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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月14日 (水)

「普通」というあきらめ

 「定型がこだわる」とアスペの方からしばしば指摘される「普通」って、もしかすると定型にとっては「ここまではあきらめる」という線引きの仕方なのかも知れないと思いました。

 このところなんとなくぐちぐちと書いてきたことからふと思ったことなんですけれど、アスペと定型のズレに悩む人だけではなく、定型同士のカップルだって、まあそれぞれにいろいろと悩みを抱えています。もちろんその悩みの大きさはいろいろでしょうけれど、その大きさにしても、実際に物の大きさみたいに何キログラムとか何トンとか測れるものではないし、似たような状況を抱えていると外からは見える場合でも、人によってそれがものすごく重たい悩みと感じている人もいれば、それほどには感じていない人もいる。

 仏教だったらこの世は「四苦八苦」の世界なんでしょうし、キリスト教だったらみんな「原罪」を抱えて神に救いを求めるしかない世界なんでしょうし、イスラム教だったらどうなるのかな。よくわかんないですけど(すみません、どれもいい加減な理解で……(^ ^;)ゞ)、いずれにしても「みんな悩んでる」というのが前提になっているんでしょう。
 最初に書いたことは、そういう悩み多き世の中で、人間関係の悩みというのはすごく大きな割合を占めるんだと思いますけれど、定型が言う「それって普通でしょう」という言葉は、もしかするとこの「普通」のラインまではいろいろ問題が起こっても、まあみんながそういうことで悩んでるんだから受け入れられるけど、ここから先は「我慢の限界を超える」という風に、定型同士の間で暗黙の内に作り上げた線引きなんじゃないか、という話です。

 つまり「ここまではみんな我慢してるから仕方ないから私もそれを受け入れるけど、ここから先はみんなも我慢しないから私も我慢しない」ということを宣言しているのが「普通でしょう」という言葉なのかも知れないと思ったんです。

 そんな風に「普通」ということを考えてみると、人間関係が変われば「普通」もいろいろ変わる、ということにもなりますよね。「当然これは我慢すべき」という範囲もそれによって変わる。そういう見方をしてみると、定型とアスペの間でもめる悩みについても、「まあこれは当然我慢すべきことかな」と感じられる範囲は、条件次第、考え方次第である程度変化していく可能性があることになります。

 もちろんそこが相手に合わせて自由自在に変化可能であれば、それこそ悩みは解決!みたいなことですから、そんなにお気楽に問題が解決することはありえないと思いますけれど、いずれにしても「異なる個性を抱えた人間同士」が一緒に生きて行くには、自分は自分として保ちながらも、その自分がより柔軟な自分に成長していくことが大事だと思えますので、その柔軟さを発揮するポイントとして、この「普通」とそれにともなう「我慢」の問題があるような気がしました。

 ただ、書きながら思いましたが、これって定型的な特徴の発想である可能性もあって、果たしてアスペの方と共有できるかどうかは、まだよくわかんないなあとも思います。

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コメント

前記事には、長いコメント(しかも攻撃的ともいえる)を失礼しました。
プルーンです。

「普通」ってなんなんでしょうね。
私自身は、実は「普通」ということがよくわかりませんし、「普通は~~でしょ」という言い方は、おそらく、まずしないと思います。

自分の生まれ育った環境や、自分の考え方が、普通とは縁がないからかもしれません。必要があれば、TPOという言葉を頼りに周りに合わせるくらいです。それで乗りきってきたというほうが正しいかもしれません。

娘がASと診断されてすぐは、自分に似たんだと思ったくらいです。
調べるうちに、私自身に思い当たることももちろんありましたが、まだ小さくて特性の弱い娘より、妊娠以来の夫の挙動不審?の原因をそこに見て、一瞬、希望を見いだしました。読んだ本の中には、「一緒にいてもひとり」など、AS配偶者の妻の手記などもあり、その中に書かれていた対処法を実践すると、そこそこ効果があったからです。しかし、それを一生、娘への配慮も両立するのは、スーパーウーマンでなければ無理だと、すぐ気がつきましたが。

「普通」の話に戻しますと、私から見ると、夫のほうがいつも「普通であること」に神経質です。服装も、自分が暑いか寒いかは無視で、街を歩く人が今何を着ているのが普通なのかを基準に決めます。どんなに寒い日であっても、4月になればコートは着ないとか、そういうことです。一度は、4月の寒い日に東京での友人の結婚式に行く私がコートを着るのを諦めるまで説得されました。名古屋と東京では気温が違うことは多いのですが、頑として「誰も着ていないから」と玄関先で私からコートをもぎ取ってしまいました(^-^;
新幹線の時間もあったので、それ以上抵抗できず、そのまま出かけ、しっかり風邪をひきました。

夫がASだったとして、ASの人々の中には、過剰適応のようになってしまうのか、自分の皮膚感覚は無視して、自分から見た「普通と思えるもの」にしがみついてしまって、却って大変な思いをしてたりするかもしれないと思ったりします。
夫が私にコートの着用を許さなかったのは、私との境界線が薄まっていて、半分以上、自分のことのように錯覚していたんだろうと思います。

それは、子どもが生まれる前の話で、そうやって境界がどんどん曖昧になった中、私の妊娠によって、クッキリ境界線を意識せざるを得ない状況は、キツかったでしょうね。

プルーンさんへ

専門医と故・友人AS君(と書かせていただきます)の月1回の問診日で、AS君の質問は毎度同じで、彼の好きな女性のことでした。
「様々なことをいろんなふうに聞く」が出来にくかったAS君は、まるで専門医の前に座れば自動的に好きな女性について相談するマシーンのごとくでした。

ここで、専門医が毎度、注意点として言い続けていたことは「あなたの気持ちと、相手の女性の気持ちは同じでもひとつでも無い。 彼女には彼女の気持ちというものがあり、それはあなたの気持ちとは全く別のものですよ」でした。

プルーンさんのコメントを読んで、ご主人が、自分と妻プルーンさんとを「別の人格、個々の存在」と認識していなかったのだということが改めてよく解ります。

しかし・・・しかし・・です。
《私の妊娠によって、クッキリ境界線を意識せざるを得ない状況は、キツかったでしょうね》
は、この時期プルーンさんの方の、産後の大切にすべき自分の命と、生まれて来たばかりの我が子の命の両方を独りで守らねばならない精神的なキツさが、何よりも優先されるべきと思います。

するりさんも、プルーンさんも人生の伴侶として選んだ「夫」に、ほんろうされ精神を傷つけられた経験をお持ちです。
ただ、するりさんは妻だった立場と範疇でコメントしておられるので
妻だけれどもすでに母親になられたプルーンさんを視野に入れたコメントではないと感じます。

母親となると、家庭や家族への視点が全く違ってきますから。

プルーンさんのお子さんが、さらに重い食物アレルギーがあるということは、日常ほんとうに気が抜けない日々で、食べ物のことって大変です。

せめて、ご主人からプルーンさんにいたわりの言葉や行動が出ればなぁ・・・と思うばかりです。
誰か、ご主人に、プルーンさんの作った料理を我が子のために確認するのではなく、ねぎらうのだというルールを教えてあげて欲しいですね。


私は、アスペルがーの夫が嫌いです。
散々悩み心が折れそうです。
アスペの夫を選んだのは、確かに自分だけれど、もう嫌です。
でも、離婚はしたくないらしく、夫は慰謝料は渡さないと言います。
このままの生活を送れば、たぶん、自分は早死にすると思います。すでに、いつも体調は悪いです。

ここで勉強して頑張ろうと思った時期もあります。
でも、結局あすぺにつぶされていく自分。

トマトさん、温かいお言葉、ありがとうございます。

するりさんがどういう立場の方かよく存じ上げなかったので、それこそ私が過剰反応してしまったようですね。AS女性の当事者さんなのでしょうか。定型男性の場合、パンダさんのように、辛抱強く道を探ってくれる例は、女性がASではなく単に古風な理想と離れていたというだけでも多くないと思うので、この場所はとても貴重ですよね。

もうひとつ前の記事のコメントで、するりさんは「ASが異質である」というようなことを書いてらっしゃったようですが、「自分は定型の中の定型、定型なら皆、自分と同質」と言いきれる人はいないと思うので、少し違うかな、と思っています。ASの人から見たら、定型の人が異質であり、数の多さによって目立つかどうかの違いで、異質なのはお互い様だし、定型もASもその中にはバリエーションがたくさんあって、異質な部分のない人間はいないんじゃないかと思っています。

理性でそう思っていても、現実の生活に支障があると、そういうことはぶっ飛んで、「どうすればいいの!?」状態になるんですが……。

夫が境界をわかっていないことに気づいたのは、たぶん、娘の行動からだと思います。トマトさんのAS友人さんが主治医から言われていた「あなたと彼女の気持ちは別のもの」、まさにそれです。乳幼児は、元々、自他の区別はなく、自分の頭に浮かんだことは同時に世話をしてくれる人の頭にも浮かんでいる感覚でいると思います。娘が診断を受けたのは、ちょうど、多くの子供が自他の区別をつけ始める頃で、かの有名な「アンとサリーの物語」はしっかり引っ掛かっていました。
小学一年生になった今は、本人としては成長のスピードをあげてきてはいますが、周囲の子に比べると、かなり差があります。一年生だとまだ定型の子でも、自分の考えていることと、皆の考えていることは違うかもしれないことがわからない子もいますが、程度が違いますね。
なので、そういう勘違いがあるたび、「あなたが頭で考えただけのことは、お母さんにはわからないよ」と言い聞かせます。子供なので、かなり吸収してくれます。早期発見、早期療育を魔女狩りのように言う人もいます(実はこの点でも母親はあちこちで攻撃に遭います。障害者扱いして可哀想、逆に障害を言い訳にするな、など)が、こういうとことに意味があると思います。

夫にいくら言っても「そんなこと、わかってる!(怒)」ですから。ASでも孤立型であれば、こういう摩擦は少ないと思いますが、それ以外の場合は、「自他の間には境界があることを認識できていない」ことを理解できていないことから問題が大きくなっていそうだと感じます。

よく言われることですが、相手との距離の取り方が極端なのでしょうね。親しくない人は敵も同然だから、必要以上に距離を取る。親しい人は自分と同化してしまうから、自分の理解できない行動を取られると混乱してしまう……。

一緒に子育て、しかも、世間との交渉が絶えず必要な見えない困難、ASと食物アレルギー(これも母親バッシングが酷い)の二つを抱える子供を育てるためのパートナーとしては……orz

今までは、本来、就学前までが対象の療育センターだけが頼りでしたが、9月末にやっと児童も診てもらえて、大人の発達障害も診ている心療内科に娘の予約が取れたので、様子を見つつ、家族一同が折り合いをつけつつ、娘に安定した家庭を提供したいと思っています。夫は成人だし、母親と違って娘の現実に直面することも少ないし、発表会などで目の当たりにしても「だから?」なので、道程は遠いですが……。

私の夫は、アスペです。本人も、認めています。
私は、子供を産んだことを後悔しています。
最愛の娘は定型のようですが、将来結婚して、その子供がアスペだったら、どうなるのだろうかと思うと、自分が夫をアスペと見極められず、子供をほしがったことは、なんと浅はかなことだったのかと思います。
自分が苦しむだけでなく、娘の将来をも危ぶむ、これは大きな問題だと思います。もちろん、よくよく考えて、それでもと考えれば、それはある意味覚悟が決まる。でも、子供に対する責任はどうなるのか。

アスペの人は、子供をどうするかは、よくよく考えなくてはいけないと、私は思います。
私は、結婚したことも、めぐりあったことも、そして、未来もすべて捨て去りたいです。
これは、あくまで結婚20年・苦しみぬいた、また、これからも寿命が続く限り、サポートしなくてはいけない愚かな妻のつぶやきです。離婚も申し入れましたが、裁判でも絶対に俺が勝つ・慰謝料はやらない、だそうです。


気分を害する方がいらっしゃったら、もしくは、この場にふさわしくない投稿でしたら、削除願います。


星屑さん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いします。
 
 具体的なことはわからないままで、コメントを頂いた内容から感じられたことからしか
 考えられませんけれど、いずれにせよ今はもう限界を超えられているのかなあと
 思いました。

 このブログも「お互いの違いを出来るだけ理解して、そのことを前提に
 いまよりよい生き方を模索できないか」ということが目的なわけですから、
 離婚と言うこともそのためにはひとつの大事な選択肢だと思います。

 仮に離婚ということに進むとして、娘さんのことも、経済的な問題にしても、
 あるいは裁判に進むことにしても、ほんとに大変だと思いますが、
 一度弁護士さんに相談されるのもいいかもしれませんね。
 各地の弁護士会とかで無料の相談を受けているところも有るみたいですし、
 可能性のひとつとして検討されてみたらいかがでしょう?

 娘さんのお子さんについてのご心配ですが、
 定型アスペの問題に限らず、いろんな可能性を誰でも持っているんですよね。
 星屑さんがそのことに「責任」を感じられるお気持ちは
 分からないことはないんですが、でも私から見ると
 そういう「責任」は星屑さんにはないような気がします。
 あるとすれば誰もがみんな持っている責任になるのかな。

 とにかく少しでもいい道が見えてきますように。

 星屑さん、初めまして。 定型トマトです。

星屑さんの旦那さんは、なぜ自分の生活が離婚というものに至るのか・・理解できてないのでしょうね。
慰謝料の意味も、辞書的な言葉の理解にしか到ってないみたいてですね。

以前に、友人AS君の老齢の父親のために通っていたヘルパーさんが、父親の預金通帳から400万円近い金額を、近所の銀行から通帳とハンコを使って6回にわたって引き出して盗んだ事件がありました。

そのときに、ヘルパー事務所も、銀行側も自分側の罪や過失を認めようとしませんでした。それどころか、ヘルパー事務所のトップや銀行支店長の口車に乗って、警察への被害届をAS君親子は取り下げていたのです。

その時点で、ことの事件性に気づいた私は、警察に被害届の再受理を訴えるとともに、弁護士に相談したのですが・・・訪ねて行った弁護士達は皆なんだか気乗りしないというか・・言葉たくみに断るわけです。

自閉圏の人の関わる事件や裁判ごとって・・・とても難しいのだと実感し「誰も引き受けてくれないの?」って立ち尽くしたことがありました。

幸い、警察署長の判断で、被害届が再受理されて捜査が始まり、銀行の防犯カメラに映っていたヘルパーの姿が確認され、ものすごく迅速にあっけなく逮捕され、裁判のための担当検察官が親身になって話を聞いてくれたのですが、その検察官は「身内にASが居るんです」とおっしゃってました。
「裁判の判決にもれた銀行側の過失などは民事で争えば良い、熱意のある弁護士を紹介しよう」とも言ってくれました。
ですから、定型同士の問題解決とは違って、自閉圏の人が関わる訴訟は、どちらの立場にしても、弁護士とか相談員とかの熱意ひとつにかかってくる・・ということもあります。
まずは、ASを学ぶことから始めて、対象者のASの特性を知り、暮らしや伴侶との関わりの困難の内容を「飲み込む」ことは、相談員や弁護士にとっても、混乱からのスタートとなりますから。

離婚の話の聞き取りにしても、「ASの人は聞き方ひとつで答えの内容が全くちがってくることが多い」という知識の無い担当者は、主語が無い質問をしてASの人が勘違いして答えたことも、そのまま証言にしちゃうこともあります。
相談者が説明疲労におちいり、相談する事に音をあげるの図です。

でも、星屑さんには、結婚生活維持のためのサポーターは必要だし、離婚にしても専門知識と経験を持つ弁護士も居ると思います。
生活維持にしても離婚にしても、助けを求めることをあきらめないで欲しいと思います。

星屑さん
かなりぎりぎりな精神生活をしてらっしゃるのかな?と感じましたが
なかなか、こう言った問題でサポートを受けることも、難しいのが実状でもあります。
私はAS妻で、母です。
「よくよく考えなければいけない」立場ですが、私がASだとわかったのは子供が4歳になってからで
今現在、まだ5歳になっていません。
…私はどこまで責任を感じなければならないのですかね?
生まれたところからですか?

私の定型夫は苦しんでます。
でも、夫を助けられるような外部サポーターは見つかりません。
私の主治医からは
「イクメン向けのパパの会が東京で出来た段階、パートナーの会はまだまだこれからだろう」
と言っているくらい、まだ家族のサポートはあくまでも子供がASの場合のみなのが現状です。

私も苦しんでます。
リアルで関わる人には表面から見えないかもしれませんが
夫には苦しみの一割も伝わっていませんが
苦しんでます。

自分が苦しんで居るときこそ、周りへの配慮が欠けるのだと、
気をつけた方が良いかと思います。
苦しくて辛いのなら、攻撃ではなく、正直に、苦しいと、辛いと、
明確に表現した方が助けをえられる確率が高まります。
ご自身が感じる辛さや苦しさを吐き出せる場所を見つけてください。
精神科だろうがカウンセリングだろうが、無責任で暴力的なアドバイスのない、
星屑さんがこれ以上傷つかずに済む、苦しいといえる場所を、探してください。
壊れる前に。

よけいなお節介でしたら申し訳ありません、でも
パートナーを苦しめてしまっているASの1人として、お願いします。

パンダさん、皆様
ご心配と温かいお気持ちありがとうございました。
少しずつ、またおじゃましたいと思います。
よろしくお願いします。

星屑さん、プルーンと申します。

私も一時期、真剣に離婚を考えました。
やはり、夫は離婚は考えられないようでした。
ヘラヘラしながら、
「なんで、そういう話になるのぉ?フッ、離婚する必要があるの?」
と言いました。ある程度肝腎な話になると、ヘラヘラするのが夫の特徴です。

でも、私の場合、妊娠するまでの14年間、かなり幸せな仲良し夫婦だったことを、
結婚20周年の記念日の半日だけ、2人きりで過ごしたことで思いだしたこと、
娘がお父さんが大好きなことから、うまく折り合うことを模索するようになりました。
本当のことを言えば、今でも、「やっぱり離婚だ」と思うこともありますが。

「結婚したことも~~消し去りたい」
そういう気持ちもわかります。私もそう考えかけたことがありました。
でも、目の前にいるわが子は可愛いのです。その子自身もアスペルガーなのですが。
結婚したことや、子どもを産んだことを後悔してしまうと、我が子の存在そのものを否定することになります。私は誰の存在も否定したくありません。できることなら。

だから、娘がどこか居心地がよく、他の人にとっても居心地の悪くない場所に落ち着いて暮らすことができる人間に育つ、手伝いをしたいと思っています。アスペルガーであること、そのこと自体は、マイナスなことばかりではないと思います。娘は知能も平凡なので、スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツになれるわけではないでしょうが、何か彼女の持つ良いところを活かせることがあると信じています。

まだ、充分とはいえませんが、昔と違って少しずつ、発達障害の子どもへの教育が整ってきています。その中で、アスペルガーについては……まだまだ遅れているというか、支援の対象とも認識されていない状況にはあります。

ただ、昔は何の支援もなく、違和感を持ちながら育ち、自分の中で独自の心理的な防衛術を身に着けてしまい、それが他の人に対する攻撃になってしまったり、自分自身が二次障害で苦しんだり、定職につけなかったりしているのが、成人のアスペルガーの人には多いというだけだと思います。

ですから、星屑さんのお孫さんがアスペルガーとして生まれたとしても、それが困難につながるとは限りません。教育によって、適応しやすくなるかもしれないし、場合によっては、アスペルガーの人がいなくてはならない社会になっている可能性だってあります。

また、パンダさんもお書きになっていますが、誰にでもどんな可能性もあります。
あまり大々的には言われませんが、今でも一定の割合で、先天的な障害を持って生まれる子どもはいます。最近、流行りだした出生前検査で発見できる障害も限られていますし、それで陰性と出ても、障害を持って生まれることもあります。

健常者として生まれても、事故に遭って、生活に支障をきたすような障害を負うことも、若くして癌に侵されることだってあります。

それに、病気や障害を持つことは、不便だし辛いことではありますが、それが「悪」であるとは私には思えません。

それでも、つらいお気持ちは確かだと思います。
よくわかります。
パンダさんがおっしゃったように、きちんとしたところに相談に行かれるのもよいと思いますし、そういったことに敷居が高いのであれば、ネットで検索すると、同じような立場の方のブログや、自助会などが見つかると思います。
「カッサンドラ症候群」「カサンドラ」
などのキーワードが早いかもしれません。
そういった場所で、相談なさると、お気持ちの整理をつけやすいのではないかと思います。

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