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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年9月29日 (日)

逆カサンドラ症候群?

 定型アスペのカップルで、定型の人が悩んで周囲の人たちに訴えても、周りの人が「そんな問題はどこのカップルでもあるよ」という感じで言われてしまい、自分の深い悩みが伝わらなくてそのことが孤立感を深める原因になって、ますますその人の苦しみの原因になって問題を深くしていくことを、カサンドラ症候群とか言ったりするのだと思いますが、「回りに自分の辛さが理解されないことで苦しみを増していく」ということで言えば、アスペの方達はもっと早い段階から、そういう状況の中で生き続けてきたのかもしれないわけですよね。そのことを最近よく考えるようになりました。

 パートナーの話を聞いていても、とにかく自分の気持ちはうまく周囲に受け止められないし、自分には訳が分からない形で怒られたり非難されたりと言うことが繰り返される。そういう自分を受け入れてくれる人がいることはまれでしょうから、ほとんど常に孤立した状態でその中を生きてこなければならなかったわけで、そのことがほんとに「生きることの基本的な条件」みたいになっている。

 そういう状況で生きるってどんな感じなんだろう?と想像してみるんです。私も定型の中では変わり者として生きてきましたから、理解されなかったり、受け入れられなかったりといった経験はそれこそ「ふんだんに」持っているわけですが、でもその中ですごく共感してくれたり、支えてくれたりする人たちが必ずいつもいたんですね。だから「絶対的な孤独」みたいな状況は多分経験していないんだろうと思います。

 それが、親も含めてほんとに回りの誰も自分を理解してくれない、という状況の中に生きるとすれば、どんなことが起こるんでしょうか?(もちろんアスペの方も人によってその辺の状況は様々なんでしょうけれど、定型に比べればそんな「孤立」した状況に陥ってしまう可能性はとても大きくて、その孤立のレベルは深いんだろうなと想像します)

 そもそも自分の悩みとか、抱えた問題とかは相手にはなかなか理解されないのですから、相手に救われる、という経験も得にくいことになるのでしょう。仮に友だちが「救いの手」をさしのべてくれるようなことがあったとしても、結局そのやり方は定型的なやり方で、アスペの方にとっては「的外れ」で意味のないものになりやすい。場合によっては問題をさらに難しくしてしまうだけかもしれません。

 だから回りから手助けをしてくれようとする人がいてもいなくても、結局問題は自分一人で解決するしかなくなることになりそうです。そういうことをほんとに子どもの頃から「普通の状態」として経験し続けることになる。定型のように、「悩みを共有する」ということはとても成り立ちにくいし、それで問題が解決される経験が得られなければ、そもそも「悩みを共有する」ということに意義を感じることもなくなるかもしれません。場合によってはそれを避けるようになるかもしれない。

 もしそうなら、例えば病気になったときに「一人でほっておいてほしい」と思うようになるのも少しは分かる気がします。逆に定型のパートナーが病気になったときにも「一人にしておいてあげる」ことが大事な配慮で、変に励ましたりなぐさめたり側にいてあげたりすることには、むしろ罪悪感を感じるようになる、というのも、まあそうなるのも当然かも、と思えます。

 なんでアスペ定型間でこんなにもズレが起こってしまうことが多いんだろう、ということについて、そんな視点から、これからも一寸ずつ考えて行ければなと思います。(もしかするとその視点自体がすごく定型的で、アスペの方からすれば「なんじゃそれ?」になるかもしれませんが…… (^ ^;)ゞ ) 

 

 

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コメント

カサンドラ症候群の検索で辿り着きました。
自分はASPなのかどうかどうにもよく分かってない身の上で、
とりあえず周囲からすれば変わり者なのには間違いないようです。
(表向きは身近な人間からは「オタクだから」と納得されている)
特にこう言ったネット上の文字での交流では色濃くズレがでるようです。
親には理解されないという経験は大量に覚えがあり、
今でも人間不振な部分がとても色濃く残っている30代というところ。

こういう精神的な問題って、1つに当てはまったからハイおしまいと言うことはなくて、
やはり、複数を併発していたり、1つが原因で他の精神疾患が増えたり、
ということがかなりあるものだと思ってます。
自分について考えれば、精神発達未熟から来るトランスジェンダーとか、
同様なところから発生した「恋愛感情というものが理解できない」とか
思春期や反抗期を経験したことがないとか、
そういった部分で人間的な成長自体にも影響が出てたりしてますし。
そうなるともう、1つへの理解ではヒモ解きが不可能になってしまいます。

最近はアスペルガーにしても、単語自体の意味合いがあいまいになったりして、
GIDなどにしても、非常に広範囲に適用されてしまうことが増えてますし、
広義には含まれるけど本来の狭義には含まれないなどもありえるでしょう。
そもそもにして、当事者以外には「言葉の定義すら曲解されている」という
根本的なすれ違いなんてことも多発していると思いますしね。
そもそもにして会話が成立しないなら、本人にとっての会話自体の価値は下がる。
結果的に自己主張のみが残って、ボールを受け取るという手段が消える。
たぶんこれはもう、私にとっても周囲にとっても解決策なんてでてこない。
本文の「考えていければ」という時点でも、具体的な案が出てないようですし。
とにかくはまず当事者間で、嫌でも議論の機会を増やすしかないのかな。

愛媛さん

 はじめまして、どうぞよろしくお願いします。

>そもそもにして会話が成立しないなら、本人にとっての会話自体の価値は下がる。結果的に自己主張のみが残って、ボールを受け取るという手段が消える。

 やはりそういう展開になるのですね。

>たぶんこれはもう、私にとっても周囲にとっても解決策なんてでてこない。本文の「考えていければ」という時点でも、具体的な案が出てないようですし。

 問題の根は深いですから、そんなに簡単には解決策は出ないだろうと思います。逆に言えば、もしここで何かの解決策とまでは行かなくても、新しい見通しが生まれたとしたら、それはアスペ定型問題に限らず、いろんなコミュニケーションの困難な問題にも応用が利く部分が出てくるんじゃないかと、そんな感じがしています。

>とにかくはまず当事者間で、嫌でも議論の機会を増やすしかないのかな。

 そうですね。それを願ってブログを書いていますので、どうぞよろしくお願いします。

ASD当事者女性です。
突然のメッセージ失礼致します。

私はカサンドラさんから見たアスペルガーを知り、自分の存在そのものが大切な人を追い詰めるということがただただ悲しかったです。
私は恋をしてはいけない、子どもを産んではいけない、親にさえ捨てられて当然の化け物だと思い、今も仕事の合間にトラウマが発動します。自分が思う現状と実際の現状とのギャップは生まれたときからあまりに大きかったので、自分を極度に否定して押し込めていないと相手が呆れてしまうと思っています。

「旦那さんはアスペルガー」というカサンドラの漫画家さん・野波ツナさんの漫画のワンシーンで、アスペルガーら話し合いでだまりこんで空虚な目をするとありました。確かに私もそうかもしれません。
しかし、私だって非アスペルガーの方々から毎日そんな目を向けられてきたんです。家族に限らず、親友2人を除く全ての人から。生まれたときからそれが当たり前でした。この旦那さんは違うかもしれませんが、私だって話し合いができなくて抑うつ状態になるんです。

カサンドラさんの声をヒントの1つとして、コミュニケーションができるよう最近は努力しているつもりです。
アスペルガーが自分もカサンドラさんと一緒だなんて言うのが申し訳なくて言葉にできませんでしたが、私のようなアスペルガーの女性の苦しい気持ちを代弁していただいたような気持ちになっています。

この場を借りて、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

ゆかさん

 嬉しいコメントをありがとうございました。
 記事の方でちょっと書かせていただきました。

AS当事者女性です。
カサンドラ症候群という概念を昨日知ったばかり、今日ネットサーフィンをしていたら偶然ここにたどり着きました。
実はブログのシステムをよく理解していません。この文章はパンダさんというかたが書かれたのでしょうか?違っていたら御免なさい。ここでは一応パンダさんがかかれたことを前提にコメントをかかせて頂きます。
さて、たくさんあるページの中でも特に『逆』カサンドラ症候群ということばに興味を引かれ真っ先に開いてみましたところ・・・。
上手く言葉になりません。でも、言いようの無い優しさを感じる文章でした。カサンドラの人たちにとって、私達は「加害者」(という言葉がきつければ、少なくとも「苦しみの原因を作った人」)という立場を免れません。でもこのパンダさんの文章からは、そういった「AS対カサンドラ」という対立構造を感じさせられませんでした。対立ではなく、連帯。シンメトリックなまでの対等関係。相手を理解しようとすることで、よりご自分を追及していくその真摯な姿に(勝手な想像して御免なさい)、とても深い感銘を受けました。
こんな私でもカサンドラの人たちの苦しみは、私なりに理解していると思っています。それは、パンダさんもおっしゃるように、その苦しみの本質が、実は私達が幼い頃から無自覚に抱え続けてきたものと、質を同じくするものだからかも知れません。
精神科のドクターに障がいの診断を頂いてから私は、当事者の会に足しげく通うようになりました。そこで出会う、ASの当事者の人たちと一緒にいるときに感じる、なんともいえない同質感に心が和むからです。
もちろん私達は普段定型の人たちに支えられて、その中で生きているわけですから、当事者だけで固まることはいけないと思っています。
定型の社会で必死で頑張っているその合間に、年に数回ですが、当事者会に出かけていって羽を伸ばし、また現実の世界に戻ってくるという生活が気に入っています。
カサンドラの人たちも、毎日ASのパートナーと一緒にいて、何が正しくて自分の本当は何なのか分からなくなるとおっしゃいます。きっと私達が昔から感じている混乱と似たような気分になるのだと思います。
私に当事者会があるように、カサンドラの人たちにもそういったコミュニティができることを望んでいます。
カサンドラのコミュニティと私達の当事者会の合同懇親会・パーティができると楽しいですね。そんなことがいつか当たり前にできる社会を、私達が手を携えて創れることを心より望んでいます。

ガーディナーさん

 はじめまして,どうぞよろしくお願いします。

 定型アスぺ間はほんとうに距離の取り方がむつかしいので,
 現実の生活の中ではどうしてもぶつかってしまうことがなくなりません。
 ただ,こういうネットの場では,適度に距離が取りやすい環境もできるようで,
 少しゆとりを持って「相手の身になって考えてみる」ことがしやすいのかもしれません。
 
 そのことでカーディナーさんにプラスの印象を持っていただけたのだとすれば,
 こういうブログをやっている意味を感じられます。

 悪意によって対立関係になるのであれば,仕方がないとも言えますが,
 悪意がないのに,場合によっては善意のつもりなのに,
 それが激しい対立を生んでしまうようなことがあるとすれば
 そのことには耐え難い思いを抱きます。
 定型アスぺ間もそんな関係になりやすいもののひとつと感じています。
 なんとかそういう悲劇は少なくしていきたい。

 カサンドラのコミュニティですが,ここにもコメントを何度か下さった
 SORAさんが主宰されて,精力的に活動されている集まりとして
 「カサンドラ駆け込み寺 ハーンの妻達へ 」という場があります。
  http://blog.livedoor.jp/khan2013214/
 ほかにも各地にいくつかあると思いますが,ハーンの妻たちへのところでも
 情報を得られると思いますし,
 よろしければ一度お尋ねになられるといいかも。

 
 

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