2017年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

掲示板最近の話題

フォト

アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

« クッションの使い方 | トップページ | 世の中の見え方の違い »

2013年10月30日 (水)

慰めの力

 パートナーと話をしていて、彼女は「(自分が重視しているのは)ことばより行動」と言っていました。もちろん定型の世界でも「相手の言葉ではなく、行いを見て判断しなさい」というようなことは言われることがありますけれど、その場合はベースに「言葉で判断しがち」ということがあって、あえて「行いに注目しなさい」ということを強調していると思います。それをわざわざ強調しなければならないくらい、「言葉で判断する」傾向が強いと言うことになります。でも彼女の場合は「ことばより行動」はとても普通のことで、私に対して自分を説明するという必要でもない限り、わざわざ言葉にして出す必要さえないということなのだと思います。

 そのこととつながって感じられるのが、慰めの言葉についての彼女の受け止め方です。いくら言葉で慰めても、実際に何かが解決されるのでなければ意味がない、という感覚が強いようです。言葉だけならなんとでも言えるし、逆に不誠実にも感じられるのでしょうか。

 これについても、定型ももちろん「あの人の言葉には実がない」というようなことを問題にしたり、「あの人は口先だけの人だ(だから信用できない)」という評価をすることもありますし、逆に(ちょっと古いですが、最近話題にもなった)高倉健のように「寡黙だけど行いは誠実」という人がすごく憧れられたりすることもあります。けれども前者については「言葉は実がなければいけない」という前提や「口先<だけ>ではいけない」という強調でもありますから、やっぱり言葉が重視されていることは確かだし、高倉健の話についてはそう言う人が少ないから逆に憧れられるんでしょう。(もっとも素顔の高倉健はすごく話し好きだそうですが (^o^) )

 そして実際、たとえ仮に言葉だけであったとしても、慰めがある程度気持ちを支えてくれる効果がある、ということは定型の人は多少なりとも実感することと思います。一緒に喜んでくれたり、悲しんでくれたり、怒ってくれたりすることが、それだけでも気持ちを支えてくれて、有り難く思えたりするんですが、この感覚がパートナーとは共有しづらいことのひとつのようです。「なんで実際の解決に結びつきもしないことがそんなに意味があるのか」ということを、彼女はいぶかしく思うらしい。

 この話はスキンシップのことにもつながってきますよね。定型は落ち込んでいる親しい相手に対しては、背中をさすってあげたり、手を握ってあげたり、抱いてあげたり、スキンシップをすることで相手を支えたい気持ちになるし、またそうされると(相手が嫌いとか、そういう場合は別としてですが)、とても慰められる気持ちになる。でもパートナーの場合はやっぱりその感覚は薄いか、あるいは逆効果だったりもするみたいです。全くないかどうかはちょっと私も言い切れませんけれど。

 つまり、定型の場合は実際に相手に触れるという形であっても、あるいは言葉という形であっても、慰めるということが一種の「薬」のように力を持つのに対して、パートナーにはそういう力があまり持てないようなのです。だから逆にそういう慰めはむしろ白々しい、誠意のないものとか、そこまで言わなくても意味のないものにも感じられたりするのでしょう。

 何がそういう違いを生むのかはわからないとしても、そういう違いが基本にあるとすれば、人とどうやってどういう関係を作ろうとするか、ということも当然に違いが出てくることになります。パートナーが私との関係をとても大事な特別なものとして考えてくれていることについては今は疑いは全然ないのですが、どうすることが大事にすることなのかについて、重視するポイントに違いがあるんですね。だからそこがずれることで「相手は自分のことを大事に思っていないんじゃないか」という不安が生まれたり、「こんなに大事に考えているのになんで伝わらないんだ」といういらだちや絶望感が生まれたり、お互いにそんな風になって苦しんだりするんじゃないでしょうか。

 それらのことについてはこれまでも一寸ずつ考えては来ましたが、「慰めが実際に持つ力」の違い、ということからいろいろつなげて考えていくと、わりといろんなことがつながって理解できるようになる気がします。

 

« クッションの使い方 | トップページ | 世の中の見え方の違い »

コメント

この記事を読んで、あぁパンダさんのように、相手を見つめてゆくことが出来たら、と切に思いました。私はまだまだ、相手に対し、「なんで」と感じることが多く、理屈で分かっていても、心がやっぱり追いつかないなぁと思うことがしばしばです。
例えば、私が具合の悪いとき、それを聞いても何一つ言葉かけをしない相手に対して、「なんなんだ」と思ってしまいます。
ゆっくり冷静に、紐解いてゆけば、相手は自分が言葉だけの慰めを欲することはないから、私へもそんな慰めは必要ないと思ってるのかなと考えたり出来るのですが…。
どこか、悲しいと思ったり、大事に思われてないのかなと疑心暗鬼になりがちです。
パンダさんのように、もっと相手を理解し、包み込んであげられたら、と本当に思います。

毛布さん

「私はまだまだ、相手に対し、「なんで」と感じることが多く、理屈で分かっていても、心がやっぱり追いつかないなぁと思うことがしばしばです。」

 わたしもこの「理屈で分かっていても」のレベルです (^ ^;)ゞ
 身体にしみついた感覚って、そう簡単に抜けないですものね。
 でも一寸ずつ、ほんとに一寸ずつは変化するみたいですが。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1449293/53768302

この記事へのトラックバック一覧です: 慰めの力:

« クッションの使い方 | トップページ | 世の中の見え方の違い »

最近のトラックバック

無料ブログはココログ