一緒に生きていく意味
アスペ定型間ではお互いに日常生活の中で素朴に「これは人間関係の中で普通の正しいこと」と感じていることにズレが生まれてしまうわけですよね。だから仮に自分としては誠意を持って対応しているつもりでも、相手にとっては全く逆の意味になってしまったり、一生懸命自分の思いを伝えようとしても、まるでとんちんかんな伝わり方をしてしまったりする。
定型間でももちろんお互いに誤解しあって生きているということなんか、いくらでもあるわけですし、それがいろんな衝突を生み、ひどくなれば殺し合いにまでなってしまうこともあるわけですけれど、同時にそうならないように、ズレた関係を修復するためのいろんな方法も工夫しています。ところが定型アスペ間にうまれてしまうズレについては、定型的な修復の仕方も通用しない場合が多い。これは私の勝手な想像ですが、アスペの方から見ても、自分が考える修復の仕方が定型に対しては全然通用しないことが多いのではないでしょうか。
この修復の仕方の違いについても、定型アスペ間だけではなくて、定型同士でもうまく行かないことはもちろんあるわけですが、定型間では「これでだめならもう<さよなら>だね」と思えるような割り切りもある程度できるのが、その「これでだめなら」という割り切りの線もよくわからないということが定型アスペ間では起こり易いような気がします。
「これは当然でしょう」ということの感覚が違って、お互いにずれちゃったときの修復の仕方が違って、割り切りのポイントもよく見えない、ということになれば、これは問題がこじれまくったとしても不思議はないですよね。
そんなに違う人間同士、一緒に生きていく意味があるの?という疑問が生じても当然だと思いますし、その疑問に対する答えは人によってさまざまだというのも当然だと思います。掲示板の方ではことりさんが一緒に生きていくための素晴らしい沢山の工夫を紹介してくださっています。そこからいろんなことを学んで改めて一緒に生きていく道を探る方もきっといらっしゃるでしょうし、絶望さんのように、もうそうやって工夫を重ねる気持ちにもなれない状態にいらっしゃる方も当然あるだろうし。何がいいとか、そういうことを一概に決められるような問題ではないですよね。
いずれにせよ、これだけ大きなずれを抱えた者同士、それでも一緒に生きていこう、生きていきたいと思える条件って何なんでしょうね?
ただ、そういう感じ方をできるのは、いちばんシビアな時期を過ぎてから過去を振り返る余裕ができているからなのかもしれません。今まさにつらさのピークにいらっしゃるカップルの場合には、その辛さにとても大事な意味がある、などと考えることなどとても無理だと思います。仮に私がその渦中でそう言われたとしたら、やっぱり「この人何を言ってるんだか」と感じると思います。
これは定型の側についてしか今は私には想像ができませんが、細かいことにはこだわらず、おおらかにずれをやりすごせる方は、もしかするとそんなにズレを苦しむことなく過ごせるのかもしれませんね。それからことりさんがもしかするとそうなのかなと想像したのですが、問題をとても具体的に受け止めて、小さな工夫を重ねて現実的な対処をしていく力のある方も、相対的には一緒に生きていくことに前向きになれるのかもしれません。他方で私のように「しつこめ」で「いろいろ考えこんでしまう」、あんまりスマートな生き方は出来ないタイプの人間は、今度は割り切りが下手ということで結果が同じになるのかもしれません。
コメント
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アスペルガールです。
いつもコメントさせて頂きありがとうございます。
これについては・・・
私は結婚していないので色々言えない立場です。
そうなんですが、
お伺いしたいことがあってコメントしました。
アスぺ男性は結婚前だけ頑張る~とかいう記述が書籍等にもあり、
結婚後に変わった・・・のであれば仕方ないのかもしれません、、、
が、やっぱり、結婚前に気付けなかったのですね。
---以下引用-----------------------
>仮に自分としては誠意を持って対応しているつもりでも、
>相手にとっては全く逆の意味になってしまったり、
>一生懸命自分の思いを伝えようとしても、
>まるでとんちんかんな伝わり方をしてしまったりする。
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私にはこの状態であるにも関わらず、
結婚しようと思えたのが分かりずらい感じがしました。
一般的に、男性は結婚後も変わらないことを望み、
女性は変わってくれることを望むと本にありました。
相手の男性がアスぺだからというか、
結婚によって相手が変わることを望んでいた・・・
というのが違うのではないでしょうか?
一緒に暮らすことで、
良いところも悪いところも膨らむのが結婚なのではないでしょうか。
これは結婚していないから言える意見なのかもしれません!
おかしな意見であれば、否定して下さってもと思っています。
投稿: アスペルガール | 2013年11月26日 (火) 01時07分
アスペルガールさん
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>仮に自分としては誠意を持って対応しているつもりでも、
>相手にとっては全く逆の意味になってしまったり、
>一生懸命自分の思いを伝えようとしても、
>まるでとんちんかんな伝わり方をしてしまったりする。
----------------------------------
私にはこの状態であるにも関わらず、
結婚しようと思えたのが分かりずらい感じがしました。
==========================
極端にズレが大きい場合には、結婚前に深刻になるでしょうけれど、
結婚にまで至るカップルの場合は、結婚前にはそこまでは
はっきりと気がつかず、時々「あれ?」と思うことがあるけれど、
まあ気のせいだろうと思ったり、「ちょっと個性的なところがある」と思ったり、
そういうズレをむしろ「見ない」で、自分にとって「魅力的」に感じる部分を
すごく強調するんだろうと思います。
恋愛中は「あばたもえくぼ」とか言いますよね(笑)
それに恋愛中ならずっと一緒にいるわけでもないでしょうし。
あと、私もそうでしたし、他にもそういうことを書いていらっしゃる
定型の方が何人かいらしたと思いますが、
結婚後の二人だけの関係の時には、多少ずれていても
そんなに深刻には受け止めないで、適当に我慢したりするんだけど、
子どもが出来ると、子育ての仕方を巡って
かなり問題がシビアになることがあると思います。
「このやりかただと子どもが傷つく」と感じてしまうと、
やっぱり適当にやりすごすことができず、
深刻に考えざるを得なくなるんですね。
そこで改めてお互いの感じ方の大きなズレにぶつかって、
一生懸命調整しようとするんだけど、必死になればなるほど
逆にズレは拡大する一方で、みたいな展開も生まれてきます。
そうなると、お互いに傷ついて、さらにその傷を深め合う
といった悪循環が生まれてしまうので、どんどんシビアになる。
そうすると、以前は「ちょっとしたずれ」で済んでいたものも
改めてすごく深刻なズレとして感じられるようになってきたりします。
こうなるともうドツボでしょう。
……とまあ、ひとつの例で、これだけでは言えないでしょうけれど、
こういう説明の仕方はある程度納得がいきますでしょうか?
投稿: パンダ | 2013年11月26日 (火) 18時38分
◇パンダ さま
アスペルガールです。
ご回答ありがとうございました。
少しの疑問(?)は氷山の一角だったということですね。
これは定型×定型でもあることだと思いました。
結婚には、好意の色眼鏡を一旦はずし
部分から全体を予測する能力が必要そうだと思いました。
でもでも、結婚にとって一番大切なのは、
パンダさんの様に分かり合えなくても、
分かり合おうとすることだとも思いました。
投稿: アスペルガール | 2013年12月 2日 (月) 13時30分