「対立」を「共にした」?
自分がパートナーとどんな関係を望んでいるのかなあと考えてみるんですが、やっぱり幸せになって欲しいなあと思いますね。今まで沢山の苦労をしてきた分も。
その苦労の中には当然、私との厳しい対立の時期も含まれています。そのほとんど絶望的な対立の渦中にいるときは、私は彼女との間で孤独であり続けたし、彼女の苦労を思いやることなどとても無理だったし、自分の苦しみを耐えるのに精一杯だったと思います。
今でももちろんいろいろなズレを抱えて生きているわけですけれど、でもなんだかあのお互いに完全に対立してそれぞれが「苦労」していた時期について、今ふと思うと、それも含めて「一緒に苦労した」というふうに感じられたりするのが不思議です。
もちろん彼女に幸せになって欲しいという思いは、自分が幸せになりたいという思いと重なっているわけですから、別に自己犠牲的精神で、とか言う話とは違います。
じゃあなにが幸せなんだろう?とか、自分自身の幸せと彼女の幸せはどう重なりうるんだろう?とか、そのあたりはまだよくわかりません。とにかくいろんなことへの関心の持ち方とか、物の見方とか、やっぱりすごく違うなあとしみじみ感じることも多いですし。でもなんかそういう方向で手探りをしたい気持ちになっている、というところまでは言えそうです。
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