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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月23日 (金)

淡い共感の力と蔭

 前の記事にトマトさんかずきさんからまた(私にとっては)大事なコメントを頂きました。

 トマトさんは定型アスペの問題に、そのように意識して長いこと本気で関わりを持ってこられていますよね。また多分そういう関わり方をこれだけの努力で続けられる定型は決して多くないと想像するのですが、その中でそれがトマトさんにとってライフワークのように可能となった理由の大事なこととして、やはりアスペの方との関わりを通して、トマトさん自身の「世界が拡がる」という体験がほんとに大きなことなんだと、改めて思います。

 しかもそのトマトさんの体験が、今度は第三者(主に定型でしょうか?)に定型アスペ問題を理解してもらう大事な手段の一つにもなっている。実際これまでもトマトさんが何度も大事なところで意識的に「通訳」を繰り返して来られたわけですけれど、あの見事な通訳も、そういう体験や視点があるからこそ可能なことなのですよね。

 ですから、少なくとも定型がこの問題に向き合うときには、トマトさんのようにその問題との関わりを通して「世界が拡がる」みたいな体験を実感できることが大きな意味を持つのだろうと思いますし、どうすればそれがよりスムーズに可能になるのか、ということを考える上でも、ほんとに貴重な、膨大な「宝物」(=体験とその理解)をお持ちで、しかもそれは第三者と共有ができるものになっていて、決してトマトさん個人にだけ意味があるものではない、「共有財産」なんだ(って、勝手に人の物をみんなの物にして済みません (^ ^;)ゞ )と思えるのです。

 それからもう一点、トマトさんはアスペの方の「深い洞察力」が「感情をはさまずに考えていらっしゃるのでしょうか」ということを書かれています。そのことで私が自分自身の考えを少し進めることが出来たのですが、他人の感情の理解の仕方には、いわゆる定型的な「共感」をベースにしたものとは少し違うんだけど、でも定型にも納得のいく形での「感情理解」というものがあるんだろう、ということを思ったんです。そのことは今までも漠然と感じてきたことではあったのですが、なんかぐっとはっきり言葉に出せるようになった感じがします。

 それで、私の理解では、そのような「感情理解」は、多分コンピューターの機械的な計算、というような形の物ではなくて、やっぱり定型とも共有する、でも定型的な「厚い共感」に偏るのでもない、あえて名前を付ければ「淡い共感」みたいなものがベースにあるのではないかという気がします。この辺、まだなんとなくイメージで感じているだけなので、うまく説明できませんけれど、そういう視点を入れて問題を考えていく必要があるかなと思いました。

 かずきさんのコメントからは主に二つのことを学ばせていただいたように思えるのですが、ひとつはかずきさんの定型にもそのままの形で説得力を持つように思える理解が、子ども時代の育ち方(お母さんの関わり)によって可能になった部分が大きいと考えられそうなことです。つまり、トマトさんがご自分の経験を通してアスペの方にも通じる理解を可能にしてこられたように、かずきさんもご自分の(教育?)経験を通して、それが可能になられたのだとすれば、定型アスペの間でお互いの理解を進める上で、なんらかの「経験」とか「教育」とかがかなり大事な力を発揮できる可能性がある、ということを感じることができたのです。すでに大人になって頭も硬くなってしまった(^ ^;)ゞ 私たち(?)にそれがどこまでの力を持つかは、ある程度限界があるのかも知れませんが、子どもについては、もっと大きな可能性があるかもしれません。

 そしてもう一つは、これは私にとっては悲しい方向での「衝撃」にもなるのですけれど、そうやってここまで定型を含めた「感情の理解」が可能になってこられたかずきさんですが、そのことが必ずしもご本人のつらい日常の問題や葛藤を解決する上で、そのまま力を発揮できる、ということではないということです。ここでも私が気にしてきた「相手の感情を理解すること」と「自分の感情の問題を理解し、解決(調整)すること」について、定型アスペ間で何か違いがある可能性を感じますし、そのことを考えることの重要さを、より深刻な形で感じさせていただくことになりました。

 もしそこで定型的な感覚で「こういう形でお互いに理解が進めば葛藤が減っていく」と考えられたとしても、もしかするとそれは定型には効果的なんだけれど、アスペの方には限られた意味しか持てない可能性もあるわけですし、場合によっては前向きの意味よりマイナスの負担の方が大きくなってしまう危険性にも注意しなければならないと思えるからです。この点はトマトさんも書かれていたように、玄さんが以前から述べ続けてこられたことが関わってくるところかも知れません。

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コメント

パンダさん、ありがとうございます。かずきです。

>定型を含めた「感情の理解」が可能になってこられたかずきさんですが、そのことが必ずしもご本人のつらい日常の問題や葛藤を解決する上で、そのまま力を発揮できる、ということではないということです。

たぶん、ですが
「ああ、たいていの人はこうしてるんだな」がわかっても、
「じゃぁ自分がこうすればトラブルは起こらないだろう」という適切な解決策が見つからないのだと思います。

全身冷凍庫だった頃は、
「自分がどう感じたとしてもそれは価値が無い、相手に合わせなきゃ」という
自分をないがしろにするというか、自分を殺す事で合わせようとしてきたんですが
私の場合、それが持ったのは10年でした。
冷凍庫がいっぱいになり、私自身も少しは大人になり
「この処理っておかしくない?」と思い始め、でもそれ以外に方法を見つけられずに
ずるずると他者との関わりを絶っていた時期があり
「これじゃいけない、自分は成長できない」と立ち上がった所に、
夫と会い
何故か、幸か不幸か、
冷凍庫は「開かずの間」だけになり、
心の平均気温はマイナスではなくなって
ピューレな心も何故か固まりつつあって
(分割、出来ないです…いくつも心がある(自分への裏切りの)ように感じてしまって。)

これって、いい方向へのシフトだと頭では分かっています。
でも「自分を殺す」という方法しか学んでこなかった私には
諸手を挙げて大歓迎、というわけにもいかず、
自分に対しても「ちょっと手をぬいてもいいじゃん」とか「少しぐらい逃げたっていいじゃん」とか「自分を甘やかしたっていいかもよ」なんて
生ぬるくなった私をもてあましているのが現状です。

母の教えはとても役に立っていると思いますが、
「人と自分は違う、だから相手に合わせなさい」
という部分は、もっと他の方法もあったらよかったな、と思うのです。
自分を殺さずに、自分も相手も大事にする方法を、
ケースごとに具体的に、感じた事から適切な出力までの工程を丁寧に教えてくれたら。
今、もう少し違う見方が出来ていたのではないかな、と思います。

かずきさん

 お返事が遅くなりました。すみません m(_ _)m

 「これって、いい方向へのシフトだと頭では分かっています。でも「自分を殺す」という方法しか学んでこなかった私には諸手を挙げて大歓迎、というわけにもいかず、自分に対しても「ちょっと手をぬいてもいいじゃん」とか「少しぐらい逃げたっていいじゃん」とか「自分を甘やかしたっていいかもよ」なんて生ぬるくなった私をもてあましているのが現状です。」

 なるほど、と分かった気持ちになってしまう私は一体何がわかったのでしょう (^ ^;)ゞ
 たとえば、定型的な関係を持っている人に対してだったら、
 素朴に

 「それでいいんだと思います。人間、神様じゃないんだから、
 そんな完全に生きるなんて絶対無理なことですものね。
 私はそういう「生ぬるさ」ってとても大事だと思います。」

 とお返事すると思うんです。それは本心からそう思うのですが、
 ただ、アスペの方にとってそういうお返事がどんな意味を持つのか、
 そこはまだまだ私には想像しきれないんです。

 かずきさんは「私をもてあましているのが現状です」と書かれていますが、
 その「私」とどうやったらもてあまさずにつきあえるのか、
 ということについて、定型的な工夫と、アスペ的な工夫と
 もしかすると違うのかも知れない、という可能性がすごく気になっています。

 あるアスペの方が、カウンセラーにかかって、
 自分がそれまで凍らしてきた部分を解凍して
 表現するようにし向けられた結果、
 その人は自分の感情、怒りなどをコントロールできなくなってしまって、
 とても苦労された話を聞いたことがあります。

 まあ、未熟なカウンセラーだ、という考えもあるのかも知れませんが、
 多分定型的な感覚で対応すると、自然にそうなると思うんですね。
 でもそれが(少なくともそのままの形では)こういう問題で苦しんでいる
 アスペの方にはうまくあわない可能性があると
 そういう例からも思うんです。

 生ぬるくなって、我が儘になった自分とどう上手につきあっていけるのか、
 とても大事な問題なんじゃないかなと思います。
 

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