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アスペルガーと定型を共に生きる

  • 東山伸夫・カレン・斎藤パンダ: アスペルガーと定型を共に生きる

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2013年8月31日 (土)

ジレンマと信頼

 アスペの方にとっての「感情」の問題が、みなさんのコメントを拝見していて私には「ああこういうことなのかな」とかなりリアルになってきた部分があります。そしてある意味で、アスペの方はこういう体験を日常的にされているのかな、と思えることもあります。 

玄さんは「感情」という言葉の意味自体におおいに疑問を持っていらっしゃるようですし、定型的には感情という言葉で説明することについても、違う言葉で説明、理解されようとしているのだなあということも改めて分かりました。たとえ物理的には同じ現象でも、それをどういう言葉で理解するかによって、その意味の受け止め方や、受け止め方に応じたその人の態度や行動にも違いが生まれてきてしまいますので、そこのすりあわせはとても難しいところだと思います。多分アスペの方同士の間でも、「感情ってどういうものか」ということについてのイメージはかなりそれぞれ個性的な部分をお持ちなのではないかと想像します。

 玄さんの言葉で言えば、日本の社会に多いように、とてもハイコンテキストな状況(はっきり示されない意味を、状況の文脈で読み解くことが要求されるような状況。「空気を読まないといけない」ことが著しい状況)が「普通」とされてしまっている社会がある一方で、欧米や、中国もそうだと思えるのですが、歴史的に「ことば」と「論理」がとても重視されてきた、ローコンテキストな社会の違いは、結局多くの文化や民族が入り交じっている社会で、「はっきり言わなきゃ伝わらない」状況があるからそうなる、という話も良く聞きますが、アスペ定型関係もそんな必要があると言えるんだろうなとも思います。

 ただし、アスペ定型関係がそういう「文化の違い」とも違う部分は、やっぱり「感情」の扱われ方かなと思うようになってきました。たとえば中国はものすごく「論理」を重視する社会ですけれど(と私は感じますけれど)、それはまたすごい強烈な「情」の世界と独特のバランスをとって成り立っていて、「情」のやりとりもまた絶対に欠かすことの出来ないものになっているみたいに感じます。それは多分欧米でもまた中国とは違った形でそうなのでしょう。映画なんか見ていてもそう感じることは少なからずありますし。

 というような、ああだこうだで(あれ?この表現ハイコンテキスト? (^ ^;)ゞ)、私自身、アスペの皆さんとの遣り取りの中で、だんだんと「感情」を係わらせて、そこでの交流を図ることの難しさをすごく実感するようになって(今更何を、と思われるでしょうが、実際その程度の理解力ですので、お許し下さい。すみません m(_ _)m)、で、自分なりの理解で感情を出していこうとすると、逆にアスペの方達から「なんじゃそれ?」というふうにだめ出しをされますので(^o^)、 だんだんと感情を係わらせない方向に自分が変化していくんですね。

 で、上に書いた「アスペの方はこういう体験を日常的にされている」ということの意味は、つまりそういうことです。定型から「自分の考えや感情を素直に出せ」と言われて、じゃあそれなら、と、そうすると定型から総スカンを食って、激しく傷ついてしまう。そういう体験が重なれば、自分の感情はひっこめて、良く理解の出来ない「定型の動き方の形」をとりこむしかなくなる。ところがそれもまた定型的なハイコンテキストからずれてしまったりするので、それをずれないようにすること自体大変だし、ますます知的な推理力を発揮するしかなくなり、自分の感情状態は顧みられなくなる。ちょうどそれと同じようなことを逆の関係で私も体験しているのかなと思ったりするわけです。
 
 まあ、それはそれで現実がそうであれば、それに対応することが必要ですから、やむを得ないこともあるんですが、そうすると今度は定型にとっては「感情を係わらせない(大人の)関係」は、とても「公式」の、「外の世界」の、「冷たい」関係と感じられるように作られているみたいなので、なんだか「親しくなろう」として行うコミュニケーションが、定型的には「冷たい関係」モードでやらなくてはならないというジレンマに陥ってしまいます。

 うーん、こういう仕組みって、ここでも繰り返しいろんな場面について同じようなパターンがあることを書いてきましたけれど、定型アスペ関係ではほんとに普遍的に見られることなんだなあ、としみじみ感じるところです。

 そういう難しい関係の中で、私のパートナーが時々強調するのは、「自分はあなたのことをなんだかんだいっても信頼しているんだから」ということです。この「信頼関係」というのも一体何なのか難しいのは事実ですけど、でも大事なポイントだろうなと思います。
 

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コメント

はじめまして。
今日「アスペルガーと定型を共に生きる」を買いまして、読み始めていましたら、ブックマークしているブログの方だと知り、書き込んでいます。
夫が1年前にADHDの診断を受けまして、アスペルガーに関してはテストはしていなくて、本人の自覚としては軽い傾向はあるという感じです。
が、ストラテラを内服始めてから、衝動性が少し治まっているためなのか、アスペ的な部分が目立ち始めたのか、最近の私は、アスペの特徴を理解する方が関わりやすくなってきて、カサンドラ愛情剥奪症候群の自助会に行ったりして、日々四苦八苦しながら生きています。
長期の家出や無断欠勤をしていたり、周囲から変な人と見られることにトラウマがあり、なんとか障害を隠して社会生活をしたいと願うものの、発達障害を世間に知らせたいと自助会を主催したりしています。
本の最初の方にあった「負担」で検索して該当記事を読みまして、コメント欄の「金はなくても気持ちで支える、みたいな、悪く言えば口先だけで支えるみたいなこと」に納得し、普段の夫との対話を思い出しました。
先日、休日の外出についてもめた時、初めて夫は自分が普通に他者の感情を理解していると思っていたのは間違いで、理解できていなかった、アスペルガーにカテゴライズされることを嫌がっていたが撤回する(←この真意はまだわかりませんが)と言いました。
休日の外出は常にはなっから私もセットで出かけるものとして事をすすめるのですが、先日は「私は疲れているから今回は行かない」と言ったのですが、「疲れている」がまったく通じていなかったことが判明しました。
ちょっとダルイかなーぐらいに理解していたようで、何故そのくらいの疲れで大事な用事(趣味のサッカー観戦)を欠席するのか、自分を嫌いになったか、用事に飽きたか嫌いになったかだと思っていたと夫は言いました。
さらに、夫にとってはほとんどの事象が関連せず継続しない感覚で生きているので、私が今回のみたった1度行かないだけでも夫にとってはもう嫌いになったとか飽きてしまったのだという理解になるようで、私はあなたと違い過去も現在も未来予測も関連して継続した感覚で生きている、外出するか否かの判断も当日だけではなく前後数日の予定や体調も考慮し判断していると教えると、そんな風に自分は考えたことがないので初めて知ったと言っていました。
紙芝居をめくるように事象が関連せず終了していくと聞いたことがあるがそうなのかと夫に問うと、そうそう、と同意していました。
他の方同様、人の嫌がることはしたくないとよく言いますし、私が話すことは夫にとっては責められ怒られる感覚になることが多く(愚痴やら意図のない結果の見えない話しが含まれ結果長くなるから?)、やはり具体的に「指示」する話しかけが良いようで、質問ですとか報告ですとか前置きをしてから話しかけるとか、業務連絡のような話しかけが安心するみたいです。
文章が拙く長くよくわからないかもしれず、スミマセン。
これからもいろんな記事を楽しみにしています。
ありがとうございました。

くみさん

 はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします。

 本もお読みいただいているようで、うれしいです。またなにかご感想などありましたら、
 東山ご夫妻にもお伝えしたいと思いますし、よろしくお願いいたします。

 お書きいただいたいろいろなご経験、問題を考える手がかりとしても貴重ですよね。
 さらに「定型からみるとこういうふうに理解できる」ということと、「いやアスペから見ると
 それはこういう意味だ」ということと、そんな見方のズレをお互いに学び合う、
 ということが出来ればいいなと思ってやってきました。

 ご家庭でみなさん(定型もアスペの方も)ずっと苦労され、絶望的な気持ちにも
 なってこられたわけですが、この場で議論してもやっぱり同じような
 難しさを改めて再体験したりもあるように思います。

 でも、ある意味では「家族」の中でするような大事な話を
 ここではみなさんがお互いにしている、とも考えられるように思います。

 これからもみなさんのコメントに刺激を受けながら、
 私なりに感じたこと、考えたことを記事にしていきたいと思いますので、
 お役にたつことがあればうれしいです。

玄です。
くみさん、お話とても分かりやすかったです。
「疲れる」の意味づけが違っていたという発見、とても大切と思います。
何かあるたびに、そういうボタンの賭け違いを直せばいいのだ、という手がかりができたのですから。(この方法ですべてうまくいくわけではありませんが)


パンダさんへ
またちょっと思い付きを得たので、ご批判いただきたく。

コミュニケーションにおいて、定型の方は感情バロメーターをすごく重視する、という面があると思います。

ちょっとくだらないかもしれませんが、交通信号機の赤青黄色の表示は、僕にとっては、単にルールに則って変化する、指示を伝えてくるシグナルであって、純粋に情報ですが、定型にとっては交通信号機の表示を「表情・感情」になぞらえて認識しているのかな、と想像しちゃうくらいです。


コミュニケーションするにあたって、相手が送ってきた情報を頭の中でどのように分析するかを考えてみました。

x軸が論理性で、左がnot OK・右に行くほどOKとします。
y軸が感情(好意)で下がキライ・上がスキ、と割り振るとします。

定型は、受け入れる前提で話をしている相手からの情報ならば、笑顔でうなずき話の続きを促す。これは図の上の方にプロットしているということになります。

何を言いたいかというと、好きな相手の話なら論理性に左右されないで、むしろ感情情報を足がかりに、同意を送り返し、「人間関係のパイプの太さを確かめる」事を優先している気がするということです。

なぜそう思ったかというと、定型と話をするときに、僕から、わざわざ言うほどでもないウレシカッタ・カナシカッタなどの感情表現を話にちりばめて提供してみたら、対話が異常に安定したという体験があったからです。


一方、ASはy軸が無くて、コミュニケーションについては論理性が手がかりの主体になります。論理性があれば続きを聞けるし、違うと思えば直す提案をする。反論しても感情が絡まないところが、「キライになったら話は終わり」の定型と大きく違うところです。

自分のコミュニケーションが、相手(定型)にとってのどこにプロットされるかを気にしないのが、対話がうまくいかないときの要因なんだろうなって思ってます。

パンダさんがASを心の中を覗くに当たって、y軸(感情)は適用しないモードであることと、x軸(論理?性)がその人ごとの経験に基づいたモノサシであることに気をつければ、よいのかもしれませんよ。

僕の感覚では、「信頼」は目標や方向性がわかっていれば、コミュニケーションに感情情報は必須ではない、という感じです。

玄さん

 玄さんのお話の(私にとっての)わかりやすさは、論理的にすごくすっきりされている、
 というところかなと思います。もちろん定型の中にも論理的な話が好きな人と
 嫌いな人はありますけれども、大体の人との間では「数学の論理」は共有できるように
 (といって、実は私は数学が大の苦手なんですが (^ ^;)ゞ)、
 アスペ定型間でもこの論理という手法は結構共有がしやすいところですよね。

 さて、

 「ちょっとくだらないかもしれませんが、交通信号機の赤青黄色の表示は、僕にとっては、単にルールに則って変化する、指示を伝えてくるシグナルであって、純粋に情報ですが、定型にとっては交通信号機の表示を「表情・感情」になぞらえて認識しているのかな、と想像しちゃうくらいです。」

 いや、いいところを突いていらっしゃる気がして、ちょっとニンマリしてしまいました。
 ほんとに定型はそういう「表情を読み取る」ことを、物に対してまでやったりしますね。
 想像しちゃうくらい、はそのまま正解!という気がします。

「何を言いたいかというと、好きな相手の話なら論理性に左右されないで、むしろ感情情報を足がかりに、同意を送り返し、「人間関係のパイプの太さを確かめる」事を優先している気がするということです。

 はい、基本、そういう傾向が強いと私も思います。ただ、好きな相手なら必ず同意か
 というと、それは「好きになっていく過程」である場合に特に強い可能性があって、
 完全に仲間意識、恋人・夫婦意識が定着してしまうと、今度はむしろ「本音」をこぼす
 という関係が重視されることもあると思います。「親しき仲にも礼儀あり」ということばは、
 そういう「本音」傾向の行きすぎをたしなめる言葉のようにも思います。

「なぜそう思ったかというと、定型と話をするときに、僕から、わざわざ言うほどでもないウレシカッタ・カナシカッタなどの感情表現を話にちりばめて提供してみたら、対話が異常に安定したという体験があったからです。」

 その場面を想像して、なんかまたにやっとしてしまいました (^ ^;)ゞ
 玄さんに定型のツボをうまく突かれたな!という感じです (^o^)

「一方、ASはy軸が無くて、コミュニケーションについては論理性が手がかりの主体になります。論理性があれば続きを聞けるし、違うと思えば直す提案をする。反論しても感情が絡まないところが、「キライになったら話は終わり」の定型と大きく違うところです。」

 ここは私はまだよく分からない、というのが正直なところで、ほんとにy軸がない、
 という説明だけで行けるのか、あるいは定型的にはy軸として押さえるんだけど、
 アスペの方は直交しない(あるいは斜交の)Z軸くらいで感情的要素もプロットされて
 いるんじゃないかとか、そんな可能性もしつこく考えてみています。

「自分のコミュニケーションが、相手(定型)にとってのどこにプロットされるかを気にしないのが、対話がうまくいかないときの要因なんだろうなって思ってます。」

 ええ。ここは私もそうなのかな、とだいぶん思うようになりました。
 それだけかどうかはまた考える必要があるようには思いますが、重要な要因の
 ひとつではありそうに感じます。

「パンダさんがASを心の中を覗くに当たって、y軸(感情)は適用しないモードであることと、x軸(論理?性)がその人ごとの経験に基づいたモノサシであることに気をつければ、よいのかもしれませんよ。」

 X軸が経験に基づいた物差しというのは「なるほど」という感じです。
 そう言えば先日もパートナーが同じような意味のことを言っていたかも。
 でもほんとに定型的感覚では、感情を差し挟まないように努力する場合は
 「心を鬼にして」とか言ったりしますものね。もちろん「冷静になる」という
 ポジティヴな言い方もありますけど。

「僕の感覚では、「信頼」は目標や方向性がわかっていれば、コミュニケーションに感情情報は必須ではない、という感じです。」

 すみません、ここもうちょっと分かりませんでした。「信頼」は相手の目標や方向性が
 理解できている(あるいは相手と共有できている)ことでOK、感情は必須ではない、
 という理解でいいですか?

パンダさん、玄さん、お返事ありがとうございます。
玄さんが仰った「ボタンの賭け違いを直せばいいのだ、という手がかりができた」を、とても納得し読みました。
夫の見ている世界の見え方というか、自分自身や自分と周囲の関わり方や感じ方を知り、「ボタンの掛け違い」「手がかり」という表現が初めて当てはまるようになりました。
以前は、「疲れる」の意味づけが違っていたことを発見しただけでは、違いを受け入れるとか認めることができなかったんです。
夫の思いや感じていることを教えてくれても、そうは言っても、言わなくてもわかる部分あるでしょ!とか、私自身が元々言わなくても察してもらえる対話が楽だからと、その自分の楽さを夫に求めていたりしてました。
私が夫に求めていたことは、無理難題だったということが今はわかったし、どんな相手でもテレパシーを求めるのではなく、私自身のためにも「察してもらう」のではなく、言葉などで表現することが大事だと思っています。
(何も言わなくても男性が女性のカバンを持つのがマナーとか常識、みたいな考え方は私は嫌いです。持ってほしければちゃんと言葉にして相手にお願いしないといけないと思うし、それをしないで持ってくれない場合に不満を言うのは変だと思います)
夫は、過去の体験を忘れていき(本人曰く、忘れるとかのレベルじゃなく欠落していく感覚)、過去の体験を踏まえられないから、計画的な行動とか先々の予想とか苦手で当たり前なんだと理解しました。
只今職探し中で、つい先日採用が決まった会社を出勤3日目で辞めてくると宣言したんですが、自分なりにおかしいと思い辞めることを決断した内容を忘れてしまって、またその失敗を繰り返すのではないかと、本人は恐れています。
先々の予想は目に見えず確かめようがないからできない、助言されても確証が得られないからできない、自分とは違う感じ方行動の仕方を伝えられても確証が得られない(自ら同じ体験ができない)から共感はできない(あぁそうですか…それで?で、終了みたいな)、自分で納得して実践して失敗などをして身につけていきたい、などと言っています。
以上のような体験で夫を少しでも理解できて、とても助かりました。
私がキレたり嫌味を言ったり愚痴を言って困らせてきたせいで、夫は「とにかく僕は揉めたくない」と、本気で別居も考えていたくらいでした。
具体的に伝えるのが良いと知っても、その具体的がよくわかっていなかったことも発見ですし、結局どういう言葉を使いどういう表現をすれば夫がわかるのかは、統計的にこうだみたいなことはあくまで参考であって、夫自身がどうであるかを知らなければこうはならなかったなぁと思いました。
ありがとうございました。

くみさんへ。 トマトです。

人同士、暮らしや仕事など、空間でもモノゴトでも共有しながら生活するということは、相手を知ること馴染むことに尽きますね。

とくに言葉の意味を共有していない者同士の生活は、ひとつの言葉でも「相手がどんな場面でどんな感覚で使っているのか」から探すことになるので、納得に年月という膨大な時間がかかる場合もありますものね。
「解った!」と思っても、場所や場面や時間や相手など違うと応用できないのも、ASと定型おたがいさまで。
くみさんが、夫を少しでも理解できたことにご自分が「助かりました」と言われているところに、前向きな気持ちを感じました。

くみさんのご自分の経験が自助会という立体的な場で生かされること、役立てられることが、苦労の還元ということにつながるのではないかと、応援します。

トマトさん、はじめまして。
よろしくおねがいします。

とても心強く、トマトさんのコメントを読み感じました。

確かに、理解したり納得するには膨大な時間も労力もかかります。
「まだまだ勉強中、知り始めている途中だから、もし上手くできなくても結果が見えなくても、大目に見てほしい(この先この努力を続ければきっと何らかの良い結果が得られるであろうという意味を含む)」と夫に伝えても、イマイチ納得していないようで、それは仕方ないですよね、夫にとっては目に見えないし確証が得られないのですから。

「助かる」という言葉はよく使います。
助かって、教えてもらえて、気付きを得られて、という感じがしています。

掲示板で、トマトさんの「覚悟が出来ていないゆえのや不安や未知への世界への反発」の表現が(どの記事かとかは端折ります)、「違いを受け入れること認めることができなかった」ときの自分にピッタリだと思い、またひとつ助かっちゃいました。
ありがとうございました。

くみさん、コメント有難うございます。玄です。
「私が夫に求めていたことは、無理難題だった」という部分、そういう心境に来るまでは大変だったと思います。「当たり前に通用して欲しいものが、通用しない」という場面がこれからも出てくると思いますが、旦那さんと一緒にやりくりしていって頂きたいと思います。旦那さんの態度はどうあれ、旦那さん自身も上手くいかない苦境にあるはずなので。
僕の希望的観測なのですが、旦那さんがくみさんを頼る場面ばかりではないのではないでしょうか?勝手な想像ですが、全く別の局面では、くみさんが生活の中で思い悩むことを、旦那さんが安やすと苦もなく答えを出したり、思いがけない視点で割り切りをしたりということはありませんでしょうか。お二人ならではのタッグというものがあると思います。

「過去の体験の記憶」については、非常に重要なお話です。
僕自身も同じ感覚があります。パソコンに例えるのが適切か分かりませんが(僕はそういう例えが好きなのですが)、ハイパーリンクが切れてしまって、データの読み出しができない感じです 。
お話ししかけた、「言葉の定義のズレを確認し擦り合わせをする」という作業では埋められない、困ったポイントの一つで、これによるメリットもあまり思いつきません。
このような体質を持って成長してきたが故の世界観・言葉の意味の偏り・行動特性の発生が、ASの特性(症候群としての共通点)に繋がってくると考えています。

ある人は記録魔になり、ある人は隙間なく予定を入れるようになり、他人を覚えきれないので誰にでも同じ態度で接したり、ルーティン動作を構築するのを好んだり、(思い出せない過去との決別で?)状況を白紙にしてやり直したい衝動に駆られたりします。

「試行錯誤」という考え方に納得感があるのですが、残り時間やコストが考慮に入らない恐れがあります。習熟しようとする集中力や、身に付いた後の完成度は高いと思うのですが…

旦那さんの、未来予測に関する苦手意識、むちゃくちゃ分かります。
定型は何かを「予測して、それが当たったら喜ぶ」というメンタリティがありますよね。予測を楽しみ、研ぎ澄ましているように見受けます。で、「お前もやってみろ」と言われるのがツラい。

不確定要素を評価するモノサシを持っていないので、「先々の予想」をしようとすると仮説が何百もできてしまい像を結ばない。「助言」も、仮説の一つに埋もれてしまうのでしょうね。過去の振り返りも、色々な要素が撚り合わさって現在が出来ているとは思うのですが、その要素の何が重要なのか断言できないので、何から言及するのが良いのかサッパリ分からない、という気がします。

経緯や予定を紙に書き出すのは、よいアイデアと思います。
未来予測には、正確性をぐっと落とした大雑把なものでよく、その代わりに「見直し行動」を予定に組み込んで修正しながら対応する。そういった手法も「計画」と呼んでいいということを、旦那さんにお伝えしたいです。

パンダさんへ「信頼」について、
僕の「信頼」は、「信頼性」で使われるニュアンスでの「期待したアウトカムが得られる可能性が十分高い状態」という感じです。
「目的に向かって進む行動力」が明確ならば「信頼できる」ことになり、人物の好き嫌いは関係ないということになります。
もちろん、誰かに向かって「信頼してるよ」という声かけは、「注目していますよ」「貴方が上手くいくことを前提に、コスト配分していますよ」「良い結果を出して、利益をこっちに廻してください」という含みがあるということは、シチュエーション分析で分かっているつもりです。その他に、感情的なニュアンスがあるようでしたら(もちろん、パンダさんの捉えている意味合いも)、ぜひ教えてください。
よろしくお願いします。

くみさん、はじめまして。AS妻であるかずきです。夫は(恐らく)定型です。

私もトマトさんの「覚悟が出来ていないゆえのや不安や未知への世界への反発」という言葉に救われた一人です。
私も、夫に苦労させているな、と日々感じていますが、
くみさんのように、相手を相手の感覚のまま受け入れて、そこから共生していく工夫を生み出そうと考えてくれている夫で感謝しています。

>「疲れている」がまったく通じていなかったことが判明しました。ちょっとダルイかなーぐらいに理解していた

ここ、私はすごく気をつけていて、何事も大げさに受け取ることにしています。
「疲れている」だったら、丸一日寝て居たいくらいじゃないか、と想定して会話します。
こういう類のものは、重く受け止めているものを軽い意味に修正するほうがトラブルが少なく感じます。
たとえ心配性、と見られたとしても。ニュアンスが分からないので、私は、そういう対処法です。

だから、

>何故そのくらいの疲れで大事な用事(趣味のサッカー観戦)を欠席するのか、自分を嫌いになったか、用事に飽きたか嫌いになったかだと思っていたと夫は言いました。

というのもすごく分かります。
「だるいのかな」位だったら、そう思います。
でも「布団から1日中動きたくないくらい疲れている」のだったら、仕方ない、と思えます。
私なりの対処法ですが、旦那様にもそういう対処法が、他の部分でもいっぱいあるのだと思います。
こういう事を、話せる関係を大切になさって下さい。

玄さんも仰っていますが、「メモ魔」はお勧めです。
私の場合、何でもかんでも、小さなメモに書き、(事実、気持ち、他人の意見など分けて)
そのメモをひとつの事柄に限って、時系列に並べて見直すと、問題点も見えますし、
見えてきた問題点からの解決策もメモしておくと、忘れても見れば知ることが出来ます。
メモを見る事も忘れますが・・・・私は5年かかって見る習慣が出来ました。
常にメモ帳とペンを肩掛けポーチに入れて持ち歩いています。
A4の16分の1サイズの小さなものですが、いくらでも書き殴れるよう、
薬の解説の紙だとか不要紙を裂いた物の裏を使っています。

スケジュールも、分かったときにメモし、それをカレンダーの下にピンチを通したワイヤーを張り、そこに留めていってます。
試行錯誤して作ったのですが、一般的には「トランジョンエリア」というそうです。
検索すれば、子供向けの視覚支援の一環として例が見られると思います。
「スケジュールを掲示・確認 する場所」という意味があるそうですが、
私はそこに気をつけなければならない事なども張り出しています。

環境が許せば、そういった場所を作る事も手助けになるかも知れません。
私は、どんな手段であれ、外(自室以外)で対応出来るようになるためなら利用する、という考えなので、子供の各種予定表や地図、あいうえお表なども含めて
壁一面に色々ごちゃごちゃと貼ってあります。
シンプルでスタイリッシュな生活には程遠い壁で、夫が本当は嫌がっているのは分かっていますが、
私(と子供)の社会的生活を保つ為に壁を一面だけ、自由にさせてもらってます。

旦那様が「一般的に大人はそんな事しない」という考えをお持ちでしたら、逆なでしてしまうのでお役に立たなかったら申し訳ありません。
アスペだから視覚支援、とかではなく、「旦那様自身が楽になる為の手段」が、何か見つかるといいですね。


トマトさん

横からすみません。
トマトさんにとって、「馴染む」ってどういう状態ですか?
「知る」先に「馴染む」があるのは分かるのですが、どういう状態なら「馴染む」と表現するのでしょう。

私は「馴染む」という感覚がなかったので今困っているのですが、
結婚して夫の実家に住みだして、6年。最近「やっと馴染んできた」と言われるようになりました。
ASの診断をうけ、苦しんでココで助けて頂いて落ち着いた頃からです。
診断は関係ないと思っています。
私自身は、何も変わったと思わず、当初から「この土地の流儀」を習ってそのようにしているだけです。
「この土地の流儀」も、いいなと思うことも嫌だなと思うこともありますが、それは切り離して、「こうするもの」としてやっているだけなのです。

それが「馴染む」ことだとしたら最初からそのようにしていたと思うのですが…
トマトさんの思う、「馴染む」でいいので教えてください。

玄さん

>ハイパーリンクが切れてしまって、データの読み出しができない感じです
笑っちゃいました。良い意味で。ほんと、そんな感じです。

>なぜそう思ったかというと、定型と話をするときに、僕から、わざわざ言うほどでもないウレシカッタ・カナシカッタなどの感情表現を話にちりばめて提供してみたら、対話が異常に安定したという体験があったからです。

これ、偶然にも私も夫に対して最近やってみた所です。
口数の少ない夫ですが、いつにもましてご機嫌で話してくれて嬉しかったのと同時に複雑でした。
普段から、これを求めていたのですね。

>自分のコミュニケーションが、相手(定型)にとってのどこにプロットされるかを気にしないのが、対話がうまくいかないときの要因

この部分は考えさせられます。
相手にどう受け取られるか、を考える上で、定型の受け取り方の傾向などが分かれば参考になるので、
定型(に関わらず、相手)の受け取り方を率直に教えてもらう事というのが、私にとって今の目下の課題です。
そのためには相手が「素直に教えようと思える」ようなアプローチが必要になります。
そのアプローチ方法も、「相手にとってのどこにプロットされるか」を考慮しなくてはならないので、難易度が高いですねー。

>思い出せない過去との決別で?)状況を白紙にしてやり直したい衝動に駆られたりします。
>不確定要素を評価するモノサシを持っていないので(中略)何から言及するのが良いのかサッパリ分からない、という気がします。
>未来予測には、正確性をぐっと落とした大雑把なものでよく、その代わりに「見直し行動」を予定に組み込んで修正しながら対応する。
このあたり、そうそう、と頷きながら読ませていただきました。

「信頼」に関しては、ちょっと引っかかってしまったのですが、

相手の「目的に向かって進む行動力」その部分を「信じて」いる、その人物が好きか嫌いかは切り離して考えている
という事でしょうか。
その相手の一面を信頼しているに過ぎない。
その受け取り方で良ければ「感情が必須ではない」もすんなり読めます。
よろしくお願いします。

かずきさんへ。 トマトです。

私にとっての「馴染む」は、初めは意識したり確認しないと出なかった事が、特に意識せずとも、無意識にそのことが出来るレベルになった状態のことです。
仕方無くそうするでもなく、あえての努力を伴わず、自発的に、もっと言えばリラックスしたまま出来ている状態のことです。

AS友人と会話で「ちょっと待ってて」という言い方がAS友人から「メドが立たず不安になるんですよ」と言われて、「5分ほど待ってて」と、数字を入れる言い方を意識してするようになったのですが、2週間ほどで、無意識に数字を入れて会話できるようになりました。
このスタイルに慣れると、定型に「ちょっとってどのくらいよ」と聞く自分が居て不思議でしたが、ここまでくると「数字を入れての会話に馴染んだな」という実感が持てました。

トマトさん、ありがとうございます、かずきです。

もう少し詳しくお伺いしたいです。

無意識で出来るようになるレベル、というと

具体例の場合、
「5分ほど待ってて」という言葉の前に
「この人に伝えるには時間を伝えたほうがいい」と考える事無く、
「何分くらいかかるか」を考えられる、という事でしょうか。

「この人にはこう対応したほうがいい」と考えることは
仕方なくそうする事、あえて努力する事、(馴染んでいないという事)でしょうか。

それとも、相手に合わせた対応を考えるということを意識せず、自発的にリラックスした状態で無意識に考えようとしていれば
「馴染む」に入るのでしょうか。

「ちょっと」で通じていた自分が、ASに対する配慮に「馴染んだ」為に、「ちょっと」に過剰反応するようになって始めて「馴染んだ」と実感出来たのですね。
そこの、「ASに対する配慮」と「ちょっと」で通じていた自分は、共存しないのですか?

質問ばかりでごめんなさい。よろしくお願いします。

かずきさんへ。 トマトです。

私の無意識の感覚は
「5分ほど待ってて」という言葉の前に
「この人に伝えるには時間を伝えたほうがいい」と考える事無く、
「何分くらいかかるよ」を伝えられている。ですね。

【「この人にはこう対応したほうがいい」と考えることは
仕方なくそうする事、あえて努力する事、(馴染んでいないという事)でしょうか。】
「馴染む」にも人それぞれの段階があって、「この人に馴染んだので「この人にはこうした方が良い」と判断する冷静さや余裕ができた」という段階もあると思います。
私もそこの段階は「少し馴染んだ」と実感します。

【そこの、「ASに対する配慮」と「ちょっと」で通じていた自分は、共存しないのですか?】

共存します。混じり合うという感じですね。ASの人と会話をした直後に、定型に「しばらくお待ちください」と言われると「(しばらくって)どのくらいの時間がかかりそうですか?」と聞きたくなる自分がいます。ASの人に馴染んだ会話をしていた残像感みたいな。
実際に聞いちゃう時もあれば、何も感じず「はい」と受け入れられることも多いです。

定型の多くは、赤ちゃんには「可愛いでちゅねー」と勝手に赤ちゃん言葉になったり、お年寄りにはゆっくり話しかけたり・・特に意識せずして相手に合わせようとした話しかけが出来るのだと思いますが、ASの人への場合「ニュアンスではなく明確な言い方をすべき、その1.数字を入れると良い その2.語尾は言いきる」などという新しい知識としての飲み込みが必要なので、私の場合、その新しさと今までの自分流との共存が自然に出来るまでは、ちょっと肩に力が入る時間はありました。

みなさん、こんにちは。くみです。

玄さん

お返事ありがとうございます。

>旦那さんがくみさんを頼る場面ばかりではないのではないでしょうか?

かなり強めに頷きながら同意し、読みました。
正直者で嫌味やわざとらしさはなく(そもそも夫にそんな発想はないですね)、私のようにキレたり攻撃しない(夫は基本ションボリしてひきこもる)、ボキャブラリーが豊富、私が言葉や表現に迷った時に教えてくれる(学校で習わなかったの?と度々言われます)、ユニークな言いまわしが私的にツボ、などが頼りになる部分でもあります。

先日も、サッカーのオフサイドルールが変更になったというテレビ番組のコーナーを一緒に見ながら、難しくてよくわからないと私が言うと、テーブルにコップやコースターを置き動かしながら説明してもらい理解できまして、そのようなことも私には喜びですし、職探し期間中は料理とゴミ出しを担当してもらい(私は料理が嫌いで助かるし、夫もいい気晴らしになっているそうです)、発達障害のことも自主的に調べ受診し受容し仲間との情報交換を重ねて、私の方が教えてもらっていることは多いかもしれません。

>定型は何かを「予測して、それが当たったら喜ぶ」というメンタリティがあります

これについては、「売れそうな商品を仕入れて、実際に売れたら嬉しいというのはあるから、その辺はスペクトラムなのかな」と言ってました。

かずきさん

お返事ありがとうございます。

「トランジョンエリア」という言葉、初めて知りました。

「自分の認識できるスペース、箇所が限定されている」と、以前夫が話してくれたことを思い出しました。
家の中では、自分の本や雑貨や昔のチケットや手紙やおまけを置く1メートル四方のスペース(私はここを樹海と名付けました)、自分の衣類のあるタンスの引き出しとハンガーラック、本棚、冷蔵庫、食器棚です。
認識外の場所は自分の管轄外だから、何がどこにあるとか知らなくて、夫が持ち込んだ物を私が夫の認識外の場所にしまい込めば、当然、もう永遠に忘却の彼方となります。

衝動性の特徴も持ち合わせているので、ストラテラを飲む前は年に2、3回のペースで突然ハマり数か月で飽きるという衝動行為を繰り返してきました。
夫曰く、頭の中が打ち上げ花火、スパークしているそうで、そんな衝動行為に、買い物行為、私の後片付け行為が派生し、私が「すぐに飽きてしまうからやめてほしい」と言うと「なぜ飽きるなどと決めつけるのだ」と怒り抵抗し、私の願い虚しく突っ走っていました。
今思えば、仕方ないことです、自覚できないのですから。
私としては、その衝動行為が治まっているのが、一番穏やかに過ごせている部分です。
ただ、衝動性は治まったかもしれないが、ひらめきのような良い部分も治まった気がしてつまらないと言っており、主治医とも話してはいますが、減薬をどの辺りでしたらよいか、まだ決めかねている段階です。

パンダさんの著書と同時に、最近出版された「アスペルガーの男性が女性について知っておきたいこと」という本を買ったら、翌日、「最新の良さそうな本を買ってきた」と夫が見せてくれたら同じ本でした、
その本のまえがきにあるのですが、カップルには嘆きの課程があり、私たちは第二段階に当てはまると夫は言いました。
(第二段階は、強烈な怒りやフラストレーション、絶望感を感じる時期だそうです)

いろいろと書物を読んだり、このような場で情報交換したりしながら、上手くいかないからできること、できないからできることを見つけて楽しみに変えていけたらいいなと思います。

くみさん、かずきです。

〆ようとなさっている所申し訳ないですが、
「樹海」、わかります。
私の「樹海」は、夫には「カオス」とか「腐海」と呼ばれています。
例の壁と、クローゼットの一角、そしてテーブル半分は、夫も手出しできない「樹海」です。
以前は勝手に片付けられた(と感じた)り、別の場所へ持っていかれたりして争いが起こっていましたが、
今は、根本的な、
「人の物には触らない、触ったら戻す、動かしたら報告する。それが礼儀ってもんでしょ?!家族だって『親しき仲にも礼儀あり』でしょ?!」という主張を認めてくれて
(決して同意しているわけではないです。「かずきはそういう考え方」と知って、対応してくれてるだけです。)
私のものを動かすときは一声掛けてくれますし、
「ココだとこういうふうに困ることがあるから、動かしたいけど、どこならわかる?」
とか、相談してくれます。

たぶん、夫はいちいちそう確認しないといけないという事が意識しないとならないのでしょうが、
夫の実家に住んでいる(夫はずっと実家住まい)引け目から、やってくれているような気がします。
「6年経つのに慣れないヤツ」から、「なれるのに時間がかかる人」=「6年経ってるけど、だから慣れてない」という認識に変わっていったんだと思います。
それまでは、喧嘩腰のお互いの実家文化の否定のし合いなどもありましたし、出身地域否定喧嘩もありました。方言とか。
お互い傷つけても、それでも一緒にやっていこうという気持ちが双方続かないと、

くみさんのおっしゃる
>上手くいかないからできること、できないからできることを見つけて楽しみに変えていけたらいいなと思います。
に、ならないのだな、と感じているところです。

特に、「楽しみに変えていけたら」と考えられるあたり、すごく素敵だと思いました。
旦那様ももちろんですが、ご自身も大切になさって下さい。

トマトさん、かずきです。ありがとうございます。

考える事無く伝えられている=馴染む
なんですね。
ありがとうございます。

共存の件は、やり方を切り替えている、という感じなのでしょうか。
切り替え損ねると違和感を感じてしまう、というような。

>定型の多くは、赤ちゃんには「可愛いでちゅねー」と勝手に赤ちゃん言葉になったり、お年寄りにはゆっくり話しかけたり・・特に意識せずして相手に合わせようとした話しかけが出来るのだと思いますが

ここが、実感が無いので、「馴染む」がいまいち理解できずに戸惑っていました。

あと、トマトさんでも、新しいものに「馴染む」のはある程度大変なのだとわかって(変かもしれませんが)ちょっと安心しました。
ありがとうございました。

かずきさん、くみです。

「ほう・れん・そう」の重要性をビジネス場面などで聞きますが、そのようなルールを自分たちのオリジナルな形にして利用することで、上手くいく場合が多いと思っています。

特に、事後より事前がより重要で、カレンダーに予定を書き込み壁掛けて認識するのは、都度伝達より突然感が無く受け入れやすいと言っており、夫のやりやすい対処法が結果私自身にも役立つことが多くなってきた感じがします。

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