いらぬお世話
私のパートナーは、以前時々「お金がどこかから降ってこないかなあ」というようなことを言っていました。そのほかの表現もいくつかあったと思いますが、聞いている私としては家の家計はそんなに危機的な状態にあるのか、と不安な気持ちになり、「もっと稼いでもらわないと困る」と要求され続けているような心地になったんですね。ただ、少なくともその頃の収入はとても豊かとは言えないかもしれないけれど、でもまあ人並みかそれ以上くらいではあったので、どうしてそんなに切羽詰まった感じで稼げと要求されるのかがよく分かりませんでした。彼女が「お金の亡者」であるとはとても思えなかったし、ただよく訳の分からない彼女の不安をそんな形でぶつけられているのかなと理解してみたり、ほんとに分からなかったんです。
ところが今日子どもと話をしていて、いやあ子どもはすごいなあと思ったんですが、私が「要求された」と理解していた彼女の発言は、全然そういう意味はないんだと解説されたんです。定型的に考えると、近しい相手の人が何か辛そうにしていたり、そういうことを話したりすれば、何か自分に出来ることがあれば手助けをしてあげたい、と思う人が多いでしょうし、当然その前提として、そういう表情やことばは「助けを求めているサイン」と理解することになります。
でも子どもは、お母さんはただそのとき自分が感じたことを素直にそのまま言っているだけだ、と言うんですね。全然助けを求めているとか、そういうことではなくて。私も最近は「不思議なため息」のところでもちょっと考え始めてみたように、そういうことなのかなあと想像はし始めていたんですが、子どもはもうあっさりと「そういうものだ」と理解していました。
言われて考えてみれば、パートナーとの間でのやりとりで、こちらは「要求された」と思っていたのに、「なんでそう受け取るのか」ということを彼女は不思議に感じているようなことはやっぱり何度かあったんです。で、彼女に言わせると「してほしいことがあるときはそう言う」という訳です。
ああそうか!そういう形のコミュニケーションのズレって、定型アスペ間ではいちばんよく起こるズレのパターンなんですよね!なんでこんなに単純なそのことに今まで気づかなかったんだろう?
つまり、よくアスペの方達の特徴として、「ことばをそのまま受け取って、その先を読んでくれない」ということが言われますよね。定型から見るとそう感じられる。たとえば「暑いねえ」と定型が言うときには「クーラーつけようか」とか「窓を開けない?」とか、その先のことばを省略していることが良くあるわけですが、パートナーの場合もそこは「暑くない」とか「暑い」とか、そのことばだけについてのやりとりに終わって、その先には進まないことが多い。
それを逆に考えてみたらいいんじゃないでしょうか。要するに彼女の方が「暑いねえ」と言ったとしても、それはほんとに単に「暑いと感じた」という「事実」を述べているだけで、私に対して「クーラーつけてよ」とか、そのことば以外のことを「要求」していることにはならない。だからこちらがもし「あ、これは要求されているんだ」と感じてそれに応えようとすると、「なんで頼みもしないのにそんなことをするのか、訳が分からない」という受け止め方をされたりする。
こちらは彼女のことばを聞いて、手助けを求められていると(定型的感覚で)受け止めて、彼女のために一生懸命気を遣っているつもりが、下手をすると「いらないお世話を勝手にされている」という受け止め方をされかねないわけです(そう言えば実際それに近いことを言われてすごく傷ついたこともありました)。
でも上のように考えてみれば、彼女は彼女なりに一貫しているわけですよね。ある意味筋は通っている。こちらのことばもことばで言われたこと以上にその先を読むことはしないし、逆に彼女の方もことばで自分から要求しない限りは、自分が何を言っても別に相手にその先を「配慮」してほしいとは思っていない訳です。うーん、そうかあ。そう考えるとちょっとは分かる気がするなあ。
もしかするとこんな単純な話なのに、定型的なややこしい「配慮」や「思い遣り」の世界に生きている私は、どうしてもその定型的なやりかたで彼女のことばや表情を理解してしまって、なんだかずれたコミュニケーションになっちゃうんですね。
子どもがすごいなと思うのは、さすがに赤ん坊の頃からそういうパートナーに育てられてきたので、もう肌でその感覚の違いを理解しちゃっているみたいだということです。だから私と同じ定型でもそのへんはすんなりと分かってしまうのでしょう。私が訳が分からない思いをずっと続けてきてようやく今ちょっと判りかけたかもしれないことを、すっと理解できちゃう。
うーん、なんかこんな風に考えてみると、他にも同じような感じでとんちんかんなすれ違いがいろいろあるんじゃないかという気がしてきました。
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コメント
この記事へのコメントは終了しました。
アスペルガールです。
いつも役立つブログをありがとうございます!
---以下引用-----------------------
>聞いている私としては家の家計はそんなに危機的な状態にあるのか、
>と不安な気持ちになり、「もっと稼いでもらわないと困る」と
>要求され続けているような心地になったんですね。
----------------------------------
これは、とても、よく理解できたような気がします。
パンダさんに家系に対する『責任感』がある為だと感じました。
少し違うかもしれませんが、この本に同様の内容があった様な気がします。
http://astore.amazon.co.jp/trendmental-22/detail/4584186170
基本的には女性に向けて書かれた本ですが、
パンダさんの所は、少し、逆転してる部分もあるので、、、。
おそらく、ここらへんは、男女のすれ違いかもとか思いました。
投稿: アスペルガール | 2013年11月26日 (火) 01時49分
アスペルガールさん
>これは、とても、よく理解できたような気がします。
お、それは嬉しいです。
>パンダさんに家系に対する『責任感』がある為だと感じました。
そうなんでしょうか。自分ではよく分かりません (^ ^;)ゞ
ただ、彼女が辛そうにしていたりすると、
自分がなんとかしなければならない、と思う傾向は強いです。
彼女に対してだけではありませんけれど。
>基本的には女性に向けて書かれた本ですが、
パンダさんの所は、少し、逆転してる部分もあるので、、、。
逆転というのは、パートナーが男性的で
私が女性的という感じでしょうか?
顔はおよそ女性的にほど遠いんですが (^ ^;)ゞ
たしかに「気を遣う方だ」と言われることはあるかもしれません。
それが女性的なことなのかどうかはよく分かりませんが。
>おそらく、ここらへんは、男女のすれ違いかもとか思いました。
うーんと、逆転していると言うことは
私が女性的で、彼女が男性的で、そこですれ違っている、
という感じでしょうか?
投稿: パンダ | 2013年11月27日 (水) 18時17分
コメント返信ありがとうございます。
なかなか素敵な感じに真理に迫ってきている感じがして嬉しいです。
私の母って、恐らくアスぺなんですよね。
私がアスぺなのでなく、彼女の育てられたから、コミュニケーション能力に、
欠陥があるのかもと思わされるくらいにそうなんです。
で、私の父の口癖は、こんな感じで、
「あいつ(母)は、いつもムスっとしている、」
「たまにはニコっと出来ないのかな」
で、私の父が抱き着こうとすると母は悲鳴を上げていました( ´艸`)プププ
抱き着こうとする行為に悲鳴をあげるのは、
嫌っているわけでなく、母が、極度の『こそばがり』だからだったんですが、
私だって、そんなの分からない訳で、ずっと、嫌っていると思っていました。
これがきっとアスぺ的感覚過敏ってやつですよね。
※因みに私はスキンシップ大好き
そして、私の両親は、男女の役割が逆転しているように感じるんですよね。
家事がどうとか
どちらが稼ぐのか
とかではないのですが、
一般的に、女性って、『共感』を夫に欲しがって、
よりコミュニケーションを促すのも女性だったりします。
結婚している女性の一番の悩みは、
『夫が私の話を聞いてくれないこと』だとかも聞きます。
で、私の父は母に色々話して話して話して、
言ってほしい言葉は、『そうだよね、わかる、わかる、頑張ってるもんね』
だろうなぁと娘(私)としては思ったりしてるんですよね。
こんな風に、私には、そういった家族背景があり、
パンダさんの所も似ているのかなぁと思い、
女性と男性が逆転しているのかなぁと思いました。
すれ違っているわけではなく、
『共感』をほしがるのは、一般的には女性であるのに、
女性側に少なすぎるため、男性側が欲するようになっている状態なんだなぁって。
違っていたらスイマセン!
投稿: アスペルガール | 2013年11月28日 (木) 07時22分
アスペルガールさん
お父さんの話は身につまされます……
それにしてもアスペルガールさんはスキンシップ大好きなんですね!
アスペの方と言ってもほんとに様々なんだなと改めて思います。
>『共感』をほしがるのは、一般的には女性であるのに、
女性側に少なすぎるため、男性側が欲するようになっている状態なんだなぁって。
なるほど……。
少し私の考えを入れるとすれば、男性でも共感を求める気持ちは変わらないと思います。ただ、それを余り強く「表現しない」傾向があるかもしれません。そしてそういう気持ちがあるから、パートナーがほとんどそれに応えてくれない場合は、欲求不満がどんどんふくらんで、より強く「表現する」ようになるのかも。
あ、もちろん、定型男性でもその辺は個人差はありそうですが、一般的には。
投稿: パンダ | 2013年11月28日 (木) 12時08分
ご返信ありがとうございます。
---以下引用-----------------------
>男性でも共感を求める気持ちは変わらないと思います。
>ただ、それを余り強く「表現しない」傾向があるかもしれません。
----------------------------------
あ、そうだ、そうですね。
というよりも、女性よりも、必要なのかもしれませんね。
普段は表にださない出さない分、
パートナーにだけは与えてもらいたいと思うのかしら。
外と内では、
アニマとアニムスは逆転する傾向にありますもんね
投稿: アスペルガール | 2013年11月28日 (木) 20時08分
アスペルガールさん
>女性よりも、必要なのかもしれませんね。普段は表にださない出さない分、パートナーにだけは与えてもらいたいと思うのかしら。
うーん、そこ、なんか重要なところですよね、きっと。
特に日本人の男性がその傾向が強いのかもしれませんけれど、
やっぱり「女性に甘えたい」という気持ちは結構あるんじゃないでしょうか。
普段「つっぱっている」分だけ余分に。
私のそういう部分についてなのかもしれませんが、
パートナーには何度か「子どものようだ」と言われたことがあります (^ ^;)ゞ
ま、私の方から言い訳をすれば、私が一方的に甘えたい訳じゃなくて、
彼女にも甘えて欲しかったりするわけです。
お互いに甘える部分があってもいいし、というか、
それが親しい関係というものじゃないかという気がするんですが、
やっぱりその辺の感覚がなかなか共有されない感じがします。
そういうところで「寂しさ」を感じる定型は男女に拘わらず
多いんじゃないかなと思うんですね。
ここはなかなか「解決」の方法が思いつかないところの一つです。
今考えられるのは定型の側が「我慢する」か「あきらめる」かの
どっちかだけです。
アニマとアニムス、聞いたことがある程度で、
詳しくは分かりません (^ ^;)ゞ
男女の二面性が場面で入れ替わって出てくる、
みたいな話でしょうか
投稿: パンダ | 2013年11月28日 (木) 23時36分
ご返信ありがとうございました。
---以下引用-----------------------
>パートナーには何度か「子どものようだ」と
>言われたことがあります (^ ^;)ゞ
----------------------------------
これは・・・彼女が『知らない』だけのような気もしています。
必要だと知らないということです。
ただ、必要だと承知の上で結婚した場合と、
承知せず結婚した場合とでは問題が違うと思うのです。
承知であれば結婚しなかった可能性が出てきてしまうから。
方法が分かっても、受け入れるか受け入れないか、は彼女の次第ですよね。
で、この、男性の甘えたい欲求を、私は最近まで知りませんでした。
知らなかった原因は恐らく4点で、
1)育った家庭になかった概念だったから
2)色々と我慢してでも一緒に居たいと思ってくれる男性としか関わらなかったから
3)女友達は恐らく『当たり前』すぎて話題にしなかったし、
男性の名誉の問題もあるので、他言すべき内容ではないから
4)ドラマは上手く行った後のストーリーを描かないからサンプリング不可だった
私が、男性にも甘える行為が必要とを知れたきっかけは、
『僕は甘えたいんです!』という男性によるストレートな要望でもありました。
でも、これ、『甘えたい』だけ言われても、
サンプルが無いと模範出来ないんですよね。
人口知能に、甘えたい男性を、甘えさせてあげてね、とだけ入力しても、
動かないように、私も、動けないくなってしまうんですよね。
そして、この『甘え』は『依存』にも通じるところがありまして、
私としては表面的でない甘えを相手に表現するというのは恐くもありました。
恐いとは、自分への無価値感からくる「拒否される」という思い込みであり、
高所恐怖症の人がバンジージャンプにチャレンジするくらいの勇気が必要でした。
ただ、この恐い経験のない人が、受け受け取った場合、
1)僕を信頼していないんだ
2)僕のことなんて必要じゃないだ
となるんじゃないかなぁと思うのと、
私はこの2つのキーワード、よく言われました。
「いつになれば信頼してくれるんだよ」
「これ以上どうしろっていうんだよ」とか
今は、あぁこうゆうこと?と、わかる?感じもしますが、
今までは、「わーわー言ってるけどナニガイイタイノ」ってずっと分かりませんでした。
しかも、
「そんなに、わーわー言わなくちゃいけないなら別れたらいんじゃない?
私、人を傷つけてまで、誰かと居たいとは思わないし、
○○君だって、もっと、合う子と付き合った方が幸せなんじゃないの?」
とか、自分にとって大切な人にでもサラッと真顔で言えてしまうんですよね。
何故なら、自分を『無価値』だと思っていたから。
(私が何かを誰かに望むなんてオコガマシイくらいに思っていました)
聞いた方は「『やっぱり』僕のことなんて『そんなもの』だったんだ」となりまして、
こちらは、そんなものも何も、そんなものなら、
「私は敢えて話しかけようともしませんが」とか思ったり。
(ここが好意よりも注目にコミットしてることと繋がります)
パンダさんの、「定型の側が『我慢する』か『あきらめる』かのどっちかだけ」は、
色々、たくさん、考えて、至った結論なんだと思います。
私よりも、たくさん、悩まれた筈ですから。
アニマとアニムスについては、
人間というものは、男性性も女性性も両方を手にして、はじめて完成させる、
だから、外で男性的である場合には、
どこかで女性的になる・・・必要性があるらしい、と言いたかった~
(パンダさんの解釈で正解でしたっ)
投稿: アスペルガール | 2013年11月29日 (金) 14時44分
アスペルガールさん
>これは・・・彼女が『知らない』だけのような気もしています。
必要だと知らないということです。
最初の頃は多分そうだったんだろうと思います。
今はその辺も話をしていますから、知ってはいますけど、
でもやっぱりそれは彼女は感覚的になじまないんじゃないかな。
>で、この、男性の甘えたい欲求を、私は最近まで知りませんでした。
ああ、そうなんですか。うーん、やっぱりそうなんですね。
>私としては表面的でない甘えを相手に表現するというのは恐くもありました。恐いとは、自分への無価値感からくる「拒否される」という思い込みであり、高所恐怖症の人がバンジージャンプにチャレンジするくらいの勇気が必要でした。
こういう感じ方が、多分定型の多くの人にとっては、言われてみなければ
すぐには想像できないものの一つだろうと思います。
もう少し言えば、仮に言われたとしても、普通すぐにはぴんとこないかも。
私もこう書いていただいて、ようやくちょっと分かり始めたかな、という感じかな。
> 「そんなに、わーわー言わなくちゃいけないなら別れたらいんじゃない?私、人を傷つけてまで、誰かと居たいとは思わないし、○○君だって、もっと、合う子と付き合った方が幸せなんじゃないの?」とか、自分にとって大切な人にでもサラッと真顔で言えてしまうんですよね。何故なら、自分を『無価値』だと思っていたから。
ここも、「ああそうなんだ!」となんとなく納得すると同時に
「無価値」というところとか、なんか痛々しくも感じてしまいました。
>パンダさんの、「定型の側が『我慢する』か『あきらめる』かのどっちかだけ」は、色々、たくさん、考えて、至った結論なんだと思います。
まあ、今のところはそれしか思いつかない、ということですが、
私は結構しつこいので (^ ^;)ゞ、 なんか他にないものかと考え続けてはいます (^o^)
投稿: パンダ | 2013年11月29日 (金) 23時56分
アスペルガールです。
ご返信ありがとうございました~
---以下引用-----------------------
>仮に言われたとしても、普通すぐにはぴんとこないかも。
>私もこう書いていただいて、ようやくちょっと分かり始めたかな、
>という感じかな。
----------------------------------
えっと、例えばなのですが、
「死にたい」と思えることが元気な証拠だと言われたら理解に苦しみますか。
と質問すると、多くの人は、言いたいことが理解出来ないと思うんですよね。
じゃあ、「死にたい」の「死に」を隠すとどうでしょうか。
⇒「○○たい」となりますよね。
何が言いたいかというと、「死にたい」って「I want to ~」なんですよ。
ということを知って貰いたいくて、回りくどい説明をしました。
人って本当に落ちると、その感情すら消滅するんです。
私は頭の中に何もなく、
手も動かせない状態になったことがあります。
これは、私が17歳の時に体感した概念で、
極度の落ちから回復した後、
「あぁ、死にたいって思えていたのって、元気な証拠だったんだ」解釈しました。
こうゆう風に、体感しないと、
なかなか理解できない概念って存在するんだと思います。
もちろん、私も、「ふつうのこと」が理解出来ずに、
友人や恋人に辛い思いをさせてきたことも事実です。
理解を深めて頂くために、
別の例をあげてみます!
私が7年間過食症だったと書いたかと思いますが、
詳細を説明すると、ほぼ大豆のみで生活していたんですよね。
食事=大豆か葉系野菜
それ以外を口にした場合は胃から取り除くって感じです。
一般的には「冗談でしょ」と言われるレベルの話ですが、
事実ですし、初めは軽い気持ちだった依存対象ですが、
繰り返す内に、食べ物が怖くなっていたんです。
だから、完治して、ご飯を普通に食べれたときは、
本当に感動したし、普通に排泄が出来ることすらにも感動しました。
※下剤を常薬していたので。
でも、この感動って分かんないですよね。
一般的に普通だとされる、とても低い満足で満足してしまう感覚って、
体験しないと解りずらいのでしょう。
パンダさんの、彼女と自転車で一緒に通勤(でしたっけ)するのを、
嬉しく感じた感覚と似てますね。
今回は、「死にたい」と「普通に排泄できる感動」について書きましたが、
アスペルガーの人って、このくらいの痛さ(当事者だから言える表現)を、
抱えていることが多いのではと思いました。
私も最近になって「ことばにする」という作業を体得しましたが、
それまでは、端的な言葉しか、持ち合わせていませんでした。
その時の私の相手に対する説明は、こんな感じでした。
「死にたいと思えるのは元気な証拠ですからね」
「私、お米が食べれるようになったの」
これだけ聞いた人は、どう受け取った居たんだろうと想像すると、
うううんん、いやぁ、相手が分かんなくって当然だろうなと。
---以下引用-----------------------
>最初の頃は多分そうだったんだろうと思います。
>今はその辺も話をしていますから、知ってはいますけど、
>でもやっぱりそれは彼女は感覚的になじまないんじゃないかな。
----------------------------------
パンダさん、本当に頑張っておられるのですね。
その甲斐あって、間接的ではありますが、
私はとても助けられています
感覚的に馴染まないという表現は正しそうです!
---以下引用-----------------------
>私は結構しつこいので (^ ^;)ゞ、
>なんか他にないものかと考え続けてはいます (^o^)
----------------------------------
はい、応援しています~☆彡
投稿: アスペルガール | 2013年11月30日 (土) 01時38分
アスペルガールさん
>一般的に普通だとされる、とても低い満足で満足してしまう感覚って、体験しないと解りずらいのでしょう。
人はどうしても自分の物差しで判断してしまいますし、さらに定型の場合は
その物差しが「他の人とも一致しているかどうか」をとても気にして
ほとんど無意識的に他の人と調整していますから、
そうやって「これは普通だ」ということを感じるようになると、
なかなかそこを外れたことについては柔軟に理解できなくなってしまうんだと思います。
「死にたいと思える元気」にいついては、「鬱は回復するときが危ない」
という話がありますし、そういう話を聞いていれば、
少しは想像力が働くかもしれません。
ただ、たとえば鬱の時の「身体の芯に鉛が入ったようなしんどさ」とか、
「横になっていても地面に身体がのめり込んでいくような重たいだるさ」とか、
そういうの、体験されていない方がどこまで感覚的に理解できるかは
ちょっとわかりませんね。結構むつかしいかも。さらに
>私は頭の中に何もなく、手も動かせない状態になったことがあります。
という状態はさらに一段と深刻だと思うので、
普通の人にはなかなか想像力が追いつかないかもしれませんね。
ただ、ことばにして伝えられれば「へえ、そういうこともあるのか」
位は思えるようになるでしょうし、時間はかかるかもしれないけれど、
そのうちなんかの機会に「ああ、それってもしかするとこういうことかな」
と、少し想像が働き始めることも出てくるような気がします。
それと「とても低い満足で満足してしまう感覚」についてですが、
結局人はみんなそれぞれ自分の課題を背負って生きているわけですから、
その課題に応じた「満足」がその人にとって大事な「満足」なわけで、
それを人と比べて「低い満足」とか「高い満足」とか、
そんな風に考えても、あんまり意味はないのかもしれないですね。
それぞれの人がそれぞれ自分の人生を生きることが大事なんだとすれば。
ちょっとそんなことを考えました。
投稿: パンダ | 2013年11月30日 (土) 10時07分
こんにちは、アスペルガールです。
ご返信とブログ記事の更新頻度、
パンダさんってハイスピードですね。
---以下引用-----------------------
>結局人はみんなそれぞれ自分の課題を背負って生きているわけですから、
>その課題に応じた「満足」がその人にとって大事な「満足」なわけで、
>それを人と比べて「低い満足」とか「高い満足」とか、
>そんな風に考えても、あんまり意味はないのかもしれないですね。
>それぞれの人がそれぞれ自分の人生を生きることが大事なんだとすれば。
----------------------------------
Xファイルにてモルダーが(ネタ古い)、
「みんなそれぞれ課題を抱えている、そして、それぞれ解決しようと頑張っている」
と、感じている心理描写シーンを思い出しました。
大切なのは「他者意識」ですね。
パンダさんは、他者意識、とても上手です。
そうですね。これにより、この記事もまとまった感じがあります
ナイスまとめでした!
投稿: アスペルガール | 2013年11月30日 (土) 13時07分
アスペルガールさん
>大切なのは「他者意識」ですね。
パンダさんは、他者意識、とても上手です。
ありがとうございます m(_ _)m
……ところで実は「他者意識」って、もうちょっと意味がよくわかりませんでした (^ ^;)ゞ
どんなことでしょう?
投稿: パンダ | 2013年12月 1日 (日) 10時47分
ご返信ありがとうございます。
内容が「コミュニケーションのスタイル」と被るので、
こちらに詳細を書きました。
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-007c.html#comment-102798757
投稿: アスペルガール | 2013年12月 1日 (日) 12時28分