「違い」と「バランス」
今日は久しぶりにパートナーと散歩をしてきました。お互いの関係を作り直していく上で、この散歩が私たちの場合には結構意味があったような気がします。別にしゃべらなくてもいいし、でも時々自然としゃべるし、結構二人が抱える問題の「核心」みたいなところについて話すこともあるし、という感じで。
ふと思い出すと、子どもが出来る前もわりに一緒に歩いてました。彼女はお墓を見て回るのが好きだったりしたので、お寺にもよく行きました。なんだか寄生虫博物館みたいなところとかも好きだったり、ちょっと変わった趣味(?)の持ち主で…… (^o^)。
で、今日も歩きながら時々話をしていたんですが、アスペと定型の話にもなって、私が「アスペの人ってこういう傾向があるんじゃない?」という話をすると、やっぱりというか、「いろいろな人がいるからまとめては言えないでしょう」と言われました。
私は、人それぞれなのは当然だけど、だけどそういう色んな人の個性を改めてつなげて理解できるような見方に興味が向くタイプのようです。でも彼女はそういう話はあんまり興味がないと言うんですね。それより「この人がどうなのか、ということが大事だ」という感覚だと言います。
確かに老人福祉という彼女の仕事の内容から言っても、一人ひとりの個別のニーズをどう理解して、それにどう応えられるか、が大事で、みんなおんなじやり方で対応していたら、その人の生活の質は良くなっていかないし、その人の満足も得られないわけです。そう考えるとそんなふうに「一人ひとりの違い」にこだわる彼女の見方は、その仕事にもとても向いていると感じます。
それともうひとつ、私と彼女の興味の持ち方が、この点ではまあ正反対とも言えるわけですけれど、これもまたひとつのバランスなのかなあという気がしました。「興味が共有できない」という言い方も出来るでしょうけれど、ちょっと見方を変えれば、二人合わせて釣り合いが取れる、という風にも見られるんじゃないかなと。
それで、もちろん共通する部分も必要なんでしょうけれど、それぞれ全然違う個性の人間同士が一緒に居ることに意味を見いだすとすれば、この「バランス」っていうのが大事なことになるんじゃないかとそう思ったんですね。「違い」を「バランス」として見れば、その違いは「すれ違い」とか「対立」になるんじゃなくって、意味のあることとして生きてくるんじゃないか。そんな感じのことです。
もしそうだとすれば、「お互いの違いを理解する」ということと、「バランスの取り方を考える」ということがうまく噛み合ったときに、なんかひとつ前進できるのかもしれないと思いました。
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