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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月29日 (木)

傷の話(その1?)

 昨日からちょっと出張に行っていまして、先程帰ってきたところなのですが、安宿で今時珍しくネット環境もなく、また仮にあっても夜中に近かったので、あとは寝るだけ、という状態で、即応が物理的に出来ず、失礼いたしました。

 今、とりあえず少女さんのコメントまで一通り目を通させていただいたところですが、読み進めていく端から次のコメントが届く感じで、これを書いている内にまたコメントがあって、ここに書く内容がそれにあわなくなってしまうかもしれませんが、ご理解いただければ幸いです。

 いずれにせよ、私の理解力の範囲でとても共感できたご意見や、なるほど、と新しい発見をさせていただいたコメントや、うーん、この意味はどういうことなんだろ?と正直よくわからないところや、あるいは少なくとも私の意図とは違う受け止められ方をしているんだなあと感じるところや、とにかくさまざまで、論じられている内容がとても重要と感じているだけに、自分の中でも自分なりに整理して考えていきたい思いはありますし、色んな意味で途中経過で考えたことを書いてみる、ということになります。

 まずはみなさんのコメントの中から、私の頭に浮かんできたことを手がかりに、少し書いて私なりの整理のプロセスを始めて見たいのですが、今言及できないコメントについても、無視している意図はなく、ただ、少しずつ考えをまとめていく私なりの手順の中で、私自身の理解が現時点ではまだそこまでおいつかないために、言及できないのだとご理解いただければ幸いです。

 「傷ついた」と表明することについては、その意味について、肯定的、否定的両方のご意見を拝見しました。そしてコメントされる方によって、その理由はかならずしも同じ視点から論じられているのではなくて、それぞれ違う観点からの理由が述べられて、よく言えば多様な問題提起が実現している、とも感じられました(ただし、お互いの真剣さ、それこそお互いの傷にも触れる部分になるだけに、やりとりが「おだやか」にはなりにくく、見る方によっては「炎上」と感じる方もあるかもしれないとは思いますが)。

 また今回私が学ばせていただいている大きなことの一つとして、そこでの「肯定」「否定」は、定型かアスペか、ということで切り分けられることがないことも知ることが出来ました。「肯定」のご意見の中では、たびたび引き合いに出させていただいて恐縮ですが、素直に感じたことをそのまま書かせていただければ、私にはかずきさんのご意見が一番すっと入ってきて「その通りだよな」と感じるものでした。

 これはある意味では「相性」の問題があるように思えて、どうもかずきさんと私のパートナーが結構似たタイプなのかもしれません(パートナーはとてもじゃないが、自分にはかずきさんのような知的な整理は出来ない、と言っていますが、ある種感覚の問題として)。ですから、これまで私がパートナーと積み重ねてきた対話(やケンカ)の中で考えてきたお互いの理解の仕方に通じる部分が多い、ということが一つの理由なのかも知れません。

 それで、私が「傷ついた」話を書く理由は、ほとんどかずきさんがそのまま書いて下さっているような印象です。するりさんが次のように厳しく指摘されているように、「そもそも、私が使う「傷つきました」と違って、こういう場で、とりわけ定型の女性の方が使われる「ASの人の懇切丁寧な説明」を受けての「傷つきました」表明は、ただ単に「私、傷つきました・・・」ではないんですよね。」仮に「傷ついた」ということの表明が、対話の拒否を意味してしまうのだとすれば、何故そうなってしまうのか、という理由はとりあえず置いて、そのことだけについて考えれば、私にとっても理想的な形ではありません。

 「定型とアスペと、お互いにどういうところで傷ついてしまうのか」ということについて、どちらの側もほんとに理解が難しいことが多い、という現実を見た場合、まず第一に、傷ついたと感じた側が、自分はこういうところは何故か傷つくのです、という「主観的な事実」を伝え、(相手に傷つけようとする意図がある場合は別ですが)第二になぜそういう意図が相手にはないのに、傷ついてしまうということが起こるんだろうかというその理由とか、仕組みとかを考え、第三に、そういうものがお互いに納得できる形でもしある程度見えてくることが有れば、ではどうすることでそこで起こる不毛な対立や傷つけ合いを少しでも軽減し、できることならばもっと積極的な相互理解に結びつけられるかを考える。という作業が必要だと私は感じています。

 少なくとも私が記事で「傷ついた」という私個人の主観的な体験を表現したのは、そういうことを意図していましたし、ですから単に主観的な体験を表現したことで終わらせずに、「なぜそう言うことが起こるのか」ということについての、私がとりあえず考えた理由をその後で書いたということになります。ですから、私のメインの問題意識は後半の方にあったわけですが、コメントを拝見している限りでは、そのような私の意図がうまく共有していただけた場合と、そこがなにかの理由でまたずれてしまった場合とがあるなあと感じましたし、その点についての私の意図は少なくともトマトさんや新月さん、そしてかずきさんが述べて下さったように思いました。

 ただし、私が中庸である、という新月さんの過分な評価については、とてもありがたいことでしたが、でも謙遜とかでは全くなく、とても現実の私にはそういうことは出来ないと、本気で思っています。私に出来ることは自分の感じたことをすなおに表明すること、ただしそれは定型的な感じ方である可能性が大であることに注意すること、その上でアスペの方から見るとどうなんだろうということを想像し、表現してみて、アスペの方やみなさんのそれに対するご意見をいただいて、また考え直すこと、という作業の繰り返しをしようとする姿勢を持つことだけだと思うのです。それはある意味では永遠のすれ違いを含んだ対話の過程だと考えられるのですが、でももともと生きたコミュニケーションというのは本人がそのときは「わかり合えた」と思えた場合でも、また時が経つと「あれ?」という感じにズレが意識されてきたりする、そこでまた新しいコミュニケーションが必要になる。そういうものだと思います。ある意味ではいくらご飯を食べてそのときにお腹が一杯になっても、時間が経つとまたお腹が減ってきて食べないと行けなくなる。食べては出し、食べては出し、おんなじ事をただ繰り返しているだけのようにも見えるけれど、少しずつその経過の中で自分も変わっていって、それが死ぬまで続くのが「生きる」ということだ、ということにちょっと似ている感じもします。

 否定のご意見については、ひとつは上に書いたように、傷つきの表明が対話の拒否をい意味してしまう場合を想定したご意見があると思います。それからこれはどなたかが少し触れられていたかもしれませんが(すみません、今ちょっと思い出せなくて)、傷つきの話は自分のつらい感情体験につながるものともなるわけですから、そもそもそういう部分に触れるべきではない、という考え方もあると思います。

 この点については最近私がわりとこだわって考えているように、「感情の理解の仕方」や「コントロールの仕方」にアスペと定型で異なる工夫がある可能性があって、定型の場合には傷ついた話を「受容的に」聞いてもらえることでそれ自体が傷ついた気持ちを癒し、立ち直りのきっかけになる場合が有るわけですが(カウンセリングなんか、そういうことをよくやりますよね)、アスペの方の場合、少なくとも定型的にそれをやってしまうと、却って混乱がひどくなって、ますます傷ついてしまう可能性がある。そのことは実際にヒカルさんがご自身の辛い体験を紹介されていますし、私のパートナーも同じ体験を語ったりしますし、かずきさんも触れられていますので、ある程度アスペの方には広く強く共有される体験なのかも知れません。(定型でも「傷」については「受容的」に聞かれずに自分を抜きに「客観的事実」としてのみ他者に扱われたり、あるいは著しくは却って攻撃されてしまうように感じられた場合はやはり大きなダメージを受けます。でもここで「受容的」というキーワードが入るあたりはもしかするとアスペの方と違いがあるかも知れません)

 ではそういうことはどう考えたらいいんだろう、ということなんですが、ここは実際にほんとに難しいというのが正直な思いで、「お互いにこういうことで傷つくんだ」ということを理解すること自体はそのことによるコミュニケーションギャップを軽くしていくためにどうしても必要な作業だと思えるし、けれどもそれを理解し合おうとする過程自体がむしろ傷を大きくしてしまう危険性を持っている。前門の虎、後門の狼じゃないですけど、どっちにしたらいいの?という感じがします。

 ただ、ひとつ手がかりとして考えるとすれば、そもそも意図せず「傷つける」ことをしないでコミュニケーションを行うことが可能なら、アスペと定型の問題は半分以上解決したも同然だと思えるので、コミュニケーションを試みる限り、全くお互いに傷つかないですませることは不可能だという現実があります。そうすると選択肢はコミュニケーションをそもそも放棄するか、あるいは意図せずに傷つけてしまいながらも、その可能性に敏感である姿勢を保って、可能な限りそれを学び会って減らす努力を継続すること、のどちらかしかないのではないかと思えます(ここ大きなポイントの一つと思えるので、違う観点のご意見が有れば特にぜひお教えいただきたいところでもあります。実際、かずきさんは後者の観点で考えていらっしゃるように私は理解しましたが、思い違いでしたらすみません)

 とりあえず今の段階でまず思いついたことはそういったことです。このあたりも整理しながらどうしていったらいいのか考えていくべき所ですね。

 あと、まとまった議論でなくて失礼しますが、玄さんがご自分について「たぶん、トマトさんパンダさんを傷つけている筆頭」とかいていらしたのは、私の方はびっくりでした。少なくともいま思い出せる範囲で、玄さんの議論で傷ついたことが思い出せないからです。「謙遜」で書かれたのかも知れませんが、アスペの方の書かれることにあまり裏読みは適切でないとすれば、少なくとも私にとってほんとに玄さんの議論は「厳しい指摘」はあっても、それは「傷つけられた」という感覚とは結びつかず、「うーん、そうかあ」と考えさせられるようなものです。玄さんのコメントがそういうコメントと感じられるのは何故なのか、改めて考えてみることが大事と思いました。「真摯さ」が伝わるかどうか、というところはひとつポイントかも知れません。逆に言えば私が時々失敗するのは「ちょっとユーモア」のつもりで書いたことが「侮辱」のように伝わってしまったように思える場合です。文化が違うと「ユーモア」のツボがすごく違って、相手の方には「馬鹿にされた」としか受け止められない場合もあり、そのことを考えると定型アスペの関係の中ではますます難しいところなのかも知れません。(と頭で考えながら、ついつい「親しみの表現」として下手なユーモアをやってしまうところが、私の救いようのないダメさ加減です m(_ _)m)

 帆掛け舟さんのコメントについては、とても多岐にわたる問題提起があり、私には「ああなるほど」と思える部分も、「これはどうしてそう考えられるのだろうか?」と謎に思うところもいろいろで、改めてコメント欄の方で書いてみようかと思います。

 ではとりあえず。

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コメント

玄さんへ。 トマトです。  

私も、パンダさんと全く同じです。
玄さんががご自分について「たぶん、トマトさんパンダさんを傷つけている筆頭」とかいていらしたのは、私の方はびっくりでした。少なくともいま思い出せる範囲で、玄さんの議論で傷ついたことが思い出せないからです。

帆掛け舟さん

 ほんとうは「傷つく」の記事の方にお返しすべき内容ですけれど、コメントがものすごく沢山たまっているので、「空いてる」こちらの方で遣り取りさせていただきますね。その方がやりとりのつながりも見やすくなると思います。

 さて、まずはどういう遣り取りの仕方をしたら生産的かについて、とりあえずの私の提案を了承していただいて、ありがとうございます。それがベストかどうかは分かりませんが、ひとつの可能性として進めてみたいと思います。

 ということで、今日も新たにするりさんへの私の応答について、帆掛け舟さんからの問題提起がありましたが、それはまた順々にお話しを進めて、いろいろと前提的な問題を整理し・共有していってから、改めて考えることになります。ご了解下さい。

 まず「傷つく」のテーマについての帆掛け舟さんからの最初の問いかけは次のものだったと思います。

http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-23cd.html#comment-100502620

「あのやりとりの中から拾うところがそこ??という疑問はあるのですが^^;」

 帆掛け舟さんの疑問が「そこしか拾わないの?」という意味でしたら、それは私が意図していることとはずれました。考えていくべき事は膨大にあると思いますので、とりあえず私がひとつの入り口として考えてみたいことを拾っただけのことです。
 そうではなくて、帆掛け舟さんの疑問が「それは入り口として適切なの?」という問題提起でしたら、そこは私にはわかりません、ということになります。様々な可能性があるので、その中で私としては私個人の感覚で選択しています。
 そういう選択について、それを適切と感じられる方も、いやそれは違う、もっとこういう本質的な、大事な問題があるだろう、なぜそこから入らないんだ、というふうに感じられる方もあると思います。それはその方その方の問題全体の感じ方とか、考え方の癖とか、あるいは議論の進め方の癖がほんとうに多様ですので、そういういろいろな感じられ方が生じてもむしろ当然のことだろうと思います。
 逆に言えば誰もが「そうだ」と思えるような入り方はないでしょうね。
 さて、そうだとすれば、現実に出来ることは、状況をみながらも、最終的にはそれを書く人の考え方や感覚などによって、「まずはここを考えてみたい」という形で書くより他に方法はないと思います。「状況の見方」も人それぞれな訳ですし、その個性はよほど問題がない限り、お互いに大事にすべきことだと私は考えています。

 すこしこの点についてこだわって書かせていただいたのは、帆掛け舟さんのこの問題提起(というほどのものではないのだ、とおっしゃるかもしれませんが、それは一応その可能性は想定した上で)は、多分これからの遣り取りの中でも、繰り返し同じ質の問題提起が私の方からは行われることになると思いますので、私個人の基本的な発想の仕方をお伝えする意味でも、少し丁寧に書いてみました。

「不必要に、意図せずに相手を傷つけないような工夫」を探されたいようなので、一応書いておきます。

 ここは私の方からの質問なのですが、「探されたいようなので」とお書きになっているのは、「それはあなたの話であって、私はそうは思っていないのだけれど、とりあえずあなたの文脈にそって書きましょう」という意味でしょうか?
 つまり「不必要に、意図せずに相手を傷つけないような工夫を探す」ことは帆掛け舟さんとは共有されない目標のひとつということになりますか?
 もしそうだとすれば、また別に考えるべき事もあると思いますので、教えていただければ幸いです。
 
 ということで、できるだけポイントを整理しながらやりとりを進めるために、まずはここまでにさせていただきます。

緑さん

 すみません、この場は帆掛け舟さんとのやりとりの場としておきたいので、
 ご了解いただければ幸いです。

 おっしゃることは私なりによく分かる気がします。
 その上で、私が気になっている問題は
 「フェア」の基準が定型アスペでズレる可能性についてです。
 
 ということで、また必要でしたら別の記事の方でお書きいただければありがたく思います。

パンダさん、この場を設けてくださり感謝します。

>あのやりとりの中から拾うところがそこ??

について。重要度、優先順位の問題ですね。私は「ラべリング」の方が有用だと思ったので。トマトさんの傷にパンダさんが共感したから、わかるところだけ取り上げたように見えました。結局のところは、単なる入口、として取り上げただけなんですね?

「ラべリング」他もスルーされるおつもりではないようですので、安心しました。いつも、変なところ(というかパンダさんが共感できたところ)だけ拾って、いいこと(生の意見)が書いてあっても問題提起があってもスルー、の印象が強いので。こうしてここで向き合ってくださり、嬉しいです。私も喧嘩をしたくて来ているのではありませんし。

しかし、あちらでも書きましたが、パンダさんの文章には、本当に枝葉が多いですよ?目が滑ります。ご自覚がないのかもしれませんが。実生活では結構社会的地位の高いところにいらっしゃるのではありませんか?諫言してくれる人がいないのでは?私の親戚と被ります。まあ、私はその枝葉を刈り込ませていただきます。その過程で「重要なところが抜けた」と思われたら、ご指摘ください。


「探されたいようなので」について。現段階ではパンダさんが真に問題点と向き合って解消へと動けるとは思えない、また私がパンダさんから知恵を頂くことはないだろう、という意味です。私は実生活で、もっと精神的に安定感のある定型から、忌憚のない意見を得られますから。

漱石が、文章指南を受けにきた女性にこう言っています。

「これは社交ではありません。御互に体裁の好いことばかり云い合っていては、何時まで経ったって、啓発される筈も、利益を受ける訳もないのです。貴方は思い切って正直にならなければ駄目ですよ。自分さえ充分に開放して見せれば、今貴方が何処に立って何方(どっち)を向いているかという実際が、私に能く見えて来るのです。」

「その代り私の方でもこの私というものを隠しは致しません。」

「随分手ひどいことを思い切って云うかも知れませんが、然し怒っては不可(いけま)せん。貴方の感情を害する為にいうのではないのですからその代り貴方の方でも腑に落ちない所があったら何処までも切り込んでいらっしゃい。貴方が私の主意を了解している以上、私は決して起こる筈はありませんから。」

「要するにこれはただ現状維持を目的として、上滑りな円滑を主位に置く社交とは全く別物なのです。」(『硝子戸の中』より)

私が言いたいのも、全くこれと同じことです。「対話」「学び」とはそういうものではないでしょうか。パンダさんにそのお覚悟はおありでしょうか?残念ながら今までのやり取りを見る限り(結構記事を遡って読みました)、そういった地点にはお立ちではないように思います。

ですから私→パンダさんはあっても、その逆は無く、また、私の指摘がただの無駄骨に終わる可能性も高いだろうと思ったのです。また、漱石→女性と違って、私に学ぶべきことが無いわけではないのです。でも、それを私は他の人から得ている、ということです。しかし、ここを読んでいる他の方々に有用な点があるかもしれないので、こうしておせっかいな心から書いているのです。

「上滑りな円滑を主位に置く社交とは全く別物」、ご理解いただけますでしょうか?

私は決して起こる筈はありませんから

は「怒る」でした。まあ、わかりますか。

帆掛け舟さん

 昨日今日のするりさんとのやりとりで、
 「ああ、何が問題とされているのかの理解がほんとにずれていたんだな」
 としみじみ感じました。
 そういうズレがあれば、するりさんのいらだち(?)が何だったのか、
 私にも少し想像力が働きました(もちろん誤解の可能性は今もあります)。

 今回の帆掛け舟さんのお話を拝見していても、
 こちらも問題としていたポイントに
 相当にずれがあったんだなあとしみじみ感じています。
 私の能力が追いつく範囲で、になってしまいますが、
 できるだけ頭を切り換えて、帆掛け舟さんの議論にチューニングするよう
 心がけていこうと思います。
 そのために、私が考えようとしていたことについては
 それが必要になるまで一旦脇に置いておくことにしますね。

 さて、お書きいただいたことについて、
 ここでのやりとりの意味について、帆掛け舟さんがお書きになったことの意味は
 次のような理解でよいでしょうか?
 
 「パンダの文章は枝葉が多く、まとまりに欠け、わかりにくい。それは多分
 これまでちゃんとその問題について他の人から批判されてこなかったからだろう。
 私(帆掛け舟さん)にはその問題点は良く理解できるので、
 適切にアドバイスを心がけてあげたいと思う。
 良薬は口に苦し。本気で問題を克服しようとすれば、ものすごくつらい指摘にも
 耐えてそれを受け止めなければならない。パンダはそういう覚悟があるのかに 
 ついて、私(帆掛け舟さん)は疑問を持たざるを得ない。
 また、私(帆掛け舟さん)にとってはパンダの話から学べるものはなく、
 私(帆掛け舟さん)からパンダに重要な問題点を指摘するという
 一方的な奉仕的関係になってしまう可能性が高いし、
 それでさえもまともに受け止められるかどうか疑問が残る。
 まずは「社交辞令」のやりとりは意味がないと言うことをパンダは理解できるか、
 そのことを確認しておきたい。」

 ちょっと煩雑にも思われるかも知れませんが、
 仰ることの趣旨を私が誤解してお返事をしても
 またズレが拡大するだけになる可能性がありますので、
 とりあえず「私はこんなふうに帆掛け舟さんの書かれたことを理解したのですが、
 それでいいでしょうか」ということを確かめさせて下さい。
 もしその理解で問題がなければ
 それについての私の考えを書かせていただきます。
 誤解がありましたらお教えいただいて、また私の理解を修正した上で、
 次に進ませて下さい。

パンダさん、この、細かく分けて確認を取って進める方法、いいですね。大変だろうとはお察しします。ありがとうございます。

もう、すでにズレがあります。また、パンダさんの書き方からは、パンダさんが私を己の能力も省みない大変傲慢な者だと取っているように見えますが……(まあ、それでも構いませんが)。

漱石の話を持ち出したのは、文章指南のためではありませんよ?もちろん、その意味も含まれると取っていただいても結構ですが。私にできるのは、せいぜい一読書好きとしての指摘レベルです。単に文章の上達のためだけでしたら、専門の教室にでもいらっしゃればよいことです。それこそ一朝一夕で改善が見込まれるとは到底思えませんので、こちらで適当に刈り込んでお答えしますよ、大事な点を落としたらご指摘ください、ということです。

私が漱石の話で指したのは、ここでいつも取り上げられるような問題についてです。自分をさらけ出して、自分の醜さや愚かさと向き合う人ほど、改善に近いところにいるという意味です。ですから、あちらでもコメントしたように、取り繕うようなことをしていない(らしいと判明した)プルーンさんの方が、パンダさんよりも改善に近い所にいらっしゃる、と見えます。私はパンダさんの編集に惑わされました。プルーンさんの意図と大いにずれたことでしょう。その点はプルーンさんに申し訳なく思います。もし、メールの全文が掲載されていたなら、私があの引用をしなかった可能性も高いのです。

あの編集から見ても、パンダさんは「きれいごと」志向が強いように思えます。「みんな仲良し」、根本的解決ではない、臭いものに蓋的な解決がお好きというか。そのため、ズレが大きくなるのです。

あちらのコメントで判明したように、するりさんやかずきさんは「ここはパンダさん主宰の場なんだから」と嫌な思いを隠して参加されているのですが、そんな嫌な思いなど存在しないことにされてしまって話が進んでいるのです(ですから、参加者、特にここで我慢し続けているASの方は、こまめな苦痛の報告をお勧めします。言わないと存在しないことにされてしまいますし、それは結局パンダさんのためにもなりません)。

別に単なる奉仕的関係とは思いませんね。パンダさんへのコメントの形を取っていても、他の方へのメッセージでもあるわけですし。パンダさんがご理解できずとも、どなたかお一人にでもお役に立てば、十分書いたかいがあるというものです。

ここまでお読みになればおわかりでしょうが、私が現時点ではパンダさんから学ぶべきものがないと思うのは、パンダさんがきれいごと志向だからですよ?私は実生活で、自分の傷や恥を恐れず見せてくれる貴重な人に恵まれているのです。まあ、その相手は、言語感覚が鋭く、精神も安定しているので、こちらの考えを投げかけやすいということもありますが。

では、恥や傷を恐れない、社交辞令ではないやりとりについて、どう思われますか?いくら他の方のためになるかもしれないと言っても、あまりに話が噛み合わなければ不毛でしょうから、この点は一致することを願います。無理して合わせていただく必要はありません。一致しなければ、今は語る意味が薄いというだけのことです。

まとめると、
・適当に刈り込みますよ?
・きれいごと志向と手を切れますか?
ということです。ご理解いただけますでしょうか。

まあ、余計なことですが、「奉仕」という語にすでにパンダさんの差別意識が表れている気もしますね。こういう細かい引っ掛かりの件については、また。

帆掛け舟さん

 早速のお返事ありがとうございます。
 
 拝見して、私の方が帆掛け舟さんについてだいぶん誤解していたらしいことに
 気がつきました。失礼いたしました。

 とても素朴に書きますが、定型的に見た場合、帆掛け舟さんの挑発と
 断定に満ちた文章について、「配慮のあり方のズレ」の問題と理解していたのですが、
 そう言うことではなかったのですね。以下すこし理解の調整を試みます。


 帆掛け舟さんは定型的な「配慮」についてはかなり了解された上で、
 場合によっては実生活の中では定型以上に上手に配慮されながら、
 その「配慮」の仕方の「虚構」についてシビアに見抜かれている。
 その点でアスペの方も同じように定型の「配慮」の「裏面」を
 ストレートに感じ続けていらっしゃると私には思えるので、
 帆掛け舟さんの話はアスペの方達に受け入れやすい質を持っている。

 逆に定型の側は、誠意を込めた「配慮」が全く無視されたように感じ、
 ショックを受けている、という状況がある(と思える)わけですけれども、
 帆掛け舟さんは、この場はそういうレベルの「配慮」は
 相互理解に却って邪魔になるものだと考えていらっしゃる。

 そこで定型の配慮の仕方については一応了解した上で、
 ある意味では「あえて」それを無視した、「ストレートな(?)」議論を
 提起し続けてこられた。

 ところがパンダはあくまで「配慮」のことにこだわって書き続けているので、
 結局一番重要な部分は置き去りにされて、
 表面を上滑りするだけの空回りの話が続くだけになっており、
 その結果事態を却って混乱させ、悪化させていることが目立つ。
 そこに学ぶものは無い。

 つまり議論の本当の深まり、問題の解決への道は、
 「配慮」という名の「きれいごと」をさっぱりと切り捨てたところからしか
 見いだすことが出来ないのだが、
 さて、パンダはそれが出来るのだろうか?


 そういう理解で少し改善されましたでしょうか?

 仮に多少は改善されたと仮定して、の話ですが、
 「きれいごと志向と手を切れますか?」
 ということについては、私自身は母親がこの「きれいごと志向」とは
 ある意味で全く縁のない人ですので、
 そういう関係にはある程度慣れているところがあると自分は思っています。
 ただ、私がその「きれいごと志向」と手が切れるかというと、
 私のその「きれいごと志向」はそういった生育歴の中で、
 「きれいごと志向」の否定(のひとつのあり方)がもたらす負の面を
 かなり深刻な形で背負わされた結果、作られてきた部分があります。
 その意味で血肉化されたものですので、
 そういう経緯を切り捨てて「手を切る」ことは現実的には無理でしょうし、
 またそう簡単に手を切って良いものとも思えません。
 手を切ることによって起こる壮絶な悲惨さを思うからです。

 もちろん、ここは帆掛け舟さんのスタンスとは異なるところで、
 帆掛け舟さんは「きれいごと」のどうしようもなさこそ、
 問題にしなければならないと(少なくとも定型アスペ問題については)
 考えていらっしゃる。

 その意味で、私の「きれいごと志向」は根深いもので、
 決して表面的な付け焼き刃とは自分では理解していませんから、
 「手を切れ」と言われてもなかなかですね。
 手ではなくて「腹を切れ」と言われているようなものですから (^o^)

 そういうパンダと、その「きれいごと志向」の虚構をとりはらうことを
 最も重要なことと考えるスタンスを持った(と見える)帆掛け舟さんと、
 私には特にどちらか一方に「本質的な価値がある」とは思えません。
 状況次第でどちらも大事だし、どちらも否定的な意味を持つ。

 ですから、それぞれのスタンスから、とりあえず「自分にとって誠実な」
 議論がなされれば、それでいいのではないでしょうか?
 そこでズレが少しずつでも調整されて、問題が立体的に見えてくれば。
 逆に「手を切れ」という迫り方は、問題へのアプローチの仕方を
 単純化してしまう危険性を感じます。

 「適当に刈り込みますよ」については、
 それは私が「お願いします」などという種類の問題ではないと思いますので、
 お任せします。
 というより、私が「私はこういう理解をしましたがそれでいいですか」
 という問いかけをしているのは、私の側からの「適当な刈り込み」
 になっているとも言えるので、同じ事を考えているのかも知れませんね。


 ということで、私の方の理解のズレと思われた部分について
 少し修正を試みましたが、まだポイントを外しているようでしたら
 ご指摘下さい。
 
 

パンダさん、私の「挑発」はパンダさんを呼び出すためでもありました。こうして応じてくださり感謝します。

>帆掛け舟さんは、この場はそういうレベルの「配慮」は
 相互理解に却って邪魔になるものだと考えていらっしゃる

その通りです。

パンダさんの「きれいごと志向」が傷由来とは存じませんでした。
それでは、「きれいごと」は、パンダさんを支える神話のような役割を果たしてもいるのでしょうね。お辛ければいつでもおっしゃってください。

(同じような文化的背景を有する=日本の、定型内少数派ではない)定型との関わりにおいては「きれいごと」は有用でしょうが、すでに齟齬のあるASとの関わりにおいては、やはり邪魔です。

今私と話すにあたっては、「きれいごと」は、パンダさんとがっちり手を組んではいないがパンダさんの脇に立って見守っている、くらいのイメージで臨んでいただけると嬉しいです。少なくとも、帆掛け舟はそう望んでいるらしい、とは思っておいていただけましたら。

ええ、刈込みはお互い適宜。このやりとりの仕方自体が確かにそうですね。

では、次へどうぞ。

帆掛け舟さん

 特に挑発をして下さらなくても、場の状況で必要だと私が感じたときには
 出てきますので、どうぞそのような作戦は御無用に。
 それよりも、それを読まれた定型の側が、かなり帆掛け舟さんなり
 アスペの方に「構え」を強くされてしまうことの方が私は気がかりです。
 もっとも「構え」を持たせることがさらなる作戦の一部と言うことでしたら、
 これは私がこういう形でお願いすべき事ではありませんね。

 さて、とりあえず私の理解を前提に話を進めてもよいということのようですので、
 改めて次のポイントについて、お伺いしたいと思います。

1.帆掛け舟さんの言う「神話」について

 仰ることの意味は私なりに分かるつもりですし、私がそのような「神話」によって
 自分を成り立たせている、ということについても、特に否定したいとは思いません。
 (ただ、「神話」という言葉が持つ特別の響きが、お読みになる方に誤解を生む
 可能性も感じますし、実際ここでももめたポイントの一つですので、そこはちょっと
 難しいところですが)
 ということで、私の方は自分の「神話」について了解しますが、帆掛け舟さんは「神話」
 をお持ちでしょうか?もしお持ちならどういう神話と考えていらっしゃいますか?
 ここは私がアスペ定型のズレの問題を考えるときにもかなり重要なポイントの
 ひとつと感じていますので、お尋ねさせていただきました。

2.「神話」と「神話」あるいは「神話」と「無神話」の関係について

 仮に定型とアスペの間でそれぞれが特徴的な「神話」を持っている、と考えた場合、
 その異なる「神話」間の関係を取り持つ方法について、どのようにお考えでしょうか。
 あるいは定型は「神話」を持ち、アスペは「無神話」であるとお考えの場合、その
 「神話」と「無神話」の間でどのように関係が成り立たせ得るとお考えでしょうか。
 もちろん、この整理の仕方自体、問題のとらえ方として不適切、ということであれば、
 それもお教えいただければ幸いです。


 それから、これは今どうということではなく、またご無理をお願いすべきことでも
 ありませんが、もし可能であれば、帆掛け舟さんがアスペ定型問題に(少なくとも
 このように真剣に議論をして下さる程度に)関心を持たれた経緯についてお教え
 いただけるとありがたく思います。

 私の経緯については記事でおりおりに書いてきましたので、それぞれの議論の
 「背景」について理解があると、より議論の厚みが出てくるように思い、お尋ね
 しました。もちろんとても私的な領域にも係わることですので、ご無理は申しません。


 とりあえず上の二点についてお尋ねさせていただきました。あるいはそのような
 議論の「入り口の設定」の仕方自体に問題がある、ということでしたら、ご指摘
 いただければ幸いです。

パンダさん、その「必要だと私が感じたとき」とはいったいどういう状況でしょうね。今まで何度もそういう状況がありましたよ?普通の管理人ならここで出てくるだろう、という場面が。そういうことをしてこそ「管理人」と呼べるのだと思いますけど。それなしに「パンダさんがルール」だけは厳しく敷くというのは腑に落ちないことです。「主宰者」という肩書きに頼らない、だからルールもゆるい、というならわかりますけど。トマトさん(や新月さん)によると、そうではないようですし。

「構え」が出るのは個人的にはよいことだと思います。「いつ炎上させるかわからない」という緊張感です。ASは(全員かは不明です)、使える所だけ使いたいという気持ちから、嫌々合わせているだけですから。その「嫌々」を定型側も認識なさる方がよいでしょう。実生活ではそんな「配慮」はしてくれないASの相手をすることが多いでしょうから。「配慮してもらって当然」が「普通」になっては結局困ったことになるでしょう。まだ心に余裕のある私が「構え」を出させる役を担ってみただけのことです(かずきさん、ですからお気になさらず)。実は、定型側でも「嫌々」合わせているだけの方もいるかもしれないですね。まあ、あるいは他所へ移ったか。


1.私の場合は「神話」を必要とはしません。現実を受け止めるだけです。自分の無力さや無知であっても、認めなければ前進できませんから。事実よりもそれを覆い隠す(隠される)ことの方が傷つきますし、そんなことで慰められる自分はきっと嫌です。今後はどうだかわかりませんけど。ただし、これはAS側の総意ではありません。

2.パンダさんの文からは、定型のすべてが神話を有しているかのように読めますね。私はパンダさんご自身の神話について述べただけですよ?「この場に集まる定型」が、上滑りな社交の好きな方が多い(しかも社交をただの現実対処の術としてではなく、まるで本心であるかのように信じている?だからASと揉める)とは思いますが。個人的には、「神話」は傷ついた方(そして自己修復力の弱い方)が持つもの、というイメージがあります。幾人かの知人を見ていても。

私はASの代表ではありませんよ?パンダさんも定型の代表ではありませんでしょう?1例と思っていただかなくては、他の方々に私やパンダさんの考えがすべて通用すると取られては、大変です。

私がASと定型の問題に関心を持ったのは、プルーンさんへのコメントでも書きましたが、両親の絶え間ないいさかいがきっかけです。これ以上のことは申し訳ありませんが、伏せさせていただきます。

奥様のご苦労、お察しいたします。これは正直、ASと定型間のズレだけではないと思います(他の方々、その点に留意してこのやりとりをご覧ください)。文字が苦手そうなヒカルさんでさえ(勝手に引っ張って&失礼でしたらすみません)、読み違いは全然なさらないのです。それは漱石の件からも明らかです(ヒカルさん→新月さんへのコメント参照)。パンダさん、(そこそこ?)高学歴でしょう?社会的地位、高いでしょう?そこが仇になってはいませんか?

帆掛け舟さん

 お返事ありがとうございます。
 議論が拡散しないように、できるだけポイントを絞って、
 という方法を提案させていただきましたので、
 「必要と感じたとき」などの話は、また改めて後ほどということにさせて下さい。
 別にそのことを論じ合うことが不要だと考えているわけではなく、
 あくまで議論が拡散しないための工夫としてご理解いただければ幸いです。

 ただひとつ、ご両親の絶え間ない諍いがきっかけだったという点について、
 私も背景的には同じ問題を抱えて生きてきましたので、
 その意味で同じつらさを抱えて生きてこられたんだなあと共感しました。
 (ずれた共感でしたらすみません m(_ _)m )

 それから、この場での私と帆掛け舟さんのやりとりについては、
 出来るだけ「感情」ははさまないで、問題を丁寧に整理していく、
 ということが(帆掛け舟さんに)望まれていると理解していましたので、
 基本的にはそういうスタンスで進めるつもりでいます。
 私自身にとっては他人行儀の感じになってしまうところもありますが、
 議論の内容自体は誠実に向き合うつもりでいます。

 もちろん、たとえば私的な問題について、「全てをさらけ出せ」
 と言われたとしても、家族のプライバシーの問題などがありますので、
 そこはできないことがあることはお許し下さいね。
 記事では本当にかなりつっこんだところまで
 私だけではなく、家族のプライバシーにも触れて書いていますので、
 家族を守る上でも、そこは注意をしたいと思っています。
 いや、このことについては帆掛け舟さんも同じお立場のようですので、
 改めて言うまでもないことかも知れません。
 
 そのような私の「この場の帆掛け舟さんとのやりとりの性格」についての
 理解が、それでよかったかどうか、もし問題があれば仰って下さい。
 折角このような形で二人で向き合ってじっくり議論できる形になったので、
 可能な限りお互いにとって意味のある場にできたらと願っています。
 その点でも「何が意味のある場なのか」ということに、もしズレがあるようでしたら
 お教えいただければ嬉しく思います。

 さて、とりあえずご質問させていただいた1と2についてですが、
 順にお返事していきたいと思います。

1.神話を必要としているか否かについて

 帆掛け舟さんが「神話を必要としていない」生き方をされている、というスタンスで
 考えられていることは理解しました。ということは、私が想定した「神話」の意味とは
 少し違っていることもわかりました。私はここでは「神話」を人がもっている人生観
 とか、世界観くらいの意味で使いました。
 帆掛け舟さんにとっては「神話」とは、「事実を覆い隠し、偽りの慰めを与えるもの」
 というような意味合いを含んでいるのですね。そういう考え方がありうることは
 私なりによく分かります。と同時に、そういう考え方は「ひとつの考え方」に留まり、
 議論抜きに前提として共有することはできない種類の考え方だ、
 というふうにも思います。
 この点はとても重要な問題と私は考えていますので、もし帆掛け舟さんにも
 同意していただけるのでしたら、このポイントについては少し議論を深めていきたい
 と思っています。
 なぜ世界観が「神話」になるのか、ということについては、その問題とも密接に
 関係すると思っていますが、もし必要でしたら、議論の素材としても
 私の理解を書かせていただきますので仰って下さい。

2.「神話」と「無神話」について

 1について帆掛け舟さんがお書き下さったことを前提にすると、帆掛け舟さんとしては
 私がお尋ねした質問については「神話」と「無神話」の関係の話になるかと思います。
 ただし、その問題を「定型」と「アスペ」に対応させて考えることはできないだろう、
 というご指摘でしたし、そこは少し修正させていただいて、帆掛け舟さんの考えと
 私パンダの考えとの関係ということで議論を進めさせていただく、ということで
 よろしいでしょうか。もちろんそこから改めて定型アスペの問題にどこかでつながって
 いくことを想定してのことです。
 その上で、あらためてお伺いしたいのですが、「神話」派の(?)パンダと、「無神話」
 派の(?)帆掛け舟さんが、人生の根幹にも係わる重要な問題について、お互いの
 ズレを調整するために、どういうことが大事だとお考えでしょうか。

 (すみません。この議論、理屈としてとてもわかりにくい話になってしまっている部分が
 あります。なぜなら、私は帆掛け舟さんがご指摘のように、帆掛け舟さんを含めて
 「神話」から自由ではあり得ない、という理解をしていますので、上の書き方は、仮に
 帆掛け舟さんの議論の仕方で考えた場合に、どういうことになるだろうか、と言う意味で
 書いています。それでは議論が却って混乱するから、先に「神話」から人は自由に
 なれるかどうかについて、お互いの考え方を整理しておいた方がいい、ということ
 でしたら、また1に戻る形ですが、そこから議論を進めさせていただきます。)

>(ずれた共感でしたらすみません m(_ _)m )

いいえ、別にずれてはいません。ありがとうございます。でも、今のやり取りにはあまり関係ありませんのでもう脇に置いていただいて結構です(笑)

プライバシーには当然互いに配慮して、何がどう辛いのかという自分の傷を隠さずさらけ出すという意味でした。恥を恐れず、相手の嘲笑や怒りを恐れず。


進める前に一つ。
単刀直入にお聞きしますが、パンダさん、何か宗教に入っておいでですか?
この点、無視すると大いにずれるのでお答えいただけると大変助かります。すでにズレまくっていますが、ここまで修正が必要だと思っていませんでした。私も暇ではないので。

知人からの指摘で「確かに~」と思ったのが、パンダさんが「神話」や宗教ネタに過剰反応されているということです。また極度なきれいごと志向も、単に傷のためだけではない気がしてきました。ネットで見た、某新聞の漫画を思い出します。

もう一つ、知人によると「どうでもいい単語に飛びついて話をずらしまくっているパンダさんの方がASっぽい。パッチワークの謎が解けてきた」とのことです。そこも確かに……。ここに現れるASの方たちとは、こんな風に文脈無視して単語に飛びつかれてずれることってほとんどない気がします(多少玄さんがそんな感じではありますが)。


では、
・何らかの宗教の方ですか?

背景を明らかにしていただきたいです。
大変重要なので、なにとぞ包み隠さずお答えくださいますよう。

補足。宗教名までは別に結構です。
しかし、この砂漠に水を撒くような徒労感の背景を明らかにしたくて。

ちなみに私は日本人的に無節操な者です。特定の宗教を信じてはおりませんが、無神論者というほどではありません。

お答えになりたくなければ、こういう話が出るのを避けられないので、神話の話自体パス、ということにしていただければ。

帆掛け舟さん

 宗教については、私は無宗教者で、まあ無神論でしょうね。
 考え方として比較的共感する部分を持つ宗教と言うことであれば、
 親鸞の考え方とか割に好きですけど。
 あと、禅宗の考え方とかはわりに興味があります。
 別に深く学んだことはありませんけど (^ ^;)ゞ

 「神話」を私はそのレベルでは論じていないつもりですので、
 別に「神話」という用語を使わなくても結構です。
 「人生観」「世界観」の方が誤解が少ないようでしたらそうしましょう。
 
 では元に戻ってよろしくお願いします。

パンダさん、お答えくださりありがとうございます。
いえいえ、別に私も宗教論争したいわけではありませんし、そんな力はありません。ただ、私の知らない傾向にあれこれ配慮して差し引いて聞かなくてはならないとすると、到底私の手におえるものではない、と思いました。

1.パンダさんが単語に特に深い意味を読まれないのでしたら、「神話」という語でも大丈夫でしょう。私の使った「神話」=人生の「お守り」や「支え」としての「物語」程度のつもりでした。本人の人生観そのものというよりは、鎧のように作り上げたものとして。みじめな現実から目を背けるための物語という意味です。本人が生きるために使うのは結構だけれど、他人に押し付けられましても、ということでした。

2.私にはそのような自分を補強する「物語」は不要だということです。私なりの世界観は無論ありますが、まああっさりしすぎて、聞いても面白くないでしょう。←拾わなくて結構です。身バレ防止のためにも語りたくありません。

あまり話が広がらなくないですか?パンダさんの世界観自体にも私は別に興味ないですし。私が「神話」という語を持ち出したのは、私とのやりとりで辛くなって、パンダさんがうわべの社交の世界へ逃げ込みたければ、いつでも中断へ持って行ってください、それはパンダさんの「物語」として尊重しましょう、というだけです。もう、他の話題に移ってくださる方が助かります。

ただし、その「物語」を私に押し付ける形で語ってこられると面倒です。傷を恐れず見せるか、中断するか、にしていただきたい、ということです。

帆掛け舟さん

 すみません。また私の誤解が大きかったのかも知れません。
 コメントで帆掛け舟さんが繰り返し「パンダの話は理屈がなってない」
 と指摘されたように理解しましたので、
 私自身はこのブログではできるだけ「日常の経験から考える」
 と言うことを大事にしたいと思っていましたけれど、
 帆掛け舟さんとの間では、かなりちゃんと議論を整理しながら
 筋の通った、積み重ねがしっかりと効くやりとりを心がけなければ、
 と思っていました。

 それで帆掛け舟さんの投げかけられた話の中から、
 私の思考の中ではかなり重要なキーワードと判断された部分について
 誤解が少なくなるように理解をすりあわせる作業をしっかりしながら、
 そこが成り立った段階で、次の重要なステップにつなげる予定でした。
 
 あらかじめ私のイメージしていた議論のステップを書いてみますと、
 (もちろんそれは遣り取りの中で柔軟に調整すべきものと思っています)

 「物語(帆掛け舟さんにあわせてこちらの用語に変更します)」が人間にとって
 どれほど重要な意味を持つかについて、議論をしてみて、それについての
 考え方のズレを理解する。

 こういったブログのやりとりも、ひとつの「物語」を生み出したり、強化したり
 変化させたりする過程として理解する、という考え方について
 議論をして、そこでの考え方のズレを理解する。

 「物語」の重要性を前提にしたときに、遣り取りの中でどういう遣り取りの仕方が
 重要になるかということについて議論をしてみる。

 また「物語は不要」と考える方との議論はどのように展開することが
 稔り多くなるかを考えてみる。

 と、とりあえずは数回でその辺りが整理できればなと思っていました。
 私にとってはそれはとても重要で、その次につながる
 稔り多い議論だと今も感じていますが、
 帆掛け舟さんがそう感じられないと言うことでしたら、別にこだわりません。

「私が「神話」という語を持ち出したのは、私とのやりとりで辛くなって、パンダさんがうわべの社交の世界へ逃げ込みたければ、いつでも中断へ持って行ってください、それはパンダさんの「物語」として尊重しましょう、というだけです。」

 ご心配ご配慮ありがとうございます。もともとこういう場を準備させていただいた
 わけですから、私の方は全然継続で構いませんし(ただしお互いにこれだけに
 全ての時間を割けるわけではないので、ぼちぼちやりましょう、ということは最初に
 ご提案させていただいた通りです)、少なくともお互いのズレがお互いにとって
 分かりやすい形で見えてくるくらいまでは最低限継続が当然と思っています。
 それは困難な作業であることは当然で、そうでなければアスペ定型問題で
 こんなに多くのかたが(専門家も含め)悩み続けることはないですものね。
 そういう困難な作業にしつこくとりくむ根気がやっぱり不可欠かなと思っています。

 で、そういう大変な作業が「社交辞令」のレベルで実現できるわけないわけで、
 そのことについては

 「私が言いたいのも、全くこれと同じことです。「対話」「学び」とはそういうものではないでしょうか。パンダさんにそのお覚悟はおありでしょうか?」

 と帆掛け舟さんにも念押しをされていますし、私もとっくに「覚悟」はしてますので、
 ご心配いただかなくても大丈夫だと思います。
 ただ、

 「大事なポイントに切り込み、自分にとって辛くても誠実に受け止めて考える」ことと
 「他者を挑発すること」とは似て非なることという理解もしていることは
 お断りしておきますね。別にわざと挑発されなくても真面目に議論しますから。

 でももしなんらかの理由でどうしても中断しなくてはならない状況になったら、
 そのときはまたご相談しますので、そうでなければどうぞお気兼ねなくお続け下さい。

 それで、一応今回頂いたお返事に合わせて、
 新たに私の方からご質問をさせていただきたいと思うのですが、
 もし「いやそういう議論ではなく、こういう問題を議論しよう」という
 ご提案がありましたら、折角の話題が中途半端になるのはちょっと残念ですが、
 私の方は帆掛け舟さんに合わせさせていただきます。

 では私の新たなご質問ですが、

 3.「物語」は不要、という人生観はそれ自体一つの「物語」と言えないか。

 ということです。決して言葉の遊びをしているつもりはありません。
 私が理解している範囲では、この問題は世界中で多くの方達が
 かなり真剣に議論をしてきた問題と思いますし、
 私もほんとに大事な問題だと感じています。

 ただし、それはやはり定型的な発想での議論である可能性もありますので、
 そこも私にとってはとても知りたいことの一つです。
 その辺も帆掛け舟さんに教えていただければなと考えています。

 では、議論のテーマの変更の可能性も含め、よろしくご検討下さい。

帆掛け舟さん

 すれ違いに新しいコメントが入っていました。

 「その「物語」を私に押し付ける形で語ってこられると面倒です。傷を恐れず見せるか、中断するか、」

 「傷を恐れずに見せる」ってなんのことでしょうか?
 どういう文脈で何のために傷を見せるのか、限定していただかないとなんとも
 お答えのしようがありません。

 それに私は常に記事の中でも自分の傷を書いてきましたので、
 問題があるとすれば、なぜ帆掛け舟さんにそれが傷として理解されなかったか、
 ということでしょうね。その問題も重要だと思います。

 ということで、補足させていただきました。
 上の投稿についてご意見をいただければ幸いです。

パンダさん、どうでしょうね?私から見ると(あるいは知人から見ても)、パンダさんはまだ「恥」の意識の方が強いように思いますよ?カッコいいとこを見せたがるというか。「上から目線」とも言えますが(無自覚でしょう?)。少なくともいつものコメントや記事では。

3.「物語」は不要、という人生観はそれ自体一つの「物語」と言えないか。

さあ……。正直、どうでもよくないですか?パンダさんの主宰者としての器のことだとか、この場の仕切り方だとか、もっと有用な話題があるのではありませんか?思想家の列に加わりたいのでしょうか?

こういうことこそ、記事になさって、他の方々のご意見をお聞きになってはいかがでしょうか?それには私も興味があります。AS・定型とも、なんらかの物語にすがっていきているのか?物語を必要とする・しないの分かれ目はどこにあるのか?と。

というか!飲み屋でねーちゃんに絡む寂しい人みたいですね。説教したくて、「人生とは」と語りたくてたまらない。酔っぱらっていらっしゃるのでしょうか。私には無料で聞いてあげる義理はないですよ?

帆掛け舟さん

 「AS・定型とも、なんらかの物語にすがっていきているのか?物語を必要とする・しないの分かれ目はどこにあるのか?と。」

 このようなお返事ということは、私の提起した問題の意味については
 全く理解されていないことになってしまうのですが、そこはもういいですか?
 必要なら私に可能な範囲で説明します。ご遠慮なく仰ってください。

 お互いに理解できないことはできないこととして、
 正直に表明して説明を求めることが必要だと思います。
 「恥の意識」にとらわれないという帆掛け舟さんのことですから、
 そこはほんとにご遠慮なくどうぞ。

 議論のテーマを変えたいということでしたら、どうぞ具体的にどの問題を
 議論していきたいとお考えか、ご提案下さい。

 もうひとつだけ、これは私の個人的な印象に過ぎませんが、
 現在のこのやりとりのズレ方は、アスペ定型間に発生するズレとは
 少し違う質のずれのように感じます。
 少なくとも、たとえば私のパートナーと議論がズレる場合には
 理解内容のズレの問題は発生しますけれども、
 こういう形の「議論の基本ルール」に係わるズレは感じません。
 なんでしたら相互理解のためにはどういう議論の基本ルールを
 共有する必要があるのか、
 それについての考え方のズレの問題を論じても私の方は結構です。

パンダさん、パンダさんの問題提起の意味、わかっていないでしょうね。ここ読んでいる方でちゃんとわかっている方がいたら、別の記事にコメントしていただきたいものです(ええ、ぜひ)。私は、わかる意義があるのか???と思ったので矛先を変えただけですよ。それを私から得る意味があるのか?ということです。

パンダさんのおっしゃる「物語」の件。たとえば。犬を飼っていない人が「犬小屋の必要性」を考えるようなものです。「犬小屋の必要性」は、犬小屋が欲しくなるような状態の方が考えるものでしょう?私にとっての「物語」も、そんなものですよ。私は犬を飼っていない、ということです。

・犬を飼っていない人における犬小屋の必要性
・犬小屋は不要、という考え方はそれ自体一つの「犬小屋の必要性」といえる

みたいなことになりませんかね??
飼ってもいない人が、なぜわざわざ庭の一角を割く必要があるんでしょう?
犬を飼いたいんだろう?とおっしゃりたいのでしょうか。
私は「物語は不要」なんて突っぱねること自体にすがって生きている訳ではないのです!

パンダさんなりの相互理解のための議論の基本ルール、ええ、ご説明お願いします。
私がしたようなもの(「双方傷をいとわない」)では足りない、ということですね?正直、これは議論と呼べる段階ではない気がするんですけど(言語読解の共有がなされていないので)。

「傷を見せる」ってどういうことだと思われますか?

ええ、AS定型の問題以外のところでズレがあるとは、私はずーっと申し上げているではありませんか!

(するりさん、楽になりました~(笑)ありがとうございます!)

PBと申します。

せっかくのお二人の対話に横から入るのも無粋で、帆掛け舟さんの当初のご希望にそむくようで申し訳ないのですが、傍から見てあまりにも不毛な対話のように見えます。飲み屋で仲裁に入ろうとしているおせっかい者とでも思っていただき、お二人が失礼だと思われるようでしたら、以下の発言は無視してください。

第三者として客観的に見ると、失礼ながら、理解していないのはパンダさんに見えます。

帆掛け舟さんは、

「自分には「物語」は不要」
「他の話題に移ってくださる方が助かります」
とすでにおっしゃってます。

「「物語」は不要、という人生観はそれ自体一つの「物語」と言えないか」というパンダさんの問いについては、
「正直、どうでもよくないですか?」と言ってらっしゃって、「議論するつもりはない」と言っていると見えます。

「パンダさんの主宰者としての器のことだとか、この場の仕切り方だとか、もっと有用な話題があるのではありませんか?」

とおっしゃっており、パンダさんの発言の

「議論のテーマを変えたいということでしたら、どうぞ具体的にどの問題を
 議論していきたいとお考えか、ご提案下さい。」については、

「パンダさんの主宰者としての器のことだとか、この場の仕切り方」ならば議論する余地もある、とすでに言ってらっしゃるように思います。

パンダさんの要望には、帆掛け舟さんはすでに何度も言葉を尽くして説明済みであるのにかかわらず、パンダさんが(意図的か無意識かはわかりませんが)理解しようとせず、結局はご自分のやり方を押し通そうとしているようにも見えます。

帆掛け舟さんはパンダさんの奥様ではないのですから、奥様相手には可能であるパンダさん独自の「議論の基本ルール」が帆掛け舟さんに共有できなくても当たり前だと思います。

帆掛け舟さん、

お疲れさまです。余計なおせっかいで、さらにピントがずれているかもしれません。もしお気を悪くされたらすみませんでした。

PBさん、いえいえ、楽しい気分にさせていただきました。
どこのどなたか存じませんが、助け船を出してくださりありがとうございます!

そうなのです。なぜ、このズレがわからないのか、私の答えが通じないのか、もうギャグでいいよ、こういうずれっぷり自体が他の方の参考(ズレ見本として。パンダさんの読解力や整理能力のチェックとして)になるでしょう?と乗っていました。

このような、客観的に整理してくださる意味でのご参加なら、私としては大変嬉しいです。ここのいつものコメントの流れをご覧になっていればおわかりでしょうが、途中で入ってこられると、整理どころか散乱させる横槍になって余計にこじれる場合が多いので、「今は他の方はご遠慮を」と述べただけなのです。

そう、私はあなたの奥さんではない、というのは重要ですね。
大体、奥様がちゃんと理解なさった上で議論されているかも不明ですし(ご本人は登場されないので)。

帆掛け舟さん

 「ええ、AS定型の問題以外のところでズレがあるとは、私はずーっと申し上げているではありませんか!」

 確かに仰るとおりです。失礼いたしました。
 ブログの趣旨が定型アスペのズレの問題、コミュニケーションの問題がメインだった
 ものですから、その意識に引きずられてしまいました。
 確か帆掛け舟さんはそもそもコミュニケーションに関心をお持ちと書いていらしたと
 思うのですが、そうならもっと一般化した問題として議論した方がいいですね。

 「パンダさん、パンダさんの問題提起の意味、わかっていないでしょうね。ここ読んでいる方でちゃんとわかっている方がいたら、別の記事にコメントしていただきたいものです(ええ、ぜひ)。」

 ええと、こういうところで、「あれ?」と思ってしまうのですが、
 なぜなら、この議論に入る前に、帆掛け舟さんが他のみなさんに、
 「この議論には入ってこないでください」と呼びかけられていましたよね。
 別にそれを固持しなければならないとは思いませんけれど、
 一度そう宣言したからには、その方針を転換するに当たっては、
 「過去にこう宣言したが、こういう事情で方針を変えたいのでよろしく」
 というような説明が必要だと私は感じるんです。
 それが自分の議論の一貫性や矛盾のなさを保証する前提になりますから。
 そうでなければ、単にそのときの気分でどうにでもいってるだけ、
 という世界になってしまいます。
 あ、これも「議論の基本ルール」の重要な一つだと思います。
 もちろん、「論理性を持った議論」に不可欠なルールになります。
 それが簡単に崩されてしまうと、議論が積み重ならず、成り立たないからです。

 「私は「物語は不要」なんて突っぱねること自体にすがって生きている訳ではないのです!」

 この「!」マークはすごく感情的な印象を受けてしまったのですが、間違いでしょうか?
 もし間違いでないとすれば、そこには怒りやいらだちなどが表現されていますよね。
 誤解ないようにお願いしたいのですが、それが悪いと言いたいのではありません。
 むしろ「そんなものにすがってない!」と強く強調したい気持ちになることの重要性を
 ここでは取り上げたいのです。、
 その気持ちはその人の価値観と切り離せないもので、そして
 価値観は個人、時代、社会によって多様であると考えられるものですから、
 それを無前提に「普遍客観的なもの」と考えることはできません。
 そうすると、それはその人の「人生観」の一種、「処世の姿勢」を表すもの、であり、
 つまりはそれ自体がひとつの「物語」として相対化されるものだと言いたいのです。
 おわかりいただけますでしょうか?
 で、人々は誰もそういう人生の「物語性」みたいな物からは逃れられない。
 価値意識を持って生きている限り。

 そしてもしそうだとすれば、帆掛け舟さんのコメントや議論の多くについて、
 その主張の前提が崩れることになります。
 そこをご理解いただきたいんですね。それをご理解いただければ、
 かなり議論が安定し、生産的になるだろうと思えるので。
 
 「パンダさんなりの相互理解のための議論の基本ルール、ええ、ご説明お願いします。
私がしたようなもの(「双方傷をいとわない」)では足りない、ということですね?」

 ああ、なるほど、と思いました。帆掛け舟さんにとって「相互理解」とは、
 お互いに傷つけ合うことをいとわない関係なんですね?
 自分をさらけ出して、傷つけあって、その痛みの中で確かなお互いを感じあう。

 たしかにそれも一つの関係のあり方だと思います。
 そういうタイプの方は何人か知っていますので(しかも結構深く)、
 そういう生き方のプラスの面もマイナスの面も私自身の身体に刻まれています。

 さて、それはそれとして、もうひとつ、帆掛け舟さんが「パンダは言うことが
 まるで整理されていない」みたいな批判の視点につながる問題ですが、
 「論理的に議論をつみかさねていく」為には、いくつかお互いが守るべき
 大事なルールがあると思います。

 とりあえず思いつくままですが、
 まず、自分の主張に矛盾があってはいけない、というルールがあります。
 これはさっきAといっていたのに、今度はいきなりBと言い出す、
 というようなことがあると、相手の何を信じていいか分からなくなって、
 議論が有効に共有されなくなるからです。

 もちろん、人間の判断は複雑で、矛盾する両面を持っているのは
 普通のこと、自然なこと、あるいは人間的なことですらありますから、
 そういう人間のあり方を否定しているわけではありません。
 しかし、そういう人間のあり方を議論する際にも、
 人は何と何をどのような形で矛盾として生きているか、
 というようなことを整理して説明する必要があります。
 その整理には矛盾があってはならない。
 これは論理の基本中の基本ですね。

 先にも書きましたように、その点で帆掛け舟さんのいろいろな場での
 ご発言は、相互に矛盾する物が多いと感じられるわけです。
 そうすると、相手はその発言のどれを信じていいか分からなくなる。
 それでは安心して議論をすることが出来なくなります。

 もちろん、そういう矛盾した発言によって、相手を混乱させる、煙に巻く、
 ということは一種の「政治」としてはありうることです。
 でもそれは議論ではないですね。別にここはそういう政治をする場では
 ないと思っていますし。

 それから、議論の内容の評価と、それを語る人の人格の評価を
 しっかりと分けて考えることが重要だと思います。
 極端な話、相手が殺人者であろうと、そのひとの行った数学的証明が
 論理的に整合性があり、一貫したものであれば、それでいいのです。
 この点で帆掛け舟さんの議論は両者をごちゃ混ぜにしたものが
 あまりに多すぎると思います。
 私個人は人からぼろくそに言われることにも慣れてきていますから、
 帆掛け舟さんがどのように人格攻撃によって挑発をされても、
 まあそういうことが好きな方なのかと思うだけですけれど、
 困ったことにそれでは議論がなかなか先に進みません。
 そこは是非お考えいただきたいところです。

 とりあえずはこの二点、ご検討いただければ、状況はだいぶ変わると思います。
 
「「傷を見せる」ってどういうことだと思われますか?」
 
 はい、私の方は先にも書きましたように、記事などでも
 どういう傷つき方をしたかということはいくつも書いてきましたし、
 生育歴やパートナーとの葛藤の中の傷つきについても
 かなりプライベートな部分につっこんで書いています。

 で、おそらく帆掛け舟さんが求めていらっしゃる「傷を見せる」というのは
 そういうのとは少し違うことなのだろうという理解をしているのですが、
 私の方は別に今この場の議論でお示しすべき傷は思いつきません。
 それより私が不思議に思うのは、帆掛け舟さんが私に対しては
 「傷を示せ」と繰り返し仰るのに、ご自分の傷については
 決して語ろうとされないことです。

 いや、語らないことが悪いとは決して言いません。
 語らないこと、語れないことの大事さも私は切実に感じますので。
 問題は、ご自身が人に対してそれを要求しながら、
 自分はしないで済ませようとされる、その矛盾です。
 (誤解なさらないでください。語れ、と言っているのではありません)
 そこにはなんの対等性もない、一方的な命令的関係が生まれるだけです。
 それが健全な対話であるとは私は理解しません。
 単純な話です。「人に言うならまず自分で範を示せよ」というだけのことです。
 自分でできないなら人に求めるな、ということでもあります。
 (繰り返しですが、私は傷を語られることを求めているわけではありません)
 
 ああ、そうですね、これを議論の基本ルールの三つめの例として
 ご理解いただいてもいいと思います。

 ええと、だいたいこんなものでよろしいいでしょうか?
 おかしなところ、疑問点などありましたらどうぞお願いします。

 で、議論のテーマとしては「物語」の話は終わりにされたいのですよね?
 では新たなテーマをご提起いただけますか?


 あと、すみませんが、明日明後日は仕事の関係で
 応答が悪くなるか、場合によって出来ないことがあるかと思います。
 別に「逃げてる」わけではありませんので、ご理解の程を。

P・Pと申します。
仲裁二号です。飲み屋で別の席で飲んでるおせっかいなねーちゃんです。
私のコメントも気に障ることがあれば無視してください。

パンダさんの上記のコメントをみて、パンダさんは感情的になることをいけないと思っていて、論理的に裏付けがなしには自分の意見をいうことが苦手な方なのだな、と感じました。

これは、以前の記事にかかれているように、パンダさんのお母様との関わりから培われたものだと思います。これは、私自身にも似たような経験があるため非常によくわかります。

また、パンダさんは非常に相手に配慮をする方だというのもコメントから見受けられます。
なぜなら、パンダさんは自分の意見の正しさや、次のテーマの提示などを帆掛け船さんに問いかけておられます。
本来であれば、パンダさんのブログなのですから、帆掛け船さんに問いかけることもしなくてよいわけです。きっと日常生活でも、相手の意見に配慮して、相手との同意の上で物事を進めていこうとされる方なんでしょう。

きっとパンダさんの中で、それが「大前提」なのでしょう。
そして、帆掛け船さんはありのままに真っ直ぐに自分の意見をぶつける方なので、同意を求めて次に進みたいパンダさんとしては、それが議論の差しさわりのように見えるのでしょう。

しかし、議論の目的は「合意」ではないのです。論理的に推測して答えにたどり着くことは、合意を求めることとは異なります。
パンダさんの性格・特性的に「合意」を求める傾向があるため、帆掛け船さんとの議論がズレてくるのでしょう。

みんなが、自分の意見を忌憚なくいえる人ばかりではないです。そういう中で、議論の中で相手に同意を示すことは、相手に安心感を与え、相手の忌憚なき意見を引き出すツールの一つにはなります。
このブログでこんなにたくさんの人が自由に意見をかわすことができるのは、パンダさんの同意的返答やアプローチが、定型、ASの方の両方に安心感をもたらしているためでしょう。

私は帆掛け船さんのおっしゃることは全部よくわかります。そして、それをパンダさんが誤解してしまうのもよくわかります。
この私のコメントは主にパンダさんに向けて書いたものですが、もし帆掛け船さんに対してより伝えたいと意識して書けば、もっと「パンダさんにとっては」キツイ文章になってしまうと思います。

私自身は、ASの人たちの忌憚なき表現のほうが楽なので、ついASの人と話してしまうのですが、普段その他の人と話すときには言い方に気を付けてしまいますね、不用意に傷つけてしまうので。普段関わる人たちの中に、ASの人が登場したときは、ASの人と話すモードでその他の人に話すと、キツイ言い方になっちゃって、「しまったしまった」となることも多いです。

ちなみに、私は議論にかかわる職業についているので、おせっかいしてしまいました。

なにわともあれ、帆掛け船さんの同意がなくてもパンダさんの意見は成立するのですから、パンダさんは新しい記事を書いてまた色んな問題提起をする、といういつもの形に戻られてはいかがでしょうか。きっと帆掛け船さんも新たな視点でコメントしてくださると思います。

PBです。

飲み屋で酔っ払いにあてられた者とでも思っていただいて、不要と思われるようなら無視してください。

パンダさんのおっしゃる「論理性をもった議論に不可欠なルールとは」

「自分の主張に矛盾があってはいけない」
「議論の内容の評価と、それを語る人の人格の評価を
 しっかりと分けて考えることが重要」
「人に言うならまず自分で範を示せよ」
と、パンダさんご自身が書かれています。

帆掛け舟さんは、

「パンダさん、パンダさんの問題提起の意味、わかっていないでしょうね。ここ読んでいる方でちゃんとわかっている方がいたら、別の記事にコメントしていただきたいものです(ええ、ぜひ)。」

と、「別の記事に」コメントしていただきたい、とおっしゃっているので、当初の「この議論に入ってこないでください(話が散乱する可能性が高いので)」という主旨と矛盾しているようには見えません。

また、帆掛け舟さんの発言の

 「私は「物語は不要」なんて突っぱねること自体にすがって生きている訳ではないのです!」

に対して、パンダさんは「この「!」マークはすごく感情的な印象を受けてしまった」ようですが、それこそ議論の内容と、その人の人格評価(感情的表現の評価ともいえるかもしれません)を、パンダさんが分けて考えればいいことだと思います。

それが、「人に言うならまず自分で範を示せよ」ということだと思います。

「人々は誰もそういう人生の「物語性」みたいな物からは逃れられない。
 価値意識を持って生きている限り。」

というのは単にパンダさんの仮定ですよね。実際、帆掛け舟さんは「物語は不要」とおっしゃっておられるのですから。相手の発言を理解せず、自分の意見や仮定に拘泥しての議論を提案し続ける姿は、

「そこにはなんの対等性もない、一方的な命令的関係が生まれるだけです。
 それが健全な対話であるとは私は理解しません。」

とパンダさんがおっしゃっているように「一方的な命令的関係」のようにも見えます。それでは、議論は不毛で、相互理解にはいきつかないでしょう。

「では新たなテーマをご提起いただけますか?」

とパンダさんはおっしゃってますが、帆掛け舟さんは、(パンダさんが理解しなかっただけで)今までに何度も「テーマ」を提起してきたと思います。それを、再度取り上げなければいけないのですね。

帆掛け舟さん、

こんにちは。私の参加が迷惑にならなかったようで安心いたしました。客観的整理になっていれば良いのですが。

P・Pさん

 初めまして。よろしくおねがいします。
 二点ほど、私の理解が届かないように感じるところがありましたので、
 もしよろしければ、もう少し教えていただければ有り難いです。

「しかし、議論の目的は「合意」ではないのです。論理的に推測して答えにたどり着くことは、合意を求めることとは異なります。」

 私は議論の目的はズレの発見がとりあえず大事かなと思っています。
 ただし、ズレの発見が「関係が切れること」を意味するのではなくて、
 より多面的に物事が見れるようになることが大事だとは思っています。
 もう一歩踏み込んで言えば、「お互いに理解しきれない」ことを
 「理解する」ことの大切さを感じますし、そのことを前提として、
 どういう関係が可能なのかを考えることが必要だと思います。

 ですから、この遣り取りの中で、深刻なズレを感じてくださったとすれば、
 そのこと自体はとても大事なことだと思っています。
 そして何がずれているのかを知りたいというのが私の願いです。

 ということを前提にした場合も、「合意」の追求になりますでしょうか?

「それをパンダさんが誤解してしまうのもよくわかります。」

 もしそこをご説明いただけるととても有り難いです。

 それから、もしかしたら誤解かなと思える点なのですが、

「パンダさんの上記のコメントをみて、パンダさんは感情的になることをいけないと思っていて、論理的に裏付けがなしには自分の意見をいうことが苦手な方なのだな、と感じました。」

 ここで論理性を強調したのは、ブログの中では特殊な場としてのことです。
 ブログ全体としては帆掛け舟さんに何度も怒られているように、
 むしろ(少なくとも即座の、小さなレベルでの)論理性は気にしておらず、
 それよりも「現実の豊かさを知る」ことの方に重点を置いています。
 それからそこでこだわり、大事にし続けていることは「感情」の問題です。

 ただし、自分の「感情」を絶対のものとはしない、という相対化は
 常に心がけていますので、その限りでは素朴には「感情的にならない」
 ということにはなるかもしれません。それはまた別にそういう「毒吐き」の
 場がいくつかありますので、役割分担で考えた方が生産的だろうと
 思っています。

 もちろん論理的に整理することも必要に応じてしますけれど、
 それもとりあえずのことで、仮に分かりやすくしてみたらどうなるか、
 ということを考えてみているに留まっていると思います。
 とにかく小さな論理では割り切れない現実の豊かさを、
 色んな皆さんのいろんなご意見からみんなで感じ取っていくこと、
 ゆるやかにそれを共有財産にしていくことが大事だという感覚です。
 そこでは「合意」が問題なのではなくて、「考える場を共に出来る」
 ことがいちばんだいじなことかなと思っています。
 その点は今後もかわることはないと思います。

PBさん

 初めまして。どうぞよろしくお願いいたします。
 多分かなり誤解されている部分が多いと思います。
 書かれていることの大体はすでにコメントで論じましたので、
 ここで改めてご説明することは控えさせていただきます。

 テーマの提起の問題については、
 おっしゃるように

 「パンダさんの主宰者としての器のことだとか、この場の仕切り方だとか、もっと有用な話題があるのではありませんか?」

 ということは書かれていますし、それはもちろん意識していますけれど、
 「とか」で例示されていることですので、「これを」という明確な提案としては
 理解はしていません。私がお願いしたのは、具体的にテーマを
 選択してみていただけませんか、ということです。

 それにしても「主宰者としての器」を議論する、という発想自体が
 私にはとても興味深く思いました。別に議論しても全然構いませんけれど。
 ただひとつ不思議に思うのは、ここでも「帆掛け舟さんご自身の器」については
 予め議論の埒外に置かれているように感じられることです。
 他者の「器」について論じるときには、同時に「自分の器」についても
 同様に論じるということがあって、初めて対等な議論になると思うのですが、
 この点も感覚が大きくズレるポイントのようです。

PBです。

パンダさん、はじめまして。

私は、今回の議論および一連のできごととは関係ない第三者として、パンダさんのコメントおよび帆掛け舟さんのコメントを引用して、客観的整理を試みただけです。

パンダさんがおっしゃるように、
「多分かなり誤解されている部分が多い」ということであれば、パンダさんのコメントに誤解されやすい要素があるということでしょう。

テーマの提起の問題については、帆掛け舟さんは、今までにも何度も提起してこられていると思います。こちらの最初の方のコメントでも、

「私は「ラべリング」の方が有用だと思ったので」「「ラべリング」他もスルーされるおつもりではないようですので、安心しました。」と、ラべリングの問題をテーマにすることも提起されています。これもまた、改めて提起しないといけないのですかね。

P・Pさんのおっしゃる

「しかし、議論の目的は「合意」ではないのです。論理的に推測して答えにたどり着くことは、合意を求めることとは異なります。」という発言には同感です。

私自身は、不毛な議論を続けることも、話が散乱することも好みませんので、これ以降の発言は控えさせていただきます。

帆掛け舟さん、

「そういった地点にはお立ちではないように思います。」というご意見に同感です。どうぞ帆掛け舟さんもお疲れの出ませんように。

これはもう、ホンモノの香りが……。

PBさん、ありがとうございました。私から見ると、PBさんの整理は、全くずれていないです。ちゃんと読んでくださり、本当に嬉しいです。パンダさんにはまるで通じていないようで残念ですが、私は自分の文が誤解無く伝わることによって、また私が誤解していないらしいことを知ることができて、大いに力づけられました。

P・Pさん、ありがとうございました。プロの方(?)に、かような拙文をお目にかけて、少々お恥ずかしいです。パンダさんの顔を立てての撤退・終息の提案は通じていないようですよ(笑)

お二人とも、この場において、ここまでご自分の感情を混ぜずに整理してくださるとは、神レベルです(笑)「天は自ら助くるものを助く」って、こういうことか!?と思いました。ありがとうございます。


もうご返信は結構ですが。
パンダさんにとっての「傷を見せる」とは、「妻とこうこうこういうことがありました。辛かったです。」ということだけを指すんでしょうね。小学生の作…いやいや……。「帆掛け船は傷を見せていない」というご指摘、傷つきましたね(半分皮肉です)。本当に全然読んでいらっしゃらないんですね。しかも、このやりとりにおいては特に、そういった意味ではなく、意見を出すことによって自分が恥や傷を受けることを恐れないという意味だったのですが。相手に傷をつけることを恐れない、が主ではないのです。なんだかもう、漱石が汚されたようでガッカリです。そもそも、こんな場へ引用することにはためらいがあったのですが(でも、他の方々、あの本はオススメですよ)。

>私は「物語は不要」なんて突っぱねること自体にすがって生きている訳ではないのです!

の「!」は単なる強調ですよ?普通に句点で〆たなら、またいつものようにスルーされるだろう、と思ったからです。まあ、あまりの読み取りの悪さに呆れもしましたが、感情的というのは違いますし、そういった意味を読み取ることこそ、パンダさんが感情的になっておられることの証左ではありませんか。

最初のPBさんの仲裁にはお腹立ちのようなのに、味方度の高い(とパンダさんが判断なさったであろう)P・Pさんは手のひらを返して大歓迎とは。どちらも部外者ですのに。お二人とも私の提案を踏まえたうえで、これはちょっと異常すぎる事態だと見て入ってこられたのではないでしょうか。

器の件。私は誰にも私のルールの押し付けをしてはいませんよ?支配者として持ち上げられてもいませんし。差別の件といい、本当に「みんなだってそうだろう!」へのすり替えがお好きなんですね。

ご参考までに。
パンダさんが書かれた「アスペ(浅瀬)」みたいなのはカチンときますね。トマトさんの「コントになったとしても」も、私へのコメントではないですし、するりさんがどう取られたかはわかりませんのでスルーしましたけど。本人(もしくは似た者)が言う分には自虐ギャグだからいいけれど、他人が言ってはいけないこがあるのです。実際、私でさえも、するりさんに対して「コント」という言葉は使わない方がいいと判断して避けましたし。

今は、これ以上語っても不毛でしょうから、私はもう引き揚げます。お付き合い下さった方々、どうもありがとうございました。かずきさんのコメントにも勇気づけられました。ええ、どうぞ、ご自分の心に自信をお持ちになって。私自身もそうありたいです。緑さんも、さすがに私のコメントは過激すぎると引かれているのかな?と思っておりました。ありがとうございます。するりさん、笑わせていただき一気に楽になりました。ヒカルさん、土台的に補強してくださりありがとうございました。

また、どなたかがお困りの際には時々通訳的に入らせていただくかもしれません。でも、皆さんがいつも真剣に、あるいは苦痛に耐えつつ関わっているこの場所は、この程度のものなんですよ?その点はどうかお忘れなく。無駄に傷つかれることがありませんように。

帆掛け舟さん


お疲れ様でした。対話、しっかり見守らせていただきました。

私もこの話題はもう終わりにします。

「アスペ(浅瀬)」、「一人コントだったとしても」…は「微妙…」くらいの印象です。大丈夫、辛いこと沢山乗り越えてきたからそれくらいで傷つきません。他ブログに書いてたように、不死身なのかも(笑)

色々お気遣いいただきありがとうございました。

またお会いしたいです。

トマトです。

聞きたい事は、聞いた方が良いです。
今回のするりさんへの答えに関して、もし、個々人の検索時刻が記録として残っているシステムがあれば、県警のサイバー犯罪対策課でも、ネットに熟知している人へでも依頼して納得して下さい。
こういうことは、いたずらにコメントで応酬するより実際に行動を起こして検証した方がスッキリするでしょう、帆掛け船さん。

私は、自分の応えがするりさん達に、信用してもらえるかどうかの算段は持たず、事実をコメントしましたから。
つまり、算段を持たないというのは「相手に判断をすべてゆだねる」ということで、もし「信じられません」と返ってきても「仕方ない」という姿勢です。

ですから「疑います」という帆掛け船さんには「調べて下さい」という他ありません。


過去の出来事で個人名を使っての、本人不在のやりとりは気が引けますが、
私は、ASの皆さんが「Pさんの引用コメント」を見せられたときの感情は「当然、驚き心外と腹立ちになるわな、自分がコメントした側なら傷つく」と納得しました。
それと同時に、生活背景からくる定型共感のPさんへの思いがあり「(自業自得と言えども)これはしまったと困っているだろうな、後悔しても追いつかず、とても緊迫しているだろうな」と勝手にPさんの感情も感じました。
それと同時に、パンダさんのブログ主としての困惑も(勝手に)感じました。

当事者さんが出て来て、謝罪しても、事はもっと感情的になりそうな流れに感じました。
私の「皆さんそれぞれの気持ちがわかります、どうか落ち着いて」などという気持ちも、愚の骨頂の場面ということも感じました。

相手のコメントに、精一杯考えたり配慮したりしながらコメントをした側が、その行為や好意を真上から否定のナタを振り下ろされるようなコメントを読んだら、完全なる被害者です。
ただ、その過失を批判される1人が(AS定型に関わらず)「ごめんなさい」も言えないほどに萎縮していたら・・・。
それが自分の家の応接間(ブログ)で、訪問者同士の間で騒動になったら、まず家主さんは、怒らせた方の困り様や反省は聞いているので、次は傷ついた人達の代表者と話し合い、完全に納得を与えるには遠くとも「とことん話し合いに応ずる」ことで、家主として、どちらにも平等に誠意をつくしたことになると、私は考えます。

そこを、帆掛け船さんは全く買わず
『』と、パンダさんの場所を侮辱したのは、定型の日常感覚からすると「捨て台詞」の何ものでもなく、これだけ言うのだから「金輪際、来るつもりもないので言いますが」という覚悟が無いと言えない言葉として、受け止めますよ。

帆掛け船さんは気づいておられないのでしょうか?
誰かに帆掛け船さんが複数の人の前で『皆さんがいつも真剣に、あるいは苦痛に耐えつつ関わっているこの帆掛け船さんは、この程度のものなんですよ?その点はどうかお忘れなく』と、言われたら、どう思いますか?

そういうことをパンダさんにしたと言うことですよ。

トマトです。『皆さんがいつも真剣に、あるいは苦痛に耐えつつ関わっているこの場所は、この程度のものなんですよ?その点はどうかお忘れなく。無駄に傷つかれることがありませんように。』が抜けていました。

トマトさん、なぜこちらにコメントなさるのかわかりませんが。
私としては、正直どっちでもいいんですよ?貴方が知っていても知らなくても。それより重要なのは、トマトさんは「そういうことを平気でなさるお方だろう」という点です。別にその件に限らず、するりさんも別のコメントで書かれているように、「なぜ助けられたのに助けなかったのか?後出しで助言なさるのか?しかも助けに入ったコメント(帆掛け船の宗教のたとえ)だけ非難なさるのか?」そこはスルーですか?私から見ると、するりさんが期待なさっているような「良心の呵責」すら起こすお方ではないとも思いますがね。だから、こういう事態になるのです。だから、己の「善行」を嬉々として触れ回ることができるのです。

私の書いた「この場所」のことは、別にプルーンさんの件だけを指すのではありませんよ?このやりとりをしっかり再読なさることをおすすめいたします。そして、パンダさん擁護のおつもりの善意が仇となって、彼に恥を掻かせているのではありませんか?いい大人なんですから、そのようなことはパンダさんご自身がおっしゃればよろしい。

まあ、この場はPBさんたちのようにまともな方も覗いていらっしゃることがわかっています。ちゃんと見る目をお持ちの方なら、誰のどこにどう非があるのか、なんてことは明らかでしょう。おわかりにならない方は、見る目がない(内容をよく読まない)からこそASと揉めがちなタイプである、とも申せましょう。

トマトさん

 いろいろどうもありがとうございます。
 トマトさんが必死の思いで訴えてくださっていること、
 私としてはこの間の遣り取りの中で、
 なんとか通じ合う形を見つけて論じ合いたい問題そのものでした。
 
 残念ながらその問題にたどり着くことも出来ないまま、
 議論が打ち切られてしまいましたし、
 その後もご本人は勿論、するりさんやかずきさんにも
 その問題のポイントは伝わらない状況が続いています。
 (するりさんやかずきさんのされる議論とはちょっと違う質の議論の問題を
 提起しているつもりなのですが、その違いの部分が伝わらない感じです)
 もちろん「伝わらない」思いはお互い様ということが前提の話ですが。

 今はこれほどある意味で深刻な「見え方」のズレが
 お互いの間にあることをとりあえずは確認する、
 というところまでで収めてはどうでしょう。
 いずれ、またもうすこしまともな議論ができる環境を
 回り道をしながら模索していくことにしたいと私は思います。

 たとえ「戦争」であってすら、ルールは存在しています。
 ましてや議論の中で何かを共に生み出そうという場では、
 自ずと必要なルールがあると思いますが、
 そのあたりの認識から今はお互いに共有されない状況ですから、
 この点については今は少し距離を置くほかないと思います。

 ほんとにどうもありがとうございます。

 

トマトです。

そうか。見ているところが全く違うのですね。

人様の家の中で演説する前に、くつを脱ぎなさい、ということが解らない。
あなたの議論の内容の、手前の話をしているということは、伝わらないということですね。

確かに、これは仕方ないです。

トマトさん

 そこは、多分お互い様なんですよね。
 私には私が「逃げた」と感じられた方の
 見え方がほんとにまだ理解できませんし。
 あの展開でそういう受け止め方をされること自体
 驚いたレベルに留まっていますので。

 別に卑下しているわけではなく、単に事実としてです。
 だからお互い様かなと…… 
 

トマトです。 

そうですね。 お互い様です。

解って欲しいのに解ってもらえないのは、お互い様です。

トマトさん

 とりあえず、帆掛け舟さん、するりさん、かずきさんには、如何に「パンダやトマトは
 大事な問題が分からない人間か」という一種の「確信」が共有されたと思うので、
 決していやみとかではない積もりなのですが、私はそのこと自体はひとつ
 よかったことかなと思っています。

 問題は「その分からない(その意味で自分よりは劣ったように思える?)人間と、
 それでも共存の為の対話を続ける気持ちが持続されるかどうか」ですよね。
 お互い意図せず、あるいは場合によっては意図しながら傷つけ合う、
 というのは、定型アスペに限らず、理解しにくい相手との関係では
 普通に起こることですから、「その先」をどう作れるのか、が大事なことだと
 思っています。いや、こんなこと釈迦に説法で、お恥ずかしいですが (^ ^;)ゞ

 とにかく、「アスペを理解しようと努力している」とまでは思っていたパンダや
 トマトさんが、「これほどまでに理解力がないのか!」と驚き、あきれられている、
 という理解のところまでは「到達」していただけたのかな、と思います。
 ということは、それが本当の対話の入り口なんだと思います。
 もちろん理解力についてはお互い様と言うことでの話ですけど。

玄です。
帆掛け舟さんは、話の緻密さ、要求の高さ、潔癖さを見るにつけ、自称「浅瀬」とのことですが・・・十分に深いものをお持ちのようです。悪いことではないです。自信を持って定型と渡り合えるほど、ご自身の精神をビルドアップされた結果ということは疑いありません。

僕が(パンダさんという他人のサイトながらも)実生活で悩まれている書き込み事案について真剣に考える理由は、僕から渡せるヒントがあったり、逆に貰えるヒントが隠されていたりで、互いのメリットになると信じているからです。
それと比べてネット上のやり取りで傷ついただのなんだのは、自らヒマな時間に好き好んでネット接続したという自己責任の上での出来事であるはずですから、僕にとっては数段気持ちのレベルが落ちる話です。
それでも、最近の一連の(というか論点が拡散してよくわからん)やり取りはASと定型の行き違いの一つのケースなんだろうなと思って見ておりました。

僕が読んでもわからないのというのは、僕の理解力不足&興味の弱さから来るわけですが、書く人の表現力不足という側面もあるわけです。言葉が足りないのではなく、達者過ぎるために、図らずも煙に巻いてしまい、圧倒してしまう。内容よりも違うところで引っかかりすぎるのです。帆掛け舟さんの書き込みこそ、目が滑ります。
「わかる人にだけわかればいい」というのは、他人のサイトへの書き込みでやることではないと思います。百歩譲って、主張があるのなら、左側の「掲示板」で問題提起することもできます。

僕のこの書き込みでの意見は、約一年半のパンダさんとの交流に基づいた考えであって、ある意味「迎合」と受け取られるかもしれません。持ち上げもしませんが。
僕はパンダさんを中庸・中立とも、定型の代表とも思っていません。むしろフラフラと、多数派の先入観や固定観念や早合点が幅を利かせて、一筋縄ではいかない。(そういう意味では、どの定型もそうなので、パンダさんは定型の代表者です)
しかし、なによりASに強く関心を払い、関わろうとしてくれています。パンダさんもトマトさんも、ASに対して「感情的に」関わろうとする、そのスタンスが面白すぎます。(^^)ホイホイと個人主義に染まらず、いつまでも感情由来の悩みを繰り返す。それに釣られて、トマトさんは過去のエピソードを過去の感覚と共に何度も何度も書かれる。進歩がないというか、そういう進歩のなさが逆に僕の忘れている(欠けている)感覚なのかなと思ったりします。
ここは「感覚が異なる相手を認める」という自分に課した学びができる場です。

一方で帆掛け舟さんは、これまでどれだけパンダさんを観察されたか分かりませんが、パンダさんの優柔不断さ、話のつまみ食い加減、ナルシスト具合(自称M)からして、ASと定型の話を理知的に切り分けるために立ち上がった活動者ではない、ということを、読めていないと思えます。
つまりは帆掛け舟さんの期待過剰が、煽りの厳しい言葉の矢になっているように見受けました。
僕が言える立場か分かりませんが、帆掛け舟さんはパンダさんサイトでパンダさんのスタンスを超える要求をしたという意味で、場違いと思いました。それでも、パンダさんは対応を継続されいますので、その懐深さから、オーナーとしての器は十分に備わっていると、僕は認識を新たにしました。


パンダさんは警察官や裁判官の役割には消極的で、論点や質問をすべて消化することなく、フィーリングで拾い読みし、フィーリングでまとめ「つぎ、行ってみよう!」的に場を転換させる進行役に見えます。
そういう各人のモラルに任された自由度の高い運営方針に賛同して、参加される方がほとんどと思います。そのやり方は「自覚の無い逸脱者」の取り扱いやトラブル解決に後手になるのは、必然です。

僕自身は、参加される方のコメントすべてに目を通すことは出来ないし、ましてや相手の意図通りの「理解」は難しい→「理解」は個々の納得に過ぎない、という割り切りがあります。じっさいのところ、僕の参加の仕方は、フィーリング読み・フィーリング書きであるのだから、他の人もそうであろうというAS的解釈なわけですが。(^^;)

コメントの一文一文にすべて返事を欲しいと思うのは、こういった形式のサイトでは無理があります。そこで、どこが重要で答えて欲しいポイントなのかを示すのは、文章表現になるわけですが、、、それが伝わるかどうかはいろんな要素がありますよね。
「!」を付ければ強調になるのは分かりますが、意図通りに伝わるかというとそうとは限らない手法ということが分かりましたよね。パンダさんに向けての発言がパンダさんに受け取られなかったという時点で残念な状況です。まあ、僕にとっては、帆掛け舟さんの言葉遣いには??なところが多すぎて、目的や意図がとても分かりにくいです(挑みかかって突っぱねる。居丈高ということはよく分かるのですが)。なので、内容に関してコメントし兼ねます。
以上、表面的な感想になりました。
この書き込みに対して、同意とか、しない方が良いですよ。面倒そうなので。
ご批判はお受けします。

玄さん、私からの返信を期待なさっているのか??はわかりませんけど。
もう何度も書いておりますように、こちらでは参加者へのルールだけは厳しく敷かれるようなので(無断でコメントを切り刻んで記事をお書きになる件についても)、管理者としての器を問うてみただけです。

ええ、パンダさんが中庸ではない、中庸ではありえないのはよく存じておりますよ。
ですから、その「ありえなさ」を明らかにしてみました。
「彼は中庸だ」とおっしゃる方への反論を試みたのです。
私自身は端から期待しちゃいません。他の方に「期待しない方がいい」と告げてみたのです。

>ASに対して「感情的に」関わろうとする

というよりは、ASとの関わりを使って自分を善人に見せたいだけという気がしますね。私への風当たり「だけ」が強いことを不思議がる方もいらっしゃいますが、彼らの善人話作りに全く協力しないのですから当然でしょう(笑)

付言すれば、個人主義と感情は相容れないものではないと思います。

私のここでの発言は、ここのために作っているキャラに基づくものです(ええ、激しく潔癖な「キャラ」です。地の一部も使ってはおりますが)。発言の内容自体が嘘だという意味ではありませんが、玄さんにとって意味不明なことを申して振り回したのでしたらすみません。
玄さんの素晴らしいフィーリング読解力をしてもわからないということは、おっしゃる通り私の書き方にも問題があるのでしょうね^^

種明かしすれば、「!」は、きっと単なる強調とは受け取られないだろうと見込んだ上で使用しました。受け取っていただくことが目的なのではなく、受け取っていただけないことを明らかにすることが目的だったのです。

ご意見ありがとうございました。これ以上はお返事できないかもしれませんので、繋がなくて結構です。

なるほど。
種明かし結構ですが、「パンダさんが○○できない事の検証」という姿勢が通奏されていたということですかね。鎌をかけるというか、そういうのは、見ていて気持ちのいいモンじゃないですよ。パンダさんの姿勢を確認し、要望を伝えるのが目的なのだとしたら、もうちょっと別のやり方があったのではないか、という気がします。

キャラ作り、同意です。
当然、玄も一つのキャラなわけです。
そして、パンダさんにもパンダさんなりの「キャラ作り」があると想像してもいいのではないでしょうか。
この発想でいくと、「善人に見せたい・他人との係わり合いに積極的」というキャラが定型を縛っているともいえると思います。


定型がASと(定型がイメージする)人間関係を結べないことに混乱するのは、日頃いそしんでいる「定型キャラ」作りを否定されたと感じるからかも知れませんね。

玄さん

 「そして、パンダさんにもパンダさんなりの「キャラ作り」があると想像してもいいのではないでしょうか。この発想でいくと、「善人に見せたい・他人との係わり合いに積極的」というキャラが定型を縛っているともいえると思います。」

 これ、すごく納得です。ただし、ひとつ限定を付けさせていただくとすれば、
 それはほとんど無意識に行われるようなもので、特に無理しているとかではなく、
 放っておくと、自然にそうなっちゃう、ということでしょうか。
 逆にそうでなく振る舞おうとすると「偽悪的」になってしまう感じがします。

 「定型がASと(定型がイメージする)人間関係を結べないことに混乱するのは、日頃いそしんでいる「定型キャラ」作りを否定されたと感じるからかも知れませんね。」

 ここもすごく大きなポイントになると感じます。少なくとも多くの定型は、
 もうその定型キャラが血肉化してしまっていると思うので、
 それを否定されると、自分自身が否定されたように感じてしまうし、
 それを相対化して見直そうとすることは、身を切るような、激しく血を流す
 作業にもなるんですね。

 そういうところ、日頃定型キャラに
 無理に合わせさせられているアスペの方達がそのキャラを「脱ぐ」のとは、
 全然意味が異なるんだと思います。
 うん、ここすごく大事な問題に思えてきました。

玄さん、罐を掛けつつも、もし話が普通に通じればそれはそれで歓迎だったのです(可能性は低いだろうと思いながら)。これが私のやり方です。「見ていて気持ちのいいモンじゃない」とおっしゃいますが、私が種明かしするまでお気づきにならなかったのでしょう?玄さんには、ただの挑発や意味不明な文だと見えた。それで結構ではありませんか。

玄さんもキャラ作ってらっしゃるのは他のコメントから多少理解しておりました。昨日のコメントでは、私のキャラだけをもって私の性質まで論じていらっしゃるのではありませんか?私もキャラなんですよ。パンダさんのキャラ、それは結構。でも、そこを本気にして振り回される方がいらっしゃる気がします。それは大変危険なことです。私のはキャラでありながらも本音の一つを凝縮したもの(ある意味実用的)なのですがね。定型の知恵を得たいなら、普通度の高い定型から得るべきだ、ここの定型は「普通」ではないとの考えから、私が策を講じてみたのです。

知人の言ですが。玄さん一人を見て「AS全般」に敷衍することの危険性も感じます。玄さんは「ASのうちの個性的な一人(しかも作り上げられたキャラ。個性がAS由来なのかも不明)」に過ぎず、ASの典型であるとは言えないと思います。玄さんが「普通」のASだとは言えないのです。

ASが生まれてからこの方多数の定型のデータにさらされ続けているのに対して、ここを訪れるような定型には、ASのデータが少なすぎます。せめて数十人は見て(たとえネット上の、完全な本音や本性ではなくても。そして自身で想定しているASの典型像に合致しないものも含めて)、それからASの問題なのか少数派由来の問い題なのか、その他の問題なのか……を考えていくべきです。

ただの理屈やきれいごとでは済まない、実生活が傍にある、実害を受ける人が存在し得る、というのがこの場の怖さなのです。

それでは。ありがとうございました。

×問い題
○問題

でした。

×罐
○鎌
です。他にも誤字脱字があるかもしれません。フィーリングでお読みください^^;

大体の結論が出たみたいでよかったです。

トマトさん、パンダさん。私はまず最初に申し上げました(それに対してかずきさんも同意して下さいました。)「他ブログからの抜粋は、確かにマナーとしてどうかと言われたら、いかがなものかと言われてしまう余地を作ってしまったかもしれない」と。
ご確認下さいね。

これが最善だったなんて、誰も思ってません。

だけど、善意での行いが(ここが最も大切なことでした)、ここまでの辱しめを受けたこと。それが、知らない場所で行われたこと。これは、本来適用すべき「マナー」なんてものより大切にしなければならないことがあったのではないでしょうか。人間として、一番大切なことは、理不尽や不正があったら「ノー!」と最後まで立ち向かうことではないでしょうか。

そういうことを言う人間がいなくなったら…風見鶏ばかりになったら簡単にいじめや戦争が起きてしまうと私は思います。

一方でトマトさんの言い分もある程度は分かります。

要約すると「パンダさんの部屋に他の場所でのトラブルを持ち込むな。不満があるなら当事者に言え」という話ですよね。

しかし、今回の場合、そもそもの事の発端というか、舞台はここでした。だったらここで皆の共通の話題として解決しよう、と思ってもなんらおかしい話ではない、やむにやまれない、と帆掛け舟さんは思われたのだと思います。

さらに言うと、傷ついた当事者たちが何故わざわざ「敵地」に乗り込んで反論しなきゃいけないのですか。
しかもあんな差別意識の塊のような人しかいないところで「文句あるならあっちで頑張りな~、孤軍奮闘かもだけど、それがパンダさんのブログの空気を汚さない唯一の道よ~」

…それはいくらなんでも、冷たいですよ。

同じ定型の方には多少のこと…いや、相当のことがあっても「共感するわぁ」で済まされるのに。

特別待遇なんて、夢にも考えたことないので、掲示板見てびっくりしましたし、ものすごーく傷つきましたが(まぁ、傷つけるのが目的なんだろうけど)、そんなもの求めないけれど、せめて同じ人間として同等に扱って欲しかった。

それが叶わない…世の中の99%は定型なんだから仕方ないじゃないですか?(玄さんへ。この言葉は意図的ですので突っ込まないでね。言った本人はどうせ忘れてるだろうけど)というのが本心なら、もうなにも申し上げることはございません。

するりさん 、かずきです。

ご指摘の部分に対して、何度も伺っていますが回答がないので

「回答しない」事が「定型の清濁併せ呑む部分」なのかもしれない
事なかれ主義、触らぬ神に祟り無し、見て見ぬ振り


考えるしかできないで居ます。
なぜにそれ対する返事だけはないのか、それ以外の真っ当な理由が考えられない私です。

そういう風にいじめや嫌がらせを受けてきた身としては、
そうされる理由を知りたかったのですが、聞く相手が違ったようです。

パンダさんが言いたかった事も後記事とコメントで読み取れていたことが確認できましたし
帆掛け船さんが言いたかった事も、読み取れていましたが
理由が知りたかったのが強く

「自分が言いたいことを聞いて貰うには、相手の言うことを一度聞く」

という手順を省いてしまったなーと感じています。
知りたいだけ、聞きたいだけ、伝えたいだけ、の欲求では会話は成立しませんね。
改めて気を引き締め直さなきゃな、と思います。

かずきさん

手順を省いたのはお互い様なのですが、まぁこちらサイドにのみ厳しいことこの上なし、ですねぇ…

「定型はASに配慮してもらって当たり前」とやっぱり思ってらっしゃるのだと…

だから私たちは、定型の3倍、4倍は気をつけて、模範以上になり、誰からも揚げ足取りをされないように勤しむしかないのかなぁ。

…私はいいや(苦笑)

自己責任の下、やりたいようにやろうと思います。でないと体壊しちゃうので。

かずきさんは私とまた立場が違う。現在進行形で待ったなしの状態。悪くもないのに頭を下げたり、それこそ生き抜くために、清濁あわせ飲むことも求められたり。それはそれで成長に繋がる大事な過程だと思います。

でもでも!

疲れ果ててしまわないようにだけはして下さいね。

するりさん、かずきさん、実はスルーされているのはその件だけでもなく……(苦笑)
一例を挙げると、パンダさんや玄さんによると大変読みにくいらしい私の文が、するりさんやかずきさんや緑さんやヒカルさん、そして何より、ASだかどうだかわからないPBさんやイヴさんに細かい点まで誤解無く伝わっている件も、スルーされております。

ご自分の見たいところしか拾ってくれないんですよ。
自分に都合のいいところと、自身の想定する「型」に合致するところしか見てくれない。なんせフィーリング読みですから(笑)。そしてますます「型」のイメージを強固にする(だけ)。知人の指摘で気づきましたが、パンダさん、トマトさん、玄さんは認知の仕方が似ているのです(掲示板でわめいておられる方も)。

ついでに、私が指摘した件を、指摘されて初めて気づいたはずなのに、まるで前から知っていたかのような態度でこちらへの糾弾に転ずるところも、この方々に共通します。だから、話がどんどんずれるのです。私としては彼らが知らなかった件を追及していたのに……という。

大人の感じのする「清濁併せ呑む」とは何か違うような(笑)
それより、おっしゃるように事なかれ主義、器の小ささゆえに臭いものに蓋というか……。皮肉でしたらすみません。

あと、原因作った件はすみません(他の方に言っているわけではありませんので食らいつかないでください。私の言い分はもうしつこく書いております)。まあ、この場の定型の無意識の(?)差別意識の激しさは、十分明らかになったでしょう。では。

帆掛け舟さん

私、ちょっと思ったのですが…もしかしたら「確かにマナーとしてはどうかってのはありますよね」とか、「もっとやり方があったかも」は、かずきさんの言うところの「高速1.5」状態で反省してないという扱いかしら。

何がなんでも、謝り倒してもらったら満足、なんでしょうか。営業の人みたいに。くぐり式って言うんですっけ?大袈裟なくらい謝ってはいるけど腹の中で舌を出してる状態だとしても…それでも構わない。そうすることがマナーだ、と。

たかだかブログだ、マナーが一番大切。人権?だるい。
…ってこと?

典型的ジャイアンじゃないですか。

そしてたかだかブログ、に親身になったこちらの気持ちは?

悲しい。すごく悲しい。

もう、潮時ですね。今までありがとうございました。


コメント不要です。

玄の認知がパンダさんやトマトさんに似てきているというのは、面白い分析ですね。確かに、相手の発想に沿ってこちらの意図を説明して理解を図る工夫はしていますから、そのように読めても不思議ではありません。

帆掛け舟さんの文章を「意味が分からない」といったのは、話の飛躍、説明不足、独自のダブルミーニングを含んでいる、限定された落としどころへの誘導、、、で、正面から理解することに拒絶反応を感じる、ということを柔らかく表現したまでです。(僕の文章もそうかもね)

ネット上で、テキストでやり取りをする場合、分かる所を拾って読んで、応答して見せ、反応を待つというというやり取りは妥当だと思います。その上で、相手が伝える気があるなら、補足や修正をしてくるでしょう。「それみろ、拾い読みした!」という反応は、何かを共有しようという感じがしないです。
「糾弾に転ずる」というのは、結構大事なポイントですね。
たぶん、お互いに「相手が先にやった」と認識している気がします。経験的に。

いつから理解したか、については、記事が書かれた時に遅れてこちらが読むわけですから、指し示すのは難しいですね。なぜ帆掛け舟さんだけに申し上げるのかというと、ちょっとセンセーショナルな立ち居振る舞いをなさるので、特別扱いしているだけです。(^^)

帆掛け舟さんが、「理解されたか」にこだわるのは、「理解力がないことを証明したかった」ということのようですが、話をどこに持って行きたいのか。「理解力のないヒトの集まりですからね、ハイ解散。」というテロをしたい、という真意が、「理解された方に」伝わっていますでしょうか。
もし目的の相手が鎌に掛からなかった場合、それならそれでいい?テロ失敗ではないですか。
本心・鎌・話題提供など、テーマは散らしてあるので、逃げ道はありますがね。


日常社会にも、このサイトの定型参加者にも(加えて、定型から紹介されるAS事例の中にも)、多かれ少なかれ差別意識があることは、僕には常識という感覚です。僕にも差別意識はあります。
AS自身が差別意識を持っていて、自分を貶めることが、うつの原因の一つにもなりえます。差別意識が邪魔して自己認識を妨げることもあります。

「差別意識を持つ人は、サイトを持っちゃいかん」という主張なのだとしたら、正義感たっぷりですが、一つの主張に過ぎないです。僕は、差別を容認するつもりはありません。しかし同時に、考え方として、差別は根深い誤解の一種と捉えて、双方が差別が起こる起源を知ることが、和解あるいは共存の糸口になるとの思いがあります。

この社会に差別意識が蔓延しているという事実に向き合わなくてはならない、という状況下で、率直に無意識部分の差別意識をさらけ出してくれるパンダさん、トマトさんらと語り合える貴重な場として、長くこの場所にお邪魔しています。感謝しています。
パンダさん、トマトさんはじめ、ASに向き合っている方は、どなたも自分の差別意識に悩まれているとも感じています(その点にも自覚がないかもしれませんが)。そういった方々を糾弾したりするよりも、変わらず率直に(無意識にでも)差別意識を開陳していただき、日常で出会う可能性のあるリアルな定型の意識を知り、落ち着いて考え、対応に知恵を出し合える場にするのが、建設的だと思いますがいかがでしょうか。

そういうやり方では、見る人によっては刺激が強くてショックを受けるような書き込みも出てきますから、参加者は「最低限の心の安定や剛さ」は必要と思います。【閲覧注意】くらい表示して、心の準備をしてもらってもいいかもしれませんね。


傷ついた人がいる、という点は、個々の心情を一方的な方策で即効に解決することは難しいです。心の傷を癒すには、双方向で時間をかける必要があるかも知れません。
考えるに、ASはリスクです(対人関係の面だけをいっても)。言い争いが起きるリスク、方法を選び間違えるリスク、認識違いをするリスク、、、生活のあらゆる面のリスクを直視してリスクマネジメントすることが、日常的な対策と位置づけていいと思います。
問題が起きた時には、「物質的な面」と「人間関係」と「個々の心情」を修復して次に備えられるようにする「リカバリー作戦」が必要です。

差別意識の問題は「日常対策」に掛かる部分が多いと思います。
トラブルが発生した場合には「リカバリー」の発動を検討する、そういったことができるようになればいいなと夢想しています。

「傷ついた」は、トラブルの一局面といえると思います。
その時、傷つける言葉を発した人には、言葉が出てきた理由として、情報のほかに健康状態・生活・歴史・文化などの様々な背景があるはずです。自分にも同様に背景があります。

僕の「清濁併せ呑む」は、そういった自分と相手の背景を全部了解してかかる、という感覚です。そういう発想での考える時間を持つことが、僕にとっては癒しにつながる気がします。(これは、反論が多いかもしれません)
互いの背景について語り合えれば、なおよいと思います。結局は「傷ついた」もボタンの掛け違いから起きる現象の一つと考えれば、行き違いの始まりに戻るしかないような気がします。


これらを総合すると、ネット上でのトラブルのリカバリーは、実際とても難しいです。最終的に双方の納得が欲しいところですが、収束を確認するのがとても難しい。両者を引っ張り出してきて討論させることも現実的ではありません。結局、口を閉ざす、サイトを開くのを止める、といった対処をされる方が多いのは事実です。
(難しいからといって、差別意識のある人はサイトの開設も参加もダメ、というのは、硬直した考えで、なにより現実に即していない考えと思います)

こちらのサイトなら、左の掲示板を使って、関心のある人がじっくり話し合う、というのが現実的な対応と思いますし、知識の共有と解決が共通目標で、オープンに落ち着いてやってもらえればいいと思います。
他の解決モデルをご提案頂けたら幸いです。


するりさんへ、「言った本人はどうせ忘れてるだろうけど」?覚えてましたよ。
突っ込みというか、何を狙って「意図的に」そう書くか、分からないな・・・
99%定型なら、99番目の僕は定型かぁ。

玄さん

もう出てきませんけど、捕足。世の中の99%は定型なんだから仕方ないじゃないですか!?と数ヵ月前に私に向かって非常に差別的な暴言を吐かれた方が、今更出てきて更にパワーアップ?した暴言を今度は単独名指しで帆掛け舟さんに向かって毒ガス噴射のごとく、吐き散らかしてらっしゃるので、また言うか、と呆れて書いたまでです。
それでは、さようなら。

玄さん、フィーリング読み(笑)したので落としていたらすみません。
私が狙ったのはテロではないですよ?
また、差別意識のある人がブログを持つなとも言っていません。
AS・定型とも、この人の酷い差別意識を了解した上で参加した方がいい、あるいは参加しない方がいいと言ったまでです。玄さんの常識は、他の方の常識ではありませんよ?

どの方向へ展開しても大丈夫なように備えておくのは、私流の臨機応変術です。「想定外」という空白カテゴリーも一応設けています。

>もし目的の相手が鎌に掛からなかった場合、それならそれでいい?テロ失敗ではないですか。

ここから、「だから帆掛け舟の目的はテロではない」を導き出せないのが不思議です。

するりさんのおっしゃる「99%定型」発言は、玄さんのことではないでしょう。
掲示板でわめいてらっしゃる方じゃないですか?
http://communicative.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-c326.html#comment-96262390
先日そこを汲まずに玄さんが正論訂正をしたので、再び拾わないでね、という意味でしょう。
……と、こういう風にズレがたくさんありますよ、玄さんの読み。

>相手の発想に沿ってこちらの意図を説明して理解を図る工夫はしています

そういう意味ではなくて、答えありきで、お望みの答えに沿う部分しか拾わないという意味です。たとえば、「帆掛け舟は意味不明で潔癖で挑発的」だとか。そもそも、相手の発想に沿っているとも見えませんが。相手の単語に反応しているだけで、相手の理解レベルを把握していないように見えることも多いです(その結果、上から目線に見えます)。私はイヴさんにコメントしたように、相手の変化を拾う用意もあります。相手への好悪の情は無関係に。

いい加減私も引き上げます。もう引っ張らないでくださいね。私もチェック控えます。


ああ、書いていたら被りました。でもそのまま投稿します。それでは。

玄さん、

おっしゃりたいことは良く分かります。でももう引っ張らないでください m(__)m

『もう、潮時ですね。今までありがとうございました』とか、
『いい加減私も引き上げます。もう引っ張らないでくださいね。私もチェック控えます。』とか
終息の気配が出てきましたよ (^O^)

それなのに『荒らし』に燃料を投下しても意味なくないですか。パンダさんの器のこととかご自身たちで結論を出しているのにこの粘着ぶり。燃料を投下したらまた燃え上がっちゃいますよヽ(´o`;

粘着失礼しました。
帆掛け舟さん、するりさん、みなさま、お目汚し致しました。
コメント有難うございました。

はじめましてなのかな?あすぺの夫をもつ、定型妻です。
玄さんって、何者なのかしらん。
私の夫の名前にも似ていて、??でした。

それだけの定型とあすぺとの関係性についての思考回路があれば、社会生活の中で 、貴方は、あすぺと容認されずに生きていけそうな気がします。
社会生活を送る上での弊害があっても、何事もないようにふるまえるのではありませんが。どうでもいいことですが。

ご家族との関係はどうでしょうか。
もしかして、ご自分に都合の悪いこと(それが無意識でも、意識的でもどちらかわかりませんが)は、スルーされるのではありませんか。
私の夫は、そうです。w

つぶやきですので、ご無礼があったら、それこそ、スルーしてくださいね。

追伸
約1ヶ月ほど前、はじめてこちらにおじゃました際、いろいろアドバイスくださった方、ありがとうございました。
参考にさせていただきたいと思いました。

 上↑ の投稿で間違い発見
  
 社会性生活を送る上での弊害があっても、何事もないようにふるまえるのではありませんが、になっていますが、

 正しくは、 
ありませんか、です。

 がとか の違いですが、大きな違いになってしまうかも。?

 おっちょこちょいですみません。

私の正直な印象だと、

「パンダさんは、ちょっともう、最近気持ち悪いくらいAS寄り」で、
そういう意味では、「AS寄り過ぎて、中庸ではありえない」という印象でした。
気を使って、考えて、相手の立場にたって、立ち過ぎて、
もはや定型、ではありえないくらい、AS寄りだなって。

それなのに、定型独特の、差別心にあふれてると糾弾され。

アスペルガーと定型。
うまくやれるかも、とか思ったこともあった。
でも、こちらのやりとりを見ていると、
「絶望」という言葉しか浮かびません。

お互いが何をやっても、理解されることはない。
擦り減るだけ。

まさに目が覚めた思いです。

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