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アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年10月 9日 (水)

相手の身になる

 ちょっと仕事が立て込んでしまいました。それだけ仕事が出来るようになったと言うことは、だいぶ体調も戻りつつあるようです。服薬も最小限になっていますし、このまま順調にいけばいいですが (^o^)

 それにしても、私のパートナーは定型社会の中で色々と大変さを抱えながらも、ほんとに地道に確実に生きているなあと、最近ときどき思います。自分がもし彼女のような立場になったら、どこまでそんな風に地道に生きていけるだろうか、と考えると、まあ自分のような性格では到底無理だろうなと思います。

 以前はそういう彼女の地道な生き方が、すごく「固い」ように、あるいはほんとに融通が利かないように感じられて、息苦しさを感じたりもしていました。彼女の側も私の生き方が理解できなかったわけですから、彼女にとって「普通」なことを特別な意識もなく私に要求されることがしばしばあって、私はただでさえ我が儘な方ですから、それにものすごく反発していたんですね。彼女からすればなんでそんな「当たり前」のことに反発されるのか、全く理解できなかったでしょう。

 その(私の感覚からすれば)強烈な「固さ」を彼女は子育てにも発揮するわけですから、私の感覚からすれば、子どもがものすごく縛られて可哀想でした。「なんでそんなことまで子どもを支配しなければならないのか」と思って、ほんとに私の方が見ていてしんどかったけど、でもそれをいくら説明しても絶対に伝わらなかったし、言えば言うほど逆効果の感じもあった。逆に彼女はとにかく自分の子育てを理不尽に否定され続けるという被害者感情しか持てなかっただろうと思います。

 とにかくお互いに全く感覚がどうしようもなくちがうんだ、という理解を共有してからかれこれ2年余りになりますが、お互いに違いは違いとして理解しようという姿勢がだんだんと深まって行くにつれて、今までとは違った形で相手を受け止めたり、受け入れたりすることができてきているんだという気がします。ほんとに一歩一歩手探りで来ていますけれど。

 私の側から言うと、「違い」の理解がある程度進んできたところで、今は「もし自分が彼女のような状況に置かれたとしたらどうなっただろう?」という想像をしてみるようになり始めているみたいです。いわゆる「相手の身になってみる」ということなんでしょうけれど、アスペ定型の場合、あまりにお互いに違いすぎるので、はたしてどうやったら「相手の身になれる」のかもほんとにむつかしいことです。だいたいが「相手の身になる」という発想自体、定型的とも言えるでしょうし。

 私自身、何で最近「相手の身になる」ことをし始めているのか、今までの自分と何が変わったのか、言葉に出来るかと言えば、少なくとも今は無理そうです。そのうち何かの説明の仕方が思いつくかもしれませんが、とにかく今はまだわかりそうにない。ただ事実として自分がそうなってきているところがあるなあと感じるに留まりますね。

 彼女の方が私の身になって考える、というようなことをするだろうかと考えると、それもまた難しそうです。なにしろ「他人のことが分かるわけがない」というのが彼女の固い信念なのですから。そういう意味では、今の状態は「お互いに相手の身になってみる」ということとは少し違うんでしょうね。でも彼女も以前の彼女ではなくなってきているようには感じるし、お互いに変化しつつある。私の方は今は「彼女の身になってみる」ということばで表せるような変化が起こりつつあるわけですが、彼女はまたそれとは違った変化なのでしょう。そういう意味では「違う変化の仕方」をしているんでしょうが、でも全然すれ違ってしまっているとは感じません。そこがちょっと興味深いところです。なんなんでしょう?

 

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