不思議なため息
みなさんはため息ってどんな時につくでしょう?誰かの前でため息をつくってどんな意味があるでしょう?誰かに自分の目の前でため息をつかれたとき、どんな気持ちになるでしょう?
最近パートナーがため息が多くって、そうすると私の場合は心配になるんですね。で、どうしたの?と聞くと「仕事が忙しくて身体が疲れているから」とか言うんですけど、なんか私には単にからだが疲れている、というだけには思えなくて、むしろ「精神的に疲れている」んじゃないかと感じてしまうんです。
なんでそう思うのかを聞かれて、たとえば運動して疲れたときのように、ただ身体の心地よい疲労感があるときに「ああ、疲れた!」という感じでため息をつく場合と、同じ身体の疲れでも、精神的にも疲れてため息をつく場合では、ため息のつき方が全然違う、と答えて実演もしてみたんですけど、なんかもうひとつ納得してくれませんでした。
そしていつもながらの彼女の疑問は、私が「どうしたの?」と聞くとき、「何て答えて欲しいわけ?」ということでした。この質問には私はいつもがくっと来るんですが、「何を答えて欲しい」って言われても、ただありのままに自分が感じたことを言ってもらったらいいだけなんで、そう言うんですけれど、これも納得してもらえません。
今までの彼女の言うことを思い返して、「何て答えて欲しいわけ?」という彼女の「疑問」の意味を考えてみると、要するに今までの彼女の経験から言って、本当に彼女が自分の感じていることをそのまま言うと、周囲の人たちが怒ったり、傷ついたりしてしまうことをしばしば体験する。だから「ありのままに自分が感じたことを言う」ことは悪い結果をもたらすという気持ちになるみたいです。でもそれでも定型は「どうしたの?」と聞いてくるわけですから、きっと困るんでしょうね。それで「自分の素直な答えとは別に、相手が求めている答え方があるのだろう」と考えるんでしょう。そしてこの定型社会で生きていくためには、相手の求めている答え方に合わせてこたえなければならなくなる。
その結果、外での人付き合いの場合には「何て答えて欲しいわけ?」などということは勿論聞かないのだと思いますが、私に対してはある意味彼女の本当の素朴な疑問をぶつけてきているのかもしれないと思います。(ああそうか、そういう風に考えるといいのかも)
それでため息の話に戻りますけれど、彼女が聞いてきたもう一つのことは、「ため息をつかれると、それに対応しなければならないと定型は感じるのか」というような意味のことでした。(ことばをよく思い出せないと言うことは、少しニュアンスが違うのかもしれませんし、いずれにせよ、私がぴったりと理解しにくい言い方だったのかもしれません)
そう言われるとまさにその通りで、自分の前でため息をつかれると、やっぱり気になって、心配になる。「どうしたの?」と聞きたくなって、自分に何かできることがないかを考えたくなるし、あるいはもしも自分が原因なのだとすれば、なおのこと何とかしたくなる。少なくとも定型の場合には自分の前でため息をつかれたら、そんな風に感じる方、場合が多いのではないかと想像します。
でも彼女の場合は「ため息」がそういう「相手に自分のしんどい状態を伝える」という意味を持たないらしいんです。これも本当に持たないのか、意識しないだけのか、そこは例によってむつかしいところなんですが、少なくとも本人にはそういう意識はないとのこと。
じゃあ何のために彼女がため息をつくのかは、私にはまだよく分かりません。というか、これ、問題の立て方がちょっと悪いかもしれません。定型だってため息をつくときは「思わず」つくわけで、何か明確な目的があって意識的に「ここでため息をついてやろう」と思ってため息をつくわけではないですから、その点はアスペ定型どちらも同じなのでしょう。違うのはその後の展開なんだと思います。
定型の場合は「ため息をつく」ことは、自分のしんどい状態を周囲に伝える意味があることを当然と思っている。だからそれについて、周りの人が心配をしたり、状況によっては逆に不快感を示されたりという反応があるのは当然と思うし、相手が心配して「どうしたの?」と聞いてくれれば、「うーん、実はね、」といって抱えている問題を語ったり、あるいは機が熟していないように感じるときには「いや、ちょっとね、いろいろ大変でね」という位ですませてそれ以上は深入りしなかったり、いずれにせよ、相手と自分の問題を共有する、ということについてなんかの調節をするのだと思います。それはかなり自然にやってしまう。
ため息をつかれた相手の方は、その答えを聞いてただ「愚痴の聞き役」になってあげたり、相談にのってあげたり、必要な援助があるときは援助をしたり、あるいはため息をついた人がそこまでは望んでいない場合には、「ああ、なんかしんどさを抱えているんだな」と理解して、その後もそれとなく気にしてあげたり、といった感じになるでしょう。
これに対して私のパートナーの場合には、どうもそういう展開はイメージされていないらしいんです。自分のため息は、自分がため息をつく、ということまででそれで完結してしまう。それについて周囲の人たちが心配して助けてくれることを想定していない感じがする。
なんでそういう展開のイメージを彼女が持たないのか、その理由はまたよく分かりません。もともとそういう展開を望まないからなのか、それとも過去の経験でそれを望んだことがあっても、結局周囲の人が自分の問題を解決してくれることはなく、むしろ混乱するばかりで、自分が傷ついたりして逆効果になり、いわば「もうこりごり」の状態になって、そもそもそういうことを期待しなくなり、ついにはそこで「期待する」という気持ちがあったことさえ忘れてしまうほどなのか。どっちなのか、両方なのか、あるいは全然別の理由なのか、私には難しいです。
原因はよくわからないにしても、とにかく私としては彼女の問題を共有したいと思うところが、彼女の方はそういう感覚がないか薄いかする、というズレがあるのだと思います。あるいは「共有の仕方」のイメージが違うのかもしれません。多分定型は、自分の問題を共有してもらえないと感じることだけでなく、相手の問題を共有させてもらえないと感じることにも、なんだか「寂しさ」を感じるのでしょうね。
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コメント
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パンダ さま
こんにちは、アスペルガールと申します。
先日はブログコメント返信有難うございました!
そちらへも返信させて頂こうと思っておりますが、
先に他の気になる記事にコメントしてみました。
---以下引用-------------------
>ため息のつき方が全然違う、と答えて実演もしてみたんですけど、
>なんかもうひとつ納得してくれませんでした。
>ただありのままに自分が感じたことを言ってもらったらいいだけなんで、
>そう言うんですけれど、これも納得してもらえません。
-----------------------------
実践されたんですね。
この『ただありのままに自分が感じたこと』ですが・・・
それが、『ただありのままに自分が感じたこと』という感情が、
元々無いとか考えられませんか?
多分ですが、何かのサインによって、
相手に歩み寄ってほしいとの期待を伝えるということはしないと思うんです。
必要であれば率直に伝える。
その方が、相手に察しなくてはならないプレッシャーを与えないから。
そもそも、間接的に伝えるって、とても女性的ですよね。
パンダさんが、間接的なサインを敏感に感じ取れる男性なのは、
お母様の影響ではないでしょうか。と感じました。
それを、ずっと、必要とされる感情に育ったから。
男性とはそもそも、間接的なサインには気づきにくいものです。
だからこそ、ミスチルがサインという恋歌を歌えたんだと思うんですよね。
小さなサインに気付けるパンダさんは、
男性として、女性に与えることが出来る男性だから、
逆に、関心を欲しがる女性の心は手に取るように分かり、
『思うようにならない』ことがなく、女性に対する愛情が深められなかった。
※愛情とは上手くいかないことで深まったりしますよね。
だからこそ、彼女を好きになれた、という見解もありますか?
---以下引用-------------------
>多分定型は、自分の問題を共有してもらえないと感じることだけでなく、
>相手の問題を共有させてもらえないと感じることにも、
>なんだか「寂しさ」を感じるのでしょうね。
-----------------------------
そうですよね、これは、そういったことがあるのだと感じさせられます。
私は、知りたそうな人には、『敢えて』伝えることにしています。
返信不要と書いたのは選択肢を相手に委ねるためです~
私は、基本的には、ご返答頂けると、嬉しいです☆彡
投稿: アスペルガール | 2013年11月25日 (月) 21時55分
自分も相手のため息が気になります。
以前はため息を聞くたび相手の機嫌を気にしてどうしたのと聞いていました。
実際は聞いてもエッて顔をされてしまいどうしたのと聞く回数は減りましたが自分とはため息の意味が違うのかと違和感を感じております。
投稿: パパは悩んでいます! | 2014年6月13日 (金) 19時07分
「パパは悩んでいます!」さん
はじめまして…(ですよね?)
「ため息」ということひとつをとっても,定型とアスぺの方とで
そこに「相手に対するメッセージを含めかどうか」ということで
感覚の違いがあるみたいですね。
私もそのちがいにようやく少しずつ慣れてきましたが,
まだやっぱり違和感は残っています。
投稿: パンダ | 2014年6月14日 (土) 14時42分