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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月19日 (月)

感情とことば

 アスペと定型の間で、コミュニケーションの中での「感情」というものが持つ意味、そして自分自身の中で「感情」という問題にどう対応するか、ということがかなり違っているみたいだ、ということを、パートナーとのやりとりや、ここでみなさんからいただいたコメントのご意見、あるいは具体的な例を拝見していて、このところずっと感じ続けてきました。

 アスペの方は定型には自分の感情はうまく伝わらないし理解されない、という思いを持っている方が多いように思います。たとえば、これは前にも書いたかも知れませんが、私のパートナーの場合、子どもの頃、猫がうらやましかったそうです。なぜなら猫はしっぽで自分の気持ちを表すことが出来て、それで理解してもらえる。だから自分もしっぽが欲しかったと。

 さらに私がしばしば驚いたことは、パートナーが私から見て辛そうに見えたり、怒っているように見えたりしたときに、びっくりして心配になってそのことを言ったりすると、「そんなことはない」と完全に否定されたり、あるいは最近比較的多いのは「自分にはわからない」ということを言われたりするということです。

 つまり、アスペの方には「自分の感情とか気持ちは他人には伝わらないもの」だし、「相手(実質は定型)の感情理解は自分には理解しがたいもの」だという、そういうかなり強い思いが根っこの方にあるように思えます。(ただし、亡くなったトマトさんのご友人のように、40歳を過ぎるまで「他の人には他の人の異なる感じ方がある」という理解をしたことがなかった、というタイプの方の場合には、「感情が伝わらない、理解しがたい」というふうな受け止め方よりも、「なんでこの人は自分が当然と思っている行動をしないのか」という怒りや戸惑いが先行することになるように思います)そしてそのような「理解しがたさ」は時にご自分の感情についても及ぶのではないでしょうか。

 かずきさんの「常温の感情は、扱いに慣れていなくて、でも心の冷凍庫はもうパンパンで、凍らせることも、もう出来なくて冷凍庫じゃない所の平均気温も上がってしまって、置いておいても凍ってくれなくて」という説明のされ方は、そういう目から見ると、「ああ、やっぱりそうなんだ」と私にはとても分かりやすく思えるものでした。

 ここで、「感情への対処の仕方」について、大雑把に言って二つの方法があるような気がします。たとえば何かにものすごく腹が立ったとき、ひとつの方法はその原因となった人や状態からできるだけ離れ、そのことをできるだけ思い出さないようにし、だんだんと時間が経って気持ちがおさまってくることを待つ、あるいは忘れられるのを待つ、というような方法です。かずきさんの「冷凍庫で凍らせる」という方法は、このやりかたの強力なものと思えます。また、辛いことがあった場合はひとりになりたい、というのもその一種と考えると私には理解しやすくなります。

 もうひとつの方法は「どうして腹がたったんだろうか」ということについて、原因を理解して、その原因を取り除く工夫をする、というやりかたです。たとえばこのブログのコメントの遣り取りの中でも、相手の方のコメントに腹が立つことがあった場合、なぜそれが腹立たしいのかを説明して相手に理解をしてもらおうとしたり、あるいは何故相手がそういう言い方をしたのかを考えることで、もしお互いに誤解があるのなら、その誤解を解くことで問題を解決しようとしたりすることがその例になります。

 この二つの方法の内、アスペの方は主に最初のやり方をベースにして、衝突した相手との関係を調整しようとする場合は、「衝突しない時の(定型の)やり方」を観察し、それを意図的に利用する、という形で対処されることが多いように思います。もしかすると玄さんのさまざまな優れた「工夫」は、それがとても洗練されたものになっているのかなとも感じます。

 そういうやりかたがアスペの方にとって中心になるのは、圧倒的に多数派である定型の中で育ち、その中で生きていかなければならないからではないでしょうか。なぜなら、「原因を理解し、関係を調整しようとする」ということを試みようとしても、そもそも感情の感じ方や表現の仕方にお互いにズレがあって、それはほとんど不可能に近いという考え方を、おそらく物心ついた頃にはもうしっかり持たざるを得ないのだと思うからです。そのように「他者の理解は基本的には無理」という人生観がそこから育っていくのかも知れません。

 そうなると、自分の感じ方はとりあえず横に置いておいて、多数派の定型同士の遣り取りを見て、何故そう言う遣り取りになるのかは理解しにくくても、とりあえずその「形」を理解して工夫して使う、という方法で事態を乗り切るしかないのではないかと想像します。また、感情を係わらせない理性的な、論理的なやりとりは定型とも共有しやすいので、そういうやりかたを追求し続ける、ということもあると思います。


 一方、定型の方は、アスペの相手の方に自分の感情を受けてもらうことが出来ないことで苦しむし、またアスペの方の気持ちの動きが理解できなくて、自分が知っている「定型流の調整の仕方」を洗いざらい使ってみて、そのほとんど全てが効果を持たないことを知って、どう関わっていいか分からなくなって混乱し続けたり絶望的になったりしています。

 これは定型の人々が「感情の交流」ということをベースにしてずっと生きてきたし、そういう社会を作ってきたということと深い関係があると思います。

 これは玄さんのコメントへのお返事にもちょっと書いてみましたが、定型の社会では、ものすごい昔から、「ものの遣り取り」を「プレゼント交換」のような形でやってきたみたいです。いわゆる「贈与」といわれたりするものです。それで、そのプレゼント交換がどういう風に成り立つかというと、そこに「感情」がものすごく大きな働きをしています。つまり、「もらった」ことにたいして喜びを感じると共に、「いつかお返しをしなければ」という感情が残り続ける。お金で買うのと違って、プレゼントの交換の場合には「全く同じ価値のあるもの」がやりとりされるわけではないので、お返しをされた方もそれで「全てが終わり」になるわけではなくて、なんとなく「またそのうちにお返しを」という感じも残ったりして、それやこれやでやりとりが続くんですね。この状態は「お互いに気持ちの上で絆ができている状態」でもあります。

 このプレゼント交換は「物」に限られるわけではなくて、「ことば」のやりとりもそういう意味を持ちます。励ましの言葉、慰めの言葉、あるいは共感の涙なんかもそれに近いかも知れません。そういう言葉の「プレゼント交換」によって、定型は自分の感情を支えられたり、立て直したり、そしてお互いの絆を確かめ合って、信頼関係を深めていくようです。

 今の経済を支えている「売買」というものも、このプレゼント交換が時間をおかずに、しかも「同じ価値のある商品とお金の交換」という形で行われていて、ただしそこには深い感情のやりとりなどはほとんどなくなっている、というふうに見ることもできますし、さらに企業間の取引でも実際には人間関係や「信頼関係」みたいなものが効いてきますから、そう考えると、今の定型優位な社会の仕組みは、根っこの所に「感情のやりとり」を持っていると考えることもできそうです。

 そうすると、そういう社会に生きるように作られている定型は、人とうまく感情の遣り取りをするためにも、自分の感情を理解して、ある程度コントロールすることが必要になるし、成長の過程でその能力が鍛えられるんだと思います。言葉もそのときの感情理解に大きな働きをすることになる。井戸端会議の「筋の通らない話」も、そういう感情理解の途中経過のように考えることも可能だと思います。そこでは自分の感情理解と、他の人との感情の遣り取りが同時に進んでいるんですね。

 そしてその際、アスペの方との条件の違いは何かというと、回りが大体定型で、感情の理解の仕方とか表現の仕方とか、比較的お互いに分かりやすくできていますので(もちろん完全ではないですが)、物心ついた頃から「理解し合う」という関係をベースに、人間関係を作っていく、という人生観を身につけていくことになるという点でしょう。


 そんなふうに、「感情」というものについて、とくに「感情の共有」ということについての感じ方や経験の大きな違いが、定型とアスペの間で「感情への対処法」や「感情の利用法」の違いを生み、それが異なる人間関係への理解の仕方、対処の仕方、そして人生観を生み出していって、そういうことなった人生観を持った者同士が出会って「アスペと定型のカップル」が誕生することになります。

 そういう理解を仮にしてみると、その後にカップルが遭遇するいろんな深刻な問題をだいぶ理解しやすくなるのではないかと私は思いました。もちろん限られた経験や、皆さんから頂いた限られたコメント(で、私が理解できたように思う範囲)からの想像です。

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コメント

トマトです。

仕事終わりに友人AS君とよくお茶したりしてました。
仕事の人間関係などで愚痴ったとき、定型友人は「それはトマトも悪い」と感じても、一応ウンウンとうなずき「それは、災難だったね、大変だったね」という風に一端、肯定的に受け入れてくれるわけです。(意見やアドバイスは相手の様子を伺いながらタイミングを図る)
定型が感情トーク(コメント)をしたら、それは共感で受け止める。まずは感情を吸収してしまう。・・・そういうやりとりを本能レベルで定型はするので、そのスタイルに馴染み過ぎていて、

AS君のように、感情の吐露に対して「それについての僕の意見」がいちいち挟み込まれるスタイルに馴染みがなくて
「AS君、なんで、ここで自分の意見の披露をするの?」
「それは、トマトさんが悩んだり、理解出来ないとか言うから、僕なりに提案してるんじゃないですか!」
「私は、ただ聞いて欲しかっただけよ」
「じゃあ、本題の前にそう言えば良いじゃないですか」
「では・・・只今から、ただ聞いて下さい」
「はい」
「(2〜3分話して)ちょっとォ、ちゃんと聞いてくれてるの?」
「ちゃんと聞いていますよ、何か?」
「だって、うつむいたまんまで頷きもしないし目も合わせないし、寝てるのかと思った」
「失礼な、寝ていませんよ、聞いてましたよ。答えりゃ文句言われるし、聞いてりゃ文句言われるし、トマトさんは注文が多過ぎます!」

よく、感情的、心情的な「解ってよ!」をAS君に求め「そう言われても僕には何とも解りませんね、僕はトマトさんではないですから」と切り返されていましたが
そもそも、「自分と他者の概念の境界線が無い」と定義されたAS君に「あなたと私では考えや感情が違う」を説いておいて「共感してよ、理解してよ、受け入れてよ」は、無茶だったのかなぁ。

かずきさんの
《夫と話していて思うのですが、定型が「あえて伝える必要が無い」と思っている事を「あえて伝える」のは、その必要性に気付くだけでも大変な事なのだそうですね》
というコメント。本当に本当にそうなんです。
日常生活では「なんでそこまで言わなきゃならないんだ」がどーしてもつきまとう定型。
でも、ASの人の言動に関しては、事細かな解説が得られないと混乱してしまう定型。

「感情のつかみ」が苦手なASの人にとって、自分の感情や感想を聞かれることも
他者の言葉にどんな感情欲求が含まれているかを察知することも
すごく難易度が高くて、誠意を込めた言葉やコメントが「そういうことじゃなくて」と一掃されると、これまた自己肯定感が凹まされますね。

ほがらかで堂々とした姿勢で、喋り方がにこやかで時に自信に満ちた印象のAS君の「僕ほど自信が無い人間は居ないんじゃないかと思う」
という言葉・・・今になってじんわり効いてきました。


トマトさん

「そもそも、「自分と他者の概念の境界線が無い」と定義されたAS君に「あなたと私では考えや感情が違う」を説いておいて「共感してよ、理解してよ、受け入れてよ」は、無茶だったのかなぁ。」

 ここもなんだか重要なポイントなのかなあと言う気がしました。
 アスペの方も「自分と相手は違う」ということを強調されることが多いわけですよね。
 言葉としては同じなんだけど、でもそのあとその言葉がどういうことに結びついていくか、
 そのへんに定型とアスペに違いがあって、混乱が起こるのかな。

 「違うけど同じ」ということをそれぞれがどう理解するのか、
 そのあたり、大事な問題の一つのように思いました。

夫がASです。
いつもこちらのブログには勇気づけられています。パンダさん、ありがとうございます。

毎日気が狂いそうになったり、でもまあ旦那好きだし、笑ってなんとか生きていこうとおもったりの、ごくごく典型的?なAS妻です。
旦那や子供が目を合わせて微笑んでくれた!とか喜んだり。

ふと疑問なんですが、知能が高く、コミュニケーションも会社ではほどほど、というタイプのASのかたって、
とことん、
「自分の感情に対しては」
センシティブで、洞察がとことん深く、思いやりに満ちて、優しいですよね。
(いっつも自分はあーだのこーだの分析して、傷ついたとか予想外の出来事には固まって汗書くとか心臓バクバクとかフラッシュバックするとか)
時には詩的ですらあるほど、とても想像力があり、繊細で優しいのに、
(面白いのは、自分の「体に対しては」妻や他人に対するのとおなじように冷たいですよね。疲れすぎてるのに平気で徹夜してぶったおれたり)

どうしてそういった繊細で傷づきやすい部分が、他人にもあるって想像できないんだろう。
よく、「死ねとか、他人にされていやなことはしないように」って注意されて、(他人に注意される、のは攻撃と受け取るらしいけど)
「いやじゃないからわからない」っていうけど、
そのくせ「死ねって言われた」、とかいうことを何十年もひきずって急に怒りだしたりする。それはいやだったってことじゃないの?

他人の感情と、自分の感情の境界線が「無い」定型を変だっていうけど、
娘や息子が嬉しかったら、自分の予定が狂ってもそれに合わせて子供の笑顔が見れれば嬉しい、っていうのはどんな文化でも共通した概念であり、それが人間の美徳ってもんじゃないの?それも定型の奢りなの?

結局、ASの人は、AS同志でなければ、
定型の感情とか、「こころ」という意味においては、
配偶者や子供すら「認知」できない、
ということは、
定型配偶者はASの人にとって「自分が楽になるためだけに、存在しているもの」?

誰か教えてください。こんな分析ばかりしてるから疲れるんですかね?(^_^;)

あ、楽になる、というのは物理的に雑務とかやるから、という意味です。定型がASの人にとって、感情的には楽じゃない、むしろ正反対で我慢の連続、同じように苦しんでいるのは理解の上です。。

菖蒲さん、こんにちは。玄です。よろしくお願いします。
鋭い観察眼ですね。
菖蒲さんの指摘の中の、「自分の感情に対しては」センシティブで、洞察がとことん深く、思いやりに満ちて、優しいですよね。(いっつも自分はあーだのこーだの分析して、傷ついたとか予想外の出来事には固まって汗書くとか心臓バクバクとかフラッシュバックするとか)

というところ、今までこの点について、定型の方がどう思っているのか、聞いたことがなかったのですが、なるほどですね。
いくつか、僕の捉え方と違っていたので、書かせていただきます。
まず、一番大きな違いですが、菖蒲さんは「感情」と表現されましたが、僕はこれらを感情とは思っていませんでした。予定外の状況が発生して、思考回路と動作がフリーズし、汗や体の変化がある。このときの失望感を「傷つく」と旦那さんは言ったのだと思いますが、「感情」ではなく、「脳を含めた身体反応」について話されていますよね。
この体の急変は、自分でも異常に思えますし、無視できないので注目・観察します。兆候を見つけて対処すればいいのか、気になるという意味で、僕もセンシティブです。

「思いやりに満ちて優しい」かどうかは??ですが、旦那さんが肯定的に表現されたのを、菖蒲さんがそう感じたのでしょう。では、旦那さんが自分の身体反応を否定的に受け止めていたら?深刻な負のスパイラルに入っている恐れがあります。気をつけてあげてくださいね。

菖蒲さんの旦那さんが、旦那さんの体の扱いに冷淡な点について。旦那さんがそのように言われたのでしょうか。僕も、全く同じ事を自分の体に思っています。別のところに書きましたが、僕にとって自分の体は、一番近くの他人です。

「繊細で傷つきやすい」ことは、他人はどうしようもない内面のこと。心配の声をかけられても労わられても、助けにならない(実質的な改善に役立たない)のです。
そう考えると、他者に「繊細で傷つきやすい」があるかは分かりませんが、もしあったとしても、介入は無意味という結論になります。

強く心に残ったフレーズは、何年も残るというのはありえます。
「嫌なこと」は、社会一般とのズレが大きいので、「イヤかどうか評価すること自体を止めた」というのが、僕の実情です。

僕は子育てを通して重要なことを学んだと思っています。言葉を話さない赤ん坊をあやしながら、何を訴えようとしているのか、一所懸命観察しました。この表情は、泣き方は、体温は、水分を最後にとって何時間経ったか・・・そういう状況把握の練習が、自分を成長させてくれました。

「相手がうれしいと、自分もうれしい」は分かりにくい概念ですが、家族が「うれしい」を感じることは、紛れもなく善いことです。
例えば、僕は何か作品を褒められたら嬉しい。またやろうというモチベーションになる。そういうモチベーションは体感できますし、この体感を相手が持つことは、協力体制ではかなり助かる。継続的に協力しあうためには、相手を「うれしい」と感じさせることが得策。定型が「うれしい」を感じる状況は大きく2つの側面があって、「相手が嬉しいと感じることをする」と、「相手が自分を嬉しがらせようとしたことを、感謝と共に言葉や行動でフィードバックする」を意識的に実行することが、よいようです。

たしかに、僕は「こころ」に関して、疎いです。
色々と見聞きしていますが、「感情表現」と言われるものはほとんどは、身体反応や脳の興奮を説明したに過ぎない気がします。そして、その中でも特に「内臓表現」や「生理的感覚」とも言われる、キライ・キモイ・ウザイ・クルシイ・イヤダなどの「感情」は、それって「こころ」かぁ?という印象です。持ちたくないし理解したくもない。無視できる体質でよかったとさえ思います。(そういう心境を理解してもらうことも難しくなりますが)

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