が成り立つ部分があるので、違いの部分がますますよく分からなくなってしまうのでしょう。

 アスペルガーを「障がい」として見るときには、「定型ならあたりまえにできること、理解することが出来ない人たち」というふうにその「障がい」の意味を理解しますよね。たとえば「他の人の視点を理解することが難しい」とか「感情の理解がうまくできない」とか、「共感能力が低い」とか。つまりAさんがはっきり区別ができる赤と黄色をBさんが区別できないので、「この人は色を見分ける能力が低いんだ」と考えるようなことになります。

 でも私はちょっと違った見方をしてみたいんです。たしかに私のパートナーもそうですが、定型同士なら簡単に理解できる「常識」が共有できず、こちらの言うことはとんでもなく違う意味に捉えられて、説明してもなかなか通じない、ということがあります。けれども逆に私の方が「なんで彼女はそう理解するのか」ということを理解しようとすると、それはなかなか出来ないんですね。さらに「彼女の考え方や気持ち」を理解することもものすごく難しかったりする。私の理解を話すと、彼女がびっくりっしてショックを受けることもよくあります。そうすると今度は私の方が障がい者にも思えてきます。たとえ話で言えばBさんが緑と黄色を区別できることがAさんには分からないことに気づいてしまったようなものですね。

 その意味ではお互いに同じなんだよな、と思うわけです。ただ、今の世の中は多数派の定型の理解の仕方で作られているものが多くて、たとえ話で言えば赤と黄色の区別を大事にしているので、その区別が難しいアスペの人にはとても不利な社会になっているし、それで「障がい者」ということになっているわけでしょう。黄色と緑の区別はアスペの方にはとても重要な意味を持つかもしれませんが、定型はそれが区別できないので、世の中的にはその違いは無視され続けることになります。

 さあ、そうするとこの「そもそも世の中の見え方がかなり違う」という人間同士、どんなふうにお互いの関係を調整していったらいいんでしょうか。そのことを考えるには、そもそも「どんな風に見え方が違うんだろうか」ということをできるだけ知ることがまずは必要なんだと思うんですが。


 少数派に多数派があわせるのは大変だから、現実的にはここは少数派に多少我慢してもらって多数派に合わせてもらうしかないのでしょうか?それとも「あくまで人間としては平等」なのだから、むしろ多数派こそが不利な状況に立たされている少数派に配慮すべきなのでしょうか。はたまたそういう二者択一の問題の立て方自体がおかしくて、そうではない別の道があるのでしょうか。

 また家庭の中では社会の多数派と少数派の関係はかならずしも通用しません。一対一ですから。それにアスペの方が男性で定型が女性の場合は、社会的には男性の方が今でも強い立場にいますから、家庭の中では力関係が逆転している場合もあります。こんなときはどうすべきなんでしょうか。

 私がここまでの間に考えようとしてきたことは、とりあえずはおよそこんな問題としてまとめられるのかなと思います。いろいろ大事なことが落ちているでしょうが、とりあえず。

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