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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月 2日 (水)

信頼ということのズレ

 「絶望」さんがこんなことを書かれています。

 「私の正直な印象だと、「パンダさんは、ちょっともう、最近気持ち悪いくらいAS寄り」で、そういう意味では、「AS寄り過ぎて、中庸ではありえない」という印象でした。気を使って、考えて、相手の立場にたって、立ち過ぎて、もはや定型、ではありえないくらい、AS寄りだなって。それなのに、定型独特の、差別心にあふれてると糾弾され。アスペルガーと定型。うまくやれるかも、とか思ったこともあった。でも、こちらのやりとりを見ていると、「絶望」という言葉しか浮かびません。お互いが何をやっても、理解されることはない。擦り減るだけ。まさに目が覚めた思いです。」

 そうかなあ、そんな風に見えるのかなあ、まあそうかもしれないなあと思いながら、ある中国人の知り合いのことを思い出しました。日本で暮らしていて、なんとか日本の社会に慣れて、まわりとの関係もうまくいくようになって、それで中国に帰ったら、「おまえは日本人になったのか」といわれてしまったという話です。それじゃあ本当に日本人になったのかといえば、全然そうじゃなくて、日本ではやはり中国人としか見られない。なんか私が今そんな立場に置かれたのかな、とか思いました (^ ^;)ゞ

 パートナーに話してみたら、絶望さんの「期待の仕方」がとても定型的な感じがする、ということでした。絶望さんは私が私なりになんとかアスペの方を理解しようとしていると感じてくださって、それは絶望さんとしては「ありえないくらい」に感じられるもので、それなのにアスペの方がそれを「認めてくれない」とか「評価しようとしてくれない」と感じられた。でも、「認める」とか「評価する」とか、そのことの意味が多分違うんだというんです。

 たとえば批判をするのは、関心があるからこそで、それは注目していることの証だと彼女はいいます。今も毎日以前とそんなに変わりない数の方がここを訪れてくださっていますが、それも「注目している」ということで、そうでなければそもそも見ようともしなくなる、というんですね。ただし「注目している」ということと、好意を持つことはまた別のことだし、仮に私の方が「好意的」になっていたとしても、それに「好意で返す」という発想は生まれにくいといいます。あくまで私がいう内容が自分に納得できるかどうか、それだけのことだと。

 彼女の感じたことをうまくここで私が表現できているかどうかは分かりませんが、いずれにしても、ほんとに違いますよね。定型的には相手に好意を示されたら、基本的には好意で返す、ということが当たり前のように感じてしまうでしょう。もちろんそうならないこともありますけれど、でもそれはかなり悲劇的なことのように思えてしまうし、好意に対して攻撃で返したりすれば、攻撃した側もその後後悔の思いをひきずったりする。

 「絶望」さんが絶望的に感じられたのは、そういう「好意の積み重ねで信頼関係を深め、絆を作っていく」ということが、ここでの前のやりとりで全然否定されたように思われたからではないでしょうか。定型的にはそれはとてもショッキングな事態ですし、もしそういうことなら何によってお互いの信頼関係を作っていけるのかが全く分からなくなってしまう、ということにもなりそうです。

 そうなんですよね。多分「信頼関係」ということの意味とか、感じ方にもすごいズレがあるんだと思います。そしてこれも多分、アスペの方にはアスペの方なりの「信頼」の置き方はあるのでしょう。そうでなければ「裏切られた」ような思いを持つこともないわけですから。一度目の「炎上」の時に私はそういう「裏切られた」というアスペの方たちの思いを強く感じました。ただ、残念ながら私にはなぜそれが「裏切り」と感じられたのかがぴんとこない訳ですけれど。あのときは単にちょっとした提案をしてみて、それも思わぬ形で否定されたので、すぐに修正したのですが、まったく収まりませんでした。それが不思議でした。お互いに問題点を指摘して、修正し合って調整し合って一緒に考えていく、ということにならないのは何故なんだろう、と。

 ただし今回の「炎上」については、前にも書きましたように、ちょっと違う要素が入り込んで私が考える「まともな」やりとりがとてもしにくい状況になってしまったと感じています。だから私自身はそれを「アスペ定型」問題というふうにはあんまり考えなかったんですね。実際、たとえば私のパートナーはまた全然違う見方をしていたわけですし、そのことで私に対する信頼が傷つくことも、私に対して彼女が攻撃的な気持ちになることもありませんでした。むしろそのことについて話し合うことで、またお互いの理解が進んだところもありました。

 そういうことがあったからなんでしょうね。私自身は特に「絶望」という感じにはなりませんでした。ただ「荒れた」雰囲気、気持ちを癒す必要は感じていますけれど。実際絶望さんも絶望的な気持ちになられたわけですしね。そう感じられた方もそれなりにいらっしゃるのではないかと勝手に想像しています。そういう気持ちになられることは、私なりに定型的な感覚で理解できるように思います。

 なんというのか、「信頼関係の作り方」とか、「信頼が崩れそうになったときの修復の仕方」に違いがある、ということはほんとに難しいことだとは思いますが、まあ、でも私は私なりに、ちょっとずつまたそういうズレを考えていこうとする姿勢は保ちたいなと思っています。そういう「調整への姿勢」とか、「一貫性」について、信頼関係が成立するといいんですけれどね。それも含めて手探りです。

 

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コメント

diamondパンダ さま

アスペルガールです。
いつも楽しいブログを有難うございます。

---以下引用-----------------------

>ただし「注目している」ということと、好意を持つことはまた別のことだし、
>仮に私の方が「好意的」になっていたとしても、
>それに「好意で返す」という発想は生まれにくいといいます。

----------------------------------

最近読んだ脳科学の本に、ヘレンケラーはWATERという言葉を知った時に、
彼女の世界に、『WATER』と『そうでないもの』が生まれたとありました。

言葉の無い世界に住んでいた彼女には、
そもそも、言葉による分け隔てが存在しなかったんです。

でも、『WATER』という言葉と、手にふれる冷たい感覚とが、重なった時、
彼女の世界に、私たちと同じ、『WATER』が表れたんです。

このお話から分かるのは、
物事を決めているのは、私たちであるということです。

水が水と呼ばれたのは、いつ、からでしょうか。

調べれば分かることですが、
それ以前に言えることは、水は水と呼ばれる前から存在していたが、
人がそれを、水と呼んだ瞬間に、
それが、人に水として認知されるようになったということです。

では、『好意』ってなんでしょうか・・・

それは、私たちが、これは、好意だと決めた概念ですよね。
しかも、定型の間であっても、相手との関係性により変化する概念ですよね。

映画の少しの違いにも『違う』とう彼女としては、
好意という言葉のあやふやさを逐一定義していたら日が暮れる感じがする、

だから、1つ大きな概念で処理しておこうといった感じなのでは?

注目には、好意も、悪意も、好奇心も含まれます。

でも、所詮、言葉ってあいまいじゃないか、気持ちは変化するし、
じゃあ、注目という行動に目を向ければ~といった感じで。


例えば、ビジネスにおいてクレームって、悪意とも取れるんだけど、
こちらが上手に対応すれば、ファンにもなってくれるんですよね。

大きなNOは、こちらの腕次第では、大きなYESに変化します。

私は、基本的には、『私が相手の善をどれだけ引き出せるか』を大切にしています。
初めは嫌われていてもOKなんです。

というか、そんなの、どうでもいいです。

悪意を善意に変えられる力を、持てるようになるほうが、大切だと思っています。

アスペルガールさん

>でも、所詮、言葉ってあいまいじゃないか、気持ちは変化するし、
じゃあ、注目という行動に目を向ければ~といった感じで。

 ここはもしかするとひとつポイントになることかもしれません。
 仰るとおり、「ことばって曖昧だし、気持ちも変化するし、」
 というところまでは定型アスペ間で理解が一致しているかも。

 で、その後「じゃあどうするか」のところで、
 定型とアスペの方で姿勢がかなり違う可能性を感じました。

 定型の場合は、「曖昧だし、変わりやすいから、時々確かめたり、
 何らかの方法で安定させる工夫をしようとする」ことが
 多いんじゃないかなと思うんです。
 そのときに「私はあなたのことを信頼しているんだよ」
 というメッセージは結構強力な効果を持つことがあって、
 「信頼されているから裏切れない」とか、そんな風になったりする。
 
 そこが定型にとってはとても重要なやり方の一つだから、
 「信頼関係をどう作り、どう維持することが出来るか」
 ということにすごくこだわるんだと思います。
 「信頼」って、一種の賭けみたいな所もありますしね。
 いくら信頼したってうまく行かないことはあるわけですし、
 でも、それにも関わらず、「信頼に賭けたい」という思いを
 定型は結構持つんじゃないでしょうか。
 もちろん人によってその強さにかなり違いはあると思いますけれど。

 それに対してアスペの方は、もっと割り切って
 「行動で見る」ということなのでしょうか?

 パートナーは「私はあなたのことは基本的に信頼しているんだから」
 というようなことをたまに言ってくれることがありますし、
 アスペの方に人への信頼感がない、というのとも
 ちょっと違いそうですよね。

 うーん、ちょっとよく分からない (^ ^;)ゞ
 
 

diamondパンダ さま

お忙しいのに返信有難うございました。
返信は嬉しいですが、忙しかったら無くっても大丈夫ですよー

---以下引用---------------------------

>定型の場合は、「曖昧だし、変わりやすいから、時々確かめたり、
>何らかの方法で安定させる工夫をしようとする」ことが
>多いんじゃないかなと思うんです。

--------------------------------------

そうですね、そうだと思います。
私は相手が求めているなら何でもするタイプなので・・・言葉にもします。

ただ、それが、本心かと言われればそうでもないんですよね。
何故かと言うと、次のこの引用部分、

---以下引用---------------------------

>そのときに「私はあなたのことを信頼しているんだよ」
>というメッセージは結構強力な効果を持つことがあって、
>「信頼されているから裏切れない」とか、そんな風になったりする。

--------------------------------------

これが、正直、重たく感じてしまうんです。

この気持ちは、様々な事に失敗してきた『過去の経験』によりものかもしれませんが、
相手の期待に添えるかどうか、すごい不安なんですよね。

だから、あやふやな感情は、私は捨ててきました。
所謂・・・人間のエゴみたいなものは捨てれるだけ捨ててきました。

例えば、私は7年間過食症だったんですが、
きっかけはダイエットではなく、依存対象として食べ物を選んだ、ためなんです。

期待が叶わないことによってのダメージに耐えられないし、
期待を掛けた相手の事も嫌いになりたくもない、

そう考えていくと、期待する相手、依存する相手は、人間ではダメだったんです。

そういった感じで、
私は人と信頼関係を築くことは避けてきた・・・と言えるんだ思います。

これからは、おそらく、出来ますが、
あくまでも、裏切られるというされる好意が発生しても後悔しない人を信頼します。

逆に言えば、裏切らせないために、言葉ではなく、
相手の性格と行動を検討して、そうならないように、事前に手を打つようにします。

もし、それでも、そうなったらば、
私の力不足でしたという結論に至るのみって感じですthink

すいません、誤字でした。

>あくまでも、裏切られるというされる好意が発生しても後悔しない人を信頼します。

好意⇒行為

アスペルガールさん

 おはようございます。

>これが、正直、重たく感じてしまうんです。この気持ちは、様々な事に失敗してきた『過去の経験』によりものかもしれませんが、相手の期待に添えるかどうか、すごい不安なんですよね。

 ここ、私のパートナーの言うこととすごくつながっている感じがしました。
 すごく小さな例で言えば、私は誰かにご飯を作ってもらったときとか、
 美味しいと感じると、結構「これ美味しい!」とか言う方らしいんですが、
 彼女に対してそれを言って喜ばれた記憶がないんです。
 で、その代わりに彼女が言うことは
 「たまたまだからね。また同じようには出来ないからね」
 といったことなんですね。

 これが私にはとても不思議で、なんで「美味しい」と誉められて
 うれしくないんだろう?といつも思ってしまいました。
 「照れ隠し」ならわからないでもないんだけど、そじゃなくて、
 ほんとに「誉められたことを否定する」みたいな感じになるんです。

 でも、これが「相手に期待されるのは負担だ。自分がこれから
 それに応えられるかどうか分からないのに。」ということを
 真剣に思っているのだとすれば、ああそういうことか、と
 ちょっと分かる感じが出てきます。
 
>だから、あやふやな感情は、私は捨ててきました。所謂・・・人間のエゴみたいなものは捨てれるだけ捨ててきました。

 ここはきっと紅茶さんとちょうど正反対の「工夫」をされたんですね。
 紅茶さんの方は逆に「自分もみんなもエゴイストだ」というふうに考えることで
 問題に対処されようとしたのかなと、これを読んで思いました。
 そう考えると、お二人の「工夫」とか「生き方」が、
 「ああそういうことなのか」とちょっと想像できる感じもしてきます。
 まあ、私の勝手な思いこみですが (^ ^;)ゞ

>そう考えていくと、期待する相手、依存する相手は、人間ではダメだったんです。そういった感じで、私は人と信頼関係を築くことは避けてきた・・・と言えるんだ思います。

 なんかアスペルガールさんの「説明力」ってすごいですね!
 (あ、別にこれ、「期待の圧力をかけている」わけではないです (^o^) )
 コルテオさんはご自分の考えていることなどについて
 ことばにすることはとても大変だと感じられているようでしたけれど、
 アスペルガールさんはすごく「自己分析」をされるんですね。
 こういうところも、ほんとにみなさんそれぞれだなあと思います。

>これからは、おそらく、出来ますが、あくまでも、裏切られるというされる行為が発生しても後悔しない人を信頼します。逆に言えば、裏切らせないために、言葉ではなく、相手の性格と行動を検討して、そうならないように、事前に手を打つようにします。もし、それでも、そうなったらば、私の力不足でしたという結論に至るのみって感じです

 ここも、「ああなるほど」と思えました。というか、もう少し言うと、
 定型間でも「信頼して裏切られる」「信頼されて裏切ってしまう」というようなことは
 しばしば起こることだし、「そのときどう対処するのか」ということは
 それぞれの人に結構シビアに問われる課題になっているような気がします。
 それである人はすごい「人間不信」に落ち込んで「もう人は信じない」という
 信念を持とうとされたり、ある人は「自分に人を見る力がなかったんだ」と
 考えることで、「人間不信」になることを避けようとしたり……

 そのあたり、今回のアスペルガールさんのコメントを拝見していると、
 パターンとしてはすごく共通しているなあと感じたんです。
 ただ、定型に比べると、アスペの方の方がそこが「徹底している」
 という感じもなんとなくしています。

 もしかするとかなり大事な問題がここにあるのかもしれない、
 という気もします。

diamondパンダ さま

こんにちは~アスペルガールです。

私、ずごい勢いで返信とかコメントしていくつもりですが、
それが私にとって、今一番重要なことだからなんです。

パンダさんのブログに記述することで自分を形作っている最中で、
ある程度まとまったら自分のブログにも書いてこうと思っています。

だから、パンダさんは、返信したい時だけしてくださね~

私には、パンダさんは何事も「悪」にとらず、
ブログコメントは丁寧に読んで下さるという「信頼」があります。

ということで、私の相手への信頼は、相手が既に出来ていることを、
正確に読み取ったうえでの、「継続への信頼」なんだなぁと感じました。

こういう信頼の仕方になったには理由がありまして、
それは、私が「マトモ」にみえるがゆえ、相手の期待を裏切ることが多かった為です。

分析的に説明すると、
WAISテスト(IQテスト)において「理解」が120%あるにも関わらず、
「絵画配列」「組合せ」が40%ほどしかない為に起こった出来事です。
参照)http://www.trendmental.com/howdoyoudo

私は会話において、相手に、「この子はとても『理解』してくれている」と思わせるようです。
ただ、いざ、実行しようとすると出来ない。
何故なら、あるはずの能力が欠けているから、あり得ないことをしたりするんです。

そうすると、何を言われるか・・・というと
「信頼してたのに」と言われるんですよねーwobbly

何度も何度もこういうことがありまして、
『信頼している』という期待には、怯えるようになってしまいました。

誰だって、自分が怯える言葉を、相手に投げかけようとは思えませんよね。


---以下引用---------------------------

>なんかアスペルガールさんの「説明力」ってすごいですね!
>アスペルガールさんはすごく「自己分析」をされるんですね。

--------------------------------------

わぁーい、有難うございますbirthday
これ、私が、大量の人と会って話したためだと思います。

人付き合いって本当に苦手だったんですよね、
だから、そういったコミュニティに逃げ込みたいと思っていたのが17歳くらいの時、
(そういったコミュニティとはまぁオタク(アニメとかではない)的集まりをさします)

なんですが、ここで逃げ出すには、人との関わりは、大きすぎると感じました。

生きていくうえで避けて通れない道ですよね、
他者と上手にやっていくってことは。

んで、色々考えて、若さと笑顔(創作笑顔)を最大限に利用して、
色々な属性の人間と関わるという事をかなり頑張りました。

簡単にいうと、嫌なことを、嫌だからこそ徹底的にやった結果なんだと思います。

その時に気を付けたのは、
出会う人が、私に好意を与えてくれるだろうかという視点ではなく、
出会う人に、私は何が出来るのかという視点を持ち続けたことです。

これは、あまりに極端だと、逆に、迷惑かけることにも気づきました。


---以下引用---------------------------

>ただ、定型に比べると、
>アスペの方の方がそこが「徹底している」という感じもなんとなくしています。
>もしかするとかなり大事な問題がここにあるのかもしれない、という気もします。

--------------------------------------

これは、良いトス(バレーボールでいう)ですね。
良いトスを有難うございます。

私の思うに、アスぺの人の多くは、
無意識で処理するはずのプロセスを、意識下で処理しているんだと思います。

例えば、よく、自分をコンピューターに例えるアスぺって多いですよね。

何故なのか、何故コンピューターに例えるのかというと、
コンピューターって、(現状は)どんな作業をするにもプロセスが分かりやすいからです。

パンダさんのブログの見た目は、今見ている通りですが、
そのプロセスは、view-source:http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/post-bc79.html#comment-102674875 これですよね。

アルファベットが組み合わさってプログラムと呼ばれています。

そして現在存在するコンピューターのプログラムは、
人が無意識で処理しているよりも、単純でわかりやすいものなんです。

アンドロイドが人間と同等になれないには、
ここらへんに理由があるだろうと思います。

我々人間が、無意識どんな処理をしているのかが分かっていないと、
機械にそれを伝えることが難しいですから。

この伝えることの難しさが、定型がアスぺに伝えることの難しさだと思います。

色々な場面で「徹底してしまう」こともこれが分かれば、
解ける問題のような気がしています。

コンピューターは二進法なので、
「0」or「1」であり、「真 = true」or「偽 = false」で、全てがこれで記述されています。

人間の無意識も分解してひも解いていくと、
「真 = true」or「偽 = false」になるはずなんですが、
無意識って呼ばれるくらいですから、意識しにくいんですよね~

でも、アスぺは無意識を意識で処理していると考えれば、
「真 = true」or「偽 = false」なのかが不明という状態が非常に気持ち悪く感じる。

だから、極端にならざる得ないし、つい徹底してしまうんではないでしょうか。chick

アスペルガールさん

>でも、アスぺは無意識を意識で処理していると考えれば、「真 = true」or「偽 = false」なのかが不明という状態が非常に気持ち悪く感じる。だから、極端にならざる得ないし、つい徹底してしまうんではないでしょうか。

 この説明はとても分かりやすく思いました。

 アスペの方に限らず、定型でも普段無意識にやっているやり方がうまく行かなくなると、
 意識的に考えることをやります。

 たとえば私がここでいろいろ記事を書いたりしているのも、
 定型的な(あるいはパンダ的な)無意識の常識でパートナーとやりとりしていても
 うまく行かないという現実に突き当たって「なんでなんだろう?」と
 意識的に考えている、ということですしね。

 ただ、よく考えてみると、そう言うときでも定型の方はどっちかというと
 デジタルではなくて、アナログで考える傾向があるかもしれません。
 1か0ではなくて、0.5とかを考えてみたり。

 やっぱり定型って、かなり根深く「あいまい」な考え方になじんでるんでしょうか。
 もちろん人によっても様々だとは思いますが、だいたいの傾向として。

diamondパンダ さま

アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました。

パンダさんの説明も分かりやすいです~

>やっぱり定型って、かなり根深く「あいまい」な考え方になじんでるんでしょうか。
>もちろん人によっても様々だとは思いますが、だいたいの傾向として。

プライオリティの問題なのではないでしょうか。
正しく理解したい気持ちが強ければより極端になるし、
仲良くコミュニケーションしたい気持ちが強ければ曖昧になる。

そんな答えに到達しました~☆彡

アスペルガールさん

>プライオリティの問題なのではないでしょうか。正しく理解したい気持ちが強ければより極端になるし、仲良くコミュニケーションしたい気持ちが強ければ曖昧になる。

 なるほど!
 それはひとつ重要な見方だと思いました。(って、これも曖昧? (^o^) )
 この見方を入れて、いろんなことについて考えてみると
 いろいろ見えてくるかもしれませんね。

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