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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月28日 (月)

シビアな目

 今、アメリカの情報機関がドイツの首相の携帯電話とか、各国指導者の通信を傍受していたことが問題になっています。それを見ていて私が「このところいろんなところでアメリカの信頼ががた落ちだね」と言うと、パートナーは「(通信傍受という)そんな当たり前のことを今頃なんで騒いでいるのかが分からない」と言っていました。そんなことが行われているというのは、昔から分かりきった事じゃないか、という訳です。

 この意見はまあそうだよな、と言えるところもあるし、でも「噂のレベル」じゃなくて、なんらかの「証拠」で否定できなくなっている状態だということが、全然違うんだ、とも言えると思うんですが、そのあたり、パートナーはやっぱりすごく「実質的」というのか、とてもシビアに直接「当たり前」の話で考えるんですね。

 うまく説明できるかよく分かりませんが、定型の世界って、「玉虫色の解決」とか「曖昧な言い方」で、クッションを作る、みたいなことが多いと思うんです。「本当はきっとこういうことなんだろうな」とか思ってもストレートには言わなかったり、言えなかったり、そうやってぶつかり合いを避けるようなことがある。「そんなの誤魔化しだ」と言えばそれはその通りでもあるんですよね。でもそういうクッションがあることで、まあおだやかに関係が保たれることもあって、そういう「いい加減さの働き」みたいなことが結構使われているように思います。

 パートナーが私との会話で私を傷つけたりすることを避けようとするときには「言わない」という「工夫」をしているみたい、ということを先に書きましたけれど、そのときは「本当は思っているんだけど、言わないようにする」ということになるよりも、「そう感じないようにする(というのはその感じ方が間違っているということらしいから)」「そう思わないようにする」というところまで割り切るのかなあと思うんです。

 ところが、定型の場合は「思っても言わない」という形になるんでしょう。「角が立たないように」とか「波風を立てないように」とか「穏やかになるように」といって。でも本音の部分はいろいろ別に考えていたりもする。だから「本音と建て前」の世界がどんどん積み重なっていくことにもなります。そうするとアスペの方がしばしば問題に感じられるように、定型の世界は実に裏表だらけで、信じられない世界だと言うことになっていくんでしょうね。

 これ、どっちがいいとか悪いとか、単純には決められない話のように思います。私個人は「口先の誤魔化し」ではなく、素朴で素直な関係に心が惹かれたりもするんだけど、自分がこの世の中で生きていてそれを貫けているとは全然思えないですね。

 昨日書いた「言葉でのなぐさめ」の問題も、「口先の誤魔化し」と言えばそう言えないこともないんだけど、そう決めつけてしまうとやっぱり定型的にはなんだか大事なもの(「思い遣り」といったような)が見失われてしまうように感じる。でもアスペの方にとって、そういう言葉での「思い遣り」は自分を救ってはくれないと感じられる体験が多いんでしょうね。

 ふーん、難しいことです。

 

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コメント

いつも興味深く拝見させて頂いています。
私はアスペルガー障害の診断を受けたことはありませんが、子供の頃から日本人のコミュニケーションの在り方に、疑問を思うことが多かったです。
しかしながら、今思えば、それは単なる知能や知識、思考の違いによるものだったとも思えます。
例えば、私は地元を出るまでは、自分の気持ちを言葉にすることも難しかったです。そのため、常にディスコミュニケーションが生じていました。
しかし、地元を出て高等教育機関に所属するようになってから、自分の気持ちを言葉にすることが少しずつできるようになりました。
過去の生い立ちへの恨みもあり、郷土史や教育史、政治問題等を調べた結果、私の地元は伝統的に「知性」や「理性」というものに対して理解のある教育をせず、悪平等や集団主義が根付きやすい風土であったと判断しました。
最も、これは私の個人的な見解であり、真実ではないかもしれません。

しかし、アメリカの通信傍受については、実際のところ、知識のある人であれば今更驚くことではありません。学者や実務家であれば当然のこと、一般人ですら、少しインターネットで検索すれば、通信傍受の可能性があること自体は知ることができました。

今、世間がそれで騒いでいるのは、通信傍受がされていたという事実よりも、アメリカの国力がそれだけ弱体化したということを喧伝する為であったり、通信傍受による情報が経済交渉に利用されていたのではないかという憶測の為であったり、中東・アフリカを舞台とする西欧諸国・アメリカ・ロシア・中国などの大国間の外交問題への疑いの為であったり、様々な理由があると思います。
アメリカ国民にとっては、「自由」の問題であったり、自国への不信の問題であったりします。

なんらかの「証拠」というのも、諜報の世界の「証拠」ですから、何の人脈も持たない一般人が真実を語ることはできません。
私からすれば、あなたのパートナーは「実質的」でもシビアでも無く、理性的な判断をしているだけのように見えます。
あるいは、国際政治等の方面への知識や関心があるだけのようにも見えます。

私は、心理学や精神医学の知識はありません。
しかし、世に言われる精神障害や精神病の多くは、「本人がそうならざるを得ないような状況に追い込まれてきた為にそうなっただけであり、無暗に病名を付けるよりも、社会やコミュニケーションの在り方を変える方が、本人にとっても周囲にとってもより生きやすい形になるのではないか」という持論を持ちます。

私は、アスペルガー障害の診断を受けたことはありませんが、いわゆる「定型の世界」において、穏やかな関係を構築する一方で、それは実の所上辺だけの平穏に過ぎず、その上辺だけの平穏を維持することが、いじめなどの問題につながっていった様を見てきました。

あなたのパートナーが「そう思わないようにする」というところまで割り切っているのかは、私には分かりません。「そう思っても言えない立場」に置かれやすい、というだけでもあると、私は思います。
「中間管理職の悲哀」をイメージして頂ければ、分かりやすいかと。

私が思うに、いわゆる「定型の世界」における「思い遣り」というのは、上辺だけの平穏を保つ為の会話の潤滑油に過ぎず、相手を救済する為の問題解決に及ぶかどうかは、別の問題です。
しかし、だからといって、あなたが言う「思い遣り」が無価値だとは思いません。
外交の世界では、そうした儀礼的な振る舞いも、たとえ儀礼的なものとは分かっていても、必要とされる機会は多いです。いわゆる「リップサービス」というものです。
「思い遣り」の効用を信じている人々からすれば、このような考えを人間関係に持ち込む私は、冷徹だと批判されることもありました。
しかし、一方で、私を冷徹だとも温厚だとも形容しない人々もいました。
前者と後者の間には、言葉にはできませんが、確かに生い立ちや性格や思考法の違いがあったようにも思えます。

ただ、アスペルガー障害でもなく、海外経験もない日本人でも、こういう考え方をする人もいるのだという視点を、知って貰いたいと思いました。
確かに、障害による考え方の違いもあるかもしれませんが、全ての場合においてそれが当てはまるのでしょうか。

返信は特に求めません。あなたに考えを改めて欲しいという訳でもありません。
あいにく、私は常日頃からブログにコメントしたり返信する方の人間ではありませんし、やはり障害に関しては門外漢ですから。
ただ、様々な可能性を提示してみたかったというだけです。
あなたが、自分なりの世界観、人生観、答えを得られることを、楽しみにしています。

名無しさん

 はじめまして。コメントどうもありがとうございます。

> 世に言われる精神障害や精神病の多くは、「本人がそうならざるを得ないような状況に追い込まれてきた為にそうなっただけであり、無暗に病名を付けるよりも、社会やコミュニケーションの在り方を変える方が、本人にとっても周囲にとってもより生きやすい形になるのではないか」という持論を持ちます。

 はい。私もいわゆる「障がい」の現れ方は、すごくその社会の特徴を表しているように感じますし、もう少しお互いが生きやすい世の中があるんじゃないかと思うんですが、とりあえずは「多数派のやり方」が優先されてしまう現実もあるんですよね。「そうならざるを得ないような(追い込まれる)状況」について、もっと理解を深めていかなければ問題はいい方向には進まないように思います。

>私は、アスペルガー障害の診断を受けたことはありませんが、いわゆる「定型の世界」において、穏やかな関係を構築する一方で、それは実の所上辺だけの平穏に過ぎず、その上辺だけの平穏を維持することが、いじめなどの問題につながっていった様を見てきました。

 これも私も同感の所があります。「うわべの平穏」を守ることによってものすごい犠牲を強いられている人たちがいるということ。そういう犠牲に目をつぶることで「平穏」が保たれている現実があること。じゃあ自分はそうやって他の人を犠牲にせずに生きているのか、と問われると、「犠牲にしようと思って」することはないけれど、でも気づかずにそうしてしまっていることはたくさんあると思います。もちろん逆に私が犠牲になる場合もありますから、ほんとにこんがらがっていますけれど。

>あなたのパートナーが「そう思わないようにする」というところまで割り切っているのかは、私には分かりません。「そう思っても言えない立場」に置かれやすい、というだけでもあると、私は思います。
「中間管理職の悲哀」をイメージして頂ければ、分かりやすいかと。

 これは私も名無しさんと同じ疑問を持っていたので、何度か尋ねてみているのですが、いつもそういう答えなんですね。それで、本当にそうなのかなあと考えてみたりしています。ここ、未だに私にとっても謎の部分です。

> 私が思うに、いわゆる「定型の世界」における「思い遣り」というのは、上辺だけの平穏を保つ為の会話の潤滑油に過ぎず、相手を救済する為の問題解決に及ぶかどうかは、別の問題です。

 はい、そう思います。

>しかし、だからといって、あなたが言う「思い遣り」が無価値だとは思いません。
外交の世界では、そうした儀礼的な振る舞いも、たとえ儀礼的なものとは分かっていても、必要とされる機会は多いです。いわゆる「リップサービス」というものです。

 リップサービスの部分は確実にあるんだけど、でも意外とそこに本気が混じっていて、場合によっては相手のために自分の命を投げ出すようなことも実際に起こっていますから、なんか複雑だなあと思うんですね。私にもその複雑さはうまく説明できません。そのへんのややこしさがお互いの誤解を生んだりもするひとつの理由のように思えます。

>「思い遣り」の効用を信じている人々からすれば、このような考えを人間関係に持ち込む私は、冷徹だと批判されることもありました。
しかし、一方で、私を冷徹だとも温厚だとも形容しない人々もいました。
前者と後者の間には、言葉にはできませんが、確かに生い立ちや性格や思考法の違いがあったようにも思えます。

 たしかに定型の中にもその変はいろいろですね。かなりドライに割り切れる人もいれば、ウェットに考える人もいれば。私は基本的にはウェットなタイプなんだろうと思います。

>ただ、アスペルガー障害でもなく、海外経験もない日本人でも、こういう考え方をする人もいるのだという視点を、知って貰いたいと思いました。

 すみません、「こういう考え」というところが、どの部分なのか、よく分かりませんでした。

>確かに、障害による考え方の違いもあるかもしれませんが、全ての場合においてそれが当てはまるのでしょうか。

 そういうことはないと私は思います。名無しさんがおっしゃるように、アスペの方の特徴といわれるものの中には「そういうふうにせざるを得ないように追い込まれた」結果そうなっているものが相当たくさんあるんじゃないか、という気がします。もちろんそういうところに「追い込まれやすい」何かを持っている、ということはあるのかもしれませんけれど、でも時代や社会が違えば、そういう「何か」によって「追い込まれる」かどうかは変わるようにも思えるんですね。その「何か」は「ちょっと変わった個性」の位で済んでしまって。

>返信は特に求めません。あなたに考えを改めて欲しいという訳でもありません。

 これもすみません、名無しさんとの意見の違いがどこなのか、もうひとつはっきりと分かりませんでした (^ ^;)ゞ

>あいにく、私は常日頃からブログにコメントしたり返信する方の人間ではありませんし、やはり障害に関しては門外漢ですから。
ただ、様々な可能性を提示してみたかったというだけです。

 ありがとうございます。いろんな視点を交流することはとても大事だと感じています。また何かありましたら、どうぞよろしくお願いします。

こんにちは、始めまして。
毛布と申します。毎回、パンダさんの考えにうんうん、と頷きながら読ませて頂いております。
というのも、私には、アスペルガーと思しき友達がいます(はっきりとは本人も診断された訳ではないのですが、アスペルガーの方の特徴とかなり重なる部分が多いのです)
私には元々精神疾患があり、実際に、その友人と接する内に、体調を崩してしまいました。
それでも、その友人の良い部分、好きな部分があり、今だ友達を続けています。
正直とてもしんどい時もあります。
私はまだ人生の経験値も低く、受け入れる器も小さいのだと思いますが、例えば今回のパンダさんの記事のような、「思いやり」への認識の違いには、とても苦しみました。
こっちの思いやりが、相手には言葉の暴力にすらなる。
こっちが誠心誠意尽くしても、暖簾に腕押し、こんな状況に、心がぐらんぐらんになりました。
今は少し、相手の考え方を理解?出来るようになってきましたが、初めの頃は本当に泣いてばかりいました。
このアスペルガーの方と、定型との関わりは、本当に難しい、というのが本音です。

支離滅裂な文章で申し訳ありません。
長々失礼いたしました。

…名無しさんの書き込みを見て、思わず書かせていただきます。

名無しさん
>私からすれば、あなたのパートナーは「実質的」でもシビアでも無く、理性的な判断をしているだけのように見えます。あるいは、国際政治等の方面への知識や関心があるだけのようにも見えます。
このような分析はパンダさんのいわんとしていることもはそれますのでさておき、「相手への共感的反応」よりも「自分独自の論理の主張」をするのが、アスペルガーの特徴であり定型の苦しめられる部分なのではないかと私は感じています。
背景にどんな思想心情があるか、理性的か感情的かとかいう話ではなく、常に言動が自分目線だということ。

思いやりの効用だとかコトバでくくりコトバで表すと必ず洩れが生じますが、要は、相手が言わんとすることがわかるかどうか。いまこの話題で議論したいのか会話したいのか、アスペルガーの方にはわかってもらい難い。それが、辛いのですよ。


>しかし、一方で、私を冷徹だとも温厚だとも形容しない人々もいました。
前者と後者の間には、言葉にはできませんが、確かに生い立ちや性格や思考法の違いがあったようにも思えます。
普通(私の考えるフツウ、ですが)、冷徹だとも温厚だとも、形容しないしされないと思いますが。相当な場合に限り、大の大人が冷徹だなどと言われるのではないでしょうか。


毛布さん

 はじめまして。コメントありがとうございます。

>今は少し、相手の考え方を理解?出来るようになってきましたが、初めの頃は本当に泣いてばかりいました。このアスペルガーの方と、定型との関わりは、本当に難しい、というのが本音です。

 もしも少し理解できて「泣いてばかり」ではなくなったのだとすれば、良かったですね。
 この問題はほんとに奥が深くて難しいなあと私も思います。
 すごく素朴なものの感じ方からどうやらズレが大きいみたいですから、
 どうやったらとりあえずお互いに
 ある程度は納得の出来る理解ができるようになるのか、
 気長に手探りしていくしか方法を思いつきません。
 そういう「努力」を「共有」できる、とか、共有したいと思える関係があるかどうか、
 そこが大きいのかもしれませんね。

 またどうぞよろしくお願いします。


空気さん

 初めまして。どうぞよろしくお願いします。
 私へのコメントと言うことではなさそうですので、
 とりあえずご挨拶ということで……
 

皆さん、コメントありがとうございました。
私自身、こうした問題について人々と深く議論をしたことは少なく、少々表現に問題があった部分もあったかもしれません。
その点については、不快な思いをされた方々に対しては、失礼だったかもしれないと思っています。
ちなみに、誤解をされている方もおられるかもしれませんが、私はアスペルガーの診断を受けたことはありません(笑)。


パンダさんへ

まず、「障がい」という表記を使わなかったことに関して、謝罪させて頂きたいと思います。
私の配慮が足りず、申し訳ありませんでした。

>これは私も名無しさんと同じ疑問を持っていたので、何度か尋ねてみているのですが、いつもそういう答えなんですね。それで、本当にそうなのかなあと考えてみたりしています。ここ、未だに私にとっても謎の部分です。

そうですね…。例えば、私は相手によっては、たとえ「自分の気持ちを正直に言って欲しい」と言われても、言い難い場合はあります。相手が普段から人に気を遣いがちで、それでいてストレス発散が苦手そうな人の場合は、言い難いです。しかし、相手が人に気を遣うことに慣れていてストレス発散が得意そうな人の場合は、言いやすいです。
また、相手が自分の気持ちを自由に言う人であれば、私も言いやすいです。
私は、パンダさんの普段の様子や、パンダさんのパートナーの普段の様子を知らないので、確かなことは言えません。

ただ、定型であれアスペルガーであれ、その人の性格にもよるのかなと思います。
その人の性格による違いが、アスペルガーの人の場合は、「アスペルガーだから〇〇だ」と捉えられがちなのかな、と私はあなたの今回の記事を読んで思いました。
その理由については、後に書きます。

>リップサービスの部分は確実にあるんだけど、でも意外とそこに本気が混じっていて、場合によっては相手のために自分の命を投げ出すようなことも実際に起こっていますから、なんか複雑だなあと思うんですね。私にもその複雑さはうまく説明できません。そのへんのややこしさがお互いの誤解を生んだりもするひとつの理由のように思えます。

複雑ですよね。定型同士でも、どこまで本気で信じていいのか、分からない時が多いと思います。外交においても、リップサービスとは分かっていながらも、やっぱり情が移ってしまう面もあると思います。米軍の「トモダチ・オペレーション」というネーミングセンスにだって、国際政治的な理屈以外の理由はあったと思います。

>私は基本的にはウェットなタイプなんだろうと思います。

そうだろうな、とブログを読んでいて思いました。
私は比較的ドライなタイプでして、どちらかと言えば、パンダさんのパートナーの意見の方が、共感できるなあという所があります。
そのため、私のコメントには、若干パンダさんのパートナーを擁護する気持ちが入ってしまったと思います。

「こういう考え」についてですが、これは、上で「後で書きます」と述べた理由にあたります。
私も少々いい加減な書き方をしてしまった点については、申し訳ありませんでした。
根が大雑把な性格なもので…。

「こういう考え」というのは…はっきり書きますと、

「確かに、夫婦同士、他人には分からない喜怒哀楽や気疲れやいろんな感情があるのかもしれない。だけど、さすがに定型同士ですら意見が対立しがちな政治の問題に関する彼女の見解を、障がいの問題とつなげるのは、少し短絡的で感情的ではないだろうか。」

「単に、パンダさんはいろいろな理由があって、本気で『彼女はアスペルガーだから』と思っているのかもしれない。それならそれで、それはパンダさんの心の自由だから、私は差し出がましいことを言う必要は無いだろう。しかし、もし何か日常の不満といった負の感情が背景にあって、『彼女はアスペルガーだから〇〇なんだろうか』と考えてしまうような思考の迷路に嵌っているのだとしたら、それってどうなんだろう。この記事を見た他の人々は、どう思うんだろうか。」

…といった考えです。
あえてはっきり書かなかったのは、私は夫婦を持った経験も、障がいに関わった経験も少ないので、自分の意見をはっきり書くことが、パンダさんをかえって傷つけたり、感情的にさせたりするのではないかと考えたからです。
パンダさんがウェットなタイプの人だろうということは、印象で分かりましたので、ドライな私は、あえてはっきり書くことに不安を覚えたのです。
しかし、パンダさんの返答を見て、パンダさんはパンダさんなりに、異なる価値観を持つ人々に対して、「現在も」冷静に向き合おうという姿勢があると分かり、安心しました。
そこで、はっきりと書かせて頂きました。

>これもすみません、名無しさんとの意見の違いがどこなのか、もうひとつはっきりと分かりませんでした (^ ^;)ゞ

またまた、すみません。根が大雑把なもので。
意見の違いというか…根本を辿れば、ウェットなタイプとドライなタイプの違いかもしれません。
異なる意見を持つ者同士の意見交換の場を提供して下さり、ありがとうございます。
パンダさんのこれまでの記事は、「ふーん、そういう考えもあるのかあ、面白いなあ。」と思いながら、読ませて頂きました。これからも、時折読ませて頂きたいと思います。
返事は、パンダさんのご都合で構いません。


毛布さんへ

とても頑張っておられるのですね。
私は上に述べたように、ドライなタイプというか…「個人主義」や「自由主義」といったものに憧れ、それを基に互いを尊重し合える人間関係を目指したいと思っています。
そのため、時には毛布さんのような「しんどさ」をスパッと割り切って、「そんなにしんどいならビジネスライクな付き合いでも良いのでは?」と、内心では思ってしまうところがあります。
ですから、毛布さんのような気遣いをされる方は、尊敬したり感謝することもあります。
その一方で、傍から見ていて「この人大丈夫かな?」と不安になったり、腹が立つこともあります。

でも、「その友人の良い部分、好きな部分があり」と自分で考え、それをはっきりと書ける点は、私は良いことだと思いました。
「受け入れる器も小さい」とか、私から見れば、謙遜しすぎな気もします。
私が苦手なことを、毛布さんはやっているのだから。

毛布さんは毛布さんなりに考えて行動して、それでも相手に伝わらないこともあると思います。
それでも相手のことを「好きだ」と思えるかどうかで、私は人間関係の続け方を判断することが多いです。
定型同士ですら、生い立ちも何もかもが違う相手と、完全に心の奥まで理解し合える訳は無いと、私は思うからです。
ある意味では自分のエゴを貫く自覚を持ちながら生きてみて、それで試行錯誤しながらやってみれば良いと、ドライな私は思うのですが…。

それでも、やっぱりドライな私も、誰かの「思い遣り」に救われたこともあります。
誰や何が正しいかって、私も正直分からないです。
でも、分からなくても良いとは思います。結局、自分で決めるしかないと思うから。
私が「個人主義」や「自由主義」に憧れる理由には、そういうところもあります。

えーと…これで返事になっていますでしょうか。とりあえず、せっかくコメントして下さったので、勿体ないと思い、書いてみました。
ですから、返事は毛布さんのご都合に合わせます。


空気さんへ

>要は、相手が言わんとすることがわかるかどうか。いまこの話題で議論したいのか会話したいのか、アスペルガーの方にはわかってもらい難い。それが、辛いのですよ。

なるほど。議論というのは、「対話」という意味だと思っても良いのでしょうか。
対話よりも、共感に重きを置く会話をする方が好きな人は、確かに辛いのかもしれませんね。
私は、ネット上では議論調になるのですが、日常会話では共感に重きを置く会話も多いです。(「だよね~」とか…。本心ではあまり興味がない時でも。)
多分、ネット上で使う書き言葉と、日常会話で使う口語(特に女性語)が持つ雰囲気が、違うからだと思います。雰囲気に引きずられて、ついつい議論調で書いてしまうのです。

だから、「アスペルガーの人々には、いろんな会話法を伝授すれば、少なくとも表面上はコミュニケーションが十分に取れるし、そのうち本心から分かり合えることもあるかもしれないよ。そもそも、誤診の可能性だってあるよね。アメリカでは、アスペルガー症候群という病名自体が消える可能性があるというニュースを見たけど…。」と私は思うのですが、素人の甘い考えですかね…。

>普通(私の考えるフツウ、ですが)、冷徹だとも温厚だとも、形容しないしされないと思いますが。相当な場合に限り、大の大人が冷徹だなどと言われるのではないでしょうか。

この点に関しては、表現が悪かったと思います。実際に、「お前は冷徹だ」と言われた訳ではなく、「〇〇さんの場合は、私のことを冷徹だと思っているのかもしれないな」という自分の解釈を込めて、文章を書きました。
ですから、「形容」という言葉を使わない方が良かったと思います。
誤解を生じさせてしまい、申し訳ありません。
返事は、空気さんのご都合で構いません。


以上、長々と失礼致しました。
「ムーミン谷」…でしたっけ?
それが現在もこの場で求められているという共通理解があるのか、そもそも「ムーミン谷」ってどんな雰囲気なのかなと疑問に思っていました。
そこで、ドライな私としては、「とりあえず『リヴァイアサン』の世界をやってみるのも、互いの論点や本音が見えて、悪くは無いかもしれないよ」という実験的な気持ちで投稿してしまった部分はあります。

この場を普段から見ている人々に対して、不快な思いをさせてしまったのかもしれません。その点について、配慮が足らなかったことは、反省の余地があると思っています。
しかし、初心者の私にコメントを下さったことには、再び感謝の礼を述べたいと思います。
たとえ、私に対して皆さんが好意を抱いていない可能性があっても、です。
皆さん、ありがとうございました。

名無しさん

 いろいろ説明してくださってありがとうございます。少しずつでもそうやって
 お互いの理解が深まっていくといいなあと思います。

「確かに、夫婦同士、他人には分からない喜怒哀楽や気疲れやいろんな感情があるのかもしれない。だけど、さすがに定型同士ですら意見が対立しがちな政治の問題に関する彼女の見解を、障がいの問題とつなげるのは、少し短絡的で感情的ではないだろうか。」

 政治の問題それ自体というより、「目の付け所」に、彼女の他の問題についての目の付け所との共通点を感じて書いてみました。色んな問題について彼女が見る見方の特徴がそういうところにも現れているなあと感じたものですから。

 それと、上のように名無しさんに書いていただいて、すごく興味を持ったのは、あの文章に「感情」を名無しさんが読み取られたということです。私自身の主観的な感覚では、それほど強い感情を込めた意識はなくて、色んな問題について「目の付け所」の違いを感じて理解が難しかったりする、そういう例の一つとしてちょっと考えてみた、という感じでした。いつもは私の方がパートナーの発言や表情などに一生懸命「感情」を読み取ろうとして、そのことで却って食い違いが生じてしまったりすることもあるように思うんですが、今回はその逆のパターンを経験したことになるのかも、と思うと、すごく興味深く感じたんです。その意味についてはこれからもちょっと考えていきたいところです。

「単に、パンダさんはいろいろな理由があって、本気で『彼女はアスペルガーだから』と思っているのかもしれない。それならそれで、それはパンダさんの心の自由だから、私は差し出がましいことを言う必要は無いだろう。しかし、もし何か日常の不満といった負の感情が背景にあって、『彼女はアスペルガーだから〇〇なんだろうか』と考えてしまうような思考の迷路に嵌っているのだとしたら、それってどうなんだろう。この記事を見た他の人々は、どう思うんだろうか。」

 上に書いたように「目の付け所」について、彼女にわりに一貫するものを感じて、そしてその部分は結構他のアスペの方にも通じる部分のように感じたのですね。もちろんアスペの方と言ってもいろいろですから、全部の方がそうだというつもりは全然ありませんし、逆に定型の人でも似たような目の付け所を持っている方もないとは言えないと思いますので、そこできれいに分けられるとは私も思いません。特にアスペルガーの問題は「スペクトラム」ではっきりした境界線を引くことは難しいと考えられているようですし、その意味でも何でも「アスペルガー」で区切ることは無理がありますよね。一応そういうことは意識はしているつもりですが、その上で、でもやっぱり「ああ、これってアスペの方によく見られる感じだなあ」とか、そういう共通する部分を感じてしまうことがあるのも、これも否定できないことなんですね。そう感じる部分を、なんとか手探りで言葉にしてみたいと思っています。もちろん私のとても限られた経験と、私個人の見方の偏りが入ってしまいますから、そこはみなさんに指摘していただけるとありがたいです。

 いずれにしても「負の感情」から「アスペ」に結びつける、ということはしたくないと思っていますし、少なくとも意識的にそうすることはありません。そこはご理解いただけるとうれしいです。

>あえてはっきり書かなかったのは、私は夫婦を持った経験も、障がいに関わった経験も少ないので、自分の意見をはっきり書くことが、パンダさんをかえって傷つけたり、感情的にさせたりするのではないかと考えたからです。

 お気遣いありがとうございます。
 私が苦手なのは、ものすごく一方的に決めつけられて断言されるような場合で、そういうときは確かにとても辛い思いをします。そういう態度で来られると、まともな議論にもなりませんしね。それは誰にとっても生産的でないと思います。
 ただ、「こういう見方も出来るんじゃないだろうか」というようなご指摘はとても有り難いことだと思っています。場合によってその見方は自分自身の気づいていない問題点を鋭く突かれていることもあり得ますし、それが痛みを伴う場合もあると思いますけれど、それは「良薬は口に苦し」なんだと思うんですね。

>しかし、パンダさんの返答を見て、パンダさんはパンダさんなりに、異なる価値観を持つ人々に対して、「現在も」冷静に向き合おうという姿勢があると分かり、安心しました。
そこで、はっきりと書かせて頂きました。

 はい、どうもありがとうございました。異なる価値観のぶつかり合いで激しく苦しんだり、命を失ったりすることがいくらでもある世の中で、「お互いに違う人間であること」が少しでも前向きの意味を持てるような道を探っていきたいと考えていますので、そこは私としては大事にしていきたいと思っています。

>パンダさんのこれまでの記事は、「ふーん、そういう考えもあるのかあ、面白いなあ。」と思いながら、読ませて頂きました。これからも、時折読ませて頂きたいと思います。

 そういう感想をいただけるのはとても嬉しいです。なんだか、ひとりごとのようでも書いていることに意味を感じます。さらに私の見方について「いや、こういう見方も出来るんじゃないか」というようなコメントをいただけるとなお嬉しいです。

パンダさん、ご返事、ありがとうございます。

>政治の問題それ自体というより、「目の付け所」に、彼女の他の問題についての目の付け所との共通点を感じて書いてみました。色んな問題について彼女が見る見方の特徴がそういうところにも現れているなあと感じたものですから。

パンダさんは、「個人の主観として」感じたことを、書いたつもりだったのですね。
私は、パンダさんの記事を読んで、パンダさんは個人の主観を全てのケースに当てはめているのではないかと思ってしまいました。
ですが、そのように説明されれば、そのように受け取りましょう。

>あの文章に「感情」を名無しさんが読み取られたということです。私自身の主観的な感覚では、それほど強い感情を込めた意識はなくて、色んな問題について「目の付け所」の違いを感じて理解が難しかったりする、そういう例の一つとしてちょっと考えてみた、という感じでした。

パンダさんは、個人的な事例として挙げたかった、ということですね。
まあ、私は「感情」を読み取ったというよりも、「ふーん、難しいことです」というパンダさんの文章を読んで、違和感を感じたからです。
単に、パンダさんが自分で「難しいこと」にしているように見えました。
それで、もう一つ考え方の引出を増やすつもりで、パンダさんに私の個人的な見解を出してみました。
私の根底には、「相手がアスペであれ定型であれ、政治や宗教の問題で『共感』を求めるのは、ちょっと過剰じゃ…。」という意識がある為、パンダさんの感覚が理解できなかっただけかもしれません。
それは、私が社会科学系の学問を専攻する学生でして、「政治の問題については論理的に考えなければならない」という意識が、常日頃の教育を通して無意識に刷り込まれているからだと思います。
私は、「人は最終的には自分にしか立脚してものを考えることはできない。」と考えており、私自身、エゴイストだと思います。(だから、「エゴ」とか「リヴァイアサン」という言葉を使ってみました。)
私は、あまり興味が無いアイドルの話題をパンダさんに振られたら、適当に「共感」したと思います。
だから、パンダさんも私に「共感」しろとは思いません。私のお節介ですから。

>今回はその逆のパターンを経験したことになるのかも、と思うと、すごく興味深く感じたんです。その意味についてはこれからもちょっと考えていきたいところです。

そうですね。人間関係って常に互いに影響したりされたりなんじゃないかな、と思います。
私は、その「興味深く感じた」という、パンダさんの知的好奇心の表れ自体には、好感を覚えました。

>そういう共通する部分を感じてしまうことがあるのも、これも否定できないことなんですね。そう感じる部分を、なんとか手探りで言葉にしてみたいと思っています。もちろん私のとても限られた経験と、私個人の見方の偏りが入ってしまいますから、そこはみなさんに指摘していただけるとありがたいです。

そうですね。パンダさんは、自分の実感を大切にしたいという方だと思います。
それはそれで、私は何も言いません。私は、アスペの方々の気持ちを、実感することはできませんから、私はアスペの方々の代弁者にはなれませんし。

>いずれにしても「負の感情」から「アスペ」に結びつける、ということはしたくないと思っていますし、少なくとも意識的にそうすることはありません。そこはご理解いただけるとうれしいです。

「意識的に」…それを意識することが難しいから、定型同士でも人間関係の難しさって、ありますよね。人種問題とかステレオタイプとか、いろいろ考察できそうですね。

>私が苦手なのは、ものすごく一方的に決めつけられて断言されるような場合で、そういうときは確かにとても辛い思いをします。そういう態度で来られると、まともな議論にもなりませんしね。それは誰にとっても生産的でないと思います。

そうですね。だから、私はたとえ社交辞令でも、議論や対話の際には最低限の儀礼は尽くすつもりではいます。特に、パンダさんのような感性派の人々に対しては、そのように接する必要があるのかな、と思います。
でも、私はやっぱりパンダさんのような感覚はあまり持ち合わせていないので、少し上から目線だと思われることもあるかもしれません。私はエゴイストですから、私に問題があれば、遠慮なく指摘して下さいね。

>それは「良薬は口に苦し」なんだと思うんですね。

まあ、そう思う人もいるのかもしれませんね。「口に苦くても、飲み込む必要もあるのでは?」と私は思いますが、そういった考え方に慣れない人々もいますよね。
私はドライな人ですから、そのあたりは、普段は適当に歩調を合わせています。

>異なる価値観のぶつかり合いで激しく苦しんだり、命を失ったりすることがいくらでもある世の中で、「お互いに違う人間であること」が少しでも前向きの意味を持てるような道を探っていきたいと考えていますので、そこは私としては大事にしていきたいと思っています。

そういう前向きさ自体は、私は良いことだと思いますよ。
夫婦としての在り方もそうですが、家族としての在り方も大切だと思います。
娘さん、将来はコミュニケーション能力に優れたリーダーに育つと良いですね、お父さん。

さて…一回目の私の投稿は、事例や論理が多かったですね。それが、定型の方々のコメントの流れを作ったのでしょうか。
「アスペルガーの人は理屈っぽい」というイメージがあるのでしょうか。
事例や論理を出した方が、知らない他人とは意見を交換しやすいと思っていましたが、それは、私がディベートや会議を通して得た、私の個人的な見解だったようです。

そして、二回目の私の投稿は、何やら社交辞令が多くなってしまいました。
それでも、定型なりの思いやりや優しさって、真実なんですかね。
私には分かりません。まあ、漱石も「愛嬌は柔らかい武器」って言ってたし、それを使ってみようかなって。

だって、「空気」読んだら、「まあ誤解を解くには下手に出るしかないかな」って。
「空気」という名前に他意は無かったのかもしれませんけど…そういうの、定型同士でも「カチン」と来ることってあります。
「空気」が読めるからこそ、読まないようにしている…そういう人って、定型やアスペに限らず、いると思いますけど。
まあ、私の独り言ですから。でもね、思いやりや優しさの裏側に、いろんな人々の感情がないがしろにされることもあるんだってこと、少しだけ書いておきたかった。
だって、私は、自分のものの見方でしか、人に優しくすることができない、エゴイストだからさ。

名無しさん

 いろいろありがとうございます。
 ちょっといろいろなので、まだうまく全体として理解しきれないので (^ ^;)ゞ
 断片的なお答えになるのをお許し下さいね。
 「ポイント外してる」ということでしたらまたご指摘下さい。

>私の根底には、「相手がアスペであれ定型であれ、政治や宗教の問題で『共感』を求めるのは、ちょっと過剰じゃ…。」という意識がある為、パンダさんの感覚が理解できなかっただけかもしれません。

 政治的な見解や宗教的信念についてあそこの文章で共感を求めていたつもりは
 全然なくて、単に「目の付け所」に特徴があるな、と思ったことを書きました。
 このあたりの受け止め方の違いも、一体何なんだろうと興味があります。

>それは、私が社会科学系の学問を専攻する学生でして、「政治の問題については論理的に考えなければならない」という意識が、常日頃の教育を通して無意識に刷り込まれているからだと思います。

 なるほど。
 政治を学問としてやるにはそういう客観的な視点は欠かせないということですね?
 それはそれとして分かる気はしますが、ただやっぱりあそこで私が書きたかったことは
 「目の付け所」の特徴についてだったので、ちょっと議論が噛み合ってないかも。
 
>私は、「人は最終的には自分にしか立脚してものを考えることはできない。」と考えており、私自身、エゴイストだと思います。(だから、「エゴ」とか「リヴァイアサン」という言葉を使ってみました。)

 人が自分の見方を離れることが出来ない、ということ自体はその通りだと思います。
 ただ、エゴイスト、という言葉は、多分「自分の利害しか考えない」ということだと
 思うので、たとえ自分の見方からでも「相手のことを考えられる」ひとであれば、
 エゴイストとは言えないのではないかと思いますが、如何でしょう?
 もちろん「結果として相手のためにはならなかった」ということはいくらでもありますが、
 「意図して相手を害しようとした」というのとはやっぱり違うと思うんです。
 たとえば、本当のエゴイストなら

>私はエゴイストですから、私に問題があれば、遠慮なく指摘して下さいね。

 というようなことは仰らないと思うんですけれど。

>定型なりの思いやりや優しさって、真実なんですかね。

 これ、難しい問いだと思うんですが、名無しさんの考えられる「真実」というのは
 どういうことを言われているんでしょう?

>思いやりや優しさの裏側に、いろんな人々の感情がないがしろにされることもあるんだってこと、少しだけ書いておきたかった。

 これは私なりによくわかりますし、記事でもたびたびそのことを問題として
 書いてきたつもりです。アスペ定型間の問題って、そこから生まれているものが
 すごく多いですよね。

>だって、私は、自分のものの見方でしか、人に優しくすることができない、エゴイストだからさ。

 やっぱり「自分のものの見方で人に優しくしないで自分の利益ばかり考える」ひとがエゴイストで、名無しさんのような方は、人をすごく気にされているわけですから、エゴイストとは言えないんじゃないかという気がするんですが……

誤解があるようなので一点補足ですが、
すみません、暴露しますと私はアスペルガー当事者です。
パートナーの訴えが、色々あり、ようやく少し、わかりかけている気がする当事者です。
ひねくれたコミュニケーションをとりすみません。

空気さん

 空気さんがアスペルガー当事者だというお話し、良い意味で(?というのも変化もしれませんが)びっくりしました。ということは、

「このような分析はパンダさんのいわんとしていることもはそれますのでさておき、「相手への共感的反応」よりも「自分独自の論理の主張」をするのが、アスペルガーの特徴であり定型の苦しめられる部分なのではないかと私は感じています。背景にどんな思想心情があるか、理性的か感情的かとかいう話ではなく、常に言動が自分目線だということ。思いやりの効用だとかコトバでくくりコトバで表すと必ず洩れが生じますが、要は、相手が言わんとすることがわかるかどうか。いまこの話題で議論したいのか会話したいのか、アスペルガーの方にはわかってもらい難い。それが、辛いのですよ。」

 というふうに書かれたことは、アスペの方として、定型の感じ方を想像して書かれたということですよね?

 なんかすごい! 考えさせられます。

パンダさん

>定型の感じ方を想像して書かれたということですよね?
そんなはずがありません(苦笑
パートナーから渡される手紙やメモに何十回と書かれたことを、書いてみたまでです。

空気さん

>そんなはずがありません(苦笑 パートナーから渡される手紙やメモに何十回と書かれたことを、書いてみたまでです。

 あ、そうなんですか……
 「自分がそういう状態に置かれたら、そう感じるのも無理はないなあ」
 というような理解の仕方って、私はぼちぼちやるんですが、
 そういうことはない、ということなんでしょうか。
 よく「相手の身になって考えてみる」と言われるやりかたのことだと思いますが。

 なんか、「全然無い」ということはないんじゃないかと
 勝手に思っているんですけど……

私用で忙しく、返事が遅くなりました。

>政治的な見解や宗教的信念についてあそこの文章で共感を求めていたつもりは全然なくて、単に「目の付け所」に特徴があるな、と思ったことを書きました。

おそらく、私はそれを特徴だとは思わないのだと思います。
あるいは、それを特徴だと思ってしまうと、相手にレッテルを貼ることにつながる恐れを感じます。だから、自分の頭で考えても分からないことはあえて有耶無耶のままにして、特徴だとは思わないようにしておく…みたいな。

この辺りは、もう個人の感性の違いだろうと思うので、「なぜ私とパンダさんとの間にズレが生じたのか」という説明は、私は論理的には上手く説明できません。

>政治を学問としてやるにはそういう客観的な視点は欠かせないということですね?
それはそれとして分かる気はしますが、ただやっぱりあそこで私が書きたかったことは「目の付け所」の特徴についてだったので、ちょっと議論が噛み合ってないかも。

議論が噛み合わなかった理由として、私が「政治に対する考え方は客観的である方が世の中を良くする」という考え故に、過敏になっていた点はあると思います。

それと、私はおそらく、パートナーとしてではなく、社会問題としてコミュニケーションの問題を考えているのでしょう。

だから、「生身のパートナーと接した時の自分の実感を書く」というパンダさんの心境はよく分からなかった。実際、私にはアスペのパートナーはいませんし、ブログを書くことも無いから。

そして、「理由はどうあれ、このような記事の書き方は、アスペの人々に対するステレオタイプを生むのではないか」という考えが、私にはあった。

そう思った理由は、おそらく、パンダさんの文章を読んだ私は、話の論理が飛躍したように感じたのでしょう。話の論理が飛躍する理由は、書き手が自分の感情にこだわっているからだと考えた。

>ただ、エゴイスト、という言葉は、多分「自分の利害しか考えない」ということだと思うので、たとえ自分の見方からでも「相手のことを考えられる」ひとであれば、エゴイストとは言えないのではないかと思いますが、如何でしょう?もちろん「結果として相手のためにはならなかった」ということはいくらでもありますが、「意図して相手を害しようとした」というのとはやっぱり違うと思うんです。

なるほど。
ただね…私が昔いたところでは、「結果として相手のためにはならなかった=私に優しくしてくれなかった」という解釈をする定型の人達が多かったような…。

とにかく、他人の立場(〇〇という立場だから、本音ではなく建前によるコミュニケーションを使うしかない、とか)を考えないわりには、自業自得なわりには、慰めを求める人達が多くてですね。

私は、真面目にそういう人達の相手をするのに、疲れたんですよ。
利用されていると感じることも多かったですね。
だから、私はドライな人になりましたし、ドライな人の方が好きになりました。

ちなみに、自分の利益を計算していても、長期的視野を持つ人であれば、結果的に利他的な行動を選択するに至る人もいます。

>私はエゴイストですから、私に問題があれば、遠慮なく指摘して下さいね。

エゴイストであるという自覚を持つことは、悪いことではないと思います。

しかし、性の悪いエゴイストもいると思います。
「自分のものの見方で人に優しくしている癖に、その欺瞞に気づこうとしない」人が、それだと思います。

>名無しさんのような方は、人をすごく気にされている

いえいえ、「人をすごく気にされている」のではなく、「パンダさんを気遣う」立場に立たされただけですよ。
私が二度目の投稿をしようとした時、スパム防止機能がつけられていましたよね。

「あえてはっきり書かなかったのは、私は夫婦を持った経験も、障がいに関わった経験も少ないので、自分の意見をはっきり書くことが、パンダさんをかえって傷つけたり、感情的にさせたりするのではないかと考えたからです。パンダさんがウェットなタイプの人だろうということは、印象で分かりましたので、ドライな私は、あえてはっきり書くことに不安を覚えたのです。」←これ、全部社交辞令。不安は一切感じなかった。私が言う「社交辞令」には、情緒は一切入っていません。

パンダさんに対するイメージと、帆掛け船さんとの論争の記録と、スパム防止機能をつけられたことと、私の一回目の投稿からのコメントの流れ…

以上を考慮して、「ここで私が自分の考えを書くには、『パンダさんの気持ちに寄り添うフリ』でもしておかないと、私は帆掛け船さんやその仲間達みたいに、ここから出て行かざるを得ない空気になるだろうな」と考えました。

だから、「柔らかい武器」、すなわち、愛嬌(社交辞令)を使った。

それに、私は気遣いをした訳ではなくて、議論を行う上での礼儀を守っただけです。
自分の主義に従っただけですよ。実は、それを「気遣いをした」と思われる方が、少し腹が立つんです。なぜなら、「言いたいことをぐっとこらえて、意見も性格も異なる相手に対して、品のない行動をするのは慎んだ」という意識の方が、強いですから。

>名無しさんの考えられる「真実」というのはどういうことを言われているんでしょう?

「定型なりの優しさや思いやりの価値を信じたが故に、自分自身が裏切られる経験をしたとして、それでも、その定型なりの優しさや思いやりの価値を肯定するだけの覚悟がありますか。『自分は傷つけられても気にしない』と、アスペだけではなく定型の人に対しても誓える覚悟、他人に慰めを求めないだけの心の余裕がありますか。」
…ということです。

父親の自覚があれば、妻からの愛情表現云々以上に、娘の成長の為にどう家族を続けていくかを考えるものだと思います。
ACなのかは知りませんが、ACのような親に育てられた私としては、ACや自分の母親との問題を出すこと自体が、「甘え」に見えます。

パンダさんの娘さんが、通訳をやらされる立場にあって、少し不憫になっただけです。
親の顔色を伺っていないと良いな、って。

>「自分のものの見方で人に優しくしないで自分の利益ばかり考える」ひとがエゴイストで、名無しさんのような方は、人をすごく気にされているわけですから、エゴイストとは言えないんじゃないかという気がするんですが……

…「自分のものの見方で人に優しくしないで自分の利益ばかり考える」人がエゴイスト、とは思いません。「自分のものの見方で」か否かを決めるのは、結局は、個人の主観に拠るでしょう?

私は、全ての人間がエゴイストであると思うし、それを自覚して行動する人の方が清々しくて好きです。自分がエゴイストであるという自覚があれば、自分を律することもできるし、相手がエゴイストであることも許せますから。それが、私が考える個人主義の在り方です。

人をすごく気にしていても、それが相手にとってお節介以外の何物でもなければ、その人は自覚が無いエゴイストだと思います。
「傷つきやすい人」や「思いやりを重視する人」は、確かにいるし、その人達が間違っているとは思いませんが…。その「傷つきやすい人」や「思いやりを重視する人」は、その性質故に、相手に気遣いをさせるような雰囲気や立場を生んでしまうこともあると思います。

ちなみに、私の文章を読んで、私が怒っていると思われるかもしれませんが、怒っていません。今までが「本音2割:建前8割」だったとしたら、今が「本音7割:建前3割」になっただけです。
それと、返事は書かないで下さい。
正直、忙しいので、書かれても返事できないですから。お互い、手間は取らないようにしましょう。

紅茶さん

 これはお返事ではなくて、単に紅茶さんの文章を読んで自分なりに感じたり考えたりしたことを書いているだけ、と理解して下さって結構です。もちろん、お読みいただかなくても、読んでもお返事を下さらなくてもまったく構いません。ただ、ひとつだけ、ここだけは読んでいただきたいのは、スパム防止機能云々のことです。

 このコメントを送信すると、場合によってスパム投稿を防止するために、文字入力を要求されることがありますが、これは私の方では全然かかわっていなくて、ココログの方で勝手に設定しています。多分ある程度の長さだったり、なんらかの言葉が入っていたりするとそういう扱いを自動的にするようになっているのだと思います。私もときどきやられます。

 ということで、紅茶さんの投稿に対して何か特別の対応をしたと誤解なさったようですが、そういうことはありませんので、そこは誤解を解いていただけると幸いです。

>ただね…私が昔いたところでは、「結果として相手のためにはならなかった=私に優しくしてくれなかった」という解釈をする定型の人達が多かったような…。

 これはこれまで記事の中でも繰り返し書いてきたと思うのですが、やっぱり自分の基準で人は判断してしまうし、しかも定型同士だとそれが普通に通用すると感じられている場合には自分の基準を疑えなくなってしまいやすいので、そういうことが頻繁に起こるのだと思います。私も自分の判断基準でパートナーを判断しないようになるのが大変でしたし、今もできるだけそうならないようにと努力していますが、ほんとに難しいことです。

 もちろん逆も言えて、アスペの方の判断の仕方にびっくりすることがしばしばあるのも事実です。このことも繰り返し書いてきましたけれど。その点はもうあえてここで繰り返されなくても、お互いに前提に議論をしてもいいのではないかと思っています。

>とにかく、他人の立場(〇〇という立場だから、本音ではなく建前によるコミュニケーションを使うしかない、とか)を考えないわりには、自業自得なわりには、慰めを求める人達が多くてですね。

 はい。それも前提かと。

>私は、真面目にそういう人達の相手をするのに、疲れたんですよ。
利用されていると感じることも多かったですね。
だから、私はドライな人になりましたし、ドライな人の方が好きになりました。

 私なりにその紅茶さんのような体験に基づく気持ちの持ち方の変化はとても自然で、当然のことと感じます。もちろん全ての人がそうなるとは思いませんが、そうなる方がいることに不思議は感じません。

>ちなみに、自分の利益を計算していても、長期的視野を持つ人であれば、結果的に利他的な行動を選択するに至る人もいます。

 短期的には損をするようだけど、助け合うことが、結局長期的にはお互いの利益になる、という話もぼちぼち聞きますよね。

>エゴイストであるという自覚を持つことは、悪いことではないと思います。しかし、性の悪いエゴイストもいると思います。「自分のものの見方で人に優しくしている癖に、その欺瞞に気づこうとしない」人が、それだと思います。

 これは「小さな親切大きなお世話」とか、「地獄への道は善意で踏み固められている」
 とか、そんな話にもつながることですよね。これも私なりによく分かります。
 善意が自己満足になってしまう危険性はいつもあって、場合によってはその善意こそが
 激しく人を傷つける結果を生むことだって珍しくありません。
 私も一応そのことは前提にした上で、なおかつ、「お互いのためになる道を探そう」
 という意味での「善意」は模索し続けたいと思うんですね。

>いえいえ、「人をすごく気にされている」のではなく、「パンダさんを気遣う」立場に立たされただけですよ。私が二度目の投稿をしようとした時、スパム防止機能がつけられていましたよね。

 これは上記の通りです。

>「あえてはっきり書かなかったのは、私は夫婦を持った経験も、障がいに関わった経験も少ないので、自分の意見をはっきり書くことが、パンダさんをかえって傷つけたり、感情的にさせたりするのではないかと考えたからです。パンダさんがウェットなタイプの人だろうということは、印象で分かりましたので、ドライな私は、あえてはっきり書くことに不安を覚えたのです。」←これ、全部社交辞令。不安は一切感じなかった。私が言う「社交辞令」には、情緒は一切入っていません。

 正直なところ、何がどう社交辞令なのか、よくわかりませんでした。気を遣われた、という意味でしょうか?仮にそうだとしても、何に気を遣って下さったのか、よく理解できないというのが実情です。なんか一体これがなんなのか、まだよくわかりませんが、すごくすれ違ってしまっていますよね?

>パンダさんに対するイメージと、帆掛け船さんとの論争の記録と、スパム防止機能をつけられたことと、私の一回目の投稿からのコメントの流れ…以上を考慮して、「ここで私が自分の考えを書くには、『パンダさんの気持ちに寄り添うフリ』でもしておかないと、私は帆掛け船さんやその仲間達みたいに、ここから出て行かざるを得ない空気になるだろうな」と考えました。だから、「柔らかい武器」、すなわち、愛嬌(社交辞令)を使った。

 うーん、ここもよく理解できませんでした。なぜ紅茶さんが出て行かなければならないのか?何かそういうことをお書きになっていたでしょうか?ちょっと思いつきません。

>それに、私は気遣いをした訳ではなくて、議論を行う上での礼儀を守っただけです。
自分の主義に従っただけですよ。実は、それを「気遣いをした」と思われる方が、少し腹が立つんです。なぜなら、「言いたいことをぐっとこらえて、意見も性格も異なる相手に対して、品のない行動をするのは慎んだ」という意識の方が、強いですから。

 言いたいことをこらえられることが議論を行う上での礼儀だとは私は思いません。ただ、相手の人格を否定したり、一方的な決めつけをしたり、相手を揶揄するばかりになったり、もちろん意図的に相手を傷つけるようなことをしたり、そういう生産性のないことはしないで、ちゃんと中身で議論ができれば、それでいいと思います。そういうことが品のある行動ではないでしょうか。

>「定型なりの優しさや思いやりの価値を信じたが故に、自分自身が裏切られる経験をしたとして、それでも、その定型なりの優しさや思いやりの価値を肯定するだけの覚悟がありますか。『自分は傷つけられても気にしない』と、アスペだけではなく定型の人に対しても誓える覚悟、他人に慰めを求めないだけの心の余裕がありますか。」
…ということです。

 それは定型にもアスペにもどちらにも言えることですよね?
 そしてどちらにとってもとても難しいことだと言うことは、このブログの「炎上」でも
 よく見られたことのように思います。それはほんとに難しいことです。
 ただ、私の記事をお読みになっていただければ繰り返し書かれていると思いますが、
 そういう姿勢で臨もうとし続けてきてはいます。
 それが実際どこまで有効にできているかどうかはもちろん問題があるにしても、
 努力を続けていることは私はそう思っています。
 ですから、改めてこうお書きになられることの意味がよくわかりません。

>父親の自覚があれば、妻からの愛情表現云々以上に、娘の成長の為にどう家族を続けていくかを考えるものだと思います。ACなのかは知りませんが、ACのような親に育てられた私としては、ACや自分の母親との問題を出すこと自体が、「甘え」に見えます。

 「ACなのかは知りませんが」と書かれているのは、誰のことでしょうか?紅茶さんの親御さんのこと?それとも私の親でしょうか?あるいは私のこと?ちょっと紅茶さんのご家庭の問題とここでのやりとりの問題が混在していて、うまく理解しきれませんでした。

>パンダさんの娘さんが、通訳をやらされる立場にあって、少し不憫になっただけです。
親の顔色を伺っていないと良いな、って。

 多分それは紅茶さんの考えすぎだろうと思います。子どもは時に通訳をしてくれますが、やらされているという感じはまったくありません。ときどきサジェスチョンをもらって私はの方がいつも感謝していますし、子どもも私とそういう話をして「ああそうだよね」と共感し合えることを喜んでいますし、子どもが私の顔色を伺う様子は感じられません。ちょっと意外なご意見で、どこからそういう判断をされたのか、とても不思議に思いました。

>私は、全ての人間がエゴイストであると思うし、それを自覚して行動する人の方が清々しくて好きです。自分がエゴイストであるという自覚があれば、自分を律することもできるし、相手がエゴイストであることも許せますから。それが、私が考える個人主義の在り方です。

 これは理屈の話になりますけれど、全ての人がエゴイストだということは、
 全てのひとはエゴイストではない、ということと同じですよね?たぶん。

 紅茶さんが強調されたいのは、要するに「あなたのためにやってることだ」
 と言いながら、全然自分の為にはならないことを平気で押しつけてきて、
 しかも自分がそういうことをしていることにまったく無頓着でいる、
 そういう「自分のエゴに無自覚な人」のことなのかなと理解してみています。
 そうならないためには自分がエゴイストであることを自覚するしかない。
 自覚することでギリギリエゴイストのえぐさが押さえられるのだ、
 そんな感じのご意見ではないでしょうか。

 もしそうなら、それは私なりによく分かります。
 ただ、正直なところ、その次のステップが大事になっているのではないかと
 私は感じています。

>人をすごく気にしていても、それが相手にとってお節介以外の何物でもなければ、その人は自覚が無いエゴイストだと思います。

 ここは私の上の理解でよいようですね?

>「傷つきやすい人」や「思いやりを重視する人」は、確かにいるし、その人達が間違っているとは思いませんが…。その「傷つきやすい人」や「思いやりを重視する人」は、その性質故に、相手に気遣いをさせるような雰囲気や立場を生んでしまうこともあると思います。

 定型的な気遣いの仕方は、アスペの方にはかなり理解しにくい性格のものらしいですし、結局その気遣いの仕方がアスペの方には気遣いの意味を持てていない、ということも私自身いやというほどパートナーとの関係で感じています。そういう定型的な気遣いの世界で生きなければならない状況に置かれた場合、上に書かれているような感覚を紅茶さんが持たれたとしても、それは当然かなと私には思えます。いいとか悪いとか、そういう問題ではなくて、そうなってしまう、という現実はありますよね。

>ちなみに、私の文章を読んで、私が怒っていると思われるかもしれませんが、怒っていません。今までが「本音2割:建前8割」だったとしたら、今が「本音7割:建前3割」になっただけです。

 実際に怒っていらっしゃるのかどうか、私にはよくわかりませんが、「正直、忙しいので」と書かれている所などは、ある種の「いらだち」を感じられているのかなとは思いました。その「いらだち」が何によるものなのかは、やっぱりよくわからないままなのですが。冷静に問題を議論し合うのであれば、とくに断らなければならないことでも無いと思いますし、私の方は紅茶さんの「問題提起?」に私なりの感想を書かせていただいているだけですので、なにか御都合などがおありでしたら、無理にやりとりしなければならない性質の物でもありませんよね。もちろん、紅茶さんにも意味があることでしたら、私の方はやりとりから学ばせていただくことはいろいろあるので、いつでも歓迎ですが。

 

 

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