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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年9月 5日 (木)

感情のこと

 もう何度もここでも書いてきましたし、言うまでもなく、という感じがしますが、「感情」とか「共感」とか、定型アスペ問題を考えるときのキーワードの一つですよね。そのことについて私がこれまでみなさんのコメントなどを拝見したりしながら考えてきたことは、まずひとつに、定型は感情の動物で、アスペの方達は感情理解ができない、共感が出来ない(映画スタートレックのミスタースポックさんのような?)方達だ、という理解は、色んな意味でどうも実態に合わなそうだと言うことでした。

 ただ、ふたつめに、定型が感情と呼ぶものについて、アスペの方は感情とは呼ばずに別の形で理解されている可能性(これも人によって様々ですが)を感じること、そしてそういう理解と裏表の関係にあると思うのですが、「感情(的なもの)」に対して対してどう対処するのか、ということについて、定型アスペでかなり違う可能性がある、ということが感じられてきました。

 典型的に言えば、「感情(的なもの)」を定型は他者との関係でコントロールしようとする姿勢が強く、またそのことをとても重視するのに対して、アスペの方はそれを自分の中で収めようとする姿勢が強く、それを当然のことと思っていらっしゃるらしい、ということがあります。その違いは生まれつきなのか、あるいはそれぞれが育ってきた経験による違いなのか、ということについては、多分こんなことじゃないかなと想像してみたのは、次のようなことでした。

 「感情(的なもの)」について、何かの理由で(たとえば感情(的なもの)に係わる脳の仕組みに少し違いがあるとか)違いがあるために、生まれた後かなり早い時期から定型の周囲の人間とは感情(的なもの)を巡るやりとりにずれが生じやすくなる。そこで定型同士は比較的似ているから、人との間でどんどん「感情(的なもの)」の交流や調整を進め、いろんなノウハウを獲得しながらそういう人間関係を育てていくのに対して、アスペの方はそういう多数派のやりかたにはあまり合わない部分を持っているので、自分の素朴な「感情(的なもの)」は脇に置いておいて、いろいろ知的に推理したり、形を真似ることで多数派の「常識」に無理して合わせて生きる、という生き方を選ばざるを得なくなる。

 それはアスペの方にとっては自分の素直な「感情(的なもの)」には、もともと合わないやり方になっているから、とても疲れるものであったりすることで、やがていわゆる「二次障害」と名付けられているような問題も起こってきてしまう。そして世の中はだいたいが多数派を基準にして作られるようになっていて、それが「常識」とされるから、アスペの方は常に自分にはしっくりこないその「常識」に振り回されずをえず、少数の、ものすごい才能で多数派社会でも珍重される方を除けば、常に「自分というものの評価」も低いものにならざるを得ない状況に脅かされ続ける。(定型も「自分の評価の低さ」が問題になることはいくらでもあるけど、その深刻度やそうなる可能性の大きさがアスペの方では全く次元が違う)

 自分の「感情(的なもの)」については、特に他人との間では我慢する、とか、見ないようにする、とかして対処することがどんどん増えていくので、ますます辛さが募りやすくなる。その辛さに耐えて定型優位社会に合わせて生きるのは、それは並大抵の苦しさではない。

 そんな風に考えてみたわけです。そう考えると、パートナーのことについても、だいぶん分かる感じがしたりしますし、彼女も同意できる部分が結構あるみたいですから。

 仮にそんな理解が出来るのだとすると、じゃあ、そういうズレを持ち、生き方の違いを持った定型アスペがカップルになるとどういう事が起こることになるか。定型にとって親密な関係というのは、感情を他人より深く関わらせる関係になります。だから当然そういう関わり方を多かれ少なかれアスペの相手の方に求めることになる。他方アスペの方にとっては「自分の家」は外の世界で無理矢理自分を合わせて生きていく辛さに苦しまず、ほっとできる場であることが何よりも大切になる。そういう場を共に生きられる人として、定型のパートナーは大事な人になる。というふうに、そもそもカップルという特別な関係に何を求めているのか、ということに大きなズレを抱えてしまうことになる。

 もちろん、定型と一口に言っても、こちらも感情的な関わりの求め方については、それこそ「感情スペクトラム」とでも言ってもいいくらいに、その強さは人によって様々で、比較的たんたんとされた方だと、それほど上のズレは大きな問題を生まない可能性があるけれど、感情的関わりへの欲望が大きい人は、問題が特に拡大していきやすい。

 また、そのズレの問題が深刻化するきっかけのひとつは「子育て」ですが、それは定型的な発達では子どもとのいわゆる「共感的関係」とか「感情的な支え」が他の時期よりすごく重要になる場面なので、そういう子どもに対する対応の面で、お互いの感覚の違いが目に見える形で出てきてしまい、それまでなんとなくうまくいっていた関係のバランスが崩れてしまうことにもなりうる。さらに子どもも定型だと、アスペ的子育て(?)との間にズレが起こりやすいので、今度は子ども自身が辛い課題を背負う可能性が出てきて、そのズレに気づかないまま成長すると、早晩矛盾が吹き出してくることもある。(特に思春期は感情(的なもの)の問題が改めて大きくなるので、それが出やすいでしょう)

 ズレの問題が深刻化するもう一つのきっかけは、病気などの原因で、それまでの家庭の中のバランスが崩れてしまい、お互いの助け合いや支え合いなどを改めて調整しなければならなくなったときでしょう。そのとき「どうやって相手を支えるか」「どうやって関係を再調整するか」といったことの感覚や理解のズレが表面化するからです。

 ほかにもあるのでしょうけれど、いずれにせよ、そんな形で最初はまあそれなりにバランスを取ってうまくやってきたカップルでも、ここで「巨大な壁」が見えてくるようになり、お互いに何に悩んでいるのか、何を相手に求めているのか、ということが全く理解できないままに衝突が始まる。でもそのお互いのズレの正体が分からない場合は特に、結局は自分の「常識」に頼って自分を必死で支えたり、あるいは自分の苦しみが周囲に理解されずにカサンドラ症候群になったり(これは定型の場合かな?)、万策尽きる感じで重い鬱状態になったりという展開になりやすい。

 コメントを下さる皆さんから、ときどき「ここ(このブログ)にようやくたどり着いた」という表現をされることがありますが、そういう方達は上に書いたような展開で、絶望的な思いを抱えていらっしゃる場合が多いかもしれません。それで、少しでも違う可能性を求めて、定型はアスペの方の話を聞き、アスペは定型の方の話を聞こうとされる。そしてそこにかすかな希望を見いだそうとされているのではないでしょうか。

 以上のような理解を仮にしてみた場合、今回の厳しい遣り取りについて、ひとつわりにわかりやすい理解の仕方も出てくるような気がします。具体的にはまたぼちぼちと。

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