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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月11日 (日)

沢山の「困難」

 日本中猛烈に暑かったり暴雨だったり、お見舞い申し上げます。

 私の方は昨日今日と親の所にパートナーと行って、車の運転について親を(かなりいいところまで)説得してきました。彼女の方はさすがに経験豊かで、ポイントをひとつひとつ押さえて無理なくお願いしてくれたので、今回はずいぶんとスムーズだったです。もちろん彼女にすれば「仕事モード」のやりとりになるわけですけれど、一般には定型との人間関係に苦労されるアスペの方も、こんな風に人間関係調整で力を発揮する場もありうるということは、柔軟にお互いの関係を考えていく上でも大事なことだなと改めて思います。

 前の記事の「平等」の話については、いくつかのコメントを頂き、また改めて思うことも少なくありませんでした。一方ではもしかするとかなり多くの割合で実は定型とアスペのカップルなんだけど、お互いそういうことをさほど問題と感ずることなく、また「定型とアスペ」ということ自体に気づくこともなく、どこの夫婦でも多かれ少なかれ衝突することはあるわけですから、その程度の感覚で日々をそれなりに過ごせている方もあるのかもしれないなあと思います。

 たとえば「アスペルガーと定型を共に生きる」の東山夫妻の場合も、カレンさんが身体をこわして仕事ができなくなるまでは、多少の違和感を抱えながらも基本的にはそんなに大きな問題もなく、日々を過ごしてこられたように感じられました。だから、もし仮にカレンさんの体調に大きな問題が起こって、カレンさんの「生きる意義」のような部分が夫婦間で問い直されるようなことがなければ、もしかすればそのまま今までも比較的スムーズに来られている可能性もあるのかなと思ったりします。

 私の所は決定的なことは子どもの問題でしたが、たとえば二人に子どもが出来なかったとして、そういう状況であればその後どういう展開になっていたか、可なりその後とは変わっていた可能性もあると思います。

 けれども、きっかけは色々でしょうが、もし一旦問題を抱え込んでしまった後は、ほんとにそれは容易に厳しいものに発展してしまう可能性があるし、そしてその状態をなんとかしようとしても、実に沢山の困難に向き合っていく必要がありますね。これまでもぼちぼちいろんなことを書いてきましたが、改めて考えてみるとどんなことになるでしょうか。

 まずほんとうに大きな分かれ目の一つは、「アスペと定型のズレ」がお互いの間にあるんだ、ということを「お互いに認める=共有する」ことができるかどうかでしょう。プルーンさんも書かれているように、そのこと自体、決して簡単なことではない。玄さんが何度か強調されたようにアスペの方に「無理矢理認めさせようとする」ということもおそらく多くの場合よい結果を生まないでしょう。

 なぜそれが難しいのか。ひとつには明らかに社会的には「アスペルガー」というのは「障がい」として扱われていて、そして大体の人は「自分が障がい者と言われる人間である」と自分のことを考えたくはないはずです。介護の問題でも「老化でいろいろ<できなく>なって、自分の行動を制約される」ことを受け入れるのはすごい大変なことですし、「自分はそんなに老いていない」と主張する例は決して少なくないのだと思いますけれど、アスペルガーという分類だって、「定型にできることが<できない>人」というマイナスの意味づけを強制的に社会的にされてしまうわけですから、そういう目がある限りは「認めたくない」という思いが強くなっても無理はないと思います。そこにはやはり「少数派」になることへの抵抗感があり、そして社会的にはやはり「少数派」への差別的な見方がなくなってはいないわけです。

 それに加えて最近しばしば考えるのは、「男女」という立場の違いもそこに大きく絡んでくるだろうと言うことです。特にカップルの内、定型が女性である場合、男性の側が自分のアスペ的特徴を認めて女性と協力して関係を調整しようとする、というふうになることは、もちろん玄さんのようなすごい例はあるとしても、大体の場合困難さのレベルが可なり高いんじゃないかという気がするんです。「男」として育てられ、社会的にもそのように扱われ、自分の「弱み」になるかもしれないようなことを受け入れたくはない、ということ。特にアスペの方はそもそも社会の中で厳しい立場に置かれ、困難な状況に傷ついて生きていらっしゃる場合が多いとすれば、さらに家庭の中で奥さんとの関係で自分を<社会的弱者>として見られることが耐えられないといったことが起こる可能性があるように思えるんです。そうなると奥さんの側の苦しみを理解し、共有する可能性も消えていくことになる。

 東山夫妻の場合は、ある意味でカレンさんの命がかかるような状況に追い込まれる中で、その困難を越えて次の展開が生まれていったのかな、とも思います。

 今思ったことですが、やはりこの問題は「カップル」という枠の中だけで解決することは至難の業のように思います。今回私が体験しつつある介護の問題に引きつけて考えても、「老い」という自然な現象を受け入れて、それに応じた現実的な生活を考えていく、ということでも、夫婦や親子だけでは大変なことで、ケアマネさんや私のパートナーなど、いろんな立場の人が係わって「本人の問題を解決するために一緒に考えていく」ような関係が作られていかなければほんとにむつかしい。(えっと、こういうことを書きながら、どうしても視点が定型的なものからの話になってしまうことに気がついてはいるのですが、まだそこは自然には克服できず、課題として残します)

 では現実問題として、カップルが抱える事情も千差万別な中で、そもそも「カップル内の問題」とも言えるところに、はたしてその周囲の人がどう関われるのか、あるいはどうやってその関わりを無理なく作っていけるのかということを考えると、これもほんとに今は手探りというしかない感じがします。そして「そんなことは想像も出来ない。端から無理なこと」と感じられる方も少なくないのではないでしょうか。私も具体的にそうやって事態が展開した例を知っているわけではなく、ただそういうことが重要なのかも知れないと考えるに留まりますので、これ以上はなんとも言えません。

 幸いにしてお互いにお互いの違いを認め合い、そこから出発することを決意することが出来たとして、それは「前進」には違いないと思うのですが、でももちろんそれで問題が解決したわけではなく、「問題に一緒に取り組もうとする姿勢が出来た」ことに留まるわけですよね。

 アスペと定型では、ほんとにかなり深いところで「幸せ感覚」にズレがあったりする、ということを思うと、そもそも「お互いの違いを認める」こと自体に大きな困難が伴います。なにしろ相手の「幸せ感覚」を認めてそれにあわせようとすれば、自分の「幸せ感覚」が失われてしまうかもしれないという危機が待っているのですから。もし「幸せ」を共有できないのだとすれば、何のためにカップルで居なければならないのか、という根本的な疑問を、特に定型の側は持ちやすいでしょう。この点ではアスペの方の言われることを拝見していたりすると、「一緒に暮らしている」こと自体に大きな意義を感じてそれで満足できるようにも思えるのですが、もしそうであれば、その点でもお互いのズレはかなり大きく残ってしまう場合が多いのだと思います。

 この問題については、これまでコメントなどで頂いた意見や私自身の記事などでいくつかの見方があったと思います。ひとつは「幸せ感の共有」といった問題については、ある意味で定型の側が自分の幸せ感覚についてはあきらめの境地に達して、一種の悟りの状態になる必要がある、というようなご意見。あるいは現実の生活の中でお互いに補い合いながら一緒に生きていくことに大事な意味を感じていくことの大切さを語られるご意見。この二つについては、特に対立する見方、と言うことでもないかも知れません。というのは、いずれの場合も、問題を抱えた定型の側が、それまで特に疑うことなく持っていた「幸せ感」について、もう一度考え直し、もっと「深い」「大事な」「生活そのものに密着した」つながりの重要さを求めるべきだ、という形でまとめられる可能性もあるからです。

 この問題は私自身が今直面している問題の一つなのかも知れません。ですから私なりの答えがあるわけでもありません。ただ、少なくとも「自分の幸せ感を放棄する」という風に考えようとは思っていません。「幸せ感を深める」という方向を手探りで探しているように思えます。それができたときに、場合によってはそれまでしがみついていた幸せ感の一部は、わりにどうでもいいことに思えるようになるかも知れません。

 
 

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コメント

トマトです。
私が、昨年看取ったAS友人が、専門医に行くことになったのは、友人が二人暮らしの父親の「わしは豆と豆腐とチクワさえあれば良い」という言葉に忠実に「それのみ」を日替わりで与えていて、父親が栄養失調になり動けなくなったことに適切な判断が出来ず、あわやというときに私が行き当たったという「生命に関わるきっかけ」があったからです。

もし、そのとき父親が部屋で死亡していたら、間違いなく、友人は、わざと食事を与えず虐待したとか保護責任者遺棄で、故意の犯罪として罪に問われたと確信します。
「父親の言う通り忠実にしたことであり、自分の落ち度は全く無い」と言い張る彼を、当時(6年前)の警察は「ASなのかなぁ」とは思わず、疑問も持たず、ASという言葉も知らずに居たと思います。「反省のかけらも無い」という印象だったでしょう。
それほど、友人は「一見、どこから見ても定型のような」ASでした。

その件がきっかけで、父親の搬送先の病院や福祉のスタッフと「なにもかも」というほど、コミュニケーションがチグハグになった友人の様子を見て「何かが違う」と、私が精神科の診断を勧め、そこでASだと診断がおりても「ああそうだったのか」と納得する友人は誰1人居ませんでした。
まずASという言葉を友人達派は知らなかった。そして私が説明しても「そんなことは信じられない、彼はフツー(←この場合、多数派の意味)だ。だいたい男は親の面倒にはうといし、彼はちょっと頑固でマイペースなだけで一般的な判断力はある」と、言われました。

AS、定型に関わらず、一緒に生活や仕事をしてみないと解らない相手の内面、というものはあります。
特に軽度のASの人は、自然に相手と適度な距離を持ってつき合い続けられる雰囲気があり、それが「よほどのきっかけ」が無ければ気づかない・・という気づきを遅らせるような部分となり、気がついたら双方が混乱の渦の中に居た・・・というケースは多いと思うんですね。

友人は、父親の件で私を「困ったときは助けてくれる相手」と認定したかのようでした。
私もまた、ASに関心を強く持ち、友人を通してどんどん知りたいという思いが強くなり、気がつけば職場にも友人の子供にもASは居て、未診断の人でも「すんなりやりとりが出来ないなぁ」と思う人には、(玄さんの言われる)Low contextで話しをするように心掛けることが出来る様になりました。

これらは、AS友人との出会いのおかげです。
でも・・・友人といえども、ひとつのテーマを共有しているとき。
ひとつの問題を行動として片付けなければならないとき。
第三者が関わった時。
は、混乱とぶつかり合いの疲弊感で、私自身、心療内科や、カウンセラーに相談に行きました。
「家族でもないのに、なぜそこまで」と言われることもありましたが、自分自身、抜け出せないし、うまく距離を置くことも出来ない、いわゆる「とらわれていた感」の時間がありました。

ASの友人と向かい合うほどに、自己肯定感は傷つきます。
それでも、会わないでいると気がかりで仕方無くなるし・・・。

定型同士の人間関係では味わった事のない、不思議な「気がかり」をくれる相手だと思います。
たまたま友人の人間的な持ち味がそういう関係性を、私に定着させたのかも知れません。。

でも・・・過去の人でも今かかわっている人であっても
いつでも、いつまでたっても「割り切れない」「消化しきれない」思いを残すのがASの人の存在感だと感じるのです。
それは、多分、どう考えても解らない部分があるから。
その解らない部分が、記憶や気持ちのひっかかりとしていつも・・・いつまでも自分の中にあるのだと思います。

そのひっかかりを、私は関心や好感や…時に感謝だと認識しています。

トマトさん

 書いて下さったことのポイントとは少しずれることですけれど、定型とアスペのコミュニケーションを考える、といっても、定型の側から考えれば、相手の方の「自閉」的傾向の強さによって、ほんとに問題の現れ方とか、関係の工夫の仕方とか、全く違うと言っていいほどに異なったものになるのでしょうね。

 私のパートナーの場合はこの定型優位の社会の中で、子どもの頃から回りから疎外され続け、虐められ続け、親からも適切と思える受容をされたようには感じられないけれども、大学も出ることが出来、その後職場は対人関係問題で繰り返し変わり続けながらも、最終的には福祉の仕事でなんとか落ち着くことが出来、家庭では私との関係や子どもの問題で修羅場を抱え続けながらもなんとか今にいたり、介護の問題で私と改めて「課題を共有」できる状態になっている。私はそういうパートナーとの関係に焦点を当てて考え続けていることになります。もちろんそのときには私自身が持って生まれてきたものや育ててきた個性も大きな問題になります。

 その際、みなさんのコメントなどはほんとに参考になるし、いろいろ助けられていますが、逆に私が彼女との間で手探りしている工夫については、どこまでみなさんのお役に立つものなのかはほんとにわからない。特にプルーンさんのようにそもそもパートナーの方と「問題を共有する」こと自体に大きな困難を抱え続けていらっしゃる場合、一体どうしたらいいのか。

 トマトさんがアスペの方達と、夫婦と言ったような「特別の」関係ではないにも拘わらず、これほどまでに、倦まず弛まず深い関わりを続けてこられたのは半ば奇跡のようなことのように思いますし、そのようなある種の情熱、トマトさん流に言えば「ひっかかり」を持てる方は、世の中的には決して多くはないのでしょう。

 それでも玄さんも仰っていたように、アスペと定型と、お互いの長所をうまく発揮し合いながら、今よりもいい関係を作れる世の中になれれば、それはほんとに素晴らしいことだと思えます。そういう世の中になれば、きっとアスペと定型の問題を越えて、もっともっと多くの「異質な人たち同士」がお互いを認め合い、活かし合いながら生きられる道が見えてくる筈です。

 ただ、そのために乗りこえていかなければならない問題がどれほどたくさんあるのか。私にはまだまだその問題の大きさもよく見えてきてはいないように思います。

 多分、「こういう状態にまでお互いの関係が到達しなければ不幸なんだ」というような見方ではだめなんでしょうね。少しずつお互いの関係を変えていく、その過程自体に大事な意味を感じられるようでなければ、いつまでたってもある種の「飢餓感」はなくならないのかも知れない。ああ、これはトマトさんが何度か言われていたことに繋がるのかな?

 他方で東山カレンさんは「緑の体験」によって、自然(?)とのつながりを実感され、そのつながりに無条件で支えられている自分を感じられることで、この問題を乗りこえられたのかも知れません。それはまたちょっと違った道筋での問題の解決なんでしょうね。

 うーん、また例によってまとまらない話になりました (^ ^;)ゞ

トマトです。
ASと定型の、沢山の「困難」の中に「話し合いが解り合いにならない」があると思います。
目の前の相手といくら会話を積み重ねても、理解に届かなくて、ネットのやりとりなど、他者との意見交換で「相手の言動はこういう意味だったのか」と思い当たったり、理解に至ったときは・・・
数ヶ月後や数年後であった。
という、時間差理解は、どうしても生じると思います。

「子供のことは夫婦で話し合うべき」とか「もっとお互いが話し合って解決を」の正論が通らない難しさ。
夫婦や親子や恋人同士なら、ふたりで向かい合い話し合いたいところ、概念の壁が立ちはだかり、自分の本意や気持ちが通じない。
相手の言葉の意味や意図は、他者に聞かないと解らないことも多い。

もしかしたら、パンダさんのケース(人生の中で妻の専門知識と経験値が夫や家族を救い役立つ場面がくる)や、私のケース(ASとの初回の接遇が友人関係であった)などは、「ラッキーでしたね」の類かも知れません。しかも、一番大変な時期を越した感の、比較的落ち着いた時期にある。ということも幸いしていると思います。

ASと定型に関わらず「早く別れた方が良い」という関係性も当然あります。するりさんのように「別れられて本当に良かったですね」と思うご夫婦もいらっしゃいます。

だけど、親子だとそうはいかない。可愛い我が子がASならば、この先どうやって生きて行く道をつけてあげられるか、不安の中に日々の混乱が重なるのですから、経験者でもないのに安易に励ましちゃいけないような、もう祈るしかない心境になります。

定型から壮絶な痛みや苦しみを受けてなお、定型の私たちに教えてくださったり、聞いてくださったりするASの方に、感謝があるし、以前にするりさんがおっしゃった「いじらしい」という感慨もあります。

そして、伴侶がAS子供もASの、定型の家庭人の立場を思うと、定型の自分としては、共感しかできないかもです。

定型もASも一人一人の個性、特性、が違うので「けんかしても気になって関わっていたい」と感じたり「相手がどうであろうと家族として認め添い遂げる」という気概が持てたり、そう思える相手との出会いがあると良いなぁと思います。

トマトさん

 暑さにめげつつあるパンダです (^ ^;)ゞ

  男と女の間には深くて暗い川がある♪

 という歌がありました。
 それでも

  誰も渡れぬ 川なれどエンヤコラ 今夜も 舟を出す

 になるんですね。
 考えてみれば定型同士だって、とことん突き詰めていけば
 やっぱりお互いに理解しきれない世界に踏み込んでしまうんでしょうね。

 うーん、もしそうだとすれば、要するに「そこまでは問題にしない」
 というなんか暗黙の了解が定型同士にはあるのかもしれません。
 じゃあなんでアスペと定型という関係だと「そこは問題にしない」
 という関係を作るのが難しいのか……
 
 めちゃくちゃ大雑把に言って「究極的には分かんない者同士」
 ということでは定型同士もアスペと定型の間でも同じ事の筈なんだけど、
 なんだかそうは問屋が卸してくれない何かの秘密があるんでしょうね。

 暑さに頭がボーッとしながら思いつくままに書いてますが m(_ _)m
 「ソロモンの指輪」という本もありました。
 その指輪をすると動物と話が出来る不思議な指輪の話から
 題名をとったらしいですね。

 誰も渡れないかもわかんないんだけど、でも指輪が見つかるといいなあとか、
 そんなことを思い続ける自分はあきらめの悪い人間なのかも知れません。

 ぐちぐちとぐちを言いながら、
 今夜もえんやこら船を出すのかなあ。
 指輪を探す旅と言えば指輪物語もそうですね。

トマトさんの場合の「これは何かおかしい・・・どうも故意の犯罪や虐待などではないようだ」という流れからの受診の勧めに対して、第三者の私は抵抗感や「お節介だな」等という不快感を感じるどころか、むしろ、「ああ、こうあって欲しいよ、受診までの流れとしては・・・」と思っています。

そして、ここが肝なんですが。

この場合なんか特に、友人AS君は「厳罰」に処されるかどうかという瀬戸際でやむを得なかったわけですが、それでもトマトさんが「ある日突然、自分が彼を障害者にしてしまった」という厳然たる事実は残る。
トマトさんがすごいなと思うのは、その事実と責任から逃げなかったことです。


友人AS君もトマトさんが「彼を救いたいという利他の心」で動いたというのが、深いところで彼も理解していたのだと思います。

その証拠に、たとえ友人期間中、紆余曲折や誤解があっても最期までトマトさんを信頼して疎遠にならなかったのでしょうね。
真心って伝わりますから。


反対に、「嫌だなぁ」と思うのは(ごめんなさい、ここから少々毒を吐きます)


「受診後の本人が精神的に不安定になるかも知れない」、とか、「受診の際、お医者さんに具体的にこういうことを聞きたい」とかいうようなプランを全く持たずに「とにかく受診」とばかりに、嫌がる相手の首根っ子を捕まえて精神科に連れて行き、
「これではっきりしたわ。やっぱり貴方の捉え方がおかしかったのよ。私の感覚は間違っていなかった」という一言を言う日々がいつか来ないか来ないかとだけ熱望している人。

これは「自分がスッキリしたい」という「利己的」な考えで、「相手を守りたい」「相手のために」が根本にないです。

その違い、悪いけど、行間で読みとってしまうんです。

どんなに美しい言葉でコーティング(言い訳)していても、「ああ、結局自分がすっきりしたいだけなのね」「どこまでも相手を悪者にしたいのね」と。
私以外のASの方もわりとそうなんじゃないかなぁ。と、なんとなくそう思うのです。


いや、ひとつひとつの事例を聞くと・・・勿論一方の話しか聞いてないので公平ではないですが・・・それでも色々差し引いても「そのパートナー、ひどいなぁ」「なんじゃそりゃ!私が代って本人の前で説教してやりたい!」とか、色々思いますよ。


でも、そんな「酷い相手」「通じない相手」を選んだのは自分自身でしょう?
親・親戚や法律で押し付けられて無理やり結婚したんではないですよね?


お見合いにしたって、その時、気が合うと判断したのだろうし、大恋愛の末だったら尚更。


しかも驚くべきことに、「結婚してから相手が豹変した」とか、「ある事件(出来ごと)が起こってから関係がおかしくなった」とかだったらしょうがないですが、「交際当初から違和感はありつつも・・・・」って!!!!

なんで「一生続くという想定の下」でする「結婚」をそんな気楽に「交際当初から違和感があった」相手とするんですか。一体相手のどこが良かったんですか(驚)

・・・というと、「ミステリアスな雰囲気に惹かれた」「自分を持っているなと思った」「ピュアなところに惹かれた」と、私からすると普段はあまり聞くことのできない「AS特性の長所の部分」を言うんですよね、皆さん。

「長所」と「短所」は表裏一体です。

リスクを少なくしたかったら、「普通の人」を選んどけば苦労しなかったのに、わざわざ「平々凡々はイヤ、ちょっとミステリアスでピュアな人がいい」と「普通」に比べてスリルのある方を求めて選んだんですから、そりゃ、「普通」よりリスクは高くなります。


「ピュアでミステリアスでいつも新鮮さや驚きをもたらしてくれて(AS特性長所は持ちつつ)、定型的な常識や行動で私を満足させてくれる」なんて、いいとこどりは出来ないですよ・・・


辛口コメントで申し訳ありません。

またお邪魔します。プルーンです。
記事中でも取り上げてくださって恐縮です。

パンダさんがお書きになったように、
「「男女」という立場の違いもそこに大きく絡んでくるだろうと言うことです。特にカップルの内、定型が女性である場合、(中略)大体の場合困難さのレベルが可なり高いんじゃないか」
まさにその通りだと思います。夫の場合は特に、仕事がIT関係で、人間関係の摩擦に気づきやすい若い頃は、開発部というASに近い人が多数派で過ごし、今は営業SEをしていますが、50歳の今でなくとも開発を離れた年齢では既に「仕事さえ会社の損益分岐点に合う程度に出来ていれば叱られたり詰られたりしない、困った人とはみなされない」状況にあり、会社では雑談の必要もないそうで、本人は不自由を感じないんですよね。あるとき、拝み倒してあるメンタルクリニックを受診してもらったら、簡単な問診と何か絵を描かされただけで、「会社で問題を起こさずに勤務が続けられて、結婚しているなら発達障害ではない」

すみません、途中で送信してしまいました。
プルーンです。

「会社で問題もなく、結婚してるなら発達障害ではない」と簡単に切り捨てられてきました。夫は「どうだ!俺はフツーだ!」と意気揚々と帰宅しました。ただ、「コミュニケーションの仕方に注意するように。妻に対して、人格を否定するような言葉を言わないように」とは言われたそうです。夫は私に「プルーンは外で働いていないから社会性がなくなった。コミュニケーション能力がない」とも言っていたので、「ほら、コミュニケーション能力に問題があるのは私だけじゃないよね」と言っても、「気をつけるように言われただけ。問題があるとは言われてない」と返され、こりゃダメだ、と思いました。余計なこととは思いつつ、「人格を否定するようなことって、どういうことなのかわかったの?何か具体例で説明されたの?」と聞いていみると、「具体例で説明された。母親失格とか、そういうことって言われた」と言っていました。やはり、人格を否定する言葉とは何かがわからない程度には、客観的にもズレはありながら、医療の対象にはならないわけです。もろに私はカサンドラな状態です。

男女の違いの話に戻ると、夫の母は「男は怖くて偉いもの。母親といえど、ある程度の年齢(高校生くらい)になったら、意見を言うものではない」という考え方の人です。夫の父が暴力を振るう人だったので、それだけは小さいうちからコンコンと諭してくれたのが幸いでしたが、結婚した"後"に「こういう親の子だから怒らせないように」と言われて唖然としたものです。夫は、女が我慢し、顔色を窺うのが当然という環境で育ったことになります。夫はパニックを起こさない限り、優しい人だし、「暴力はダメl」と教えられたこともあり、手をあげることはありませんが……。
同じIT企業の開発部で後輩として夫と仕事をしていたこともあり、職業柄、そんな男尊女卑の精神、あるいは極端な性別役割分担が潜在していることには気づけませんでした。
ですから、パンダさんの仰る通り、家庭内で自分が弱者の立場になるのは、到底できません。夫は、一般に男性が得意でなければならない?と思われがちな、車の運転、方向感覚、地図読み、家具の組み立て、家電の配線、咄嗟の判断などが致命的に苦手です。私がその辺りは得意なので、素直に任せてくれれば、あっさり片付くことも、沽券にかかわるようで、自分がやろうとするので、とんでもないことになり、最終的には私が、元々かかるはずの時間と労力の何倍も(場合によっては初期状態に戻す分も)かけて、目的を遂げることになります。同じ状況であっても、前回の記憶はないようで、何度でも自分でやろうとするんですよね。子どもがいなければ、その分の労力や時間はあらかじめ見積もれば済むことですし、言い合いしながらもOKでしたが、子どもがいるとそうは行きません。
更には、子どももASなので、パニックはいつも夫と娘のダブルなので、対処はすごく大変です。

ASであるにしてもないにしても、男性でも苦手は苦手と得意なほうに気軽に任せられる意識を多くの人が持つようになれば、違うだろうなとも思います。逆に、料理が苦手な女性も苦手と堂々と言えるような……。

するりさんの見解は、理屈としては理解できます。

でも、人生という長い旅路には、「想定外」もたくさんあるし、乗り越えられることと乗り越えられないことがあって、それは実際、起こってみないとわからない場合が多いです。

実際、私と夫は、妊娠するまでの14年間、問題を抱えながらも、それなりに楽しく、自他ともに認める仲良し夫婦でした。14年の間に、「子どもができたらどうなる」のシュミレートは充分とは言えないまでもしました。それでも、いざ、子持ち生活が始まると、あまりの豹変、というより、自分のペースを変えなさに、オロオロするばかり。そこへ、子どももASだった(5歳でやっとわかったのですが)ので、睡眠障害だったらしく、生まれて1,2ヶ月は昼夜問わず20分とまとめて眠らない、乳児のは夜は2時間ずつくらいは眠ったものの、昼はやはり20分と寝ない娘に振り回され、夫は夫でマイペースで、何かと激昂しやすくなり……。うつ病になって投薬を始め、よくなりかけたところに、娘は保育園でアレルゲンの小麦を誤食し、アナフィラキシーという症状を起こして死にかけました。その後は、普段は会社でいないのに、自分のいるときだけ、私が調理したものでさえ、「これは食べさせて大丈夫か?(怒)」といちいち確認されます。娘の命の責任を一人に背負わされたような重圧でした。情けないことに、そんな状況で、うつ病を悪化させ、一年半ほとんど寝たきり、子どもはシッターさんと保育園と夫に任せ、夜の数時間だけ這いつくばるようにして、作り笑顔で子どもに接しました。

夫に言わせれば、私が勝手に重圧に感じていただけで、自分も考えていたといってますが。

私自身、おそらく自閉症スペクトラムの少なくともグレーよりは濃い部分にいる人間だと思っています。だから、夫に診断をつけて印籠のように使うつもりはありません。葛藤も含めて一緒に付き合い、よりよい妥協点を見いだしたいだけです。そうしなければ、ASである娘と三人で暮らすのは、私には無理なのです。

夫との結婚を決断したのは私です。誰に押し付けられて結婚したわけでもありません。仰る通り、当時は気づきませんでしたが、夫の「他の人とは違う部分に惹かれた」のは事実だし、それは私自身も他の人とは違っていたからだと思います。

認め合いさえすれば、私と夫は、凸と凹の部分が全く逆なので、うまく噛み合わせることで、言い関係になれると信じているのです。そのスタートラインにも立とうとしてくれないのが、とても悲しいです。
一年生の娘を育てる上でも、とても困ります。学校という場所は、案外男尊女卑がまだ生きていて、母親が出ていっても動かないことが、父親が隣に座るだけで状況が変わったりします。

自分の責任で選んだ配偶者なのだから、すべてを受け入れなければいけない訳ではないと思います。それは、ASの配偶者が定型の配偶者のすべてを受け入れなくてはならないわけではないのと同じことです。

これからの生活を、自己責任で自分に合わない配偶者を選んだために受けなければならない罰として過ごすつもりも、夫に一方的に折れてもらうつもりもありません。

申し訳ないですが、私のことではないかもしれませんが、するりさんのコメントは、とてもとても悲しかったです。

するりさんのコメントの後半部分は当事者会のような集まりで吐くような内容ですね。散々悩んでここに辿り着いた定型配偶者には厳し過ぎるとおもいますし、そういう心無いセリフはすでに理解のない身近な人たちに言われているんじゃないでしょうか。ご自身も夫婦関係でかなり悩んだ経験がおありなのに『何故そこまでの書いた?』と驚きました。

ここはブログ主のパンダさんが定型なだけに多くの定型配偶者が訪れていると思います。プルーンさんと同様の感想を持った方は少なくないと思います。

ナナセさんによると、ここは定型配偶者の当事者会のようなものだから配慮しろということですね。たとえするりさんの考えに考えた末のそれでも言わずにおれない本心であっても「心無い」の一言で片づけられてしまうんですね。何故そこまで書いたのかを慮ることはできないのでしょうか。そのコメントは散々悩んでここに辿り着いたAS配偶者には厳し過ぎるとおもいますし、そういう心無いセリフはすでに理解のない身近な人たちに言われているんじゃないでしょうか。なんちゃって^^

なんだか、突然コメントを投稿し始めたと思ったら、「荒し」になってしまっている感じのプルーンです。
この場所は
パンダさんが、恐らく定型もアスペもなくお互いにわかりあえるところを見つけられたら、というお気持ちで運営なさっているのだと、勝手に思っているので、申し訳ないと思います。

>ナナセさん
共感してくださって、ありがとうございます。きっと、私の本音はそういうことだと思います。だから悲しかったんです。でも、ここでは、そこまでストレートに書く気持ちに離れませんでした。

通りすがりさんの切り返しは、感じ悪くなくて、素敵だと思いました。

トマトです。

するりさんは、ご自分の人生のものすごく痛み付けられた部分を「ASの立場、ASの視点」としてコメントされています。「ここから毒を吐きます」と、自覚された上で。

するりさんのコメント内容は、多くのASの人が結婚後に感じる典型的な「気持ち」「言い分」で、このコメントに関して定型側は、知っておかなければならない事のように思います。

と言うのは・・・定型の「ふつー解るはず。出来て当然」という「その場その瞬間」を、ASの人は「えっ?何それ、どうしたら正解なの? 何がどうフツーなの?」と驚いたり慌てたり不安になったりパニックになったり、思わず自分の概念を押し出したり、思考停止になったりして、対応行動ができなくなることがありますよね。

そのことが、相手の定型にとって、とても重大な場面で起こってしまったら、同時に定型もショックを受けたり絶望したり、鬱や体調不良になってしまう訳です。

そんなとき、定型は、記憶を巻き戻し過去にさかのぼって今に至るまでの経緯を考えることによって、思考をまとめようとするサガがあると思います。
つまり、全体像から今の問題を見ようとする癖と申しましょうか。

ですから「思い出したら、初めて会った日から違和感はあった、そしてあの日も、あの場面も・・」段階を追うことによって、今の混乱や悩みを落ち着いて理解しようとする本能があると思います。
それを、心の整理、とも呼びます。

その行為を、ASの方は心情的に、納得出来ないイヤな事として感じられるのではないでしょうか?
1人の人間を過去と現在で、まるで別人のように表現することは、卑怯な行為で言い訳にもならない。

この点は、自分が誰かの酷評にさらされたとき、「もくろみがバレた」など自覚認識があれば受け入れも反省もできるでしょうが、自分にまるで悪気がなく無自覚で、それどころか懸命に合わそうとして暗中模索していた途中であったら・・・
被害者意識や哀しさ悔しさしか持てないのではないかと思います。
だから
《でも、そんな「酷い相手」「通じない相手」を選んだのは自分自身でしょう?》と自己責任を問いたくなるでしょうね。

するりさんのこの言葉には《でも、そんな「酷いわたし」「通じないわたし」を選んだのはあなた自身でしょう?》という、するりさんご自身の経験から生まれた、涙の塊のような叫びを感じるのです。
そして、それは多くのASの結婚経験者が共感する言葉のように思えます。

ブログ上では、参加者同士の状態が見えませんから、タイミング的に、対極の痛みがぶつかることもあります。
私も、過去、真摯にしたつもりの質問が、複数のASの人の激怒やパニックを誘発してしまい「な・・なぜ???」と立ち尽くしたことが何度もありました。

でも・・ブログとは、そういう場所だと思います。

するりさんの今回のコメントは、ASと離婚した定型にこそ、とても大切なメッセージになったと思います。
プルーンさんのコメントの、もうひとつの面がプルーンさんのブログにひたむきな温かさで綴られています。

リアルな言い分こそが、人の心を「ハッ」とさせる。
本気のコメントが、人の心を動かす。

だから・・・お二人のように具体的な生活や心の有り様を書いて下さるコメントは、最重要だと思います。


>プルーンさん


まず、嫌なお気持ちにさせてしまったこと、申し訳なく思います。

ですが、誓って言いますが、プルーンさん宛てに書いていません。
良くも悪くも今回、プルーンさんのことは全く念頭に置かないで書いていたのです。

ASを「中傷してるだけ」の別のサイトをうっかり見たことが今回の発端です。

プルーンさんがここに来て色々書かれているこのタイミングでは、そう取られてもおかしくなかったかもしれないなと読み返して思いました。


私が伝えたかったことは、トマトさんがほとんど代弁して下さいました。そこに少し付け加えるというか、要約すれば


「定型側からのASへの不満や色々な事例、一方の言い分しか聞いていないけど、それでも、それは悪いことだ、とか、怒って当然よね、と共感することは多いです」

「結婚当初や決定的な事件が起こるまで分からなかったこと自体に見る目がないというような批難をするつもりはないです。それはしょうがないと思う。」

「だけど、交際当初から変だと思いつつ・・・だったら相手ばかり責められますか?」

「人生において、人は幾度となく重要な選択をすることが求められますが、どんな選択にも責任は伴います。受診させるにもある程度の勝算がなければ、いい結果は得られないと思います」

たった、これだけです。

「見る目がなかった自分を呪い、相手の全てを受け入れろ」なんて言うような意図はありませんでした。


それより、気になったことがあります。


ご主人のプライバシーをここまで書いても大丈夫なんですか?

職業、家族構成、会社でのこと・・・ご本人の了解を得た上で書いてらっしゃいませんよね?

ここは不特定多数の人が見ています。パソコンの恐ろしさは、永久に残ってしまうことです。

ご主人に内緒で投稿しているとして、ご主人が何かの拍子でこのページにたどり着いたら、アスペルガーという言葉を何回か奥さんから聞いていたら思いだしたように調べるかも知れないですよね。
地名や職業、家族構成や特性等で気付かないとは限らないです。

こういうところにも、責任というものは生じます。


たとえば、パンダさんは奥様にこのブログの存在を伝えているし、他ブログでですが、トマトさんは友人アス君に「あなたのこと書くね」とちゃんと言っています。


だからと言って別に「正々堂々宣言しろ」なんて言ってませんよ!!

宣言する必要は全くないですけど、相手が特定されないようにという配慮だけはお願いします。

うまく行くものもうまく行かなくなります。


ナナセさん

私のしたような話は当事者会でよく話されるような話題なんですね。

行ったことないので実態がわからないのですが、興味深いです。

通りすがりさん

察しの悪い私には、貴方がどちらの立場なのか、確信が持てませんが、何故か分かりませんが脱帽しました(笑)
具体的にどこが、と言われるて説明が難しいのですが…


トマトさん


感無量です…泣
思わず涙ぐみました。柄にもなく。

そして新しい発見がありました。心の整理のために「そう言えばあの時も!最初から変だったんだ」となるのですね。

知らないと悲劇ですね。私はこの言葉を聞いた日、思い詰めて遺書を書きました。

書いてすぐに破りましたけどね…

トマトさん、

〉《でも、そんな「酷い相手」「通じない相手」を選んだのは自分自身でしょう?》と自己責任を問いたくなるでしょうね。

私はASで結婚もしていますが、私の考えは上記とは異なります。

私が上記のような発言を耳にしていつも思うのは『それを言って何になる。』です。行くとこまで行ってしまって切羽詰まって一杯一杯になっている人にこういうことを言って何になるのでしょう。トドメを刺す行為のように思えます。だって元に戻って選び直すことはできないのです。私にはこのセリフは建設的ではないし『ASを中傷しているだけ』や『定型を中傷しているだけ』と何ら変わらない発言に思えるのです。


するりさん、

するりさんが読まれたASを「中傷してるだけ」のサイトがどのような趣旨のサイトか分かりませんが、不快になるのであれば訪れない方が良いのではと思います。私は定型同士、AS同士が思いっきり不満を言う場は必要だろうと思います。定型ならASの、ASなら定型の。そこには共感もあるでしょうし、ガス抜きですね。相手(私の場合だったら定型)がガス抜きをしているのを目の当たりにしたら不愉快でしょうがお互い様だと思うのです。

トマトさん

素晴らしいフォロー、ありがとうございます。
私のつたないブログも読んでくださり、とても嬉しいです。
思い込んだら一直線の人間なので、ひたむきさは出ているかもしれませんが、「温かさ」を感じていただけるとは意外でした。

AS女性の苦しい立場は、ネット上の様々な記事や投稿で、よく目にします。
これからの若い人は分かりませんが、昭和の男性の場合は、「俺が食わせてやってる」「俺について来れないなら」など、教育のせいもあり、すべて妻の責任にして逃げてしまう例が、定型同士の結婚であっても少なくないと思うので、ASであれば、なおさらでしょう。
更に、女性の側も、ASでなくても「女はこうあるべき」という刷り込み教育がなされますので、ある程度リベラルな人間でも、夫の不満は自分のせいではないかと悩むと思います。
私の場合もそうです。
「旦那(アキラ)さんはアスペルガー」「一緒にいてもひとり」などの書籍に出会わなければ、ネットで検索しても、子どものケースしか目に入らなかったと思います。
パンダさんが進行役になってできた、「アスペルガーと定型を共に生きる」も時期は違いますが読ませていただきました。
「スタートラインに立てたら、なんとか修復可能かも」と思えたのは、この本のおかげかもしれません。それでも、夫はネットの検索もしようとしなければ、これらの書籍を渡しても、読もうともしません。

ところが、トマトさんの書いてらっしゃる、
「定型の「ふつー解るはず。出来て当然」という「その場その瞬間」を、ASの人は「えっ?何それ、どうしたら正解なの? 何がどうフツーなの?」と驚いたり慌てたり不安になったりパニックになったり、思わず自分の概念を押し出したり、思考停止になったりして、対応行動ができなくなることがありますよね。」
ここが違う、というか後半の部分にぶっ飛んで、「驚いたり慌てたり不安になったり」は全くないのです。
「俺が普通なのに、なぜわからない?『オカシイ』のはそっちだ」
と責めます。
私は差別が何より嫌いです。単に人と違う部分があるというだけの障害を「オカシイ」と言われるのにも腹が立ちます。何より娘が診断されたばかりですし。夫のことも「オカシイ」と思ったことはないのです。
この反応そのものが、実は「不安」の表れである可能性はあります。夫は、どんなときも自分の非を認めません。都合の悪いことはすべて自分以外のせいです。これまで何度責められたことか。それまでの人生で、自分の非を認めたがために不利益を受けたことが何度も積み重ねた結果、身についてしまった姿勢なのかもしれないと考えています。

そう理屈づけたところで、悪くないことで責められ続けるのは、特に娘のことで全責任を押し付けられては身が持たない……。

ASの方が生きているのは「現在だけ」とよく言われます。
トマトさんが説明してくださったのは、そういうことなのかと思いました。


するりさん

よくわかりました。私自身も、娘の入学準備やら運動会やら、一学期が終わり、一息つけたかと思えば、またさまざまな問題が起こり、夫の無関心ぶり(これでも4月の入学式前に私が倒れてからずいぶん変わりましたが)、それでも夫となんとかやっていきたいと思っているところでしたので、余計な反応をしてしまいました。
本当にタイミングが悪かったと思います。

ネットでの書き込みについて、ご忠告ありがとうございます。
夫には、私のブログのアドレスも、ツイッターのアカウントもすべて伝えてあり、あらゆることを書いてあることは伝えてあります。

ただ、夫自身も検索はしないでしょうし、会社関係の方々も私のリアルの友人たちもハンドルで書いたネットの情報を特定するまでのことはしないはずです。
娘のことを書いたブログだけは夫もたまに読んでいるようです。
ツイッターでかなりのフォロワーがいますので、2ch辺りで噂されている可能性はありますが、その程度のことです。

娘自身のことに関しては、いずれネットをいじるようになるでしょうから、告知をするまでの間、見えない工夫をしようと思っています。

パソコン通信時代からのネットユーザーですので、ネットの怖さはよくわかっているつもりです。最低限のプライバシーは守っているつもりです。

カッサンドラは孤独なので、隙あらば書き込みをしてしまいます。
カッサンドラ症候群というのは、この場合、家庭ではAS夫に振り回されながら、外で誰に話しても、「いい旦那さんじゃない」「それくらい、うちだってあるわよ」で済まされて相手にされず、一人で苦しむ妻のことです。
カッサンドラの多くは、私の知る限り、やり直そうとするのに疲れて、離婚のために奔走している方で、そちらはそちらで疎外感があります。

ネット上でいろいろなケースを見聞きしたり、「それはどういう意味?うちはこうなんだけど」とかきこんだりすることで情報交換したり、「そーだよね」と言い合うのが唯一の息抜きです。

また、最近気づいたのは、この件に関しては、本当に千差万別で「そーだよね」というケースは、ネットでしか出会えないし、ネットでもピッタリくるケースは多くはないということです。だから、私自身の個人的な体験でも、誰かの気持ちを癒すことになるかもしれないし、何かのヒントになるかもしれないということです。

単に夫の愚痴を書いているだけではないことは、ご理解いただけると嬉しいです。

とにかく、真摯なコメントと共に、ご心配くださったことに感謝します。
ありがとうございました。

プルーンさんへ。 トマトです。

プルーンさんのブログは、プルーンさんの視点が自分の目になって、その現場に居るような錯覚になります。定型の子供とASの我が子の関わりには、やはり他人事といえど保護欲が動きますね。定型の幼い子がすでに処世術を身につけていることが、我が子への心配になるあたり、リアルに伝わってきます。

ところでごプルーンさんのご主人の
《「驚いたり慌てたり不安になったり」は全くないのです。「俺が普通なのに、なぜわからない?『オカシイ』のはそっちだ」と責めます。》
という様子で想い出したのですが、友人AS君が私に言った印象的な言葉があります。
「僕は、僕以外の気持ちが存在するなんて知らなかったんですよ。僕の気持ちもほかの人の気持も同じだと思ってました」

彼は、親との確執があり友達とけんかしたり失恋したり・・を充分経験した40代後半でこの言葉を言ったのです。
「では、今まで、自分と違う意見を聞いて、それをどう意味付けていたの?」と聞いたら

「相手が間違いを言っていると思ってました。 面倒臭いのでいちいち反論はしなかったけど、正解か間違いかで判断していたので、まさか、それぞれが違う考えや意見を持ちながら存在してるなんて思ってもみなかったんスよ。
だって・・・ほら。違う考えを持っていたら、一緒に居られないじゃないですか」

つくづく・・・「思ってもみない基本があるんだなあ」と感慨深かった出来事でした。

プルーンさんのご主人の「フツーかおかしいか」 AS君の「正解か間違いか」
このような「どちらかひとつ思考」で、乗り切ってきたのですかねぇ。

ナナセさんへ。 トマトです。

質問ですが、ナナセさんなら、相手から一方的な非難の言葉を受けて、それが納得できないものであったとき、どういう対応をされるのですか?

《私が上記のような発言を耳にしていつも思うのは『それを言って何になる。』です》というのは、正論ではありますが、相手や周囲に言葉で追いつめられると、つい反応する言葉が出るということは多いと思うのですが、こういうときナナセさんは沈黙しておられるのでしょうか?

プルーンさん
横やりですが、ごめんなさい、気になったので、

「 驚いたり慌てたり不安になったり」は全くないのです。「俺が普通なのに、なぜわからない?『オカシイ』のはそっちだ」と責め ます。 」
可能性はあります、ではなく、
これは十分パニックではないのですか?
出力された感情が怒りや相手の否定であるかもしれませんが、
古典的な男性像を刷り込まれていることを鑑みると、動揺する姿を他人に見せてはならない、だとか
あるいは、否定され続け自己肯定感が低くなっている人に限って(私ですが)
非を認めるには相当な決心が要りますし、
自分を守るために、それがなくなったらこの世に存在できないと思う位の、
自己肯定感の欠片を守るために、自己正当化を試みることは、定型の子供にだって多く見られることです。
そういったことを繰り返して、「驚いて慌てた不安な自分」を隠すために、守るために
「自己正当化」を身につけてきた人にとっては
「逆ギレ」もパニックといえるのでは?と思いました。
自分に経験があることなだけなので、旦那様に当てはまるかはわかりませんが。

お子様のことでも苦労なされているようですので、考えた上で可能性、に留めて
その様なときにパニックとして対応されていないのでしたら
よけいな口出しをしました。申し訳ありません。

トマトさん、

ご質問の内容があまり具体的ではないのでちゃんとした答えになっていないかもしれませんが、一方的な非難の言葉を受けたら基本的には反論はします。ただその反論の仕方の度合いが状況によって異なります。

例えば自分のことを理解して欲しい相手からの非難であれば徹底的に話し合いますが、それほどの関係性がない相手からであれば軽く反論、それで手応えがあればさらに説明、手応えがなければ終了。正直どうでもいい相手からであれば『ああ、そうですか。』くらいの反応の仕方でしょうか。

場合によっては譲れない内容での非難があるかもしれません。その時は自分がどう反応するかはわかりません。

定型配偶者同士がAS夫を非難して共感し合っているのはあまり気にならないです。定型の友人が夫の愚痴や悪口を言っているのを聞くのと似たような感覚で見たり聞いたりしています。ただ非難の内容がかなり切迫している場合は反論ではなく別の感情が生まれますが、打開策を思いつくわけでもなく表現のしようがない気持ちになります。多分悲しいんだと思います。

プルーンです。

パンダさんのブログで、勝手に話を展開させていただいています。

トマトさん、
ご友人だったASさんのお話はとても参考になります。
ASの方は、ゼロイチ思考というか、0か100か、敵か味方か、家族かそれ以外かをクッキリ分ける方が多いですね。
夫の場合も、欲にた感じだと思います。一つ、違うのは、夫は両親、特に母親の愛情(それが適切だったかどうかはともかく)をしっかり受けて育ちました。兄と妹がいるのですが、夫の母は、男女の区別以外は、とにかく三人に平等に愛情を注ぐことに気を遣っていたようです。更に、夫の母は男性に一種の幻想があり、「息子といえど、男は絶対」という人でしたので、家の中では自己肯定感を通り越して、自己有能感に浸っていたかもしれません。それが外では通じず、却って「男なんだから」と自尊心を傷つけられることが多かったのかもしれません。
そうであれば、家での自分は正しいのだから、外で認められないのは、外の問題だ、社会の方が間違っていると、考えても不思議はないですね。

要約が苦手で、時系列に誤解がなるべく少なくなるように書くしか能がないのです。それが臨場感を生んでいるとしたら、ちょっと嬉しいです。
同じような立場の人は、長くて拙い文章でもきっと、読んでくださる思っていましたが、立場の違うトマトさんにも、私の視点にたって読んでいただけるとは思ってもいませんでした。

ナナセさん、いろいろとブーメランな面白い方ですね。するりさんの発言も、一杯一杯のところから出たものだと思いますよ。すでに出てしまった発言を正義を振りかざして責め立てるより、どういう背景があって出たのかを考える方が建設的ではないでしょうか。現に、他の方々の間ではそういう流れになっています。もう言う前に戻って発言を引っ込めることはできないのですから、それこそ「それを言って何になる」です。その流れがお気に召さないなら、ご自身のためにも見るのをお止めになる方がよいのではありませんか?見ざるを得なくてお辛いのかもとも思いますが……。

するりさん、プルーンさん、ありがとうございます^^私はAS内にあっては定型寄り、定型内にあってはAS寄りの、どちらにもそこそこ共感できてどちらにも盲目的には肩入れしない層です。では一読者に戻ります。

かずきさん

 お帰りなさい。
 なんとなく感じるんですが、かずきさんのこれまでの
 壮絶なご苦労の賜物なんでしょうけれど、定型的な感覚に
 「的確」に配慮して下さりながら、大事なポイントを提起して下さるなあと
 そんなことを思ったりします。ご自身についての説明も私には
 とても分かりやすく感じますし。
 そのこと自体いろいろなご苦労を伴ってのことなのだろうとも想像しますが、
 「定型とアスペのコミュニケーション」を考えるときに、
 ほんとに有り難いことだなあと感じます。
 またご無理のない範囲で結構ですので、どうぞよろしくお願いします。

プルーンさん

 「パンダさんのブログで、勝手に話を展開させていただいています。」
 ということですが、もちろんどうぞ存分にご活用下さい m(_ _)m
 「アスペと定型のコミュニケーションを考える」とか、
 考える以前にコミュニケーションの場として成り立っていけば、
 私としても一番うれしいことですし。
 別にお代を取ろうということは申しませんので、ご安心を (^o^)
 もちろん「お志」は気の弱い私は全く拒否できませんし
 卑しい心でひそかに喜びますが (^ ^;)ゞ

通りすがりさん

 どちらの感覚もそれなりに分かるという貴重なお立場にいらっしゃるのなら、
 ときどきお互いの通訳をして下さるというのはありでしょうか?
 こちらではトマトさんがサポート経験に根ざしたすごい通訳の役を
 繰り返しして下さっていますし、
 そういうことが出来る方ってすごく貴重だと思います。

プルーンです。

パンダさん、ありがとうございます。

娘もアスペルガーで一年生、緘黙という症状も伴っているので、そちらの対応に忙しく、アスペルガーと定型の大人同士のコミュニケーションについて、理お論的に考えている余裕はなかなか持てないのですが、家族三人で暮らしていくためには、夫婦のコミュニケーション失くしては立ち行かない(夫の場合、元気なときはいつでも一方的にかかわりたい人ですし)ので、このサイトの存在はとてもありがたく思います。

かずきさん、コメントをありがとうございます。

私の書き方がわかりにくかったと思いますが、夫のその反応がパニックであるだろうことは認識しています。
"「えっ?何それ、どうしたら正解なの? 何がどうフツーなの?」と驚き慌てる"態度は見えず、一方的に「俺がフツーだ!」と責めるので、それが「不安」の表れであるというのは、今のところ、「可能性がある」としか言いようがないということです。

何より、夫は、自分自身が多数派の考え方とは違う考え方をすることに気づいていません。トマトさんのAS友人さんと似た状態になっているのだと思います。

娘が生まれてからの夫の逆ギレの多さが、夫自身がアスペルガーで、パニックを起こしているのかもしれないと気づいたのは、娘がアスペルガーと診断されてからです。娘に対応するための情報を集めるうちに、偶然、アスペルガーの夫を持つ妻の手記をいくつか読み、疑いを持ちました。そして、そういった手記に書かれていた対処法を試すとスムーズにいくことが多くなり、確信しました。

よくよく考えると、娘が生まれる前の私は、家にいるときは夫のことさえ考えていればよかったので、知らず知らず、夫のパニックを抑えるための工夫をある程度していたようです。娘が生まれてからは、なお、です。アスペルガーがどういうものかも知らず、夫や娘が当てはまるとも思いもつかない頃のことです。

たとえば、旅の帰り、想定外の天気になり、帰宅手段を変更しなければならなくなったら、どういう風に変更するか先に言っておかないと、その場その場で怒り爆発になるのはわかっているので、前もって「今日は雨だからこうしようね」と言っておくとか……。それでも、追いつかないとか……。
このブログの記事が一例です。
http://with-asperger.seesaa.net/article/258400190.html
こちらは、過去のことを思い出して書いていて、今は更新する暇がないブログです。
かずきさんのように、AS当事者で、自覚もあり、そのことで苦しんでらっしゃる方が読むには、毒が強すぎると思うので、読んでくださいとはとても言えないのですが、URLだけあげておきます。

AS当事者であるかずきさんに、こういうことを申し上げるのは気が引けるのですが、夫婦と言う関係にあって、日常的にその対処を続けることは、本当に疲れます。今でもできる限りはしていますが、本当にたいへんです。娘とダブルで同時に別方向でパニックを起こされると、どうにもなりません。家の中はまるで地雷原です。

そして、パニックを起こした夫に、逆ギレされたり責められたりすると、私のほうの自己肯定感もどんどん下がっていきます。まだアスペルガーを知らなかった頃の私は、子どもができて想定外満載の日々になった途端、パニックばかりの夫と、娘自身の育てにくさのダブルパンチで、自己肯定感は最低レベルになり、うつ病で1年半も寝込みました。

AS当事者さんがパニックを起こしているときは、当事者さん自身が辛いというのはわかります。でも、同時に、その場にいる周りの人間も、とても苦しいのです。

しかも、夫の場合は「俺は何も困っていない!」と言い張りますし、実際、ASに向いていると言われる職場ではありますが、一般の男性と同じように長年、会社員をしていますし、二次障害らしきものもないのです。

せめて、夫自身が、「自分は多数派とは違う感じ方をし、想定外のことがあるとパニックを起こす」という自覚を持ってくれれば助かります。できることなら、自分自身でもそういう状況を回避する努力(慌ててもパニックを起こさないようにするという意味ではなく、「慌てる状況になることを回避する」と言う意味です)をしてくれれば、私のほうも気が楽になりりますし、対処や我慢(ごめんなさい。どうしても我慢でしかないのです)のしがいもあるというものなのですが……。

アスペと定型の問題は、定型の側がアスペを理解すれば、どうにかなるという問題ではないのが、また難しいところだと思います。それゆえ、パンダさんのこのサイトは、とても貴重なのでしょうね。

玄です。パンダさんの「幸せ感覚のズレ」について。
昔の世代では、結婚することの理由として、「生きるため」「社会的に認められるため」といった要素が強くて、「幸せになるため」が結婚の理由として存在感を示すようになったのは歴史的には最近のことなのではないでしょうか。
(おとぎ話ならば「二人はいつまでも幸せに暮らしました」とかありますが、現代の「幸せな結婚」観は結婚式関連業者の宣伝文句の影響でしょう)

僕が試しに提案するとすれば、「幸せ感覚」は「深いところにはない」ということです。
「幸せ」は、「こうありたい」というビジョンであり、知識の一種だと思います。理想と照らし合わせて合格点を出すかどうかという現状認識の一側面と言う考えです。即物的にいえば、「幸せの共有」というのは個々人の「共有している!」との判定に反応して出た脳内麻薬がもたらす「心の根底から湧き上がる様に感じる」作用なのであって、共有が実際にあるかどうかは無関係です。
だから、幸せになりたいならば、脳が幸せを感じるシチュエーションを作ってやればいい。「一緒にやりとげた」「思いが通じた」「むくわれた」「励まされた」「愛された」という状況が定型の脳に「幸せ」を感じさせると分かっているのだから、それをできるところから満たしてやればいいと思います。
結局、具体的にはパートナーと共同生活を送り、声を掛け助け合いながら生きていくことが「幸せ」を感じられるポイントを安定的に増やす方策として最良と思えます。その意味では「結婚」と「幸せ」は密接です。

僕には「気を使う」という手段はさっぱり意味が分かりませんが、そういった感じに落とし所が明確になってくれば、「幸せ」を定型の相手に提供する実現可能性はかなり高めることができると思います。

僕の個人的シアワセ(脳内麻薬が出る)は、「計画通りに物事が進む」とか「全部揃う」「順番に並ぶ」的なことかもしれませんが。家内と共有している幸せは「子供の成長」。これは揺るぎません。全てを注ぎ込んでも後悔しないですね。

「幸せ感覚の共有」は、互いのシアワセ感覚についての語り合いが必要と思います。アスペと定型なら、尚更です。二人のシアワセ感覚を互いに尊重する気持ちさえあれば、全てが一致する必要はなくて、一つ二つでも同じものがあったら「共有するモノがあることを共有」すればいいではないですか。一つもないなら厳しいですが、、、多くを求めないということで。このやり方でいけば、悟りの状態になる必要はないと思います。

プルーンさん、こんばんは。玄です。
色々お持ちで大変ですね。

旦那さんが社会人として長年仕事を続けていらっしゃるとのこと、素晴らしいと思います。旦那さんがご健康なのであれば、それはプルーンさんのご努力の賜物です。

本人が何の不自由も感じない状態で、仕事も続けられるのでしたら、本人が改善を希望していないのですから「治療対象としての」発達障害ではないでしょうね。治療手段や治療成果の指標が決められない、とも言えます。

想像ですが、旦那さんは全く困っていないわけではないのでしょうが、「その程度の苦労は誰でもしているだろう」などの思考で乗り切っておられるのでしょう。
僕は営業の仕事をしていて行き詰まりを感じたことが切っ掛けですので、本人が「困った、どうしてだ、改善するには?」という心境にならなければ変化を起こすのは難しいかもしれませんね。
育った環境と現在の環境が、ある程度整合性を保ててしまっているので、自分のルールに疑問を持たないのでしょうね。
沽券という概念とはやっかいですね・・

トマトさんのコメント「「えっ?何それ、どうしたら正解なの? 何がどうフツーなの?」と驚いたり慌てたり不安になったりパニックになったり、思わず自分の概念を押し出したり、思考停止になったりして、対応行動ができなくなることがありますよね。」について。
僕に「何がどうフツーなの?」という感想や、驚き・慌て・不安は起こりません。そんな悠長ではなく、プルーンさんの旦那さんの反応の描写が実際を表わしています。かずきさんの指摘のように、パニック状態という面もあるかもしれません。
僕の内面では、電撃的に「フツー」という単語に反応して、「フツーという言葉を使ってくる奴は、俺を『オカシイ』と指差してバカにするが、なんでお前までそういう態度なんだ!」という台詞が一気に呼び起こされて口から出てくる感じです。

旦那さんが多数派と違う自覚がないという点については、「世間の人はそれぞれ(確かめたわけではないけど)誰しも個々に違う考えがあるはず。プルーンさんと俺で考えに違いがあったところで、なぜプルーンさんがフツーだと断言できる?プルーンさんがフツーなら俺もフツー。俺をフツーといわないプルーンさんはオカシイ」という流れを常々考えているかも。

プルーンさんのおしゃるとおり、「現在だけ」ということはあると思います。
僕の場合、「情報」の記憶は割とできるのですが、「エピソード」の記憶を自由に出し入れするのが苦手です。
現在、目の前で問題が起きた時、その経緯を「思い出す」ということが難しいのです。どうするかというと、自分が有利か不利かなどは考えず、「今の状況から想像できる、整合性ある過去の状況を創作する」ことが、僕にとって「思い出せ」と言われた時にする作業です。そうしてできた話を伝えると、相手と内容によっては「自分に都合の良いように語る」「稚拙な言い逃れ」というように受け取られてしまう状況になります。
(時間を遡る質問で、現状を基準に答えを探してしまうのは、「サリーとアン」だと今気付きました。未来のことを考えるのも苦手です)

プルーンさんへのアドバイスをできる立場か分かりませんが、旦那さんとの話し合いには、書き残した記録や証拠を示しながらがよいかもしれません。その方が旦那さんも落ち着くと思います。「口論」は用意した台詞を繰り出すことになるので、勢いは威圧的になるでしょう。お互いに論点を(視覚的に)整理しながらが良いと思います。(既に色々と工夫されていると思います)

プルーンさんの体験談はケーススタディとして、大いにヒントになると思います。
旦那さんは、ご自身のユニークさ・人付き合いの独特さについて自覚する部分はおありなのでしょうから、「自分のユニークなこと、それが分かったエピソード」を書き溜めてもらうのもいいかもしれません。アスペルガーや発達障害という言葉がなくとも、それによって特性を自覚し、上手くやっていく題材にできると思います。
お子様ともども、お体を大事にしてください。
有難うございました。

ナナセさんはASにもかかわらず定型プルーンさんを擁護した。
互いに理解が及ばないのがやむを得ない状況で。
おおむね人はかばわれれば次はかばいたくなる。
決して容易ではないが、そういう好循環のもとでなら互いの言動をもっと大らかに良心として受けとめられるかもしれない。

言ってしまったことは取り消せない。前向きに。たしかにそうだ。ただ、
ほんとうに人は何を言ってもいいのだろうか。
相手にダメージを与える前に、やれることがある気がする。

ナナセさんは饒舌でないぶん説得力が弱いかもしれないが、人の話をよく聞き、結果人から信頼されることも多いと思う。

プルーンさん、コメントありがとうございます。
なかなか上手く読み取れず申し訳ないです、

そして、うまく伝えられてなくてさらに申し訳ないのですが、
可能性、ではなく、(定型の方の多くはレッテルが必要なことが多いので)
パニックなんだ、と認識して対応すれば、パンダさんのいう「諦め」のような状態になって
ストレスが少しでも減るのではないかな、と
そういう意図でした。
私自身が、可能性は無いわけではない、とか、かもしれない、よりも
仮に決めつけてみよう、というほうが対応しやすいので出てきた考えなので、
ここが定型の方とあわない部分でしたらよけいなお節介でした。

ブログのURLもありがとうございます。
今は余裕がないので、余裕があるときに心の準備をしてからおじゃましたいと思います。
定型側からのASへの不満や不審点は、身の振り方の参考になるので有り難いですよ。
それを受け入れるだけの精神面を整えるのが少し大変ですが…

日常的な気遣いに疲れるのは、状況は違いますが
夫の両親と完全同居の私というレベルで感じていますので、
相手が近しい関係であるだけに、もっと疲れるのかな、と思いました。
本来であればそう思う段階で口にはしないのですが、あえて続けます

AS目線にこだわってとげのある言い方をしますと

日常的に自分の想定外の言動を続け、予定も、考えも、言わない聞かない相手に配慮し続け、耐えかねて意見すれば自分が悪者にされる
自分の感情と、対処しなきゃいけない現実に対処し続けなければいけない、そんな生活は、本当に疲れます。
平気で5年間の登校拒否と引きこもり&鬱、自殺未遂に自傷癖と3年間の鬱で、手帳を申請できてしまうくらい。
日常生活が地雷だらけです

ここで問題になるのは、定型にとっての地雷と、ASにとっての地雷とが、必ずしも同じではないことですよね。

プルーンさんのコメントを拝見していますと、娘さんにかかりきりになりたい?というか、なっていて旦那さんが後回しになっていて、トラブルが増えた、ような印象を受けるのですが…

もしそうだとするなら、
以前までは配慮があった部分がなくなっているわけですよね
なくなる前に、
「今は娘を優先してしまっているから、あなたまで気が回らないことが増えるかもしれない」など、
予告や宣言…と言うかー
イメージとしては告知?うまく表現できませんが
そういった、(定型支援者の好む言い方をしますと)新たなルールを作りましたか?
それがなく、なし崩し的にそうなっていったと(旦那様が感じていたと)するなら、
子供が産まれて、パートナーに気配りしなくなった相手
と見えてもおかしくないです。

「今は気が回らない」事を伝えた上で
そういったときに、怒る(リアクションになる)のも分かるけど、そうされると追い詰められるから
こうして欲しい、とか、どうしたらいいか一緒に考えて欲しい、とか
「何もしないくせに口だけ!」とかの感情的なものではなく
解決策を見つけるための提案を冷静にし続けたらいかがでしょうか

こういうときはこうしよう、があると
お互いに対応しやすいかと思いますし

私は自閉症スペクトラムを疑われている子供相手にもよくこれをするのですが、
誰が正しいとかは、横に置いておいた上での話、までもっていけたら効果的かなーと思います。
それが難しいしたどり着けない、というのも、定型夫相手にですが、分かっているつもりなので
理想論というのもわかった上で書きました。


パニックについてですが、
私は一般的なイメージなパニック(泣き叫ぶ、暴れる)は起こしたことがありません。

旦那様のような怒りや非難、否定が出てくる
出てくるが人間として言ってはいけないと思いだまる
単純にフリーズする
何も感じられずどう対応すればいいのか分からないので動けない、言葉を発せない

のどれかのように思います。
今はフリーズが多いです。
これらがパニックじゃないか、と考えているのも、もしかしたら違うのかもしれません
定型の方が不安にどう対処してるのかが分かりませんので…

不安の度合いも違うのでしょうから仕方ないのかもしれませんが…

例えば
ABCDの用事がある(共通認識)。
運転は夫。
位置関係からABCDか、DCBAの順番かな、と個人的に考えて車の中の荷物の配置をする。
夫が何も言わずBに行った。

Bに向かっている、と明確にわかった段階で、私はフリーズします。
Bに着いたらこうする、というシミュレーションは済んでいるので着いたらやるべき事はする、けど
それ以外頭にはない。というか考えられない。

そうじゃなければ「最初が此処なら残りはどの順番でまわるの?!」と怒りをぶつけるか、
「その日の予定すら伝えてもらえない位、この人にとって私はどうでも良い存在なんだ」と感じて復活まで一週間程寝込むか

明らかにこれは「普通」ではないらしいのですが
これをパニックでなければ、なんといえばいいのか。

これを防ぐために、やるべき事を書き出し渡して、どこからどう行くかを家を出る前に言葉にして確認しておく
と言うことを始めました。

夫が対応してくれるようになったのは
夫の希望で診断を受けASだと分かってから半年以上過ぎた、つい最近です。

自分はそれで困らない、フリーズしない、と思ったのなら、そこまでならない、と思ったのなら

逆に言えばこういう対応を、ASは常に定型から求められている状態、とも言えます。
自分を守るために鎧を着れた人は、鎧に自分すら傷つける棘が大量に生えていてもおかしくないです

何を伝えたいのか、まとまらなくなってきましたが
ASをパートナーにするとかなりの確率で苦労する、と言うのは知っていますし、目の前で一例を見ています。
本人に自覚があろうが無かろうが、AS傾向があると思うのであれば
特性を利用してご自分を守ればいいのではないのかな、と思ったんです。

日常生活は、一時も待ってくれませんし、立ち止まれません。
その中で時間を割いて話し合い、なんて現実的ではないです。
子供が居て、子供にケアが必要であれば尚更。
その中で、誰も不仲になりたくて一緒に暮らしているわけではないのだから
ヒントが欲しいのは、定型側も、AS側も、同じではないのかな、と思ったんです。

通りすがりさん

私も主治医にはどっちかと言えばグレーの比較的浅いところにいるらしいです。
少なくともこてこての自閉症ではない、と。
だからと言って生きにくさが軽いわけではない、と夫に念を押してくれましたが。
通りすがりさんのおっしゃる、定型においてはAS寄り、ASにおいては定型寄り
という表現がこれに当てはまるのであれば、
今後も考えを伺いたいな、と思いました。
もちろん、だからといって同じ考えや思いだとは思っていませんし、
是非に、ともお願いできる立場でもないのですが…


パンダさん
ありがとうございます。
まだ本調子ではないので、ご迷惑をおかけするかもしれません。
でも、私にとって替えのない場所なので、みなさまの優しさに甘えさせて頂きたいです。

「的確な配慮」が出来ていると感じてくださっていることは、有り難いです。
毎回毎回、不安なまま送信ボタンを押しています。
リアル生活の中では
気を使いすぎだと言われたり(距離感をつかめていない)
気が利かなさすぎだと言われたり(気遣う余裕があるときでも言われますので深刻な問題です)
もう、どうにもなりません。
でも、そう感じてくださった一つの理由は、
通りすがりさんへのコメントにも書きましたが、
グレーゾーンの中でも浅いところにいる、らしいからなのでしょうか。
もしそうだとすると、そこから何かヒントがもらえればいいなーと思いました。

パンダさん、通訳……などという大役に見合う器ではありませんし私の解釈が正解とも限りませんが(^v^;オマケにそう頻繁には覗けませんけども、時折チョロッと顔を出させていただきますね。困っている方を見かけたら放ってはおけない性分ですので。

mさん、(ポエムにお返事は不要でしょうけど、他の方用としても書いておきます)勝手な想像ですが、ナナセさんもお辛いようにお見受けしました。自らの思う正義が実行されないゆえに。実際は正義は人の数だけあるとも言えるほどに、一様ではないのですけど。他人の失敗について異様にこだわる家族がいるのでそれと重ねてしまいました。そうしたこだわりもどうやらパニックの一種のようです。

かずきさん、浅瀬仲間ができて嬉しいですo(^▽^)o
主治医によると私はAS的だけれどASとも言い切れないようです。定型的に期待されることがある程度以上はできてしまうけれども、余裕でこなせているわけではなく私なりの精一杯であり限界なので困りますねぇ。這えば立て、立てば歩め式に周囲からの期待は上がりますから。その期待値を下げる努力も怠れません。私は配偶者の立場ではないのでどれほどお役に立てるかはわかりませんが、定型とAS疑い濃厚な両親のいさかいを散々目にし愚痴を聞かされ続けたおかげで、一層どちらの感覚も理解できるようになった気はします。

トマトです。

かずきさんの
《日常生活は、一時も待ってくれませんし、立ち止まれません。その中で時間を割いて話し合い、なんて現実的ではないです。》
というコメントは、ASと定型のコミュニケーションのまさしく核の部分だと思いました。

かずきさんのコメントから引用させていただくと
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ご主人の運転で夫婦で出かける。行き先は複数あって、妻は位置関係から一番先にAの場所に行き用事を済ませて、次にBの場所に寄って、それからCの場所、次にDの場所に・・・と予想する。それが、ご主人が最初にAではなくBの場所に向っているかっている、と明確にわかった段階で、妻はフリーズしてしまう。
Bに着いたらこうする、というシミュレーションは済んでいるので着いたらやるべき事はする、けど、それ以外頭にはない。というか考えられない。
ときに「最初が此処なら残りはどの順番でまわるの?!」と怒りをぶつけるか、
「その日の予定すら伝えてもらえない位、この人にとって私はどうでも良い存在なんだ」と感じて復活まで一週間程寝込むか・・・という事態になる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ここで、定型の思考に理解しづらいポイントが2つあると思います。

  (1つめ)「なんで聞かないのさ」
定型的感覚だと「A→B→C→D」の自分予想が当たらなかった時「最初にAに行くんじゃなかったの?」「どーして先にAに行かないの?」と、とっさに《聞く》でしょう。
すると、相手からなにがしの「Bへ先に行く理由」を教えられて、納得するか、関心するか、不満でも相手の考えを知れてあきらめるなど、ともかく
手短かなコミュニケーションによって解決する手法の定型は、「そのときに聞くべき」流儀から抜けられないのです。

  (2つめ)「そんなに悪い事をしたのかオレ?」
定型的感覚だと、「悪気なく言った、何気なくした」自分が、至近距離に居る相手に突然、怒りをぶつけられると、驚き混乱します。
定型が「どうしたんだ、落ち着け、何に怒っているんだ」と聞いても、その「求められた答え」をASは瞬時には適切な言葉として出せない。
さらに定型的感覚の「たったそれだけのこと」で寝込まれることの、訳の解らぬ罪悪感は、定型の理論的思考を歪ませます。

ASが自分の強い思い込み判断により、フリーズしたり、怒ったり、ダウンしたりに対して
定型はどーしても「会話というコミュニケーションでなんとか解決しよう」とする本能があるので、かずきさんの
《時間を割いて話し合い、なんて現実的ではないです。》
というコメントは、改めて定型手法は封じられた感があります。

話し合いが解り合いにならない・・・と以前にコメントしたのは自分でありながら、「そのとき一言聞いてくれたら、怒ったり寝込むまでのことにならないのになぁ」という、定型の簡単や当然を、つい、つぶやいてしまう自分。
そのときに一言、聞いてくれたら、時間を割かなくても、その時間の流れの中ですぐに解決や納得することが沢山あるのになぁ・・・という葛藤。

でも・・・よく考えたら、ASも定型に対して「突然、怒らず、ちゃんと聞いてくれたら良いのに」と思う場面は多いですよね。

「そのとき聞く」「その場で答える」そのことが出来る出来ないが、お互いの誤解をお互いの体調不良にまで至らしめるひとつの大きな要因と感じました。


トマトさん、ありがとうございます。

そうなんですよね。
1「何で聞かないの(言わないの)」
思いこみの部分が多いです。
「この人は効率を考える人だから、ガソリン節約のためにも無駄な往復はしないだろう」
とか、
「いつもこっち側から回るから、今回に当てはめるとこの順番だろう」
とか
「勝手に」予想して「勝手に」予定を立てて、その予定を崩された事に「勝手に」困るんです。

もちろん、争いたいわけではないですから、
頭の中にハリケーン「カトリーナ」(被害者の方に申し訳ない表現ですが)が渦巻いている中でも
必死に考え、やっとで絞り出す問いが
「次はどこ行くの?」とか「あとはどの順番で行く?」とかですよ。
そういう聞き方をすれば「普通に」教えてくれますから。
以前出た言い方では
定型流の対応、ですね。


でも、問題なのは「そのときに聞く」手段の前の問題な所です。
その前に、頭の中はハリケーンに襲われている状態です。

たいていの方は

「ん?」と思う→聞く

なんでしょうが、私の場合は

「ん?」と思う→思考停止→どうにかして立て直さなきゃ→
立て直すために出来る事はなんだっけ→こういう場合は聞かなきゃ(と学習している)

なんです。
余裕がなければ、立て直せませんし、立て直して聞くまでに結構な精神力を遣います。
冷や汗で服が濡れたりとかするので困ります・・・
手足から血の気が引いて、呼吸数が上がり、腹筋が緩まず体が硬直する事も多々あります。
なので「とっさに聞く」事は、私にとっては難しいことの一つで、
「とっさに聞いた」ように装っても、取り繕っても、内心バクバクです。身体もガチガチです。
そしてどんなに装ってもワンテンポ遅れますから、
間が悪い・頭の回転が遅い・話が飛ぶ
になるんです。
どんなに平然を装っても、「普通」に対応できないのが現実です。


そして更に混乱するのは、
「あー、AでもいいしCでもいいしー・・・」と曖昧なまま会話が終わる事。
「じゃぁどっちにいくのよ?!」ってなります。
出力は「じゃぁどっちからいくー?」と穏やかに言いますが。内心バクバクです。
奥歯をかみしめ、お腹にありったけの力を入れて、自分を抑え込んで。

実はこのケース、続きがありまして
Dには私のみが用事があったので、待ち時間中にCをするかどうか、です。
ここで、思ったよりABに時間がかかり、
Cを先にするか、
Dに私を下ろしてから、夫だけでCをするか。
を個人的に決めて欲しかったという状況がありました。
もちろん、ハリケーンを抑えつつ、
「Dに下ろしてもらった方が、都合いい?」と提案してみました。

「あー、いいけど、大丈夫だと思うよ、時間は。まぁいいけど」

これって、どっちなのか、トマトさんには分かるのでしょうか。
私にはCに行くのか、Dに下ろしてもらうのか、分かりません。
ここでまた更に発生したハリケーンを吸収した私は、その時キャパを超えまして
夫的には時間がだいぶ経ってからかもしれませんが
「どっちなの?!」と怒りをぶつけてしまいました。

私の言い分としては、「なんで言わないの?」ですね。
一言、「Aから行こう」と先に言ってくれたら、「Cに先にいっても間に合うよね?」と言ってくれたら
怒らずに済んだのに。夫にとって理不尽な事をしなくて済んだのに。
です。
もちろん、怒った事は対応として間違いなのも分かるので、自己正当化でしかないので表現しませんし、
怒ってしまって悪かったと謝罪しますが。

でも、定型は「一言聞けば良いのに」って言いますね。
何故「言えば良かった」とか、内省しないのかなー、人のせいにするのかなーと感じます。
私としては「一言言えば良いのに」って思いますから。
だからってこちらが表現しない考えで困ると「何で言わないんだ」といいますよね。
それこそ、「一言聞けば良いのに」です。

聞けば良いのに、と思うポイントと、言っておいた方がいいとおもうポイントがずれているんですね。

今回、夫は良い争いの中で私が混乱していると判断してくれて、会話を丁寧に続けてくれましたし、言いなおしてくれましたので落ち着きました・・・
ありがたい限りでした。と同時に、「適切な対応」とやらをしてもらえたら、こんなに楽なのかと、驚きました。


2「そんなに俺悪い事した?」
これこそは、本当にお互い様ですね。
どぎつい表現をしますと
「たったそれだけの事」で「ASに傷つけられた」と被害者ぶる定型
「たったそれだけの事」で被害妄想のように「ASのせいで体調を壊した」と主張しASを追い詰める定型
と表現する事もできます。


実際傷つけてしまっているのですから、そんな表現はした事はありませんが
お互い様だと、常々思います。


話し合いという定型手法の否定、と取られたらなら申し訳ありません。
完全に否定したわけじゃないんです。
ただ、現実的には、睡眠時間を削ったり何かしらの時間を犠牲にして、
かなりの精神力が必要な作業を、それこそお互いに苦行に耐える様な向き合いを続けなければ
話し「合い」を保てません。
お互いに「普通」に話していても、言葉の裏(という定義も難しいのですが)にある、
言葉の定義、前提が違う事が多く、
そこの部分まで深く掘り進んでからやっと相手の言葉の意味が分かる、そういう時間のかかる会話を
日常生活に忙殺されながら、子供に聞かせられる話でもないので限られた時間の中で
こま切れでも続ける。
それは、定型にとって結構大変な事なのでは?と思うのですが・・・
私の場合、前回の会話を再現できる記憶の仕方がありますが、
たいてい夫は私の前回の会話を確認しないと覚えていません。
それも、私側からの記憶なので夫が言いたかった事とずれている事も多々あると思うのですが・・・
そういう意味で「現実的ではない」と表現しました。
無意味だ、とか出来ない、という意味ではなかったので、申し訳ありません。

でも、
〉そのときに一言、聞いてくれたら、時間を割かなくても、その時間の流れの中ですぐに解決や納得することが沢山あるのになぁ・・・という葛藤。

私もあります。だからこそ、苦しくても、辛くても、傷ついても、寝込んでも、
話し合いから逃げない。
逃げちゃいけない。大事な相手であればあるほど。そう思います。

玄さん、こんばんは。
プルーンです。
コメントと、温かいねぎらいの言葉、ありがとうございます。

「旦那さんは全く困っていないわけではないのでしょうが、「その程度の苦労は誰でもしているだろう」などの思考で乗り切っておられるのでしょう。」
これは、おおいに言えています。AS当事者さんの手記などにも「これまで、皆が同じように大変な思いをしてるんだと思っていた」という記述をよく目にしますし……。

「世間の人はそれぞれ(確かめたわけではないけど)誰しも個々に違う考えがあるはず。プルーンさんと俺で考えに違いがあったところで、なぜプルーンさんがフツーだと断言できる?」
思考の奥深くでは、ひょっとしたらそういう思考があるのかもしれませんが、表面化はしません。「俺が基準」「俺がフツー」と言い張ります。そこに至るまでの経緯がなにかあったのでしょうが……^_^;
むしろ、私のほうがあえて「普通」という言葉を使うのを嫌います。自分自身、幼少期から、普通の女子とはかけ離れた思考回路や趣味を持つことを自認してますし、「女の子なんだから普通は」と言われ続け、抵抗してきた歴史もありますし……。
夫が男性が得意な場合のお多い部分が苦手なのは、ちょうどよかったわけです。
沽券にこだわるなど古風な面があるのを知ったのは、結婚してからでした……。

「現在、目の前で問題が起きた時、その経緯を「思い出す」ということが難しいのです」
なるほど。そういうことを彷彿とさせるエピソードは、夫にもたくさんあります。
記憶と記憶の関連付け、とくに時系列ごとに思い出すのが難しいのではないでしょうか。

「旦那さんとの話し合いには、書き残した記録や証拠を示しながらがよいかもしれません。その方が旦那さんも落ち着くと思います」
アドバイス、ありがとうございます。書いたものを読むのは、「後で」と即座に拒否されますし、私が口頭で言うとねつ造を疑われるので、ICレコーダーを活用しようと思います。やりこめるためでなく、現状認識の助けとするために……。

「旦那さんは、ご自身のユニークさ・人付き合いの独特さについて自覚する部分はおありなのでしょうから」
それが、まったくないんですよね。夫自身にとっては、「普通であること」「平凡であること」が何より大事なようなのです。自分自身が唯一無二という意味のユニークさを持つことには何か大きな抵抗があるようです。「発達障害」という言葉を知ってから、なおさらその傾向は強くなりました。障害に対する差別観所が大きいのかもしれません。悲しいことです。

mさん、

コメントありがとうございます。mさんのコメントを読んでホッとしました。

かずきさん、コメントありがとうございます。

「私自身が、可能性は無いわけではない、とか、かもしれない、よりも
仮に決めつけてみよう、というほうが対応しやすいので出てきた考えなので、
ここが定型の方とあわない部分でしたらよけいなお節介でした。」
いえいえ。私はすでに夫がASであり、パニックを起こす人だと、決めつけています。
そうでないと、とてもではないですが、耐えられません。
回避策を練るのも難しいです。

かずきさんは女性で、定型男性のご主人の言動にビクビクすることはないですか?
怖いと思ったことはありませんか?

ご主人が考え方の違うAS男性(ASにいろいろなタイプの人がいて、男性も女性います)だったらどうでしょうか?

私の夫の話は、夫の話であり、かずきさんのこととは全く別です。ASの人にも本当にいろいろなタイプがいて、千差万別、定型発達の人も千差万別なのです。

「日常的に自分の想定外の言動を続け、予定も、考えも、言わない聞かない相手に配慮し続け、耐えかねて意見すれば自分が悪者にされる。
自分の感情と、対処しなきゃいけない現実に対処し続けなければいけない、そんな生活は、本当に疲れます」
この文章の中の①「日常的に自分の想定外の言動を続け、予定も、考えも、言わない聞かない相手」はご主人で、②「自分の感情と、対処しなきゃいけない現実に対処し続けなければいけない、そんな生活は、本当に疲れる」のは「かずきさん」という解釈でよろしいでしょうか?

この文章、①はわが夫、②は私に置き換えても、まったく同じなんです。
②には「娘のパニックなどの対応も続けなくてはならない」も加わります。

不思議ですね。私の読み違いだったらすみません。m(__)m

更に付け加えると、しばらく前から、それでもなんとか私のほうで予定を組み、「こういう順番でこうしよう」と伝えるようにしてみました。紙に書いたりすると「馬鹿にされた」と思うらしく、一瞥しただけで「わかぁった、わかった!!」で見ようともしないので、口頭で言い、移動するたびに「次はどこ」と言います。

それでも、夫はものすごい方向音痴なので、慣れた道でもすぐ間違えて道に迷います。迷うと道や私のせいにして怒ります。そこでパニックを起こすので、スケジュールどころではありません。

また、どこかの時点で、今度は娘がパニックを起こしたとします。すると今度は夫がそれにイラついて、怒り出します。診断を受ける前は、夫が何もかも娘の思い通りにさせることで、パニックを防ごうとしていた(ほしがるものを際限なく買うとか)ので、それを止めることでさらに激昂したりしました。診断後は、納得はしていないようですが、別の方法(あらかじめ、何も買わないと言い聞かせるとか、癇癪を起して周囲に恥ずかしくても買わないことを繰り返すとか)で、根本的にパニックを減らす対策をしています。

更に、ショッピングモールに出かけたとしても、私と娘がレジに並んでいる間、ふと自分の興味を惹くものを見つけると、何も言わずにどこかへ消えてしまいます。探しても、携帯で場所を確認しても、動いてしまうので、なかなか見つからなくなります。私がレジに並んで、娘と夫を置いておくと、娘が勝手にどこかへ行って、夫が止めもせずについていくというパターンになります。やっぱり、見つけるのに一苦労です。

家族三人では、ちょっとしたショッピングでさえクタクタです。
だから、このごろは、家族円満のため、三人での行動は、極力避けます。
私と娘、夫と娘、そのどちらかの組み合わせです。

パニックに関しては、かずきさんの場合のパニックはよくわかります。
娘が私のいないところで起こすパニックがほとんど同じだからです。
保育園や学校などでは、よく固まっていますし、音読も発言は指名されてもできませんし、起立・礼・着席も先生が手を添えないとできません。皆と一緒に音楽の時間に歌うこともできなければ、体育で順番に何かをすることもできません。ちょっと並んで列を整えるとか、そういうことさえ手を添えてもらわないとできません。発表会も運動会も全滅です。昼食も、保育園や学校では、一人で食べることができず、口に運ぶのを手伝ってもらいます。家や親しい人との外食では、楽しそうにパクパク食べるんですけどね。
休み時間や、プライベートで、家族や、親しい友達(学校友達でも)となら、元気いっぱい遊ぶし、運動神経も抜群、ピアノも得意だし、カラオケも大好きです。本当に不思議です。
診断目名はアスペルガーですが、場面緘黙という症状があるようです。

」「プルーンさんのコメントを拝見していますと、娘さんにかかりきりになりたい?というか、なっていて旦那さんが後回しになっていて、トラブルが増えた、ような印象を受けるのですが…
もしそうだとするなら、以前までは配慮があった部分がなくなっているわけですよね
なくなる前に、「今は娘を優先してしまっているから、あなたまで気が回らないことが増えるかもしれない」など、
予告や宣言…と言うかー
イメージとしては告知?うまく表現できませんが
そういった、(定型支援者の好む言い方をしますと)新たなルールを作りましたか?
それがなく、なし崩し的にそうなっていったと(旦那様が感じていたと)するなら、
子供が産まれて、パートナーに気配りしなくなった相手と見えてもおかしくないです。」
かずきさんに悪意がないのは充分承知していますが、この文章はとても悲しかったです。

かずきさんにはお子さんはいらっしゃらないのでしょうか?
また、考え方がとても古風な方なのでしょうか?

私と夫は、「対等な」大人同士として結婚しました。
三歩下がって夫に仕える妻としてではなく。
もちろん、特別な配慮が必要なアスペルガーだという認識も持たずに。

子どもが生まれる前に、ある程度配慮で来ていたのは、たまたまであり、偶然であり、ラッキーだったとしか言いようがありません。それが義務だったとは私には考えられません。新たなルール作りが必要なら、必要とするほうが提案すべきでは?

それができなくなることを、断っておかなくてはならないなどと、思いつきもしませんでしたし、夫は世話の必要な赤ちゃんではないですし、子どもは女が一人で産み育てるものではないからです。

そのときに、夫自身がASだと分かって、たまたまできていた配慮が、結婚生活を維持するために無理に頑張ってしていたことなら、話は別です。そうであれば、もしかしたら、それまでの結婚生活が14年も続かなかったかもしれないし、子を持とうとも思わなかったかもしれません。

「子を孕み産み育てる」このことだけで、普通、女性は精一杯になるのではありませんか?
しかも、生まれたのはASの子どもです。
ASの子どももいろいろですが、娘は睡眠障害を伴う子でした。生後1ヶ月ちょっとの間は、昼夜を問わず、続けて眠るのは10分、20分。その後は、夜、2,3時間かけて寝かしつけてやっと通常の3時間沖の授乳で起きるだけですが、朝6時頃目を覚ませば、夜、寝かしつける20時頃までは、乳児なのに、10分、20分しか寝ません。起きている間は、私がほんの僅かでも離れれば、ものすごい声で泣き続けます。家事をするのも一苦労でした。

アスペルガーに場面緘黙、重度の食物アレルギー、これら誰にもわからない困難を抱える娘を育てながら、夫に配慮できないことに責任を感じなくてはならないのでしょうか。

夫が特別な配慮が必要なタイプの人だとも知らないのに、前もって今まで通りにはならないことを宣言しないなら、「パートナーに気配りがない」と言われてしまうなら、なんというか……とても悲しいです。

そのせいで、夫から罵声を浴びせられたり、うつ病で寝込んだからといって、
「面倒を見られないなら産むな。母親失格だ」とか「殺すぞ、ゴルァ!」とか
言われても、仕方がないのでしょうか。

出産前、仮に夫に私が、かずきさんの仰るようなこと、
「今は娘を優先してしまっているから、あなたまで気が回らないことが増えるかもしれない」
などと言っていたら、
「子どもじゃあるまいし、自分のことは自分でできる」
と言うに決まっていますが。

このコメントはかずきさんを傷つけてしまうかもしれません。
投稿はやめようかとも思いました。
でも、ごめんなさい。私も傷ついてしまったし、同じ女性として、ASだとか定型だとか関係なく、わかってほしいと思う部分もあり、投稿することにしました。

プルーンさん


かずきさんもお子さん、いらっしゃいますよ~!

かずきさんはプルーンさんのご主人とはまた違ったタイプの方だと思います。性別も違いますし、年代も違うでしょう。性格もかなり違うと思います。ただ、ある意味「もの凄いボランティア精神」を発揮して、プルーンさんのご主人と同じ名前の診断名を持った者として、「私のケースとは違うけど、プルーンさんのご主人はこういう風に考えられた可能性もあるかも」と言ってらっしゃる。
それも相当真摯な、配慮された言い方で。私はそこまで出来ません。。

そこに「そういう風に言われて悲しいです」とか、「お子さんいらっしゃるのか」とか、感情的に返しちゃ、かずきさんの努力は水の泡です。

面識もない赤の他人に「少しでも役に立ったらいいな」という思いのみで、自分も体調や精神状態が辛い中、アドバイスなさっている方からしたら、「私こそ悲しいわよ!」と、なりますよ。

皆、辛いのです。それぞれの立場でね。


帆掛け舟さん

タイミングが遅くなりましたが、色々ありがとうございます。私も最初は診断つかなかった微妙な人です…浅瀬仲間に入れてください(笑)。

するりさん、
プルーンです。

ごめんなさい。
私のコメントの最後の部分は無視ですか?

私も私なりに苦しんで、書いています。

おそらく、ここが私の来る場所ではないのでしょう。

苦しいのはASの方だけではありません。

私には、お二人のコメントが、
「定型なんだから、ASに配慮して当たり前」
としか読めないんです。

残念ながら。

かずきん、せっかく回復しかけたところのボランティア精神を無駄にして申し訳ありません。

苦しいのはAS:の方だけではありません。
それだけは、言わせてください。

横からですが、プルーンさん、ご同情申し上げます。
我が家の状況と重なる部分がいくつもあります。
そのような環境で育った者として言えることは、お嬢さんは後々プルーンさんの理解者になってくれる可能性がありますよ。現在お苦しみの方には無意味な慰めかもしれませんが。子育てとは味方育てでもあると思います。もちろん私は盲目的な味方ではないですが、父母双方の誤解と苛立ちを解く方へと調整し、力関係上不利な方(主に定型)の援護をしています。

その上で。私にはかずきさんのコメントは、するりさん同様に案の提供と見えます。「~という可能性もある」という。かずきさんは「新たなルールを作らなかったのが悪い」と責めているのではなく、作らなかった結果そうなったのでは?と分析なさったのでは。ですから、今後また環境が変わる際にもよくよく言い含める方がコントロールしやすいかもしれないという提案だとも言えます。でも、ご主人が聞く耳をまるで持たないのでしたら、また他の策を考えればいい話ではないでしょうか。会話を録音するだとか。これも可能性の一つにすぎませんけど、ご主人の言動のおかしさがお子さんの生まれた後に目立ってきたということに関して、ご主人の嫉妬心はありませんか?我が家の状況からの類推ですけど。

「定型なんだから、ASに配慮して当たり前」は私にも他の方にも無いと思いますが、この人は駄目だと見たら戦略を立てて制御する方へ舵を切った方が有益ではないでしょうか。定型→ASに限らず、AS→定型や、定型同士、AS同士の場合も。

プルーンさんがお辛いのはひしひしと伝わってきて私も心が痛みますが、ASに対して感情押しは有効ではないどころか危険だと思います(個人差はあるでしょうけど)。私自身、他の人同士のやりとりを見る場合は同情心も湧きますが、自分が中心の件では感情で動かされることはあまりありません。むしろ、感情的になっている人にはこちらの理屈は通じないのだなと引いたり怒りが誘発されたりする場合の方が多いです。したがって、ASの発言を感情押しと取り過ぎるのも危険です。私もですが、感情では説得しないように心がける方も多いと思いますので。


するりさん、やっぱり、浅瀬仲間ですね~!過去のコメントを少々拝見しましたが、私とAS的友人との会話を彷彿とさせます。自分としては不誠実な言動の方が定型受けはいいだとか、わかります(笑)

プルーンさん


全部一生懸命読みましたよ。最後の部分も。

これで同じことを3回書くことになりますが、「お辛い気持ち、大変な状態」は重々分かっています。

ASだけが辛いわけじゃないなんて百も承知です。そんなこと言ってませんよ。


かずきさんだって(かずきさん、ごめんなさい、なんだか代理戦争みたいになっちゃって・・・)、「いつも夫を苦しめているASのひとりとして」と、いつもいつも、「いや、そこは貴方に非はないだろう」というところまで、それはそれは気を遣っていらっしゃいます。

私の場合はAS女性であり、DV被害者でもあります。意識を失うまで殴られたこともありました。

多分、ここで「配偶者に辛い思いをさせられた不幸自慢コンテスト」を実施でもしたら、準優勝くらいはするでしょう。勝っても嬉しくないので辞退しますけど。

「自分はこんなに不幸なんだ」自慢をしたって何にもならないです。

そこから先につなげないと。

正直、例えば私だって、ここに集まっていらっしゃる基本、善意の方々・・・トマトさんや他の定型の方、ASの方のご意見でも、「それは賛同しかねる」と思ったり、「カチン」ときたりしない時もないわけではないですよ(トマトさんが好きかとか嫌いかとかそういう話しではないです。というか、トマトさんは好きです。意見の対立の話です、念のため)

でも、いつもいつも耳触りのいいことばかり言ってくれる人達の意見を聞いていては状況は変わらないわけで。


すぐには受け入れられなくても、非難中傷じゃない限り、噛みつかない方がいいと思います。

特に真摯にアドバイスなさっている方に「ここが気にいらん」と噛みついたら、貴重な味方を失うだけ。

それでは自分を追い込むだけです。

そして何も事態は変わらないままです。 

>帆掛け舟さん

またまたフォローありがとうございます。 帆掛け舟さんの解説が実に的確で舌を巻きました・・・

プルーンさん

まず、言葉や配慮が足りず、余計な傷を付けてしまったことをお詫びします。
同じ女性や母として、ではなく、人間として。
申し訳ありませんでした。

順番にお返事しますね。

>かずきさんは女性で、定型男性のご主人の言動にビクビクすることはないですか?
怖いと思ったことはありませんか?

逆にお聞きしたいです。
怖くない男性って居るんですか?
深い話をするときに手が震えなくていい、腹筋が固まらなくていい相手って
男女問わず
(私の場合、母)親以外に居るんですか?
定型だろうが、ASだろうが、(ちょっと過去いろいろありまして)男性というだけで
私にとっては怖いです。


>ご主人が考え方の違うAS男性(ASにいろいろなタイプの人がいて、男性も女性います)だったらどうでしょうか?

どうもしません。
考え方が違うのはASだろうが定型だろうが変わりません。
自分の考えは他人と同じと限りません。
他人の考えが自分と同じとは限りません。
それこそ十人十色です。
そういう大前提の上に構築している人間関係ですから
子供だって別人格で、別の人間です。母親の私と考えや感じ方が違って「当たり前」です。


>私の夫の話は、夫の話であり、かずきさんのこととは全く別です。ASの人にも本当にいろいろなタイプがいて、千差万別、定型発達の人も千差万別なのです。

そうですね。
だから「私の場合」とか個人的なものだと明記したつもりで、
「プルーンさんの旦那様はこうだ」と言いたい訳でもなく、
言っているつもりでもなかったのですが
言葉が足りなかったり、言葉の選び方を間違えていたようですね。
申し訳ありません。


>この文章の中の①「日常的に自分の想定外の言動を続け、予定も、考えも、言わない聞かない相手」はご主人で、②「自分の感情と、対処しなきゃいけない現実に対処し続けなければいけない、そんな生活は、本当に疲れる」のは「かずきさん」という解釈でよろしいでしょうか?

これは前回のプルーンさんのコメントから
「夫婦と言う関係にあって、日常的にその対処を続けることは、本当に疲れます。今でもできる限りはしていますが、本当にたいへんです。娘とダブルで同時に別方向でパニックを起こされると、どうにもなりません。家の中はまるで地雷原です。」
という部分、
これをAS側から見ると、こう表現することも出来ますよ、というものです。
確かに夫と私の関係の一部分でもありますが。


>この文章、①はわが夫、②は私に置き換えても、まったく同じなんです。
②には「娘のパニックなどの対応も続けなくてはならない」も加わります。

①がプルーンさん、②が旦那様
でも当てはまる可能性があるのではないかな、と考え書きました。
「娘のパニック~」も、「対応しなくてはならない現実」の一部ですよね。

立場を変えて表現しても、同じ表現が出来ますよ、という事を言いたかったのです。

>それでもなんとか私のほうで予定を組み、「こういう順番でこうしよう」と伝えるようにしてみました。紙に書いたりすると「馬鹿にされた」と思うらしく、一瞥しただけで「わかぁった、わかった!!」で見ようともしないので、口頭で言い、移動するたびに「次はどこ」と言います。

これは本当にすばらしい事だと思います。
必要に迫られて、なのかもしれませんが、、、
私が夫にそうして貰えただけでも、「ああ、だから支援が必要だって言われるんだ」
とびっくりしたくらい、困らなくなっただけではなく、気が楽になったので。
夫と話していて思うのですが、定型が「あえて伝える必要が無い」と思っている事を
「あえて伝える」のは、その必要性に気付くだけでも大変な事なのだそうですね。
それを自発的に出来るプルーンさんがすごいと思います。

コメントにもありましたが、スケジュールを立てても、スケジュールどおり行く場合なんて
限られますよね。
首がもげるくらい頷けます。
「スケジュールどおり行かない」というスケジュールが必要です。

娘さんに対しても適切な対応に変わってきているのでしたら、旦那様も努力なさっているのですね。
本来だったら、娘さんが思い通りにならない段階でご自身に手一杯になっていてもおかしくないのに、
娘さんのパニックの対応も(言い方は悪いですが)学習してきているのですね。
もちろん、生まれた瞬間から緊張の連続だったプルーンさんにしてみれば
「そのくらい」かもしれませんし、「当たり前」も出来ていないのかもしれませんが…
逃走するよりマシでは?と思いました。
(こういう書き方がいけないのでしょうか?そうでしたら教えてください。)

ショッピングモールでのお話は、
夫にも当てはまりますよ。
私の夫も行方不明になります。何故でしょうね。
一緒に買い物、なんてしたことありません。
スーパーでさえ、居なくなりますよ。
夫の父親もそうなので、男性全般がそうなのかと思っていました。
子供を止めないのも同じです。
電話をして「そこに居てね」とか「ここに来てね」とか
(じゃないと私が困るからお願い)と伝えれば合流できますが。

プルーンさんじゃなく、他の方にもお聞きしたいですね、これは。
男性が商業施設に入ると行方不明になるのは何故?
男性だから、じゃないかもしれませんが・・・

パニックに関して、伝わったようで安心しました。

>家や親しい人との外食では、楽しそうにパクパク食べるんですけどね。
慣れている場所や、気を緩めていいと思える場所では、比較的自由に出来ますし
それこそ「気が楽」になり、割と考えることも少なく、いろいろな事ができる気がします。

>かずきさんにはお子さんはいらっしゃらないのでしょうか?
また、考え方がとても古風な方なのでしょうか?

4歳の息子がおります。周囲の指摘から自閉症スペクトラムの浅い位置にいる疑いを指摘されています。
古風な部分もあるそうですが、
「対等な」夫婦として結婚しました。

「~と見えてもおかしくない」
の主語は
旦那様
です。

>子どもが生まれる前に、ある程度配慮で来ていたのは、たまたまであり、偶然であり、ラッキーだったとしか言いようがありません。
旦那様がたまたま、偶然、配慮してもらえてラッキー、と感じていたかどうか分かりません。
むしろ当然のように感じていた可能性のほうが高い印象を受けました。
そこを前提とすると

義務だったと私にも考えられませんが

「当然」してもらえていたことが
「娘の登場」によって
「当然」してもらえて「当たり前」なのにしてもらえない

と「旦那様が感じていても(見えていても)おかしくないかもしれない」

といいたかったのです。

既にいっぱいいっぱい頑張ってらっしゃるプルーンさんを追い込むつもりも
傷つけるつもりも無かったのですが、
「前提」が立場によって違えば、見え方も違うし、
そこで温度差が生まれて、「前提が違うこと」に気付けなければ諍いが起こりやすい。
そう伝えたかったのです。
感情的になるほど、日常生活を頑張って・・・というより、もう、踏ん張ってやってらっしゃるだろうプルーンさんには、
配慮の無い言い方になってしまい申し訳ありませんでした。

>新たなルール作りが必要なら、必要とするほうが提案すべきでは?
確かに、今の私ならそう思います。
でも、私がまだ「定型として」生きていた診断前、
そうは思えませんでした。
「ルール作りが必要だ」とすら感じていませんでしたから。
もちろん夫もASだなんて思っていませんから、「ルールが必要なくらい困ってる」
とも思っていませんでした。
自覚の無いASはそんな危険性もあるんです。
自分と、自分に関わる周囲にとって必要のある「支援」と言われる配慮や気遣いが
必要な事すら「わからない」んです。

幸い、プルーンさんがASじゃないか(と決め付けたほうが楽なくらい)疑いを持っているわけですから、
そういった事をして、旦那様が少しでも穏やかになれば、プルーンさん自身が少しでも楽になるのではないかと思い、
余計なおせっかいかも知れませんが、具体的な提案を書きました。

女はこうすべき、とか、そういったつもりで書いたわけではありません。


>夫は世話の必要な赤ちゃんではないですし、子どもは女が一人で産み育てるものではないからです。
私もそう思います。
旦那様もそう思ってらっしゃいますか?

こういう部分で肝心なのか
「両方が共通認識として同じ考えを持っていること」だと思います。
旦那様が「女が育てるもの」と考えていれば?
そういう前提に立てば、言い方、伝え方にもバリエーションが増えると思います。


>「子を孕み産み育てる」このことだけで、普通、女性は精一杯になるのではありませんか?
「普通」かどうか知りませんが、私は鬱を再発し、精神科に通う中で
夫がASの診断を受けるよう主治医に相談しました。
それが、精一杯、という事ならそうですね。


>アスペルガーに場面緘黙、重度の食物アレルギー、これら誰にもわからない困難を抱える娘を育てながら、夫に配慮できないことに責任を感じなくてはならないのでしょうか。

責任を感じろ、とは言いません。し言うつもりもありません。
既に感じてらっしゃるから出てくる表現だと思いますし。

>夫が特別な配慮が必要なタイプの人だとも知らないのに、前もって今まで通りにはならないことを宣言しないなら、「パートナーに気配りがない」と言われてしまうなら、なんというか……とても悲しいです。

申し訳なかったです。
「パートナーに気配りが無い」と言いたかった訳ではなく

「旦那様が」パートナーから気配りが無くなったと感じているのかもしれない
から
それを「前もって伝えておく」という事をするだけで
プルーンさんが旦那様のパニックの時に二人だけの時期のような
偶然、たまたま出来ていた配慮を「しない」のではなく「出来なくなっている」事に
「気付ける」のではないか、
そして社会的に生活できている旦那様ならば
「出来ないならばしょうがない、自分で何とかしよう」になってくれる希望もあるのではないかな。
そしたらプルーンさんも少しだけでも、楽になってもらえないかな。

と考えての発言でした。
言葉が足りず、言葉の選び方が浅はかで、重ね重ね申し訳ありませんでした。

> 「面倒を見られないなら産むな。母親失格だ」とか「殺すぞ、ゴルァ!」とか
言われても、仕方がないのでしょうか。

仕方ないとは思えません。し思いません。
私がそれを言われたら迷わず心中を選んでいそうです。
「殺してくれるなら殺してほしい」と対応していそうですね。
今回のプルーンさんのお話とは別に
人に大して「死ね、殺す」「人間失格」等
こういった事を平気で言う、その背景に何があるのか、知りたいところです。


>出産前、仮に夫に私が、かずきさんの仰るようなこと、
「今は娘を優先してしまっているから、あなたまで気が回らないことが増えるかもしれない」
などと言っていたら、
「子どもじゃあるまいし、自分のことは自分でできる」
と言うに決まっていますが。

決まっていますが、
じゃあ、実際、自分で出来ていない事がある時に
「貴方まで気が回らないと伝えたはず。自分の事は自分で出来ると言っていた。」
と、ご自身を守るために突き放すことも出来たのでは?と思ったのです。
(私は「自分の発言には責任を持つ」という事をルールとして持っているようなので
それをベースとした考え方ではあります。すべてのASがそうだとは思わないので一例だと思って頂ければ幸いです。)

>このコメントはかずきさんを傷つけてしまうかもしれません。
傷つきはしませんでした。ご安心ください。お心遣いありがとうございます。
でも、プルーンさんを傷付けてしまったことが悔しくてなりません。
本当に申し訳ありませんでした。

今回のコメントで更に傷付けてしまっていたら、ごめんなさい。そのことだけでも教えて頂けたら助かります。

するりさん、帆掛け船さん、フォローありがとうございます。
でも、プルーンさん宛てのメッセージで
肝心のプルーンさんを傷つけてしまったことは事実なので
私の配慮が足りなかっただけの事ですのて…

あと、悲しい、という表現に感情的なものを感じましたが、
「子供が居るのか」という質問は感情的なものなのですか…
前のコメントで子供との関わりについて触れているので
読み飛ばされて話がかみ合わなかったかな、書き方が曖昧すぎたかな
と考えてしまって。
そこがぱっと分からない私にも原因があると思います。

何をやっても自分の力ではどうにもならなくて
だけど逃げることも許されず
試しに起こしたアクションでさえ事態の悪化を招く一方
八方塞がり?いやいや、八方では済まない
自分を取り囲む球体の網からは
何をしても抜け出せない
なのに時間は進む
逃げ場なんてない

そんな状況が今のプルーンさんの状態に通じるものがあるとするなら
私のコメントは届かなくて当然です。
当時の私でも牙をむくかもしれません。
プルーンさんを傷つけてしまった私がこれを「共感」と呼んでいいのか分かりませんが

私のコメントによる怒りでも、諦めでも、なんでも、
きっかけは何でも良いから
そこから抜け出せたらいいな、と
おこがましい事を
(なんだかこれを書きにくくなりましたが苦笑)
定型パートナーを苦しめているASの1人として切に願います。

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